178頁:無用な争いはやめましょう
プレイヤー『咲』……本名『内藤咲』。
彼女はクォーター……母方の祖母はドイツ生まれで、曾祖父は軍属だったらしい。
『らしい』というのは、咲自身があまり詳しく曾祖父のことを聞かされていないから。両親があまり彼のことを話題にしたくないからだ。
しかし、祖母の話によると、曾祖父はドイツではどこかの収容施設で『シャワー室』の管理を行っていたという……母親はそれを聞くと『水道の配管工事とかをやっていた人だったのよ』などと誤魔化すように笑っていたが、ならばどうしてそれを咲に話したくないのかわからなかった。しかも何故か、曾祖父はその仕事のせいで戦後国にいられなくなって同盟国だった日本に知り合いの伝で亡命してきたらしい。
そして、咲の父方の曾祖父は、これまた軍にいたらしい。なんでも中国で、『731』というところにいたというが、それが施設の名前なのか番地か何かなのかはわからない。しかし、誰にも言わないように口止めされているのは確かだ。
曾祖母と曾祖父は戦争の時に技術協力のための会合のようなもので知り合い、終戦前に帰国できた曾祖父を頼って曾祖母が家族を連れて移住してきたのだ。
そして、両家の関係はその後半世紀以上も続き、その結果生まれたのが……咲という少女だった。
両親は共働きで忙しかった。
祖母と祖父は咲に優しかったが、両親が咲に近づけさせるのを嫌った。曾祖母と曾祖父の影響を色濃く受けた物騒な思想を受け継がせたくなかったのだろう。それどころか、両親は戦争や人の生死に関する話題を徹底的に避けた。
知っていたのだろう。
咲が彼らの祖父母の『性質』を色濃く受け継いでいるということを。
しかし、その教育方針は結果的に成功だったとは言いづらい。
忙しい両親に家に残され、祖母や祖父にも世話をされなかった彼女は、生まれもった『本能』を自由に発揮し、『才能』を育てていった。
趣味は園芸。それも、花屋で買った種や苗を育てるより、野や山に生える植物を選んで持ち帰るのが好きだった。
旅行に行けば両親の目を盗んで、こっそりと根まで採集した。
両親はその趣味を『平和的』だと思って許していたが、その草花を詳しく知ろうとしたことはなかった。
人の言葉には、『毒々しい色』という言葉がある。
自然界には、自らの毒を周りに知らせるための『警告色』という派手な色を持つ生き物がいる。
咲が『なんとなく』好んだのは、そういった毒を持って進化した生き物特有の、補食の危険が少ない故の『安心した色』を持つもの。
『ベニテングダケ』のような有名でわかりやすいものだけでなく、一見ありふれた青い花をつける『トリカブト』のようなものまで、咲の『秘密の花壇』には様々な毒が……毒草ばかりが選ばれ、植えられていた。
なんの予備知識もなく、毒を見抜き、扱えてしまう才能。
マリー=ゴールドに見いだされるまで、その才能は隠されたものだった。
それは、自ら外に振りまくことのない、誰かに攻撃されたときの防護策のような特性だった。
マリー=ゴールドが咲に授けた『増幅器』の役割は単純だ。
防護策としての毒を、食虫植物のようなトラップとした使う、ほんの僅かな攻撃性を持たせただけ。
それだけで十全に戦力として数えられる、末恐ろしい少女だった。
《現在 DBO》
椿の失神からしばらくして、毒の散布を追えた咲は『荘園』の奥部……広大な『畑』に来た。
そして、咲は楽しげに笑みを浮かべながら叫ぶ。
「オーバー100『ミュータントフォレスト』!」
咲の叫び声と共に、『荘園』の畑……『仮想麻薬』の原料となる草が、急激に変貌を遂げる。
腰より低い下草のようだったものが、一気に伸び、さらに何百とそれらが植えられていた畑の植物が一つに纏まり、絡み合い、新しい植物に生まれ変わる。
それはまるで怪物。
草で編み上げられた首長竜のような姿になり、目に見えるほどの『花粉』を振りまきながら活動を始める。
そして、それを畑の横から見上げ、マリー=ゴールドは呟く。
「咲ちゃんのオーバー50『フラワーガーデン』は咲ちゃんが世話をした植物の成長を速める技でしたが……オーバー100の『ミュータントフォレスト』になると『フラワーガーデン』で成長を早めた植物がモンスター化してしまう。名前からして、遺伝子改造による促成栽培とその結果起こる突然変異の暗示ですか……それにしても、咲ちゃんが品種改良した株を使っていたようですが、そこから繁殖させた苗全てがモンスター化すると、ここまでの大きさになるなんて……」
『荘園』で育てられている『仮想麻薬』の原料は、元々咲がいたからこそ、彼女の協力があってこそ完成した品種だった。犯罪組織はその株をそのまま分けて苗木とすることで『フラワーガーデン』の成長増進効果を失わずに短期間での大量生産を実現していたらしいが、それが裏目に出た。
咲の改良種ならば、その本当の主は未だに咲なのだ。
『ミュータントフォレスト』のことは知らなかっただろうが、犯罪組織は知らず知らずの内に、懐に化け物の卵を温めていたのだ。
犯罪組織の手で大事に、大切に育てられた咲の苗木達は突然変異し、育まれた愛情と数に見合った規模とレベルを持つモンスターに変貌する。
〖ミュータント・バッドドラッグ LV127〗
地面に根を張っている性質上、この『荘園』から離れることは出来ないものの、その茎や葉は村一つを埋め尽くすほどに広がる……〖毒王 ラジェスト・ポイズンスライム〗に匹敵する規模を持つ、災害級のモンスターだ。
マリー=ゴールドは数少ない安全圏となっている咲の近くに寄り添って、その『成長』を見届ける。
「モンスター化した植物は、その元々の特性を能力として持つことになります……毒草は毒を武器にして、薬草は回復技を使い、種を作るものは種を飛ばし……麻薬に使われるものは、捕らえた人々にその『薬効』を振りまくことでしょう」
伸びた草は地面を覆い、さらに建物の屋根と屋根の間をも覆うように結びつき、村を蚕の繭のドームのように覆っていく。
そして、そこにいる人々を逃げ場なく取り囲み、繭のように閉じこめていく。
「振りまかれる花粉は、まさに彼らが求めていたものと同じ効果をもたらすでしょう。それも、何倍も濃く……それこそ、嫌になるほどの効力を伴って」
犯罪組織『蜘蛛の巣』の広めた『仮想麻薬』は多幸感を与えるタイプ、俗に言うアップ系だ。しかし、その症状は外部から見えにくく本人の内面での精神活動が活発になり心中に隠していた被害妄想や願望などが押さえきれなくなり、それに伴って特定の事柄への集中力が飛躍的に上がる代わりに、その思考が独り歩きし始め、現実との境目が曖昧になって幻覚まで見るようになる。
早い話、この薬にはまった者は心の中にあった何かに固執し、心を捕らわれる。
カガリは『優等生』であることを自分に強いた親へのコンプレックスに捕らわれ、その反発で犯罪に手を染めた。
ナビキは、他の人たちと自分が違うという思いに捕らわれ、自身の人間性を否定しようとした。
他のプレイヤー達もきっと、自分の中の何かに捕らわれている。
そして、今広がっている植物に捕まった者はおそらく、強化された幻覚作用と集中力増強で触れたものや嗅いだ匂い、見えるものから聞こえるものまで全ての信号が自身の内面に影響され、異様な刺激となっていることだろう。
「私の『端末』と一緒に戻ってきていないということは、椿さんも巻き添えになってしまいましたか……まあ、彼女は自身が精神感応系ですしそんなにヒドいことにはならないでしょう。何かあったら責任を持って治療しますし、大丈夫なはずです……ライトくんに、告げ口さえされなければ」
ちなみに、椿が『椅子』を完全に使いこなし、さらには『椅子』を離れても人を集めさせられるようになっていたらマリーの思考パターンの一部を植え付けた『端末』が彼女を連れてくる予定だったのだが、どうやら椿はそこまで至らなかったらしい。
マリーには少々予想外の展開だったが、元々椿にはプレイヤー達を一網打尽にするために集めてもらう役割があったのだ。多くのプレイヤーをその色香で集めて操るタイプの椿はいい『客寄せ』にはなるが、本人が抜け出した途端『支配』が解けてしまうようでは逃げられる可能性があったため、巻き込む形になってしまったのだ。
……もっとも、実際に目にした〖ミュータント・バッドドラッグ〗の規模を見ればその程度の小細工はいらなかったかもしれないと思い始めている部分も、マリーの中にはなきにしもあらずだったが……
「まあ、最悪の場合は椿さんの見た幻覚の記憶を弄って『いい夢』にしてしまいましょうか。さて、麻薬畑の処分も『荘園』に入ってきた方々のお相手も大方住みましたし、そろそろ……」
マリー=ゴールドは、直線的には見えない遠くを……『荘園』の外で待機している、最後のプレイヤー一団の方を見つめて、少々楽しげにも見える微笑みを浮かべて言った。
「最後まで招待に応じてくださらなかった方々には、私から『御挨拶』に行きましょうか」
そのころ、『草の繭』の中。
咲の無差別攻撃に巻き込まれた椿は、『椅子』ごと草に包まれながら、幻覚を見ていた。
『ねえ、椿さん? 返事は考えてくれた?』
思い出すのは、現実世界での出来事。
身の程も知らず交際を申し込んでくるクラスメイト。
薄々幻覚とわかっていながら、椿は記憶の通りに答える。
『ごめんなさい私、あなたを好きになれないと思います。あなたは……名前も憶えてないから』
香りを調合して人を惹きつける才能に目覚め始めたのは、椿がオシャレに気を使い始めた高校生デビューの頃だった。
その日につけてる香水によって、話しかけてくるクラスメイトや会話の流れへの自分の言葉の影響に違いが出てくると気付いた椿は、様々な香水を試し、相手の性格や気質に合わせて最も好印象な香りを見つけた。人気者になりたかったわけではない。そうした方が敵を作らず、快適に学校生活を送れると考えたのだ。
しかし、その過程では、椿が好感度の微調節に失敗して椿を『好き』になってしまう者もいた。
そして……
『なんだと! このアマ! 人が真剣に告白してるのにお高くとまりやがって!』
『きゃあ!!』
稀に、異性への慣れない感情に分別を忘れて強引に迫ってくる男もいたのだ。
最初はいきなりで慌てたものだが、何度かの経験で似たような気配を感じると、冷静に対処できるようになった。
密かに用意したヘルプメールを送り、近くに待機させた『友達』に、身を守ってもらうのだ。
さらに、強引に迫ってきた瞬間を隠し撮りしておけば、報復の心配もない。
椿はそうやって『根』を広げたのだ。
好感度を上げ、弱みを握り、周囲を固め、しかし決して派手には動かない。
椿にとって『恋愛感情』などというものは、自身の力を拡張するための繋がりに……付け入るための『隙』でしかなかった。
そんな椿の考えを改めさせたのは、このゲームの世界に入ってから出会った少女……ホタルだった。
『椿ちゃん大好き! もうガマンできないよー!』
『きゃぁああ!』
ホタルは……強かった。
プレイヤーとしてのステータスもそうだが、何よりメンタルが異常な強度だった。
一度目は、椿からの接触。
『大空商店街』サブマスターのホタルに同性愛の気があると知り、上手くすれば巨大生産ギルドを操作できると考え、適当な取引を理由に椿の部屋に招き入れ、香りで軽く誘惑したのだが……ホタルの積極性は想像を遥かに上回っていた。
部屋が密室になった瞬間にベッドに押し倒されたのは初めてだった。
その時は、ホタルの趣向を知っていたギルドメンバーが心配して様子を見に来てくれたから助かったが、椿はホタルを警戒し武闘派の戦闘職ギルドメンバーを使ってギルドホームから追い出したのだが……
『椿ちゃんみっけぇええ!!』
『きゃぁぁあああ!!』
外出中に襲われたり……
『へへ、間接キッス!』
『う、うわっ!?』
食事中に現れたり……
『ブクブク……泡風呂って、隠れやすいよね』
『……もう勘弁してくださいよ』
待ち伏せされたりした。
ハイスペックなストーカーだった。
もちろん、椿だって何もしなかったわけではない。
鍵を変えたり、フリーの戦闘職をけしかけてみたり、偽のヘルプメールを送って高レベルモンスターの巣窟に誘い込んでMPK紛いのことをしてみたり、呪いの手紙を送ってみたりしたが……ホタルはものともしなかった。
呪いの手紙の十倍のラブレターが送られてきた時には、もう引きこもろうかと思ったほどだ。
そして、とうとう打つ手がなくなった椿は、真正面から聞くしかなかった。
『なんで私に拘るんですか!? あなたが私に抱いた気持ちは、私が誘導した、ただの錯覚なんですよ! もう、つきまとうのはやめてください!』
正直に言うと、こんな風に真っ正面から相手を拒絶するのは初めてだった。
一度完全に拒絶してしまえば、もう利用することは出来なくなるからだ。
しかし、椿の精一杯の拒絶に対し……ホタルは、それすらも受け入れ……それでもなお、こう答えた。
『じゃあ、椿ちゃんが嫌なら近付くのはやめてもいいよ。でも、その代わり椿ちゃんは本当に好きな人ともっともっと近くにいて。じゃないと、寂しそうな椿ちゃんを見てるのは辛いから』
ホタルは、椿の心の底の想いを見抜いていた。
椿が人の心を弄ぶ才能を持つことも……そして、それ故に他人との関係も信じられず孤独を感じていたことも見抜き……それを『寂しそうだ』と感じ取り、それを埋め合わせようとしていた。
そして……自分ではない、椿の『本当に好きな人』がいることも知っていた。
椿が頼るべきは、フリーの戦闘職でもMPKでも呪いの手紙でもなかった。
助けを求めるべきなのは……
「椿、ここにおったんかい。ほら、帰るで」
無意識に送っていたメールに応え、繭を引き裂いて助け上げてくれたのは……椿の本当に好きな人。
彼女は、有害な『花粉』に満ちる『荘園』の中、平然と椿を背負い上げる。
「花火……さん? どうして……ここに?」
「こっちは大分前に仕事終わったで、迎えに来たんや。そういや聞いてくれや、さっき2mくらいある大男を殴り倒して来たんやで! それでな、そいつもガッツあるやつでな……」
「ははは……やっぱり、花火さんは……自由、ですね……」
椿は、やはり本当に好きな人は操れないだろうと、心から思った。
椿……花火に連れられ、『荘園』を離脱。
同刻。
マリー=ゴールドは、『歌』を唄う。
それは、彼女が創作した特別な曲……『鎮圧魂歌』。
それを彼女が唄うことによって流れ出す魅惑の旋律は……当然のように、聞いた者の精神を揺さぶる。
それを聴かされているのは、『仮想麻薬(VRドラッグ)』の流通で私腹を肥やしていた商人ゴコクや、栽培に携わっていた犯罪組織『蜘蛛の巣』の構成員達。
『仮想麻薬』に関連した被害の元凶とも呼べる者達だ。
マリー=ゴールドは彼らに、優しげに微笑みかけた。
「さあ、特に『悪い子』のあなた達には、少し特別な世界をご覧に入れましょう。自分達の行いを改めて省みるために」
マリーさんは結構バトルものの少年マンガとか好きなタイプです。
だから自分の能力にそれっぽい名前付けたり、精神系の能力を『再現』して遊んでみたりという中二時代を送っていたりします。
最後の『鎮圧魂歌』の元ネタは……わかる人にはわかると思います。




