220頁:戦後処理を忘れてはいけません②
さらっと町を消滅させたマリーさんでしたが、人的被害はNPC含めゼロです。
6月30日の深夜。
ナビキとライトが激しい戦いの繰り広げ、今は人気のない商店街の跡地にて。
突如、地面がモコリと隆起し、そしてその下から細い腕が生え、さらにその下の身体まで土を押しのけて這い上がってくる。
髪の長い中学生くらいの少女……『アベル』だ。
『イヴ』に食べられ、ガムのように咀嚼されたが、彼女はそこまでされても『死なない』のだ。
『イヴ』が巨体を一度解きほぐし地中に潜った時に解放され、今ようやく身体を完全に再構築させ、復活したのだった。
しかし……
「はーい、つーかまーえまーした」
地面から出たばかりの彼女の頭に、後ろから『ポン』と優しく、手が乗せられる。
そして……
「ごめんなさいね、ちょっと聞きたいことがあるので……早く降参してくださいね?」
《現在 DBO》
消滅した町の跡地にて。
町を『消滅』させ、今なお破壊の宣告をすぐにでも発しそうな覇気をまとう一人のプレイヤー。首から不可思議な模様の描かれた『金メダル』を下げたマリー=ゴールドは、そこに一人で杖を突いて立つ一人の老人に笑顔を向ける。
「あらあら、あなたは絶対に死んだと思ってましたのに、昔と何も変わらない……随分と血色のいい死体さんですね?」
それに対して、老人は笑い返す。
「はは、残念ながら老いぼれは若者の思ってるより簡単には死なないのさ。それより、どうしてここが……などと聞くのは無粋かな? 君のとなりの『それ』が合流場所を喋ったんだろ?」
老人に視線を向けられ、マリー=ゴールドの隣に立つアベルは身をすくめる。
「どんな激痛にも耐えられるように教育しておいたはずなんだがね……どんな拷問にかけたんだい?」
「あら、拷問なんて人聞きの悪い。今まで痛いことしか知らなかったのか、少し『優しく』しただけですぐ堕ちてくれました。」
「押してダメならってことかい? それはそれで拷問じゃないかと思うけどね……で、僕に何か用かな?」
老人はまるで悪戯をとぼける子供のような表情をしてみせる。だが、マリー=ゴールドのまとう雰囲気は緩まない。
「あらあら、しばらく会わない内にボケましたか? あなたが預かってるうちの子を返してもらいに来たんですよ。ほら、この子と交換でどうですか?」
「生憎だが、『それ』はシステム公認でこちらの所有物だよ。落とし物を返しに来てくれたことは感謝するが、持ち主に返すのに見返りを求めるのはいただけないな……ほら、おいで。こっちに来るんだ、これは『命令』だよ」
老人が手招きすると、アベルは重い足取りでその通りに老人の元へ歩み寄る。
システム的に使役されている彼女は、目の前で『命令』されてしまえば逆らえないのだ。
マリー=ゴールドはその展開をわかっていたらしく、戻る彼女を黙って見逃す。
元々、交換など成立するとは思っていない。
チイコがどうして帰ってこないのかは、大方検討がついている。
そして、アベルが老人の元へ戻ったところで、マリー=ゴールドは話題を切り替えるように言う。
「ところで、本当にどうやって生きていたんですか? 現実世界で、死体は確認したつもりだったんですが」
老人はそれに、自慢げに答える。
「ああ、それはクローン技術で作った僕の偽物さ。君のクローンを作ったのと同じ、投薬で成長促進して老化までさせてね。どうだい、そっくりだっただろ?」
「……はい、すっかり騙されましたよ。滑稽ですね」
「ふふふ、ズルをするのは大人の特権だよ。まだ今より若かった君が騙されたとして、卑下する必要はないさ。さて、久しぶりに座って話でもしたいところだが、つい先ほど更地になってしまったのでね……どうだい? 『この中』で話をするというのは?」
老人は懐から一冊の『本』を取り出して見せる。
そこに書かれている題名は『エイエン様』。
「お気に入りの一冊なんだ。覗いてみないかい?」
一冊の小説『エイエン様』の中に作られた空間にて。
アベルに本を持たせ、老人と共にそこに足を踏み入れたマリーが見た光景は……一見、ひどく平和なものだった。
中の独立空間には畑があり、村があり、家があり、十数人の人がいる。老若男女様々だが、武器を持っているわけではない。どうやら、待ち伏せというわけではなく、各々が家を持ちそこで生活しているらしい。
「あらあら、もしかしたら罠かもしれないと身構えて損しましたよ」
「はは、ここではダメージは発生しない。安心していいさ。それに……どうせ、どんな大軍隊がいようと君はまとめて吹き飛ばしてしまうんだろ?」
町を一撃で吹き飛ばしたマリーのユニークスキル『救世スキル』。それを使えば、どんな罠だろうと力ずくではね飛ばせるだろう。
しかし、マリーはその皮肉を『護身用』程度のニュアンスで流す。
「まあ、『自衛のための最小限の戦力』くらいは持っているつもりですよ」
「おおこわい。ところで、この世界をどう思う?」
マリーは、ここで生活しているらしい人々を見て……呆れたように言う。
「ここにいるのは、全員生きた『プレイヤー』ですね。閉じこめたんですか?」
「縁起でもない、濡れ衣はやめておくれ。この子らは、自ら望んでここにいるんだ。なんなら、本人たちに聞いてみてくれるといい」
老人がそう促すと、マリーは近くにいた農夫風のプレイヤーの一人に目を付け、歩み寄って声をかけた。
「すみません、お話よろしいですか?」
農夫風のプレイヤーは畑を耕していたが、声をかけられて鍬を置き、振り返る。
「ああ、いいよ。見たことない顔だけど……新しい人?」
「はい、実は私、ここがどういう場所なのか知らずに来てしまったんです。教えていただいても?」
「いいよ、みんな最初はそんなもんだ。おらぁ古参な方だから、詳しく教えてやるよ」
とても親切そうに……見える人だった。
「はい、教えてもらいます。あなたから見た、この世界のことを」
そこからマリーは場所を移動し、何人かに同じように問いかけて、この場所の大方の情報を得た。
わかったのは、確かにここにいるプレイヤー達が望んでここにいること。そして、ここを快適だと思っているらしいことだった。
彼らは、死に脅えなければならないデスゲームの世界から、絶対に死ぬことのないこの世界へと避難してきた者達。ここはそのために、平和に暮らせるように作られた世界だということ。
しかし……
「ただし、一つだけ注意しなきゃいけないことがある。いいかい? 入ったばかりなら、『エイエン様』にだけは絶対に触らないで欲しい」
「『エイエン様』……とは、なんでしょう? すみませんが、知らないものは触らないように注意することも出来ません」
「それは……この世界の『守り神』だ。今は、それ以上は言えない」
この『本』のタイトルにもなっている『エイエン様』の話になると口を閉ざす。
マリーも、能力を使って無理矢理に情報を引き出そうとはしない。そんなことをしなくても、想像はついた……老人の、吐き気を催すような悪ふざけは見当がつく。
そして……
何かの時刻を告げる鐘が鳴った。
それに反応し、住人達はしていた仕事を途中で放り出して鐘の音のした方へと走る。
マリーもこっそりそれを追って歩いていく。すると、村の奥には林に隠された祭壇のようなものがあった。そこには……
「これはこれは……やっぱり、こういうことでしたか。本当に……趣味が悪い」
そこには、この一見平和な世界から歪みを一点に集約したような『狂気』の象徴があった。
「ぅ……ぁ……」
それは、人間とは思えない『ヒトであるべきもの』。一人では絶対に動かせない大きな岩の扉に閉じ込められ、その奥深くの壁に釘づけられ、ありとあらゆる自由を奪われた一人の人間。
何より異常なのは、他のプレイヤー達がそれを何一つ不思議だと思わずに、その口に食べ物を入れ、身体を拭き、まるで偶像でも崇めるかのような眼差しを向けているのだ。いたわりながら、感謝の言葉をかけながら、尊重し崇拝しながら……誰一人として、そのプレイヤーを助けようとはしない。
性別も年齢もわからないほど雁字搦めで、おそらく自殺すらもできない、この場で誰よりも不自由で何もできないそのプレイヤーが信仰の頂点であり……人間としての、最低辺なのだ。
そして、そのプレイヤーこそが……『エイエン様』なのだ。
「気に入ったかい? この『本』はちょっとした日常譚なのだよ。ある日、ある辺境で現地の神職として高い地位を持つ主人公が、気まぐれに文明社会を体験しようと街へ飛び出し、自分の地位も宗教観も常識の全てが通じない世界に驚きおののくというちょっとした日常話だ」
マリーの後ろから、老人が語る。
「僕の『夢にまで見た世界』はこのように、僕が書いた本の世界を下位世界としてVR化してプレイヤーを招き入れる本だ。設定や世界観はいろいろ変えられるが、この中では絶対に死なない。この中からは物は持ち出せないが、中だけで良ければ何だって用意できる。とても無害で、とても快適な理想の世界をご用意できる」
『エイエン様』は、マリーを見つけると助けを求めようとするかのように強い目線を送るが……すぐに、諦めたかのように目を伏せる。
「さて、この世界には大きく分けて二つの楽しみ方があるんだ。一つは、本来登場しない『ゲスト』としてストーリーを外から傍観したり少し手を加えて展開を変えてみる。もう一つは、自分が登場人物の一人に配役されて臨場感を楽しむ方法だ。ただし、どちらを選ぶとしてもちょっとした注意点がある。それは、『主人公』の取り扱いだ。あそこにいる『エイエン様』とかね」
この『本』の題名は『エイエン様』……しかし、『エイエン様』は封じられたプレイヤーの呼称でもあるらしい。
老人は、一枚の『栞』を取り出し、マリーの目の前に見せる。
「この『本』は一つの世界だが、あくまで『本』でもある。終わりのある、一つの物語なんだ。この『本』から出るには、この『栞』を使う以外には方法は大きくくくれば一つ、小さく区別しても二つしかない。それは、『物語』を終わらせること。そして、その手段が『主人公が物語の目的を達成すること』、それか『主人公が死ぬこと』だ。これは本当に死ぬ必要はない、この世界での、登場人物としての仮の死で十分だ。そして……その条件さえ整わなければ、彼らは満足行くまでいつまでもこの世界に住んでいられる」
『エイエン様』がこの村を出てしまえば、物語が完結してこの世界が終わってしまう。
だからこそ、ここにいるプレイヤー達は『エイエン様』から自由を奪ってここに封じ込め、同時に死なせないようにいたわっている。
デスゲームの世界に戻りたくないがために、一人の人間を人柱として、偶像のように崇めているのだ。
「ここにいるのは、デスゲームなんかのせいで親しい人を失ったり深い心の傷を受けた人たちだ。僕は彼らに、安らかに安心して暮らせる環境を用意した。あとはほんの少し、本当のことを教えてあげただけだ……『彼こそが、この世界の中心だ。彼が死ねば、ここから離れれば、この世界は終わる』。後は、彼らが自分で勝手に考えて行動したんだ。どうだい? 君が尊重する『選択の自由』は、こんな結果ももたらすんだよ?」
その囁きに、マリーは……
「あなたは本当に、なんにも変わってませんね……信じられないほど、進歩がない」
手に白い輝きを宿し、その指先を『エイエン様』へと向ける。そして……
「こんな世界は不快です。お暇させていただきます」
その指を自分の後ろの老人へと向け、指先から光線を放ち、その顔面を半分消し飛ばした。
そして、その手から離れた『栞』を宙で掴み、振り返る。
「やっぱり……最初から、アベルちゃんを待つつもりも、私と真面目に話すつもりもなかったんですね?」
そこには、頭を消し飛ばされながら倒れず、欠けた顔で笑う老人。
「おやおや、てっきり『主人公』を殺してこの世界を終わらせるつもりかと思ったんだがね?」
「それでこう言うつもりだったんでしょう? 『ああ、残酷なことをするものだ。彼は大切な人のために自ら生贄になったのに』……こういう『本』は他にもたくさんあって、チョキちゃんみたいにあなたが壊した人や、その中で『平和』に暮らしている人がたくさんいるんでしょう? あなたのことです、私が彼を救えば、より最悪な展開を用意してるに決まってます。大方人質でもとっていて、ここから彼が出るとそちらの方がどうなるかとか……彼が私を見ても助けを求めないのは、そういうことなんでしょう?」
「ふふふ……なるほど、わかってるじゃないか。ちなみにこれは僕のもう一つの固有技『設定集』だ。僕が作った設定をNPCにして召喚できる。戦闘能力はないがね。作り込めばかなり複雑な会話もできるのさ。で、どうするんだい? このまま彼らを僕に返して帰るかい?」
「本当に、悪趣味で意地悪な人ですね……」
そう言ってマリーは、プレイヤー達の間を悠々と歩いて『エイエン様』へと向かっていく。
止めようと、声をかけようとする者もいたが、無言の圧力に勝てずに皆が引き下がる。
そして、『エイエン様』へとたどり着いたマリーはその顔に触れ、首から下がったメダルを僅かに揺らしながら、目を合わせて小さな歌声のようなものを耳に吹き込んで囁く。
「ごめんなさい。いつか必ず助けますから……少しの間、昏睡の夢の中で待っていてください」
『エイエン様』は、魂を抜かれたように脱力し目をつぶった。
彼はきっと、夢心地の中、この状況が変わるまで麻痺した時間感覚の中で時を過ごすだろう。
そして、振り返ったマリーは偽物とわかっていながら、老人に射抜くような鋭い視線を向け、『栞』でその世界を脱する直前に言い放つ。
「『予言』します。『あなたは、そう遠くない内にあなた自身の世界の崩壊を迎え、その残骸に押しつぶされることになるでしょう』」
そして、哀れむような思いを込めた眼差しで、こう付け加える。
「あなたは……『The Golden Treasure』が……私達の世代が残した悪霊です。私は、あなたを憎みも蔑みも嫌いもしません……ただ、祈らせてください。あなたが、後悔と絶望だけではなく、僅かにでも救いのある最期を迎えられることを。さようなら、『箱庭の悪神』」
「ならば僕は、人間が大好きな君が、人間らしい後悔と絶望に満ちた結末を見せてくれることでも期待しようか。また会おう、『口だけ天使』」
同刻。
とある街、ゲートポイントの側の壁に埋め込まれた伝言板。その脇に置かれた白墨によって待ち合わせの相手に伝言を残せる黒い板。
多くのNPCが往来する場所にある伝言板は、誰がいつ書き込んだかはわからない。大抵の者はそんなものは見ずに通り過ぎる。
そんな中……通り過ぎる人並みに紛れ、誰かが書き込んだ言葉が白い文字で刻まれる。
『戦争は終わった。生きているか?』
すると、またも人波に紛れて数分ごとに新しい言葉が付け足されていく。
『無事』
『問題ない』
『たとえ減っていたとしても、問題は出ない』
『ならば、確認は不要か』
『そうだ。そもそも、我々には互いの現状を知る必要はない』
そこで更新が一度途切れ、十分ほどすると、再び誰のものかもわからない白い文字が刻まれ始める。
『今回の戦争、ライトというプレイヤーが複数の人間を完璧に模倣していたという情報がある』
『事実だ。以前から「哲学的ゾンビ」を名乗っていたことも確認済み』
『彼が本当にそうだと思うか?』
また短い間の後、白い文字が刻まれていく。
『ありえない』
『あれはただの人間だ』
『偶発的な変異を起こしただけの紛い物』
『あれで「哲学的ゾンビ」を名乗るとは』
『笑止』
『所詮は元人間』
『気にすることはない』
『警戒には値しない』
『こちらには問題は発生しない』
『目的のために人外を自称し立場を危うくするなど』
『仮に人を越えていようと、天然物など洗練されていない原石にすぎない。緻密に設計された我々には届かない』
『あれは所詮、我々の中でも最低辺。切り捨ててかまわない』
書き込みがまた途絶える。
そして、少しして大きな言葉が一つ綴られる。
『我々こそが真の思考実験悪魔「哲学的ゾンビ」。誰にも悟られず、陰から世界を制圧せよ』
この数分後、人波が横切った後には既に伝言板を介した『会話』の形跡は消し去られ、何事もないように日常が流れていった。
『一人やられたが、あいつは我らの中でも最弱』……とかって四天王っぽいセリフ、一度やってみたかったので、最後にぶち込んでみました。
今回は『あいつ=主人公』ですが……




