170頁:一騎当千の人とまともに戦うのは無謀です
ここまで、戦力を温存してきた。
心の傷付いた人々の回復役に従事してきた。それは、彼女の能力があまりに強力すぎて、危険だったから。
『切り札』として、温存されてきた。
しかし、今日に限っては温存する必要はない。
そして……
「私は仏様じゃないんですよ? うちの子に手を出されて、それが一人だけだって怒らないわけないじゃないですか」
相手を思って手加減する気はない。
ここから語られるのは、後に獄中の犯罪者が語った『荘園』での恐怖の一端である。
《現在 DBO》
6月30日。
正午過ぎ。
一部のプレイヤーの間では、噂が広まっていた。
『犯罪組織の保有する「毒草」の畑が商店街に差し押さえられた。ライトの公開処刑に合わせ、全てが焼却される。』
一般のプレイヤーには大した情報には思えなかっただろう。犯罪組織が犯罪に使う『毒草』を育てているのは不思議ではないし、それがライトの吐露した情報かわからないが見つかり次第焼却されるというのは真っ当な対応だ。一般プレイヤーにとっては、犯罪組織が誘拐などに使う『毒』を入手しにくくなる。それだけの、少しいいニュース……それだけの認識で済んだ。
しかし、『仮想麻薬(VRドラッグ)』を常用するようになり、その『毒草』が『ハーブ』の名で知られるものだと容易に推測できた重度中毒者にとっては、それは最悪のニュースだった。
何が何でもそれを止めようと、今ある分だけでも確保しようと、不確かに『流出』したその村の場所を突き止め避難先や犯罪組織のアジトから集まるのにそう時間はかからなかった。
そうやって自分達が、意図的に誘い出されているとも……その行く先に『人類の頂点』と揶揄された『金メダル』マリー=ゴールドがいるなどと、知る由もなかった。
集まったのは三百人以上……レベルを考慮に入れなければ、ボス攻略レイドにも遥かに勝る数のプレイヤーだった。
老若男女、レベルも低レベルから前線クラスまで多種多様な者達が、指揮系統もなく集まった。
その共通点はただ一つ……『麻薬』を、何よりも求めていることだけ。
時間経過によってマリーの『結界』に開いた穴に自然と集まった彼らは、元は商売作物が盛んだったのか倉庫の類の建物が立ち並ぶ村から500mほど離れた場所で足を止める。
倉庫が建ち並び見通しの悪い村の中に……『何か』が待ち受けていると感じ取り、僅かに躊躇したのだ。よく考えれば、大ギルドが占拠したはずの場所にここまでなんの妨害もされずに来れて、しかも村の入り口に柵もないのはおかしい。むしろ、誘われているような感じさえする。
だが、『クスリ』は欲しい。
そのどうしようもない欲求が、彼らに『引き下がる』という選択を許さない。
そんな中、一人の男が声を上げた。
「何を怯えることがあるんだ! さっさと進め! 最初に門を潜った者には、後で10万くれてやる!」
高いが戦闘向きではない見栄えと着心地だけを重視した装備を着た、恰幅の良い男。
彼のプレイヤーネームは『ゴコク』。彼は『攻略連合』傘下の中規模生産ギルドのギルドマスターであり、『ハーブ』の常用者でもあり……その流通においての犯罪組織『蜘蛛の巣』の協力者でもある。その利益によって前のギルドマスターを追い出してギルドを乗っ取り、『ハーブ』の密売によってさらに利益を出して私腹を肥やしていた。
ゴコクにとって、この『荘園』は成功の秘密であり、これからも金を生むための『金のなる木』ならぬ、『金の穫れる畑』だってのだ。
だからこそ、彼は何としてでもこの場所を奪い返そうとしていた。『大空商店街』を敵に回そうとも、ここで貯蓄してあるはずの大量の『ハーブ』とその苗木、そして育成法や作成法を手にしておけば今度は独自に『ハーブ』を生産してその利益を独占できる。そう考えていた。
だからこそ、彼は他のプレイヤー達を後ろから焚き付け、報酬で釣ることで彼はあたかもリーダーであるかのように振る舞えた。
だが、彼はあくまでも商人であり、レイドリーダーの器ではなかった。
だから、彼には戦術などなく、様子見のために周りに盾となるプレイヤーを残しながら数十人のプレイヤー達を突入させる程度の指示しか出せなかった。
先に行った者達がいつまでも帰ってこないことを気にかけ、『撤退』の指示を出す……そんな判断も出来なかった。
第一の突入部隊数十人は、最初の角を右に曲がった。
『ハーブ畑』は村の入り口から反対側。そこまで行くには建物の間の道を、物陰からの奇襲に怯えながら進むしかない。
村の入り口以外から侵入しようとすると、村をモンスターから守っているカカシ〖スケアクロウ〗の群団に攻撃されるため、戦闘経験の豊富なプレイヤーならまだしも、戦闘経験に乏しい者には危険な道だ。仮に戦闘職でも戦闘中に奇襲など受けても対応できないため、やはり防衛体制にある村へは門から入るしかない。
最初の角には待ち伏せなどはなく、ホッと一息吐きながらまた曲がり角にぶち当たり、今度は緊張しながら左へ進みまた安堵。そうして、五回ほどその行程を繰り返す内……角を曲がったところで、誰かが言った。
「あら? 人数、減ってません?」
確かに言われてみれば……減っている。
数十人いたはずの足音が正確な人数はわからないが……確実に、減っている。
前のプレイヤー達も振り返って確認するが、三十人以上いたのに、二十人前後に減っている。
はぐれるような急ぎ方はしていなかったはずなのに……
「だ、誰か……他の人たち、どこにいったか知らない?」
先頭にいた者が発した質問にも、皆首を横に振るばかり。
おかしい……襲われたなら、誰か悲鳴の一つでも聞いていないとおかしいのに、十人近くが忽然と音も立てずに『消えた』のだ。
ここは……危険だ。
皆が直感した。
自分達の踏み込んだ場所が、触れることの許されない領域だったと。
それから、しばらくして……
足音はもう、一つしか残っていなかった。
一人残った女性プレイヤーが、ただ亡者のように歩く。
あのリーダー面した男の報酬に目がくらみ、ずっと先頭を歩いてきた。そして、気付けば誰もいなくなっていた。
もうかなり進んだはずなのに、似たような建物がいつまでも続く。まるで、同じ所を回り続けているようだ。
もはや、『ハーブ』という目的も忘れて、ただこの不気味な空間から出ることだけを願って歩く。
そんな中、幻聴だろうか……声が聞こえる……
「人とは先人の切り開き歩んだ道をなぞるもの。先人の足跡は、誰かがそこを無事に通ったという目印です。不気味な場所、罠に恐怖する状況ならば、人は無意識に人の通った道を、寸分違わずに歩きたいと思うものです」
同じ所を回ってる証拠だろうか、地面には自分の足より前に足跡がある。そして自分は、そこに足を重ねながら先へ進む。
「しかし、それはあくまで『その時点』で無事だったというだけの話。その先で無事その状況を脱せたかどうかはまた別の話。たとえば、その先でその人が突然消滅してしまえば、足跡は途切れてしまうでしょう」
進み続けると、足跡が途切れた。
足を止めて、地面をよく見ると……『白い粉』が、パラパラと落ちている。そういえば、さっきから足跡の周りには白い粉が落ちていたような……足跡自体が白っぽかったような……そんな気がする。
「聖書ではガブリエルの警告を受けたにも関わらずそれに逆らった『ロトの妻』は、逃げている所を『塩』にされてしまったとか……彼女は最後、どんな気持ちだったのでしょうね? 想像してみてください、自分の身体が真っ白な塩に変わっていくなんて、恐ろしいと思いませんか?」
足が動かない。
最後の足跡を踏んでから、一歩も踏み出せない。
足だけじゃない……膝も、腰も、腕も……全部動かなくなっていく。
動かなくなった手を見ると……『真っ白』だ。まるで、塩の結晶のように。
恐ろしさのあまり、声も出ない。
表情までが、恐怖のままに固まっていく。
「でも、やはり悪いのはあなた自身。悪事だとわかっていながら、やめられなかったのはやはりあなた自身の罪なのです。人の道を外れたことで、人でない物になるのは、当然のことだとは思いませんか?」
こわい、こわい、こわい、こわい!
たすけて、たすけて、たすけて、たすけて!!
「あなたが本当に反省しているというのなら、あなたはきっと赦され、人に戻ることが出来るでしょう」
誰かに右肩をつつかれる。
右肩が崩れ去り、サラサラと地面に落ちて風に消える。
「しかし、あなたが罪を繰り返すというのなら、あなたはまた人ならざる物へと変わることでしょう」
左肩を叩かれ、左肩が崩れると同時、身体にひびが入る。
「さあ、なにも見えずなにも聞こえない『物』としての器の中で、自分の心に懺悔してください。反省して、悔やんで、二度と繰り返さないと誓ってください。さもなければ……」
額を指先でつつかれ、全身が崩れ去る。
「あなたは、この悪い幻覚から覚めることはないでしょう」
最初の数十人が、三十分以上帰って来なかったことで、ようやく異常を感じ始めたゴコクは、集まった中から特にレベルの高い戦闘職だけを集めた五十人あまりのレイドを編成させ、突入させた。
薬物に狂い、理性にも欠けた状態で襲い来る集団はおそらく戦闘系の大ギルドが相手としても脅威となったことだろう。
しかし、相手はマリー=ゴールド。
ペンは剣よりも強く、彼女は誰よりも強かった。
第一の突入部隊と違い、戦闘職の彼らは屋根の上などを走って直線的に倉庫群を突破し、開けた村の広場のような場所に辿り着いた。
辿り着いた……あるいは、誘い込まれたのかもしれない。
何故ならそこには、客人を出迎えるようにスカートの端を摘まんで頭を下げるブロンドの北欧美人……マリー=ゴールドがいたのだから。
「皆様、ようこそお越しくださいました。先の身のこなし、さぞやレベルの高い方々なのでしょう。そこで、私なりの誠意として、ここで『闘戯』を行いたいと思います。皆様、どうぞテーブルの上の武器をお使いください。それらは、『真剣勝負』に相応しい血に濡れた武器の数々」
マリー=ゴールドの目の前に置かれたテーブルに並ぶ、いくつもの赤い武器。
「どうぞ皆様、束になってお出でください。私を倒した勇者には、私の全てをお見せしましょう」
戦闘職達が警戒しながらも武器を手に取り、マリーに注目する。その多くが男であり、邪な心でマリーを舐め回すように見つめる。
その身体に、どれだけの暗示的意味が隠されているかも知らずに。
そうでなくとも、この広場全体が、手に取った罠の一つも仕掛けられていない武器が、マリーの振る舞いが、既に空間を支配していることにも気付かずに。
マリー=ゴールドは、五十の敵に囲まれながら、笑みを崩さずに言い放つ。
「では、真剣勝負を始めましょうか」
マリーは一切の『攻撃』をしなかった。
そもそも、その必要がなかった。
何故なら、いかなる敵意も彼女には届かなかったからだ。
「「「うおおおお!!」」」
マリーが武器を取る前に圧倒してしまおうと一斉に飛びかかる数人の男達。しかし、マリー=ゴールドは動じず、ただ静かに『予言』した。
「あらあら、そんなに功を急いでは『同士討ちしてしまいますよ』」
マリーの目の前で、いやむしろもっと囲まれた範囲……周囲で、彼女を襲った凶刃が『全て』外れ、それらが『全て』別の男へと突き刺さった。
だが、まるで剣の柵に囲われて護られているかのように、マリー=ゴールドには掠りもしない。
「あらあら、危ないですね。でも大丈夫、『あなた達は間違って仲間を殺さない。それくらいの力加減はできるはず』ですから。それより、『離れてください』。この状態だと、他の方々が攻撃できないので」
不気味に思ったのか、男達は跳び下がって離れる。
この時、誰一人として気付いていない。
自分達がここに来てから、ずっと『マリー=ゴールドの言うとおり』にしか動いていないということに。
近距離攻撃は危険だと思ったのか、数人が離れて矢や杖を構えて遠距離攻撃の態勢に入る。
しかし、マリー=ゴールドは動じずに告げる。
「そんな禁断症状で震えた指では『矢なんて絶対に当たりませんよ』、それに『呪文をド忘れしてる』んじゃないですか? だって『今までもこれからも、ずっと同じ所だけを繰り返して唱えている』んですから」
矢は見当違いの方向へ飛び、魔法は詠唱に失敗する。そして、弓使いの手の震えは酷くなり弓そのものさえ握れなくなり、魔法使いは同じ一節が頭から離れず、自分の呟く声に混乱しノイローゼのように耳を塞ぎながら、それでも唱えるのを止められない。
「あらあら、皆様お疲れのようで攻撃にキレがありませんね。私も、お互いに消耗するだけの泥試合は望むところではありませんし……そうだ、簡単な『ルール』を設けましょう」
マリー=ゴールドは、優しく微笑んで言った。
「心が折れるなり、武器がなくなるなりして、『私に武器を向けられなくなったら退場』……というのはどうでしょう?」
その言葉に警戒し、プレイヤー達は武器の切っ先をマリー=ゴールドに向ける。しかし、周囲の全てが敵意を向けてもなお、彼女は妖しく微笑む。
「グッド。では、かかっていらっしゃい。自分こそは信念を貫き通せるという『罪なき人』から、私へ殺意を投げかけなさい」
同刻。
ぼろ雑巾のようになった男が、『壷の町』の門をくぐり、地面に隠された地下ダンジョンへの通路から地下へ逃げ込む。
彼の名はシャーク。やっと恐ろしいテイムモンスター軍団の追跡から抜け出した所だ。
「いでで……あいつ、今度憶えてやがれよ……次こそ倍返しにして……」
そう言って、回復用のポーションをあおった直後……
天井の、地上に繋がる穴から巨大な蛇が顔を出した。それは撒いたはずの……
「『ポチ』!? ぎゃぁあああ!!」
シャークの受難はまだ続く。
ギャグ担当みたいになってきているシャークですが、一応レベル的には前線級の設定です。
周りが強すぎて霞んでるだけで……




