266頁:特集『必見? 明かされる過去の断片』
一枚の写真が世界を変えることがある。
大企業の社長や政治家が異性と歩いている写真が経済に大きな波を立て、旅行客のカメラに写り込んだ軍事拠点の写真がテロに使われる。
もちろん、写真でなくとも手紙や通信音声も大きな情報を持っているが、人間は五感の中で最も視覚に影響されやすい。視覚情報を切り取った写真というものは、複合情報の映像などより捏造を疑われにくく信じられやすいのは、視覚にのみ訴えるインパクトが強いからだろう。
そして……世の中には、『知ってはならないもの』をカメラに収めてしまったばかりに、その一枚の写真のために命を落とした者も、数え切れないほど存在するのだ。
《現在 DBO》
9月7日。16時43分。
特別犯罪対策室にて。
鎌瀬は、静かに悩みを抱えていた。
最近、スパイとしての自分の活躍……そして能力に疑問を持っているのだ。
同時に、新しく発足した『特別犯罪対策室』という隠れ蓑を確かなものとするために精力的にギルド外の犯罪者の検挙に力を注いでいるが、ギルド内部の上層部の弱みなどの情報はほとんど進展がない。自意識過剰かもしれないが、会議の度に大した新情報を持ってこない自分は無能だと思われ始めていないかと不安が募ってきている。
「はあ……ていうか、七草も霜月もシラヌイも有能すぎるんだ。それに比べて俺と来たら」
「カマセさんの『固有技』も、一般的になかなかすごい便利だと思いますが」
それぞれの後ろ盾の都合で今部屋にいない七草と霜月に代わり、兼任している『資料管理室』の資料整理の仕事を持ち込んでいるシラヌイがそう突っ込む。
「だってな……まずあのここにいない二人、あいつらの能力って俺以上に(スパイとして)便利過ぎるだろ!」
鎌瀬が言っているのは、七草の分身たる『植物』や霜月の一部たる『影』を自身の手足のように操り、そして目や耳のように扱う能力のことだ。七草の場合は主にくっつき虫のような『種』を付け、霜月は『影』の一部を切り離して相手の体内や衣服の隙間などに忍ばせる。
それらは、二人のアバターとして扱われるため、ある程度位置もわかるし感覚も通じている。『種』は目がないので振動から音を感知する程度、『影』は逆に音は拾えないが明暗を感知し視覚的な情報を得ることができる。簡単に言ってしまえば、発信機付きの盗聴器や隠しカメラなのだ。
その他にも、七草は植物性のアイテムやオブジェクトを操作して誰にも見つからない場所に隠れたり物を隠したりできるし、霜月は他人に姿を似せて堂々と様々な場所に侵入できる。
「俺が今まで神経使って創意工夫でやってきたことをあっさりとやっちゃうし……種族値の差って残酷だな……」
「そんなに落ち込まなくても……固有技には戦闘とか生産とか情報収集とか、人により向き不向きがありますし」
「いや、それで言ったら俺あの二人に戦闘でも負けてるんだけど。霜月にもこの前試しに戦って負けたし」
「夜に強くなる人と夜に戦うからですよ」
「だってその時そんな性質知らなかったし」
「情報力も一つの力ですよ?」
スパイとして返す言葉もなかった。
鎌瀬はごまかすように顔を背け、話題を変える。
「それにしても、あの人以上に情報収集に向いた固有技なんてないと思ってたのにな……」
「あの人って……『恩人』さんですか? そういえば、彼女も探偵さんでスパイみたいなことしてたんでしたっけ」
「おい!」
「大丈夫ですよ、この部屋は扉さえ閉じてあれば外に情報が出ないように作られてますから……何分、機密情報も扱うかもしれないからと、そういう部屋を選んで使わせてもらいましたから」
万が一立ち聞きでもされたらと警戒してここでも『スパイ』という単語を使わないようにしていた鎌瀬は、今更明かされた事実に舌打ちする。おそらく、シラヌイは性格からしてただ単に情報を教え忘れていたわけではなく、鎌瀬がそうとも知らずに隠語などを駆使して苦心しながら話す姿を飽きるまで楽しんでいたのだろう。
「『恩人』さんのこと、聞かせてもらっても? どんな固有技だったんですか?」
「……仮にも別組織から来てるスパイに、ペラペラと喋るほど俺の口は軽くない」
「……いいんですか? 私は『教会』の興味に従ってここにいますが、ここでわからなければ組織の力を使って草の根を分けてでも探りたくなるかもしれません。それによって、秘匿すべき情報が一緒に露見してしまったり調べられたこと自体が明るみになったりしたときには……」
「脅す気か⁉」
「情報を胸の内に収めるだけでなく、適度に相手にカードを見せることで詮索を防いだりダミーでかわしたりするのは、諜報戦の基本ですよ。そんなアマチュアだから、自分が役立たずかもしれないなんて不安になるんです」
「年下からの指摘がキツイ!」
そして、実際スパイとしての優秀さにおいての差(潜伏期間&上層部からの信頼度)を見せつけられ、この隠れ蓑の命脈を握られている鎌瀬は何も言い返せなかった。
しかし、そのまま情報だけ喋らさせられるのも悔しいので、せめてもの抵抗を試みる。
「わかったよ……ただし、『恩人』のことを喋るってのは、『恩人』を助けることに協力してもらうためにって理由がないと、俺は納得できない。だから、本当にどうしても知りたいっていうんなら『「恩人」を助けるのを手伝う』って約束してほしい。もちろん、『恩人』の不利益になりそうな相手にこの情報を洩らすのは禁止、逆に『恩人』を助けるのに有益そうな情報があれば教えてくれ」
「最低限の交渉能力を見せようとしているのかもしれませんが、スパイ同士での口約束なんてあてにならないですよ。せめて、お互いにばらされたら不利益な情報を交換した上でその秘匿を条件にするくらいでないと……」
「生憎、俺はアマチュアなもんでな。これくらいしか思いつかないんだよ。あんたが万が一にでも、口約束に義理立てして彼女を守ってくれるかもしれないって思わなきゃ、秘密を喋る罪悪感で潰れそうになる……それだけだ。もちろん、口約束だから破ってもいいなんて言ってないからな」
「……ここで『マリー=ゴールドの名前に誓え』とか言わないあたりは、評価するべきなのかもしれませんね。わかりました、あなたの愛しい彼女さんを救うため、その手助けをするためには彼女の情報が必要ですから教えてもらいます。それなら、教えてもらえるんですよね?」
「嘘ついたらハリセンボン呑ますからな」
「子供ですかカマセさんは」
元より、シラヌイに口論で勝てるなどとは思っていない。
しかし、彼女が少しでも『恩人』に興味を持ってくれれば、ただの観察者に近い立場の彼女の協力を得られるかもしれない。そう思うことで、負けではないと無理やり思い込む。
どちらにしろ、シラヌイには元々どうしようもない弱みを握られているのだ。口約束でも、味方に傾いてくれるように促せれば御の字だろう。どちらにしろ『恩人』の固有技の情報は、彼女が目覚めない限りほとんど意味がないのだ。
「じゃあ、まず簡単に説明すると……『恩人』の二つの固有技は、情報特化型だ。『触れたものをカメラに変える技』と『念写』。どっちも『写真を撮る』能力だった」
『恩人』は戦闘職ではあったが、それは『調べられない場所』を作らないためだった。
そして、鎌瀬の知る『恩人』の二つの固有技は、その強い捜査意欲と探究心を体現していた。
彼女はゲーム初期から他のプレイヤーのために、様々な事件についての真相を探り、その証拠を集めていたのだ。そして、彼女がレベル50になって得たのが『盗撮』という固有技だった。
その能力は、『触れたものをカメラに変える』。それも、形状を変化させずに、撮影装置としての機能を使用者以外の誰にもわからない形で付与するのだ。
たとえば、適当な野良猫や虫、モンスターに触れれば、その眼にあたる部分が『レンズ』として機能し、動かない木石やアイテムなら触れた部分が『レンズ』になる。そして、『恩人』は片目の視界を『レンズ』から見える情報に切り替え、手許の自分にしか見えないスイッチでシャッターを切る。
飼い慣らした街中の小動物や伝書鳩を使って忍び込ませてもいいし、贈り物として『カメラ』にしたものを送りつけてもいい。単純に、現行犯などを捕まえたときにとっさの証拠として適当な物で写真を撮ってもいい。
撮った写真は『恩人』の手許で現像される。
この能力で、『恩人』はいくつもの事件において犯人の隠した証拠や密会の瞬間を押さえてきた。
「へえ……なんとも、便利な能力ですね。確かにそれは、他人にも見せられる証拠が残る分、楔さんや霜月さんより使いやすそうです。でも、片方がそういう技だとすると……もう片方はもしかして、『カメラを用意していなくても遠くの対象を撮れる』とかですか?」
「まあ、外れずとも遠からずってやつだな。でも、こっちは強力だったけど、そこまで便利じゃなかった」
「なんですか? もしかして『一度使うごとに馬鹿高いインスタントカメラをぶっ壊さなきゃならん』とかってやつですか?」
シラヌイも本格的に興味を引かれ始めたらしく、身を乗り出して問いかける。
「いいや、そもそも『千里眼』みたいなただ『遠くを見る』ようなタイプじゃなかったんだ。あれは……このゲームのログにアクセスして、『過去の事実』を写真に収めることができる。そんな技だったんだ……誰にもいうなよ?」
オーバー100『残像投影』。
触れた対象の『過去』の一瞬を切り取って写真に収めることができる……簡単に使用例を言ってしまえば、容疑者に触れて犯行時刻と思われる時間の写真を撮れば、犯行の瞬間が映る。
触れたものを『カメラ』にする固有技に対し、触れたものを『被写体』にする、そういう技だ。
「なんですかそれ……もはや『探偵』っていうか、『超能力捜査官』ってレベルじゃないですか? それが出来たら、どんな情報でも手に入るじゃないですか」
シラヌイが先程とは一転、心底信じられないという顔をしているが、鎌瀬は首を横に振る。
「それほど便利じゃない。実際にやってるところを見せてもらったことはないけど、『被写体』は指定できても『角度』『距離』『時間』なんかは指定が難しいらしいし、さすがに仮想空間のログもずっとは残ってないらしくて、あんまり遠い過去の瞬間は撮れなかったんだ」
「実際やってるところを見せてもらえなかったとは……」
「他人と一緒にいると使えない、一人きりの暗い密室でしか使えない技だったんだ。それになんか難しいことはわからなかったけど、乱数調節っていうのか? さっき言った不確定要素を操作するために、その技を使うときは『恩人』は一人で部屋に籠もって鏡やら時計やら置物やらを少しずつ並び替えて調節してた」
「なるほど……もしかしたら、風水や占星術をモデルにした固有技かもしれませんね。あるいは、強力過ぎる能力を気軽に使いすぎないように制限を付けられていたか……それでも、強力なのにはかわりありませんね」
「まあな、『視点』があらゆる障害物を無視して存在できる分、壁や地面の中に潜っちゃって真っ黒とか視界のほとんどが塞がってるなんて写真が多かったけど、逆にそれらを無視して隠し部屋とか収納具の中とかを覗くこともできた。ま、そのまま証拠として使うことはなかったけどな」
「完全に『盗撮』であり、しかも他人といる時には使えない……つまり、常に『捏造』の可能性を否定できない念写だからですね。なるほどなるほど、確かに仮に心が読める探偵がいたとして、その人物が犯人とされた人物を陥れようとしていないとは言いきれない。捜査の参考にはできても証拠にはならない。いい設定ですね」
「それに……たまにその、『見えちゃいけないシーン』が写っちゃうこともあるらしくてさ。その……裸とか、すごく個人的な趣味とか……。触られたらそういうプライベートを見られるかもしれないってなったら、誰も触らせてくれなくなるだろ?」
「何が写ってしまったのかは知りませんが、まあ他人に知られない方がいいのは間違いありませんね。それに……そんな技を知られては、後ろ暗い人に偶然で触れてしまっただけでも『見られてはならないものを見られるかもしれない』と思われるかもしれません。あるいは、本当に何か『見てはいけないもの』が偶然写真に写り込んでしまい、それを調べていて何者かに目を付けられたのかもしれませんが……それならば、ずっと一緒にいたカマセさんが知らないところでなんらかの陰謀に巻き込まれたというのも、あり得ない話ではないです」
そう、強力な能力を持つということは、それを脅威だと感じる者から疎まれる可能性があるということだ。だからこそ、強力な固有技を持つプレイヤーほど親しい者にしかそれを明かさない。
今、鎌瀬がシラヌイに『恩人』の固有技を話しているのも、本当はかなり危険なことだ。しかし、『教会』の『興味』であるシラヌイが組織力を用いて強引に『恩人』のことを調べれば、断片的な情報が拡散する可能性もある。
仮に『細かい制限は不明だが、過去の好きな瞬間、好き場所の写真を撮れる』などという曖昧な情報が出回れば、撮られたくない過去を持つ全てのプレイヤーから狙われる可能性だってある。
だからこそ、鎌瀬は無闇に情報を洩らしたり劣化させたりしないシラヌイにデメリットまで含めて全てを話しているのだ。
「わかりました、確かにこの情報はあなた方に肩入れするだけの価値はありそうですね。安心してください、私もスパイの端くれとして、そして『端末』として、この情報の重要性くらいわかっているつもりですから」
「肩入れしてくれるのはありがたいけど、『俺たち』じゃなくて『恩人』にな。万一の時は絶対に俺より『恩人』を護ってくれ」
「なかなかに一途ですね。そういうかっこいい発言を、『恩人』さんが目覚めたときのためにわたしが記録しておいてあげましょうか?」
「やめてくれ、恥ずかしくて死ぬ」
誰よりも『恩人』のことを考えて行動しているのに、それを誇ったり恩に着せたりせず、ひた隠しにして無私の心で動く。
ある意味、『恩人』が一番恵まれたのは固有技などではなく、信頼して自分の全てを預けられる相手がいたことかもしれない。
「……で、その最後で最大の味方であるはずのカマセさんが、その『恩人』さんを救うための調査で目下手詰まり状態でこうして部外者に情報を洩らしながら愚痴をこぼしていると」
「そういうこと言うなよ、別の意味で死にたくなる。ま、実際手詰まりっていうか、下手に動くと注目されるような状態でどこから手を着ければいいのかわからなくなってるけど……」
鎌瀬は口には出さないが、自分の非力は痛感している。
『恩人』だけを信じ、過信し、それが最大級の裏切りとなってしまったことを自覚している。
そして理解している……自分一人だけで彼女を助けられるわけがない。自分だけが彼女を護れるなどというのは傲慢だ。
(マリー=ゴールドなら……俺やシャークさんがドジってリタイアしても、『恩人』を任せられるかもしれない……いや、もし無事に彼女を救えても、こんなに犯罪者に傾いた俺じゃあ……)
「どうしました? 難しいこと考えすぎて熱暴走直前みたいになってますよ? おバカさんなんですか?」
「うっせえ、勝手に俺に変な属性つけるな」
鎌瀬は否定の言葉は口にするものの、心の中で否定しきれず言葉には力がない。
しかし、それでは張り合いがなかったのか、シラヌイは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうですか……なら、ここは一つローリスクなところから手を着けてみませんか? テコ入れ的な意味でも。面白い話を聞かせてくれたお礼に、個人的にこのギルドを調べる糸口をあげますよ」
「そんな都合のいい情報があるのか? 怪しいな……この悪戯小娘に担がれてもろくなことなさそうな気が……」
「まあまあ、悪戯小娘だからこその視点もありますよ。それに、今回はその『怪しい』っていうのが重要なんです」
「……参考までに、教えてくれ」
口先での勝負では勝ち目がないと諦め、一歩引いた鎌瀬に詰め寄るように、シラヌイは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「『攻略連合七不思議』……というのを知ってますか?」




