309頁:特集『スクープ! 電撃交際スキャンダル』
運命の時が近付いているのを感じる。
白と黒ではなく、白に近い灰色と黒に近い灰色が、互いの色を示す時が近付いている。
渦中にいるのは、かつて探偵の助手を名乗った少年。
数々の苦難と、作為と、お膳立てと、彼自身の努力を経て、少年は命懸けの舞台に上がる。
手を貸せる者は手を伸ばす。
声の大きな者は激励を送る。
知恵のある者は少しだけ行き先を示す。
部外者には何もできないかもしれない。
伸ばした手は届かなくて、激励は空に消えて、間違った道を進むのを見守ることしかできないかもしれない。
でも、せめて祈りは届いてほしい。
どうか、彼の行き先に、幸せな時間がありますように。
《現在 DBO》
11月25日。18時30分。
本日、犯罪組織のアジト候補、三カ所目の調査を終了。報告書は無事提出完了。
今のところは順調だ。
鎌瀬は内心で一息吐く。
ギリギリまで引き延ばしにして、とうとう始まってしまった調査は今のところ予定通りに全て空振りに終わっている。
シャークには既に『本命』のアジトの調査日の予想を送っているが、返答によると十分に退却と証拠隠滅、新しいアジトの整備などは間に合うらしい。
鎌瀬のプランニングの結果、夜宵たちの意見に不自然でない範囲で修正を加え、『本命』のアジトの調査は後半、11番目ということになっている。
鎌瀬はそれで仕込みは十分だと思ったが、シャークからは本格的な調査で何一つ成果が出ないと鎌瀬の立場に響くと考えて、退却に加えて捕まっても問題ない犯罪者チームを誘導して最後のアジトに居座らせるつもりらしい。
後は、空のアジトを真剣に調査し、空振りを悔しがる振りをしつつ、最後のアジトでは正義の味方として犯罪者を売るという簡単な作業だ。
(問題があるとすれば、『保留事案対策室』に『敵』がいるかもしれないってことだよな……)
シャークは組織の発足者ではあるが、支配者ではない。組織の繋がりが絶対ではないと知っている。そのため、裏切りに備えて情報操作をしている。
鎌瀬や『恩人』のことは特に情報としては厳重に管理されているはずだ。詳細に知っているのはシャークの直属チームだけだ。
だが、組織の中の情報に詳しく通じている頭のいい人間なら、シャークが『攻略連合』に通じる情報源を握っていることは推測できないことではない。
シャークは用心深くいくつもアジトと緊急用のアジト候補を用意しているが、その内現在の拠点を含む数ヶ所がマークされているというのは、組織内からの情報漏れが濃厚だろう。
(あっちも俺に情報が洩れることをわかってて調査に加えている? そして、俺がそれに感づくのも計算に入れて、俺が敵を見つけようとするのを狙って……だめだ! 考えてもわからない!)
考えられるのは、シャークのアジトが大まかに絞れていて鎌瀬のことはスパイと発覚していないパターン。
あるいは、鎌瀬のことはスパイである可能性があると不確実性を持って疑いの目を向けられているパターン。
そして、鎌瀬がスパイだと確信されているが、証拠がないため今回の調査で積極的に動かせてぼろを出させようとさせているパターン。
一番目と二番目なら、鎌瀬が余計な動きをして疑いをもたれるのは危険だ。最小限の動きに留めれば、疑いは確証にいたらず立ち消える可能性もある。
三番目なら、事態は急を要する。何故なら、鎌瀬は今『保留事案対策室』では見習いに近い立場であり発言力が弱い。最悪、偽造証拠でも詰む可能性すらある。
だが、三番目は危険ではあるがチャンスかもしれない。
偽造証拠を仕掛けられるとして、それを確実に鎌瀬に繋げられる前に感知して『特別犯罪対策室』の権限で告発してしまえば、逆に操作の混乱を誘発しようとしたと言うことができる。先出ししてしまえば、あちらが鎌瀬を裏切り者のスパイだと叫んでも嘘の証言だとしてしまえる。
つまり、鎌瀬が最大限にリスクを抑えつつ勝ちを狙うなら、出来るだけ自然に振る舞いつつ、自分を陥れようとする何者かの動きをいち早く察知できるように網を張るのがベストだ。
そうして考えた鎌瀬が足を運んだのは、『特別犯罪対策室』の扉の前。
鎌瀬が不自然な動きをせずに、偽証の証拠を掴むには、鎌瀬以外の情報力の高い味方……リリスの勢力の情報網が使える霜月とギルドに知られていない分身能力を有する七草に網を張ってもらう。権限が大きい分ギルドからの注目度が高いシラヌイは協力出来ないだろうが、あの二人は鎌瀬の頼みなら大概聞いてくれるはずだ。
そう考えていた。
「あ、カマセさん。『彼女さん』が遊びに来てますよ」
底意地の悪い笑みを浮かべるシラヌイが、戸口を小さく開けて鎌瀬に吐いた言葉は、理解不可能なもの。
しかし、それは戸を完全に開いて中を見た瞬間に溢れてきた修羅場の空気によって理解せざるを得なくなった。
「あ、やっほー鎌瀬! なに? あたしのこと話してなかったのー?」
夜宵だ。
『保留事案対策室』の暫定リーダーにして、『尋問室』のエース。
心理戦のプロが……攻め込んできた。
「いやー。これから鎌瀬が『こっちの仕事』の手伝いで忙しくなってこっちに顔ださなくなるかもしれないから伝えに来ただけなんだけどさー……なに? あたしを差し置いて、室長権限でハーレム作ってたって噂、本当だったわけ?」
口調が軽い。第一人称や鎌瀬の呼び方も『保留事案対策室』の時と違う。
まるで、以前から心を許した付き合いをしているかのような距離感だ。
それに対し、七草と霜月は怪訝な顔をしながらも若干弱気に見える表情をしている。これは、鎌瀬が来る前に論破されたのかもしれない。人間相手のコミュニケーションが完全と言えない二人に対して、人並み以上のコミュニケーション能力を武器とする尋問室のエースが口論で負ける要素はない。
夜宵は、鎌瀬の下へ駆け寄ってきて、何やら紙のようなものを見せる。
「あ、そうだ。ついでにだけど、申請通ったから届けに来たよ。ほら、これからは堂々と一緒にいられるよね?」
差し出されたものは〖交際届け〗と呼ばれるもの。
下層構成員の勝手な恋愛が禁止されている『攻略連合』において上層部に認められたプレイヤー二人の申請によって作成される、通称『リア充証』と呼ばれる公式交際証書。
そして、それに添えられたメモ。
『上層部命令のハニートラップ対策。話を合わせて』
元々、仕事上接点が全くない相手ではなかったし、多少無理があっても夜宵の演技力なら問題なく通せる嘘なのだろう。
夜宵自身が敵か、それとも上層部に敵がいるのかはわからない。だが、鎌瀬はこれで不自然な動きを取れなくなる。
しかし、ここで拒絶するのは今まで七草たちとの特別な男女関係を否定してきた鎌瀬にとっては明らかに不自然な行為になる。
これが、厳しくなる監視の目だとしても……受け入れるしかない。
「あ、ああ。悪いな、申請通るまではギルド内恋愛禁止に引っかかるから言えなくてな……」
腕に絡みつかれる。
見せつけさせられるように、あたかも本当に愛しているかのように。
「じゃあ、そういうことでー」
肩に押しつけられた頭からは、不本意ながら女子特有のいい匂いがした。
「で、ハニートラップ対策っていきなり言われても、そもそも俺はあいつらに唆されるような立場じゃないぞ」
「堂々と公式に、おつき合いしているという『情報』があれば構わないからね。そろそろガサ入れに感づかれるかもしれない頃だし、後の調査にどこが含まれてるかとか急いで調べようとしてくる犯罪者への牽制になる」
18時47分。
ギルドホームの食堂、会議用個室席(防音設計)にて。
鎌瀬は、相変わらず一人で大量の食料を食べる夜宵を警戒を隠しながら見守る。
(俺と七草たちの引き離し……『成り代わり』勢力の俺の手を封じる動きだとすれば、目の前の彼女は『成り代わり』である可能性が高い。だけど……そんなふうには見えないな)
七草や霜月は知識に偏りがあったり、生命倫理にずれがあったり、どこか抜けている印象があるのに対して、夜宵は社交性が高く隙がない。
鎌瀬の心内を読んで先手を打ってくるあたりも人間らしい思考をしているように感じられるし、普通に聡い人間にしか見えない。
彼女は『成り代わり』とは無関係で、普通に情報漏れを心配して鎌瀬を見張りに来た……とも考えられる。というか、鎌瀬は元々スパイであり、事件との遭遇頻度なども疑われる要素がないわけではないのだ。
あるいは、一緒に仕事をする立場として夜宵が鎌瀬のことを調べ直した結果、不信に思って堂々と監視できる口実を作ったか……嘘や秘密を吐かせる『尋問室』のエースだ。そういった不信な点を直感的に見つけられてもおかしくはない。
(うぐぐ……ダメだ、相手が自分より上手である前提で思考を読もうとしても読めるわけがない)
鎌瀬は超能力者ではないのだ。
夜宵の意図を決めうちするのは難しい。ならば、どのような意図であっても問題にならない受け答えをすべきだ。
大ギルドの一員として、僅かながらも誇りと仲間意識を持つ自分。
犯罪者を憎む『特別犯罪対策室』としての自分。
そして、七草たちを心配する、どこか保護者のような室長としての自分。
嘘でないそれらを誇張して、強調して振る舞う。
「理屈はわかるけど、いきなりはやめてほしいな。うちの部署の人間関係にひびが入ったら困る」
申請を取り消せとは言わないが、説明のためを装って作戦行動を頼める機会を作る。論法としては、そこまで悪くはないはずだ。
だが……
「まあ、そうだよね。うん、無理があったのはわかってるよ。実を言えばハニートラップ対策とかってのは建て前なんだよね」
夜宵は、自ら先んじて打った一手をあっさりと覆す。
自分勝手な女を演じて、抵抗を捨てて話を合わせようとした鎌瀬の出鼻をくじく。
「ごめんごめん。本当のところさ、あの紙切れを口実にあなたをここに誘ったのは、こうして二人だけで内密な話をするため、そしてこれからも一緒に行動するのに不自然じゃない理由付けをしておくためだったんだよねー」
鎌瀬は何も言えない。
軽い口調で謝罪を済まされ、話を聞かざるを得ない方向へ会話を誘導されている。
「じゃあ、その本当の目的って?」
鎌瀬はそう、質問せざるを得ない。
「実はね……『コンビ組まない?』ってお誘いをするのが本当の目的だったり。お互い、真実を追及する同志として」
「……同志? え、それってつまり、犯罪捜査の部署繋がりで協力しようって話?」
考えても見なかったパターンだ。
鎌瀬に不信を抱いたからではなく、逆に仕事ぶりを評価したからこそのご指名。
しかし、それも本当かどうかわからない。夜宵の表情は好意的な笑みと言えるものだが、その笑顔は最大のポーカーフェイスとも呼ばれる種類のものだ。
ここは、もう今の部署でチームワークは完成しているとして断るか、少なくとも鎌瀬の活躍の裏にある情報元が発覚しないようにやんわりと断る方向で保留すべきだ……そう思ったが、できなかった。
「具体的には、ある事件について一緒に調べ直してほしい。今回の『仮想麻薬』に関わる調査のために、関係しそうな事件資料を洗ってみたんだけど……冤罪の可能性がある一つの殺人事件について、調べるのにあなた以上の適任がいないと思うから」
鎌瀬が無視するには、あまりに不自然にすぎる事件。
そして、心情的にも無視できない事件。
「あるギルドのサブマスターが、クスリにハマった末にギルドマスターを刺して逃亡、未だ行方不明って事件。もしかしたら、黒幕が別にいるかもしれない」
取るべきか、取らざるべきか、真剣に苦悩すべきカード。
「私は、彼女は……昔、冤罪から助けてくれたあの人は、無実だと思ってる。だから、この恩返しを手伝ってほしい。あの人の汚名を晴らすのを手伝ってほしい」
罠かもしれない。
しかし、鎌瀬が裏から事件を調べていた間に、表から事件を調べていた人間が一人くらい、それも彼女に助けられた人の中にいて、鎌瀬が手伝えば、彼女の汚名だけでもいち早く晴らすことができるかもしれない。
鎌瀬は選ぶ。
ギルドの中でのかつてギルドに裏切られた末、犯罪者を憎むようになった者として見られている立ち位置と、夜宵の話に同調することへのリスクとメリットを計算する。
そして……言葉を選び、決める。
「俺は……」




