247頁:特集『幻惑注意! 幻覚空間迷走編』
今回は少しドロドロ気味のお話です。
「ごめんね鎌瀬くん。これからは、ダンクさんの側についていてあげて欲しいの。私にしてくれたみたいに、大切に守ってあげて欲しい。勝手だとは思うけど、『みんな』の方もしばらくは会えないから……そっちは、鎌瀬くんからお願いね」
三月上旬のことだった。
『恩人』が突然、鎌瀬に向かってそんなことを言ったのは、『あの事件』が起きる三週間ほど前……だったはずだ。
犯罪組織『蜘蛛の巣』が、望まぬ戦争へと走り出した時期。
心を壊したナビキが、『イヴ』として力を付け始めた時期。
ギルドが安定し、ギルドマスターのダンクとサブマスターの『恩人』が正式に男女としての交際を発表し、堂々と犯罪組織のメンバーと話すことも少なくなっていた時期。
鎌瀬は、『恩人』のその言葉を聞き、心の中に『捨てられた』という気持ちと『やっぱりそうなったか』という気持ちが同時に生まれた。
そして、口から出たのは……
「うん、わかった。今までありがとう」
そんな、何一つ皮肉や抵抗を込めない潔い言葉だった。
彼女の役に立ちたいと思っていた。
彼女の手足のように、道具のように、使ってもらえれば……利用してもらえれば、それでいいと思っていた。
彼女の『信頼』を感じられるだけで……信じられているという実感が得られることが、一番の幸せだと思っていた。
そしてこの時、鎌瀬は『捨てられる』ことで、『道具』として彼女の物と認められたと思った。
この少し前から、鎌瀬は犯罪組織との連絡役を務めていた。サブマスターとなった『恩人』は、シャーク達と表立って連絡を取れなくなっていたからだ。そして、ダンクはそれに一定の理解を示していたものの、やはり恋人に人の恨みを買うことや危険な人間に接することの多い『弁護士』としての活動を全面的に肯定していたわけではなかった。
だから、『恩人』とダンクの関係が確かなものになった以上、いつかは裏の世界から足を洗うことになるかもしれないとは思っていた。何しろ、彼女は悪事を行っていたわけではない。
むしろ、表側の誰よりも正しいことをしていたと信じる鎌瀬やシャーク達は、彼女の『引退』を惜しみながらも、それを認め静かに祝福した。ミクなどは『寿退社』と冷やかすほどだった。
鎌瀬を手放すということは、いざ犯罪組織との繋がりを疑われたとき、鎌瀬が独断で犯罪者から情報を集めていたと出来るということ。
そして、鎌瀬をダンクの側に置くということは、裏の世界との縁を切ったことを彼に証明するということだ。
鎌瀬は、ダンクに対しては複雑なものがあった。
誰よりも『恩人』と一緒にいた鎌瀬だ。他のギルドメンバーが聞かされるよりもずっと早くから、二人の関係はわかっていた。
もちろん、気に入らない部分がなかったとは言わない。ダンクが『恩人』と会ったのは鎌瀬よりも後だった。恋愛対象として自分が選ばれなかったことで、何も思わなかったわけがない。
しかし、ギルドのギルドマスターとサブマスターを決めるとき、ギルドの仲間になるとき、そういった確執を残さないようにとじっくり話し合い、一定のラインまで和解は済ませていた。彼なら、彼女を任せられると認めていたからこそ、従うことが出来た。言われたとおりに、彼の側に付くことができた。
鎌瀬は、『恩人』に言われたとおりにダンクに付き従った。ダンクはそれを遠ざけようとしたものの、普段からの調査で張り込みや尾行、潜入に長けた鎌瀬の戦闘職としての性能を相手にかなうわけもなかった。
何より……ダンクが拒否しようが、鎌瀬にとっては『恩人』の命令を上書きするほどの優先度ではなかったのだ。
傍目からは、鎌瀬が『恩人』からダンクへと『乗り換えた』と見えただろう。だが、実のところ鎌瀬は彼を慕うように見せかけて、ストーキングしていたようなものだ。正直なことをいえば、それで『やりすぎだ』と思われるほど忠実に命令をこなして、『恩人』が命令を破棄してくれることを期待していた。だが、『恩人』は命令を破棄することはなく、最初は強く拒否していたダンクも鎌瀬を側に置くことを受け入れるようになった。
鎌瀬の動きを『乗り換えた』と見る根拠は、当時の環境にもあった。それは、鎌瀬がダンクの方へ行った時期の前後からギルド内で人間関係のトラブルが盛んになり、それが積み重なった結果ギルドマスター派(マジックアイテム生産派)と、サブマスター派(調査活動派)の派閥争いに発展し、ギルドが内部分裂を起こし始めていた……少なくとも、その予兆があったからだ。
最初は、同室のルームメイトが勝手に私物を盗ったというような口論や、帳簿が何故か合わないという書類上の不手際、通達ミスなどの些細なことばかりだった。しかし、それらにより積み重なった人間関係の歪みが、しばしば派手な争いへと発展するようになっていった。
この随分と後、鎌瀬が知ったところでは、このときギルド内には後々あの戦争で大きな嵐を巻き起こす『仮想麻薬』の試作品が流入していたらしい。シャーク達の預かり知らない開発担当プレイヤーに近いところで行われた実地試験のようなものだったらしいが、シャークの謝罪は本当に申しわけなさそうだった。
些細なトラブルは火種となり、異常な心理状態を着火材として大きく燃え広がったのだ。
そして、最終的にそれは味方を作ろうとする内旗として掲げやすいギルドの方針についての派閥争いの形を取った。
ギルドマスターとサブマスターの間に直接の不和がなかろうと、派閥はそんなことをお構いなしに、自分達の御輿を担ぎ上げる。サブマスター派はギルドマスターの交代を主張し、ギルドマスター派は評判を下げる一時雇用のプレイヤーの脱退を叫ぶ。
鎌瀬は最初、それをすぐに収まるだろうと楽観していた。しかし、争いが過激化すると問題が簡単に解決しそうにないと感じ始めた。そして、最終的には……
「ギルドの予算の横領の容疑で、いや……ギルドの資産を『盗み出した』疑いで、『大空商店街』の拘留所に突き出させてもらう。異議はないな?」
「待って! 異議あるに決まってるじゃない! そんなこと……」
「安心しろ、もう話はあっちのメンバーに話はつけてある。女だからって手荒に扱われることはない」
「そういうことを聞いてるんじゃないの! そんなことをしたら、あなたは……このギルドは!」
「だからといって、おまえの最近の行動は目に余る。ギルドが割れることになったとしても……仕方ない」
ギルドの定例会議で突然ギルドマスターが投じた爆弾のような発言に、場は騒然となった。
争いはとうとう、本当にギルドマスターとサブマスターの間にも及ぶようになったのだ。
ギルド内の派閥争いに終止符を打つためか、ギルドマスターが自身を冷静だと思いながらも『仮想麻薬』の影響下にあったのかもしれない。しかし、鎌瀬は唐突なその決定に驚きを隠せなかった。
ギルドが割れるどころではない……ギルドマスターが信頼を失い、サブマスターがいなくなれば、下手をすればギルドが消える。
だが……引き止めることは出来なかった。
動こうとした鎌瀬を……『恩人』の下へ戻ろうとした彼に『恩人』は手を挙げたのだ。
「鎌瀬くん! 私達の問題に口を出さないで!」
鎌瀬は動けなかった。
あの優しい『恩人』が……彼女が自分に手を挙げたことが、信じられなかった。
鎌瀬に手を挙げたことで冷静になったのか、『恩人』は逃げるように会議を抜け出した。
誰も彼女を止めることはできず、その日の会議はうやむやに終わった。
そして、鎌瀬が動けなかったばかりに……事態は、最悪の事態を迎えることとなる。
『あの事件』が起きたのは……起こってしまったのは、ダンクの独断によって『恩人』の拘留を持ち出した三日後だった。
『恩人』はダンクをあるフィールドの一画へと呼び出した。見晴らしのいい、景色のキレイな丘の上。二人の思い出の場所で、もう一度二人だけで話したいと『恩人』が彼を呼び出したのだ。
しかし、鎌瀬はその二人だけで会うべき場所に密かに立ち会った。
明確な目的があったわけではない。
意志があったわけでもない。
自分がどうしたいのかはわからなかったが、見逃すことは出来なかった。
あるいは、愚直に守ろうとしたのかもしれない。怒られたことを悔やんで……『恩人』の命令を守って、もう一度認めて欲しかったのかもしれない。
結果として、彼は確かに『ダンクの側にいる』という命令は果たした……そう、最後まで果たしていたのだ。
ただ、もう一つの命令を……『大切に守る』という命令をどこかで失念していた。
距離があった。
見晴らしがいい場所で隠れられる場所は限られていた。
だから、当時から高かった『聴音スキル』でも、会話を聞き取ることは出来なかった。
しかし、その光景を目に焼き付けることはできた。見えていながら、届くことはなかった。
『恩人』とダンクが言い争い、揉め合い、そして和解したかのように抱き合ったかと見えた後……ダンクが倒れ、『恩人』の手にナイフが輝いていた。
鎌瀬の目で見ても、ダンクのHPはゼロになっていた……『死んでいた』。
『恩人』は呆然としたように立ち尽くした後、崩れ落ちるように膝を突いた。
そして、手の中のナイフを自分の胸に突き立てた。
「待って!! 早まっちゃダメだ!!」
鎌瀬は、何も考えずに叫び、走っていた。
『恩人』は一度は胸にナイフを刺していたものの、レベルが高くその一撃だけでHPが尽きることはなかった。だが、それでもHPの残量は僅かで、もう一回ナイフを刺していたら……止めるのが後一瞬遅かったら、彼女の命はなかった。
鎌瀬はナイフを取り上げ、『恩人』に抱きついて動きを止めた。そして、少しだけ落ち着きを取り戻したらしい『恩人』は、鎌瀬の顔を見て、泣きながら口を開いた……
「私……私……ごめんなさい! ごめんなさい!」
鎌瀬自身に言っているのか、足下で倒れているダンクに言っているのか、鎌瀬にはわからなかった。
しかし、鎌瀬は彼女を撫で、落ち着かせながら理解した。
『恩人』が、ダンクを刺した。
口論がこじれ、もみ合った末、殺してしまった。
そして、彼女は自殺しようとした。
しばらくして落ち着いてきた『恩人』を連れ、鎌瀬はギルドホームへと密かに帰った。サブマスター……いや、ギルドマスターとなった『恩人』の権限と、リストの繰り上がりで暫定的にサブマスターとなった鎌瀬の権限、それに二人の『隠密スキル』があれば、普段使わない抜け道を使って他のメンバーに悟られないようにギルドホームへ帰るのは難しくなかった。秘密の調査などを行うギルドだったので、その手の仕掛けが当然のようにいくつも用意されていたのが幸いしたのだ。
ギルドは混乱していた。
このゲームの仮想世界では、プレイヤーの生死を知る機能はない。フレンドリストの座標検索は出来なくなるが、それはダンジョンに入ったとき等と見分けが吐かない。
しかし、ギルドマスターともなれば話は別だ。鎌瀬の地位が繰り上がったように、ギルド全体の命令系統が大きく変わり、少なくともダンクがギルドマスターではなくなったことはすぐにギルド全体に伝わってしまう。
現場を知らないギルドメンバーの視点から考えられるのは、『恩人』との話し合いの末、ダンクがギルドマスターを辞任しギルドを抜け、さらに関係を絶つようにフレンドリストをリセットしたか、もしくはダンクがフィールドでモンスターや犯罪者に出くわし『事故死』したか、あるいは……
「鎌瀬くん、悪いけど……私の部屋に、連れて行ってくれない?」
鎌瀬は、言われるままに憔悴した彼女をサブマスター専用に作られた部屋に連れて行った。この部屋はギルドマスターでも入るのにドアの破壊でもしなければ面倒な手続きが必要な仕様になっていたので、今は繰り上がりで鎌瀬がサブマスターなので鎌瀬が扉を開けた方が早かった。
そして、部屋に入った彼女は鎌瀬に扉を見張るように言った。
「ちょっと、大事な書類だけ……片付けておきたいから」
鎌瀬は、言われたことがよくわからなかった。
しかし、鎌瀬自身も軽いパニックに近い状態にはなっていたので、『恩人』が何か目的を持って動いているらしいことには僅かな安堵を覚えていた。
しかし、言われたとおりにドアを見張り、いざという時のために武器も構えておいた方がいいかと思い始めていた時……
部屋の奥で……書類の山をバラバラにして散らかしたような音と、人が倒れるような音がした。
鎌瀬が振り返ると、そこにはばらまいた書類に火をつけて、自らは大量の錠剤のようなものの入った瓶を片手に倒れる『恩人』がいた。
火に包まれながら、熱いはずなのに逃げようとしない姿はまるで……
「っ!」
鎌瀬は、なりふり構わず書類を払いのけ、『恩人』を引っ張り出す。それにより周りの書類も燃えていくが、それどころではなかった。
「何を飲んだんだ! すぐ吐き出して!」
鎌瀬の脳裏には、最近聞いた噂が浮き上がっていた。ギルド内では、麻薬じみた怪しいものが流通していて、それは使うと疲れや不安を忘れられる代わりに後々ひどい虚脱感や禁断症状のようなものを引き起こす。
もしそんなものを、一度に大量に摂取したとしたら……
「ごめんね……勝手だけど、もう一つだけ……お願い、いいかな?」
『恩人』は、鎌瀬に寄りかかるように抱きついて、鎌瀬に弱々しく囁きかけた。
「私のこと……守ってくれる?」
《現在 TOLⅡ》
「この後、俺は気を失った『恩人』を連れてシャークさんのところに行ったんだ。表の方じゃ、確実に捕まるはずだから。とにかく、『恩人』が目覚めて詳しい事情を話せるようにならないと弁解することも事件をごまかすことできない。だけど……次の日になっても、三日経っても、一週間経っても、目覚めなかった。危うくEP切れで餓死するかと思って、ABに急いで点滴を作ってもらったりした」
鎌瀬は、過去を振り返り、後悔に埋もれるようにしてトーンを段々と落としながらも話し続ける。
「何をしても反応がなかった。シャークさんは、もしかしたら大量服用で脳の方が……精神の方が、どこか信号を受け付けられなくなったのかもしれないって言ってた……カガリさんやナビキみたいに少しずつ慣らさずに、一気に飲んだから。前例もないから、どうしたらいいのかもわからなかった」
やがて、鎌瀬は膝を突いて頭を抱える。
「俺のせいだ……俺が、言われたとおりにダンクさんを『守って』いれば……こうはならなかった! それに、『恩人』はいつかそうなることをわかってたんだ! だから俺に……一番信頼してくれてた俺に、一番大切な人を守るように言ってくれたのに……その役を託してくれたのに、俺が勝手に捨てられたなんて思って役目を果たせなかったから!」
その頭を、しゃがんだ子供が撫でる。
「『わかっていた』……というのは、どういうことですか? 彼女自身が、いつか自分が彼を殺してしまうという不安を……言い知れぬ不安のようなものを感じていたと?」
「違う! 確かに『恩人』はダンクさんの身の危険は感じていた……ギルドが狙われてることを、知っていた。何かを掴んでた。だから、はめられたんだ」
「どうして、そう思うんですか?」
「調査資料だ……今まで『恩人』が調べて隠してた情報が、消されてたんだ」
「……? サブマスターとしての部屋にあったものは、彼女自身の手で燃やされたはずでは?」
「違う、『恩人』はたくさんのプレイヤーの個人情報が詰まった資料が万が一にも流出したらいけないと思ってた。だから、そんなわかりやすい場所に固めてはなかった……いくつもの隠れ家に分けて、ほとんどをギルドの外に保管してたんだ。その調査資料が……五ヶ所の隠れ家の調査資料が、燃やされてた」
「なるほど、それで彼女が何か都合の悪い情報を隠したい誰かの悪意によって害されたと……しかし、その犯人に心当たりはあるんですか?」
「ああ……『攻略連合』の関係者の誰かだ。かなりの確率で」
「どうして? 調査資料が全て燃やされてしまったなら、そこに関係する全員が怪しいのでは?」
「調査資料はすべて燃やされてはいなかった……二十ヶ所の隠れ家の内、たった五ヶ所。消されたのは、『攻略連合』に深く関係する情報のある保管場所だけだった。俺と『恩人』だけは、どの事件でどこを調査してその資料をどこに隠したかわかってた。だから、俺にはそれがわかったけど……他の誰にも証明できない」
鎌瀬は地面に手をついて立ち上がろうとする。
「俺が突き止めないといけないんだ……『恩人』をはめた犯人を見つけて、無実を証明して、彼女を目覚めさせる。もう、何ヶ月も目覚めないんだ……きっと、口を封じるために何かを仕掛けられたんだ。それか、彼女の心が、安心して目覚められないんだ。だから、とにかく犯人を見つけて捕まえる。罪を自白させる……『恩人』を目覚めさせるためには、そうしなきゃいけないんだ」
「そうですか、あなたの大事な人を目覚めさせるには、彼女を陥れた真犯人を見つけなければいけない……そのために糸をたぐり寄せて、ことの真相を暴こうと、たくさん頑張っているんですね。それは、とても美しい話だと思います。ですが……」
立ち上がろうとする鎌瀬の首を押さえつけるように圧がかかり、耳元で囁き声が響いた。
「それって、結局彼女の犯した罪を認めまいと逃げてるだけじゃないですか?」
作品のタグを少し増やしました。
『小説家になろう』にVRMMO系のタグが増えててビックリしました(;^_^A。




