乱丁6:人との繋がりは忘れてはいけません
時間軸的には、『時計の街』のパニック翌日まで時を戻します。
私が誰かなんて、私が何者かなんてどうでもいい。
私が『一人』でさえなければ、どうでもいい。
「だれか……だれか、いないの?」
話しかけられても『氷』は答えない。
返事をしない。反応もしない。
それは『氷』が命を持たないから。そんなことは、わかってる。
だけど私は、諦めきらずに声を上げる。
「返事してよ!」
どれだけ声を上げても、『氷』は答えない。
本当はわかってる。
これは、ずっと前から予知できていた光景。
いつか訪れるとわかっていた。
みんなで防ごうとしたのに、避けようとしたのに、打ち破ろうとしたのに、乗り越えようとしたのに……とうとう迎えてしまった未来。
私は堪えられなくて、膝をついて俯いて涙を流す。
それは後悔か、悲しみか、寂しさか、それとも全部をひっくるめた感情なのかわからないけど、とっても熱い涙が頬を落ちる。
それは、私の身体を離れて、外気にさらされて……硬い氷の粒になって地面に落ちた。
ポタポタと落ちる熱い涙も、全部瞬間的に凍りつく。
これは、当たり前のこと。
起こるべくして起こる、何も不自然じゃない、ただの現象。
水(H2O)は大気中では液体ではいられない。
そこにどれだけの想いや感情があっても、思い出や物語があっても、その現実がどれだけ残酷でも。
全ては凍りつく。
全てが『氷』になる。
全ての命が活動を止める。
生物の生きることの出来ない極寒の世界。
全てが終わってしまった冷たい世界。
その中で動くのは私だけ。
『熱』を操る私だけが、熱の膜に包まれて、終わりきれずにいる。
背中の『小さな太陽』からの熱が、優しく包み込むように私を……私『だけ』を守ってる。
他には誰もいない。
この世界には、もう私一人しかいない。
全ての繋がりを失った。
もう、どれだけ呼んでも誰も応えてくれない。
もう、私の名を呼ぶ人はいない。
もう、私には何もない。
教え子も、弟子も、天敵も、悪友も、部下も、跡継ぎも、知人も、腹心も、弟も、妹も、親友も、宿敵も……誰も、もう私のことを呼んでくれない。
もう少しでうまく行くはずだったのに。
あと、ほんの少しだったのに。
でも、もう遅い。
死んだ人は蘇らない。
私はこの先、たった一人で生きていくしかない。
そう、ずっとずっと、たった一人で……
「……あ……」
今、微かに感じた……『熱源』。
私の目は『熱』を捉える。
私の目が遙か彼方に僅かに輝く熱源を見つめて……その形を正確に捉える。
それは……
「まだ……まだ、滅びてなかった……まだ、終わってなかったんだ!」
迎えに行こう。
『熱』が私だけを包んでくれるなら、私がこの手で包んであげよう。
何人でも、いつまでも。
世界は変わる。
景色は変わる。
時は流れる。
人は栄える。
歴史は……繰り返す。
私は、数十年ぶりに『起きる』。
外に出ると村が栄えていた。
大人達には、前回『眠る』前見送ってくれた子供達の面影が残っている。
その面影には、そのお爺さんの面影も、そのまたお爺さんの面影も残っている。
私を見て駆け寄ってきて、私がいなかった間の話をしてくれた。どうやら彼は畑で作物を育てる役割『農夫』になって、村の畑の収穫を指揮してるらしい。
「ふーん。ちっちゃい時からよく手伝ってたもんね。えらいえらい」
『はい……でも今年はどうも寒くって、ちょっと苗の育ちが悪いんで不作になるかもしれませんが……そうなると、冬にはまた何人か飢えて死ぬかもしれません』
「そっか……じゃあ、私がちょっと暖めてあげる。不作じゃなきゃ、とりあえず誰も死なずに済むでしょ?」
『え、ええ!?』
「あ、あといっぱいできて余ったら貯めておくといいよ。次の年が不作でもそれを使えば飢えずに済むから」
時は流れる。
微睡むような僅かな間にも、景色は変わる。
『ひぃ! やめてくれ!!』
『うっさい! 俺達は飢えてんだ! こうしないと死んじまうんだ!』
強奪される蔵の作物。
武器を手に取る飢えた者達。
『隣村のおまえらばっかりたんまり食いやがって! こっちは夏が寒かったせいで作物が育たなかったのによ! ならいっそ、こっちの暖かい村を乗っ取ってやら!』
『そんな……わたし達が守ってきた村なのに……』
『これからは俺達の村だ! 古い奴らはいらねえ! 皆殺しにしろ!』
『ぎゃあああ!!』
歴史は繰り返す。
私は今度は手は出さない。
人と人との争いでも、片方に肩入れしない。
片方を救っても、もう片方が滅ぶだけ。
私は、そんなことは望まない。
私は、人々の外から世界を見る。
人間達が何かをするなら、それは彼らが自分でやらなければならない。
私はただ、彼らの幸せを望む。
私はただ、そのための知恵を分けてあげるだけだ。
「こうこうこうやって……ほら、こういうふうに空気の入り口と出口を作っておくとただの焚火より熱い火が燃やせるんだよ。あと、燃料も切ったばっかりの生木じゃなくて何日か乾燥させるかいっそ穴に入れて真っ黒になるまで焼いてから使った方がいいかな。」
名前を変え、姿を変え、身分を変えて広く知恵を広める。
「これを使えば、今までよりもっと丈夫な金属で農具が作れるでしょ? だったら、今まで畑に使えなかった固い地面も耕せて、住む場所も広がるから他の人達と場所の取り合いとかしなくてよくなるよね」
歴史は繰り返す。
過ちは繰り返す。
鈍く輝く武器を携え、隊列を組む人々。
その彼らは鬨の声を上げ、向かい合う青銅の武器を持つ人々に襲い掛かる。
『蹂躙せよ!! 奴らの貧弱な武器など、我らの鉄の武器の前では恐れるに足らん!!』
『『『ウォォオオオオオ!!』』』
ずっと世界を見ていたいけど、そういうわけにはいかない。
私が『眠る』間のことは、人間達自身に任せる必要がある。
「あ、ちょっとそこのキミ。ちょっといい? 私今から何年か眠るんだけど、あと三日くらいで太陽が突然暗くなると思う。でも、すぐ元に戻るから心配ないってみんなに伝えといてくれない? 世界の終わりだとかって慌てて生贄とかやんなくていいから」
歴史は繰り返す。
人の愚かさは変わらない。
『おお! 太陽が!!』
『世界が闇に包まれる!!』
『巫女様の予言の通りだ!』
『あなたの言葉を疑ったことを御赦しください!!』
一人の少女に平伏す人々。
その畏敬の対象である少女は、まるで神のように崇められ、増長する。
『良かろう。汝らの願いどおり、太陽を再び元に戻してしんぜよう』
私は崇められたいわけでも、感謝されたいわけでもない。
ただ、世界を良くしてほしいだけなのに……
「硝石から取れた粉と硫黄、それに粉々にした炭を混ぜて火をつければ……ほら、こんなちょっとなのにすごい爆発でしょ? 危ないから扱いには注意が必要だけど、この威力があれば固い岩だって吹き飛ばせるよ。隣の国との間の道を切り開くのに苦労してるみたいだけど、これを使って行き来が楽になれば交易もできるよね」
歴史は繰り返す。
整備された国と国の間の道を行進する、徴兵された兵士たち。
その手にあるのは、黒色火薬を利用して離れた敵を一方的に射殺す悪魔の武器。
『進め!! 我らには神から享けたまわったマスケットがある!! 異教の使徒を殺しつくすのだ!!』
人は何故か、新しいものを得るとまるで決まりごとのようにそれを戦争に使ってしまう。
「質量とエネルギーを別々にして考えてるからこんがらがるんじゃない? 光速を常に一定と考えれば、時間と距離はイコールで結んじゃえば質量とエネルギーは無関係じゃなくなりそうじゃん。もしその理論が完成すれば質量をエネルギーに変換できて、そのエネルギーさえあれば星から星への移動も不可能じゃなくなる。それって、とってもロマンチックなことじゃない?」
歴史は繰り返す。
結果がわかりきってても、私は諦めきれない。
『リトルボーイ投下。投機は離脱する』
一瞬の眩い光の後、上がるキノコ雲。
一瞬にして奪われる数多の命。
『原爆実験は成功だ!』
歴史は繰り返す。
失敗を繰り返す。
時には成功することもあるけど、失敗は成功と釣り合わない。
予定調和のように運命は収束する。
もっと、選ばなきゃいけない。
試練を乗り越えられる人だけに、ちょっとだけ力を貸そう。
試練を乗り越えられた人だけを、頼りにしよう。
頼りになる人にこそ、最後の試練を託そう。
私が守れなかったものを……世界を託そう。
私が姿を見せるのは、強い心を持った子だけ。
じゃないと、私の影響は強すぎるから。うっかり誰かの未来を、歪めちゃうのは嫌だから。
自分の物語を終えた、現役を退いた私が出しゃばりすぎていいことはない。今の物語を紡ぐべきは今の子達だから。
だから……
『ごめんねー。記憶削れば大丈夫かと思ったけど、あなたが私を認識したときにちょっと混ざっちゃってたみたい。基本的に性能不足だから変な能力に目覚めるとかはないと思うけど、頭に変な欠片が埋まってるのは気持ち悪いだろうし早いとこ取っちゃった方がいいわね』
……あれ?
私は……『私』って……
『面倒だけど、あなたのアイデンティティが変質する前に治療した方がいいわ。そうね、「金メダル」……マリー=ゴールドに会いなさい。彼女に会って、頭の中のバグを消去してもらって。ブロンドの西洋美人で基本的に教会にいるはずだから会うのは難しくないはずよ。手間だけど、観念化した欠片を殺せるとしたらあの子くらいしかいないだろうから、足運んでちょうだい。そんな年で、幾星霜も生きた人外みたいな達観したくないでしょ? あなたは、ちゃんとした自分を持ってるんだから……そうでしょ?』
そうだ……私は自分が誰か知っている。
私が……『あなた』じゃない。
私は……
「私は『凡百』……脇役だ」
『うん。よくできました。じゃあ、目覚めなさい。あなたはあなたの物語を紡ぎなさい。どんなにつまらなくても、どんなに些細でも、どんなにありふれてても……あなたみたいな「普通」の人の物語が集まって、世界を、歴史を作ってきたんだから。案外、路傍の小さな石だと思ってたそれが予知能力者も気付かないような運命の分岐点なのかもしれないわよ?』
「モモさん、モモさん。大丈夫ですか?」
揺さぶられて目を覚ます。
目を開けると、一緒に寝てたイザナちゃんの顔が心配そうに私を見てる。
「……あ、イザナちゃん。おはよ……今日も元気だよー」
「ほ、本当に大丈夫ですか? すごく魘されてましたけど……」
「えっと……なんかすごく長い夢見てた気がするんだけど……」
内容が、思い出せない。
すごく悔しくて、寂しくて、悲しくて……でも、それでも負けたくなかった。
その気持ちだけは……覚えてる。
「どんな夢だったかは憶えてないけど……なんだか、胸がいっぱい。すごく苦しいけど、ちょっと温かい……変だよね。自分でも何言ってるかよくわかんないけど、悪い夢じゃなかった気がする」
私は超能力者でも巫女でもない。夢から何かを読みとるような特別な力はない。
だけど、不思議と確信できる。
私は……
「すごく大事な物を、受け取った気がする」
大きすぎて、重すぎて、一人では支えられないもの。たった一人の主人公がどれだけ頑張っても守りきれないもの。
主人公から脇役まで、たくさんの人で分け合って支えなければならないもの。
一人で守ろうとして、失敗したもの。
それは……世界。
一人で救うにはあまりに大きすぎて、でも一人として無関係な人のいない、大きな物語。
私が誰だろうと関係ない。
たとえ主人公みたいな特別な力なんてなくたって……
「私には、私の出来ることを」
道に転がる石が宝石じゃなくたって、機械の中に飛び込めば歯車の動きを変えることは出来る。
私みたいな『普通』のプレイヤーでも、一歩踏み出せばきっと何かを変えられる。
そのために……とりあえず、いつも通りの『私』から始めよう。
「私は『凡百』、脇役だ」
私の物語を始めよう。
≪6月12日 DBO≫
「……」
「……」
さて、どうしたものだろう。
ここは『時計の街』のイザナちゃんの家。私にとっては本拠地みたいなもので、もう我が家みたいな安らげるはずの場所なんだけど……
「……」
「……」
気まずい。
道の譲り合いで逆に通せんぼしたみたいになっちゃった時くらい気まずい。
今私の目の前にいるのは、あの女性プレイヤーだけで構成された前線級の大ギルド『アマゾネス』のサブマスターの椿さん。私と同じくらいの年の、背が低くて可愛い眼鏡系美少女だ。
そんな人がなんでここにいるか……私が知りたい。
昨夜、突然やってきたライトに押しつけられただけだ。昨日は夜も遅かったし、椿さんも元気がなかったから詳しい事情は翌日聞こうと思っていたんだけど……
「あの……椿さん? げ、元気になりましたか?」
「…………」
まさかの黙秘権行使である。
いや、別に悪いことしたわけじゃない……はずだし、気持ちが落ち着くのに時間がかかるのかもしれないけど、ずっとムスッとして持参した枕に顔をうずめられても困る。会話の意志が無いどころか物理的にまで口を塞いでいると、表情がわからなくてどうしたらいいかわからない。
もしかして怒ってる?
何か失礼なことしちゃった? 一応お客さん用のベッドは譲って私はイザナちゃんと一緒のベッドで寝たけど、もしかしてイザナちゃん抱き枕に譲った方が良かった?
いや、それともそもそもいつもはもっと高級なベッドで寝てて、こんな普通のプレイヤーが泊めてもらうNPCホームのベッドで寝かせて不快な思いさせちゃった?
どうしよ……というか、いつまで椿さんのこと預かってればいいんだろ?
ライトの話だとギルドマスターの人と喧嘩したみたいなこと言ってたけど、なんか暗殺者に狙われてるとか言ってたし、もしかしてそれって信用できる人がギルド内にいないとかって状態じゃないの?
てっきり一晩落ち着くまで預かるみたいな話かと思ったけど、朝になってもライトは迎えに来ないし、椿さん帰る気なさそうだし……
何日もこの空気が続くのは辛い。
いっそ、商店街の『本部』にでも相談して……いやでも、昨日のことでゴタゴタしてるだろうし……でも、仮にも大ギルドのサブマスターも関わってるからはねのけられることはないかな……
コンコン
「モモさん、ただいまでーす」
「あ、イザナちゃん。おかえりー、遅かったね。何か買えた?」
お使いに行ってくれてたイザナちゃんが帰ってきてくれた。
「すいません、ちゃんと食べ物を売ってる店があんまりなくて……」
「そっか……いいよ。まだ食べるものはあるし、なんなら他の街に行けば買えるだろうしね」
食べ物を多めに補充しておきたかったんだけど、しょうがない。きっとみんな、同じことを考えてる。
昨日、この街では大きな事件が起きた。
街の中なのにダメージが発生して、人が襲われたらしい。そして、事件はただの通り魔みたいな犯罪では終わらなかった。
詳しくはわからないけど、噂だと普通の人を凶暴化させるような能力を持っていた犯罪者がいたらしい。しかもそれは病気みたいに人から人へと広がる性質があったらしくて、誰が安全で誰が危険なのかわからない……ひどいパニックになった。
避難しようとした私も一度、知らない人に襲われて危ない目にあった。
見ず知らずの人が襲ってくるかもしれない恐怖は、予想以上だった。
パニック自体はなんとか昨日の内に収まったけど、人の心はそう簡単に安心できないものだ。皆、今度同じことが起こったときのために食料アイテムとかを買い込んで宿に籠もっている。
今朝、私も引きこもるつもりはなかったけど、何かあった時のためにアイテムを補充しようと街に出てみた。でも、主要なものは品切れだった。商店街がまだ開店休業状態なのもあって、アイテム供給が無秩序になってるせいもあるんだろうけど、パニックの影響が今度は物不足って形で街を苦しめている。
しかも、それに乗じて変な商売をしてる怪しいプレイヤーも何度か見かけた。妙に高かったり、逆に不自然に安かったり、NPCショップで買い物が出来なかった人をショップの前で捕まえたり……噂では粗悪な品を混乱に乗じて売りつけようとしているらしい。
私もショップで食べ物が買えなかったときは心が揺れたけど、今は椿さんがいるし、間違っても変なものを出すわけにはいけないからなんとか断った。もしも毒でも入ってたら一大事だ。
元々道案内NPCで街に詳しいイザナちゃんには出元の保証できる安全なものを探しに行ってもらっていた。でも、やっぱりそういうものはすぐ買い占められてしまったらしい。
違う街に行けば食料アイテムくらいいくらでも買えるのだろうけど……街を出て行くプレイヤーは少ない。それはきっと、住み慣れたこの街を出るのが怖いからだ。
私にもわかる。
この街は何度も危機に晒されて、今まで街を守っていた大ギルドも頼りに出来なくなって、しかも空気も悪くなって……でも、やっぱり自分の『居場所』はここだと、心のどこかで思ってる。
だからこそ……怖い。
見ず知らずの街に行くのが怖い……確かにそれもあるけど、それよりもずっと怖いことがある。
この街を出るのが怖い。
帰ってきたら、当たり前にあると思っていた『居場所』がなくなってるかもしれない。
そっちの方が、ずっと怖い。
一年前、突然デスゲームに放り込まれて、安心なんて出来なくて……でも、ようやく安心して暮らせるようになったこの『居場所』が、なくなるのが怖い。
もちろん、街が滅ぶなら心中するというほどの決意でここにいるわけじゃない。目の前に具体的な危険が迫ったら、私たち普通の人は一目散に逃げ出す。そんなことになったとき、私たちに出来ることなんてなにもないからだ。
でも、何も出来ないとわかっていても、それをはっきりと確認するまでは離れられない。
ここを離れたら、逃げた先に同じような街があっても、今までの日常は戻ってこない。時間をかければ新しい街も『居場所』になると理解してはいるけど、それは今の『居場所』を捨てられる理由にならない。
『居場所』を失うというのは、それまでの日常を……『普通』の日々を失うことになるのだから。
だから、私もしばらくはこの街を離れるつもりはない。
食料アイテムの買い出しくらいには行くだろうけど、今はここを離れる気はない。
何か自分に出来ることを探そうと思っていた気がするけど、今の私に出来ることなんて……
「あ、モモさん。そういえば、食べ物は買えなかったけど、偶然会ったある人からこれをもらいました」
考えに没頭していた私の意識を、イザナちゃんが引き戻した。
その手にあるのは、一本の《巻物》。
食料の代わりとしては随分と変わったものだ。
「ちょっとイザナちゃん! 知らない人からものをもらっちゃダメでしょ? 危ないものだったらどうするの?」
「知らない人じゃないですよ。とっても有名で、モモさんも知ってる人です」
「私も知ってるような有名人って……あ、椿さん。ちょっと待っててくださいね」
私は遅れながらに椿さんに断りを入れて、イザナちゃんから巻物を受け取る。火の玉が描かれた、可愛いガラの巻物だ。
こんなものをくれる知り合いに心当たりはないので、いろいろな方向から見たりしてから……そっと、結ばれていた紐を解くと……
「……! それ開いちゃだめ!」
「え!?」
突然、こっちを見た椿さんが叫んだけど……時既に遅し。びっくりして落とした拍子に巻物がコロコロと転がって広がっていく。
そして……
ボンッ!!
「きゃっ!」
巻物から煙とともに何かが……いや、誰かが飛び出してきた。
姿が煙でぼやけてるけど、なんだか装備が……忍者みたい。
「オーバー100『逆口寄せ』……椿ちゃぁん?」
突然現れた人に見すくめられた椿さんが、表情を強ばらせる。
私に対して何の反応も返してくれなかった椿さんが名前を呼ばれただけであんな怯え方をするなんて尋常じゃない。それに、突如現れた人影からは妄執じみた雰囲気を感じる。
『暗殺者』……その言葉が頭に浮かんだ。
何せ椿さんは大ギルドのサブマスター。この治安の悪さなら当然、犯罪者に狙われることもあるだろう。もしかしたら、前から狙われていて顔を知っている暗殺者かもしれない。それならあの反応も頷ける。
「みーつーけーたーよー」
忍び装束の暗殺者が、ゆっくりと椿さんに迫っていく。
……て、私が何とかしなくちゃいけないじゃん!
ライトには警戒するように言われてたし、椿さんに何かあったら失望されちゃうじゃん!
「イザナちゃん! 何か……目くらましみたいなの出して!」
「は、はい! 『神生み』……『煙々羅』!」
イザナちゃんの影の中から、さっき巻物から噴き出したのとは比べものにならない煙と、それをまるで洋服のように纏った女の子が現れる。
イザナちゃんの特殊能力『神生み』。
一日に一人、NPCを生み出す能力だけど、生まれてくるのはただの人間NPCじゃない。
八百万の神が住まう日本の神々、そして広義ではそこに含まれる『妖怪』達を呼び出すことが出来る。
昨日初めて呼び出したのは『ヒルコ』……未熟児として生まれた日本神話初期の神様。神様としての神格は低いけど、基本ステータスが高くて扱いやすいNPCらしい。今は小さくなって懐に入っている。
そして、今呼び出されたのは『煙々羅』。
確か、煙そのものの精霊みたいな妖怪だ。
なら、その能力は……
「コホコホ、呼びました?」
「え、煙幕できる?」
「コホッ、一応は……」
「じゃあ今すぐやって! 盛大に!」
「は、はい、コホコホ!」
煙玉なんかよりずっと濃い煙幕が大量に女の子……『煙々羅』ちゃんの身体から噴き出して暗殺者に纏わりつく。
視界が一気に利かなくなり、暗殺者も戸惑ったように動きを止める。
その隙に、椿さんの所に走って手を握る。
「え、あの」
「逃げるよ、こっち!」
さらに困惑してるイザナちゃんの手も引っ張って、家から走って逃げる。
「え、ちょっと、あの人は……」
「話は後! とにかく、ゲートから他の街に逃げよう!」
椿さんの足は遅いし、私も純粋な戦闘職には遠く及ばない。距離を離すなら、今しかない。
何分か全力で走り抜けた後……突然目の前に、目を回した『煙々羅』ちゃんが落ちてきた。
「ふぇ……やられましたぁ……」
「『煙々羅』ちゃん!?」
「椿ちゃん……その女誰かな?」
声のした屋根の上を恐る恐る見上げると……太陽の光を背に、さっきの暗殺者がいた。
速い……もう追いついて来たなんて……うわ、しかもなんかすごい殺気を感じるし。まるで恋人を寝取られた女みたいな強烈な敵意だ。
まずい……ステータスに差があり過ぎて逃げられない。『煙々羅』ちゃんも、もう煙幕は出せそうにないし……詰んだ。
「ちょっとそこ大丈夫!? その女の子、目回しちゃってるみたいだけど!」
その時……救いが訪れた。
一人のプレイヤーがこっちに走って来る。
日焼けした肌に真っ白な道着の女の子……その肩には緑の腕章。昨日の騒ぎで信用の無くなった『攻略連合』の代わりにパトロールをしてくれることになった『戦線』の戦闘職。
倒れてる『煙々羅』ちゃんを見て駆け付けて来てくれたらしい。
「助けてください! あそこの人に狙われてるんです!」
「あの人って……状況わかった!」
私が指差した屋根の上の暗殺者を見た道着の女の子は、ストレージからでっかいサンドバックみたいなものを出して、中から取り出した拳大の石を投げる、投げる、投げる。
でも、屋根の上の暗殺者はそれを素早い動きで躱す、躱す、躱す。
「あはははは! 椿ちゃんと私を引き裂こうとするのはだーれだ?」
「いい加減懲りなさい! あんたへの攻撃は公式に承認されてんですよ!」
激しい戦いが勃発している。前線級のプレイヤー同士の戦いなんて、普段見られるものじゃない。
……そうじゃない! 今の内に逃げなきゃ!
「行くよ!」
「え、は、はい!」
椿さんの手を引いて、『煙々羅』ちゃんを背負って、イザナちゃんに案内してもらって走る。
そして、ゲートポイントに飛び込んだ。
「転移、『蝋燭の街』へ!」
数十分後、何度か転移してついた街の市場でようやく一息つく。これだけの人通りなら、暗殺者と言えども簡単には仕掛けて来れないだろう。衛兵のNPCもたくさんいるし、足が速くてもそんなに速くは動けないはずだ。
『煙々羅』ちゃんとイザナちゃんを含めた四人で逃げるのは大変だったけど、背負った『煙々羅』ちゃんがまるで煙みたいに軽くて助かった。それに、最初は戸惑ってたみたいだった椿さんも途中からは一緒に走ってくれたし、気持ちが伝わったみたいで嬉しい。
そして、余裕のなかった逃走から解放され、椿さんに尋ねる。
「椿さん、いきなり引っ張ってごめんなさい。でも、あの暗殺者みたいな人から逃げなきゃって思って……」
「……ホタルさんです。暗殺者じゃなくて、ホタルさんです」
突然、椿さんはそう言った。でも、理解が数秒遅れた。
だって、その名前は……
「……え? 『ホタルさん』ってまさか……」
言い辛そうにしている椿さんの代わりに、イザナちゃんが答える。
「そうですよ。『大空商店街』のサブマスターの人です。気付かなかったんですか?」
逃げるのに必死で、顔もろくに見てなかったから気付かなかった。
でも、そんなのは言い訳にならないだろう。
聞いたことがあるし、会ったことがある。
『大空商店街』のサブマスターのホタルさん。自他ともに認める同性愛者で、しかも元犯罪者だというかなり問題のある経歴だけど、それを補って余りあるフットワークの軽さと正直ちょっと引くレベルで裏表のない性格、それに犯罪者時代に『義賊』として築いた独自のネットワークと人に共有できない悩みを持つプレイヤー達との『密接な』繋がりで維持される情報力で巨大なギルドを統制するサブマスター。
同時に、一部の女子への熱烈過ぎるアプローチでも知られ、そのせいで『あっち』に目覚めてしまった女の子も多いとかって噂を聞くけど……そういえば、そのアプローチを受けた中に椿さんも含まれているとかって噂があって……
「あ、やばい。どうしよ……」
あの暗殺者だと思ってたがホタルさんで、落ち込んでた椿さんのことを知ってちょっとサプライズ的なお見舞いに来たんだとしたら……
「私、『大空商店街』のサブマスターにケンカ売っちゃったかも……」
さようなら、私の『居場所』。
あの街には、しばらく帰れそうにありません。
ちなみに、なんで『蛍』はプレイヤーネームをカタカナの『ホタル』にしているかと言えば、女の子の名前に『虫』って字が入ってるのがなんとなく嫌だったからで、深い意味はありません。
あと、今話では誰にでも積極的にアプローチしているように言われていますが、ホタルはちゃんと好みで選んでアプローチを仕掛けています。
凡百は好みには合わなかったようですが……一応女の子です。忘れているといけないのでもう一度、凡百は、女の子です。紛らわしい名前ですいません。




