234頁:特集『密着! 前線プレイヤー24時』
今回から、大きな意味での新章突入となります。
狙ったわけではありませんが、奇しくもタイミングはほぼいろいろなことの移り変わりとなる四月初めになりました。
これからも、できる限り今まで通り定期投稿を続けるつもりなので、よろしくお願いします。
ある日、ある一人のプレイヤーが語った。
「この世に、完全な正義や絶対的な悪なんてものはないんだよ。この世のどこを探しても、そんなものは虹みたいに見えたとしても届かないものなの。あるとしたら、ドットみたいに散らばる善い部分や悪い部分、道理や罪って呼ばれるものの密度の違いだけ」
一人の少年は、この世に絶望したような表情で、俯きながら黙ってそれを聞く。
「この世界は、白黒はっきりつかないことが多い……ううん、きっと世界にあるのは、灰色だけなんだよ。限りなく白に近いグレーと限りなく黒に近いグレーを、それを見る人の目が、物事をはっきりさせたいって心が、白や黒に変えているの」
少女は、少年の頬に優しく手を当て、その目を自分の目に合わせる。
「だから私は、あなたの中の『白』の部分を信じるよ。皆が黒だって言っても、外からは1ドットしか見えないとしても、私はあなたのグレーが、どれだけ白に近いかを力説する。だから……」
少女の目は、強い輝きを宿していた。
「もう一度、戦おう? 相手が、たくさんの人が認めた『正義』だろうと、どんなに辛くて逃げ出したい『現実』だろうと、もう一度立って、立ち向かおう?」
その呼びかけに、少年は初めて口を開いた。
「あんたは……何者なんだ?」
少女は、その目に宿した熱い想いを伝えるかのように、少年の手を握りながら、少年の質問に答えた。
「私は……あなたみたいな、悪者の味方だよ。一緒に、『正義の味方』をギャフンと言わせてやろう?」
《現在 DBO》
8月1日。
朝7時00分。
デスゲーム『Destiny Breaker Online』……攻略済みエリア23、生存プレイヤー約5700人。
『帆船の街』……波音が微かに聞こえる、海辺の街のはずれにある共同住宅『泡沫荘』にて。
5部屋×2階建ての計10部屋の、中央二階203号室には一人の少年が住んでいる。
彼の名前は『鎌瀬』。
歳は今年で17歳だが、小柄で童顔のため、ぱっと見では高校入りたてか中学生に見えてもおかしくない少年だ。
彼は若いながらも構成員500人以上の戦闘系大ギルド『攻略連合』の正規メンバーであり、全プレイヤーの中でも一割程度と言われる前線級プレイヤーの一人である。
デスゲームのクリアのため日々活動する、プレイヤー達の希望の一人だ。
そして今、彼の一日が始まる。
ジリリリリリ!!
わざと耳障りな古いタイプの音を発するように作られた《目覚まし時計》の雄叫びに、鎌瀬は布団をかぶって悶える。
そして……
「あと……五分……」
寝ぼけ眼で《目覚まし時計》を叩いて止め、再び目を閉じる。
一分もしない内に彼は再び眠りに落ち、さらに四分後に鳴り響く音に対しても、全く同じように反射的な行動を繰り返した。
そして、その流れが五回目を迎えようとした辺りで……
「ん……あ、やばっ、いい加減起きないと!」
時計の針の角度に意識を覚醒させ、身を起こす。
いつもこうして、彼は慌ただしい朝を迎えるのである。
7時28分。
「ギリギリセーフ! おはようございまーす!」
ゲーム仕様の着替えを有効活用し、メニュー画面からの操作で最短時間の内に着替えた鎌瀬は、『泡沫荘』の中にある廊下と階段を駆けて一階へと降り、端の101号室に飛び込む。
この部屋は他と少し異なり、住人全員の共有空間として扱われているのだ。そして、そこにはルールがある。
「こらこら、本当にギリギリだからね。もう少しで片づけちゃうところだったよ」
101号室には、一人だけプレイヤーがいた。
エプロンをした女性プレイヤーで、調理器具を片付けるか迷っていたらしい。
「ごめんなさい大家さん、ところで、今日の朝ご飯は……」
「キミの大好きな親子丼ですよー。今からトロトロの作るからちょっと待っててね」
「イエスマム」
鎌瀬は大きなテーブルに備え付けられた席につき、中央の箸置きから自分の箸を抜いて、大家が仕込みをしてあった溶き卵を他の具材と混ぜながら焼くのをおとなしく待つ。
『泡沫荘』のルールの一つ。
朝6時30分から7時30分までに101号室に来たプレイヤーには、作りたての手料理が振る舞われる。これは、『料理スキル』を持つ何人かが交代制で朝食を作っているのだが、別にいらなければ無理にそれを食べる必要はない。しかし、その食費も家賃に含まれているので、食べないと損なのだ(料理担当者にはその中から給料が出ている)。前線級プレイヤーの鎌瀬は別に食費にそれほど困っているわけではないが、暖かな家庭を感じさせるこのシステムは気に入っているので、いつもギリギリでも101号室で朝食を食べている。
そして……
「そういえば、赤髪先生が宿題まだか聞いてっ言ってたよ? それと、今度の授業はいつがいいかって」
「あ、まだ途中だった……出来次第メールするから、赤髪先生に伝えといて」
「はいはい、『二等兵くんは試練に苦戦中なり。戦況は長引くおそれあり』と」
「遠まわしに宿題出来てないのチクるのやめて」
ルールの二つ目。
鎌瀬たちここの住人は、この建物の中にいる間は隣人であると同時に、教師と生徒、師弟、友人でもある。平たく言えば、外の争いや立場を持ち込まず、またここでの立場を外で持ち出さない。
そのために、ここでは互いのプレイヤーネームは呼ばず、あだ名で呼び合っている。
そして、ここでは鎌瀬は他の数人の住人と共に、『授業』を受けているのだ。
このデスゲームの外の世界に帰ったときに苦労しないようにと、本来学校に通っていれば学ぶはずだった知識を、少し大人な隣人から教えられていて、その授業料も家賃に含まれている。学校の授業より家庭教師や塾に近く、鎌瀬のようにゲーム攻略のために時間を多く割かれるプレイヤーでも都合をあわせて教えてくれる。時には、この101号室で食事をしながら世間話のように歴史や科学を教えたりもしてくれる。
鎌瀬がこの共同住宅に住むことを決めたのは、このシステムがあったからというところが大きい。
このデスゲームにおいて、鎌瀬のような戦えるプレイヤーは日々の生活費くらいは楽に稼げるし、NPC経営の宿屋に泊まり続けることも金銭的には余裕だ。安さで選んだわけではない。
そもそも、このゲームではただ部屋を貸すだけではプレイヤーがそれを収入源として元を取ることは、NPCの宿屋の相場からして難しい。何らかの付加価値によって高い家賃を納得させながら人を集める必要がある。
他には、生産職専用の寮や宿舎などは寝泊まりする場所と同時に戦闘ギルドとの警備契約による安全の保証を売りにしたり、狩りの協力などを契約に含んだりして人を集めるプレイヤー経営の共同住宅があったが、その中でもここは珍しく、衣食住に加えてデスゲームとは関係のない勉強や家族のような触れ合いを掲げた場所だった。
『小さな家の中だけでも、当たり前の日常を』……鎌瀬には、それが魅力的に映ったのだ。
実際、ここは当たりだった。
彼のギルド『攻略連合』は軍律を意識していて少し堅苦しく、しかもエリート意識が強いプレイヤーが多く、ギルドの外で活動していても避けられやすく、他人の目を常に意識してしまう。外のしがらみを持ち込まず人と触れ合う『泡沫荘』は、鎌瀬の精神を休めるには丁度いい場所なのだ。
「……っと、あんまりゆっくりしてるといけないな。ギルドの方に行かないと」
「はーい、じゃあ全部食べちゃって。捨てるのもったいないし」
「うん、わかりました……ごちそうさま、大家さん。今日は少し遅くなると思うから」
「はいはい、ほら、遅刻する前に行く」
大家に見送られ、101号室を後にする。
そして、気持ちを切り替える。
ここからは、『仕事』の時間だ。
8時13分。
『攻略連合』ギルドホーム……通称『騎士団の城』にて。
軍としての形態を重視する『攻略連合』のプレイヤーの朝は、一日の気合いを入れることから始まる。
非番、任務などで仕方のない場合以外は朝8時からの定例ミーティングに参加し、ギルド全体への連絡やギルド規範の心得箇条の確認などを行うのだ。士気の維持や団結の精神を養うため、一日の始まりを共有するのである。
そして……
「定規、今日のミーティングでなんか重要な連絡とかあったか?」
「あ、鎌瀬……また遅刻したな? いい加減十分くらい早く来いって」
「どうせ一々何百人の点呼なんて取ってねえし、重大事項はメールで一斉配信されてくんだよ。こんな形骸化した儀式より、朝ご飯を美味しく味わって食べてた方がよっぽど士気高揚するね」
「おまえ……そんなだからいつまでも出世できない三下なんだよ……」
「同期で同僚のお前に出世できないことをそこまで責められるいわれはない」
慣れた忍び足でミーティングが終わってから素知らぬ顔で武器の保管庫に来た鎌瀬は、それに気付いた同僚と軽口を叩き合う。
同僚の名前は『三角定規』。
個人情報をとやかく追究するのはマナー違反なので年齢を細かく尋ねたことはないが、見た目や話題から大体同年代だということはわかっており、ギルド内の鎌瀬の友人としては最も親しいプレイヤーだと言っていい。
「定規、お前んとこの今週のノルマはどうだ? 余裕があったらこっちも少し手伝ってもらえると助かる。しゅくだ……所要が忙しいんだ」
「わりいな鎌瀬、こっちはこっちでちょっと厳しい。どうにも上手い情報が他にとられちまってな」
「はあ……俺達『三下』はノルマ厳しいから大変だよな……」
「二軍まで上がれば少し楽になるんだけどな……」
二人は、ギルドの武器保管庫から自分用の鎧や剣を取り出しながら、そこに刻まれた『連合正規兵』の文字を見ながら嘆息する。
『攻略連合』は本ギルドに五百人以上のプレイヤーを抱え、さらに今では傘下や協力関係のギルドも合わせて八百人近いプレイヤーがその名を名乗ることを許されている。
しかし、その中には当然階級が存在する。
ギルドマスターやその他の幹部、そのお抱えの私兵(通称『憲兵』)を除き最高の練度を誇る約百人の精鋭軍団『一軍』。彼らはエリアボスとの戦いでは主力となり、攻略におけるギルドの意義と威信を体現するギルドの顔だ。
彼らは日々効率のいい狩り場や最高級の装備を多用し、激しい連携の訓練を重ねて戦いに備えている。
そして、そのサポートとして危険な最新ダンジョン攻略やボスの偵察戦、その他にもレアアイテムの入手や犯罪者への対策を担うのが、百五十人程度の『二軍』。先の犯罪組織との戦争で中心となったのがここで、それなりにエリートに分類されるプレイヤー集団だ。
そして、鎌瀬たちが属するのが、一応本ギルドに所属し傘下ギルドのプレイヤーよりは練度も地位も高いものの、ギルド内では『下っ端』とされる『三軍』……通称『三下』。
人数は約二百人前後、武器の整備や人事、経理のような生産職、専門職と『一軍』『二軍』を除いた言わば『その他大勢』だ。
主な任務は『一軍』『二軍』のサポート……と言っても、その役割は定まったものではなく、個々の力より人数の必要なボス攻略で数合わせとして参加させられたり、多数のモンスターを狩らねばならないような面倒なクエストで手伝いをさせられたりする……要は雑兵だ。
先程、二人が話していた『ノルマ』というのも、ある意味では上のサポートと言えるが、その内容は各々が各自の判断でモンスターの狩りやパトロール、クエストなどを行い、その獲得アイテムや金、戦果をポイント化したものだ。それを週で決まった数字まで稼いで上納することで、『一軍』『二軍』が潤沢な資金と環境を支えに攻略に集中できるというシステムである。
『三下』はそのノルマを満たし続けることにより鎧に刻まれた『攻略連合正規兵』の名の下に(一軍には『正規兵』の前に『主力』、二軍には『優等』がつく)ギルドメンバーとして大きな顔ができるのである。言い方を変えれば、『名前貸してやるからその代わり貢げ』という話だ。
もちろん、名誉や後ろ盾以外にも高価な装備(量産品)やギルドの施設(食堂やギルドの占有する『訓練場』と呼ばれる狩り場)の利用という利点もあるが、そこでも『一軍』や『二軍』が優先される。
ギルドのシンボルとも言える鎧はレンタル品なので任務時間以外の私的利用は出来ず、仮に鎧のままで問題を起こせばギルドの顔に泥を塗ったとして処罰が下る。
他にも、『二軍』と『三下』の間にはいくつかの規制や特権の壁があり、『三下』は何らかの功績をあげて出世できないかと日々働いているのだ。その羨望が任務に対する士気を上げるという建て前だが、上が部下より優遇されることで優越感を満たそうとしているのだろうというのが鎌瀬の持論だ。
もちろん、憲兵あたりに聞かれたくはないので口には出さないが……
「俺を時間通りに来させたきゃ、もっと尊敬できるところを見せてほしいなぁ……」
鎌瀬がミーティングに堂々と遅刻してくるのは、その反抗心の囁かな主張でもあるのだ。
11時20分。
ギルドでの定規との無駄話や装備の持ち出しの報告、消耗品の補充や記録保管庫での軽い調べもの、訓練場での経験値稼ぎ(特殊なクエストで施設内にモンスターを生み出せるフィールドを作れるようにしたものなので、アイテムや金は取得不可)を済ませた鎌瀬は、『パトロール』という名目で街へ繰り出した。
パトロールは、本来あまりポイント効率が良くないので好まれない仕事だ。治安維持も行っているという建前上はやらなければならないため下っ端の中でも一部が毎日指名され、指定地域の巡回を義務化されているくらいなのだ(『指定地域』というのは他のギルドとの契約で金をもらって警備している場所であり、この仕事に就く者は『衛兵』とも呼ばれる)。基本的に自主的にこの仕事をしようとするのは、思いのほかノルマが早く達成し時間が余ってしまった者か、仕事にかこつけて方々を買い食いでもしながら巡る者……簡単に言ってしまえば、サボリタイムである。
しかし、今日の鎌瀬は別に仕事をサボりたくてパトロールを選んだわけではない。
少々、『攻略連合』のメンバーとしての特権を利用したい用事があったのだ。
「予約してた者だけど、頼んでいたものは出来てる?」
鎌瀬は受け付けのプレイヤーに予約の時に受け取った注文票を渡す。
「はい……あ、『特注品』ですね? 係りの者を呼ぶので、少々お待ちください」
鎌瀬は『係りの者』を待ちながら、店内を見渡す。
プレイヤーショップ『八百万協力社』……通称『万協』。
『大空商店街』のお膝元『時計の街』に暖簾を掲げる『何でも屋』だ。銀行か郵便局に近い内装のそこそこ広い店内に見えるのは、客以外はほとんどが『NPC』……それ自体は不自然なことではない。店主が『商売スキル』で簡単な仕事を雇ったNPC店員に任せていることはよくあることだ。
しかし、この店の最大の特徴は、プレイヤーがNPCを指揮して簡単な仕事を任せているのではなく、NPC自身が判断して注文された『何でも』を解決する……端的に言えば『NPCが経営するプレイヤーショップ』なのだ。
一応、プレイヤーショップとしての便宜上、先程の受け付けのようにプレイヤーも働いているものの、噂によると店長までNPCらしいのだ。
なんでも、広い人脈(もちろんNPC)を持つこの店は『建物の修理』という依頼なら『大工』、『料理のスキル指導』なら『引退した調理人』というふうに、依頼内容に適した職業のNPCに依頼を転送する仕組みになっているらしいのだが、専門職のプレイヤーに依頼するのとは別の利点がある。
それは、『秘密厳守』だ。
NPCは、人間らしい仕草をしながらも基本的にはAIであり機械的に仕事をこなす。そして、それを別のプレイヤーに告げ口したりはしない。
だからこそ、特殊な依頼……あるいは『内密な依頼』が持ち込まれた今回のような場合、プレイヤーの店員は引き下がり、担当NPCが呼び出されるのだ。
「はい、どうも。担当の『アワシマ』です。あなた様からの依頼はこれ……注文は『攻略連合』様からの『アンケートの統計結果』で、よろしいですか?」
「それで合ってる」
もちろん、鎌瀬はアンケート結果を取りに来たわけではない。
『アンケートの統計結果』とは、『内密な調査依頼』の隠語なのだ。『攻略連合』のメンバーは大ギルド同盟の関係者として、犯罪対策や攻略のために調査理由を告げず、尚且つ少々マナーに反した情報まで調査を依頼することができる。
「料金はこちらです」
「……うん、相変わらずいいお値段だ」
ちなみに、その分料金も割高となる。
調査にかかった費用などが明らかに少し高めに計算されていても、口止め料と考えれば安いものだ。それに、『本当にギルドからの依頼だった場合』は経費が出ているはずなのだから、その場で文句を言うことはない。
鎌瀬が、頬が引きつらないように支払いを済ませていると……
「おい! 人間様の言うことが聞けねえのか!?」
店内で、怒鳴り声が反響した。
鎌瀬がそちらを見ると、NPC店員の一人が客の男性プレイヤーに睨まれていた。
「なんで調べもの一つ頼まれてくれねんだよ!? てめえら『何でも屋』だろが!! 機械の癖してマナーとかどうとか言ってんじゃねえ!」
どうやら、客はマナーに反する調査を依頼したようだが、鎌瀬のように後ろ盾や大義名分がなかったために拒否されたらしい。それで怒鳴りつけて無理やり言うことを聞かせようとしているように見えるが、NPC店員はまるで怯えることなく、冷めた目で男性プレイヤーを見ている。
その視線が彼の神経を逆撫でしたらしく、怒鳴っても効果がないならと考えたのか、腰の武器に手をかけた。
そこで……
「おい、おじさん。やめとけよ、こんな所で痛い目は見たくないだろ?」
鎌瀬は、素早く男性プレイヤーの肩を掴んだ。
一瞬反抗的に鎌瀬を睨んだ男性プレイヤーだが、その姿……正確には、メットをつけていないものの『攻略連合』のものとすぐわかる鎧を見て、腰から手を離す。
「ケンカの相手は選ばないと、痛い目見るぞ」
「ちっ、大ギルドの衛兵さんかよ……運が良かったな」
男性プレイヤーは鎌瀬の手を振り払い、肩をいからせて店から出て行った。
その背中を見送り、鎌瀬は嘆息する。
「……ほんと、運が良かったよ。あんたのな」
そして、そんな鎌瀬に頭を下げながら、NPCの店員は言う。
「お手数おかけして申し訳ございません」
「いや良いって。治安維持は『攻略連合』の仕事だし、ちょっとした『人助け』だ」
「しかし、心配いただかなくとも……」
鎌瀬は、微笑む店員や、先程応対してくれた『アワシマ』、それに騒動を静観していた他のNPC達の笑顔に混じって放たれる妖しい気配に、仮想世界でありながら鳥肌が立つのを感じた。
「私どもで処理いたしましたのに……」
鎌瀬は、作り笑いを返して、戸口へと身を翻す。
「だから『人助け』って言ったろ。いくら無知なバカでも、黙って見捨てるのは気の毒だっただけだ」
鎌瀬は店を後にし、振り返ってその店名に込められた皮肉に小さく笑う。
『NPC』と一口に言っても、街に生活する一般人型からボスモンスターまで、その種類、強さは多岐にわたる。
ここは通称『万協』……また、もう一つの名を『魔境』とも呼ばれる、知る人ぞ知る、人ならざる者の巣窟なのだ。
16時37分。
一通り主だった警備契約先のプレイヤーショップやギルドホームの巡回(と言っても指名された衛兵もいるのでそちらに顔見せして世間話や上司の愚痴を交わしただけ)を済ませた鎌瀬は、とある街外れのショップの前で、一人の女性プレイヤーを見つけた。
様子を窺うと、何やら困っているように見える。
「あの……どうかしましたか?」
鎌瀬が声をかけると、女性プレイヤーは驚いたように目を向けるが、鎌瀬が『パトロール中なので困ったことがあれば聞きますよ?』と軽い口調で尋ねると、女性プレイヤーはおずおずと答えた。
「このショップにあるアイテムなんですが……実はこの前、盗まれたものなんです。やっと見つけて買い戻そうにも高くて……」
店は、高級なマジックアイテム関連のショップだった。
彼女の話によると、店の中に商品として並んでいる指輪の一つが、元々は彼女が持っていたものであったのだそうだ。しかもそれはプレイヤーメイドの一点物で、手にとって『鑑定スキル』で製作者を調べれば、彼女にそれをプレゼントしてくれた友人の名前が出てくるし、彼女がそれを指に装備した状態で映った写真もあるという。
「元々あれは、祝い品としていただいた物だったんです……でも、この前……」
犯罪組織と大ギルド同盟の戦争……その時、彼女はとにかく不運で、様々な場面で巻き込まれたそうだ。
最初の『イヴ』襲来で、マジックアイテムを作ってくれた友人と恋人を失った。指輪は、二人の交際を記念して友人がくれたものだった。
さらに、『模倣殺人』のパニックに巻きこまれ、攻撃されて死にそうな思いをした。
そして、危険な街を出て身を隠そうとして、転移した先の街で犯罪者集団に襲われ、金目の物を……今店先に並んでいる指輪も含め、奪われた。
そして、やっとのことでその指輪を見つけたのだが、多くの物を失った彼女はそれを買い戻すような余裕も見込みもないのだ。
「今更、指輪一つ取り戻したところで何も返ってこないのはわかっていますが……せめて、私と彼が祝福されて結ばれていた証だけでも……」
俯いて、崩れ落ちるように膝をつく女性プレイヤー。
そんな彼女に、鎌瀬は取り乱さないように、心の乱れを表に出さないように話しかける。
「基本的に、ギルドの庇護圏外で奪われたアイテムは自己責任になるから買い戻しの手伝いとかは出来ないんですけど……でも、あなたを襲った犯罪者のことをお話してくれれば、この店へ流れてきた経緯を合わせて犯人を特定できるかもしれません。近日中にとは保証できませんが、その協力で凶悪犯が捕まれば、ギルドから『何かしらの謝礼』を用意できるかもしれません」
『何かしらの謝礼』……そこに隠された意図を汲み取った女性プレイヤーが、希望の光を見つけたかのように目を輝かせる。
「もしよかったら、その時のことを詳しく教えてもらえますか? もう少し、落ち着けるところで」
鎌瀬が選んだのは、彼女の現在泊まっているという宿屋だった。少しでもなれた場所の方が、落ち着いて話ができるという判断だ。
確かに、金銭的余裕がほとんどないらしく、かなりの安宿だったが、生活感があり、女性プレイヤーも落ち着いた雰囲気で紅茶などを作って勧めてくれる。
「『TRLPU』……珍しい味だけど、いいお茶ですね。この強い独特の香り……ドロップ品ですか?」
「さ、さあ? 知人がくれたものですので品種までは……」
鎌瀬は紅茶を飲みながら、部屋の片隅に置かれた写真立てを見つける。そこに写っているのは、確かにマジックアイテムの指輪をした彼女と……どこかで見たことのあるような男だった。
「そこの写真の彼が、お茶をくれた人?」
「……はい、昔から私たちの後押しをしてくれた人で……」
「ふーん……でもどっかで見たことがあるような……」
閃きに立ち上がろうとした鎌瀬の身体が不自然に傾く。
視界の端に表示される、『睡魔』や『弛緩』、『盲目』などの高レベルのバッドステータス……
「あ、あれ……?」
一服盛られた鎌瀬は、なす術なく床に倒れるしかなかった。
17時02分。
とある、薄暗い廃墟にて。
鎌瀬は、女性プレイヤーに腕を引っ張られて『本』から飛び出し、ドサリと音を立てて落下した。
そして、彼女の仲間と思わしきプレイヤーが二人待機しており、素早く鎌瀬から『窃盗スキル』で鎧を剥いでいく。本来モンスターを倒さずにドロップアイテムの一部を掠めとったり武装したモンスターを弱体化させるのに用いるこの技だが……これをプレイヤー相手に使うのは、まず間違いなく『犯罪者』だ。
そして、鎧を剥がれた鎌瀬に向かい、女性プレイヤーが吐き捨てるように言った。
「はっ! どいつもこいつもチョロいね! お涙ちょうだいの泣き落としで簡単に引っかかりやがって! 同情? それとも女の弱った所にでも付け込もうとしたのかい? 大ギルドの犬も大したことないねえ!」
要するに……これは、『罠』だったのだ。
嘘の不幸話で高い装備を持ったプレイヤーを油断させ、毒を盛って動けない内に身包みを剥がす……そんな、単純な話だったのだ。
「何が『治安維持』、何が『衛兵』だい? 知ってんだよ、あんたらはレベルは高くても集団戦が得意なだけで一人一人は大したことがない。固有技だって、パーティーやレイドなら相乗効果でボスでも倒せるけど、一人では前線のダンジョンに潜ることすら出来ないんだ」
『攻略連合』の強みは、戦闘時に密集し、多数の仲間と陣形を取ることで互いの能力を上昇させる固有技を使うことでパーティーやレイドが一体となり砦のような硬さと力強さを誇るが、数に比例する強さとは逆に言えば数に反比例する弱さを意味する。
事実、圧倒的に数で劣る『戦線』にいつも攻略で後塵を拝し、トップギルドの座を奪われているのも、その集団での行動という制限が主だった原因なのだ。
「へへ、鎧着て偉そうな顔して調子乗ってくれやがって下っ端兵風情が」
「偉そうに人助けとか気取って裏切られた気分はどうだ?」
「まあ安心するといいさ。命までとりゃしない……あんたには今からいろいろと、はずかしーい写真やらセリフやらを記録させてもらって、口止めさせて貰うからね。これからしばらく、こっちが要求したときにお金を出してくれさえすればいいんだ。鎧も剣も、危ないから預かってるだけで、大人しく従って玩具になっててくれれば、いろいろ終わった後に返してやるよ……まあ、どうせまだしばらくは毒が効いてるから、何も出来ないだろうけどね。時間差できれるようになってるから、効果がきれそうになったら次のを飲ませてやるよ」
鎌瀬に飲ませた毒が、意識を朦朧とさせ、身体の自由を奪い、視覚を奪っているというのを承知で、丁寧に言葉でこれからの予定を教えてくれる女性プレイヤー。
そんな彼女に向かって……『目を見開いた』鎌瀬は、不敵に笑った。
「情報通り、見事に釣れたな」
鎌瀬を囲んでいたプレイヤー達の顔色が変わる。
ろくに話せないはずの、動けないはずの、そして見えないはずの相手が、自分たちに視線を向け、はっきりと喋ったのだ。
「なんだ!? 毒を盛ったんじゃなかったのか!?」
「ま、間違いないよ! ちゃんと効いてたさ! まさか、高レベルの『免疫スキル』!?」
「あり得ねえ! 一定以上の『免疫スキル』には、無効化されて効果のなくなるタイプの毒を使ってるんだ! 短時間での回復なんて半端な結果は出ない! まさかこいつ、はじめから毒のこと知ってて、動けないふりを……」
「あたしの『医療スキル』でちゃんと確認したってんだよ! 確かに、こいつは完全に毒を受けてた! それなのに……」
「あー……混乱してるとこ、悪いけど……」
鎌瀬は、声を発して手にある何かを掲げる。
それは、女が鎌瀬を運ぶのに使った……プレイヤーを入れることのできる『本』。
「こんな、人を拉致るのにうってつけのもん、どこで手に入れたのか訊かせてもらえると嬉しいんだけど……ちょっと屯所までご同行お願いしていい?」
鎌瀬は、不安要素を打ち消すように地面に落とした『本』へと、ストレージから取り出した油をかけ、マッチの火を落とす。
「あっ、いつの間に!? あんた何てことを! ただで済むと……」
「てめえ! おまえの武器はおれたちが預かってんのを忘れたのか!? おれたちだって三対一なら……」
「高級鎧なしの連合の兵隊なんて甲羅のない亀も同然だ……」
三人の言葉が途中で止まる。
何故なら、三人の足下には……
「言っとくけど、連合メンバー全員の固有技が集団戦専用じゃないし、みんなが防御主体の鈍重ビルドじゃないぜ? ユニホームとして命令されてるから仕事中はあんな格好してるが……俺は、鎧脱いだ方が速いし、強いからな?」
無骨なナイフが、三人の動きを縫い止めるように足先ギリギリに突き刺さっていた。
鎌瀬は、鋭い眼光で三人を睨みつける。
「今の内に降参すれば多少は罪も軽くなる。それでもやりたいっていうなら、受けて立とうか?」
18時30分。
ギルドホーム『騎士団の城』の門前にて。
鎌瀬は、三人のプレイヤーを手錠と鎖で繋ぎ、定規に鎖の端を差し出した。
「ほら、おまえもホームまでの連行手伝ってくれ。こいつらは、俺達『二人』で捕まえて、連れてきたんだからな」
定規は、いきなり呼び出されてわけのわからないうちに差し出された鎖を見て、少々考え込む。
「おいおい……どういうつもりだ?」
「いや? 別に深い意味はねえさ。ただ、手柄を半分こしようぜって話だ」
「十分深い意味あるじゃんかそれ。てかあれか? 朝のノルマがきついって話か? いくらなんでもお情けで手柄分けてもらうほど困ってはないんだが……」
「いいから、受け取っといてくれ。これは『貸し』って形の『借り』だ。今回は少し、危ないやり方したからな。『鎌瀬は偶然手に入れた情報から怪しいプレイヤーを見つけて、定規に万が一の場合の保険をかけて様子見でつついつみたら、思いのほか簡単に全部片付いた』……そういうことにしてくれないと、俺が危険捜査で怒られる」
「……またか? また、勝手に独断で捜査してたのか?」
「……これが、『俺達』がとある筋から入手した犯行パターンの調査書類、これがこいつらのアジトから押収した犯罪記録だ。軽く目を通しといてくれ」
鎌瀬は二つの封筒を定規に押し付ける。
片方は『八百万協力社』の店名の入った調査資料の封筒だ。
「鎌瀬おまえ……そんなことばっかりしてると、いつか本当にヤバいことに頭突っ込むぞ」
そう言いながらも、定規は鎖を受け取る。
実は、こういうことは初めてではないのだ。鎌瀬はどこからか計画的な、狡猾な犯罪の噂……それも、まだ確定とは言えずギルドが大きく動けない事案を勝手に捜査し、囮捜査などは当たり前のように実行し、犯人を検挙してくる。
そして、定規はいつもその尻拭いを手伝わされるのだ。
二人は、鎖を引いて三人の犯罪者をギルドホームに『連行』し、鎌瀬が手を離す。
「んじゃ、面倒な手続きとかは頼むぜ!」
「あっ、てめっ! そのために資料と鎖を!」
「わりいな。実は俺、これから『恩人』と会う予定なんだ。だから今日は残業出来ねえから押し付けたかったってのが本音の七割くらい……」
「こいつ……よろしくやってろ、リア充」
「ば、ばか! 違うっつってんだろ!」
定規の責めるような視線を向けながらも、いつしか少々優しい笑みを浮かべていた。
それは、鎌瀬の『「恩人」と会う』という言葉の意味を汲み取ったからだ。
『攻略連合』では、『無許可の恋愛』は禁止されている。管理していない所での男女関係がハニートラップや情報のリークに繋がるから……という名目だが、実のところそれはその『許可』を出す権利を持った上層部が下のプレイヤー達を従わせるための都合のいい規則だ。
しかし、それでもやはり人の関係は規制出来ないもの……一部のメンバーは上層部に隠れて、こっそりと逢瀬を重ねたりしているのだ。
鎌瀬が名前も出さずに『恩人』という言葉を口にするのは……その裏に、人前で言えない意味が隠されているということなのだ。
鎌瀬は、追及を避けるように足早に武器の保管庫へ、鎧や剣を返却しにいく。
その後ろ姿に……
「ちょっと待って! 最後に一つ聞かせて! あんたなんで、毒の効果時間より早く動けるようになったんだい!?」
捕まった女性プレイヤーが問いかける。
それに対して、振り返った鎌瀬は、勝ち誇ったように笑ってみせる。
「『効果時間』? 生憎と俺は、そういう時間ってやつに細かいのは苦手なんだ。毒の効果時間とか、律儀に守ってやる義理はないさ」
鎌瀬のオーバー50固有技『TRL』。
彼が毒入りの紅茶を飲む前に発動した、『自身の内的時間』を操作する技。移動や思考の速度までは変えられないが、時間を三倍まで速めれば毒の自然回復も三倍速まるという、集団戦用とはとても言えない、むしろ孤立した時間を生きる技。
もっと柔らかい言い方をするなら……とても、『マイペース』な技だった。
19時40分。
鎌瀬は鎧ではなく、まるで寝込みの家に入る盗人のような真っ黒な、隠密行動がしやすそうな装備で、前線から遠く離れた街近くの、一つの洞窟へと侵入する。
その顔には、素顔を隠す覆面をして、洞窟へと入るところを誰かに見られていないか注意深く確認しながら、奥へと迷わず進む。
そして……その奥深くに設置された隠し部屋タイプの安全エリアの扉の鍵を開け、そこに敷設されたベッドに横たわる、一人のプレイヤーを見つける。鎌瀬より少々大人びて見える少女……その寝顔は、安全エリアを囲み照らす魔法の燐光に照らされ、儚くも美しい眠り姫という印象を抱かせる。
鎌瀬は覆面を外して、眠り姫へと歩み寄り、話しかける。
「『恩人』……今日はまた、三人逮捕したよ。毒とか使ってきたし、情につけ込んで来るような悪質な手口だったけど命は取らないって言ってた……多分、やり直せると思う」
目覚めるどころか、話しかけられても全く反応もしない眠り姫の手を握り、鎌瀬はあたかも相手が起きているかのように語りかける。
「寝てる間に仕事増やしてごめん。でも、ちゃんと証拠とか資料は集めておいたから、大分楽だと思う」
鎌瀬はベッドの隣に置かれた棚に、今回の捜査で集めた情報や証拠の写しを入れた封筒を置く。既に、十数件分の封筒が重なった上に、落ちないように丁寧に。
そして、しばらく手を握り、世間話のように一日にあったことを語ると、そっと手を離し、やや表情を崩して、寂しげに言う。
「じゃあ、みんなの所にも行ってくる。早く起きないと、仕事が山になっちゃうよ」
鎌瀬は、返答を待つことなく背を向ける。
数ヶ月分も熟成された沈黙に満ちた空間は、彼を静かに見送った。
17時53分。
鎌瀬は、『恩人』のいた安全エリアとは別の隠し扉をナイフ片手に、警戒しながら慎重に開けた。
そして……
「!!」
鋭い音を立てて飛来するナイフが三本。
鎌瀬はそれを手にしたナイフで弾き、空中で柄を握って掴み取り、刃を見つめる。
「うん……新作か。良い出来なんだけど……いつも言ってるけど、投げて渡すのやめてくない? 一応ここダメージ入る場所だし」
鎌瀬がそう言ってナイフの先に見つめるのは、黒子のような格好をした少女。顔を黒い薄布で隠し、無言で立っているが、どこか不機嫌そうな気配を漂わせている。
「『文句言うならあげない』? いやいや、今のはこのナイフが良い出来すぎて怖いくらいだったって誉めてるから、機嫌直してくれって。それより、研究室のおねーちゃんを呼んできてくれないかな? スズメちゃん」
黒子の少女……スズメは、小さく頷いて通路の奥へ去っていく。この洞窟はモンスターがほとんど出現せず、部屋のような形の安全エリアが多くあるため、慣れれば一つの家のように生活出来るのだ。
鎌瀬はさらに通路を進み、別の隠し扉を開ける。
そして、その中にいた二人のプレイヤーに頭を下げる。
「相変わらず忙しそうですね。シャークさん、ミク師匠」
会議室のような広めの部屋と大きめのテーブルの奥で何かの書類を片手に頭をかきむしっていた男と、その横で秘書のように控えるチャイナ服の少女……シャークとミクが、鎌瀬を見る。
「ぴったり予定の五分前か……相変わらずだな」
「丁度いいとこき来たネ。会議終わったら一緒にクエストボス狩りに行くの手伝うヨ。もう、デスクワークは疲れたアル」
「いや、デスクワークしてたの俺だから。おまえほぼ立って見てただけだろ」
「男が女の買い物につき合うくらいには疲れたネ。早く仕事終わらせないと会議始まらないヨ」
「チクショウ、これで書類任せると平気でミス連発するんだよなこいつ……」
「日本語難しいネ。トイレットペーパーに封蝋とか分けわからんアル」
「手紙は手紙じゃねえっていつも言ってんだろ! 配給先から苦情が来たぞ! 『VRゲームでトイレットペーパーいらねえ!』って!」
そんな二人の会話を見ながら鎌瀬が席に着くと、部屋の扉を開けて迷彩服の少女が機械油か何かで袖や頬を汚したまま入ってきた。
「あーごめんごめん。新しい高射砲の組み立てにはまっちゃってさー。でもギリギリセーフだよね?」
「AB、せめて顔洗ったら?」
鎌瀬が投げたハンカチを受け取ったABはそれで顔を拭き、席に着く。
そして、それとタイミングを合わせてミクも席につき、四人で顔を見合わせる。
「夜通鷹、ご苦労だったな。メールは読んだ……情報屋に顔バレしてもこりずに単純な足の着く手を何度も使い続けるようなアホは早いとこ捕まえられて良かったよ。そんなわかりやすいのを放置してると、またどこぞの殺人鬼の被害が増える。同盟に逮捕された方が安全だろう」
『夜通鷹』……そう呼ばれた鎌瀬は、ストレージから一冊の『本』を取り出してテーブルに滑らせる。
それは、鎌瀬が燃やしたはずのプレイヤーを閉じこめる『本』……本物だ。
「調べてみたら、やっぱりこの『本』が出てきた。やつらは騙したプレイヤーをアジトに運ぶ手段程度にしか使えてなかったけど、これが増長の原因になったのは確かだと思う」
「よし、でかしたな。じゃあ、事情聴取で鎌掛けてみてくれ」
「了解、ギルドの調査で何かわかったらまたすぐ連絡する」
シャークが本をストレージにしまい、『じゃあこの件は情報が入るまで保留だな』と呟き、口角を上げる。
「じゃあ始めるか……『攻略連合攻略会議』、さあ、悪巧みの時間だぜ?」
鎌瀬……その裏のもう一つの名を『夜通鷹』。
彼の正体は、大ギルド『攻略連合』に潜入している犯罪組織『蜘蛛の巣』の工作員である。
23時13分。
鎌瀬は、疲労困憊しながら『帆船の街』のゲートポイントを通り、『泡沫荘』への帰路を歩く。
「師匠、夜元気過ぎ……『溶岩魚退治』とか『ファナリスの銅牛』とか、ハードな大量狩猟系3つに強ボス系4つ……なんで『戦線』行かなかったんだろあのバトルマニア……」
犯罪組織と言っても、活動は犯罪行為ばかりではない……というより、目立った活動は確実にそれを成功させる準備を整えてからするものであり、基本的には地味な下準備が主な活動だ。
今日は『活動資金の調達』という名目でミクとコンビでクエストをいくつか受けてきたのだが……はっきり言って、戦闘系クエストに関してミクの『易しい・普通・難しい』の感覚は鎌瀬の『普通・難しい・死にそう』くらいにずれているので本気で疲れるのだ。
しかし、工作員の活動で足りない時間分のノルマをよくミクの稼いでくれた資金で補うので文句を言える立場ではない……というより、端的に言って鎌瀬がミクより弱いだけで、ミクとしては文句を言われる筋合いはない。
そんなことを思いながら、鎌瀬は『泡沫荘』に帰宅し……101号室にランプの灯りがついているのに気付き、覗き込む。
するとそこには、皿に置かれた握り飯とメモが置かれていた。
『二等兵くん、遅くまでお仕事ご苦労様。
大家さんより
PS.宿題は明後日までに延ばしてくれるってさ』
鎌瀬は、苦笑するしかなかった。
「『やっぱり家が一番落ち着く』……とか思っちゃった時点で負けだよな、全く」
鎌瀬は、本当の仲間は犯罪組織のシャーク達だと思っている。目覚めない『恩人』と向き合うのは寂しいが、彼女を任せられる仲間への信頼は絶対だ。
しかし、『攻略連合』の定規との友情も秘密はあっても嘘ではないし、他にも同じ『三下』には気のいい者がたくさんいるのを知っている。腐敗の進んだ上層部は嫌いだが、ギルドそのものは悪い場所ではないと思っている……スパイとしてそれでいいのかはともかく、思ってしまっているのは確かな事実だ。
そして、外の問題を持ち込まない……鎌瀬が『兵士』でも『夜通鷹』でもなく、ただの少年でいられるこの場所は、鎌瀬にとって一番安心できる場所なのかもしれない。
「こんな半端者で……白黒どころか、三色の間でフラフラしてるの見たら、あんたはどう言うんだろうね……『恩人』」
鎌瀬は、自分が今どんな色に染まっているのかを考えながら、握り飯の皿を部屋に運び、一日を終えた。
今回登場した『三角定規』というプレイヤーネームは、パパ猫さんからアイデアをお寄せいただき、使わせてもらいました。
今後の活躍の程は未定ですが、鎌瀬くんを精神的に支えてくれるいい友人になってくれればと思います。




