200頁:戦う理由はよく考えましょう
すみません、今回はあまり話がすすみません。
ある日少女は、人を殺した。
殺意もなく、悪意もなく、言ってしまえばただの正当防衛……あるいは、ただの過当防衛だった。
少女がそのことに気付いたのは、全てが終わった後だった。
おそらく、その詳しい状況を知れば無闇に責められる者はいないだろう。情報不足と仕掛け人の悪意によって引き起こされた不幸で無情な事故であり、本人の心情を察すれば他人が知ったようなことを言えるわけがない。
だからこそ、彼女は自分を責めたのだ。
一番の不幸は、彼女が望んだのが『慰め』ではなく『報い』だったこと。彼女がそこから殺しの味に目覚める殺人鬼や、普段から罪を重ねて冤罪の一つや二つが増えたところで気にしない悪人ではなかったことだ。
もしそうであったなら、そうなれたなら、彼女にはまた別の物語が展開できたことだろう。
しかし、そうならなかったのは不幸であり、同時に当然だった。
そのような心優しい少女だったからこそ、彼女はとある人物の悪意に狙われ、その人物の描いた物語に乗せられてしまった。
一番の不幸は、彼女が狙われやすい獲物であったことではなく、獲物を狙う通り魔的悪意に目を付けられてしまったことだろう。
そして、残酷なことに当の本人にとってそれは求めていた『報い』であった。
意図されて犯させられた罪だとしても、自分に理不尽な罰を与える者がそれを仕組んだ本人だとしても、そのより一層辛い仕打ちが彼女の罪悪感を紛らわせた。
彼女は拷問を受けても、それを当然として快く受け入れた。
仮想麻薬で心を壊されて行く過程でも、それを拒もうとは思わなかった。
片や責め苦を受けながら、片や表の味方に気付かれないように耐え続ける二面生活は、彼女の光と陰をより色濃く分離した。
そんなある日、心が擦り切れてなんの罪を償っているのかも思い出せなくなってきたある日。
彼女はとある『本』の中に導かれた。
そこに描かれていたのは、彼女にとってあまりに都合のいい『真実』。
今まで苦しんでいた自分の罪を、赦さないままに正当化する彼女の求めた筋書き。そして、行き止まるしかなかった彼女に未来の指針を示す物語。
罪を罪で塗り重ねる行為を『償い』と言い換え、使い捨てられる理由を『存在意義』とすり替える悪魔の囁きは、擦り切れた彼女の心に深く根を張った。
洗脳と教育はよく似ている。
あるいは、本質的には同じものだ。
物心ついたばかりの子供が命を大切にすることを教わるように、彼女は命を無碍に扱うことを教え込まれた。
ただ一つ、彼女の最も不幸だった部分を挙げるなら……彼女が、『原初個体』を名乗ることになってしまう彼女が、どれだけ『妹』を作れても、自分を導いてくれる『母親』だけは作れなかったことかもしれない。
≪現在 DBO≫
「■■■■■■■……」
野獣のように唸った『イヴ』は、心が冷えていきながら、どこへ向けるべきかわからない破壊の欲求が膨らみ続けるという奇妙な感覚を得ながら、冷徹な無機物のように機械的に自身の状態をチェックしていく。
欠損した部位とHPを認識し、その重要度を把握。『大食いスキル』の『治癒力増強』技能と温存していたポーションの大量服用で再生する。
(……これで、回復手段はほぼゼロ。戦闘続行には、分身の補給が必要)
『イヴ』は通常プレイヤーに比べて規格外の質量と耐久力を持つが、実の所それは無数の分身を束ねた『群体』としての力だ。
再起動と同時に各所の疲弊具合を確認してみたが、その頭脳としてのナビキには、各器官が限界に近いことが手に取るように理解できる。
『HP担当器官』……体内侵入の技『寄生』によって中核のナビキと融合状態にある数百の個体は、技の効果によって受けるダメージの一部を肩代わり出来る(というより、相手に取り付く技の副作用として傷をほぼ自動的に共有させられてしまう)。
『イヴ』の構築時、ナビキは目一杯のポーションを投与した分身を取り込むことによってダメージを分散するようにしたが、度重なるダメージに限度が近い。
『EP担当器官』……これは、戦闘開始直後はモンスター化した分身達を使っていたが、もう手許にはその分身は残っておらず、しかも街の方での戦闘が激しいせいかすぐに回収できるほど近くにはいない。
最初は、EP保持に特化した『ムシ型』を予備の燃料タンクとして『イヴ』の中に抱えていたが、『丙静』の大火力から回復する際『超再生』の能力を連発してしまった時に使い切ってしまった。『イヴ』の巨大な身体を癒すにはそれだけの体力(EP)を必要としたのだ。
そして今は、『サツキ』に倒されてしまった分身達と、生き残った分身達からEPの蓄積袋を……《黒い魔臓》を体内に取り入れ『超再生』の再生力で吸収し、自分の肉体の一部としている。強引な使い方だが、分身は元はナビキなのだ。切断された四肢を接合するのと同じ感覚で内臓として取り入れることができた。
(≪黒い魔臓≫はEPの充電池……『生きてる魔臓』は死んだ分身の魔臓を栄養源にして同時並立で回復してEPの実質最大値を底上げしてる。戦闘続行は十分に可能)
そこで自身の取っている形状と破損具合を確認し、疑問を抱く。
先ほどまでは気にならなかったのだが……
(……? なんで、こんな非効率で非合理的な形状をしている? これでは不利になって当然、改善しなくてはいけない)
まず、内臓の密集した本体が露出しているのがいただけない。別の場所に感覚器官を作ることも簡単なのに、本体が狙われやすい状態になっているのは何とも非合理的だ。わざわざ戦闘中に会話や表情での意思疎通を図る必要はなかろうに。『うっかりしていた』というにはあまりに大きなミスだ。
改善しなければならない……そのようなミスを生み出す思考形態ごと。
何故なら、自分は『化物』であり『人外』であり、『兵器』なのだ。
物を壊して当然、人を殺して当然、畏れられ疎まれて当然……そして、何も感じなくて当然。
『心』などというものは、人間の中に潜伏するために使っていた擬態用のソフトでしかないのだから。
「形状を最適化し、攻撃に移ります」
身体を組み替える。
露出していた本体を守るように腕を組んで檻状にし、さらにそれを『蓑虫』の糸で繭のように補強する。
感覚器官は別箇所に作った擬似的な頭部で代用する。死角を減らすということを考えれば多方向にバラして配置してもいいが、それだと情報処理に手間がかかるし防御率が下がる。それなら一ヶ所に感覚器官をまとめて立体的に把握した方がいい。
それに、『イヴ』を支える支点が一ヶ所だけである必要もない。
十数本ずつの腕を束ねて太い腕を八本ほど作り、それを『脚』として機動力と地表から狙いにくい高度を両立する。繭になった本体を中心にして、感覚を重視した小ぶりな作り物の頭を前にしたその姿は体高10mにも上る巨大な蜘蛛のようになった。
そして、『イヴ』は今までにない≪ガラスの靴≫の使い方を見せ始める。
攻撃に曝されやすい『脚』の、関節としての駆動にあまり関係のない部分の表面を『骨』のように硬質化させ、さらに硬質化していない部分は狙われにくくするための保護色として夜の闇にまぎれる黒に体色を変える。
そして、巨大化な『脚』の内前の四本を振り上げ、眼前の目標を踏みつぶさんと襲い掛かる。
圧倒的なリーチと質量を以て、地面を抉りながら『マリー』を追立てる。
しかし、『マリー』はそれらを回避してナビキに語りかける。
「ナビキさんちょっと乱暴じゃありませんか……って、聞こえてませんか? やはり、人格が変わっちゃってますね……それも、別人格と交代したわけではなく、心の奥底に溜めこまれていた闇が噴き出て『主人格』のナビキさん自身を大きく塗り替えてしまっているんですか」
『イヴ』は語られる言葉を一切聞き入れず、攻撃を続行する。
「派手ですが単純で、まるで機械みたい……いえ、むしろ敢えて『機械らしく』攻撃しているんですね。私が触れてしまった『楔』の核となっているのは、無自覚なまま殺人を行ってしまった時の『罪悪感』ですか。それを誤魔化そうとしてあなたは、自分を『殺人兵器』だと思い込んで……いえ、思い込まされている。あなたが元々人を殺すために作られたものだという『設定』を受け入れてしまえば、破壊にも殺人にも罪悪感を感じる必要がなくなるから」
歪んだ自己の正当化。
罪を罪だと受け入れないために、それを当然のことだと言い張るために、さらなる罪を上塗りしていく。そして、『後戻りはできない』という事実が、その認識をさらに強固なものにしてしまう。
ある者が誰かを犯罪に引き込む時、共犯者として取り返しのつかない犯行の片棒を担がせる……洗脳の手段の一つとしては、あまりに簡単で残酷な方法だ。
仮に洗脳を解いたとしても、罪と心の傷が消えない残酷な手法。
そして、自分の心についた嘘は、嘘をつき続ければいつかはそれが本当のことになってしまう。
この状態が長く続けば、ナビキは本当に自分の脳内を『最適化』し、『兵器』になってしまうだろう。
「私はとんでもないスイッチを踏み抜いてしまったようですが……逆に言えば、ナビキさんを縛り付ける洗脳のもっとも重要な部分を表面に引っ張り出したということもできますか。おそらく今、自分を兵器だと思っているナビキさんはその与えられた設定に従い、全てを破壊し尽くすまで暴れ続けるつもりでしょう。『命令なのだから自分は逆らえない、自分の意思は関係ない』……そうやって、自分の選択権を放棄して、それを証明するために行動するのでしょう。なら、ここでそれを止めてあげます」
猛攻を避けるために『マリー』は巨大なハンカチで身を隠し、瞬間移動じみた動きで『イヴ』の攻撃圏の外へと逃れる。
「『命令』を実行不可能にしてあげましょう。その巨体から引きずり出してあげましょう。『殺人兵器』のくせにたった一人の敵兵も殺せないことを証明して、そんな存在意義は否定してあげましょう。その嘆きが枯れるまで、その罪悪感が満たされるまで、お相手しましょう」
『マリー』は手を大きく広げて、聖母のような慈悲を込めた笑顔で『イヴ』を誘う。
「さあ、遠慮なく飛び込んできなさい……うっかり食器を割ってしまった子供が母親に泣きつくように。あなたの犯したことを叱って、それから慰めてあげましょう。『だめじゃないですか』『ケガはありませんか?』『次からは気をつけてください』……そんな、当たり前の言葉をかけてさしあげましょう」
そして、悲しみを込めて呟く。
「ごめんなさい、哀れな迷い子さん。あなたが大変なときに側にいられなくて……ちゃんと見ててあげられなくて、ごめんなさい」
同刻。
『時計の街』の各所の戦闘に大きな変化が現れていた。
街の各所に散って戦っていた『黒いもの達』が、一斉に北へ向かって移動し始めたのだ。
それも、進行を拒むプレイヤーとは正面からぶつかるのではなく、最小限の数だけを残して牽制する形で前へ前へと進み続ける。
「な、なんだ……これ……」
その『流れ』を建物の屋上から俯瞰していた遠距離攻撃職のプレイヤーは、その統一された行動に異様なものを感じていた。
稀にドキュメンタリ番組で放送される蟹や軍隊蟻の動きを想起させるような集団としての移動。
敵が学習の気配を見せていたことから集団での連携くらいは驚かないと思っていたプレイヤー達も、突然全ての個体が同一の意志で動かされているかのような動きには唖然としてしまう。
しかし、その先頭を追いかけたプレイヤーは……もっとも速く先頭に追いついた赤兎は、その目的地を理解し、ギルドメンバーに繋がるアイコンに叫ばずにはいられなかった。
「早く集まりやがれ!! 奴ら、とんでもないことを始めやがった……あいつら、街の周りのフィールドから、『上位種の洞窟』から、モンスターを集めて来やがったぞ!!」
今更ながらの『イヴ』の構造説明。
『イヴ』の特長。
①巨体(1.5m~10m)
アバターの容姿を変化させる『変身スキル』を宿したアイテム《ガラス》の靴と、相手の体内に潜り込んで同化する技『寄生』のコンボにより、ナビキ本人も正確には把握できないほどの本数の腕を作り出し、それを編み上げている。動きはカラクリ人形のように複雑に制御されていて、その中核であるナビキにとっては巨大ロボットに乗り込んで戦っているような感覚。
②破壊力(一軒家を軽く踏みつぶせる程度)
大量の腕を束ね、動きを同期させて一度に攻撃を叩き込むことで普通のプレイヤーの一撃の数百倍の威力を生み出せる。しかし、その代償として数百倍のEPを消耗する。(自前のEPで全力で戦える時間は一分もなく、何もしなくても20~30分で動けなくなる)
③防御力(装甲ありなら最高装備で全力防御の専業壁戦士以上)
第一の防御は『イヴ』の正体である腕の束を包み込む《化けの皮》、さらにオプションで『蓑虫』の能力を使った瓦礫の装甲や、防御特化に改造した『ムシ型』の『貝殻虫』の蝋装甲を被せることができ、最大限に防御を整えていればたとえ前線級のレベルを持ったプレイヤーの『自爆』だろうと十回は耐えられる。しかし、蝋装甲は持続的な熱に弱く、《化けの皮》は盗品であったために放火魔の『丙静』と《化けの皮》の元の持ち主でありその弱点も知る『雨森』によって突破された。
また、『蠱毒』による毒耐性もあるがオリジナルの毒を解析され『勇真』によって耐性を貫通された。
④特殊攻撃(遠距離、補助系攻撃)
主に『強奪スキル』によって得た能力。強靭な糸を出す『蓑虫』、地中を移動する『ミミズ』、ボス系モンスターのメジャーマップ攻撃『地震』、そしてナビキ自身の鍛えた『歌唱スキル』を増やした口で一斉に放つ咆哮など強力なものが数多くあるが、EPの燃費とナビキの性格の関係から直接の物理攻撃を好む。また、初戦で圧勝した能力も対策を取られて効果的に使いにくくなっているため、ナビキが過信していたほどの有効打は取れていない。
⑤『黒いもの達』
『イヴ』の取り巻き戦力にしてEPの予備電池。強力な筋力で前線プレイヤーも油断できない攻撃を放つが、動きが単純なため一対一ではさほど脅威ではないが、岩や木材を食べて回復、増殖するので数がいると非常に厄介。
『イヴ』はナビキの内面が自身の外側へと表出したものなので、ナビキの心情の変化によって形を変えます。(感情任せ→幼児、理性的→幾何学的や象徴的形状のようなパターン)
今回は巨大な蜘蛛のようになり、表面を骨で硬化することによって心を閉じ、無感情に動く兵器を表現しています。




