226頁:弱体化の呪いに気をつけましょう
相変わらずのチートキャラ、マリーさんの活躍(?)。
7月12日の夜。
人気の少ない町の、寂れた宿屋の一部屋に鍵をかけて閉じこもったジャックは、やっと繋がった《携帯電話》の向こう側のライトに問いかける。
「ねえ、ボク……どうなってるんだろう? ナイフも銃も、持てなくなっちゃった」
ベッドの上には、彼女の持ち物であるナイフや、銃や、その他にも毒瓶や火薬などが散乱している。
これらは、ジャックが『持てなく』なっていたものだ。持とうとすると、手が震えて力が入らなくなる。しかもそれは、取り出したりしまったりするだけなら簡単にできるのだが、柄や引き金に指をかけ、人に向けるのをイメージすると取り落としてしまうのだ。
『その原因は……その、偽殺人鬼の顔か。一体、どんな顔してた?』
ライトの問いかけに一瞬息を詰まらせたジャックだが、深呼吸し、小さな声で答える。
「マリーさん……マリーさんにそっくりな顔してた」
『なるほど……仮面を取ったらマリーの顔だったってわけか。で、それは「本」で作られた偽物だったんだろ?』
「うん、そんなことはわかってるよ。でも……わかってるのに、手が思った通りに動いてくれない。ねえ、本物のマリーさん、連絡できないけど大丈夫かな?」
『あ、それは大丈夫だ。オレが保証する。今、目の前にいるし』
「え、目の前にいるって……あんた今『不死山』!?」
『「仮想麻薬」の流通に関わってたプレイヤーから話を聞きたくてな、こっそりマリーについてきたんだ。マリーと話すか?』
「そんな所いるんじゃ見つからないわけだよ……うん、わかった。お願い」
数瞬、何かを投げ渡すような音が聞こえた後、頭の中に届く声が変わる。
『もしもし、ジャックちゃん? 聞こえてますか?』
「マリーさん? うん、聞こえてる。無事なんだね」
『はい、むしろジャックちゃんの方が無事じゃなさそうですね。横で聞いていましたが、「本」で作られた私の偽物を殺しちゃって、それから調子がおかしくなったんですね?』
「うん、そうだよ」
『その時の、私と同じ顔……バッチリ見ちゃいました?』
「うん、見ちゃった。今も瞼の裏に焼き付いてる」
『あらあら、なるほど。それはおそらく……私の「黄金比率の呪い」ですね』
「呪い? それって、ステータス的なやつじゃなくて、暗示系の話だよね?」
『はい、方式は……日本でいえば「踏み絵」辺りがわかりやすいでしょうか。私の身体的な造形は特殊な比を持っていて、それを認識すると心理的に破壊しにくくなるようになっています。ほら、ジャックちゃんが私を攻撃しようとしても、行動に移す前にその意思が霧散してしまうでしょう? それと一緒で、私のその比を正確に書き写した偶像を攻撃しようと狙いをつけたりすると、他者へ危害を加える罪悪感やその行為に対するリスクへの恐怖心が増幅されて、敵意や悪意は打ち消されてしまいます。丁度、昔の隠れキリシタンが教義の改変がなされるまで処罰されるのをわかっていてもただの絵を踏めなかったように』
「でも、ボクは殺してからその顔を見た」
『はい、それが「呪い」です。仮に何らかの方法で私を害する者がいたとしても、たとえそれで私が死んだとしても、罪悪感や恐怖心の増幅は止まらない。むしろ、不可逆な行為に関してのその手の感情はレベルが違います。常人なら、その場で自らの命を絶っていてもおかしくはないでしょう』
「つまりボクは……マリーさんの偽物をルアーに使った罠に釣られて、もう満足に戦うこともできない毒を食わされたってこと?」
『いえ、その効果は永続するわけではありません。私が街に戻ったら暗示の解除はすぐできますし、たぶんですけど、ジャックちゃんが殺しに使ったことのない杖くらいなら普通に使えるはずです。それに、さすがに顔だけ真似た紛い物なら私ほどの力はないと思うのである程度の時間が経てば解けるかもしれません』
「『ある程度』って……どのくらい?」
『そうですね……普通の暗示なら一日程度、意識の区切りで言えば一度寝て起きればほぼ解除されていると思いますが、私の場合は夢に出てきてむしろ暗示を強化してしまう可能性があるのでなるべく寝ないほうがいいですね。あとは、その瞼の裏に焼き付いてしまったという像を忘れてしまうほど刺激的なことが起こればすぐに治るかもしれません』
その言葉を聞き、ジャックは安心したようにクスリと笑った。
「そっか……じゃあ、少しだけ殺人鬼のお仕事はお休みして、日常編といこうかな」
すると、また電話を代わるような音。今度は投げ渡すような乱暴な方法ではなく、そっと手渡された感じだ。
『いいかジャック、気を抜くなよ? おまえは今、殺せなくなってるんだ。相手は、それを狙ってこんな策を巡らせてきたはずだろう。だとすれば、今の弱ったおまえを狙ってくるかもしれないぞ』
「ありがと、わかったよ。殺気感じたら逃げに徹する」
ジャックは、マリーの言う『呪い』が生涯続くものではないとわかり、ホッとして気が抜けたように応える。
それを聞いたライトは、やや心配するような気配を混ぜながら、ジャックに言った。
『本当に気をつけろよ? 悪いことっていうのは、決まって一気に襲ってくるんだ。作為的か偶然かは関係なくな。人間が普段からやってるから「殺さない」っていうのは、殺人鬼からは簡単に見えてるかもしれないが、ただ単に殺すより大変な、意外に高度な縛りプレイなんだぜ?』
≪現在 DBO≫
7月12日、夜中。
黒ずきんの向かいの宿部屋にて、ホタルは腕を組んで考える。
「黒ずきんちゃん、大丈夫かな……」
ホタルの前には、二冊の『本』が置かれている。今まで得た情報によるとこの手の『本』を読もうとすれば引きずり込まれることもあるらしいのでブックバンドできつく封印してあるが、ホタルはこれがここ最近の噂の正体だということを内容を読まなくても確信している。
あの時のあの状況……すぐに消えてしまったので細かい特徴は見えなかったが、二人分の死体はどうも片方が『被害者役』であり、もう片方が『殺人鬼役』だったらしかった。そして、その茶番に巻き込まれたプレイヤーの黒ずきん。おそらくだが、噂の目撃例はこの二冊の『本』が化けたキャラクターの殺し殺されの芝居の目撃例だったのだろう。そのような、決められた行動をとるNPCを作れることができるプレイヤーが犯罪組織側にいるのは知っている。
そして、その茶番を目撃して巻き込まれた黒ずきんは、とっさに『殺人鬼役』を迎撃し、役を演じるばかりで戦闘能力皆無のNPCは即死。そして、それを『人を殺してしまった』と思い込んで呆然としていた黒ずきんをホタルが目撃した……ホタルの理解では、事態はそのような形をとっていた。
そして、『殺人鬼役』がNPCであったとわかった後も、黒ずきんは今回は相手が人間ではなかったが、もし本当に人間だったら殺してしまっていた……あるいは、『殺せて』しまっていたことに深く動揺し、今日は休むといって宿に鍵をかけてこもってしまった。
「誰でも、目の前で誰かを殺した直後の殺人鬼が飛び掛かって来たら迎撃くらいしますよ……って、私が言ってもしょうがないですね」
ホタルは、本当に殺人鬼に遭遇する危険もあったこの調査に黒ずきんを同行させてしまったことを、少々後悔している。もし今回遭遇したのが本当に凶悪な殺人鬼だったら……きっと、黒ずきんは死んでいたのだから。
「噂は元をたどれば完全なデマ、そろそろ一週間も経ちますし……捜査はここら辺で切り上げて、残りの時間は黒ずきんさんにお詫びでもしようかな」
今回は『自分の軽はずみな復讐行為が、あともう少しで知人の命を奪うところだった』という理屈を立て、捜査資料をまとめる。ホタル自身も呆れることだが、行動の中止にすら知人をダシに使った屁理屈が必要となる、本当にどうしようもない性格なのだ。
そして……
「『殺人鬼がライトを探してる』の噂の根拠もないってことは、あの人に危険が迫ってるわけじゃないってことですよね。なら、黒ずきんさんの恋路もしばらくはそっとしておいて大丈夫。むしろ、いざって時に困らないようにいろいろ教えてあげた方がいいかもしれませんね……ムフフフフ」
ボーイッシュで色恋沙汰は苦手そうに見える黒ずきんと、そもそも恋愛感情を感じないのではないかとまで言われるライトの、難儀しそうなカップリングを想像し、黒ずきんに手取り足取り(拒否されても)教授するつもりの『いろいろ』を頭の中で組み立て、一人ほくそ笑む。
今のホタルの中でライトは、言ってしまえば『過去の人』なのだ。一度忠誠を誓った相手でも、知人がそれを好きになってなんとも思わないし、過去に告げられた告白が嘘だったと知っても過去のもう終わったこと、彼が殺人鬼を匿っていようがやはりそれで実害がなければ何も言わない。
そんな、今現在の刹那の時間に生きる少女は『復讐』などという自分に似合わないことを頭から追い出し、伸びをして元のペースに自分を戻したところで、ふとあることを思いついた。
「あ、そうだ。黒ずきんちゃんに夜這いをかけてみよ。弱ってる今なら私の方にコロッとなびくかもしれないし」
思いつきでこんなことを考え、そして実行に移してしまえるところが、彼女が世間から『ライト以上の変人』と呼ばれる所以でもあった。
そして、深夜。
「黒ずきんちゃぁぁああん!!」
「きゃぁああ!!」
屋根裏から天井の一部を外して黒ずきんの部屋に侵入したホタルは、マリーの言いつけ通りに寝ないように攻略本を読みふけっていた黒ずきんに襲いかかった。
寝ていればそっと侵入してベッドに潜り込むつもりだったのだが、起きていてすぐに察知されてしまったが故の、ホタル的には『やむを得ない』突入法だったが、黒ずきんにしてみれば奇襲も良いところだった。いやむしろ、『殺気』の探知に長けた彼女なら本当に闇討ちや奇襲でもされた方が驚かないのだ。しかし、害意のない『夜這い』はその警戒の範囲外だった。
天井から落ちてきたホタルにそのまま肩を押さえられ、上に乗られる。ギシギシとベッドが悲鳴を上げる中、黒ずきんはホタルに強く問いかける。
「何いきなり!」
その拒絶すら感じさせる声音に対し、ホタルはよりいっそう身を近づけ、艶やかに微笑む。
「知ってるでしょ? 私が女の子との『こういうこと』が大好きな女の子だって」
「な、なんで今……」
「だっていつもの黒ずきんちゃん、ずっと先の尖った刃物みたいなのに、今はすごく安全そうなんだもん。こんな時を狙わないのはむしろ失礼かなーって」
「夜這いかける方が何より失礼だよ! ていうか、昼間では敬語だったのに、なんでいきなりそんな口調で……」
「今は人の目もないしー、他人行儀に敬語なんて使ってたら、楽しめないでしょ?」
「ナニを楽しむ気だあんたは!? てか普通、あんなことあった後にこんなことする!? あんた頭おかしいよ!!」
「うん、知ってるよー。でもね……そんなに弱った顔した女の子を一人きりで寝かせるのは、イヤなんだよ。私はねー」
黒ずきんはホタルを押しのけようと力を入れるが、生半可な力では上がりそうもない。それに、ホタルは知らないでこんなことをしているが、本当は『殺人鬼』の称号を持つ黒ずきんは、街中でもダメージのやり取りが発生してしまうので、それを防ぐために下手に強い力を入れられないのだ。
それに……
(ホタルは……ボクがどれだけ弱ってるかを、ボク自身より理解してる……逃げられないのを理解して、押し倒して来てる)
ホタルは、実の所かなり人間の情動に敏感だ。
それが情報屋として培われたものか、あるいはリアルでの親の顔色を見て育ってきたことに由来するかは、彼女自身にもわからないだろうが。本人が意識していない部分を直感的に感じ取り、それを持ち前の気遣いや分別とは無縁な性格で指摘する。
彼女が変人であり変態であり、しかし大ギルドのサブマスターなどというものを続けられるのは、その情動の感知力があるからだろう。他人の弱った部分を見つけ出し、そこから心に食い込んでいくスタイルは、彼女の行動を無闇に無視出来ないようにしてしまうのだ。
そして何より……
「うっ……くっ……」
「……泣いてるの?」
ホタルが、黒ずきんの変化を感じ取り、上から退く。
しかし、黒ずきんは起き上がらず、顔を手で覆う。
「ご、ごめん……そんなに傷つけちゃうなんて思ってなくて」
「違う、違うんだよ……ただ、驚いちゃって……人間ってこんなに怖いんだって……久しぶりに……」
自分の自覚していないことを自覚させられるということは、自分が目を背けていた部分を見せつけられるということでもある。
(夜中に襲われたことに驚いたんじゃない……ボク自身が、こんなに弱くなってることが……怖い)
『いざとなったら殺せばいい』……その考え方が、心のどこかにあった。
そもそも、『殺人鬼』が人間を殺すのは、人間を自分と同じ生物と認識できないからだ。それを殺意に繋げるのは、自分の身を守ろうとする行為。自分と似ていながら、しかし圧倒的に数の多い『異種族』に囲まれながら、自身の殺傷圏を縄張りとしてその中での心の安定を保っているのだ。しかし、今はその縄張りがない。ホタルに縄張りを侵害されても、殺意を封じられた今、それをどうやって防げばいいのかがわからなかったのだ。
まあ、逆に言えば万全の状態なら反射的に殺してしまった可能性もあったのだが……そこはホタルがそうならないタイミングを本能的に察知していたということだろう。
つくづく、油断ならない相手である。
「ホタル……悪いけど、どいてくれない? ボクは今ちょっと……人の体温とか、感じていたくない」
「えっとそれって……『キミの温もりが欲しい』とかの逆のやんわりとした拒絶?」
「うん、とにかくどけ」
マリーの『呪い』に抵触しない範囲の、殺気とは呼べない程度の剣幕を乗せた言葉の刃をホタルへ放つが、ホタルはキョトンとした顔をして離れない。
「どうしたの……悪ふざけはやめて、ボクの上から」
「ねえ、この霧なんだろう?」
黒ずきんの言葉に被せるように、ホタルは問いかけた。
その、文脈を無視した言葉に異常を察知した黒ずきんは、辺りを見回した。
すると、少ない照明しかなく暗い部屋の壁や天井が白んで……室内であるのにも関わらず、『霧』が辺りを覆い始めているのだ。
「これは……毒ガス? 煙幕? いや、なんか違うみたいだよ!」
「とりあえずこの部屋から出よう!」
二人はベッドから起き上がり、戸口へ向かう。そして、待ち伏せなどを警戒してドアの向こうの様子を伺ってから、ナイフと小刀を構えて飛び出した。
すると……
「え?」
「あれ?」
目の前には、宿屋の廊下などとは似て非なる光景が……木々の生い茂る林と、その先に広がる湖が見えた。
同刻。
『殺人鬼』は、目の前に並ぶ武器、兵器、そして凶器を見て考える。
『生きる』とは、『消費』することだ。
獣も、魚も、草木でさえ、何も消費せずに生きて行くことはできない。
もちろん人の営みだろうと同じように……何の犠牲もなく、存続していくことはできない。
それこそが、生きているものと単なる石ころや鉄くずとの違いだ。
故に、生き続けるとは消費し続けるということ、犠牲を出し続けるということだ。
それは、他の生物にしてみればひどく迷惑な話であり、嫌なことではあるが、しかし否定はできない。それが、『命の尊厳』と呼ばれるもの……生きるためという大義名分があれば、あらゆる行為の正当性を主張できる権利だ。
なればこそ、生きるために殺すという行為は『生物』として真っ当な物なのだ。
だからこそ、鬼は人を殺すのだ。自身が生きていることを主張するためには、殺し続けなければならないのだ。
殺し、惨殺し、虐殺し、その死体を積み上げた山こそが、その営みの証となる。
難しく考えることはない。スナック菓子の袋がゴミ箱に積み上がっていれば、そこに誰かが生活していたのがありありとわかる……その程度の話だ。あるいは、切った爪や抜けた歯を記念にいつまでもとっておくのと同じだと思えばいい。
要するに、過去の偉人の行為を『道を切り開く』とか『傷痕を残す』とかのたまったところで、やっていることは既知の物を壊し、人を殺し、何かを破壊し、世界を削り取っているだけなのだ。
だからこそ……
「Death Game『Lake Of Murdere』……Game Start」
『黄金比率の呪い』
危害を加えた者に深刻なPTSDを発症させる能力(生まれつきの比率、成長とともに完成度が変化)。
ただし、精神構造の大きく異なる動物やライトのような感性の完全に停止している存在には効かない。
……生まれたばかりの赤ん坊や捨てられた子犬の瞳などにもこれと近い比率が現れる場合が多い。




