314頁:特集『12月の革命 逃走劇③』
この日から、少年の物語は転換期に入る。
起承転結の後半、事態の急変と総決算、そして終結へと向かう。
何をもって、その節目とすべきかは、物語によるだろうが、今回は簡単だ。
これはデスゲームの物語。
物語の節目は、一つの死から始まる。
《現在 DBO》
12月1日。20時21分。
闇夜のフィールドにて。
夜通鷹は隣を走るレモンに合わせた速度で走りながら自問した。
(もし、俺のせいで誰かが死んだらどうするんだ)
かつての敵、魔法至上主義ギルド『サバト』は警戒が薄くなるエリアまでゲートポイントの通過を手伝うと、それで協力関係は終わりだと思っていた夜通鷹に告げた。
『私たちはこれから、警戒の強いエリアに戻って警戒網をかく乱する。そうすれば、警戒網の外にもう出ているとは思わないだろう』
『サバト』は魔法系のスキルにおいて前線でも最高レベルだと言える使い手のパーティーだ。
そのスキル、そして転移のような固有技を織り交ぜれば、陽動はかなりの効果を発揮するだろう。もちろん、いきなり攻撃を受けるかもしれないことや、殺意を持った相手がいるかもしれないことを教えているので、使い魔や隠密性の高い魔法を選ぶだろうし、自分たちの命を危険にさらすほど無茶をする義理もない。適当なところで広大なフィールドにでも逃げるだろう。
だが、万が一ということはある。
もしも何かが間違って、『サバト』のメンバーが『成り代わり』に捕まってしまったら、情報を聞き出すために拷問を受けるか、あるいは……『成り代わられてしまう』かもしれない。
もしそうなったら、一緒にいない夜通鷹を差し出せと人質でも取られたら、あるいは本当に行き先を知らせずに別れたのに居場所を言わないと殺すとでも言われたら……
ネガティブな考えが頭をよぎる。
そして何より、それらは全て一つの疑問に帰着した。
(俺のせいで、俺と関わったせいで死んだら……どうすんだよ)
夜通鷹は、自分の命に一つ分以上の価値はないと考えている。
仮に自分と赤の他人二人以上が、どちらかしか生き残れない状況があったら、そうできるかはともかく、複数の赤の他人を生かすべきだと思っている。
しかし、今の状況はどうだ。自分を逃がすために、『サバト』の六人を、そして一緒に付いて来てくれているレモンを危険にさらしている。
成り行き上仕方がないとは思うが、もしそれで本当に誰かが死んだら……取り返しのつかないことになったら、責任はとれない。
「あのー、ペース落ちてますよー。怪盗さーん」
「あ、悪い。ちょっと考え事してた」
「ほら、目的地はもうすぐですよ。あそこまでいけば、とりあえず追っ手を心配する必要はなくなります」
レモンが協力してくれているのは、背景はわからない部分があるが『攻略連合』の闇を白日の下にさらすためだ。そして、その闇の真相とは、人の姿になりすまして人間を襲う怪物がギルドを掌握している可能性と、目下『仮想麻薬』によってプレイヤーの疲弊を狙っているという現実。
犯罪組織の側からみた情報から考えても、仮にも組織のまとめ役であるシャークの知らないルートから流通したと考えられる『仮想麻薬』が大ギルドの流通網を利用しているのは間違いない。
『成り代わり』の被害者は既に50人を超えている。
集団化し、これからも被害が加速度的に増えることが考えられるなら、夜通鷹の情報は何百という単位の未来の被害者を救うことができる。そう考えれば、レモンや『サバト』が危険を冒す価値もある。
だが、感情面は別だ。
(もし誰かが死んでしまったら……俺はそれを、『必要な犠牲だった』なんて思えない)
嫌な予感がしている。
何度か味わった、積み上げてきたものが崩れる予兆のようなものが、さっきから警鐘を鳴らしている。
夜宵たちに襲われた時感じなかったものが、今は騒がしいくらいに胸を締め付けている。
嫌な予感が……
「……あれ? そういえば、このルートって……おい、今向かってるのって『アマゾネス』のギルドホームじゃ……」
「違いますよー、うちのギルドは男子禁制ですし、そのままだとどちらにしろ警戒されている可能性のある要所を通るのは危険ですから、一度ある人のところでその対策をしてもらうんです」
「えっと……この先にある町って……まさか、『あの店』じゃないよな?」
「……行ったことあるんですか? ショックです」
「いや、行きたくて行ったわけじゃなくてだな……やっぱり、あそこなのか?」
ここはエリア名『帳の国』、そして走る先にあるのは『床の町』と呼ばれる、知る者は知るある店がある場所。
夜の女王こと『リリス』の治める、小悪魔の巣窟だ。
20時30分。
遊楽『フリーオーダー』。
「はいはい、話は聞いてるわよ。要するに、またおねえさんに『キス』されに来たんでしょ?」
「まさか、またあの格好をしなきゃいけないなんて……」
『毒林檎味の口付け』。
かつて、夜通鷹がリリスに不意打ちでかけられた口付けを媒介とした呪いで、簡単に言えば『か弱い女の子』の姿にされてしまう。
ステータスも低下し、プレイヤーネームも変わる。
変装としては、これ以上のものはなかなかないだろう。
「今回は重ねがけの種類と度合いは選ぶから、ある程度の能力は残すし会話にも支障がないようにするわよ。それに、これならレベル表記も変えられるからまずバレないでしょうね」
プレイヤーネームの偽装は特殊な効果を持つアイテムを使えば可能だが、レベル表記は普通は変えられない。プレイヤー同士で見せ合うものではないが、疑われたときに見せれば勘違いだったと思わせられるだろう。
これも、リリスの呪いが『ヒントなしに正体を見極めて愛を確かめさせる』というテーマに基づいている故の完璧さなのだろうが……
「解除するのにはその……誰かと、しないといけないか?」
以前かけられたときに聞いた解除条件は、『他人からの口付け』だった。
今回は喋れるので事情を説明すればいい話かもしれないが、それでも抵抗感はある。
しかし、その様子を見てリリスは何かを……それも、かなり意地の悪い悪戯を思いついたかのように、クスリと笑った。
「じゃあいいわ。今度はキーワードだけで解除できることにしてあげる。それでいつでも戻れるなら問題ないでしょ?」
「そんなことが……まあ、できるんならそれでいいんだけど……キーワードは?」
「そうね……『I want your love』。なんてどうかしら? ただし、本当に必要な時以外に試しに唱えたりしたらダメよ。かけ直しなんて面倒だから」
キーワードは英語だったが、その意味は口にするのがなかなか恥ずかしいものだった。
本当にそれで解除できるのか、リリスの態度からは何やら怪しいものだったが、ここでヘソを曲げられてもいいことはない。
「わかった……じゃあ、それで」
「ああ、それとうちの11番目の娘からの伝言を預かってるわ。聞いていく?」
「11番目……ああ、聞かせてくれ」
『11番』とは霜月の元の名前だ。
未だギルドに所属しているはずの彼女は、ギルドからの情報で夜通鷹の状況を知り心配していることだろう。
リリスは、おそらく彼女と『サキュバス』たちの間にのみ可能な手段で共有した情報を口にする。
「『ここにもまだ味方がたくさんいます』……だそうよ」
「……わかった。ありがとう」
「あ、そうだ。これは感情表現のお届けってことで」
感謝の言葉を告げた瞬間、夜通鷹はリリスに唇を奪われ、二度目の呪いを受け取った。。
21時30分。
ギルド『アマゾネス』ギルドホーム『白い家』。
応接室にて。
いつかの金髪少女の姿となり、男子禁制のギルドホームに堂々と侵入を果たした夜通鷹は緊張の面持ちで座って待っていた。
「椿さん! 状況説明なら私も……」
「レモンさん。その気持ちはわかるけど、内密な話もあるし何より花火さん直々の指示です。しばらく別室で待っててください。あと、他の人たちにもこの部屋の近くに来ないように伝えておきましたら。こっそり聞くとかもダメですよ」
レモンの時とは事情が違う。
情報封鎖がされているレモンたち下部メンバーと違い、サブマスターとギルドマスターなら『鎌瀬』にかかった容疑も知っている。椿の顔にも隠し切れない緊張の色が浮かんでいた。
今は変装のためにステータスダウンしていて、武装も収納用のマジックアイテムにまとめてレモンに渡してある。そのため脅威も少ないとしてギルドに入ることは許されたが、これからの交渉次第で匿ってもらえるどころか『攻略連合』に突き出される可能性がある。
だが、よくよく考えれば客観的に認められる『攻略連合』の不正の証拠はほとんどない。
夜通鷹の主観としては本気で殺されかけたというこれ以上ない証拠があるが、ギルドの公式発表で殺人容疑の指名手配という手を打たれてしまったため、それすらも証拠としての能力は低い。
『成り代わり』に関する資料も、『仮面屋』に没収されてしまったし……
(……そうだ! まずは『仮想麻薬』についてのことから話そう。それで証拠をシラヌイに預けていると言えば、シラヌイなら必ず『仮想麻薬』に関わる資料は持ってる。というより、たとえ持ってなくても不正な流通があることを知って探せば資料管理室の権限で見つけられる)
とりあえず、『鎌瀬』として自分の正当性を示すために切れるカードは『仮想麻薬の流通』と『成り代わり』だが、『成り代わり』がイコールで『攻略連合』そのものの構造に直結するとなると証拠がない内はギルドへの悪印象を植え付けようとしているようにしか見えないかもしれない。
ならば、とりあえず『仮想麻薬の流通』だけを見せて信用と時間を得るしかない。
(そうやって匿ってもらって、時間が経って『攻略連合』の動きが弛んだら『仮面屋』に接触してあの資料をもう一度受け取って『成り代わり』についての話をするしかない。少なくとも、今の証拠がない状態で下手に情報を洩らすべきじゃない。話す相手のためにも)
そうして決意を固めているうちに、戸の前に足音が近づく。
先ほどレモンと出て行ったサブマスターの話では、この部屋に近づくのはただ一人。
「おう、待たせてすまんかったな。入るで」
戸が開くと同時、夜通鷹は思わず椅子から飛びのいた。
理由は殺気……いや、威圧感と言うべきか。それも、いつかの殺人鬼を上回る……いや、自然過ぎていつ襲って来るかわからない殺気と比べると尖り過ぎているというか、今にも殴殺されかねないような気配。
「ちょっと変な動きしとった馬鹿どもを締めとったとこなんやけど……なんや、きいとったんとは違ってかわいい女の子やないかい。もしかして、うちのもんがしくったんか?」
夜通鷹が距離を取って身構えているのを問いかけもしない。
威圧感はわざと放っている。それだけで、危険人物の可能性がある人間を無力化した。
話すのを許すというかのように、威圧が弛むが、夜通鷹には聞かれたことに答えるだけで精いっぱいだ。
「い、いや……違う。これはちょっと変装のために姿を変えてもらっただけだ……です」
「そうかい、じゃあ嬢ちゃんが『攻略連合』の『鎌瀬』で間違いないんか?」
「……ああ、できれば内密にしてください。命を狙われてる」
「それは、嬢ちゃんが……いや、あんたさんが人を殺したから、やないか?」
凄まじい殺気に、さらに距離を取りたくなる。
だが、ここは下がってはいけない。むしろ気を奮い立たせて、一歩前へ踏み出す。
「違う、ギルドの裏側で起きてることを知ったからだ。その情報は話す、だから、その証明の間は匿って欲しい」
「……人を殺したことは、否定しないんか?」
「…………」
「なら、『誰かに殺させた』ことがあったりするんか?」
「そんなことはしない。したこともない。だけど、俺の力が足りないせいで死なせてしまった人はいる……そういう意味では、否定できない、かもしれない」
本物の『夜宵』も、他の『成り代わり』も、自分がもっと早く気付いていれば……いや、自分が『恩人』をちゃんと守れていれば、彼女が真実を明らかにして守れたかもしれない命だ。
漠然と感じていた不安の根本はこれだ。自分の力不足が他人の死の一因となるのが怖い。
「……すまんかったな、驚かしてもうたわ。嘘ついとる感じやないで」
花火は威圧感を解き、椅子に腰かける。
そして、夜通鷹を見据えて話を聞く気があると意思を示す。
「信じてもらって……いいんですか?」
「そんなかしこまる必要ないで。足ちょっと震えとったで、すわりすわり。そんな本気でビビりながら人騙す嘘がつけたら大したもんやで、一度くらい騙されたるわ」
確かに、あの威圧感にさらされた中で聞かれたことに正直に答える以外のことを考える余裕はなかった。
殺気を嘘発見器代わりに使うとは、相当な修羅場をくぐっていないとできないだろう。
「で、そのネタってのは人死に出してでも隠したいようなもんなんやろ? そんな情報受け取ったら、こっちもあっちもこれまでの関係続けられんかもしれん。最悪戦争や。こっちにも受け入れる覚悟とか準備は必要や。匿ったるんはいいけど、話はもう少し待ってもらっていいかいな。『同盟』の方で場を設けることになるかもしれなんし」
夜通鷹としては願ってもいない話だ。
時間が経てば、味方に連絡できる可能性も出て来る。
『アマゾネス』が情報を独占してことを優位に運ぼうとするより、情報を独占して対応が遅れた場合の責を負うよりもより公な場を設けてくれるというならこれは正しい選択肢の一つだ。もしかしたら、夜通鷹が同じことを話すことの負担を考えてくれたかもしれないが……
「それより……そうや、それよりって話や。本当は、これを隠してでも先にそっちの大事な話を聞いておくべきなんやろうな。けど、あたしはそういうのちょっとややねん。本当になんも知らんみたいやで、知らんまんまの方がいいかもしれんけど……今すぐ知っておかんと後悔するかもしれん」
花火の話は、何か言わなくてはいけないことがあるが言いたくない時のように停滞した。
夜通鷹の命が狙われるほどの秘密を『それより』と脇におけるほどの重大ごとがあるかのように、そう聞こえてしまい……夜通鷹の悪い予感が、最大限に高まった。
「『特別犯罪対策室』……その室長やったか?」
「ああ、一応は室長ってことになってる。部署の中で偉い立場とはとても言えないけど」
「そうか……じゃあ、覚悟を決めてほしいんや。本当は、このことがあんたさんの仕組んだことだったらよかったと思ったんやで。そうだったら、ここで殴り倒せば済む話や。けどな……こういうとき、どういったらいいかわからんのや」
花火はメニューを開き、何かの画面を開いてそれを可視化し、反転させて夜通鷹に向ける。
それは、ギルド間の緊急連絡に用いられるギルド間のフレンドメールのようなシステムによって伝達されたメッセージ。
それを見て、夜通鷹は目を見開いた。
「え……嘘、だよな。あいつが……こんな……」
そこには、一つの『殺人事件』の発生が報告されていた。
その『被害者』が、つい数時間前に指名手配が要請された人物の『関係者』であったことから、なんらかの関係性があるのではないかと注意を促すような文面まで添えられている。
目の前の文章を理解することを拒む夜通鷹に、花火は声音に感情を乗せずに告げる。
「事件はついさっき、『遺体』はまだ消えとらんそうや。仮にも同僚、仮でも部下なら、見送りに行ってもいいんやで」
目の前で失うことが多すぎて、忘れてしまっていた。
『身近な誰かの死』とは、警戒していない時にこそ、予期せぬ方向から襲い掛かってくるものだった。




