219頁:戦後処理を忘れてはいけません①
今回はほとんどが会話中心です。
……いつもですが。
『イヴ』討伐成功の知らせはギルドの一斉メールから人へ、人から人へと渡り、7月2日の朝にはほぼ全てのプレイヤーの知るところとなった。
大ギルドの同盟が仕掛けた策により誘き出された『イヴ』及びそれを援護する『黒いもの達』と総称される『合成生物』も、同盟側の総力を以て行った迎撃戦により殲滅。
なおこの際、『イヴ』は犯罪組織に属するプレイヤーが発見したシステムのバグを利用した改造アバターであると判明し、その中核となっていたアイテムを破壊したことで完全に無力化され、それに用いられていたユニークアイテムも『大空商店街』が回収したため、以後同様の方法により改造アバターが現れることはないという情報が公表された。なお、その詳しいバグの操作法については悪用を防ぐため秘匿されている。
また、今回の『イヴ』討伐に当たり、戦闘補助要員であった『大空商店街』の幹部メンバー『ナビキ』が死亡。さらに、決戦より以前に行方不明となっていた幹部メンバー『ドクター』と『雨森』も死亡していたことが捕虜の供述から発覚し、戦闘によって施設を破壊されたこともあり大打撃を受けた『大空商店街』だが、協力関係にあった他の大ギルドとの結束を強めることによる以後の同じような事態の再発防止や戦力強化の重要性を主張し、同盟の継続を宣言(これは決戦以前から締結されていた相互被害補完条約の一環とされている)。
戦力が少なく人数が飛び抜けて多い『大空商店街』は中立的立場として同盟の中核となり、以後協力を円滑にするための戦闘ギルド間の調節や関係性の改善の役割を担う代わりに復興の支援を受けることとなった。
なお、犯罪組織『蜘蛛の巣』は戦力の中核を失ったことで分裂を始めており、残党は散在しているものの組織力が低下し大規模な犯罪行為は行えない状態にある……つまり、同盟は犯罪組織を打倒したのだ。
《現在 DBO》
7月3日。
とある町のカフェにて。
日に焼けた帽子をかぶり、黒い羽織を着た背の高い少年……ライトは、語る。
「ナビキは……ギルドの広報アイドルなんてやってたが、実のところあれは商店街の活性化程度の、お遊びみたいな活動だった。そもそも……ナビキには、そこまで歌の才能があったわけじゃない。ただ少し脳の運動制御の部分が特別で、音符の通りに指を動かして音符の通りに音程を合わせて発声してただけだ。多分、事故のリハビリの一環とかで細かい指の動きを制御するのに使ってたんだろう。普通の素人よりはずっと上手いが、そもそも正確なだけじゃ流行らない」
ライトの目の前には誰もいない。
しかし、彼はそのままの口調で語る。
「アイドルの一番の魅力は『みんなが盛り上がること』……集団心理ってやつだ。それさえあれば、それを持ち上げる風潮さえあれば石ころだって神様になれる。だが……今思えば、その頃からナビキは狙われてたのかもな。有名人の情報を集めるのは簡単だし、不相応な地位はストレスも溜まりやすい。ギャラリーの中に何百体かの人形が混ざってたところでわかりゃしないしな。チョキちゃんの偽物を作ったみたいに、それなりの数のファンを用意してやれば流行くらい作れるさ」
「別に、そんな話をするために来たわけじゃねえだろ。ほら、さっさと本題に入れ」
ライトの語りに、口を出す者がいた。
ライトの真後ろの席の男だ。
少々やつれたように見える二十代の男……シャーク。彼は犯罪組織『蜘蛛の巣』の幹部として知られ、軽々しくライトと会話していていいような立場ではない。カフェにいるのは、NPCの店員以外にはこの二人だけだが、万が一誰かに目撃されるのを危惧してかサングラスや帽子で変装し、背中合わせのライトに話の先を急かす。
「ったく、寝不足でイライラしてんじゃねえよ。もっとゆとりを持って生きてないと過労で死ぬぞ。オレやナビキと違って、おまえらは寝ないと死ぬんだから」
「うっせえバケモノ。永眠させてやろうか」
「おーこわい。だが今日はドンパチはなしって話しだろ? ほらよ、これが約束の物だ」
ライトは、背中越しに封筒を渡し、シャークはそれを受け取ると罠や魔法陣が仕掛けられていないことを確認し、中から書類を取り出し読み始める。
「こっちからは『誘拐されたプレイヤー12人の返還、賠償金またはそれに見合う情報やアイテムの譲渡、さらに仮装麻薬の栽培製造の禁止』、引き換えにそっちは『捕虜の扱いの保証と同盟ギルドメンバーによる犯罪者に対する過当防衛の禁止条約、並びに元犯罪者への迫害行為の禁止』……ま、大方すり合わせた通りの結果だな。迫害行為の禁止とか過当防衛の禁止についてはさすがに完全に遵守されるなんざ思ってねえが、無いよりはずっとましか」
12人のプレイヤーの中には、チイコは含まれていない。
彼女だけでなく、何人か返還の対象になっていないプレイヤーもいるが、その中の多くが自主的に『残留』しているらしい。
短い間に絆でも出来たか、そう見せかけて内部調査でも画策しているのか……もしくは、『元々本当はあちら側だった』というプレイヤーか……彼ら、彼女らは本人の意思を確認し、犯罪組織に『移籍』という形になる。
「ちなみに、書いてあるとおり過当防衛禁止は同盟ギルドメンバーに限る話だから、調子に乗ってソロの殺人鬼とかに手を出すんじゃねえぞ」
「わかってるよ、そのくらい。しかし良いのかね、正義の大ギルド同盟様が卑劣な犯罪組織なんかと交渉するなんて」
「そりゃ、講和条約とか停戦協定くらい結んでおかないと締まらないだろうさ。表向きは『正義の味方が悪の組織を壊滅させてめでたしめでたし』ってことになってても、そのまま放置なんて無責任なことすればお互い報復の連鎖が止まらなくなって泥沼になるだけだ。こういうのはキッチリしておかないと、やめられないとまらない醜い争いが続くだけだ……せっかくナビキが自分で連鎖の先を断ち切ったってのに、それじゃあいつに見せる顔がない」
「ああ、そうだったな……本当に、その通りだ。敗者は敗者らしく、勝者は勝者らしく、それに見合った態度をとらなきゃ、何のために戦ったのかわからねえや」
「敗者は敗者、勝者は勝者? 生憎だが、こんな醜い争いに勝者なんていねえよ。オレ達は仲間を何人も失って、おまえらは『荘園』や『イヴ』って総力を結集して得た戦力を失った。誰も得なんてしてないんだ。まあ、今回ちゃっかり同盟の中心としてギルドの地位を上げたスカイはようやく元は取ったってところか……もし勝者がいるとすれば、それは今回自分はほとんど動かずに裏から他人を弄んでこんな馬鹿な争いを始めさせた黒幕の野郎と、デスゲームのプレイヤーとしては敗退したが最期に一番欲しかった『本当の自分』ってものを手に入れたナビキだけだ」
「争いは何も生まないってことか……ま、『荘園』やらヤク中の下っ端やらはその学習料ってことにして、潔く今回の仮装麻薬の製法は封印してやるよ。咲とか量産担当とかはそっちが押さえてるんだし、それでいいんだろ?」
「ああ、日用品に混ぜられてたのは薄くて効能が低いし、下手に公表せず意識させなければヤク断ちくらい簡単だ。しばらくは変な欲求不満のストレスが溜まるかもしれないが、何を求めてるのかわからなきゃその内沈静化するだろう。だが、あんなもんをまた市場に流されたら手に負えない」
「こっちだって、無計画にクスリばらまいてまたそっちの精神兵器に貴重な人員潰されたかないしな。それに、そもそもあれは失敗作だぜ。ハマったやつがクスリを前に命令も聞かない獣みたいになっちまうなんざ勧誘にもろくに使えやしないし、稼ぐにしたってすぐバレる。むしろ、開発中に変にハマっちまったヤツらのせいで捨てられなかったのをそいつらごと引き取ってくれてせいせいするぜ」
シャークは条約の書類に目を通し終え、サインをして背中越しに片方をライトへと渡す。お互いのサインが入った同じ書類を保存することによって、契約は成立するのだ。
ライトは書類のサインを確認し、それを持ち帰り用の封筒に入れて封をする。
「そんじゃ、用は済んだし俺は帰るぜ。尾行とかしたら、即条約破棄だからな」
「まあ待てよ。さっきから言ってんだろ、ゆとりを持って生きろって。これからしばらくは、会うことないんだ。その前に、ちょっとだけ聞いておきたいことがある。オフレコで」
「なんだよ、秘密の取引の次はオフレコか? どこまで秘密主義だよ」
もう話は終わりだとばかりに立ち上がろうと椅子を引くシャークに、ライトは振り返らずに言葉を投げた。
「悔しくないか? やりたくもない戦争なんてやらされて……本当は、おまえが一番この戦争を止めたかったのに」
シャークの動きが止まる。
「……はあ? 何言ってんだよ。確かに確実に勝てる戦力が整う前に動かなくちゃならなくなったってのは認めるが、それでも俺は勝つつもりで……」
「ああ……勝つつもりでやらなきゃいけなかったのはわかってる……始まったからには、手を抜けばおまえの仲間が苦しむんだ」
シャークは、驚きに目を見開きながら振り返るが、ライトはその顔を見ることはない。
顔を見て、嘘を確認する必要すらない。
「犯罪組織なんて作って、本当はボス戦から敵前逃亡してまでやりたくなかった指揮官になってまで守りたくて……それでも守りきれない仲間を、守るためにはな。『どんな卑怯なことをしてでも勝ち目を作る悪の参謀』じゃないと、誰も言うことを聞いてくれない。本当は根っからの善人だなんてばれたら、嘗められて誰も言うことを聞いてくれなくなる。自滅を止められなくなる。だから……そうするしか、なかったんだろ?」
「てめ……何言って……」
「犯罪組織『蜘蛛の巣』……ほぼ完全な並列組織で、上下関係の薄い利害の一致だけで成立する烏合の衆。だが、おまえはその中でも広い交流を持っていて、今回みたいに大きなことが出来た。それは、今は別のやつにトップの座を奪われたが……本当の創始者が、おまえだからだ。そして、その元々の目的は……不当に攻撃される『軽犯罪者』の保護。そうだろ?」
「おまえ……それ、誰から……」
「こんなもの、超能力もなにも必要ないだろ。ただちょっと差別意識を捨てて自分のことのように推理してみれば、簡単にわかる。『犯罪者が悪いことをするのに理由はいらない』『犯罪者が何かをするのは悪いことを企んでいるからに決まってる』……そんな、バカみたいな理屈は今時、小説どころか絵本でも通じないさ」
ライトは苦笑する。
「ま、オレは少しだけいろんな角度から情報を集められる分有利かもしれないけどな。たとえば……おまえが匿名で助けたどこぞの女子プレイヤーとか。又聞きだが、『タヒチ』だったか……狩りをしてて他のプレイヤーと揉め事になったとき、どこぞの見知らぬ人に助けてもらったから、自分もそんな風になりたくて『戦線』に通いつめて稽古付けて貰ってたらしいな。今回の騒動で『イヴ』の襲撃に巻き込まれて死んじまったが、常々言ってたらしい。『いつかあの時に助けてくれた糸使いの男の人にお礼を言いたい』ってな。オレの知り合いがタヒチの知り合いからその話を聞いて、もしかしてそれはオレのことかって聞いてきたんだが……これ、おまえだろ。ちゃんと伝えたぞ」
「情報源は……アイツかよ。書類燃やされるしカッコつけて善い人ごっこしてたの暴露されるし、俺に恨みでもあんのかって」
「あ、ちなみにその知り合いは雨森とは仲がよかったな」
「前言撤回だ。恨まれても文句言えねえ……」
「別に憎くてやってんじゃねえだろ。それに、『善い人』は遊びどころか本職だろうが。てか、そんな情報なくても、組織がまだ名前なんてなかった頃……『義賊』だった頃のホタルを必要以上に痛めつけてたあれから考えれば、そんなもん一目瞭然だ。あの頃の、ギルドの勧誘とかで勢力図が曖昧で、敵味方の定義が簡単に決まりかねなかったあの状況……あそこでおまえは選んだんだろ? その時のおまえと同じ、『弱者』の味方を」
ライトは語る。
「デスゲーム開始から1ヶ月時点から2ヶ月時点。襲撃イベントからの1ヶ月間。あの時期は、多くのプレイヤーが最初の1ヶ月から体感的に学習したゲームの難易度から、自分に合ったプレイスタイルを決めてそのためのビルドやスキル、拠点や人脈を用意する時期だった。その準備期間があって、ギルド設立クエストが始まったんだ。その間はみんな所属も、職業も、生き方も、何も決まってなくて、何にでもなれた……犯罪者にすら、簡単になれてしまった。それも、本人の意思とは無関係でも『デスゲームの環境に耐えられなくて無自覚の内におかしくなったやつ』って認識されれば、それが真実になってしまった」
そもそも、全くそれまでの常識が通じない世界では正常と異常の厳密な区別など出来ないのだ。そのような環境では、たとえ白と黒の完全な中間にあったとしても五人中四人が黒だと言えば灰色は黒となり、鶏と卵は先に見つかった方が先にあったことになるのだ。
ましてや、『デスゲーム』という命の危機を常に感じさせるような環境では、『疑わしいものは罰せよ』という理屈が正論として通ってしまう。
疑われた時点で、完全な白でない時点で、闇に葬られたそれは間違いなく黒『だった』とされてしまうのだ。
「あの頃、犯罪者を狙う有名な断罪者は二人いた。一人はシステムに街中での殺傷を公認された『殺人鬼』の称号者ジャック。もう一人は悪辣な手段で低レベルのプレイヤーから盗まれたものを奪い返して低レベルプレイヤー達に還元する鼠小僧の模倣犯『狐火』のホタル。ジャックの方は表向きはただの殺人狂だったが裏では凶悪な犯罪者を好んで殺す処刑人として知られてたはずだ……噂程度の話としてな」
この二人の存在は、少なからず犯罪の抑止力として働いていた。『下手に手を出したプレイヤーが殺人鬼だった』『派手に動きすぎると義賊に狙われる』というような事態を引き起こす可能性は地雷のように、犯罪者の動きを慎重にさせ、手当たり次第の暴走を防いでいたのだ。
しかし……
「だが、有名どころがこの二人だけだったって話で、他に似たようなことをしてたプレイヤーがいないわけじゃない……似たようなことって言うより、似て非なることか。そいつらは、『犯罪者を懲らしめる』って口実で狙ったプレイヤーに難癖を付けて『犯罪者』として、悪者に仕立て上げて好き放題に不当なまでの『私刑』を下す、正義の名を借りた小狡い奴らだ。ま、中には本当に正義感が行き過ぎたやつもいたかもしれないが、そういうやつは退き際がわからないから大概目立ちすぎて殺人鬼やら義賊やらの的になったらしい。本当に厄介なのは、そういうことを明らかに私利私欲のために、しかも正義として堂々となんてせずにコソコソやるやつらだ」
『犯罪者』と言っても、その全てが殺人や強盗のような大きな罪を犯しているわけではない。
中には、多数のモンスター対処しきれずに逃走を余儀なくされたりして、モンスターの擦り付けを引き起こしてしまいそれを『MPK』を行おうと……間接的な殺人を計画した者として殺人未遂犯呼ばわりされたり、VRMMOのマナーを良く知らない新人プレイヤーが効率のいい狩場を枯渇させたりした行為が他のプレイヤーの妨害になったとしてリソースの独占や横取りだと責められたりといった悪意のない例もある。
その他にも、悪意があったとしても比較的の情状酌量の余地のある例も多々ある。
『鑑定スキル』を持っているプレイヤーによるアイテムの目利きで、一見大量に手に入るアイテムに隠れたレアアイテムをそうとは知らせずに安く買いとる。
強いパーティーを尾行し、そのパーティーがボスモンスターを倒す直前で割り込みトドメのボーナスを横取りする。
アイテムの修理や作成のために依頼人が持ち込んだ素材アイテムの一部を着服する。
そういった、『つい出来心で』でやってしまうような犯罪行為もあるのだ。その程度なら、本来は謝罪や弁償で解決できるはずなのだ。
しかし、犯した罪の大きさに関わりなく『犯罪者』というレッテルを貼られたプレイヤーに対し、『制裁』や『再発防止』という名目で、過当な対処を正当化するプレイヤー達がいたのだ。
その主張を最大限に簡略化して表現するなら……『犯罪者には何をしても犯罪にはならない』だった。
法律や裁判、検察や弁護士というような司法の仕組みがまるで間に合っていないデスゲームの世界では、それを否定できる根拠がなかった。
「『勧善懲悪』なんて言えば都合はいいが、実際は自分達の主張を押し付ける無法者のやることだ。特に初期には固有技もなかったし、画一的な判断基準として『レベルが高ければ強いし偉い』みたいな思い上がりしてるやつも多かった。『犯罪者』のレッテルを貼られたプレイヤーを攻撃して、『慰謝料』とか『不当に稼いだ金の没収』なんて言って装備や所持金を奪い取ったり、刃向かってきて腹が立てば『襲ってきたから正当防衛だ』なんて言って命まで奪う例もあったそうだ。より派手にやればやるほど、主張は勢いがついて否定もされにくくなるからな」
多くの『犯罪者』を退治してきたという実績は、それそのものが次の『犯罪者』を襲うときの武器になる。
「その内、難癖付けて何の罪もない特定のプレイヤーを狙うのだって現れる。自分が欲しいレアドロップを持ってるから、相手を犯罪者として立場を弱くして屈服させたいから……そんな、正義とは程遠いものから身を守るには、それ相応の手段が必要になる。おまえはそのために情報網を作って……犯罪者を狩るプレイヤー専門の迎撃のための組織として『蜘蛛の巣』を作ったんだ。形だけでも自衛能力を強調して、理不尽な断罪を退けて、正義が守ってくれない『犯罪者』を守るために」
その断定するようなライトの言葉に、シャークは沈黙し……おもむろに、口を開いた。
「もう全部わかってんのかよ……あれから俺が、どうやって生きてきたのか。想像できんのかよ」
シャークは、初めてのエリアボス攻略戦の際、敵ボスの大量の援軍を前に勝機無しと直感し、指揮官でありながら一人だけ敵前逃亡した。
言うまでもなく、その行動は誉められたものではないだろう。
その後ボスは討伐され、彼は『勝てる戦いで怖じ気づいて逃げた最低の臆病者』というレッテルを貼られ、その不名誉を世間に知られてしまった。そのことに対し、弁明もろくに出来ない醜態だ。
しかし、『勝てる戦だった』というのは結果論だ。
本当は、かなり際どい所だったのだ。なんとか死者を出さずに済んだが、下手をすれば全滅もあり得た。その点で言えば、『期を逃さず一目散に逃げ出す』という選択は最も合理的だった。
ただ不幸にも、タイミングが悪かったのだ。
敵の増援の混乱の中、シャークが逃走を選択したのと赤兎が敵の弱点を見つけたのは全くの同時で……視線が集まったのが、赤兎の方だったのだ。
本来は、指揮官が一人で戦場から抜け出すなど簡単には出来ない。
周りのプレイヤーは気付いて引き止めるなり後を追うなどするし、そうすれば号令などかけるまでもなく全体が撤退へと動き出して然るべきだったのだ。
シャーク自身、一人だけで逃げるつもりなどなかっただろう。
しかし、自分が一人になっていると気付いたときには遅かった。
そこからは、転落人生の始まりだ。
悪い意味で有名になってしまった彼は、高レベルではあったが誰にもパーティーに入れてもらえなかった。
前線の攻略に加わることなど出来るはずもなく、生産職に転向するにも信用ならない者に客など来ない。
当然、シャークは孤立した。
以前の仲間からも裏切られ、危険なボス戦に最初から参加もしていなかったくせに自分をバカにする戦闘職達に、顧客として彼を受け入れることで評判が落ちることを危惧してろくに注文すら受けてくれない生産職。
そんな味方のない彼が、自称『正義の味方』から狙われるようになるのに時間はかからなかった。
何も悪いことはしていない。
誰も傷つけようとはしていない。
なのに、ただ『評判がよくない』というだけで悪人として狙われる。
そんな彼が行き着いたのは……同じように不当に居場所を追われ、しかし抵抗するだけの力のない同じような境遇の軽犯罪者や冤罪者達の隠れ家だった。
「『困ったときはお互い様』『何があっても仲間は売るな』……最初は、それだけだった。特にやばいことしてくるヤツらがどこらへんで網張ってるかを教えあったり、せっかく手に入れたレアアイテムを盗まれたやつのためにパーティー組んで変わりになりそうなもんを取りに行ったり、ゲートポイントまで逃げるのを手伝ったり……特に俺は一応前線のレベルでギルドの経験もあったから、成り行きでまとめてたんだ。俺はバカにされない隠れ家を見つけて、やつらにはまとめ役がいた方が便利だった……ただの、利害の一致だ」
「互いの求めたものが『居場所』と『結束』だったなら、そんなの『利害の一致』なんて言わねえよ。それは『絆』って言うんだぜ? 少なくとも、最初の通り魔事件で自分から捕まったあいつらの覚悟からはそういうのを感じた……あのメンバーは捨て石なんかじゃない。おまえを信頼して策に乗った、初期メンバーか何かだろ?」
「……どうとでも言えよ。それに、俺は別にあいつらと群れたから改心したとかってわけじゃねえ。てめえや赤兎には復讐したいと心から思ってたし、他にも俺達をバカにして追い出した奴らには腹が立ってた」
「『俺達』ね……そこで『復讐』と『自衛』、『指揮官』と『戦力』で利害が一致したわけだ。おまえ達は冤罪者、軽犯罪者から本当に組織的に犯罪を計画する集団になった……それも、『犯罪者を狩るプレイヤー』を専門に犯罪を仕掛ける、アンチヒーローみたいにな。同じように謂われのない罪で孤立したプレイヤー、そして『戦力』として本当に凶悪な武闘派プレイヤーまで招き入れて、それを『小隊』に分けた。信頼できないプレイヤーも入ってるから仲間を売らせないようにそいつらを隔離する意味合いで、役に立つ情報やアイテムを与えて関係を保ちつつ、どこかの『小隊』で断罪されそうな仲間がいれば『囮作戦』ってことにして武闘派メンバーで報復する。ホタルが捕まってたのはこの武闘派メンバーのチームだ」
かつてジャックに全滅させられた犯罪者達のアジトを思い出しながら、ライトは語る。
「武闘派の凶悪犯のチームからしてみれば、ただで便利な情報やらアイテムが手に入って、言われたとおりにプレイヤーを襲えばその持ち物まで奪い取れる。ターゲットの詳しい調査やアイテムの換金は他のチーム……まあ、調査については被害者として一番近くで調べられるから、それを順序を逆転して『襲うために調査していた』ってことにしてあったんだろうが、情報自体が正確で便利なら別に問題はないしな。生産職がいれば武器の整備とか罠や毒も仲間内で用意できる。そうやって役割分担を進める内に組織としての形が固まりはじめて……そこで、おまえの手に負えない奴が入り込んで、組織の性質を変えたんだろ。今回の黒幕に……おまえは、組織を乗っ取られた」
「……ああ、そうだよ。乗っ取られたって言っても、元々上下関係なんてほとんどなかったんだ。そこに、俺なんかよりずっと頭のいいやつが入ってきて、命令系統とは別の『思想』とか『やり方』とかから手を伸ばしてきた。気付いたときには、もう戦争までのシナリオが完成して、そのために動く組織になってたよ……『弱者として抑圧されてきた報復にやつらを支配してやれ』とか、シーソーゲームのイタチゴッコとか何が面白いんだか」
「だが、戦争をやめようと叫べば裏切り者だと切り離される。そうなればかつての仲間を止めることも出来ない。だからおまえは、やりたくもない戦争で指揮を執って、少しでも全面決戦を避ける道を取った。周りをあの個性豊かなメンツで固めてたのは、犯罪組織でもはぐれものの組織力やしがらみとは無縁だったからか?」
「ああ、犯罪組織のはぐれもの以前に、普通にゲームを楽しんでたのをスカウトしたのがほとんどだけどな。特にカガリには……悪いことをした」
「……戦時の日本には一種の麻薬が合法的に流通してたらしいな。『疲労がポンと消える』なんて売り文句で、戦時の緊張で疲弊した国民や兵士の精神的な回復のために使われてたんだ。ま、中毒性とかバッドトリップとかを考えたら悪いことだらけだが……それでも、そんなものでも使わないと生きていけない時もある。カガリのやつ……自殺未遂の常習犯だったんだろ?」
「……ああ、そうだよ。あいつの固有技の『手乗り火竜トーチ』……あいつは頑張り屋でな。カガリが飛び降りようがボスモンスターを怒らせようが、絶対にカガリが死なないように護ってた……そのための技だったよ。『トーチクラーケン』だって、そのための壁だ」
「危機感知と絶対防御の本当の役割はそれか……捕まったあいつは、『HP保護圏』の中でダメージも受けないってのに、クスリが切れるやいなや舌を噛もうとしてたよ。精神的に、自殺寸前まで来てたんだ……まだ研究中だった仮想麻薬を使ってでも止めたかったんだな、いや、むしろカガリのために危険を承知で研究を進めたのか? そうだとしたら、まんまと利用されたなその優しさ」
「過ぎたことを蒸し返すんじゃねえよバカ。カガリは今どんな感じかだけ教えやがれ」
「わかってんだろ? マリーのやさしいやさしいカウンセリングだよ。法壱とコールも、直接的な殺人とかはやってないし、保釈料払えばある程度自由になれる。攻略の戦力も足りないし、腐らしておくにも惜しい。どうせ、上手く足を洗わせるために何人かは捕まえさせるつもりだったんだろ? 保釈料は賠償金の中に入ってるから、ちゃんと払えよ」
「安心しろ、みたとこ法外な額じゃない……わけでもないが、こっちも軍資金はかなりの額を用意してたからな。それを丸々くれてやら」
「それでしばらく派手な組織犯罪は出来ないってわけか。しかし……やっぱおまえ、良いやつだな。結構前からわかっちゃいたけどさ」
「つい一週間前まで殺し合う仲だったってのに、白々しいだろその評価。会うときには大抵殺しにかかってるってのに、何をもって俺をわかった気になってんだよ。仲間を守るために組織を作ったから? それとも、戦争なんて本当はしたくなかったなんてほざいてるからか? くだらねえ、俺はクソ野郎だぜ? てめえの大事な大事な後輩ナビキちゃんを、薬漬けにして使い潰したこの俺の何を基準にいいやつなんて……」
「そのナビキが、おまえを恨んでなかったからだよ」
「……は? てめえ何言って……」
「『何があっても仲間は売るな』……騙されてたときのあいつがどんな風におまえを認識してたのか、それは知らない。だが、あいつは正気に戻って、騙されてたことを知っても組織のことについて何一つ喋らなかった。物語だったら、普通はそういうときラスボスの伏線とかヒントを一つくらい残すもんだろが。だがあいつは、何も言ってなかったよ……たとえ悪いやつに乗っ取られてても、元はおまえの組織だ。あいつは、恨み言どころか、騙されてたのがわかっても、おまえらのこと『仲間』だって思ってたんだろうな。だったら……おまえが、ナビキの認めた『仲間』の筆頭が、そんな悪いやつなわけないだろ」
ナビキはある日、廃人寸前まで荒みきった状態でシャークの元へとやってきた。
驚いたシャークが敵対すべき相手だとわかっていながらも周りの反対を押し切って、保護すると彼女は一冊の『本』を持っていた。
それは、ナビキの『仕様書』だった。
彼女がいかにして絶望し、その上でどのように壊されたかが克明に記された悪意のドキュメンタリーだ。そして、その先には彼女に施された洗脳を起動させる方法、それによって彼女が正常な自分と犯罪者としての自分を切り替えて組織に潜入するスパイとなることが記されていた。
吐き気を催すそれを読み終えたシャークは、決断を迫られた。
彼女を罪をつまびらかにして『大空商店街』へと送り返すか、それとも『仕様書』に従い、組織の中へと受け入れるか。
『大空商店街』へと送り返せば、彼女は罪を問われることになる。しかし、廃人寸前の彼女がそれに耐えられるとは、シャークにはどうしても思えなかった。あちらにはマリー=ゴールドという精神に関して得体の知れないジョーカーもあるが、彼女に任せれば万事解決になるとはとても思えなかった。
そして……
「こいつは……昔の俺と同じだ」
それがナビキを送りつけてきた相手の思う壺なのはわかっていた。
しかし、それをわかっていてなお、シャークは彼女を突き放すことは出来なかった。何故なら、不幸な事故で殺人を犯してしまった彼女のような者こそが、シャークの守りたかったものだったから。
シャークは意を決し、ナビキの洗脳を起動させるためのキーワードを口にした。
「『お前は兵器だ。兵器は何も考えず、持ち主に従え』」
その言葉を合図として目に光を宿すナビキを見て……シャークは、堪えきれず、その小さな身体を抱きしめて強く言った。
「たとえ兵器だとしても! お前は俺の仲間だ! 俺に従うって言うなら、文句は言わせないぞ!」
その時のナビキは訳の分からないままにキョトンとしながらも……
「は……はい、わかりました。私は……あなたの、『仲間』になります」
「シャーク……おまえの判断は正しかったよ。マリーに診せてたら頭の中に刷り込まれたトラップが発動してナビキは元通りには戻らなくなってた。それに……その後も、おまえなりに大切にしてやったんだろ?」
「……そっちに送り返してりゃ、死なずには済んだんだろうな」
「さあ、どうだかな。精神的に死ぬのは、時には肉体的に死ぬより酷い。少なくとも、最終的なナビキはすごい安らかな顔してたぜ」
「……本当は、『イヴ』や分身の実験だってやめさせたかった。だけど、あいつは脅迫観念にかられて自分を強化する実験をやめなかった。そうしないと、兵器として進化を続けないと存在意義を失って死んじまうんだってさ……実際、止めようとすると死ぬほど苦しそうだった」
ナビキは、自分を生物兵器だと思わされていた。
だからこそ、そのような『設定』に縛られ、それを否定されれば拒否反応を起こす。
洗脳過程で、与えられた『設定』に逆らおうとした彼女がどんな行為を受け、そこまでの拒否反応を起こすようになったのかはライトにはわからない。
だが……
「ナビキは、今回の戦争で一番の功労者だ。どっちの陣営にとってもな。だから、確認しておきたかったんだよ……よかったよ。そっちでは、寂しい思いだけはしてなかったみたいで」
ライトは、シャークの反応に納得したように頷くと席を立ち、背中に一枚の紙を押し付けて歩き去る。
「そこに、ナビキの墓を作っといた。気が向いたら花でも置いてやってくれ」
ライトは振り向くことなく立ち去る。
おそらく、シャークと会うこともしばらくはないだろう。彼はシャークと同様に今回のほとぼりが冷めるまで、表舞台から身を隠す予定だ。人間に完璧に化けられる『哲学的ゾンビ』が本気で逃げ隠れすれば、見つけ出すのは不可能に近い。
そんなライトの背中を見送りながら、シャークは言った。
「さっき返した書類の間に小さな封筒が挟んであるだろ。ナビキの遺書だ。お前宛のな」
シャークと別れた店から遠く離れ、ライトは封筒の中からさらに小さな封筒を取り出す。
そこには、『先輩へ』と書かれていた。
「洗脳されながら、それでも必死に書いたのか……懺悔か、別れの言葉か、助けてほしいって願いか……あるいは、恨み言や精神的なトラップか。いずれにせよ、化け物になる前の、人間としてのナビキの心が残した最期の言葉なのは間違いなさそうだが……」
ライトは、それにマッチで火をつけ、手の中で燃やし尽くした。
燃えて灰になり、風に散っていく遺書を見送ったライトは、振り向くことなく、前へと歩みを進める。
「悪いな、ナビキ。だが、別れの挨拶は直接済ませたんだ。今更振り返る過去も、後悔することもない」
普通ならば、遺書を読まずに捨てるなどということは絶対にしないだろう。順当な、人間らしい主人公なら、ここで遺書を読み、涙の一つも流すのが筋というものだろう。あるいは、それによって人間らしい心を取り戻す結末もありかもしれない。
だが……
「オレはまだまだ、人間に戻るわけにはいかないからな」
デスゲームは終わらない。
まだ、結末にはほど遠いのだ。
同刻。
マリー=ゴールドは、前線から遠く離れた過疎地帯の小さな町の前にいる。傍らには、ローブを着た小柄な少女を従えている。
この町は不気味なことに、NPCの住人が人っ子一人いない。
そこで……
「さあ……まずはご挨拶と行きましょうか?」
マリー=ゴールドは右手の中指と人差し指をピンと伸ばし、それを『クンッ』と空へと伸ばす。
「『インフェルノ・ゴモラ』」
時間差で……町の地面が爆裂する。
爆裂し、消滅し……更地になる。
そして、その中心には……
「やれやれ、いきなり街ごと吹き飛ばそうとするなんてあんまりじゃないか」
燃え散った『本』から現れる、子供のような雰囲気の老人。
彼は、街ごと消されそうになったことなど何でもなかったかのように、気安く語りかける。
「やあ、久しぶりだね。『The Golden Treasure』とかいう催し以来かな、世界を救った救世主くん?」
凡百との会話辺りからわかっていた人も多いかもしれませんが……シャークは、仲間想いなタイプです。
そして、次回は本当の黒幕とマリーさんのお話です。




