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デスゲームの正しい攻略法  作者: エタナン
第五章:成長(ビルド)編

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乱丁14:待ち合わせを忘れてはいけません

 凡百……逃走成功。

 そして、次なる相手は……

 私は『凡百(ぼんぴゃく)』、脇役だ。


 特別な経歴とか、特殊な能力とかのないごく普通な人間だ。


 でも、ごく普通な人間だとしても十年も生きていれば何かをしてるし、思い出だってあるし、自慢話の一つくらいある。たとえその人が一人称視点で書いた小説を読んだからって、その人生の全てを理解できるわけじゃない。そんなのは表層、話題に出ないだけで、物語は行間に隠れている。


 それは、私自身憶えていない物語かもしれない。

 私は今まで食べたパンの枚数なんて憶えてないし、ご先祖様がしていた人かなんて真剣に調べたことはないし、今までの友達や知人がしばらく会わなくなってからどうなっているかなんて全員は把握していない。


 何が言いたいかと言えば……普通の人生には、わかりやすい伏線なんて用意されてないということだ。

 










《6月25日 DBO》


 私は『凡百』、脇役だ。


 レストランを出て、ヒーローも大変なんだなぁ……そう思った。

 詳しいことは……ちょっと割愛させてほしい。


 蜘蛛みたいなモンスター達に追いかけられた私は、そこに偶然……というより奇跡的に居合わせた『最強のプレイヤー』として名高い赤兎さんに助けられて、お礼にお昼をレストランでご馳走した。そして、今に至る。概略だけ話せばこれだけなんだけど……


「やっちゃったぁ……」


 ぶっちゃけ、あの無闇さんを泣かせるために『遺族の話』を集めてた時のクセが出てしまった。ていうか、助けてもらって何やってんだって話だけど……嫌なこと思い出させて、泣かせちゃった。


 私は、彼みたいな……ヒーローみたいな人は、もっと過去を振り返らずに生きてると思ってた。超然としてて、何があっても最後には勝つと信じて戦ってると思ってた。

 だけど、本当は私と同じ人間で、負けたことが悔しくて、『最強』なんて呼ばれてることも誇らしいよりプレッシャーの方がずっとすごくって、自分が止められなかった悲劇に責任を感じて、友達とも上手く行かなくなって、あんなに涙を溜め込んでて……でも、それでもやっぱり逃げ出さない、とても強い人間だった。

 同じ人間であることを、少し誇らしく思うような、そんな人だった。


 あの人なら任せられる、そう思ったから書類は彼の前に置いてきた。ついでにマックスくんが教えてくれたのをまとめた『切り株の街』のマップとかも。私なんかが持っているよりずっと安全だし、役立ててくれるだろう。


 思えば、ここ最近人を泣かせてばっかりだ。

 椿ちゃんを泣かせて、遺族の人達も泣かせて、無闇さんも泣かせて、とうとう赤兎さんまで泣かせてしまうとは……何がすごいって、私はほぼ話を聞いてるだけで、しかも、ほとんど私も泣いちゃってるところだ。もしかしたら、私の涙腺が緩くて(VRMMOで涙腺の緩さまで再現されてるのかは知らないけど)それが呼び水みたいになってるのかもしれない。

 葬式で死んだ人の知人のふりをして、その人が慕われていたように見せるために泣く『泣き子』とかっていう職業があるらしいけど、私は案外向いてるかもしれない。知らない人の話でも泣けちゃうし、しかも素で。


 まあ、閑話は休談しよう。


 ちなみに私の今のゲームでの職業は『補充要員(ヘルプ)』。バイト系のクエストばかりやってる内にいつの間にか修得できるようになってた職業だけど、一度バイトした店の店主の知り合いの店なら上がった時給をそのまま持続して働けたりするから便利だし結構気に入っている。身の丈にも合ってるし。


 だけど、やっぱりちょっとした不満もある。

 仕事をしようと思えば簡単に日銭は稼げるけど、大きな収入はないし安定してないから貯えがあんまり出来ないのだ。


 実は、最近はいろいろあってバイトもモンスターの狩りもあまりやってなかったからお金が全然ない。



「というわけで、すみません。呼び出したのにこんな格好で」


「……嘗めてんのか? さっきの今でこんなことしやがって」


「あはは、実のところ本当に来るとは思ってなくて、ただ待ちぼうけするより少しでも稼いでおいた方がいいかなぁ……なんて」


「チッ、食えない女だ」


 私は喫茶店のバイトとしてメイド服っぽいエプロンドレスを着て接客している。小さなお店だけど今はティータイムの頃合いなのかお客さんが12人もいて席は満席になってる。本当はお客さんと立ち話なんてしてちゃいけないんだろうけど……


「どうしても話をして、ケジメをつけておきたかったんです……『鮫島』さん?」


「……!! お前、どこでそのネームを……」


「VRMMO『カーペンターズシフト』、ギルド『不自由大工同盟(リミテッドメイソン)』のギルドマスター……顔が違ったからわからなかったけど、同じ人ですよね?」


 あ、驚いてる驚いてる。

 やっぱり当たりか……不思議な縁もあったものだ。


「……今は『シャーク』だ。だが、まさかこの短時間にそんなことまで調べ上げるなんて、さすが俺のアジトに侵入して情報を盗み出した上『イヴ』からも逃げ切りやがった名探偵ってとこか」


「あ、いえ、それは全部まぐれで……ていうか、『カーペンターズシフト』のことも調べたわけじゃなくて……遅くなりましたけど、ちゃんと挨拶はしておこうかと思って」


 VRMMO『カーペンターズシフト』。

 私も昔やってたことのある、狩りで材料を集めて建物を作り防衛戦や芸術性の競い合いとかを楽しむ、建築中心のゲーム。

 『不自由大工同盟(リミテッドメイソン)』はその初期に結成された、二十人くらいの小規模ギルドで、『鮫島』はそのギルドマスター。

 でも、ギルドと言ってもそこまで本格的なものじゃなかった。ある品評会で作品を共同出展するために作られた期限限定の同盟。ギルドマスターも、一番レベルが高かったという理由で代表に決まったようなギルドだった。


 そして……


「お久しぶりです、ギルドマスター。私、あの時ギルドでお世話になってた『モモミ』です」


 そこは、私が所属してたギルドでもあった。

 無料体験期間と品評会の時期が重なってたから品評会の後はすぐそのゲームをやめちゃったけど、一時期は確かに彼の部下だった。

 顔もプレイヤーネームも違うし、彼がメールでよく使ってた顔文字を見るまで気づかなかったけど、今の反応で確信した。同一人物だ。


「……悪いな。生憎、昔のギルメンの名前全部憶えてるわけじゃねんだ。オマエが知り合いだなんて証拠あんのか?」


「頑張って作った『忍者屋敷』、渾身の出来だったのに『ネバーランド』ってもっと小規模なギルドの『お菓子の家』に負けて二位でしたよね。あの時、悔しくて泣いてませんでしたっけ?」


「……そのくらい、あの時の大会出てた奴なら知っててもおかしくないだろ」


「ほらほら、私あの時は剣士やってて、よく釘とかの買い出しにも行ってたじゃないですか?」


「二十人中八人くらいは剣使ってたぞ。それに買い出しなんて行ってない奴の方が少ない」


「残念会でお酌してあげた……」


「生憎、悔し涙しか憶えてねえよ」


「……ごめんなさい、ギルマスの部屋に隠してあったお饅頭食べたの私です」


「あれてめえか!! 返せ俺のアンマン!!」


「そ、そんなに怒らなくていいじゃないですか! ちゃんと買い直して入れておきましたよ!」


「それ粒アンだろ!? ちゃんとこしアンで返せや!!」 

「こしアンより粒アンの方が美味しいですって!  それにあれ、ちょっと高くていいやつだったんですよ? あの『ネバーランド』の大会直前限定品……」


「よりにもよって敵対ギルドの軍資金集めに貢献してんじゃねえよ! 道理でやたらうまいと思ったよ!」


「ですよねー。私もあんまり美味しかったからギルドの女子会メンバー誘って行ったら大好評でしたよ」


「どうせなら男子も誘えや!! あ、てかあの『敵状調査のための必要経費』とかいって領収書持ってきた奴、あれがオマエか!!」


 どうやら思い出してくれたらしい。

 ていうかこの人、やっぱりこしアン派だったんだ……粒アンの方が美味しいと思うんだけどな……


 まあ、閑話休談。

 このまま昔話に花を咲かせるのも悪くないけど、私は一応仕事中だし、鮫島さん……シャークさんも、忙しいよね。


「……ったくよ、世間は狭いな。まさかデスゲームで再会するなんて」


「私的には良かったですよ? お饅頭のことは、その内言わないとなー……って思ってる内に解散しちゃいましたし、すっきりしました」


「こっちは犯人見つかった上に余罪まで発覚して逆にモヤモヤしてるぜ。てかなんだ? そんな話をするために、わざわざ呼びだしたのか? さっきまで自分を追っかけてた俺を」


 呼び出した目的……もちろん、それは他にある。

 でも、本当に来てくれるかわからなかったし、そもそも呼び出せるかもわからなかった。

 私がやったことは、先に断りのメールを送ってからメモリちゃんに向けてシャークさんへのメッセージを送っただけだ。まだ『エシュロン』でメールを監視されてるかどうかは、私にはわからなかった。


 これは言わば、出来れば僥倖くらいの形式的な手続き。

 私と彼が知り合いだったことも、本筋とは関係ない。物語に影響を与えない、ただの偶然だ。これが運命的な再会だったなら、襲われてる途中に気付いて襲うのをやめてくれるくらいじゃないと、物語にはならない。

 だからこれは、私としてのケジメ。

 特に運命的な幸運にも恵まれなかった私が、ちゃんと物語にきりをつけるための普通の対応だ。


 私は、普通にちゃんと謝るために頭を下げる。店員としてお客さんのクレームに対応する時より、少しだけ深く。



「偶然だったけど、アジトに入っちゃってごめんなさい。大事な書類を燃やしちゃってごめんなさい。簡単に赦してもらえるとは思わないけど……もう、追いかけてくるのはやめてください。これ以上、不毛な戦いなんてやめましょう」



 今回、大きな実害が出たのはシャークさんの方だ。でも、私だって何かを得たとは言い難い。結果的に逃げ延びられただけで、そのリスクに見合う物を手に入れたとは思えない。

 それに、仮にシャークさんが私を捕まえるなり殺すなりすることに成功しても、私にはそこまでの価値はない。どこにでもいて、誰でも出来るようなことしかできない私なんかを苦労して捕まえても、多分それは労力に見合わない。ついでに言えば、『OCC』の皆が怒って敵対の意志を固めるだけでむしろ彼には損になるかもしれない。


 ここでちゃんと、それを再確認しておきたい。

 はっきりと区切りをつけて、この追いかけっこを終わらせたい。


 もし、シャークさんが沽券や気分の収まりがつかないという理由で、利益とか度外視で襲ってくるなら……逃げながらでも、精一杯謝ろう。

 お互い、全てを水に流すとはいかないだろうけど、誰も死んでない今なら妥協できるはずだ。『またいつ襲ってくるかわからない敵』を作ったままで終わるより、『敵対したことのある知り合い』を作って終わった方が収まりがいい。私も彼も、安心できる。


 シャークさんは、しばし目を閉じて……自分に言い訳するように言った。


「……チッ、気の抜けるやつだ。こんな奴を捕まえるために大戦力動かすのも馬鹿らしいし、情報ももう『戦線(フロンティア)』に流されちまって手遅れだ。それに、宣戦布告はどちらにしろ近い内にするつもりだったし、相手を休ませないように不意をついたって考えればこのタイミングもそう悪くねえ。いいだろう、昔の部下の顔に免じて、今回は勝ち逃げさせてやんよ」


 シャークさんは、私の写真を取り出してビリビリと破いた。

 もう、つけ回したりはしない……そういうことだろう。


 シャークさんはカフェで注文した飲み物の代金をテーブルに置いて、私とすれ違うように店を出ていく。



「次は……負けねえからな」



 同時にお客さんの内6人が立って同じように店を出ていく。

 煙管をくわえた女の人、迷彩柄のジャケットを羽織った女の子、胸を大きく張ったオジサン、剃髪の岩のように大きくては体格のいい男の人、お団子頭の女の子、花粉症対策みたいなマスクをしてローブを着た女の子……その六人を引き連れて、シャークさんは去っていく。きっと、罠かもしれないと思って忍ばせていた、彼の今の部下……今の『ギルドメンバー』みたいな人達なんだろう。


 やろうと思えば、あの人達に私を襲わせることも出来た。それをしなかったってことは、信用してもいいんだと思う……きっと。

 もしかしたら、今は手出しできないと思ったのかもしれないけど。

 

 私は、残った五人の『お客さん』に声をかける。


「急に呼び出しちゃってごめんね。サービスに好きなケーキ一つずつ奢るよ、決まったら注文して?」


 目深にかぶった野球帽で顔を隠す少年、黒いウィッグで赤茶色の髪を隠した女の子、外套を脱いでサングラスをしてスカートをはいた女性、燕尾服ではなく背広を着た銀髪の青年、屋台で売ってそうなヒーローっぽい仮面で顔を隠す男の子。


 みんな……個性隠し切れてないなぁ。

 まあ、私のNPC伝いでの呼び出しにすぐ答えて来てくれたんだし、文句は言わないし……むしろ、感謝してるけどさ。


 今の私には五人、仲間(ギルドメンバー)がいる。

 シャークさんみたいに、上手くできるかわからないけど……



「……さようなら、ギルドマスター。また遭いましょう、シャークさん」



 次はちゃんと彼に勝てるくらいに、立派なギルドマスターとして対峙しよう。

 普通な私だって、友達自慢くらいはしたいのだ。










《6月27日 DBO》


 昨日は、すごいことがあった。

 なんと、犯罪組織に占拠されていた『切り株の街』が戦闘ギルドの面々に解放されたらしい。


 しかも、人質のほとんどは無事。

 人質の中にいる知人を助けようと踏み込んだ人達は迎撃されて死んじゃってたらしいけど……助かった人もたくさんいる。

 そこに、私が赤兎さんにあげた情報が少しでも役立ってたらいいなと思うけど、さすがに一昨日の昨日でそれはないかな。


 エリア開放の情報が届いたとき、私は『OCC』のギルドホームでキングくんから、ギルドマスター専用機能の中の日誌の書き方とかギルド運営資金の操作とかについて教えてもらってたけど、友好ギルドとのギルド間通信機能でその一報が届いたときには驚きすぎて何か操作を間違ったのかと思った。


 それからは、ギルドマスターとしての仕事の詰め込みと新エリア調査や救出祝いのパーティーのお誘いがあって忙しかった。といっても、お金関連についてはほとんどはキングくんがやるつもりらしいので一部簡略化されてたし、私は戦闘能力とかはないし新エリアの調査とか言われても何をしたらいいかわからないので調査は無闇さんとマックスくんに任せた。パーティーに関しては元々『OCC』が他のギルドと社交的じゃなかったから形だけのお誘いだとキングくんが言っていたので、とりあえずギルド間通信での出欠確認については、以前のギルドマスターだったおじいさんの返事に合わせて『未定』としておいた。


 でも、さすがに他のギルドの偉い人達を見ておかないのはギルドマスターとしていけないかと思ったから、私はこっそりお祝いのパーティーには参加した。ただし、レストランが貸し切られていて『招待状』がないと一般のプレイヤーは入れなかったので、ギルド間通信で送られてきた『招待状』の文面を見せて入店してから『NPC化』して、友達(もちろんNPC)の伝手を使って給仕のNPCの一人に紛れ込んだ。


 『アマゾネス』のサブマスターとして来てた椿ちゃんを見つけたから声をかけてみたら、すごく驚かれちゃった。うっかり『NPC化』の能力もちょっとばれちゃったみたいだけど……まあ、椿ちゃんならそう軽々と口外もしないだろう。どうせお客さんの世間話を盗み聞きして楽しむ程度の能力だし。


 パーティーに参加してる面々を見ると、なかなかに壮観だった。何せ、めったに生で見ることのないような大ギルドのマスター、サブマスター、それにその他にも有力なプレイヤーが勢揃いしてたんだから。パーティーはただのお祝いじゃなくて、先日暗殺されちゃった『戦線(フロンティア)』の新しいギルドマスターの顔見せと新しくサブマスターになった赤兎さんの挨拶、それに新エリアを奪還したことで得られた情報の交換と今後の相談。

 後の方はNPCも下がらせて別室に行っちゃったから私はわからない。まあ、おじいさんには悪いけどいてもいなくても作戦会議が滞りなく行われるってことは、『OCC』は戦術的にはそこまで重要視されてなかったんだと思う。



 そして、私がパーティーに行って得た一番の収穫。それは、ある人との出会いだ。

 彼女は、パーティーの中、『蛇が這い回っているような模様のマント』を羽織って、不思議なことに誰からも注目されずにいた。


 その髪は、本物の金塊にも勝るような美しいブロンドだった。

 その顔立ちは、作り物のように完璧すぎるまでに整っていて、黄金比を実現したような……むしろ、整形手術だろうと化粧だろうと絶対に作り得ないような、人間の感覚を直接刺激する形になるべくして運命付けられて育ったかのような、そんな女性だった。


 そして、私の目は彼女に釘付けになり……不思議なことに、道行く人が思わず振り返るような容貌を持ちながら誰にも見られていなかった、下手をすれば認識すらされていないように見えた彼女は、私の視線に気付いたのか振り向いて……目が、合ったのだ。

 私は彼女の名前を思い出した。

 このゲームが始まって一ヶ月くらいの時、遠くから見た人。教会に住まう、この街のプレイヤーの心のより所。


 彼女の名は……マリー=ゴールド。

 私が最近、どうしても会いたいと思って、でもそれが誰なのかわからなかった奇妙な感覚が、彼女の姿と合致した。


 そして、彼女は私にニッコリと笑みを向けて言った。



「明日の午後三時、一緒にティータイムでもどうですか? 教会でお待ちしています」







 そして今だ。

 時間は午後三時ぴったり、場所は教会の一室。彼女の私室に使っているという部屋だ。


 私は、言われたまま、言われたとおりに、疑いもせずここに来てしまった。初対面と言っても過言ではない人なのに。

 何日か前に目的があって訪ねてきたことはあったけど、今度は具体的な理由もなく、つい二日前には犯罪組織とのゴタゴタでひどい目に遭ったのに、信用する根拠も何もなく。


 ただ、誘われたのだから断ってはいけないと思ってしまった。あの微笑みを、裏切ってはいけないと感じてしまった。



「クスクス、不思議そうな顔をしていますね。いきなりお茶会に誘われたことが、そんなに意外でしたか? それとも、もしかして……外せないご用心がありましたか? それならそうと言ってくだされば……」



 目の前でティーカップにお湯を入れるマリーさん。若草色のノースリーブスにオレンジの花柄スカートというシンプルな下地に、首から下がる金色のネックレスと緩くカールした長髪をカチューシャのようにまとめる幾何学模様のスカーフ、それに腰に短く巻かれた波紋模様のパレオがアクセントを加えていて、顔だけでなく全身の美貌を引き立てている。


 でも、その表情が少し曇ると、芸術品を傷つけるような罪悪感を沸き起こらせる。


「あ、いえ! 用事なんてなんにもありません! すっごく暇でしたから、むしろ嬉しいです!」


 私が慌ててそう言うと、マリーさんはさっきの表情が嘘だったかのように悪戯っぽく微笑む。


「それは良かった。では、とっておきのお茶菓子も出しましょうか」


 わあ……ますます逃げられない感じになっちゃった。

 ていうか私、遊ばれてる?


 この人、なんか『優しいおねえさん』って感じで逆らえないし……これですごい恐かったり押しが強かったりしたら無理にでも逃げようと思うのに、人との距離感の詰め方に慣れてるっていうか、心地のいい距離を保ってくれてるから逆に逃げられないっていうか……年上の余裕みたいなのに、翻弄されちゃってる。


「ところで、一つお尋ねしてもよろしいですか?」


 顔を……目を、ジッと見つめられる。

 揺らぎもしない視線に、私も目を離すことができない。目を逸らすと、何かやましいことがありそうだと思われそうだとか、恥ずかしがっているように見えるだとか、そういう変な思考以前の潜在的な意識みたいなものが私の動きを止める。まるで、他者に隙を見せまいとする動物的な本能みたいに。


 だけど……十秒もしない内に目を合わせることに耐えきれなくなって……頷く形で、視線を外した。


 外してしまって……自覚した。私は今、意識で負けた。


 マリーさんは私の首肯を嬉しそうに受け取り、手をあわせて首を傾げる。



「ありがとうございます。じゃあ、教えてもらえませんか? あなたの心の中に混ざってる『誰かさん』のことを」

 


 マリーさんの首に下がる不思議なネックレスが……その先に下がった金色のメダルが揺れる。

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