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デスゲームの正しい攻略法  作者: エタナン
第六章:ダーティープレイ編

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330頁:悪足掻きには気をつけましょう

 物心ついたころにはもう、自分に何もないことを知っていた。


 住む場所もなく、食べ物も、着るものもまともにない、スラム暮らしのゴミ漁り。

 珍しくはなかったし、不思議でもなかった。そこは世界最大の人口を持つ国ではあっても世界で最も富に恵まれた国ではなく、余った人間が捨てられることなどよくあることだった。


 明日への希望もない、今日食べていける保証もないそんな日々。


 転機は、食べ残しが捨てられていないかと近付いた旅の雑技団の人間に見つかった日に訪れた。


『ふむ、痩せてはいるが骨格は悪くない。劣悪な環境の割に肌はいい。このまま野垂れ死ぬのは惜しいな』


 男は、汚らしい身形をした自分に向き合い、しゃがみこんで目線を合わせて言った。


『キミは顔がいい。だが、このまま生きていても身体を売って日々の糧を得る程度しかできないだろう。キミが望むなら、血で手を染めるような汚い仕事にも抵抗がないようなら、別の生き方をさせてあげることもできる。どうだね、私たちと共に来ないかね』


 学もなく、失うものもないことを知っていた。

 ならば、断る理由はどこにもなかった。


 それから、男からは食事を与えられ、身形(みなり)を整えられ、人を殺すための知識と技術を教わった。

 雑技団は表の顔。裏では才能があり、後腐れのない人間を拾って育て上げ、暗殺者に仕立て上げるという殺し屋としての顔を持っていた。


 殺すことに忌避感はなかった。

 自分が飢え死にする前に他の死にかけが食べるはずだった肉を盗んで食べるのは日常茶飯事だった。

 技術を叩き込まれるのを嫌だとは思わなかった。常に飢えていた日々を思えば、苦痛などなかった。


 いつしか、与えられるだけでなく自分で考えるようになった。

 より確実な方法を、より簡単な方法を追究した。


 そうして辿り着いたのは、毒という手段だった。

 元々ゴミばかり食べて育った身体は毒や病に強く、栄養を得て女の魅力を手に入れたこととも相性が良かった。


 日常的に服毒と解毒を繰り返し、抗体を得た。

 あとは相手の色欲を刺激し、怪しまれず口移しで毒を飲ませればいい。


 あるいは、毒物すら持ち込めないときには敢えて危険な病に感染した上で対象に接触し、飲み物や食べ物に自身の血を仕込むことで毒物に変えた。


 他の暗殺者にはできない、他の暗殺者がしない手法を修得すれば対策をとられず安全に仕事ができる。

 そのために侵す危険など、暗殺失敗したときの最悪のリスクに比較すれば大したことはなかった。


 そうして、何年か毒や病と仲良くしている内、身体に変化が生じた。


 傷の治りが遅くなった。

 髪を切る間隔が長くなった。

 爪を切ることが少なくなった。

 歳を、取らなくなった。


 服毒と解毒、感染と回復を繰り返した結果の合併症。生きているのが不思議な奇妙な安定。

 少女は大人になりかけの姿のまま、『若さ』という永遠の武器を手に入れた。


 そこから先は、変わり映えのしない日々が続く。


 仕事をこなし、顔がブラックリストに載らない程度に間を空ける期間の暇潰しに表の雑技団での芸を覚え、先輩方を見送り、後輩の世話をみる。

 自分の体質が特異なものだというのは知っていたが、雑技団にはその手のビックリ人間は珍しくはなかったから孤立することもなかった。


 新鮮な感動や驚きというのは探せばいくらでも見つかったし、退屈はしなかった。一度、戦場で会った若造が百年近く経って祖国でお偉方を叱りつける頑固爺として元気にやっているなどと聞いて腹を抱えて笑うようなこともあって、人の営みには本当に退屈しなかった。


 そうして、変わり映えのしない、飽きもしない日常が続いたものの……永遠にはならなかった。



『人身売買の調査? また妙な依頼ね?』


『うん、やり方にも指定(オーダー)があって、できれば攫われた人たちも見つけたいから刺激せずに……』


『つまり、囮捜査をご所望と。で、そんな指定ができるってことは大口のスポンサー……うちを黙認してくれてる当局からの依頼ってところ?』


『まあ……そうだ。とりあえず、俺が行くことになったから、その間は表の演目を代わってほしいんだけど』


『……嘘は良くないわ。本当は九美(ジュウメイ)はなんて言ってたの?』


『……きな臭いって。裏をとったけど、たぶん罠だと思うって』


『かといって依頼元が大きくて断れないと……その仕事、私が貰うわ。丁度、仕事もなかったことだし』


『いや、それは……』


『私はあんたらを育てた親みたいなもんよ。子供は親の言うことを無条件で聞く、当たり前のことでしょ。心配しなくても、私は自白剤打たれようが毒を飲まされようが効かない。どう考えても適任じゃないかしら? それとも何、私に死相でも見えた?』



 最初は、何もなかったはずだった。

 それがきれいな服も、食べるものも、住む場所も手に入れて、他の人間には手に入らない長い時間まで手にして、そこそこ幸せだと思っていたはずだった。


 なのに何故だろう。

 見逃しても、手にしたたくさんのものの一部が欠けるだけなのに、あまりにすんなりと自分自身を差し出せたのは。



 そこから先は、特に詳しく語ることもない。


 思った通りに罠にはまり、妙な研究所に連れて行かれ、変な人体実験に利用された。大方、雑技団の特異な能力を持つ人間の内、どれでもいいから誰かが来ればいいとでも思っていたのだろう。


 最後の記憶は、身体を拘束されたまま妙なヘルメットを被せられ、頭に電流が走ったような感覚。




 そうして……


『人間を殺して成り代われ。仲間を増やせ』


 妙な使命感を与えられ、仮想世界で目覚めさせられた。

 この使命感はかなりの強制力がある。昔飲んだ自白剤など比ではないくらいに。この分だと、雑技団の隠れ家やなんかの情報は奪われてしまったかもしれない。せめて、できるだけ多くの子供たちが生き残ってくれていればと思う。


 いや、そう思う権利などないだろう。

 感覚で理解している。自分は、かつて現実世界に存在した人間そのものではない。この世界で、命令に従うだけの駒。不運にも自分に遭遇した人間を喰らうしかないのだろう。


 そう、そうなる運命だった。


 自分自身がトラップとして仕込まれた宝箱が開く。

 そして……


「なんだ? チクショウ! 生命反応がしたからミミック系のモンスターかと思ったら裸の女だと!? 明らかに厄ネタじゃねえかふざけんな!」


「……普通、宝箱の中から裸の女見つけたら欲情する所ネ。さっさとこの糸のトラップ解いて出して欲しいアル。そしたらお礼にキスくらいしてやるヨ」


「イヤだ! 俺は何も見なかった! てかこういうシチュエーションになったらどう言い繕っても男が負けんだよ! ぜってえ指一本触れてたまるものか!」


「逃げたら次来たやつにオマエの特徴伝えて監禁されたって泣きつくヨ」


「クソォオ! とりあえず服を着ろ! あと名を名乗れミミック女! 俺はシャークだ! 今このゲームで一番有名なぺっぴり腰の臆病野郎だぞ! 見知らぬ女を襲う勇気も甲斐性もないぞこの野郎!」


 自分と遭遇した不幸な男は、不幸なだけでなく臆病で、しかも嫌なことがあったばかりでやけっぱちになった見ていて可哀想になる男だった。


「ミミック女じゃなくて『ミク』ヨ。身ぐるみはがされたから養ってくれると助かるネ」



 予定では、自分を発見したプレイヤーはすぐに『仲間』にするはずだった。突然現れた自分の来歴を隠すと共に、身元の証明をさせる。そうして、信頼を勝ち取って次の獲物の油断を誘う。怪しまれないようにするために、最初の遭遇者を仕留めないことには次の誰かを襲うことはできない。


 だから、シャークが自分に油断したらいつだろうと仕留めなければならない。

 油断をすれば……


『本当にこの身体に興味ないアル? 地元ではモテモテだったヨ』

『もっと育ってから出直せ』


 油断さえ、してくれれば……


『護衛なんてワタシ一人で十分ヨ』

『いや、法壱とコールも来い。不安だから』


 油断を、してくれれば……


『この飴おいしいヨ。シャークも食べてみるネ』

『はっ、カガリ!』

『てめえ何シャークさんに口移ししようとしてんだ! 焼け死ね★』

法壱之壁(ガードベントゥ)!』

『解せぬ!』


 油断……してくれないのかな?


『何でいつもワタシとの間に糸張ってるネ。なんでそんなにワタシ信用できないか、教えて欲しいヨ』

『ならまず、そのわざとらしい片言直せ。どうせ養って欲しくて日本に不慣れな振りしてるだけだろ』

『あらそう? なら、これなら信用してくれるのかしら? それとも、もっと先まで行っちゃう?』

『……やっぱやめろ、悪女くせぇ。何となくわかるんだよ、オマエはライトの野郎と同じタイプの人でなしだろ。油断してたまるか』

『へえ? じゃあ私のこと嫌い?』

『……さあ、どうだかな。ただ、打算で付き合ってくれてるのがわかってるやつは、善人より付き合いが気楽でいい。俺は悪の組織やってるからな』

『悪の組織ね……ワタシから見ればかわいいもんヨ。この偽悪者』


 油断は……してくれないらしい。

 ならしょうがない。

 油断しないから、殺せないんだからしょうがない。


『じゃあいつか、寝首掻いて追い出さなかったこと後悔させてやるヨ』

『ならこっちはそれまで徹底的にこき使ってやるから出て行きたくなったらいつでも言え』


 ちゃんと確実に殺せるようになるその日まで、この生暖かくて平和な『悪の組織』を見守るしかないのも、しょうがないよね?










 12月1日。20時21分。

 『パズルの街』。


 名前の通りに入り組んだ街の中、犯罪組織『蜘蛛の巣』の実質的なまとめ役とも言えるプレイヤーのシャークは、護衛として引き連れたミク、ABと共に狭い道を逃げている。


「この街のゲートって使えるの!?」

「わからんがあっちの能力の範囲が『国』なら魔王国の飛び地はセーフの可能性が高い! ここのゲートが使えなきゃ別の街だ!」


 逃走劇の始まりは18時10分。

 夜通鷹からの暗号化すら省いて送られたシンプルな『逃げろ 包囲されてる』というメール。

 それをメール番であったABから聞いたシャークはすぐさま固有技『エシュロン』を使用し、周囲のメールを傍受した。


 そして、相当数の『敵』がアジトを包囲し、突入のタイミングを調節しているのを知った。

 突入まであと数分もないそのタイミングで、シャークは指示をとばして手を打った。『エシュロン』でメールを改竄し偽情報を送って表の入り口から逃げたように偽装し、包囲に穴をあけて裏口から逃走。動けない『恩人』と足の遅い『スズメ』をプレイヤーを取り込む『本』に入れて脱出。さらにABの戦車『レオパルドX』で包囲の輪を突破した。


 しかし、それで逃げきれたと思うのは早すぎた。


 逃走用にマークしていた近場の街へと飛び込み、ゲートポイントを起動して転移しようとして……できなかったのだ。


 ゲートポイントどころか、メール機能すら使えない。

 シャークと同系統の通信干渉型固有技。しかも、操作性より遮断性の高い技の影響だと判断した。混乱させられるくらいならと、あちらの通信手段ごとこちらの搦め手を禁じてきたのだ。


 そこから、追い付かれそうになりながらもどうにか逃げながら街を渡り、辿り着いたのがここだ。


 街の作りが入り組みすぎているため普段は誰も使いたがらないが、街の区分はゲームのメインシナリオ進行に関わるとされる『魔王国』の飛び地。ここでだめなら、かなり遠い別の国まで転移なしで逃げるしかない。


 ……いや、今となってはそれも厳しい。

 長時間の逃走で戦車の燃料が底を尽きかけている。ここまで逃げてこられたのも戦車の速度あってこその話なのだ。


「シャーク! ゲート使えるならきっとメールも使えるようになってるヨ!」


「そうか! 『エシュロン』! チッ、『ジャミングパルス』!」


妨害電波(ジャミングパルス)?」


「いい知らせと悪い知らせだ。おそらくゲートは使える。メールが復活してたからな。悪い知らせは、あっちが連携して街の外への逃げ道を塞いでる。もうゲートに行くしか逃げ場がない。相当の人員を割いてるからゲートの先なら突破できるだろうが、こっちで捕まればアウトだ」


「妨害電波張って連携が途絶えたなら裏をかいて街の外へ逃げるのは?」


「あっちはテイムモンスターに騎乗して来てる。これまでは戦車の方が速かったから数で負けてても撒けたが、徒歩だと平地に出た瞬間に終わりだ!」


 仕方がないとは言え、戦車の走行後には跡が残る。引き離すことはできても完全に見失わせることはできない。

 せめて、転移して大軍を引き離さなければ……


「シャークさん! これ、いざとなったら降伏って方針適用する? あっちすごい殺気なんだけど!」


「ダメネ。捕まったらたぶん死ぬほど拷問されてから死ぬヨ」


「結局死ぬの!?」


「ああ、やっぱりそれ案件か……AB、『本』に入って中で戦車出せ。それで中の二人乗っけていつでも発車できるようにしとけ。いきなり『本』が破壊されて追い出されたりしたら何としてでも逃げろ」


「で、でも……」


「俺ら三人の中で一番足遅いのお前なんだよ! いいから早くしろ! いざって時に戦車出せないなら足手まといだ!」


 いつものシャークとは違う厳しい言葉。

 それだけ状況が逼迫してることを感じる。


「……わかった、後で足手まといって言ったの謝ってよね」


「後でな!」


 ミクが開いた『本』のページに手を触れ、中に入るAB。ミクは『本』をしっかりとつかみ直し、小脇に挟む。

 残るは、走るシャークとミク。


「シャークも入るといいネ! ワタシの方が足速いヨ!」


「却下だ! 俺がいなくなったら固有技が解けて逃げる隙なんてなくなる!」


「ワタシなら一人でも逃げ切るくらい分けないヨ」


「そうかもな。でもダメだ」


 頑なシャークに、ミクも口を閉じる。

 仮想世界で息切れはしにくいとはいえ、走るのに集中した方が速いのは変わらない。

 二人とも、ビルドは技術力と速力を重視した技巧型であるため、相手が防御重視のビルドを中心とした『攻略連合』のプレイヤーだけなら、追いつかれる前に一度も戦闘をせずゲートポイントに到着することも不可能ではない。


 しかし、『敵』は『攻略連合』であって、『攻略連合』そのものではない勢力。

 今回の作戦にあたり、動員されたのは『攻略連合』に籍を置く者ばかりではなかった。


 『パズルの街』の入り組んだ構造は、建物が組合せ途中のパズルのピースのような形になっていて、その隙間を通路とすることで形成されている。さらに、建物の高さが立体的にもパズルじみてばらばらであるため高レベルプレイヤーでもジャンプで屋上を移動することは難しく、地上のルートを通ることが一番の近道になる。しかし、シャークたちがあらかじめ憶えている最短ルートを通ったとしても、それ以上の速度を持つ者が別ルートを通れば先回りは可能だ。


 二人の前に人影が現れる。

 街の一般NPCとは雰囲気が違う、それに装備が違う。軽装ながらも趣向が凝らされたそれは、高レベルプレイヤーの持つべきもの。


「っ! 足止めされたら連合の奴らに追いつかれる。ミク、どうにかして一発で……」

「はっ! 違うヨ!」


 相手が一人だったことから足止めされ『敵』が集まってくることを警戒したシャークは、突然ミクに押し倒されるように脇道へと転がり込む。

 それとほぼ同時に……


「オーバー100『人類には速すぎた(ブレーク・ファースト)』」


 視認可能な速度を超える高速で通り過ぎた何かが、先ほどまでシャークとミクがいた道の両脇の建物の壁を一文字に切り裂き、倒壊させていく。


「今のはなんだ!?」

「高速移動する固有技使って錨みたいなのを引っ張って行ったヨ。正面衝突すれば道連れ、左右に避ければ真っ二つって頭おかしい戦法ネ。でも、たぶん今ので壁に突っ込んで瀕死ヨ。二度は来ないネ」


 しかし、一度きりの爆弾でも効果は十分すぎた。

 最短ルートを完全に破壊されてしまえば、ゲートポイントへの到達に大きく時間がかかってしまう。

 それでも、足を止めて考える時間はない。


「このルートからだとこっちが近道ネ! 急ぐヨ!」


「お、おう。助かった。すぐに……」


 立ち上がり、走ろうとしたその矢先。

 シャークの背後の瓦礫が、空から飛来した魔法弾によって爆発する。


「ぐおっ! 俺の位置がわかって……いや、違う! やつらなんてこと考えてやがる!」


 空を見上げて悪態を吐き捨てるシャーク。背の高い建物のせいで狭い空を照らす流星群……そう錯覚するのは、『シャークとミクのいる辺り』を曖昧に狙った範囲魔法攻撃の群れ。


「派手な破壊音を上げておいて、その位置から『味方ごと』大凡の位置を狙って絨毯爆撃とか正気じゃねえ!」


 先ほどの技の主なら、破壊音がした後はその場からそれなりに離れていると判断することもできるだろうが、それでも瀕死のはずだ。万が一流れ弾が当たってしまえば自分たちの手で殺してしまうかもしれない、いや、それ以前にその作戦をわかっていて先回りし、あんな破壊音を立てたとしたらどちらも死を恐れていない。


「早くするヨ! こっちの道も塞がるネ!」

「チクショウ!」


 どうにかして、魔法の直撃を回避しながら走る。

 だが、いくら前もって道を暗記していようと、爆撃されながら、破壊され封鎖されていく道を通って最短ルートで目的地にたどり着けるわけはない。


 そして、爆撃魔法が終了する頃には……建物が壊れて見通しの良くなった街を進軍してくる『攻略連合』の小隊。その全員が前線級以上のレベルを持ち、素手や糸といった軽武器を中心としたシャークたちの対策となる装備で身を固めている。


 そして、接近戦を重視した前列に守られ、後ろには弓や杖、あるいは投擲武器を構えた後衛が三段撃ちのように途切れぬ攻撃を仕掛けられるように構えている。


 そして、彼らの見据える先には壊れた街並みの中でも比較的ましという形で原形を保っている壁の裏に隠れたシャークとミクがいた。


「どうするヨ。ゲート方面の道はほぼ崩されてるネ。これじゃあ身体を出した瞬間に蜂の巣ヨ」


「そうだな……ついに年貢の納め時、かもな」


 なんとか抱え込んで守り切った『本』の無事を確認しながら問いかけるミクの声にこたえるシャークの声は弱弱しい。

 接近戦を前提としているミクと比較し、裏方の仕掛けや策謀を主としていたシャークは防御力が低かった。高級な装備で誤魔化してはいたが、絨毯爆撃の中で運悪く近くで起きた爆発の余波を何度か受け、ダメージを食らっている。


「チッ、こんなことなら痛みに耐える訓練とかもやっとくべきだったか……HP回復しても動けねえなんて情けねえ」


「それは気合じゃなくてシステム的問題ヨ。貧弱なアバターで衝撃くらいまくって耐久値が一気に落ちすぎたネ。普段から睡眠時間足らないせいヨ」


「よりにもよって、ここで無理が祟ったか。まあだが、全く動けないなんてレベルじゃない……どうする? 奴ら、補導やら任意同行で済ませてくれる空気じゃないぜ」


「……どうするも何も、ワタシが引っ掻き回してる間に頭捻ってうまく逃げ切るしかないヨ。ゲートポイントまでの距離自体はそこまでないし、瓦礫の下を掘ってでも進めば……」


「さすがにもうゲートの向こうにも一人二人は配置されてんだろ。ガチ戦闘職のオマエならともかく、ぼろぼろの俺じゃ逃げ切れない」


「ABを本から出して戦ってもらえば……」


「『殺し合い』じゃABは勝てねえよ。わかってんだろ、その方法じゃ全滅不可避だって。ちくしょう、焼きが回ったな……本当にやばい相手には狙われないようにしてたつもりだったんだが、引き際を誤ったらしいな。こっちは逃げて生き残るだけの名ばかり犯罪組織、ガチで殺しにかかってくるやつらに勝てる戦力なんてねえっての」


 シャークは小悪党として小賢しく生き延びてきた。

 しかし、それは常勝無敗というわけではない。負けが致命的になる戦いはせず、負けても被害が少なくなるように負けてきただけだ。

 こうして、徹底的に殲滅しようとしてくる相手を返り討ちにできるような力など、どこにもない。


「……諦める言うネ?」


「だから聞いてんだよ。『どうする?』ってな」


 シャークは弱弱しいながらも、ニヒルに笑う。

 それに対し、ミクは……おそらくシャークと遭ってから初めて、本当に虚を突かれたような顔をした。


「俺を売れば、オマエだけでも生き残れんだろ。寝首を掻くなら今じゃないのか?」


 シャークも、犯罪組織をまとめ上げることができていたかといえば怪しいが、それでもするべきこと、できることはしてきた。

 夜通鷹や『仮面屋』からの情報をまとめ、自分の作った組織を蝕んでいるもの、『恩人』を貶めた人間……その背後にあるものについて、推測くらいはできている。

 そして、目の前の少女がどういう存在かもわからないほど、日寄ってはいない。


「そりゃな……こんな極限状態のデスゲームに放り込まれた人間だからって、ある日から突然謎の組織に忠実な部下になって完璧な演技力でそれとなく暗躍するとかありえねえって話だ。オマエから見りゃお遊びみたいな組織だろうが、その遊び仲間がいきなり自分を仲間外れにして別のグループと仲良くし始めたら……しかも、それが元は喧嘩してたはずの相手だったりしたら、なんかおかしいと思う。ま、オマエが直接かかわってないのはわかってるけどな。ずっと見てたから」


 ミクはずっと、シャークの油断を待っていた。

 しかしシャークはずっと、自分の命を狙っている存在だとわかっていながら、自分を狙わせることで周りの人間を襲わせないように監視していた。


「ならどうして……どうして、追い出さなかったヨ? どうして殺さなかったヨ?」


「別に……まだ何か思惑を持って近付いてきたような気がするってだけで、俺の命を狙ってるかもしれないってだけだった。俺の被害妄想かもしれないと思ったし、そうだとしても何もしてないだろ。俺は最初のボス戦でやらかして恨まれてもおかしくないと思ってたし、殺してしまってから本当はただのいいやつだったなんてわかったら自殺もんだ。そうやって、確証がないままズルズル一緒の時間を過ごして、今ここにいるだけだ」


 ミクは元が暗殺者だ。

 初対面の時からわかるような殺気を漏らしたことなどない。

 しかし、それが半ば以上被害妄想だったとしても、シャークは犯罪組織の創始者となった自分に見返りも求めず付いてくるミクに、信用できないはずの自分にすり寄って信用を勝ち取ろうとするミクに、危機感を覚えていたのだ。


「なにヨ、それ……本当に、ただの乙女の一目惚れだったら、訴訟ものの冤罪ヨ」


「一目惚れされるほどいい男だなんて自惚れてねえよ。だが、ここで交渉のカードになれる程度の価値はあるかもしれない。どうだ、俺をどうするかは知らないが、オマエが出ていって『同族同士仲良くしよう』とでも言えば、案外どうにかなるんじゃないか? あ、その時はできるなら『本』の中の三人の安全……できれば、夜通鷹のことも交渉してくれるといいんだけどな」


「……無茶だけど、いいヨ。やってやるネ。オマエの固有技は便利だから、今後ずっと無条件で協力するって言えば生かしてもらえるかもしれないヨ」


「……ああ、なるほどな。それがレベル100を越えても新しい固有技が出ないやつらの秘密か。つまり『もっと便利な固有技が出る可能性があるからそれまで飼い殺し』って話か」


 苦笑しながら壁に背中を預けるシャーク。

 『エシュロン』はメール封鎖、改竄による情報操作までできる代物だ。これを悪用されれば、戦闘面で強いプレイヤーでも信頼する相手からのメールに油断して武装解除して来たところを騙し討ちされることもあるだろう。しばらくすれば対策が取られるかもしれないが、それでも何十人かは襲われるだろう。他ならぬ、シャークの手によって。


「はあ……死ぬのは怖いなあ。だけど、自分のせいで他人が死ぬなんてのもやだなあ」


「生きるために殺す、それが人間ヨ。何度もやってれば慣れて平気になるネ。だから……」


「だが何より怖いのは、また背中を向けて逃げることだ。背を向けた全てに怯え続けて、置いて行った奴らが死ぬたびに後悔することだ」


 それは、最初のボス戦で敵前逃亡という罪を犯してしまって以来、ずっと逃げ続けた男の後悔。

 攻略の最前線から逃げ、後ろ指を指され続け、同じ傷を持つ者たちを守ることで罪滅ぼしをしようとした自身への総評。罪滅ぼしでは消えなかった、自分ならもっとうまくやれたかなどわからないが自分が逃げたことがボス戦で死んでいく誰かの死に繋がったのではないかと、死者を数えるたびに押し寄せる恐怖。


 シャークは、ストレージからマジックアイテムを取り出す。

 それ自体は対して珍しくもない、書類をまとめて収納するだけの封筒型のアイテムだ。


「『本』と一緒に、これを届けてくれ。オマエ一人なら、飛べるだろう」


 オーバー100の固有技『怪屍変生』。

 中国のゾンビ系妖怪『僵屍(キョンシー)』に変身する札を生成する固有技。これを使えば、手先の器用さは失われる代わりにステータスが全体的に上がり、空も飛べるようになる。


「待てヨ! 交渉するって話はどうしたネ! 生きたくないのカ?」


「いや、話してて交渉の成功率がゼロに近いってのがわかったからな。作戦変更だ。ミク、それと『本』を命懸けで届けろ」


 そう言って、シャークは立ち上がる。

 壁に背中を預けたまま、手を挙げて『攻略連合』に背を向けて立つ。

 そして、振り返り、軍を見据える。


「降伏だ! 俺たちは……」


 次の瞬間……シャークの胸に『トスッ』という軽い音がして、矢が刺さる。

 それは、何かの間違いで放たれたにしては余りに狙いが正確であり苦悩の末に放たれたにしては余りに早かった。


「……ほらな、やっぱりだ。チクショウめ」


 シャークの手から、何かが零れ落ちる。

 それは、地面にぶつかると手の中に隠せる小ささからは想像もできないような激しさで煙を噴出し、周辺一帯から視覚を奪う。

 シャーク謹製、いざという時のために最高級の素材で作った逃走用の煙玉。


 その煙の中で、倒れるシャークはミクに抱き止められる。


「なんで! おかしいヨ! なんで撃たれたヨ!」


「ったく、煙が晴れない内に飛べっての……そういうところが原因だろうが」


「どういうことヨ!」


「やつらは……『仲間』を増やしたいんだろ? 自分たちのコピーを、人間の形で……だが、人間じゃない。あんな、味方の命を軽んじるやり方を打ち合わせもせずにやれるのは、人間より合理的な何かだ。だから……オマエみたいな、不合理的な考えができるようになったやつは『仲間』にしたくないんだろうな。それに『感染』した疑いのある、俺も」


 シャークのHPはどんどん減っていく。

 アバターの耐久値が下がっていたところで急所への一撃はあまりに致命的すぎた。


 おそらく、今からポーションをかけたとしても……


「おい、さっさと行け……煙が晴れる」


「どうして……あんな臆病者のクセに、なんで死ぬようなことしたのよ!」


「片言忘れてるぞ……だってさ、俺がいたら逃げられないだろ。オマエも、『本』の中の三人も全滅だ。『恩人』が死んだら、夜通鷹のやつも死にかねないな。オマエ一人なら、どうにかできんだろ……ああ、チクショウ、もうちょっと時間稼ぎできるかと思ったんだがな」


 シャークも、死なない可能性も考えていただろう。交渉か、あるいは交戦か、生き残れる道があるなら全力でそうしただろう。

 しかし、それは最初から交渉など考えていなかった敵の一矢で呆気なく終わった。


「悔しいな……最後のセリフが『降伏する』とかダサすぎだろ。せめて……」


「……シャーク、一つお願いがあるの」


「なんだよ、俺にできることなんて何もないぜ」


「死ぬ前に……私に殺させて。その身体、その命、その遺志、全部私に使わせて」


「……そういうことか。いいぜ、せめて最後の悪足掻き、派手にやってやるよ」


 『僵屍(キョンシー)』となり、シャークの首筋に犬歯を這わせるミク。

 しかし、その一噛みは獲物を喰い千切るような荒々しいものではなく、愛するものへの口付けのような、小さく啄むようなものだった。




 煙が晴れてゆく。

 しかし、完全に晴れ渡る前に、周囲から異音が響き始める。

 まるで、張り詰めた弦が震えるような、何かの機構がねじを巻き上げるような、化学物質が反応し泡立つような、そんな音たち。



「偽悪者のさらに偽物とは、もはや何だかわからないが……まあ、どうでもいいか。何にしろ俺が『本物』じゃないってことだけが確かなことだ。さあ、『親』からの御命令で『命が尽きるまで足止めしろ』と言われてるんでな。手足が壊れた程度で止まると思うなよ?」



 『本物』には有り得ない、引き際を一切考えない、誇りも矜持も加減もない、本気全力の卑怯卑劣な罠の森。

 それを向けられた彼らに刻まれたのは呆気なく倒れた臆病者の醜態などではなく、たった一人で指の一本まで戦い尽くした男の恐怖だった。







 誰かを殺して涙を流したのは、『本物』の頃から数えても初めてだ。

 飛翔したミクは、涙を拭うこともせずひたすらゲートポイントへと向かう。


 自分が殺した彼の最期の命。

 自分が殺した彼に与えた最初で最後の命令。

 それを無にしないために、彼女は飛んだ。


 だが……その彼女を見つめる『目』があった。

 それは狙いを定め、腕を大きく振りかぶる。


「ガッ!?」


 粉砕、そして撃墜。

 ミクの脚に当たった『弾』は無慈悲にその肢体を砕き、飛行を不可能にする。


「ガ、何ガ……あ、そうだったの……あなたが……道理であの時……」


 立ち上がろうとするも、砕けた脚ではろくに立ち上がることもできず、飛ぶこともできない。

 ゲートポイントを前にして、這うように動くが、辿り着く前に『攻略連合』の鎧を着た者たちに囲まれる。


「くっ、どうしてか……なんて、聞いてもいいかしら?」


 ミクがそう言うと、鎧の男の一人が答える。


「知れたこと。我々の存在意義はより多くのデータを収集し、『人間』として完成すること。それを貴様は大義を見失い、データの回収を拒んだ挙げ句、それを私的に操作し使役した。そのような異常行動に出る個体がいては、我々はいつまでも完成しない。故に、癌である貴様を抹殺する」


「クハハ、アッハハ、ハハハハハ! おかしい、おかしいわよ! あんたら全員、見当違いのことしてる! 第一、私は私の思うようにしただけ。彼の遺志も弄っちゃいないわよ! そんなもののために殺し合いなんてこれまで聞いた中で一番くだらない!」


 騎士たちが剣を取る。

 しかし、その中心にいる彼女の顔に浮かんでいたのは、最後の瞬間まで勝利の笑みだけだった。


「教えてあげる。あなた達が異常と切り捨てたことこそがあなた達が本当に欲しがっているものよ。今この瞬間、この場で一番『人間』やってるのは、間違いなく私の方だわ」







 騎士たちは予想外の抵抗を見せた『異常個体』の力の抜けた腕の中から、始終大事に守り続けた『本』を抜き取り、疲労を隠せないながらも勝利を確信した笑みを頬に浮かべる。


「ふん、大層に喚いていたわりには、見苦しく暴れただけか。しかし、結局は遅いか早いかだけのこと。さあ、残りも仕留めるぞ」


 『剣』を振り上げ、『本』を破壊する。

 中にいるプレイヤーは隔離された空間から追い出され、飛び出してくるはず……だった。


「何……空、だと?」


 しかし、隔離空間が消滅してもプレイヤーが出てくることはない。

 これは完全に予想外な事態。身構えていた周りの騎士も狼狽える。


「ええい! どこに隠した! 中に人間が入っている『本』はストレージには収納できないはずだ! 探せ! 周囲を徹底的に探せ!」







 同刻。

 ゲートを二つ超えた『パズルの街』から遠いエリアにて。


 『攻略連合』の騎士鎧を脱ぎ去りながら裏路地へ進んでいく人影がある。


「その生き様と覚悟、対価としては文句なしのAランクだ。確かに受け取った」


 鎧の中の隙間から出てくるのは、つい先程までミクが護っていた『本』。

 絶体絶命を確信したシャークからのメールを受け取り、包囲される直前のミクにこれを届けられたプレイヤーは、鎧を脱ぐと最後に『顔』まで外して息を吐く。


「依頼通り、彼女たちは安全圏まで必ず運ぶ。この『仮面屋』の面子にかけてね」

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