182頁:勇敢なのと死にたがりは違います
ライトの場合は勇敢も死にたがりも似合いませんね。
自分の命に執着がないというのも、ある意味『ゾンビ』たる所以です。
長ったらしい処刑の口上。
もったいぶった処刑台への登台。
正面から数多の人から見られるよう、用意された舞台。
それらの、公開処刑の形式的な行程は本来、罪人の地位を貶め、刑を執行する権力を誇示するためのものだ。公開処刑される者の多くは叛逆罪や現権力への批判など権力を貶めようとする者であり、その罪は処刑の場で権力の偉大さを示すために利用されることで清算される。
そう……公開処刑の一番の目的は、復讐や危険因子の処分ではなく、罪の『清算』なのだ。
言い換えれば、これは形を変えた生け贄の儀式。
古代には名誉とされた生け贄の高潔さを、不名誉の相殺として用いるための儀式なのだ。
そして、その生け贄の席へと歩を進めるライトは、言葉には出さず、内心で願う。
この儀式は、ナビキを誘き出すための儀式。
本来、罪を償うべきなのはナビキ。
そして、そのナビキをこの場に呼び出すためこの策を提案したのはライト自身。
しかし、彼は願うのだ。
『どうか、来ないでくれ……ナビキ』
これは最悪の一手。
本来の罪人の代わりに、真犯人の代わりに味方を身代わりとして処刑し、表向きだけでも事態の収束を装うという政治的、戦略的、人道的にもこれ以上はない悪手。失敗のリスクの計り知れない、失敗の許されない分の悪い賭けだった。
それでもライトは、その『失敗』を願った。
《現在 DBO》
6月30日。午後6時55分。
形式的な『十人以上の殺人は日本の法律的にも極刑に値し……』『ゲームの進行の妨害は数千人の人命に関わる重罪であり……』と、公開処刑を正当化する口上の後、ライトは手枷を付けられたまま突貫工事の処刑台への階段を上がる。
西向きの階段を上がりきれば、見える景色は壊滅した商店街。そして、ライトに疑惑と嫌悪の目を向ける数百人のプレイヤー達。
そして、そこへ向かう背中を追い立てるように歩く執行人……『赤い鎌』を携えたエリザは、その大きな背を見ながら考える。
『邪魔が来なければ、そのままオレの首をはねろ。そして、オレに取って代われ』
それが、ライトが直前にエリザに告げた『作戦』だった。
最初、エリザにはその意味が理解できなかった。
これはナビキを誘き出すための……『イヴ』を呼び出すための作戦だ。だからこそ、数多のプレイヤーを騙すような形で誤った『真実』としてライトの罪を喧伝したのだ。それは、成果を上げられなければ取り返しのつかない捨て身の策であり、必ず成功する確信があるからこそ実行したはずだ。
しかし、万が一……策に対応した犯罪組織がナビキを拘束するなどして公開処刑が妨害されなかった場合、作戦を中止せず……『そのまま殺せ』と、『ナビキの罪を全て自分に被せろ』と、そう言ったのだ。
ライトの無実を知る者は多いようで少ない。ここに集まった数多のプレイヤー達の大半は、これが『イヴ』や敵戦力を引き付けるための作戦だと知っているが、その『餌』であるライトが全くの無実であることを知る者は数少ない。ほとんどは『全力で救出されるような犯罪組織の幹部』、もしくは『「イヴ」を遠隔操作していた本体』と思っている。少なくとも犯罪組織が救出に来るならば、犯罪組織の味方だろうと思っていることだろう。
しかし、それは全てが終わってから撤回できないものでもない。
だが、ライトは当然のように言うのだ。
『オレを殺したら、その記憶をナビキに流せ。それから、マリーに頼んでナビキの精神に出来た隙をついて主導権を奪い取るんだ』
ナビキの行動の原動力にあるのが自分だと……自分が死んだらナビキの心が折れると、そう理解しながらの策だった。
そして、それはライトにとっての『第一希望』らしかった。
『主導権さえ奪ってしまえば、ナビキはもう「イヴ」にはなれない。そうなれば、「イヴ」を倒したのと同じことだ。エリザ、おまえにはしばらくナビキとして……「イヴ」を倒した英雄として、攻略を引っ張ってほしい。「主人公」として、みんなの希望になってほしい。そして、ナビキが十分に回復したらオレの遺志を継ぐように言ってくれ。そうすれば、冷静になったあいつは時間はかかっても理解してくれるだろう。オレから「強奪」した能力として「イヴ」を使えば、ナビキは誰よりも強い英雄になれる。ゲームを攻略する難易度も、格段に下がるだろうな』
知りたいことはそんなことではなかった。
そんな事を自分に伝える意図がわからなかったのだ。
エリザはナビキが『殺人鬼』の思考パターンを取り込み作った人格……殺せと言われれば、冗談抜きで本当に殺せてしまうのに、格好を付ける余地も意味もないのに、何故心からナビキを庇うようなことを……自分自身を捨て駒にするようなことを言うのかが理解できなかった。
しかし、首を傾げたエリザに……ライトは笑いかける。
『良いんだよ、理解できなくて。だからこそオレはおまえに頼むんだ。最期に手を下してくれる奴は、罪悪感なんて抱かないおまえみたいな奴が良いんだ。オレは、「罪の意識」なんて形で誰かの中に残るのは……あんま好きじゃないからな』
エリザには本当に理解できない言葉だった。
そもそも、エリザの存在目的は『生存』そのものであり、そのためには手段を選ばない。自分が死んだ後のことなど考えたこともないのだ。他人からの印象も、自分の死に関するこだわりも、全て死んでしまえば無意味なこと。そう思っているからこそ……そう考え、行動するためにこそエリザの人格は生まれたのだ。
しかし、同時にエリザの中の、『エリザ』ではない部分がそれをライトを理解する。
『ナビ』から受け継いだ『心』が、それを理解する。
「ライトは、ナビキに自分の全部をあげて……背負わせるの?」
言い方が批判するような形になったのは、その姿勢が無責任なものに感じたから……その生き方が、投げやりなものに見えたからだった。
確かに、今のナビキはライトよりも遙かに強い。それこそ、全プレイヤーが団結しても単独でそれと拮抗する戦力となりかねないほどに。ならば、そのナビキをこそ『主人公』に仕立て上げてデスゲームの攻略に向かわせれば、ライト一人の犠牲を補ってあまりある人命を救うことも出来るだろう。
極端な話、ナビキの無限に増殖できる分身達だけで、実質的には誰も命の危機を冒す必要なくデスゲームを攻略しきることだってできるかもしれない。
しかし、ナビキにとってライト一人の犠牲は他の全てのプレイヤーの命より重く……ライト自身にとっては世界の全ての終わりと等しいものだというのは、今のエリザにならわかる。
自身の人生を……物語を、そんな理屈だけのために終わらせていいものではないということは、わかってしまうのだ。
そのエリザの表情から心情を察したらしいライトは、苦笑しながらエリザの頭を撫でた。まるで、聞き分けのない子供を宥めるように。
『わかってるよ。オレが破綻してるっていうのは、オレ自身が一番わかってる。だが、オレにとってはこれが普通……ナビキと出会った時から、何も変わってない。最初から……ナビキは、オレの「後継機」を務めてもらうつもりだった。最初から、そのためにナビキに目を付けたんだ。ナビキが敵組織の手に落ちたりとか対立関係がデスゲーム全体を巻き込む規模になったりとかちょっとした誤算はあったが、概ね計算通り、計画通りだ。そのための準備は、そして伏線は……もう、用意してある』
ナビキには、戦いを覚えさせた。
ナビキの周囲には、スカイや赤兎、『OCC』のような名声と力を持つ有力プレイヤーが揃っている。
交流は薄めだが、ジャックのように裏側に繋がった戦力とも繋がっている。
そして、自身には『イヴ』という切り札があり、誰にも負けない実力を持っている。
それはまさしく、主人公にふさわしい環境が揃っている。
「……理解できない。わざわざ受け継ぐ必要がない。ライトがやればいい」
しかし、それはライトの用意した繋がりや力。
ほとんどが、今のライトが持っているものだ。
『生憎だが、オレは「主人公」にはなれないよ。「主人公」っていうのは、オレみたいな決意も夢もない奴がやるべきものじゃない。その場その場のトラブルシューティングだけなら、手段を選ばないオレみたいなのでもそれらしいことはできるだろう。重大なトラブルが起きた時に何より大事なのは、遠い未来より目の前の問題解決だ。そういうときには、オレみたいな清濁も裏表も合法非合法も感傷も損得も関係なく動けるやつは重宝する。だが、物事が順調に動き始めたらそんなやり方はむしろ悪手になる。「守るべきもの」をはきっり決められないと、効率よく前に進むためにいろんなものを捨てて行って……最後には、手の中にはほとんど何も残らない。九を生かすために一を容赦なく切り捨てるのを十回も繰り返せば、いつの間にか半分以下になってるんだ』
今までも、ライトの選択次第では死ななくて済むプレイヤーはいた。
『遠回りしてでも十全てを助けようとするやつが必要なんだ』
ライトがスカイの財力を確立するために攻略本を作る以前に攻略情報を手当たり次第に流していれば、死ななくて済んだプレイヤーがいただろう。
ライトがジャックを放置していなければ、犯罪者となってもいずれは改心できた者だっていただろう。
ライトがリーダーを代わっていれば、シャークが犯罪組織の幹部となることもなかっただろう。
ライトが攻略ギルドの抗争を避けるために魔女の情報を秘匿していなければ、被害者はもっと減っていただろう。
ライトがナビキをちゃんと愛していれば……ナビキは、『イヴ』にはならなかっただろう。
『もちろん、今までのオレの道筋が間違いだらけだったとは言わない。この一年、攻略を進められる力を持った有力ギルドも、犯罪者への対抗手段も、情報の共有も、あらゆる展開に対応できるようにしてきたつもりだ。だが、このデスゲームという物語には……その場しのぎや騙し騙しばかりじゃない「主人公」が必要なんだ。もちろん、それをナビキ一人に全て責任を負わせるわけじゃない。赤兎やスカイ、ジャックだって立派な「主人公」として活躍してくれている。いや、どこにでもいるような普通の奴だって……みんな、自分の物語の主人公として未来へ進もうとしている。だが、このデスゲームをクリアするにはどうしても一人は必要なんだよ。死を恐れずに、だけど誰よりも強くゲームクリアを望める主人公が』
本来、デスゲームを攻略しようとするモチベーションは『死にたくない』という思いから始まる。
死の危険のある世界から抜け出し、生きて帰りたいからこそ危険を冒してもデスゲームを攻略しようとする。
しかし、そのモチベーションは行動を進める動力であり、同時に弱点でもある。
ゲームが進み、死の危険が高まれば歩幅は狭まり、前へ進むのは難しくなる。
進むほどに歩幅が狭まれば、いつまでもゴールには辿り着けない。
それを打ち破るには、大股で危険を踏み越えられる者がいる。
『仮にナビキが来てオレがあいつを倒すことができても、オレはナビキを罪には問わない。ナビキは苦しむかもしれないが、あいつはこの世界に必要だ。その時には、ナビキが自殺したりしないようにしっかり見張っててやってくれよ。何せナビキが完全に死のうとしたらエリザも死んじゃうからな』
エリザは頷く。
『生き残る』……それは、エリザが理解できる中で最も重要なことだ。
しかし、一つ疑問が残る。
「もしライトが負けたら、どうするの? ナビキは本気。本気でライトを『奪い』に来る」
処刑台に上る直前まで、ライトはそれに答えなかった。
しかし、処刑台に上る直前、反論を許さない状況で彼は答えた。
『その時は自分で降参してやる。それと、これは言い忘れていたんだが……』
ライトは、嘘っぽく笑って見せた。
『今回の戦争は、怒りも恨みも損も、誰かが全部抱え込んでやらなきゃ終わらない。オレが勝ったら予定通り介錯を頼むよ』
エリザは、そこでライトの考えを理解しようとするのを放棄した。
理解できる自信はなかったし、理解しようとも思わなかったし……何より、そもそも『ナビキが来なかったら』などという仮定など無意味だった。
何故なら、『黒いもの達』を狩っていた時のように、ナビキが活性化すればエリザにはその大方の位置が特定できる。そして、感じ取っていたのだ。
接近して来るナビキの気配……そして、罠であることを知りながらそれを押しつぶそうと迫ってくる『黒いもの達』の気配。
処刑台を上りきり、首を差し出すように頭を垂れるライトに、エリザは小声で告げる。
「ライト、来るよ」
ライトは、それを聞き残念がるように肩を落とす。
「そうか……数と方向は?」
「ゲートから……大体6000くらい? でもそっちは全部『黒いもの』だけ、ナビキは……『上』」
「上?」
ライトが意識を澄ましてみると聞こえてくるのは、鋭い羽で風を切るような音。
それも、複数……というより、『無数』。
「エリザ……そういえばエリザって飛行能力あったよな。あれって、どのくらいのもの運べるんだ?」
「あれ、EPすごく燃費悪い。一人抱えて一分くらい。でも隣の街から飛んでも、三十分くらいかかる」
「なるほど……てっきり地下かゲートからかと思ったが、考えたな。罠全部素通りしてショートカットしてきたか」
ライトが空を見上げると、そこには夕暮れの蝙蝠群れを思わせる黒い群集。他のプレイヤー達ももうすでに気付いて、臨戦態勢に入っている。
しかし、ライトは叫ぶ。
「全員逃げろ!! 『イヴ』が落ちてくるぞ!!」
空高くで、黒い影が集合し、数を減らし大きな一つの塊になる。
空中で飛行能力を持つ『黒いもの達』を補食しながら、分身と寄生吸収、そして補食を繰り返して完全な『イヴ』となっていく。
おそらくは、隣街からもこの街に来るまでも、空中で補食を繰り返し、移動燃料として数を減らしながら飛んできたのだ。
それでも、元から相当数だったのだろう。そして、辿り着いたのは二百体あまり。
空から、『イヴ』が黒い軍勢を伴って落ちてくる。プレイヤー達はそれを察知し、四方へ散っていく。
しかし、これは予想外のことではない。
『イヴ』を誘い込んで散開するところまでは計画通り。むしろ誘い込む手間が省けた。
プレイヤー達には『処刑台の周囲にかくされた特大サイズの呪縛魔法陣に巻き込まれないようにするため』と説明されているが、本当は違う。
エリザが鎌でライトの枷を解き、ライトは戦いのための様相に装備を改める。
空色の羽織りに、日焼けした帽子。ナックルに鉄鋼が施された黒いグローブに、無色透明なブレスレット。
その眼前に地響きを立てて落下してきたのは、体高10m、数千本の腕を筋肉繊維のように編み上げ、表面に雨森から剥ぎ取った《化けの皮》を被せ、そしてその上から鎧のように黒い岩石のようなものを全身に貼り付けた怪獣『イヴ』。
翼の生えた『黒いもの達』の力で減速しながら、赤ん坊のような釣り合いの短い手足で、内部の無数の腕でクッション構造を作って衝撃を殺して着地した『彼女』は、複眼の全てをライトに向ける。
6時30分、午後7時。
沈み行く夕暮れの紅い光の中、二人は同じ高さで視線を交わした。
すれ違い、道を外れ、はぐれてしまった二人の『人外』。
これまで真っ向から対立し合ったことのない二人は、今初めて互いの目を見て言った。
「大好きですよ、先輩。今、助けます」
「大好きだぜ、ナビキ。今、助けてやる」
片や、人間に極限に近い人外『哲学的ゾンビ』のライト。
片や、怪獣と呼べるまでに己を拡張し人間の枠組みを飛び越した『行動的ゾンビ』のナビキ……その完成形『イヴ』。
同族亜種による戦いが幕を開けた。
同刻。
ゲートから、最後まで敵陣を監察していたプレイヤー達が飛び出してきて叫ぶ。
「敵は六千近くいるぞ!! ゲートの通じる全ての街から、もうすぐ転移されてくる!!」
六千体……残りの全プレイヤーの数より多いその数に、防衛のプレイヤー達はざわめく。
敵軍六千に対して、防衛のプレイヤーは公開処刑の観客として待機していた者を加えても僅か五百人程度。しかも、その内百人ほどはレベルが100を越えていても、前線では戦ったことのない中小戦闘ギルドの出身者。自分達の十倍以上の相手など、出来る自信はない。
敵軍を見る前から、既に心が折れかけている。
だが、そんな中でも、戦意をたぎらせる者達がいる。
「一人十体は難しくとも、我々は団結を力とするギルドだ! 百人で千体、三百人で六千体の相手など造作もない、そうだな!」
「「「おう!!」」」
「六千? じゃあ、俺達は一人百体やればいいってことか?」
「ちょっと待てや、あたしらの獲物も残しといてくれや」
「じゃあ俺達は一人二百体くらいか」
「……」コクリ
「私はトドメは刺せないので、三人で六百と行きましょうか」
三大戦闘ギルド『攻略連合』『戦線』『アマゾネス』、さらに『OCC』を加えた同盟軍。
この一ヶ月、正面から折られ、搦め手や暗殺にしてやられ、辛酸を舐めさせられ続けた彼らは、この単純な『戦闘』というフィールドにおいて、その実力を発揮せんと気を高める。
そして……
「さあて、私達もスタンバイするわよ」
創設時からこの街を本拠地とし、自分達の家のように思い続けてきたギルド『大空商店街』も、黙ってはいない。
自らのホームグラウンドを侵そうとする黒いもの達が現れようとするゲートポイントが時空の門を開いた瞬間……
「『集中砲火』、開始!!」
ゲートポイントの位置する時計台広場の中心に向かって、周囲の建物の屋上に固定された兵器から容赦なく放たれる鉛玉の雨。
出現した瞬間に蜂の巣にされる『黒いもの達』。
「さあ、何体目で弾幕を突破できるかしらね?」
市街地戦が開幕した。




