179頁:悪いことをしたら反省しましょう
気付けば二百話近く続いていて驚きですが、お付き合いしていただいている方々の期待に応えるためにも最後まで書き続けるつもりです。
マリー=ゴールドの『歌』が響く。
それは、世界を歪める魔性の旋律。
原初の音楽とは猛獣などから身を守るため、そして祈祷や儀式のために生まれたもの。
リズムある音列は隙を狙う害意を退け、祈祷では多くの人間の心を一つにするための調律に用いられる。
そして、儀式は信仰に結びつき……『信仰』とは最も強く、最も多くの人の心を動かす『暗示』である。
一度『音』に魅せられれば……最後まで聞き終えるまで、人は心を奪われ続けるしかない。
人は、自身の意に沿わない運命に抗い続ける。
「進め! 全員進むんだ!」
ゴコクは、『荘園』へ何百という軍勢を一度に送り込む。
しかし……
「『荘園』に攻め込んだプレイヤー、全滅です!」
「なんだとう!?」
人は、意に沿わない運命に抗い続ける。
「『荘園』を取り囲むんだ! プレッシャーをかけろ!」
ゴコクは、『荘園』を数で囲み、持久戦を仕掛ける。
しかし……
「大変です! 千人近い敵影に逆包囲されています!」
「な……なに!?」
人は、運命に抗い続ける。
「金は払う! 傭兵や仲間を呼んで、圧倒的な戦力で踏みつぶしてやれ!」
ゴコクは、三百程度の軍勢では攻略が難しいと考え、増援を呼ぼうとする。
しかし……
「動きが戦闘ギルドにバレました! 増援の後をつけて、もっと多くの敵が迫って来ています!」
「そ……そんなことが……」
運命に、抗い続ける。
「た……退却だ!! 一端退くぞ!!」
ゴコクは、少なくなった手勢を自分の護衛として逃げ出そうとする。
しかし……
「に、逃げれられません!! あの女……海の上を、あ、歩いて迫って来てます!!」
「そ、そんなバカなことがあるわけ……あるわけが……」
運命に……
「クスクス、好きなだけ抗い続けなさい。もっとも、『結果』は既に決定していますが……その『真実』に納得できるまで、敗北を受け入れられるまで、何度でも、どんな手段でも、いくらでもお試しください。無限に終わらない旋律を、満足行くまでお楽しみください」
マリー=ゴールドは、完全に暗示に嵌ったプレイヤー達を眺めて、にっこりと笑う。
彼らは幻想の中であらゆる選択肢を試行し、そして失敗したのを認識し、それを忘却して、失敗の実感だけを蓄積してまた新しい試行に移る。
微かにでも心の中に可能性が残っている限り……諦めない限り、挑戦を強制され続ける。
「困難に挑戦し続ける人間の意志の力は本当に素晴らしいものです。犠牲を払いながら失敗を繰り返した末、人は新しい大陸を見つけ、空を飛ぶことを可能にし、世界を光で繋ぎ、母なる青い大地を見下ろすことにまで成功した……しかし、やはり人間には限界があるのです。どんなに抗い続けても『不可能』なこと……そして、『してはならない』ことはあるのです。それを忘れた、行き過ぎた挑戦は……ただの、傲慢です」
幻覚の中、彼らは理解させられ続ける。
自分たちの挑んだものが『触れるべきではないもの』だと……その挑戦が『不可能なもの』だと知り尽くすまで、幻想に囚われ続ける。
そして……
「では、あなた方が嘘偽りなく、どうしても争うのをやめたくなった時……もう一度、お会いしましょう。私は救いを求める人は拒みません。仲直りは、いつでも大歓迎ですよ?」
マリー=ゴールドは、そんな彼らに向けて依然変わらぬ慈悲に満ちた笑みを見せ、慈愛に満ちた言葉を送るのだった。
≪現在 DBO≫
6月30日。午後5時。
ライトの公開処刑まで、あと二時間。
『荘園』にて、マリー=ゴールドは疲れたようなため息を吐く。
「はあ、思ったより時間がかかりましたね……この人たちを運び出すのに」
目の前には築地のマグロ市のように並べられた数百のプレイヤー達。
無論、死んではいない。しかし、ほとんどがひどく魘されるか放心したような状態であり、あまり無事とは言えない有様になっている。
そして、その横では疲れ果てて倒れている別のプレイヤー達。彼らはマリーの暗示によって完全に『仮想麻薬』を諦め、降伏した者たちだ。マリーは『荘園』の中で暗示にかかり、さらに〖ミュータント・バッドドラッグ〗に捕らわれて自力で脱出できなくなった者達を運び出すようにマリーに『お願い』されて、今やっと全てのプレイヤーを運び出して並べたところなのだ。
しかし、中には運び出されてもまだ暗示の中にいる者や、暗示が解けてもトラウマのようになってしまっている者もいる。
「もうしませんもうしませんだから『塩』はもうやだやだやだ……ブツブツ」
「はは、普通が一番だ……これからは、大した幸運も深い絶望もない植物のような人生を生きよう……ブツブツ」
「俺は決めた……もう、一生贅沢な食事はしねえ。僅かな米と味噌と水だけで生きてやる……ブツブツ」
「御主人様御主人様御主人様御主人様……ブツブツ」
「触手ぃゃぁ……繭にしないでぇ……ブツブツ」
「私は何やってもダメなんだ、ギルドはちゃんと前のギルマスに返そう……ブツブツ」
「あらあら、皆さんやっぱり悪いお薬のせいで精神的にボロボロだったみたいですね。手遅れになる前に根絶できて本当に良かった……これもきっと、皆さんの日頃の行いが良かったからでしょうね」
マリーは、『塩はいや塩はいや……』と呟いて座り込んでいる女性プレイヤーに顔を寄せ、ビクリと怯える彼女を宥めるようにニッコリと、この上なく優しく見つめて語りかける。
「安心してください。今ならまだ、いくらでも治療できますから。心がちゃんと完治するまで、じっくりと丁寧に、ずっと寄り添って……お付き合いしますからね?」
『信仰』の対象とは得てして『畏怖』の対象でもある。
ビクリと肩を震わせる目の前のプレイヤーにとっての、一番の恐怖の根源が自分であることをマリー自身が理解するには、もう少しだけ時間がかかりそうだ。
そして、場所は大きく変わり、犯罪組織『蜘蛛の巣』のアジトにて。
やっと完全に追っ手をふりきって帰還したシャークは、待っていた報告に驚きの声を上げる。
「『荘園』が制圧された!? しかもコールと法壱、それにカガリまで捕まりやがったっていうのか……あいつらが……」
送り込んだ精鋭五人の中、無事に帰ってきた部下はABとミクだけ。(しかもミクは最後まで戦わず、シャークを救出するために勝負を途中で放棄して来た)
さらには、組織の重要拠点であった『荘園』が完全に制圧され、奪還のために送り込んだ者達もまとめて捕縛されてしまった。『荘園』を奪われれば、もはや『仮想麻薬』は当分量産できず、組織の資金集めや新規メンバーの勧誘などにも多大な影響が出る。
それに……
「まだこのアジトの倉庫にはそれなりの蓄えがあるが……『イヴ』の動きも制限される」
ナビキが『イヴ』に変身しその巨体を操るのには、多大な精神力を必要とする。それに、『イヴ』を運用するために同時に動かす『黒いもの達』も、数が増えれば増えるほど同時に活性化させるのが困難になり、今まで使い捨ての兵士代わりに使っていた『黒いもの達』にもその動きを維持するためにナビキは定期的に『仮想麻薬』を服用している。そのドーピングが制限されるとなると、取れる戦術の幅も狭くなってくる。
しかし、今日のシャークの最大の失敗は『荘園』を奪われたことでも、精鋭の部下三人を奪われたことでもなく……
「しかもOCCが出張ってる……『時計の街』の守りがここまで固いってことは、十中八九ライトはあそこに居やがるんだ。最初からわかってりゃ、もっと違う攻め方をしたのによ!」
この『ライトが「時計の街」に居る』という言葉を、ABが乗って帰って来た軽装装甲車に張り付いていた『ムシ型』を通して会話を盗み聞きしていたナビキに、しっかりと聞かれてしまったことだった。
ダンジョンの奥深くに作られたアジトを、無視できない強さの揺れが襲った。
そして……
「!?」「!!」
ダンジョン最下層でナビキを見張っていた『カイン』と『アベル』は、間近で見たその『揺れ』の原因に括目する。
それは、巨大な黒い……単独型の『ワーム型』。
土中を移動できる、ドクターが逃走用に使ったこともある改造個体。
乗り手のいないそれを『遠隔操作』できるのは……『本体』であるナビキただ一人。
『ワーム型』は、完璧な位置からダンジョンの壁を食い破り、その壁に拘束されていたナビキを、その口内に呑みこんだ。
そして……
「『複製災害』!!」
『ナビキ』から『イヴ』へと変身するための、その技の名を叫ぶ。
『ワーム型』の口内には既に、『イヴ』が拘束を打ち破れるだけの力を得るのに十分な予備電池……『ムシ型』が大量に詰まっている。
防具としても最高レベルの強度を誇る拘束服をビリビリと破り、何千という腕が、分身が、それらを覆い隠す≪化けの皮≫の皮膚が広がる。
その質量は増大し、体積は跳ね上がり、パワーは常識を外れ……
「…………■■■■■■■■!!!!」
『ワーム型』を内側から破裂させ、凄まじい雄たけびを上げながら……『イヴ』が、降臨した。
そして、『イヴ』は最初に自分を見張っていた『カイン』と『アベル』を見下ろす。
狭いダンジョンの地形上、体高10mとは言わないまでも天井までの空間を埋め尽くす『イヴ』から見れば、中学生程度の体躯しかない『カイン』と『アベル』は歩く障害にもならないような小さな生き物だ。
しかし、それでも『主』からの命令に逆らえず、立ちふさがろうとする二人を見下ろした『イヴ』は……
「……ジャマ」
『攻撃』というにはあまりに気軽な動きで大口を開け、身構えていた二人に地面ごと抉るように食らいついた。
そして、大きな『口』の中に生える何百という『腕』、そして、そこに付属する人間サイズの小さな『口』で、滅茶苦茶なパワーをもって『咀嚼』する。
もはや、傷つけたり傷つけられたりした相手を操る能力など関係ないレベルで、命令などさせる間もなく、一方的に『口』という空間の中を転がし、へし折り、噛み砕き、引きちぎり、弄ぶ。
そして最後に、二人が装備していた服や、武器としてた赤い石などを吐き捨て……『イヴ』は呟く。
「オクスリ……イル……」
もはや、その行進を止められるものなど、このアジトの中には誰もいなかった。
同刻。
私は『凡百』、脇役だ。
まあ、今いるところは実は脇役がいるには結構場違いな所なんだけど……
「魔法陣描いてきたよー! それに、道全部憶えてきたー!」
「あ、ありがとうメモリちゃん。じゃあ本番まで休憩してて」
「わかった!」
戻ってきた『入力モード』のメモリちゃんを仮設ベッドに寝かせる。
彼女はこれから大事な仕事だ。本人は自分の疲れをちゃんと管理できるか怪しい性格だし、ちゃんと休むように指示することも必要だと思う。
それと……
「あ、他の人がいるベッドはダメだからね! ちゃと自分用のベッド確保してね!」
「わかってるー」
ここは共用の陣地だからちゃんとそれも言っておかないと、女性用休憩室でも『アマゾネス』の人とかいるだろうし、注意しといた方がいいだろう。
ここは『時計の街』の防衛のために作られた、仮設の陣地。場所的には『時計の街』の中央のゲートポイントから西側、商店街の入り口辺りにあるプレイヤーショップ『大空商社』とゲートポイントの中間地点に近いあたりだ。
この『公開処刑』を狙ってゲートポイントから攻め込んでくる犯罪組織をくい止めるための拠点なんだけど……なんで私、こんな場違いな所にいるんだろう?
周りはすごい強そうな人ばっかりなんだけど……
「そりゃ、ねーちゃんも一応『OCC』なんだし、防衛の話受けた以上は顔見せなきゃだめだろ? ま、一応あんたはオレ様と同じ『テイムモンスターのオーナー』ってことになってるけどな」
注釈を入れてくれるキングくん。
まあ確かに、戦うのは私自身じゃなくて『妖怪』のみんなだったりするんだけどさ……テイムモンスターは持ち主が近くにいるといないでは強さが違うからって、何の戦力もない私みたいなのがいたら、むしろ足引っ張りそうだし……
「何小さくなってんだよ? もっと堂々として護られてりゃいいんだよオレ様達は。他にもゲートから逃げられない非戦闘員くらい何十人といんだし、一人二人足手まとい増えても変わらねえって。むしろ、ここからなら特等席で戦いが見られるんだぜ?」
「キングくんはスゴいね……図太いっていうか、楽しんでるっていうか……私はこれからここが戦場になると思うとちょっと震えて来ちゃうくらいなのに」
「バカだなねーちゃんは。楽しもうと思わねえと楽しめねえぜ? もっと気軽に構えねえと、真剣なだけじゃやる気も失せちまうよ」
キングくんは周りを見回す。
確かにそこら中に、私と同じような表情の人が混ざってるけど……あんまり、士気は高いように見えない。
知っているんだろう……これから襲いかかってくる『敵戦力』が、どれほど恐ろしいものなのかということを。
そして、それがゲームのイベントでもクエストでもない、人と人との醜い戦争の一端だということを。
「公開処刑は演出でしかなくて、本当の目的はライトがみんなの前で犯罪組織のリーダーとか幹部に関しての情報を公開すること……なんて言われても、なんでそんな回りくどいことをするのかわからないけど……」
よく警察ドラマとかである、個人の告発はもみ消されちゃうけど、裁判とかでの発言は抹消できないとか、そういうのと同じなのだろう。どこかの大ギルドに犯罪組織が食い込んでるとか、そういう私には計り知れない事情が裏にあるに違いない。
私はライトにメールで頼まれたとおりに防衛に協力する、詳しい話はその後だ。
モチベーションを立て直そう。
私は出来ることをするだけだ。
そんなことを思っていると……
「『OCC』、お届けもの」
休憩所に、そんな声が通った。
そちらを見てみると、そこにいたのは黒いローブを着た暗い雰囲気の……多分私と同じくらいの年の女の子。
そして、その手の中にお姫様抱っこされている、その半分くらいの年の女の子。
あれ?
あの子の顔立ち、最近見たことあるような気が……
「ん」
「?」
キングくんのサングラス越しの視線が私を見ていた。『OCC代表として行け』ということらしい。
私は意を決して、彼女のもとへ行き、話しかける。
「えっと……『OCC』ですけど、お届けものって……」
「……これ、ライトから」
お姫様抱っこした女の子をこちらへ押しつけてくる。寝てるみたいだけど、物みたいな扱い方はどうかと思うな……じゃなくって!
「『ライトから』……!? それってどういう、この子は一体何者なんですか!?」
私の少し冷静さを欠いた言葉にローブの女の子は困ったように首を傾げる。
だけど、私だって困ってる。何があったらライトがこんな女の子を私に預けるような話になるというのか? しかも、こんな時に?
会話が上手く成立する自信がなかったのか、ローブの女の子は私に無理やり小さな女の子を押し付けながら……とんでもない、爆弾発言を一緒に押しつけてきた。
「たぶん……『隠し子』?」




