355頁:無理もほどほどにしましょう
『龍王の魔女』こと玉姫には奥の手がある。
それは、自身がデスゲームプレイヤーであった頃に編み出した奥義。AI『飛角妃』とMBIチップを介して直接思考を同期し、思考速度とアイデア生成速度を極度に上げる。
今の玉姫には戦場の全てが理解できる。
これまでの軌跡、これからの棋譜。戦場の未来の姿。
外からの不確定要素が入り込まないこの空間において、玉姫は全ての未来を把握できる。
玉姫には『龍脈』を視る能力があるのだ。
人の流れ、力の流れ、物資の流れ、敵意の流れ。対局から読み取るべき、混沌理論の中に統計として存在するベクトルの偏りをはっきりと理解できる。これも一つの予知能力。戦略的視点で軍を動かす者に必要な能力を子供としての直感力とそれに不釣り合いな経験、そして『飛角妃』の演算速度で実現する。
いわば、人間と機械を組み合わせた軍略プログラム。一つのデスゲームを勝ち抜いた最強の能力。
それが告げている。
この戦は自分達の勝ちだ。兵力が同じでも指揮能力で勝つ、そして余剰の戦力で三木将之がどう動いても、彼を仕留められるように手を回せる。たとえ、今から司令塔を誰かに交代して撤退を試みても、門に到達する前に確実に狩り取れる。
元々、この城はゲーム攻略上、絶対にクリアしなければならないポイントではない。相手に合わせて難易度を上昇させても罰則はない。ルール違反で取った駒を返却するということもない。
だから、全力で獲りに行く。
なりふり構わず、殺しに行く。
そうして……
「彼を私の捕虜にする。どんな敵が来たって、何度あの女が来たって返さない」
敵側に撤退の命令が下ったのを動きから感じ取る。
そして、彼は司令塔から脱出する様子はない。自分が一人で捕まるのが一番被害が少ないと理解したのだろう。
それでいい。それで……
「……あの女! どうしてそっちへ!」
《現在 DBO》
ライトは計算する。
自分が攻略から抜けた場合の損失、そして『龍王の魔女』を討伐できずないままに最終局面に突入した場合の難易度。
そして、結論付ける。
問題ない。自分が担う予定だった役割に、代替不可能なものは何一つない。元より、ライトの立ち回りは展開の潤滑化と必要な役割の代替。マージンが減るものの、根本的に攻略が滞る要素はない。集めたデータに関しても、メモリが全て記憶している。前線が後退することもない。
ただ、気になることはある。
「メモリ、ここで『感情』に目覚めたか。予想外のタイミングだったが、大丈夫か?」
メモリがいつかこうなることは予知していた。
だが、よりにもよってと言うべきか、この場面でというのは予想していなかった。
最悪とは言わないにしろ、これならもっと早くにきっかけを与えておくべきだったかと、反省する。
だが、行動は変わらない。
代替不可能な戦力である『OCC』を逃がすため、タイミングを見て自刃する。この盤上での死は仮のもの、捕虜となるだけだが、恐らくこの城の難易度は一気に上がる。救出は実質不可能になる。
願わくば、捕虜解放のためにこの城に挑戦して無駄な犠牲を出さないようにしてほしいが……キングとスカイはそういった計算ができるタイプだ。攻略は速やかに禁止されるだろう。
この撤退戦が済めばお役御免だ。
そう思い、ジオラマを確認する。
だが……
「……ん? メモリ、こっちに来てるのか?」
バグが許容量を超えた。
記憶が勝手に想起される。
公園……隠れんぼ……少女……将棋盤……少年……見たことのない笑顔。
この肉体が視認した記憶ではない。
いつか紛れ込んだ別の少女の記憶。そしてそれに紐付けられた感情。
視界には入っていた。
でも、彼と同じ人間だとは認識できなかった。あの笑顔は、ずっと見てきたはずの私が知らなかったものだった。彼が私に見せたことのない、私が見たことのない、別人のような表情だった。
違う、これはメモリの、浮舟記の記憶じゃない。
なのにわからない。この感情は記憶の中だけのものなのか、自分自身から発生したものなのか。
わからない、わからない、ただわかることは、不快だということ。
「メモリ。指示が聞こえなかったか? この砦はすぐに包囲される。早く門へ……」
砦に入る直前、振り返って戦場を見下ろす。
確かに、着実に包囲の輪が狭まっている。既に王手がかかっている。
それがどうした。
「古代魔法『オール・イン・ワン』」
修得している魔法の数に応じて威力が上がる単純な放射攻撃における最強魔法。
使用後は一定時間魔法が使えないという代償と引き換えに、その極太の光線は戦場を薙ぎ払うに十分な破壊力を持つ。
唐突に敵兵の包囲線をなぞるように放たれる切り札。
常識的な戦術を考えるなら完全な悪手だが、この局面でさながら八つ当たり気味に考えなしの大破壊がばらまかれたことで、敵軍は反応が間に合わず想定外の損害を受ける。
そして、魔法が使えなくなったメモリはライトを押しのけ、司令塔の主の椅子へと身を預ける。
「どういうつもりだ? 今魔法が使えなくなったら、撤退も危ういだろう。まさか、オレの代わりに捕まる気か?」
ライトの問いかけは当然のものだ。
悪手も悪手、自殺行為とも呼べる暴挙はそれこそ自殺のための行動と考えるのが一番簡単だ。
だが……
「外に出てください。私が指示を出します」
メモリは、そう言ってジオラマを俯瞰した。
撤退を始めていた『OCC』にも通信を繋ぎ、配置を通達する。
それは、確実に逃げるための配置ではなく、反撃のための配置だ。
「メモリ……確かに、メモリの脳内にはいくらでも戦略のパターンが記憶されていて、これまでの戦闘のデータもオレが知ってる要点だけじゃない詳細なデータがあるはずだ……だが、無理だろメモリ。参照するデータがあっても、それを現状に反映するプログラムがなければただの『物知り』だ。以前勝った棋譜をなぞっても、相手がそのルートを外して来たら対応できなくなる。出力装置であるオレがいないと……」
メモリはバックアップメモリであり、情報収集する入力装置。そして、ライトがメモリから情報を受け取り、それを人格として構築して出力する実行ソフト兼出力装置。
メモリが戦況を完全に把握する指示を出すとしても、それを正しく理解できるのはメモリの脳内情報を翻訳できるライトだけだ。だが、この局面はライト一人で突破できるものではない。ライトが砦を出れば、おそらく敵側にもメモリの代わりにライトの偽物が出現する。
「メインユーザー……いえ、ライト。あなたは私の半身です」
「……ああ、わかってる。『人格』とは別の部分がそれを理解してる。だが……人格としてのオレは、メモリには一人の人間になってほしいとも思っている。だから、身代わりになってほしいとは思わない」
「私はあなたの半身。それはこの肉体に入る前からの変わらない事実です……だけど、この判断は……」
言葉が止まる。
何かを隠しているわけではない。
言わないのではなく、メモリは知らないのだろう。その感覚を表現する言葉を持たない。言語として知っていても、感覚と一致するかどうかを確認する術がない。
「……わかった。勝算があるんだな?」
「はい、もしも心配なら自己判断で撤退を」
ライトはそれ以上は聞かなかった。
これ以上の会話は無用だ。無駄な時間は戦況を不利にする。
「無理すんなよ、メモリ」
「……了解しました」
戦況は動く。
互いの指揮官は無駄な言葉を発することなく、絶え間なく配置を駒に指示する。
初期の駒の数は『オール・イン・ワン』で一部が削られたものの駒を追加した『龍王の魔女』が有利。しかし、少数であるということは迅速に動きが取れるということであり、守るべき駒が少ないということ。
『龍王の魔女』は戦力差から一か八かの電撃作戦を警戒せざるを得ず、余剰の戦力を砦の防御へ回すこととなり、機動戦力自体はそれほど差がない。裏をかこうと少数の兵を砦へ回そうとしても、闇雲無闇の索敵能力とライトの予知能力がそれを感知して兵を失う結果に終わる。
ごくわずかずつにだが、戦力差が縮まっていく。
大胆な一撃必殺ではなく、堅実な一手の積み重ね。全ての手が、最速で導き出された最善手。
それは『龍王の魔女』が通信越しに聞いた少女の理知的な声からは連想が難しい、まるで直感だけに全てを任せたかのような打ち筋だ。
「なんですかこの攻め方? 私以上に気紛れで、なのに付け入る隙がなくて……何より、ものすごく速い」
これが、ターン制で打ち手が交互に手を決める普通の将棋なら、『龍王の魔女』の勝ちは揺るぎない。最適解が相手だろうと、その先に罠をしかけて回り込める。
だが、これはターン制のゲームではない。戦場において拙速は時に巧遅に勝る。最速で打たれる手が、最短で戦力差を生かすべく放つ策の出足を仕留めてくる。
さらに厄介なのが、戦闘に参加したライトの万能性。
コピーしたAIでは性能を活かしきれない数多のスキルは、様々な局面で他のメンバーをサポートし、戦力差から一人欠けても一気に劣勢に傾くはずの戦況を維持し続けている。
厄介極まる相手だ。
だが……
「アラート! あっちの司令塔のコンディションが悪化! このまま行けば……」
『メモリ、大丈夫か? ライトはああ言ってたが、どうやってこんな戦術叩き出してる』
「キングさん、黙って指示に従ってください。世間話をしている余裕はありません」
『……時間的余裕だけじゃなくて、脳の余裕もないってことか。ま、いいぜ。無理すんなよ』
脳に高速でデータの残骸が溜まっていく。
『脇田百恵』が『野分百恵』となっていたときの能力の模倣。膨大なパターンを総当たり的にシミュレートして、その内の最適解を選択していくというもっとも効率が悪いが確実な思考法。
それをオリジナルの彼女はシミュレートして棄却したそばから全て忘却していくことで成立させていたが、忘却が簡単ではないメモリにはデータが蓄積していく。
そもそもこれは、元々メモリの使うべきプログラムではないのだ。
同一のデータが同じ世界に共存できずに消滅する性質を利用し、死んだデータを死んだままに正確に記憶しておくことによってその再現を防ぐ墓標としての役割のために破棄されたものをサルベージしたもの。データを処理する合間に準備していつか使えるように調節してあったもの。
何故そんなことをしたのか……今なら表現できる。嫉妬したからだ。
人間でありながら、ただの人間として彼に尊重される一人の娘に嫉妬した。情報世界を彷徨い、肉体を手に入れてようやく再会を果たした半身が、以前の肉体の模倣とはいえ好意を持った相手に嫉妬した。
そして、本物の愛を知るであろう彼女に、憧れた。
彼の子を産む。
それは本能であり、使命であり、義務だ。
そこに恋は必要ない。そこに愛は必要ない。
本質的に同じものが物質世界において繁殖するために役割を雌雄に分けたのだ。細胞分裂と変わりはない。
ならば……子を産めば、役目を果たせば……その時こそ、本当の意味で彼と向き合えるはずだ。
もしかしたら、子供を産んでしまえば用済みになって彼に何も感じなくなるのかもしれない。しかし……そうでなかったなら、異星の神の巫女としてのお役目を終えて、それでも残るものがあったなら、それは本物だ。そうなってようやく、本物の愛を、恋を証明し、深く知ることができる。
普通の人間は、恋を知って、愛を知って、そして子を産むらしい。
しかし、自分はそうではない。人間ではないのだから。
だから、役目を終わらせたい。子を産んで、この脳内の因子を全て次に託して、自分ようやく人間としての人生を始められる。
その時に、彼に振り向いてほしくて、彼が好む女性になりたくて、データを出力できるように準備していた。
当然無理がある。
録画専用のビデオデッキを改造してゲーム機にするようなものだ。どこから火花が出ても不思議ではない。
しかし、関係ない。
「いいことを教えてあげますよ、勘違い女……好きな人に振り向いて欲しかったら相手を変えるんじゃなくて、自分が進化しなさい!」
メモリこと、浮舟印。
生まれてまだ十年と経たず、恋の仕方も知らないが進化にだけは一家言ある幼い少女。
彼女が愛の告白と羞恥心という感覚の関係性を知るのはもう少し先の話である。
恋に恋する系ヒロイン(ただしそのために限界を超える覚悟あり)




