1頁:準備運動は必要ありません
ゲーム内からのスタートを考えてた方々、すいません。
次回からはオールゲーム内の予定です。
行幸正記が天照御神からアカウントを受け取った週の日曜日、午後6時45分。
ゲーム開始まであと15分まで差し迫ったところで、正記の脳内に無機質な電子音が響いた。
視界の隅に『Call from 師匠』という小窓が出現する。もうあまりにも見慣れた通話受信のサインだ。
「もしもし、師匠?」
前訂正されたので今度は『ミカン先輩』ではなく『師匠』と呼びかける。
正直言うと、このテレパシーみたいな通話は苦手だ。相手が見えないのに声だけが聞こえるというのは少し気味が悪い。一昔前なら通話用の端末類を相手の代わりとして見る事も出来たが、これは独り言に返答が帰って来るみたいでどうにも慣れない。
正記は意外とアナログな人間なのだ。
『もしもし、最終確認いいかな?』
「ぅぅ……どうぞ」
『……今何してるの?』
「足の指先を掴んでます」
『その前は?』
「背中の方で両手をくっつけてました」
『……準備体操?』
「あ、ちゃんと聞いてますからどうぞ」
正記は準備体操をしていた。
自分の部屋の床の上で、ラジオ体操から関節の曲げ伸ばしまで一通り済ましていた。
『こんなこと言うのもあれだけど……VRゲーム前に無駄なことしてるね。あと、やっぱり人と話すときは一旦作業中止した方がいいよ』
「準備運動は気分の問題ですよ。それに、同時にできることは並行した方がいいとオレは思ってます」
『大人になったら損するよそれ。仕事受けすぎて忙殺されるよ』
正記は軽い口答えをしながらも準備運動をやめてベッドに腰掛ける。
正記は基本的に『師匠』の言うことは聞く。
軽い反論をしながらも間違いを指摘され従うというのが、正記の中での『理想的師弟関係』だからだ。
『じゃあ、確認するよ? ダンジョンでは?』
「トラップに注意」
『ボスモンスターとの戦いでは?』
「一撃必殺と狂乱状態に注意」
『レアアイテムをドロップしたら?』
「自慢しない。盗まれないように隠す」
『よしよし、基本事項はしっかり覚えてるね。まあ、心配いらないだろうけどモンスターとの戦闘でパニックになる人もいるからね。冷静な対処を心掛けて』
「どんなモンスターでも師匠……ミカン先輩より強いことはないと思います。ミカン先輩が負けるシーンなんてイメージできないし」
正記は敢えてここでは『師匠』ではなく『ミカン先輩』と呼んだ。師弟関係ゆえの買い被りなどではなく、天照御神という一個人を正記の目から観察した結果だということを伝えたかったからだ。
『ふふふ、まあ、私も君がパニックに陥るシーンなんてイメージできないけどね。ゾンビ君』
「そのあだ名はやめてくださいよ。オレには行幸正記ってちゃんとした名前があるんですから」
正記は、自分のあまり好まないあだ名で呼ばれても平然と返す。
そのあだ名は、良くも悪くも彼の本質をついた物だったから、今更不快にはならない。
正論を言われて傷つくなら、それは傷つくほうが悪い。
「それじゃまるで、オレに『昔死にそうな目にあって奇跡的に生還した』なんて変な主人公みたいな設定があるみたいじゃないですか」
まあ、実のところミカンの理不尽な攻撃で何度も本気で生命の危機を感じていたりするが、それはノーカウントだ。ミカンからしたらただのおふざけなのだから。
ミカンは笑いながら言葉を返す。
『いいじゃん、主人公の何が悪いの? それに、これから未完成な君は主人公になりに行くんだよ』
正記はこの時、少しだけだがミカンのことを大げさな人だと思った。
だが、ミカンの次の言葉でその思いは払拭される。
『「護身術」も全部解禁するから、必要になったらいつでも使いなさい。出し惜しみして負けるのは承知しない』
「……本気ですか?」
『護身術』というのは正記がミカンから教え込まれたミカンの格闘技術の隠語だ。
普段は喧嘩などでも『護身術』を正記が使うことはない。何故かと言えば……危険だからだ。
一般人相手に格闘技を全力に振るえば、ただの喧嘩だろうと殺人事件になりかねない。
『私は本気で勝ちなさいと言ってるの。今時の若者にありがちな「本気出すのはかっこ悪い」みたいな考えを持ってる「フリ」なんてせずに、私を超える気でプレイしなさい』
「……わかりました。師匠がそこまで言うなら、オレもなりふり構わずやりますよ。周りがドン引きするくらい全力でプレイしますよ。師匠の予想の上を行きます」
『さすが、それでこそ私の弟子よ。弟子の中でも二番目くらいに有望だわ』
「二番目? 他にもいたんですか?」
正記には初耳だった。まさか他にも被害者……弟子がいるとは思わなかった。
『まあね、言ったことなかったっけ?』
「ないです」
『そだっけ……まあ、一番の子とは馬が合わなさそうだし、言わなかったかもね』
一番弟子という言葉に少し反応する。
自分より優秀な弟子……興味を抱かないわけがない。
「どんな人ですか? というか、人間ですか?」
『ははは、安心して。生物兵器とかロボットとかってオチじゃないから』
正記は少しだけ安堵する。
この自分勝手な師匠なら、本気で破壊兵器なり人造人間なりを造って『弟子』と呼んでいてもおかしくないからだ。
もし、その類で彼女が『最高傑作』とよぶ物があったら、ハリウッドのアメリカンコミック映画並みに人類の危機が迫っている。
『でも、あの子の性能は金メダル級よ。分野次第では人類一……私も超えるかもね』
「イメージ出来ません」
行幸正記が知る限り、ミカンは人類最高のスペックを持つ人間だ。人類の命運を分ける宇宙人の総合大会でもあったら、正記は間違いなく天照御神を『人類代表』に指名すると決めているくらいだ。
『ま、今はイメージできなくても「そのうち」会えるかもしれないしね。世間は狭いから』
あからさまに伏線を張るような言葉に正記は突っ込まなかったが、ただの余談とも思えなかった。
もしかしたら、この通話も今の一言を言うためだけにして来たのかもしれない。そう思った。
『あ、もしどこかで会ったら仲良くしてあげてね。扱いが難しくて危なっかしいかもしれないけど、味方のうちは凄く心強い味方になるよ、たぶん……あ、そろそろ時間だね』
「ちょっと、師匠!?」
『じゃあね!!』
そう言って、ミカンは急いで通話を終了した。
いきなり通話を切られた正記は呟いた。
「いやそれ、死亡フラグじゃね?」
映画で『実験段階の兵器』をボスに渡された悪役のような気分だった。
同刻、行幸正記の家から少し離れた街。
そこは高すぎる人口密度をごまかすために地上や地下に空間を作って、人間が生活できる空間を無理やりに拡大した摩天楼となっていた。
工業系の会社が多く、様々な研究や情報の交換がされている街。
そんな場所にはスーパーコンピューターも珍しくない。
しかし、中にはその存在が他に漏れていない極秘扱いのものもある。
ある会社のビルの地下深くの『秘密の部屋』にそれはあった。
普段の使用目的は『新型のプログラム開発およびその他の演算補助』。だが、ものとは必ずしも本来の目的に用いられるとは限らない。
人知れず世界最大の演算能力を発揮しているそのコンピューターの中に、物言わぬ機械の演算機構の中に、その『心』の中に、強大な『悪意』のプログラムが潜んでいることを行幸正記は知るはずもなかった。
これからはできるだけ定期的に出します。