272頁:特集『勝利の美酒と夜の女王』
鎌瀬と石猿の勝負は、石猿を『地に落とした』ことで鎌瀬が勝者となった……はずだったのだが……
「ごふっ、なんでこんなところにやたら尖った丸太が……」
「ごめんなさい……さっき作った『エヴァ』の残骸です」
石猿を地面に落とした直後、なんとか落下ダメージを減らそうと盾で地面を受け跳ね返った鎌瀬は、その先に落ちていた一度目の『エヴァ・グリーン』の残骸に背中から刺さって死にかけていた。
「え、衛生兵! ポーションありったけ持って来い! おい、新人! 死ぬな!」
『一軍』のメンバーがその様子を見て慌てて集まってくる。
そして、そんな様子を見て地面から身を起こした石猿は……
「そっちが『戦闘不能』になる前に先に『地に落ちた』のは俺だからこっちの負けなんだろうが……締まらねえな小僧」
呆れた様子で、慌ててHPの減少を止めようと応急措置をしている鎌瀬を見ていた。
「あ、ちょ、七草無理に抜こうとするな! っ、痛いって! 『医療スキル』持ってる人に任せて下がれ! あ、でも持ってる回復アイテム全部くんない? あ、やばっ、HPが真っ赤に……」
「あ、えっと……だ、大丈夫です! あなたの遺志はきっと……」
「勝手に諦めんな!」
勝負のルールを決めたのはあちら、油断していたのも確か。
しかし、それでも石猿と彼らにはそれを差し引いても十分な実力差があった。
能力の正体を見破られた……そして、そこから警戒し直す前に一気に畳みかけられたといったところか。
だが、少年は決して強さを隠して弱さを演じていたわけではない。本当に、実力差があったからこそ、石猿が本気を出すのが遅れた。
確かに自分より強い相手に、諦めずに勝ちを狙ったからこそ届き得たのだ。
「ま、『地に落としたら勝ち』って着眼点も良かったけどな」
石猿は受けるダメージとノックバックが0になるように硬さと重さを自動的に上げている。しかし、仮に地面に『落下』したことでダメージを受けた場合、その威力は石猿自身の『重さ』で増幅される。
落下ダメージに耐える『硬さ』を得ると同時に『重さ』が増える。落下ダメージは石猿の能力にとって鬼門なのだ。
「鬼門ていうか……さすがに、『釈迦の手の平』だけにはかなわないからな」
落下により、火炎の熱でのダメージに加えHPはさらに減少している。
元の高さが足りなかったので致命傷にはならないが、攻撃として認識すべきレベルの確かなダメージだ。
もっとも、『雲』が無事ならまず地面と激突などしないし、地面との間に壊れて衝撃を吸収するようなものでもあれば超過分のダメージはそちらに押し付けるのだが……
「あいつを下敷きにするのは、さすがに大人気ないしな」
高密度になって動きが鈍っていたからそれが出来たかどうかは五分五分だが、何もしなくても死にかけているのだ。そんなことをすれば少年はきっと死んでいただろう。
こんな楽しめそうな相手を見つけたのに、未熟な内にしとめてしまうのはもったいない。
「おい、死にそうだな。だったらこれ食え、縛りがあったとはいえこの俺に勝った景品だ」
石猿は懐から一つのアイテムを取り出し、鎌瀬に投げ渡す。
鎌瀬が受け取ったそれは『桃』だった。
それも、今までに見たことのないような片手で持つのが厳しいような大ぶりな桃の実。
「これ……は?」
「死ぬほどの傷でも治っちまう仙女の育てた桃だ。キキッ、九千年に一度の絶品だぜ?」
「……そんなものホイホイ渡すわけが……」
「てか、その感じだともうすぐ命が空になるけどいいのか?」
「あ、やばっ、マジで!? わかった、ありがたくいただきます!」
慌てて桃を頬張る鎌瀬を見て、石猿は問いかける。
「オマエ、ルール決めたあたりで俺の能力にあたりつけてただろ。ならなんで、もっと有利なルールにしなかった」
鎌瀬は、桃を食べながら答える。
「ヒントはあった、あまっ、でもその情報元も信用できなかったし、ごくっ、あんたが満足せずに怒っても困る」
「……じゃ、能力を確信した後だ。なんで全員で来なかった?」
「『一軍』に言って引きずりおろして、不満があろうが襲ってこれないように縛り上げるなりなんなりしろってか? バカ言うなよ。これは俺が招き寄せた戦いだ。これ以上巻き込んでたまるか」
「……キキッ、なーる。オマエ、気に入ったぜ」
石猿は飛び上がり、集まってきた雲に片足立ちで乗った。
『一軍』が近くまで来て周りを取り囲み始めているが、石猿が脱出するのに苦はないだろう。
「気に入ったから、今日は大人しく帰ってやら! また遊ぼうぜ!」
石猿が雲の上で宙返りをしたと思ったら、次の瞬間にはその場から消えていた。
取り残され、騒ぎの渦中に置かれた鎌瀬は一人毒づいた。
「あー、また面倒なのに目つけられたな。どうすんだよ、この騒ぎ」
《現在 DBO》
9月17日。19時30分。
『一軍』との訓練の終わりに起きた『謎の猿襲撃事件』のややこしいにも程がある報告書を何度もやり直しをくらってようやく受理してもらえた鎌瀬は、さらに『身内とはいえ固有技を悪用したストーカー行為を行っていた』ということで厳重注意を受けている七草を置いてギルドホームを出た。
石猿については『沼男』のダンジョンのことなど話せないので、『過去に敵対した犯罪者が雇ったプレイヤーが猿に姿を変えることで素性を隠して襲ってきたのだろう』という、自分自身にも敵の正体は皆目見当がつかないというのを全力アピールした報告をしている。
苦しい言い訳だが、実際話せないことを含めても確かなことは何も知らないのだから仕方ない。
そして、もうこんな一日は早いところ終わらせようという気持ちで泡沫荘を目指していたのだが……
「鎌瀬くん……いいえ、『22番』。リリス様がお呼びです」
夜の闇に紛れて待ち伏せていた霜月が、真剣な顔でそう言った。
『22番』……それは、鎌瀬がリリスに逆らえない魔法の言葉だ。
「……勘弁してくれよ」
もはや、逆ギレして強引に断る気力も逃げ出す元気もどこにも残っていなかった。
そして、20時12分。
二度と来るまいと思っていたリリスの店に、もうどうにでもしてくれという気分で連れてこられた鎌瀬の目に飛び込んで来たのは……
「イエーイ! あのクソ猿に一発くれてやったちっちゃな英雄に乾杯!」
「「「カンパーイ!」」」
リリスとその配下『サキュバス』が十数人、宴会のノリで乾杯しているという光景だった。
「えっと……霜月、情報プリーズ」
「リリス様が今日の出来事を知って『こんなの祝うしかないじゃない!』って……今日は飲食無料なので遠慮なく楽しんでほしいそうです」
ここに来るまで『じゃあ今からちょっと殺し愛をしてもらいます』くらいまで想像していた鎌瀬は、ある意味予想以上の展開に、状況を呑み込むのに時間がかかった。
そして……
「辛うじて、俺があの『石猿』をルールの上の勝負とはいえ負かしたことのお祝いだってのはわかった……だけど、どうしてこんな大騒ぎになってんだ?」
三人掛けサイズのソファーに座らされた鎌瀬は、ようやくまとまった疑問の言葉を口にする。
店を見回して見て、他の客が見当たらない。
店の業種的にはピークはまだもう少し夜が深くなってからなのかもしれないが、それにしても他の客が一人も見えないというのはおかしい。
どうやら、急遽『貸切』にしてしまったらしい。
それも、昨日の今日どころか今日の今日の出来事のお祝いのためにだ。
困惑する鎌瀬の隣に、遠慮なくどっかりと座ってくる女性。
この店の主であり、この催しの主催者であるはずのリリスだ。
彼女は鎌瀬の前に勝手にグラスを置いて肩を組む。
「キャハハ、いやね、あの猿にはいつもいつも迷惑かけられてウンザリしてたのよ。うるさいわ乱入ばっかりしてくるわ暴れるわ、しかもその身勝手さを通せるだけの強さだけは確かだし。そんなあいつに一発くれてやったそうじゃないの? スカッとしたし、お礼にと思ってね?」
勝手にテンションのあがっているリリスに、鎌瀬はため息をつく。
聞いていれば勝手な事情だ。
鎌瀬はリリスを喜ばせるために戦ったわけでもないし、それをお手柄のように言われても困る。
祝うなら祝うで勝手にやってくれればいい。
そう思った鎌瀬は、憮然とした態度で言った。
「それは良かった……じゃあ、俺は帰りま」
「待ちなさい」
次の瞬間、立ち上がろうとしていた鎌瀬はソファーに寝そべっていた。
よろけて倒れたとか、足をもつれさせたとかではない。リリスの『影』……いや、本体たる彼女の使役するワンランク上の武器『闇』がいつの間にか鎌瀬の背後からまとわりつき、鎌瀬自らの影へ縫い止めるように引きずり落としていたのだ。
鎌瀬の生殺与奪……少なくとも動きの自由は、既に隣に座られた時点でリリスに握られていた。
「……っ!」
「まあ、いきなり前々から何考えてるかよくわからなかった相手にお礼とかお祝いとか言われても困惑しちゃうのはわかるわよ? でも、もうちょっとちゃんと話を聞いてくれてもよくない? さすがに失礼だし」
逃げようとした身じろぎにすら強い抵抗を感じ、力技では逃げれないと感じ取った鎌瀬は、リリスの身体に覆い被されながら奥歯を噛み締め後悔する。
(またろくでもないこと言い出すに決まってる! 霜月に言われるままにここまで来るんじゃなかった!)
『礼儀知らず』の代償と称してどんな無理難題を押し付けられるのかと身構えた鎌瀬の耳元に、リリスの妖艶な唇が迫り……
「ごめんなさいね。でも、怖がらせたかったわけじゃないのよ」
心を溶かすような魔性も、男を騙す色香も含まない静かな声音でそう言った。
「……嘘つけ、俺を脅してスパイの手伝いさせてるくせに……今更取り繕う必要ないだろ」
「あれは確かに利用させてもらったわ。でも、あの二人を護衛に送り込む口実にもちょうどよかったから」
「護衛なんてつけるわけがない……ただ、便利でキープしてるだけのやつにそんなことを」
「そうよ、そこ……今回は、この機にそこらへんのことをちゃんと話しておきたくて、この場を設けたのよ。あれ以来、なかなかちゃんと話せなかったから。ありきたりな言い方をすれば……仲直りしたいの」
「……そう言って、利用しやすくするだけのつもりだろ」
「気兼ねなく話せる場を作るために、店を臨時休業にして一日の儲けと情報、それに信用を捨てられる程度にはあなたを重要視してる……って言ったら、少しは話を聞いてくれる気にもなるかしら?」
鎌瀬は店内をもう一度見る。
リリスに『襲われている』鎌瀬を見て、取り乱しているのは霜月だけ。他は傍観の構え、というより鎌瀬を観察しているように見える。
全てが間違いなく『サキュバス』……そして、部外者に聞かれないと同時に、鎌瀬はリリスの戦力のまっただ中、まな板の鯉だ。
どちらにしても、『真剣に話を聞いてほしい』というのには偽りはないだろう。
「……話は聞くけど、信じるかどうかは別だ」
「当たり前よ。何を言われても、話す相手が私じゃなくても、信じるかどうかはあなた次第。全てを疑えなんて言わないけど、根拠もなく無条件に信じるのはただの馬鹿よ」
リリスが身を起こす。
すると、鎌瀬の背中の拘束も消える。
「まず第一に、確かに私は善意であなたを護らせてるわけじゃないわ。キープしてるって見方も間違ってない。でも、あなたが誤解してるのはあなた自身の価値。『使いやすい駒』? いいえ、そんな軽いものじゃないわ」
リリスの指先が起きあがろうとしていた鎌瀬の額にトンと当てられる。
「明確に『あなたに担ってほしい役割』があるのよ。あなたにしかできない、オンリーワンのね。替わりが利かないから、私は娘の内一人や二人を割いてでも護りたいと考えてた。まあ、仮に死なれたら野望が潰えるって程じゃないにしろ、その補填のためにコストとリスクが必要になるの」
感情論や気まぐれで騙しにかかってくるかと思えば、その内容はひどく現実的で理解しやすいものだった。
『あなたにしかできない』などという言葉は、自分には縁遠いものだと思っていた鎌瀬は慣れない評価に困惑する。
「やらせたいことがあるなら、すぐにやらせればいいじゃないか。どうしてわざわざ泳がせてるんだ?」
「そうね、大きな理由は二つかしら。『まだ時期じゃない』、それと『まだ熟してない』。まだあなたの出番には早いし、今のままじゃあなた自身が未熟で使い物にならない。あなたには、もっと強くなってくれないといけないの。ゲームのレベルとかステータスの上の数字じゃなくて、精神的に、あるいは魂的にね?」
リリスは額に向けていた指先を胸に移す。
鎌瀬はようやく、リリスがただの気まぐれではなく彼女なりに合理的に考えて行動しているらしいことを理解した。
しかし……
「……やっぱり、利用したいだけなのか。だったらわざわざ、こんなお祝いとか、ご機嫌とりみたいなことしないで欲しい」
どこか落胆したような鎌瀬に、リリスは面倒くさそうに首をひねる。
「んー……わかってないわねえ。どうしてこんな融通の利かない子になっちゃったのかしら。親の顔が見てみたいわ」
「親は関係ないだろ!」
「あらら、もしかして親に何かコンプレックスでもあるのかしら。怒らせたならごめんなさい。でも、あなたは大事なことを教えられないで生きてきたみたいなんだもの」
リリスは、鎌瀬の目を強く見つめて言った。
「『利用したい』って打算と、『愛する』って感情が同時に存在するくらいおかしくもなんともないでしょ? 一つのキモチが真実だからって、他の全てのキモチが嘘になるわけないじゃない」
その言葉は、鎌瀬の中で考えたこともなかった一つの視点を開いた。
スパイだらけの特別犯罪対策室……霜月も七草も、そしてシラヌイも、皆自分の組織の事情で仲間を演じていて、互いの正体を護るために互いの秘密を隠している。
今までは、七草も霜月も鎌瀬に力を貸したりやたら構って来たりしたのは、その役割を果たすためだとばかり考えていた。
利用し合うだけだと思っていた。
しかし……
「一つ言っておくわ、私はあなたの護衛には最終的にもっと戦闘に向いた性格の娘をあてるつもりだったわ。変な因子を取り込んで行動パターンが不確定になった『11番』はしばらく休ませるつもりだった。それなのにあの子があなたの側に就いているのは、あの子自身の意志があったからよ」
「それって……」
「はい、そこまで。本人のいる前で論議することじゃないわ」
リリスが鎌瀬の唇に指を当てて黙らせ、そのまま横を向けさせる。
顔の向いた先には、恥ずかしげにお盆で顔を隠す霜月がいた。
「あと、もう一つ。憶えておきなさい」
リリスは鎌瀬の顔を自分の方へ戻し、そして……
「『頑張ったらご褒美がもらえる』っていうことと……『祝ってもらっていつまでも湿気たつらしてんじゃないわよ!』ってことをね!」
鎌瀬の口に酒瓶を突っ込んだ。
「んおっ!? ぶはっ、何を!」
「うっさいわね! せっかく楽しく飲みながら私への変なイメージ変えていこうと思ってたのに、素直に盛り上がらないあんたが悪いのよ! 打算とか利用とか一々気にして面倒くさいのよあんたは! ガキのくせに小難しく考えるのやめて勝利の味を憶えりゃいいの!」
「ぎゃあ! し、霜月! 助けてくれ!」
「『11番』、命令よ。このネガティブ馬鹿を死ぬほど笑わせなさい。『勝つ』『飲む』『楽しい』って法則を刷り込むのよ」
「ごめんなさい、リリス様の命令には逆らえないから……ふふふ」
「ちょ、なんでノリノリで『影』の手まで作ってくすぐる準備してんだ!? この、裏切り者!」
「大丈夫よ。仮想空間なら窒息死とかしないし。遠慮なくやりなさい」
「うわっ、ちょ、なんで他のやつらも集まって、やめっ、死ぬぅぅう!」
翌日、鎌瀬はこの後何があったかを思い出せなかったが、それが仮想酒のせいなのかあまりのトラウマに記憶が封印されたのかはわからなかった。




