270頁:特集『襲来! 最硬の思考実験悪魔⁉』
七草楔が『そのこと』をギリギリまで鎌瀬に伝えなかったのにはいくつか理由がある。
第一に、伝えたところでおそらく対策をほとんど取れない相手であったこと。
第二に、相手が『予定通り』に鎌瀬を狙って来るという確証がなかったこと。
そして、第三に……鎌瀬が何も知らず自然に振る舞っている方が、『奇襲』に対する『カウンター』を決めやすくなること。
第一の理由は、上位存在である『沼男』に止められていた理由であった。
第二の理由は、七草の希望的観測によるもの。
そして第三の理由は……七草自身の独断行動についての判断である。
《現在 DBO》
9月17日。16時40分。
訓練に疲労困憊した鎌瀬が攻略隊長との会話を終え、精神的にも回復をほぼ完了した時。
『一軍』のメンバーのほとんどが揃い、消耗したアイテムや武器の整備を終え、これからさらなる訓練へと向かうメンバーを選びだそうとしていた……戦闘力に関しては、ほぼ完璧なタイミング。
二つの『乱入者』が、最高レベルの戦闘職たちの感知系スキルに引っかかった。
一つは『上空』から。
もう一つは、『地下』からだ。
「上からくるぞ! 気を付けろ!」
「下からもだ! 構えろ!」
ここは安全エリア。
モンスターの侵入は基本的にあり得ない。
あったとしても、それは強く追い込まれたりした場合……プレイヤーの干渉なしには考えられない。
そして、プレイヤーが『攻略連合』の『一軍』に突然死角から接近してくるなど、ろくな用事であるわけがない。
しかし、突然のこととは言え相手は歴戦の攻略者達。前衛はすぐさま剣と盾を構え、後衛は矢を弓につがえる、魔法の詠唱を開始するという戦闘態勢を取る。
そんな中、鎌瀬は……
『守ります、動かないでください』
「……『下』は味方だ! 全員その場で止まって!」
鎌瀬の叫びに従ったというわけではないだろう。指揮系統的にも、今日いるだけという鎌瀬の立場的にも指示を聞く道理はない。
しかし、鎌瀬の声は必死だった。
その演技とは思えない必死さ……そして、立場をわきまえず放たれた言葉をどう受け止めるべきかという迷いに、結果的にほとんどの者が動きを止めた。
その直後……地中から、『樹』の巨人が伸び上がる。
『一軍』のプレイヤー達を傷つけないよう、その間の地面から。
「『エヴァ・グリーン スパイクガーデン』!」
「七草!」
現れた者の能力は知っていた。
『植物を手足のように扱う』……七草の能力全力行使。それもおそらく、『種』か何かで鎌瀬の位置を捕捉しながら、地中で着々と力を溜ながら機を伺っていたのだ。
鎌瀬を、空から襲来する『何か』から護るために。
「こ、これは……」
「七草楔、対策室の仲間の固有技です! 『樹』の方は敵じゃない!」
空から迫ってくる物を見上げ、鎌瀬はそれを認識した。
霧、いや、『雲』だ……夕焼けに照らされているかのような『金色の雲』が、雨にもならずそのまま落ちてくる。自由落下よりもさらに速く加速しながら。
そして、七草の『樹』は手持ちの中で最硬質の《常緑》と同じ植物を生長させ、その先端を杭のように研ぎ澄まし、『雲』を迎撃しようとしている。
相手は落下中、時間は日中、七草は地面という、植物を扱う上で最高の土台を得ている。力比べで負ける要素は一つもない。
そう、鎌瀬から見て負ける要素はない……はずだった。
次の瞬間、『エヴァ』の枝先と『雲』が激突する。
そして、『雲』は自らの速度によって刺し貫かれ……
メキ……バキバキバキ!!
「はっ!? 嘘だろ!!」
枝が折れていく。
枝と言っても、人の腕より遙かに太く、高レベルプレイヤーが武器を使っても切断に数撃必要なはずの杭の束を真正面からの力で割っていく。
そして、枝で殺しきれなかった威力のまま隕石のように地面に激突したそれは、クレーターを穿って《常緑》と身体で繋がりながら地中に隠れていた七草を鎌瀬の下まで吹き飛ばした。
「きゃあ!!」
「七草!」
鎌瀬が七草を助け起こすのと、すぐさま混乱を収めた『一軍』が落下してきた物体を囲むのはほぼ同時だった。
「う……まさか、ここまで硬く重いとは……」
「おい、説明しろ七草! 何が来た? 何で俺を地中から追ってたんだ?」
「すいません、あなたが狙われていることはわかってたんですが……」
七草が詳細を説明する前に、隣の攻略隊長の声が響く。
「貴様! 我々『攻略連合』の訓練中に突然破壊行為を伴う急接近を行ったな! その理由を説明してもらおう!」
鎌瀬は声の先を見る。
百人の騎士に囲まれ、その中心で警戒の視線と怒声を受けながら、それでも愉しげに笑う者がいた。
それは、とても小さい体躯をしていた。
身長1mにも満たないのではなかろうか。
それは、金の眼と艶のいい茶の体毛を持っていた。
腰回りや肩に申し訳程度の紅布を纏っているが、本来はそれすらも必要無さそうに見えた。
それは、長い手足を持ち、四肢に雲を纏っていた。
雲は先程見た金色で、地面から浮いている。そして、足の下の雲に乗って身体を浮かせているようだった。
そして、それは何よりも……
「さ、猿?」
人間ではなかった。
妙にリアルな……『猿』だった。
「キッキッキ! 歓迎ご苦労さん! この中に『この世界で一番速いやつ』がいるって聞いたんだ。そりゃ、どいつのことだ?」
沈黙が訪れる。
この安全エリアに現れたことから、普通のモンスターの類ではない。しかし、容姿も人間とは思えない。人間がそんな姿にアバターを変化させているにしては、仕草が自然すぎるのだ。
そして、表示されるHPゲージの形式は……『プレイヤー』のもの。つまり、システム的にはプレイヤーとして扱われている。
どう対応すべきか判断に迷う『一軍』に対し、猿は気が長いのかポリポリと頭を掻いている。
そんな中……
『聞こえますか? 今、あなたの髪に付けた《囁き草》の「種」から話してます。返事はいらないので、聞こえたら少し強く七草の腕をつかんでください』
先程も聞こえた声だ。
鎌瀬は、抱き起こすときに無意識に掴んでいた七草の腕にかける力を強くして応える。
『聞こえてますね。あれは、「個別デスゲーム」のゲームマスターです』
(ゲームマスター……?)
鎌瀬の心の中での疑問に答えるように、七草の声が続く。
『このゲームの運営者は、「個別デスゲーム」によってプレイヤーのアカウントを奪い、プレイヤーとしてゲームに干渉することができる。七草が倒した分身体の死体を利用してプレイヤーに擬態したのと同じように、その「運営者」には知能の高いAIやNPCも含まれます』
(つまりアイツは、どこかのプレイヤーを殺して、その代わりにプレイヤーとしての立場を手に入れたってことか……だけど、それでなんで……)
『一番速いやつ』を探していると言っている。
そして、七草は鎌瀬に向かい『あなたが狙われている』と言った。
つまり……
「おいおい、居ねえのか? 泥野郎は確かに言ってたぜ。『このナイフの持ち主はこの世界での理論上最速の動きをしてた』ってな。だから『逆・失せ物探し』の術使って一週間がかりで見つけたってのによ」
猿が紅布から取り出したナイフはほぼ刃の部分以外残っておらず、残った部分も酷く焼けていた。まるで、柄の中に仕込んだ火薬を爆発させたかのように……
(あ……察した)
あれは、鎌瀬が使ったことのあるナイフだ。それも、火薬まで使ったのは練習以外では一度しか心当たりがない。
『理論上最速』……鎌瀬の『時間停止』を誤解を怖れず表現すれば、確かにそう言い表すこともできるだろう。
『……すいません、先日「あれ」がダンジョンに襲撃を加えてきたあの猿型キャラクターを撃退するため、興味を逸らす目的で情報を……』
(あいつの仕業か! 『沼男』あの野郎!)
一週間前と言えば、鎌瀬がミクを尾行していた日だ。その途中、七草が急な呼び出しでいなくなった。
おそらく、その時の用事が目の前の相手からの『襲撃』だったのだろう。
しかし……あの『沼男』が戦力として七草の増援を必要とした?
「おい……まさか、あの『沼男』が『倒せなかった』のか?」(小声)
鎌瀬のほとんど口すらも動かさない腹話術に近い質問に、七草は『わかりやすい数字』を使って答える。
『最終迎撃戦力に七草、「予備」、戦闘用NPCユニット「竹川千鶴」を加えた4ユニットが参加。その上で「固有技」を27枚消費し……「撃退」に成功しました。その際、相手に与えた最終ダメージは「0%」です』
(……『無傷』だと? あの化け物共が全力で戦って、『追い返すのでやっと』だったのか? ありえない……いや、あり得るのか? さっきの七草の『エヴァ』との正面衝突を受けきった『防御力』があれば……)
信じられない情報をどうにか納得できる理屈を見出そうと考えを巡らせる鎌瀬の視線の先で、猿が動き出す。
「まあ、いっか! この中にいるはずだし……全員と戦えば、わかるだろ」
「総員! 戦闘用意! 『ファランクス』発動だ!」
「「「おう! 『ファランクス』!」」」
攻略隊長の言葉に従い、百人の『一軍』の多くが持つ陣形中の互いのステータスを高め合う固有技が発動する。
そして……
「じゃ、行くぜ!」
「戦闘開始!」
戦闘が開始された。
壁のような盾の並ぶ隊列に『雲』をブースターのように使って加速し迷うことなく飛び込んでいく猿。
そして、最初に狙われた最前列の一人が剣で迎撃を試みるが……猿はそれを避けもしない。
「どっせい!」
頭を叩き斬らんばかりの強烈な斬撃を肩で受け、そのまま盾に身体ごと砲弾のようにぶつかる。
「ぐおっ!?」
そのあまりの『重さ』に、重厚な鎧を纏っているはずの騎士が体勢を崩し大きな隙を作った。
「いい一撃だったぜ!」
そこに入った猿の蹴りが、鎧の腹を強く打って彼を数メートル吹っ飛ばした。
その様子を見て動揺が広がる『一軍』だが、すぐさま隊列の穴を埋める。
「さあ、次はどいつかな?」
その一連の戦闘を少しだけ離れた場所から見て、鎌瀬はその戦闘スタイルに似通った戦い方をするプレイヤーを思い出していた。
(あれは、法壱や赤兎と同じ……『無敵状態』特有の防御を抜きにした戦い方だ。だけど、『無敵』な間は何らかのリスクがあるはず……法壱は防御力が跳ね上がる代わりに、極端に動きが遅くなった。赤兎は、使い続けるとHPを消耗するはず。もしも、その『リスク』を弱点にしない工夫ができるなら……確かに、『無傷』も納得できるかもしれない)
単純なステータス成長だけで、同等以上のレベルを持つはずの前線プレイヤーの攻撃をノーガードで受けるのは無謀だ。
ビルドによって自由に割り振れるステータスに偏りが生まれるにしても、レベル上昇に伴い全基本ステータスは自動的に底上げされる。完全防御重視のプレイヤーが攻防バランスビルドのプレイヤーに攻撃された場合、レベルが同等ならガードの上ならともかく急所なら大ダメージを負うことになる。
特殊な条件以外ではリビルドできないこのデスゲームにおいて明確な『ミスビルド』を出さないこの仕様では、『何も考えずにノーガードで特攻する』という戦略はありえない。
あるとすれば、単純なステータスの上に、固有技などの要素が乗っている場合だけだ。
(赤兎と同じリソースを消耗するタイプなら持久戦、法壱と同じ戦闘に制限がかかるならそれを探る必要がある。それか、防御にダメージ許容値があるなら一気に攻めるべき……)
鎌瀬の目線の先で、猿に挑みかかった『一軍』の騎士たちが攻撃が通じず反撃に傷を受けていく。
彼らも馬鹿ではない。素早くローテーションを繰り返し、個々のダメージをすぐさま回復可能な範囲に留めながら敵の情報を少しでも引き出そうと
暗黙の内に攻め方を変えている。
そして、鎌瀬の側にいる攻略隊長からその戦闘の様子が見えやすく配置を変えている。だからこそ、鎌瀬にもはっきりと戦闘の詳細が視認できる。
だが、敵が強すぎる……単純な格闘戦しか行っていないが、それが実力の全てを出し切らせているようには見えない。
元々、ボス戦でも相手が人間大の小さなタイプならメインは『戦線』に任せるように、彼らの陣形は小さな一人を追い込むのに向いていない。
弱点を晒させるほど、追いつめられてはいない。
「……七草、やつの情報をあるだけ教えてくれ」(小声)
鎌瀬は、あの猿を迎撃したという七草に情報を求めた。
七草は、『ほとんど見た通りのことだけしかわかりませんが』と前置く。
『正確なビルドは不明、しかしあらゆる種類と威力の攻撃を無傷で受けきる反則級の防御力と非常に強力な衝撃を生む攻撃力、さらにあの雲型装備の補助によるものと考えられますがスピードビルドの前線プレイヤーと比べても遜色ない機動力を持ちます』
本当に見ての通りの絶望的情報である。
前線のスピードビルド、ダメージディーラーと真正面から勝負できる機動力と攻撃力。さらにあらゆる攻撃を無傷で受けきる実質無限の防御力。
『どんな守りも貫く武器』でも持っていればそれを奪って防御を無効化できないかと試す気にもなるが、これでは弱点の糸口も見つからない。
『さらに、現在の戦闘ではまだ有効活用していませんが、あの雲は地面からどれだけ離れても自由に「飛ぶ」ことができます』
相手は空から落ちてきたのだ。
わかっていたことだが、悪い情報に過ぎる。
「あいつの性格とかは? 会話ができるなら、まだ交渉の余地もあるだろ。限に『沼男』はそうやって俺をあいつの狙いを変えさせたはずだ」(小声)
『はい、性格は典型的な戦闘狂……しかし、ある程度戦闘で満足させない限りろくに話を聞いてくれません。「あれ」が最初の段階で交渉に見せかけた騙し討ちを仕掛けても、そもそも交渉に応じる態度すら見せませんでした。それに……七草は十二回ほど「エヴァ・グリーン」として「あれ」に盾にされて命乞いしましたが、容赦なく殺されました』
仮に、鎌瀬が『一番速いのは自分だ』と名乗り出て交渉を試みたところで、それを罠だとして先制攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。七草の主張はそういうことだ。
実際、戦いたいだけのあちらからすれば、話し合いに利はないし、むしろそれで騙し討ちなどという白けることをされる方が嫌なのだろう。
『それと……』
そこで、鎌瀬は七草の言葉を聞きながら、戦闘を眼にしながらある違和感に気付いた。
『エヴァ・グリーン』を正面から貫通する破壊力を持った、実際にその威力を見せつけられた相手と交戦しながら……それだけ『容赦のない』相手に、騎士たちは『即時回復可能な損傷』で応戦できている?
そして、あちらはあれだけの機動力を持ちながら、何故わざと攻撃をノーガードで受けきる?
「そうか……あそこか?」
『猿』の金の眼と、鎌瀬の眼が合った。
雲に乗り、盾の陣形の上を槍や魔法を避けながら攻略隊長と鎌瀬、七草の前に高速で移動してきた猿が、獰猛な視線を伴って三人を見下ろす。
「一番強そうなやつと一人だけなんか違うやつ、一番速いのって、この内どっちかだろ? いい加減手下に任せてないでやろうぜ」
「な……」
「貴様……何者だ?」
『猿』の名乗りとほぼ同時に、七草の声が震えながら言った。
「キッキッ! 俺はまあ、色々呼び名はあるが今はオフだから名もなき猿だ、『石猿』とでも呼べ。さあ、名乗れよ最速」
『「沼男」はこの猿の正体をこう表現してました……思考実験悪魔「誰にも持ち上げられない石」と』




