353頁:リアル割れに気をつけましょう
『石板の街』の城は外部と内部の空間が隔絶されている。そして、侵入者の数に合わせて空間が拡張されるのが特徴だ。
石板の街の山城『龍王の魔女』の城塞。
『龍王の魔女』。世界を運営する上での彼女の役割は『龍脈の調整』。大地を流れる力の量や配分を調節し、必要なだけ分配する。
魔女に与えられた設定の中でも、最もスケールが大きい魔女。
名前からして壮大な魔女。
しかし、その城の中はイメージに反して荘厳なものではなく、模擬戦闘をするのに必要な空間と環境が整えられるだけの質素なもの。
「どちらかと言うと静かで厳しい……将棋の対局部屋みたいだな。龍脈を操る龍王と、将棋のプロの竜王をかけてるのかもしれないが」
司令塔に用意された砦の窓からは戦場が俯瞰でき、戦場の反対側のもう一つの砦も条件は同じ。スケールは大きく、駒の自由度は桁違いだが、将棋盤を挟んで対局する棋士の視点に似ている。
敵将の顔は見えないが、砦の中には味方の手駒を常に追跡して状況を映し出す水晶の画面が配置されている。さらに、戦場のジオラマには味方の位置を示す駒が置かれ、状況を常に把握できるようになっている。
フィールドは、野球ドーム三つ分ほどの広さで、中には主に岩場の山地と方々に散る小規模な森。
互いに有利不利はなく、単純な激突よりも隠れて相手の裏に回り込むようなゲリラ戦に向いた、指揮官の腕を試すような特殊地形。
これはゲーム。
ルール無用の乱戦ではなく、ルールの上で知恵を競う戦争ゲームだ。
「全員、配置についたな? ちゃんと聞こえてたら右手を上げてくれ……よし、通信もばっちりだな。じゃあ、開戦するぞ」
砦の頂上に備え付けられた鐘を鳴らせば、それが準備完了の合図。
既に敵も配置は完了している。
あとはただ、戦い、勝つだけだ。
《現在 DBO》
『龍王の魔女』の手駒は、全体的に色がなくモノクロで、表情のないコピーアバターだ。ステータスの数値は挑戦者と同じ、加えて装備も同じ性能と効果を持って再現されている。
それによって、互いの戦力はゲームシステム上は完全に同等になる。
だが、実際の所は司令塔からの指示と当人のその場での判断力によってその戦力が本当に『活かされるか』によって発揮される戦力が変わる。
「無闇、敵前衛を狙撃したら即座にD5へ移動。避けられるから牽制だ、狙いは粗目でいい。敵の狙撃手が撃ち返してくるぞ」
各員からの通信も受けられるが、司令塔は一人だけ。情報がパンクしないように、できるだけ一方通行の通信を心がけるように打ち合わせをしてあるため、指示を受けたメンバーは黙って移動する。その方が相手にも感知されにくい。
開戦してまだ互いに数手と言ったところだが、感触は掴めてきている。
敵の『駒』の知能は通常の人間型の敵対NPCと大して変わらない。戦闘の反応速度は高めだが、駆け引きでは圧倒的に『OCC』が上だ。真正面から決着がつくまで戦闘を続ければ、本物が勝つだろう。
だが……
「キング、針山の戦闘妨害をカットしてくれ。岩山の裏から回り込んでくるぞ」
ライトの指示で自身の偽物との戦闘を続けようとする針山に、割って入ろうとするマックスの偽物をキングに妨害させるが、そこに偽メモリからの遠距離攻撃が入り、戦闘は中止される。
味方をも巻き込むような派手な攻撃は、明らかに勝つためではなく戦闘を無理やりに止めるものだった。
「罠だ、追撃はするな。針山、A6まで隠密行動で移動して待機。途中B5に爆弾槍トラップを仕掛けておいてくれ」
敵の戦闘は遅延戦術に近い。
精神的に疲労しにくいNPCの特性を生かして戦闘状況の引き延ばしで優位を取ろうとしている可能性も考えられるが……それにしては、ぶつかる頻度が高すぎる。いつ攻撃が始まるかわからないという方が最も精神的には疲弊するのに、隠れて待機に徹する姿勢は見えない。
だとすれば……
「戦いながら学習させてるのか……」
単純に強くするための学習ではない。
敵対すべき相性のいい相手を見定めて、それに勝てるように突貫工事で行動パターンを特化させる。『積んだ経験がなく、元々の癖がない』という生まれたばかりのAIの特性を利用している。長期戦を狙えば、こちら有利が不利に変わっていきそうだが、攻撃を焦れば罠にはまる。
非常にやりにくい。
「相手の中身はレベルを下げた『飛角妃』かと思ったが、妃ならもっと前のめりに攻めて来るはずだ……一人で考えてるわけじゃないってことか?」
この『敵』には、正確に手駒を動かす計算力と先を読む予測力に加えて、突拍子もない発想力と危険を感知して罠を踏まない臆病さ、そして敵に次の手を読ませない子供のような気まぐれさが共存している。
例えるなら、子供を最高権力者に決めて大まかな方針を定めさせ、それを賢い部下が現実的な方策として実施しているような感じだ。小学生が王様になったらというたとえ話を実際にやっているようにも見える。
「メモリ、敵前衛にデバフをかけてF7に退避。追ってきたら無闇がカット」
後衛で接近戦に比較的弱いメモリを使って誘ってみるが、敵は深追いをして来ない。
飛角妃ならば手を出してくると『予知』していたが、やはり外れる。
ライトの『予知』は『相手の望む未来』を見る。
自身の中にこれまでの行動パターンから相手と同じ疑似人格を組み上げて、相手の目指す方向性を特定する。だが、それは人間一人分の未来。二人で一つの手を打つ相手では行動パターンを抽出できない。
それどころか……
「くっ、メモリ、無闇D5へ攻撃、抜けた奴をキングがD6で迎撃……それでも敵前衛が抜けて来るか」
極めて厄介なことに、敵二人は互いを知り尽くしている。
指示を出すための思考の共有が完璧にできているのは当然だが、敵対者としても互いを殺しつくすほどに戦い続けている。
だから『飛角妃』を倒そうとした場合の戦法を知っている。そして、その手を取った時にどんな対応策を取られると困るかもわかっている。
盤上の思考で打ち負けた。
王手がかかった。
だが……
「たった一枚の大駒で王将を取れると思うなよ?」
砦にとびこんでくる敵前衛。
敵が移動力に長けた駒である分、すり抜けるように駆け込んできた。『OCC』メンバーではカットが間に合わない。
それなら、王本人が迎撃するしかない。
王手はかかっていても、詰みはかかっていない。
「『オール・フォー・ワン』」
侵入のタイミングで全力の一撃を叩き込み、痛打を与えながらフィールドへと押し戻す。
さすがにマックスをコピーしただけあって、衝撃を流されて一撃死には至らなかったが、部位ダメージの回復までは時間がかかる。そのように打ち込んだ。敵の打てる手が減ったこのタイミングを狙って巻き返すことができる。
だが、こちらも焦って単騎でも敵の城に飛び込ませるというわけにもいかない。
敵の砦には司令塔として『龍王の魔女』がいる。盤上競技での王は無力ではなく、攻め込んできた敵の駒を至近距離で迎撃する。ライトの迎撃もルール違反ではない。資料によれば完全に指揮能力だけに特化したパーティーが挑戦したときには司令塔が弱く、すり抜けてきた駒に打ち取られてしまったらしいが、ライトは『OCC』と戦っても十分に打ち合える強さがあり、砦は地の利がある。
ライトは十分に強い。
特に、十分に下準備した上での城砦での防衛戦なら、駒一つの侵入くらい簡単に下せる。
今のはおそらく、勝つためではなく威力偵察のようなもの。
敵の司令塔として『龍王の魔女』がいる分、恐らくライトのコピーはいない。そうでなければ、公平ではない。そして、『龍王の魔女』がボスとして真っ当な戦闘能力を持っているのならば、プレイヤー一人で勝つのは困難だろう。相手を上回り、駒の数を偏らせ、王を『詰ませる』だけの戦力を集中させなければならない。
敵は、駒がいくつあればライトを仕留められるかを調べに来たのだ。
だから、なるべく情報を渡さないように一撃で撃退した。
駒の数の有利を考えれば、もっと引き込んで倒す手もあったが、敵も砦で水晶を通して戦いを見ている。砦の中にどれだけのトラップを仕掛け、ライト自身がどんな武器を持っているか。その情報が全て伝われば、今度はその隙を突かれる。
だが、ライト自身が戦い続けるわけにもいかない。
すぐさまジオラマのある指令室に戻り、状況を確認する。
「メモリ、敵前衛が落ちたC8に散弾系攻撃。マックスは今の内にB1まで前進、針山はD5からD9にトラップを……」
立て直しのための指示を飛ばした。
しかし、その行動が開始される前に……今まで、この対局が始まってから起こらなかった、資料にもなかった現象が起こった。
敵の砦の鐘が鳴ったのだ。
砦の鐘が鳴るのは、対局開始と決着がついたときだけだったと資料にはあったが、まだ決着はついていない。
つまり、これは今までになかったイベントが発生しているということ。
ライトの眼前に、文字列が表示される。
「『一時休戦。竜王の魔女より、捕虜の解放についての交渉を提案』」
捕虜というのは、これまでにこの城に挑戦して盤上で敗れ、捕まったプレイヤーたちのことだろう。
もしかしたら、状況を傾けることで相手が『待った』をかけるコストとして、これまでの敗者を解放するイベントが発生するのかもしれないが……問題は、何故こんなタイミングでかということだ。まだ、互いに小手調べが済んだ程度、負けを危惧する状況でも、勝負が決する状況でもない。
だとすれば……
「敵の魔女……運営側の人間が、個人的に話をしたいってことか?」
『飽食の魔女』は運営側の人間だった。
ボスモンスターである『魔女』のアバターを操り、プレイヤーを迎撃していた。
運営はなるべく黒子に徹して個人的な事情などは持ち込んでこないと思っていたのだが……
「あるとすれば……ゲームと関係ないところでオレの顔見知り、だったりとかか?」
同刻。
『龍王の魔女』……玉姫という名前を持つ少女は、信じられないものを見たような顔をして、半分放心していた。
「え……うそ……いや、え? とっさに休戦指示しちゃったけど、ホントに……?」
前衛の水晶には、敵将の姿が一瞬だけ映った。
もちろん、玉姫は敵の装備や強さを測るために、しっかりとその姿を観察しようとしていた。
だが……『彼』の顔を知っていた。
ここではない現実世界で、幾度も対局を繰り返した、師のような存在であり……特別な人。
この精神年齢になる自身にとっての大事件が起こっても、いやむしろ起こってから、より意識している存在。
今の父親に引き取られてから、長らく会うことがないと思っていたが……
「妃……すぐに、運営側のアカウント権限で彼のデータ出して。これまでのプレイログと、脳のモニター、とりあえずダイジェストで」
プレイヤーの『顔』はなるべく見ないように心掛けていた。
一種のジンクスのようなもの。盤上で『殺す』相手を人間としてよく知ってしまえば、とどめを刺すべき一手で躊躇してしまうかもしれない。かつて、そうやって失敗したという経験から、敵を人ではなく駒として認識し冷徹な攻めを続けるために決めたこと。
だが……
「あはは……なにこれ。これ、本当にあの人のデータ? ねえ、待ってよ……私の知ってるあの人は、ちょっと変なところもあるけど、普通の優しいお兄さんだよ? なのにさ……」
いつでも冷静でいられるわけではない。
精神年齢は成長していても、肉体は幼いままであるために、突発的に感情に引っ張られることはよくある。
妃は玉姫の顔を見て、息をのんだ。
目の光が消えている。放心というわけではなく、むしろどこかに心が集まり過ぎて他のことが考えられないようにも見える。
こんな彼女は、初めて見る。
「こんなデータ……こんな壊れた記録、本当に彼のものなの?」
長いこと放置していた伏線回収。
何故か『敵が身内だった』という主人公にありがちな衝撃展開が敵側にしか発生しなさそうな不思議感。




