329頁:特集『12月の革命 会敵①』
元『攻略連合』メンバーの鎌瀬。
12月1日に発令された殺人容疑の指名手配から行方を眩ますも、12月10日に混乱する『時計の街』にて『攻略連合』メンバーを殺害した瞬間を多くのギルドメンバーに目撃され逃走。
タイミングから、12月8日から発生していた通信妨害、ゲート封鎖についても犯罪組織が関与していると思われ、その最重要容疑者として改めて指名手配される。
また、12月1日の時点で証拠不十分を理由に『攻略連合』の指名手配を不当ではないかと訴えていた『同盟』の他ギルドも現行犯に対しては反論できず発言力が低下。
ギルドホームの強制捜査という前代未聞の要請にも強く反対することができず、『同盟』の実権は一時的に『攻略連合』が握っているに近い状況となった。
その裏に、不特定多数の『人質』が命を握られながら震えていることを知るプレイヤーは全体からすれば一握りだが、ギルドが動きを止めるには十分だった。
そして、その動きの起点となった鎌瀬への調査は大規模に行われ、当然ゲートポイントの検問も強化された。
その『捜索』を口実に大きな動きを見せていることから彼が見つかっても、『攻略連合』はそれを公表する可能性は低いと思われる。
未だに鎌瀬が潜伏していると思われる『時計の街』は『大空商店街』の監視も兼ねて多くの人員が配備され、少しでも怪しい動きをみせようものなら犯罪者への協力を疑われ身柄を拘束されかねないという、息苦しい状況が続いている。
しかし、その厳重な監視体制、捜索、圧制を持ってして……十日間もの時間を経ても、たった一人の少年が発見される気配は全くなかった。
《現在 DBO》
12月20日。4時15分。
『時計の街』のどこか。
息を殺している。
気配を殺している。
自分自身を殺している。
あれから、何日経っただろうか。
あの酸性雨の日から、どれだけ過ぎただろうか。
執拗な追跡だった。
必死の逃亡だった。
足に刺さった矢は意外と浅く、走るのに問題はなかった。
しかし、敵の数が多かった。
『攻略連合』は基本的に生存力、防御力を重視した重装甲ビルドだが、全てではなかった。それに、敵は『攻略連合』だけでもなかった。
新しい『成り代わり』の中には、鎌瀬より足の速い個体もいた。
逃げる相手を追い詰めることが得意な、頭のいい個体もいたし、広範囲の動きを阻害できるものもいた。
それでも何とか姿を隠せたのは、敵の敷いていた通信妨害があったから。情報共有の不足による連携の穴を探して、そこを駆け抜けた。
そして、自分自身でもどこかわからない建物の隙間に潜み、姿を消した。
そう、姿を『消した』。
鎌瀬は今、一枚の布を自身の身体に被せているらしい。
『らしい』というのは、自分でも被った布をよく認識できていないから。ただ、目をつぶって触れた感触と重さ、周りの風景がほとんど見えない状況からそう思っている。
何故こんなものを被ったのか……何となくだが、足から矢を抜いた時から無意識に握り込んでいたものを、近付いてきた足音から身を隠そうと反射的に自分の身体を隠すように被せたのだと思う。
もう、自分でもよくわからない。
ただ一つわかるのは、この布の中だけが安全だということ。
何度も、目の前を誰かの足音が通り過ぎた。
話し声が聞こえた。自分が追われていることが、逃げ場がないことがわかった。
もう、『アマゾネス』のように匿ってもらえるギルドもない、そもそも街から出るルートもないこともわかった。
だからひたすら待った。
ただ座り込んで待った。
寝ているのか起きているのかも自分でわからないまま、音の一つも立てないようにしている内、自分が生きているかも疑わしくなっていたが、それでも耐えた。
まだ動けない。
動けば、何もできないまま捕まり、殺される。
それは被害妄想でも何でもなく、個人が組織を本気で相手にして狙われている状況を最も実感を持って理解しただけのこと。
例えるなら、飢えた野犬の巣の真上にある樹の枝の上で隠れているというようなもの。しかも、気付かれれば樹を上ってくるときている。
動けば気付かれる。
だから、食糧を手に入れることもない。
気を抜けば気配が洩れる。
だから、まともに眠ることさえない。
ゲームシステム的に、普通は丸二日も何も食べなければEPが尽きて『餓死』を迎えてしまう。睡眠もせず、まともに力を抜いて身体を休めなければアバターの耐久力も落ちる。
しかし、鎌瀬にはそれを防ぐスキルがある。
『大食いスキル』派生技能『空腹ストック』。
『仮眠スキル』派生技能『開眼快眠』。
マリー=ゴールドに指定されて修得したスキルの初期で修得できる派生技能。
その効果は共に単純、『全く動いていない間の消耗を0にする』。
普段なら、睡眠時や休憩時などの待機消費を節約する程度の技能だが、この状況ではあると無いでは大違いだ。
『攻略連合』は、全く気配をみせない鎌瀬が本当にこの街にいるのかを疑うだろう。
食料をどこかで補給することもなく、一切の影を見せず、仲間と合流することもなく、本当にここにいるのかと。
仲間たちも、ギルドにフレンドリストを見られる前に鎌瀬の名前を消している。もしもの時はそうしようと、最初から決めていた。
だから、表に顔の割れた仲間は誰も来ない。七草や霜月も、マリー=ゴールドでさえも、『攻略連合』は絶えず監視しているだろう。
だから待つ。
監視している側も、捜索している者も、永遠には集中力は続かない。
我慢比べの終わりを待つ。
相手が折れるのを待つ。
そして……
「あらあらまあまあ、『透明マント』を使いこなしてるというか、強引に押し通してるというか、その根性見直しましたよ。普通は三日も狭い中に閉じ込められたら発狂してもおかしくありませんが、耳を澄ませて情報収集に集中することで正気を保てましたかね」
「…………」
答えない。
しかし、体を動かすイメージの準備はできている。
「はい、手を繋いであげますよ。ようやく集中力が切れて、他の街への捜索も始まって、ゲートの方に警備の穴が空きましたからね。安全な隠れ家まで案内します。『ABさん』も、そこで待ってます」
手を引かれ、立ち上がる。
久しぶりの運動でよろけながらも、立ち上がり、自分の手を引いてくれた人物を見下ろす。
自分より小さな少女。
ここまで、決して大きな動きをせず、『攻略連合』のマークから外れていた、犯罪組織の一員と言ってもいいのかわからない、マリーゴールドの『端末』。
「はいはい、スズメちゃんことチョキちゃんことチイコちゃんですー。わかりますか?」
待ち続けた味方が、ようやく現れたことに、鎌瀬は実に十日ぶりに深く息を吸って、安堵の溜め息を漏らした。
8時30分。
過疎地帯の秘密基地。
「本当はもう少し早く迎えに行ってあげたかったんですけど、どうにも検問が厳しくて。ここ数日でようやく身分証明なしでも、ブラックリストに顔が載っていなければ通してくれる程度のセキュリティーになったんですよ。まあそれ以前に、ABさんの世話を焼かないといけなかったということもあったんですけどね」
秘密基地に入ったチイコは、早速朝食を用意して鎌瀬の前に並べ始める。
「ぁ……あり、が、とう」
「さすがに何日も息を殺していては声を出す方法も忘れ気味だとは思いますが、焦らなくていいですよ。それまで勝手にこちらから状況説明をさせてもらうので、ゆっくり回復してください」
人間、歩くという動作は無意識にできる最たるものの一つだと思った。手を引かれて時間がかかりながらも、こうしてここまで来れたのに、声を出すのはそう簡単には行かないのだ。
「まず始めに、このアジトは安全なので安心を。何せ、マリーさんの作った秘密基地……正確には『作品置き場』の一つですから。下手に外に出ると遭難してしまうので気をつけてくださいね。まあ、誰かさんと『待ち合わせ』があるというのなら外まで案内しますが」
出された料理に手を着ける。
『空腹ストック』は餓死はしないが空腹感まではなくならないのでとてもありがたい。
「さて、あの一言すら話せず廃人のようだったスズメちゃんが何故こんな流暢に饒舌に快活に喋っているのか、疑問に思うなら答えましょう。まあ、もう見当はついているようですが。お察しの通り、この『私』はマリーゴールドの『端末』としての側面、擬似的な二重人格として用意しておいたバックアップです。完全な別人格ではないので少し混ざって『本体』よりお喋りな感じになっている気もしますが、まあこれはお許しください」
かつては黒子のような服で全身を隠し、トラウマから一言として喋れなかったスズメが、今では楽しげに舌を回して話している。
「『今までは喋れない振りをしていたのか?』。この疑問に関しては『NO』と答えます。まあ、本気で喋るべき時には喋れるようになる選択肢があったと考えると『YES』と言うべきかもしれませんが、心情的には『NO』です。スズメちゃんは、あのお爺さんに酷い虐待を受け心を痛めてしまいました。一番の友達だったファンファンも殺されちゃいましたし、というかナビキさんに裏切られたのも地味にショックでした。その結果、心を閉ざしながら……自分を憐れみ労ってくれたABさんやシャークさんを人間的に好きになりました。だから、甘えることにした……『正気』になれば、彼らは自分たちと関わらせ続けるのはよくないと、無理やりにでも私をマリー=ゴールドの所へと戻そうとするでしょう。でも、そうしたら二度と私はあなた方の『仲間』にはなれなかった」
シャークも、『スズメ』を治すためにはマリー=ゴールドの元に彼女を送り返すのが一番ではないかと何度も苦悩していた。しかし、それをしなかったのは、スズメがそれを拒んだから。外に出るのを拒み、シャークやABから離れるのを拒否したから。
それをシャークは、信じていた者に裏切られたことの後遺症や外への恐怖だろうと思っていたが……違ったのだ。
「まあ、実際トラウマも酷いものでしたし、『私』が内側から癒すのにも結構な時間がかかってしまいました。ですが、あなた達を恨んではいません。むしろ、心配になったくらいです……『あんな悪意が近くにあって、この人たちはいつまで善良でいられるのか。善良でいられたとして、悪意の標的とされて害されることはないか』。だからスズメちゃんは、自身の人格に負担のかかる『私』の表出をここぞという時に備えて温存していた。まあ、切り札っぽく言っておいて何ですが、『私』の『端末』としてのスペックは『戦線』に派遣されてた期間が長いこともあって低めなんですけどね。あなたがくるまっていた『透明マント』の認識阻害を見破る程度、他はカウンセリングくらいしかできません」
『透明マント』。
口振りからして、ゲームシステムとしての『透明になるマント』ではなく、マリー=ゴールドの作った『認識されなくなる』という暗示のかかったマント。
そのおかげで、鎌瀬は10日間も隠れていられたのだ。
「まあ、こうして温存してノーマークになっていたおかげで簡単な変装で迎えに行けたわけですし。あれらが半端に人間に近付いて警戒を解くタイプの暗示も効きやすくなっていたのは幸いでしたね。こちらも近くに丁度いいサンプルがあったのでアジャストしたということもありますが。ちなみに、『恩人』さんも無事ですよ。あなたがくれたメールのおかげで逃げられましたから。ABさんは隣の部屋で寝ています。ただ、寝顔見に行くのはやめてあげてくださいね。それで起こしちゃうと刺激が強すぎるので、起きてから私が先に説明しておきたいです。それと、ナイフの補充は今座ってる箱の中です。材料をケチらず一級品に仕上げておきました。他にも必要そうな消耗品を何種類か。あと……」
「……『恩人』も無事、ABも無事。そう言ったな」
「……喋れるようになりましたか。なっちゃいましたか。ええ、言いましたよ。嘘偽りなく、ちゃんと言いました」
「嘘偽りなく……か。じゃあ、これも教えてくれ……なんで、『シャークさんやミクさんも無事です』って、言わないんだ?」
「……一度、横になってお休みしたらどうですか? 大事な話は、起きてすっきりしてからにしませんか?」
「そうか……まずは安心させて、休ませるつもりだったのか。聞いたら眠れないようなことを言う前に、休む余裕を残してくれようとしたんだな。ありがとうな、気を使ってくれて」
「いいえ、私の『本体』なら、半端な誤魔化しなんてしなくてもよかったと思うんですが、やっぱりスペック不足は如何ともしがたいですね。いえ、配慮が足らなかったと言うべきですか」
「……いや、悪い。ABが起きたら……」
そこまで言って、後ろで足音が聞こえた。
振り返ると、そこには鎌瀬がいることなど全く想定していなかったであろう、ほとんど下着のような装備だけをまとった少女が……ABがいた。
「Aビッ」
「うわぁあああん! よかった! 生きてたよぉぉおお!」
ガバリと、飛びつきながら抱きつかれ、倒れそうになる。
まだ回復しきっていない鎌瀬には結構きつい衝撃だったが、涙を浮かべた彼女の表情を前にして、文句を言うことはできなかった。
「ぅぅ……死んじゃった……シャークさんも、ミクさんも……死んじゃったよぉ……」




