261頁:特集『計算外の事態! 最大の誤算!』
最も重要なことは、戦いに勝つことではない。
最も難しいのは、きちんと戦いを終わらせることである。
最も簡単な戦いの終わらせ方は、もう二度とお互いに会わないこと。
最も未来ある戦いの終わらせ方は、味方を増やすことだろう。
《現在 DBO》
「や……やったか?」
そう口走ってから、内心で『しまった』と思った。この『やったか?』というのは縁起がよくないので相手を倒せたか不安でも言ってはいけない言葉だと、シャークからは耳にたこができるほどよく言い聞かされたのだ。
しかし……やはり、つい問いかけずにはいられなかった。
右腕喪失、武装は片手では使えないパチンコとナイフ一本、全身はマグマの熱で負傷してHPも一割以下のレッドゾーン、EPも2%程度しか残っていない。
これで倒し切れていなければ……本気で、打つ手がない。
「い、いや……いくらなんでも、マグマの波に呑まれて無事なわけがない……仮に生きてても、俺以上に満身創痍なはずだ……あんな中にいたら、たとえ『イヴ』でもただじゃすまない」
まず第一に、岩をも溶かす高熱のダメージ。
鎌瀬のような高レベルプレイヤーでも、胴体や頭にマグマをかぶれば致命傷になりかねず、手足でも部位欠損は避けられない。
第二に、マグマの持つ水以上の粘性。
溶けていても、溶岩は『岩』なのだ。下手な枷などとは比べものにならない重さがあるし、足が浸かっていれば仮に足が溶けていなくても歩いて岸まで移動することなど簡単にはできない。泳ぐなどもってのほかだ。
そして、何よりたとえあちらにマグマに耐えうる手段があったとしても、それを発動させる暇など与えなかったのだ。妙なディスクを取り込む時間も、アイテムを取り出せる時間すらも与えず、遠くに見えたはずのマグマの波が一瞬で目の前に迫っていたはずなのだ。たとえスキルを多重掛けして耐えようとしていても、マグマは一撃限りの爆発ではなく浸かっている限りダメージを与え続ける『環境』なのだ。良くても耐えるので精一杯だろう。
僅かに脱出の可能性があるなら瞬間移動の類だろうが……マグマの波にぶつかり、呑まれる瞬間を見ているのだ。かなりのダメージは受けているはずだ。
仮に生きていたとしても、ここにいなければ……回復に時間のかかる負傷をしていてくれれば、『11番』と一緒に脱出できる。
負傷さえ、してくれていれば……
カツン
部屋のどこかから、自分のものでも、マグマの流れによるものでもない音が聞こえた。
「っ!!」
鎌瀬は地面を転がって倒れたまま、音のした方向へ目を向ける。
その直後……
ズアッ
鎌瀬は、全身の熱さに紛れて何かもっと熱いものが足の上を滑っていったような感覚を覚えた。一瞬で何が起きたかわからなかったが、もしやマグマの『飛沫』でもかかったのではないかと、さらなる熱に怯えながら自身の足を確認する。
すると、そこには……
真っ赤に加熱された半透明の刃と、焼けた『断面』をさらす右足首があった。
「が、がぁああ! まさか!! そんなバカな!!」
信じられない事態に絶叫しながら、半分だけ残った手足で這うように後ずさる。あまりに素早く斬られ、しかも刃が熱されていて出血分のダメージがなかったためだろうが、足への一撃は致命傷にはならず、しかしその分一点集中したダメージは見事に足首を切断していた。
そして、移動したことで、自分の脚が邪魔で見えていなかったものが見えてくる。
地面から生えた透明な刃……そして、その回りの地面に広がりながら赤熱していくひび割れ。
そこから顔を出したのは、このマグマを噴き出したクエストのタイトルにもなっているモンスター〖溶岩魚〗だ。だが、鎌瀬は知っている。〖溶岩魚〗は、マグマから飛び跳ねて、あるいは肺魚のように這い上がって襲ってくることはあっても、地面を掘り進んでの奇襲など仕掛けない。
それに、あの透明な刃は〖溶岩魚〗のものではない。
あの刃は……『溶岩魚』を体内から貫くようにして生える、あの刃は……
『さっきぶり』『寂しかった?』
鎌瀬の足首から下の部分が透明な刃に串刺しにされて〖溶岩魚〗の出てきた穴に消えると、穴の闇の中にそんな文字が浮かんだ。
そして、這い上がってくるマグマに濡れた人型の、体表が岩でできたモンスター……いや、モンスターではない。
ボロボロと崩れる岩の衣を払い捨て、『それ』は……その怪物は、顔に文字を浮かべた。
『Swamp Man』
「な、なんで……いくらなんでも、マグマに呑まれたら……対策を取る時間もなしに……」
混乱する鎌瀬の前に、『沼男』の口の辺りから何かが吐き出され、転がってくる。
それは、彼自身が相手の動きを封じようと、氷漬けにしてしまおうと用意し、不発に終わったアイテム《薄氷の橋》の空瓶。
水蒸気で吹き飛ばされ、そのままなくしたものと、鎌瀬はその存在すら忘れていたものだ。
だが……
「まさか……俺の手放したそれを回収してたのか……そして、それを使って自分の周りマグマを『凍らせた』のか?」
《薄氷の橋》は『使い捨ての通路を作る』という、ダンジョンギミックとしての特性の強いアイテム。湖で行き止まりになる『絵』の出口から別の出口へ、水面を凍らせて道を作り、安全に通過するアイテム……フレーバーテキストには、そのような使い方が書かれていた。
だが、鎌瀬はそれを道を作るだけでなく、他のことに……水中にいる敵を封印するために使えるのではないかと考え、実行しようとした。
そして、『沼男』は……それを自らに、それも『溶岩』の中で使ったのだ。
溶岩で通れない場所を冷やして道を作る。高温の溶岩だろうと、冷えてしまえばただの岩になるというのはVR以前の2Dゲームの時代にはよく使われていたギミックだ。このダンジョンでもそのギミックが採用されていたとしたら、自分に触れる直前のマグマを冷やし固めて、ダメージを遮断してしまえるかもしれない。
そして、隙間から伸ばしたガラスの血管で近付いてきた〖溶岩魚〗の体内に『浸入』し、岩盤を掘らせ、マグマから引き上げさせた。鎌瀬の足を切断したのは、『足場』を作るアイテムである《薄氷の橋》の効果を完結させ、邪魔になった岩を砕くのに効率がよかったからだろう。
しかし、鎌瀬が恐怖したのはその『発想』ではない。
あの時、《薄氷の橋》は『沼男』を中心とした水蒸気爆発で吹っ飛ばされたのだ。偶然に回収されることなど、ありえない。
『読まれて』いたのだ……鎌瀬が最終的に、この場所で勝負を決めようとしていることが。
この、策を出し尽くし、武装を失い、自らの意志で満身創痍になり、そして敵を打倒したと思い込み油断した瞬間、その光景を『予知』し……もはや、時を止めようと逃げられないように『足』を奪ったのだ。
鎌瀬は、完全に手玉に取られていた。
そうとは知らずに踊らされていた、道化もいいところだ。
「チクショウ……マグマに沈められても平然と復活とか、どこのチート生物だっての……宇宙に追放されろ」
挑発的な口調で威嚇するが、もう反撃の策など残っていない。
時間を稼ごうがもがこうが、状況を打破できるカードなどない。本当に詰みだ。
『沼男』は、鎌瀬が満足に動くことの出来ない状態であるとわかりきっているからか、わざと緩慢な動きでゆっくりと手を伸ばしてくる。
普通の人間なら、立ち上がれない鎌瀬が立ち上がるのに手を貸そうとしているように見えるかもしれないが、この場合は違う。
その手を取れば、その手に触れれば、ガラスの血管から同化され、ウイルスを流し込まれる。人間の鎌瀬がどうなるかはわからないが、無事ですむことはないだろう。そもそも、もうHPもほとんど残っていない。足首の切断でさらに削られたHPは残り数%しかない。
(ま、残り一割だろうが十割だろうがここまで追い込まれてたら足のダメージなんてあってもなくても同じだろうけど……そういえば、あの時……足首を斬られたとき、あれは何の音だったんだ?)
足首を切断された時、鎌瀬は確かに何かの物音を聞いた。それに気を取られていなければなどとは言わないが、状況を考えると明らかに鎌瀬でも『沼男』でもない誰かの立てた音だ。
(『絵』か? ……いや、もし、万が一『4番』が俺を心配して見に来てたりしたら……それはヤバい! それだけは確認しないと!)
『4番』が自分が戦っているのを察知して駆けつけてくる可能性……それは、楽観的な希望ではなく、絶対に避けなければならない事態だ。
仮に彼女が助けにきてくれていたとしても、それで状況がよくなるとは思えない。むしろ、彼女が『沼男』の前に姿をさらすというのはそのまま消滅の危機に繋がる行為だ。
鎌瀬は目だけで音のした気がする方向を注意深く見た。もしそこに『4番』がいれば、なんとかして『逃げろ』と伝えるために。そのためならば、いたぶられようがなぶられようが、時間を稼ぐことに全力を尽くす……その決心は、拍子抜けすることとなった。
(女……だけど、『4番』じゃない。あれは確か……『七草楔』……だったか。そうか……囮にした俺の最期を、遠巻きに確認しにきたのか……)
そこにいたのは、どこかある人物の面影のある、死んでも死なない人外の少女。岩陰に隠れてこちらを見ているので表情などはわからないが、確かに彼女だ。
安堵すると同時に、複雑な感情が湧き上がる。
思えば、鎌瀬がここに連れてこられたのも、元々は墓参りしにいっただけの鎌瀬を襲い、無理やり拉致した七草楔のせいだ。
その目的も、正体も、今まで鎌瀬が追われている間どのように動いていたかもわからない。その目的が達成されたかどうかもわからないし、何故この場に都合よく居合わせられたのかもわからない。
当然だ。
彼女はただ、鎌瀬を利用しただけなのだ。利用された馬鹿な道具に、必要以上の情報を与える必要はない。
鎌瀬は『沼男』に負けたのではなく、本当は彼女に負けたと言うべきなのかもしれない。墓参りの時のあの一戦の延長として、鎌瀬がステージギミックのマグマを武器にしたように、七草楔は『沼男』をぶつけてきた。
鎌瀬は負ける……戦士としてではなく、情報と策を操るスパイとして、完膚なきまでに。
だが……
(どうしてここにいる? 『墓参りの一戦の延長』? 『情報』……『諜報』、『スパイ』……『発信機』!)
鎌瀬の脳裏に閃くものがあった。
この状況を打破できるかはわからないが……『灰色の女性』は言っていた、『後一人で容量一杯で大人しくなる』と。
ならば……試してみる価値はある。
利用されたなら……自分の手札がないなら、他人のものを使う。
「七草!! 道連れだ!!」
鎌瀬は残った左手で『沼男』の手を掴み返すような動作をした。少なくとも、岩陰からしか状況が見えていない七草からは、掴み返したように見えるはずだ。
そして、その手を自分の腹へ……七草との戦闘で、タケノコで貫かれた場所へと押し付ける仕草をする。
すると、岩陰で七草が目を見開いたように見えた。
そして、腹の中から喉へと、何かがせり上がる感覚。嘔吐に似ているが、出てくるのは液体ではなく小さな固い何かだ。それは細い脚のようなものを使って自らの力で上がってくる。
まるで、汚染される密室から逃げ出そうとするように。
そして……鎌瀬は、喉まで来たそれを不快感に耐えながら、自らの手で引き抜いた。
七草楔に植え付けられ、おそらく発信機のような効果を発揮し続けていた『種』を。
鎌瀬はそれを逃がさないように指先で強く摘まんだまま、『沼男』へと向けた。
「『生贄を差し出せば見逃す』って話だったな……だったら、『こいつ』でその生贄に足りるか?」
種から脚のように生えた根がびくりと震え、もがく。
やはりそうだ。この種は発信機としてだけでなく、盗聴器としての機能がある。そうでなければ、鎌瀬がいつ『沼男』を引き離していてくれるかわからない。
おそらく、これはナビキの『黒いもの』や『サキュバス』の予備の命と同じ、『分身』なのだ。
だとすれば……
「や、やめてください!! それだけは……」
岩陰から飛び出して向かって来る七草は必死の形相だが、もう遅い。
鎌瀬は、コイントスでもするかのように種に親指を引っ掛けた。
「イヤだね。俺を巻き込んだのはお前だ、責任取れよ」
指で弾かれる種は、為すすべもないまま宙を舞う。そして、『沼男』はそれに向けて手のひらを広げ、五本の指先から伸ばしたガラスの血管で突き刺し、絡め取った。
分身がダメージを受けようと、七草自身がHPを削られるわけではないだろう。だが、感覚が繋がっているなら……『ウイルス』だけは、どうすることもできない。
ガラスの血管が脈打ち、『種』から生えた根が痙攣したようになる。
すると、岩陰から飛び出しかけていた七草の動きが止まり、その後ゆっくりとぎこちなく……まるで、糸に操られる人形のように、自ら『沼男』の方へと足を踏み出した。
「や……いやです……それだけは……」
怯えた声を発しながらも、歩みが止まることはない。それはおそらく、その動きが彼女の意思によるものではなく、ウイルスを介して強制されているものだからだろう。
『沼男』は、もはや鎌瀬に興味はないと言うかのように七草へと顔を向け、その到着を待っている。
「じ、《常緑》! 助けてください! 早く! なんとかして」
七草は自身の武器であり、副人格であり、おそらく本体でもある木刀《常緑》に助けを求めるが、その意思を告げる腹部の第二の『口』は、しばしの沈黙の後に答える。
『……無理ね。わかってるでしょ? 私を……私達を生んだのが誰か。それに、私の役割は七草を守ることじゃない……見守るだけだよ。ごめんね、もうちょっと上手く育って欲しかったけど……こうなったら、私も七草も終わり……』
「そ、そんな……」
七草は、なすすべなく『沼男』へと近付いていく。
あと、7歩と言ったところだろうか。
直接触れられてしまえばきっと、『4番』のように取り込まれてしまうのだろう。
そして、鎌瀬は助かる。
自分達を巻き込んだ、正体も知らない、人間ならざるものを身代わりにして。
「もう、嫌なんです……あなたに食べられるのは……もう、ゆるしてください……」
あと6歩。
しかし、人の情を有さない『沼男』に命乞いは通じない。
「二度と逆らいません……服従します……屈服します……勝手なことなんてしません……叛逆なんて考えません……だから、『私』を消さないで……」
あと、5歩。
怯えた様子の七草に、『沼男』は首を傾げて文字を浮かべる。
『怖い?』『わからない』『七草楔』『⊂』『オレ』『落とし子』『一部』『分身?』『元に戻る』『それだけのこと』『安心』『バグ』『修正』『次回作』『もっと』『改良』『いい子』
あと、4歩。
七草は命乞いが通じない……いや、そもそも相手が『嫌がられる理由』を理解していないということを理解し、顔を絶望の色に染める。
その様子を見て、鎌瀬は思った。
(自業自得か……勝手に俺を巻き込んで、勝手に反撃されて、勝手に自分の仕掛けた罠で自滅する……本当に、どうしようもないやつだな。『4番』と同じ消され方をするんだ、ピッタリの末路だろう)
あと、3歩。
七草の歩き方にぎこちなさが増す。足を止めようと抵抗しているらしいが、歩みは止まらない。
(結局、こいつは何なんだろう……どっかナビキに似てるし、死んでも蘇るし、俺をこんな場所に放り込むし……正体も、何がしたかったかもさっぱりだ。まあ、でももう知る必要もないのか……こいつは消える、泥沼の闇の中に……もう、こいつの正体や目的も無意味になる)
あと、2歩。
もはや、七草は何も言わず、歯をかみしめて射殺すような殺意のこもった眼で『沼男』を睨むが、その殺意は鏡のように反射する眼に映り込むだけで、心に届きはしない。
(俺にとっては、とんだ疫病神だったな……ナビキの墓参りしにいっただけなのに、突然襲われて、拉致られて、巻き込まれて……俺って、ナビキにそんな怨まれることしたか? 正直言って、確かにあいつをひどい目に合わせた組織の一人ではあるけど、個人的にはそこまで怨まれる憶えはないぞ。感謝しろって言うような立場でもないけど……そんな、感謝したり怨んだりできるほど、深い関係じゃなかっただろ? どっちも、変な理由で組織に入って、表では別の組織で何食わぬ顔で生活してて、スパイ同士で仲良くなるなんてことなかっただろ?)
あと、1歩。
『沼男』が胸に飛び込む子供を抱き止めるかのように、腕を大きく広げる。
そして、七草が恐怖から逃れようとするかのように目をつぶって顔を背ける。
(ナビキ、あんたにとって俺は……俺にとって、あんたは、ただの……)
あと……
「ぃったい! 何なんだよテメエは!!」
気付けば鎌瀬は、ナイフを片手に両者の間に割り込んでいた。
それは、その場の誰一人……鎌瀬自身すらも予想していなかった、予知し得ない事態……本日最大の誤算だった。




