186頁:火の扱いには気を付けましょう①
『丙静』
……放火魔。
生粋の炎性愛者であり、独学で化学(主に燃焼関連に特化)を修め、有機物(炭酸塩などを含む広義の区分)に対応し思い通りの燃焼を引き起こす一連の薬品を『混ぜるな危険』と名付けて愛用し、全国各地、時には世界各地で火災を引き起こす。
しかし、それは必ずしも身勝手なものとは限らず、時には政府機関や裏社会の証拠隠滅のために依頼を受けて活動している。
なお、実は既婚者であり、花火職人の夫との間に娘を持つ。
ちなみに、カガリ(本名 篝燈)とは遠縁の親戚にあたるが、静が実家から勘当されているため面識はなし。
昔あるところに、火に恋い焦がれた女がいた。
物を燃やすのに躊躇しない女だった。
大きければ大きいほど、近ければ近いほど、惹きつけられた。
最初は小さな火種だった。
大人になるにつれて、より大きな火に惹かれるようになっていった。
そうしていつしか、彼女は火の海に足を踏み入れるようになった。
彼女は決して火傷を負うことも、煙にまかれることもなかった。
彼女は火を愛し、火は彼女を庇護した。
彼女は火を理解し、育むことを憶えた。
そして、火を知り尽くしとうとう誰も辿り着き得なかった領域に到達した彼女は……畏敬の念を込めて、こう呼ばれるようになった。
『火精霊』……『歴史的放火魔』丙静と。
≪現在 DBO≫
日が落ち、夜の闇を迎えようとする頃合い。
キングと『アマテラス』は、教会の鐘突き堂の屋上から西の方を見て、ライトの『変身』によってそこに『現れた』人物をはっきりと認識した。
黄色の雨がっぱを着てピンクの長靴を履いた女性。
『以前』と違うのは、その目の色。
左目だけが、白眼と黒眼が逆転したような色合いになっている。それも、本来の黒色と白色ではなく、あらゆる光を逃がさず閉じ込めるたような闇の色と、強く光を放つような白光。
それを見た『アマテラス』は、すぐさまその『目』を理解する。
「《ガラスの靴》を目に入れたのねー。光の屈折で色を明暗に分けてるんだろうけど、なかなか良い趣味してるじゃない。大方、他人からの識別が楽になるようにだろうけど……完璧な『偽物』の癖に相手を騙したくないとか、相変わらず変なこだわりがあるみたいね」
その隣で双眼鏡を覗くキングは、その『姿』を見て呟く。
「『丙静』……いや、その姿をしたライトって事なのか? 本人がここにいるはずねえし……だけどこの距離からでもわかるあのヤバい感じは……」
「『本人』よ。思考パターン行動パターンは自我が塗り変わるほど、人格が完全な別人になるほど極限まで再現してるから……少なくとも、戦闘能力は見劣りしない。そもそも『元祖』がもういないんだから、そういう意味では『本人』であることを否定できる人は誰もいない。完璧な偽物を紛い物だと断ずるには、本物を持ってきて否定するしかないけど、あの子が『完全再現』まで持っていけるのはモデルが現存しない場合だけだからね」
「なるほどな……あれがライトの奥の手ってわけか。そういや手当たり次第にスキル修得してたのも、こうやってどんなタイプの奴でもゲームで再現できるようにするためだったんだな。それにしても……『丙静』とは、いきなりとんでもないカード持ってやがったな。まさかあの……『歴史的放火魔』を蘇生しちまうなんざ、正気の沙汰じゃねえや」
双眼鏡のレンズから見える『静』は、突然『将之』から姿の変わって現れた彼女に困惑する『イヴ』を前にして、懐から取り出したタバコを余裕の表情で口にくわえその先に人差し指を向ける。
「お、ついに『災害』が始まるぞ」
キングは、かつてのデスゲームで自身の命をベットした『人間』の成した偉業を思い出す。
「被害総額27兆円。世界各地で三つの都市と八つの世界遺産を焼き尽くして歴史的被害を出した歩く大災害。デスゲーム『Scrap and Build』の攻略者にして『The Golden Treasure』の脱落者……『歴史的放火魔』」
そして、『アマテラス』は付け足すようにその『能力』を口にする。
「『有機物を火薬に変える能力』……『人体発火現象』の丙静、再参戦よ」
『イヴ』は目の前に現れた雨合羽の女に困惑した。
《ガラスの靴》を使った変身……それはわかる。
だが、その意図がわからない。姿を変えて逃げ出すというなら、目の前で姿を変える意味がない。
戦うためにステータス編成を切り替えたのだとしても、それなら別人になる必要はない。
そもそも、わからない。
どんなに別人になったところで、こんなちっぽけな人の姿で『イヴ』をどうにかできると思っているのだろうか?
「さてと……はじめまして、ナビキちゃん。いえ、今は『イヴ』ちゃんって呼んだ方がいいんだっけ? まあ、見た目的には『怪獣ちゃん』ってかんじだけど……私は『静』、よろしくね」
タバコを咥えながらそう言う『彼女』のキャラネームは『丙静』になっている。
人格が変わっている……それも、『行幸正記』とも『三木将之』とも違う、全く別の人格……いや、『別人』に。
(何もわからない……けど、やることは変わらない)
いくつの人格が『取り憑いて』いようと、それらを叩き出して『ライト』を取り戻す。そのためにこそ、『イヴ』としてこの街に攻め入ってきたのだ。
やることは変わらない。
ただ、捕まえて、握りつぶす……それだけだ。
『イヴ』は落とし穴から半身を乗り出した状態でゆっくりと、威圧するように手を伸ばす。
しかし、『静』は驚いた様子も、怯える様子も見せずまるでライターの代わりとでもいうように人差し指をタバコの先端に近づけ、呟いた。
「若いわねー……ま、私も大人げある方じゃないけど。せっかくだし、遊んであげようかしら」
日が完全に落ち、夜の闇に包まれた空気の中……『静』の指先に火が灯る。
次の瞬間……それが、見えない導火線を伝うように空中を駆け……近付いていた『イヴ』の巨腕に辿り着き、それが全身に燃え広がった。
「□□!?」
(なっ!?)
「その装甲、『カイガラムシ』だっけ? 鋼鉄みたいな強度らしいけど……その素材は『蝋』よね? 悪いけど、『将之』の使った小細工に仕込ませてもらったわ」
『イヴ』の全身が……いや、その表面の装甲が燃えている。
装甲にへばりついた粘着剤や瓦礫の塊が……燃え上がった。
しかし……
(熱い!! ……でも、たかが火なんて装甲で……)
『火』が『カイガラムシ』の装甲の弱点だというのは間違っていない。
しかし、その程度の弱点は把握している。
装甲の表面が燃えても、全てが燃え尽きる前に火のついた部分を捨てて新しい装甲を作れば問題はない。装甲を生み出している『ムシ型』のEPの消耗が激しいが、どんなに表面を燃やされたところで……
「■■……△△!?」
(装甲を一気に作って、表面をふるい落とせば……なんで消えないの!?)
『静』がタバコをふかしながら悠々と歩いて離れるのを追うように穴を完全に這い出て融け始めた蝋を振り落とそうとするが、火が一向に消えない。
火がおかしい。
よく見れば、穴の中は融け落ちた蝋以外ほとんど燃えていない。よく考えれば、あの粘着剤や瓦礫の中に可燃性の燃料が混ざっていたとしたら、穴の中に火種が落ちた時点で大爆発を起こすはずなのに、燃えているのは『装甲』だけなのだ。
これはまさか……
(装甲そのものがすごい勢いで『引火』じゃなくて、『発火』してるの!? それも、新しい装甲を生み出すより速い!?)
「『私は既にその装甲を爆弾に変えている』……なんちゃって。表面に油でも塗っただけだと思った? 放火魔なめないでほしいわ。表面を燃やしながら中を守る構造くらい想定内だし。当然、その対策は混ぜてあるわよ……その装甲には、粘着剤に混ぜ込んだ私の特製可燃化薬品『混ぜるな危険』は、じんわりと蝋を溶かしてより強力な発火性の物質に反応させているの。ゲーム的に言えば、『炎タイプにすごく弱くなった』ってところかしらね」
そもそも、蝋燭が燃え続けるのはそれ自体に発火性があるからだ。
マッチ棒などは火を上に向けて持っていれば、すぐに消えてしまいなかなか下の根元の方へは引火していかない。蝋燭がマッチ棒のようにすぐ消えてしまわないのは、火の根元の高熱に熱されて気化した部分がすぐさま発火して新たな高熱を生み出して連鎖を続けるから。
しかも、酸素の供給が少ない火の根元部分は空気に触れる外炎より温度が低く、引火が難しい。マッチ棒を逆さにして持てば火が上へは比較的簡単に引火していくのはこの温度差が一因となっている。
そして、これと同じように『発火性』さけ高くできれば……『発火点』さえ低くできれば、一度引火した火はその物質の端まで連鎖的に到達する。
そして同時に『発火』の温度は火種と必ずしも同等ではない。蝋燭のように燃焼で生み出される熱と次の火を作り出すための熱がほとんど釣り合っていれば火はゆっくりと、一定のペースで燃え続ける。発火点の高さに対して燃焼熱が低すぎればすぐに火は立ち消えしてしまう。仮に『発火点』を自在に操作できる能力を持っていれば、火を燃え続けさせることも立ち消えさせることも容易いことだ。
そして、『発火点』の操作はもう一つの使い道……一瞬にして全てが燃え尽きるような激しい燃焼反応、いわゆる『爆発』という現象を支配することも可能にする。
たとえば、小さな熱量で発火点を迎え、それを遙かに越える巨大な熱量を生み出す物質が連鎖反応を起こした場合、表面の火種から生まれた熱は引火した厚み以上の深さまで瞬時に発火点を越えさせ……
「『混ぜるな危険』で発火点が大きく下がって、逆に一気に放出する熱量が大きくなった蝋のコーティングは加速度的に連鎖反応で熱を生み出し、新たな火種をより多く、より深くへ広げていって最後には……ドッカーン」
『静』が復興途中の商店街の建物の陰に隠れると同時に、『イヴ』の全身の装甲から炸裂音が響き渡り、装甲が燃えながら次々と弾け飛ぶ。
装甲の奥深く、それを生み出す『ムシ型』へと辿り着いた火の連鎖が装甲の内部で爆発を起こし、まだ残っていた装甲まで吹き飛ばしたのだ。
当然、『イヴ』や『ムシ型』もその熱と衝撃を全身に受けることとなる。
たとえるなら、鎧の内側で爆竹を爆発させられたような衝撃を受けた『イヴ』は……
「■■、■■!!」
(痛い、それに熱い!!)
痛みに悶えるように、そしてまだ燃え残る装甲を剥がそうとするように、がむしゃらに周囲の建物に身体をぶつけ、破壊していく。
そして……
「■!!」
(これは!!)
壊れた建物から飛び散る大量の野菜や穀物の袋。
これは……復興途中の商店街で、一部だけでも営業を再会していた商店の売り物。
飛び散るそれらを見て、『イヴ』は咄嗟に声を上げる。
「■■■■■■■!!」
(あつまれ!!)
その叫びに反応するのは何十という『黒いもの達』。『主人格』であるナビキの意志に誘導され、落下の時に周囲に着地した個体達が集まってくる。
そして『イヴ』は、意識的に周囲の建物を破壊しながら意志を飛ばす。
(食べて、増えて、集まって!)
度重なるダメージに装甲も、それを作り出す『ムシ型』も消耗が激しく、『イヴ』自体も巨大な瓦礫を持ち上げるためにかなりの体力(EP)を消費している。自身の迂闊な衝撃波によって力尽きた穴の底の分身のEPも取り込んではいるが、死んだ状態の分身と生きたままの分身では取り込めるエネルギー効率も大きく違い、消耗が勝ってきている。ただでさえ通常プレイヤーの何百倍ものスピードでEPを消費する『イヴ』にとって、相手の思い通りに体力を浪費させられて疲労していくような今の状態は危険だ。
しかし、ここで新鮮な分身を取り込んでEPを補充出来れば装甲も、受けたダメージもすぐさま回復できる。
そして、分身そのものもステータスは前線レベルのプレイヤー並みだ。『イヴ』が回復に専念する間は下手に誘いに乗らず分身達を使って攻撃した方がいい。そう考えたのだ。
そのために、『イヴ』は周囲の建物を破壊し、分身達の餌を作ると共に、至近距離の物陰から先ほどの『本部』倒壊のような備え付けの超威力トラップを発動されないように、見晴らしのいい『陣』を作ったのだ。
しかし、『イヴ』は……ナビキは、知らなかった。
『静』の放火が、安全地帯でじっとしていれば凌ぎきれるものではないということを……『災害』と、呼ばれていたことをだ。
飛び散った食べ物に食いつき、口に含んだ分身たちが……口の中から噴き出した炎に顔を焼かれ、大ダメージを受ける。
「コッチヲミロー……なんちゃって。『混ぜるな危険』体温発火式。残念だけど、あなたたちの食いついた食べ物は既に立派な爆発よ。私にとっては、小麦粉だろうと火薬と変わりないんだから」
建物の陰から姿を現した『静』は、地面に手をつき叫ぶ。
「『ファイアーライン』!」
『静』の手から火が噴き出る。
そして、それは壊された建物の陰の地面に描かれていた、色の違う『黒い土』の『導火線』に引火し、地面を伝って広がって、景色を変えていく。
火が高速で地を這い、闇に染まった辺りを照らしながら『イヴ』と『黒いもの達』をまとめて四角く囲んでいく。
そして……
「『ファイアーウォール』!!」
焚火程度の火力で足元を照らすだけだった火は突如、人の背丈に迫る火の壁となり、四角の囲いの中を網目状に駆け巡る。
高熱の火の刃が……『黒いもの達』を、まるで地を水平に落ちるギロチンのように両断し、『イヴ』の地面についた手足の作りかけの装甲を引火する間もなく焼き切って『ムシ型』まで深く裂いて通り過ぎていく。
「□□□□□□!!」
(な、何が今……火で燃えるんじゃなくて、『斬られた』? まるで、ガスバーナーみたいに……)
ナビキの知る常識の上での『火』と違う。
装甲の表面を捨てることで引火を防げると想定していた火炎魔法や爆発トラップなんかとは明らかに違う。
相手の次元が……想像を超えている。
「▽△▽△!」
「丁度いい感じに腐葉土みたいな地層があったから、高温反応式の『混ぜるな危険』を染み込ませておいたわ。地上から普通の火を落としても発火しないけど、地下から着火すると発火点の低い土から連鎖して高温で反応して超高温の火を放つちながら地上に噴出するの。それに殺傷力を上げるために、砂鉄とかを加えたりもしてるけどね。ちなみに、そういうのはそこら中に仕掛けてあるから、お得意の地下に潜って逃げるとかはお勧めしないわよー」
遅れて来る焼けつくような痛みに呻く『イヴ』に、『静』は得意げに語りかける。
「大方、『防火対策は万全のはずなのに……』とかって思ってるのかもしれないけど……簡単に『火』を理解したつもりになってんじゃないわよ。温度、風向き、排煙、燃焼時間、延焼規模、炎色反応、『火』はそれぞれ個性があってとても奥深いものなのよ。昔も1000度やそこらを想定した程度の防火装備で『これでおまえの火なんて恐くない!』とかって言ってくるバカとは飽きるほど戦ってきたけど、蝋燭を眺めた程度で火を理解したつもりになってる奴が一番腹立つのよね」
『イヴ』は焼き切られた分身達の死体から残ったEPを回収していくが、その数に対して回復量はあまりに少ない。
そして、そのEPを全身に貼り付けた『ムシ型』に分け与えて蝋の装甲を作らせるが、防御力に特化させたはずの『ムシ型』に刻まれたダメージを実感する。
そして、目の前の相手がこの程度で終わる相手ではないという確信がある。
この程度はまだ、相手にとっては『ぼや騒ぎ』程度の力しか出していない。
何故なら、目の前の敵……『丙静』は堂々とした態度でこう言い放ったのだ。
「さあ、怪獣ちゃん? もっとおばさんと、火遊びしない?」
回復待ちなんて言っていられない。
『イヴ』は認識を改め、意志を固める。
(油断なんてできない……全力でやらないと、やられる)
対して、咥えタバコのまま笑った『静』の両手は、手首の先が炎に包まれ、手そのものが火炎でできているようにすら見えるものへと変貌する。
「では改めまして……デスゲーム『Scrap and Build』攻略者にして『The Golden Treasure』脱落の放火魔『丙静』。点火しまーす」
『災害』はまだ、始まったばかりだ。
同刻。
『時計の街』の中心部で戦うとある『攻略連合』の兵士の一人が気付いた。
「あれ……こいつら……」
自分が目の前で食い止めている大量の『黒いもの達』。ずっと単純な攻撃ばかり仕掛けてきて変わり映えしないように見えていたが……
「こいつら、遅くなってきてる?」
それは、気のせいかもしれないと思うような小さな変化だったが……ここからの戦況に関わる、重要な変化でもあった。
何気に解説役に収まってるミカン(アマテラス)ですが、裏事情としては『乱丁』の方で凡百が『イヴ』に追いかけ回されてたときに足止め役としてイザナの『神生み』でログインしています。
一応名前でわかりやすくしたつもりでしたが、本編で説明のタイミングがなかったので……




