203頁:バランス感覚は運動の基本です②
年末年始も定期投稿は続ける予定なので、どうぞお楽しみにしてください。
言うまでもなく、ナビキの操る『イヴ』は全プレイヤー中最強の瞬発力を誇る。
もはや大きな人型に縛られなくなってきた現段階でも、それは揺るぎない事実であり、むしろより決定的なものになってきている。
第一に、最前線レベルのステータスの大部分を『筋力』に集中させたナビキは、素の腕力でもほとんどのプレイヤーを上回る。そして、その出力部の『腕』自体を何十何百と束ねた『イヴ』の腕力に勝てるわけもない。
もちろん、それは誰にでも再現できる技ではない。『イヴ』の肝である《ガラスの靴》も、本来は腕を増やすにしても数本が限界だ。それ以上になると『変身スキル』の質量変化の限界に引っかかり、仮に腕を作っても密度が低くスカスカの『飾り』になってしまい、本来通りのステータスは発揮できない。固有技の『複製災害』と『寄生』という技があるからこそ全ての腕に力を込めることができるのだ。
そして、初期型の『イヴ』ではただ横に腕を連ねて一度に前後への動作をすることで広い面積へ力を伝えていただけだが、戦闘の中で成長したナビキはそれを『縦』に連ね、多数の腕の力を速さに変えて狭い一点へと威力を集中するに至った。
そして、単純な数や繋げ方の問題だけでなく、作り出す『腕』の大きさを変え、さらには密度を集中させることまでも可能とし始めている。
近くに確実に当てるために大きな手を、遅く大したダメージはないかわりに障害を押しのけられる重い腕をと、戦闘の中で必要に迫られることでさらなる可能性に気付いて進化していく。
ただ無計画に膨らむのではなく、効率と目的を考えてそれに合わせた形を作り出す。様々に姿を変える『ライト』との戦いの中で、そのための能力が発達したのだ。
しかし、たとえどんなに力で勝っても、速さを手に入れても、自身の末端まで自在に操れるようになっても……一朝一夕では、どうしても手には入らない強さがある。
それが技術だ。
人が積み重ねた何千年という歴史、人の寿命からすればあまりに長く、生物の進化からすればあまりに短いその時間の中で、『人が人の形のまま進化する術』として遺伝子の外で伝えられてきたもう一つの進化。
道具しかり、文化しかり……そして個人のものしかり。
腕二本に脚二本、当たり前の限界を『汎用性』として利用し受け継がれてきたそれらは、ある意味『イヴ』とは正反対の進化を遂げたもう一つの大きな道だ。
《現在 DBO》
ノイズと共に獣の尾と獣の耳を生やした『武』は、《地雷剣クレイモア》を肩に担ぎ、敵である『イヴ』の長く延びた腕の上で気軽に言い放つ。
「じゃあ、こっちから行くよー」
その姿は、巨大な蜘蛛の姿をした『イヴ』からすれば小指ほどの小さな武器を携えて腕の上で騒ぐリスのようなものだった。しかし、『イヴ』は決して油断してはならないと感じ取る。
あの大剣はかつて、《化けの皮》の防御力を貫通して『イヴ』の体内で爆発し、本体まで到達しかけた魔剣。斬撃とともに衝撃波を撒き散らし、常人では連続で振り回すことなど到底不可能な反動と引き替えに破格の破壊力と、衝撃波によって音や飛道具を問答無用ではね返す全方位防御を展開する強力な武器。
そして、それを持つのは自身に加えられたあらゆる衝撃を操り受け流すことのできる『武九美』……この組み合わせは、おそらくお互いの特性を最大限まで発揮する。
(足場にされている部位を回収……できない。今『腕』を戻せば、それは敵の接近を許すことになる)
本来なら、どれだけ体格差があろうとも拘束もされていない相手の身体を足場にするというのはいい手とは言えない。一瞬跳ぶための踏み台として使う程度ならともかく、いつ振り落とされるかもわからないのに体重の全てを預けるのは危険な行為なのだ。
だが、どれだけ腕を振り回しても全く落ちる気配のない『武』にそれは当てはまらない。新しく出現した尻尾も足場に巻きついて身体を支えているわけではなく、体の動きに合わせて動くことでバランスを取る程度の働きしかしていないらしい。
急速に腕を縮めて戻そうとしても、一緒について来ては危険なのだ。
「位置について、よーい……どん!」
『イヴ』の中核へ向かって走り出す『武』。
距離は50m……『イヴ』は腕を伸ばしてさらにその距離を引き延ばすが、腕の伸びる速さより『武』の進行の方が速いため同時に攻撃を始める。
「■■!!」
足場にされている『手』から枝分かれさせた腕による四方からの殴打。
しかし……
「そーれ!」
受けた衝撃を足下に流すことで衝撃の反動でさらに加速する『武』。
不安定な足場でも、攻撃の衝撃は逆効果だ……そう判断した『イヴ』は攻撃方法を変える。
衝撃を与える攻撃ではなく進路妨害を最優先し、格子状に組んだ腕で行く手を遮る。
だがそれも、『武』の足を止めさせることはない。
「そーれ!!」
足下に大剣による斬撃をぶつけ、そこで発生した衝撃波の反動を利用して行く手を妨げる分岐した腕の根元の、より巨大な腕に飛び乗り、着地の衝撃まで方向転換して前へと進む。
そして、とっさに飛び乗られた腕から分岐させた巨大な『手』によって脚を掴もうとするが、『武』は『手』が力を込めて硬直しきる前に身体を大きくしならせ、新体操の側方倒立回転に近い動きによってその『手首』を捻り関節を壊す。まるで、柔術の達人が指一本を掴まれた状態で相手の力を利用して技をかけるのを巨人相手に再現しているような構図だ。
『イヴ』の攻撃はどれも『武』の足を止めることはなく、距離はどんどん狭まって行く。
打撃は流され、進路妨害はすり抜けられ、掴み技や絞め技は関節を返される。指だけを分岐して散弾のように鋭い刺突攻撃を全方位から見舞ってみても、≪地雷剣クレイモア≫の前では小さく軽い部位は簡単に弾かれ、硬化した巨大な手で挟み潰そうとしてみても大剣の腹をテコのように使って力を逸らされてしまう。
距離は瞬く間に縮まり、距離はもう『イヴ』にとって目と鼻の先。『脚』が届く距離だ。
「■■■■■!!」
伸ばした『手』を刃物のように研ぎ澄ました自らの『脚』で切断し、『武』ごと地面に叩き落とす。
そして、研ぎ澄ました両前脚を振り上げて、全体重全質量を以て圧殺しようとする。
「おー、流石日本人。最後は国技の『スモウ』で勝負?」
『武』は大剣掲げて刃を受け止める構えを取りながら、無邪気に笑った。
「じゃあ、はっけよーい……のこった!!」
大剣に骨の刃が激突する。
本来なら押しつぶされて終わりのそれを、圧倒的な運動量を、『武』は完璧なタイミングで誘導する。
右手で柄を握り左手で刃の腹を支えた大剣を僅かに平行移動しながらの『イヴ』との接触。進行方向に対して完全に垂直に与えられた力は容易に相手の動きに干渉し、骨の刃を背後に抜けさせる。
さらに、骨の刃に対して大剣の刃を滑らせるようにしながら、身体ごと転身して真下へ向かおうとしていた骨の刃の軌道に回転を加え、さらに大剣に角度をつけて地面につくまでに時間差を生み出し、先に地面に突き刺さった骨の刃に後から続く骨の刃が接触し、絡み合って余った力が不安定に前のめる。今の『イヴ』は自身の足を踏みつけてしまい足をもつれさせているのと同じ構図だ。攻撃のために集中した重心が前脚に偏り、他の脚と地面の間の抗力はほぼ消え去る。
骨の刃に対する受け流しの過程で発生した衝撃、そしてぶつかった二本の骨の刃の間で発生した衝撃は大剣を伝わり、腕から肩へ、肩から背へ、背から腰へと移動しながら足捌きによって回転し、腰から脚へと伝導したそれを地面にぶつけ……
「……傾け!」
衝撃で亀裂の入った地面から跳ね返ってくる反動を大剣に乗せ、骨の刃の上部を斬りつける。
流れてきた衝撃に、剣の発生させた衝撃波が加わり……
「■■■■!?」
『イヴ』の後ろ六本の脚が宙に浮き、前のめっていた重心がもはや体内から前方へ移動し、それを追うようにひっくり返り始める。
「■■!!」
「させないよ」
空中でもなんとか重心を戻そうと六本の脚を後方へ伸ばそうとする『イヴ』だが、『武』はそれを許さずに鈴を大剣の衝撃波で打ち出し、爪先を弾いてさらに後方へと重心を動かす。
そして……
「■■■■■■■■!!」
「ちゃんと受け身しなよー。出来るならだけど」
大きな地響きを立て、『イヴ』は腹をむき出しに……『本体』の入った繭をむき出しにしてひっくり返った。
そして、『武』にはそれを見逃す理由などあるはずもない。
『イヴ』が態勢を立て直す前に腹に飛び乗り、繭を前にして大剣を振り上げる。
「そりゃあ!」
繭の周りに向かって二回の斬撃。
衝撃波も合わさり、糸をかけていた周辺の部位が吹き飛ぶ。
そして顕わになる、『イヴ』最大の弱点……『本体』。眠るように目を閉じている彼女は言わばこの大怪獣の心臓部。
重要臓器の詰まった部位を完全破壊すればいかな巨体と言えども生き残ることは出来ず、そのデータはエリザへと吸収され主導権はあちらへ移る。
『イヴ』は……完全に終わる。
「これで私の勝ちだよー!」
『武』は少女の胸に大剣を突き立て、衝撃波を中で爆発させる。
そして、とうとう『イヴ』は……
「……あれ? まずったかも」
終わった……かに見えた爆発の瞬間、『武』がその目に捉えたのは、傷に対して明らかに勢いのないHPバーの減り方。そして、内側から爆ぜる少女の身体の中に見えてくる……『空っぽ』の空間。
カッと目を開いた本体が……『イヴ』が、意識の隙をついてそのぽっかりと空いた空間の内側を大きく広げ、『掴む』や『引っ張る』とは違う『呑み込む』といった方がいいような形で足を拘束し、さらに柔軟なピンク色の肉壁を展開し『武』を取り込もうとする。
大剣は肉に固く突き刺さりすぐには抜けない。
衝撃の伝導を使って切り抜けるにも、初めからダメージを与えることを考えていない柔軟な肉壁は壊せない。
迫り来る脅威に、『武』は……
「ちょっと待ってちょっとチェンジ! メイクアップ『切り裂きジャック』哿不可『寂白角』!」
完全に捕まる直前に、姿を変える。
完全に閉じられかけた肉壁の表面に鋭い輝きが閃き、バラバラの肉塊に変えられたそれが外へと弾かれる。
「■!?」
柔軟な肉壁を切り裂き、姿を現したのは……
「はは……全く、姐姐は昔からどっか抜けてんだよ。まあでも、ボクは出番がないかなって心配してたからいいけど」
腕に『DEATH』という赤い字が染め抜かれた黒いバンダナを巻き、全身黒ずくめの装備に身を包み、手には血のように赤いサバイバルナイフを握った少年。全身に何かを仕込んでいることが一目でわかるようなフル装備の特殊部隊のような物々しさを見せながら、肉壁を切り裂いた直後だというのにまるで殺気の残り香も残さない雰囲気を放つというギャップが異様な印象を覚えさせる。
そして、顔には般若の面が付けられ、その大きく開かれた口には今にも人肉に食らいつこうとしているような剥き出しの牙がならび、まさに鬼気迫る表情を見せている。
少年は仮面の下から、自分の足下の『イヴ』を見やる。
「……ふーん。なるほど、増やせない内臓を大きな身体の方へ移動させて守ってるんだ。確かにこの巨体を逃げ回る内臓を捕まえようとしたら、手当たり次第にまぐれ当たりを狙うか全身を一撃で吹き飛ばすみたいな無理難題になりそうだけど……」
少年は、目を大きく見開いて全身を観察する。
そして……
「だけど、ボクには関係ない」
足下の肉を切り裂き飛び上がって、数メートル離れた場所に音も立てずに着地しながらサバイバルナイフを突き立てて、中から貫かれてアイテム化した《心臓》を抜き取り、懐から取り出した携行式のボトルに中身を絞り入れながら名乗る。
「『桃源郷雑技団』元No.3。ギルド『ネバーランド』元ギルドマスター。デスゲーム『The Golden Treasure』『Bet My Organ』『四面楚歌』『Fourcard Of Jack』参加及び『短命』脱落。先代『ジャック・ザ・リッパー』継承者『寂白角』……さあ、全滅の時間だ」
同刻。
『時計の街』の北のフィールドにて。
赤兎は刃こぼれし始めた《宝刀 電火》を構えながら呟く。
「なろ……こいつだけは、絶対に街へ入れるわけにいかねえ……」
既に『黒いもの達』の半分ほどは街へ入り、それに対応したプレイヤー達と市街地戦を繰り広げている。先に狙撃位置に移動したり罠を仕掛けたりする余裕があった分、そちらは数の不利をどうにか覆そうと苦戦しているところだ。
そして、赤兎を含む一部のプレイヤーは街の外の半分をかき乱し、一斉に街に攻め込まれるのを防ぐ緩衝材としての役割を担っているが……
「こいつらがあっちに合流したら……やべえ!」
『剛刀』の耐久力を継ぎ飛び抜けた丈夫さを持つはずの『宝刀』が悲鳴を上げるほどの相手を前に、赤兎は歯噛みしている。
何千という個体の相手をそっちのけにしても、最強の戦闘職と呼ばれる赤兎や彼に並ぶ実力者達が相手をしなければならない特別な『黒いもの達』。
それは……
「ゴァア!!」
無駄のない高密度の筋肉で全身引き絞られたような身体と、業物ですら易々と通らない筋肉と毛皮の装甲。そして馬鹿げた破壊力を感じさせる石器の戦斧。
『上位種の洞窟』の最奥のボスモンスターの能力を取り込んだ五体の『黒いもの達』。
数々のモンスターの能力を取り込んだ最新型の中でも飛び抜けた危険度を持つもの達。
周りの雑多な『黒いもの達』を切り捨て、一対一で相対する赤兎は心に決める。
「こいつらだけは、増殖なんてさせられねえ」




