165頁:思わぬ落とし穴に気をつけましょう
ライト、赤兎、ジャックを状況に応じた強さの順に並べると
対集団戦
ジャック>ライト≧赤兎
決闘
赤兎≧ライト≧ジャック
対巨大ボス戦
赤兎≧ライト>ジャック
というような構図になります。
でも、ライトはまだ隠し玉があるかも……
6月23日。
「お願いがある。街中でも戦えるようにしてほしい」
ジャックのもとに押しかけてきたエリザは、そう言って鎌を差し出した。
意識不明の針山の看病とその原因究明に追われていたジャックは、エリザの雰囲気の違いに驚き……針山の現状と無関係ではないと察する。
そして同時に、エリザの頼みの指すところは……プレイヤーを殺さなければならないかもしれないという事を意味する。
ジャックのレベル100で手に入れた固有技『マーダーズ・コレクション』。
アイテムの性能、性質を殺人鬼専用アイテム《血に濡れた刃》と同等にする技だ。
ジャックが使う限りは、それは武器を強化する程度の意味しか持たない。もちろん、最高級武器と同じ威力の出せる武器を好きなように使いつぶせるというのは大きいが、しかしそれは元から用意したアイテムでも事足りる。
問題は、それをジャック以外のプレイヤーが使ったとき。
《血に濡れた刃》と同等の性質を持つアイテム……それは街中で他のプレイヤーを傷つけることの出来る武器となることを意味する。
そして、『殺人鬼』の称号によって双方向でのダメージが成立するジャックと違い、他のプレイヤーがそれを振るえば『一方的にプレイヤーを攻撃できる武器』が作れてしまう。
それに気がついたジャックは、安易にこの固有技を使わないことを心に決めた。
わかっている……そんな武器が出回れば、必ず狂気に狂い、闇に落ちるプレイヤーが現れる。
ジャックは、殺しや犯罪と無縁の『表の世界』のプレイヤーが闇と関わるのを好まない。だからこそ、針山の件もどうにか自分で解決しようとしていたのだ。
だが……
「エリザ……こんなもの使ったら、もう、後戻り出来なくなるよ?」
「……わかってる。でも、時間がないの」
「……汚れ役ならボクが引き受けるよ。エリザは今までみたいに、なにも知らない子供みたいにしてていいんだよ?」
「やだ……これは、わたしが頼まれたことだから。わたしがやらなきゃいけないことだから……お願い」
躊躇がなかったと言えば嘘になる。
だが、ジャックが初めて見るエリザの意志のこもった真っ直ぐな目には……それ以上、引き止めることは出来なかった。
ジャックは鎌に触れる。
そして、それがエリザの『姉』であるナビの使っていたものだと確信する。
だが、それは奪い取られたのではなく……託された『意志』のようなものを感じさせた。
ジャックは目を閉じ、覚悟を決めて……鎌を血の色に染めた。
「オーバー100『マーダーズ・コレクション』!」
《現在 DBO》
6月26日。
夜明けの『切り株の街』。
殺人鬼ジャックに似せた装備で街に乗り込んだ赤兎は、街の入り口であるゲートポイントを狙って遠距離攻撃を繰り出す犯罪組織のメンバー達を一人一人斬り伏せていく。
中には接近戦を想定して剣やナイフで武装したプレイヤーに護られた者もいるが、寝起きを襲われて最悪のコンディションな上、そもそも真正面からの戦闘など想定していないプレイヤーでは赤兎の敵ではない。一太刀すら受けることなく、赤兎は敵を斬り伏せていく。
いや、そもそもこれは基本的な『戦闘』の構図からも外れている。
それ以前に、街中では通常プレイヤー同士の戦闘でダメージは発生しないのだ。モンスター扱いの『黒いもの達』や、『模倣殺人』で殺人鬼化したプレイヤーや『殺人鬼』の称号を持つジャックは例外だが、基本的にプレイヤーがダメージを受けることはなく、受けた傷も即座に回復してしまう。たとえ犯罪者が赤兎に攻撃を当てたところで、それは多少の痛みを与えて怯ませる程度の意味しかない。
しかし、今の赤兎の一刀はそうではない。
針山の固有技『ペインフル・コレクション』……『拷問器具を作る技』によって作られ、ジャックによって赤兎に託された呪刀《拷問刀・鋸もどき》。
それは、針山の持つユニークスキル『拷問スキル』の効果をアイテムに付加し、威力を失う代わりに相手に強烈な『痛み』を与えることのできるようにした刀。ボロボロの刃に切れ味などは欠片もなく、どんなに強く斬りつけてもその本来与えるはずだったHPダメージに応じた痛みを与えるだけの刀。
だが、犯罪者の制圧に関して言えばこれ以上のものはない。
斬るべきは簡単に回復できるHPではなく、立ち上がって襲ってくる敵意。
赤兎は向かい合った敵を一人一人撫で斬りにして、その度に言い聞かせる。
『また来たら、何度でも斬ってやる。それが嫌なら倒れてろ』
一人として、無謀で無駄なリベンジを試みる者はいなかった。
そして、粗方の射撃ポイントを制圧した赤兎は、建物の窓からゲートポイントのある広場を見下ろす。
そこでは、もう一人の侵入者が街中から集まって襲いかかって来る『黒いもの達』を相手に、たった一人で暴れ回っていた。
滑空してくる『トリ型』を避けながら翼を切り落とし、『トカゲ型』の振るう尻尾を、引っ張り寄せた『乙女型』を盾にして防ぎ、挟み撃ちを狙って迫ってくる『野獣型』と『ヒト型』を巴投げで激突させ、縦に裂けて分裂しようとする『ヘビ型』を横に裂く。
多数に対しての立ち回りが異常なまでに上手い。
敵を盾に敵の攻撃を防ぎ、敵を武器に敵を仕留める。密集し過ぎて動きが鈍ればジャック自身の刃で八つ裂きだ。
ジャックはまるで背後にも目があるかのように敵の攻撃を察知し、まるで未来が見えているかのように回避するので全く危なげもない。
むしろ、その戦い方には余裕があり……どこか楽しんでいるようにも見える。
作戦はジャックが派手に戦って敵の意識を引きつけている内に赤兎が戦力の薄い敵の懐に潜り込み、射撃ポイントを無傷で制圧という流れだった。(ジャックの元々の作戦では役割が逆で犯罪者は皆殺しだった)。
何百いるかわからない『黒いもの達』を女子一人に任せることに軽い罪悪感を抱いていた赤兎だか……
「無双してやがんなあいつ……ヤバくなったらゲートから逃げるとか言ってたけど、まるで必要なさそうじゃねえか」
改めてジャックの強さに舌を巻く。
確かに一対一の戦闘では赤兎は僅かに彼女を上回った。しかし、周りが敵だらけの乱戦状態での戦力ではジャックは赤兎を凌ぐ。VRMMOゲーム『GWO』でパーティーばかりを襲っていた彼女は、自分の何倍もの敵を相手に立ち回ることに慣れている。敵を誘導して互いの動きを邪魔させ、時には敵の攻撃を利用して同士討ちを誘う。
数が多く能力が高い『黒いもの達』。しかし、一体一体は知能が低く単調な動きしかできない。そんな相手なら、どれだけの数に取り囲まれようとジャックの敵ではないだろう。
しかし……
「……チッ、やっぱそうなるか」
ジャックに倒された『黒いもの達』は既に何十といる。しかし、その死体は倒された数より明らかに少ない。
生き残っている『黒いもの達』が死体を食べ、分裂を繰り返しているのだ。
これでは、どれだけ倒してもきりがない。
ならば、赤兎にはやらなければならないことがある。
「あんなんじゃ人質も連れ出せねえな……しょうがねえ、さっさとそこらの奴に聞き出すか」
そもそも、人質の救出を考えるなら無数の『黒いもの達』の対処は考える必要があった。厄介なことに食べて分裂して増える能力を持つ『黒いもの達』は殲滅するのが難しい相手だ。それを止め、人質を安全に救出するためには、どうしても『黒いもの達』を倒さずとも無力化できる方法が必要。そのために、赤兎は斬り伏せたプレイヤーの中から『黒いもの達』の制御法を聞き出そうとした。
その時だった……赤兎の足下に、まるで地中を巨大な何かが動き回るような震動が起きたのは。
慌てて窓に戻り、ゲートポイントを見る。
ゲートは開いていない。敵の姿はまだ影すら見えていない。
しかし、直感的に確信する。
「ジャック!! ゲートから離れろ!!」
赤兎にやや遅れてジャックも何かを察知して跳びあがり、『黒いもの達』を踏みつけてゲートから離れるように駆ける。
そして……ゲートの座標の真下の地面に大穴が空き、『黒いもの達』とは比べ物にならないほど巨大な何かが飛び出てきた。
それを見て、赤兎は誰に言うともなく呟いた。
「あれは……ちょっとヤベえんじゃねえか?」
一方、ジャックは間近でゲートの真下から飛び出てきた『それ』を目撃し、急いで高さ5mの壁を登って距離を取る。
壁の中にいたら押し潰される。そう判断したのだ。
そして、それと同時に全体像を把握するために距離を取る必要があると直感的に感じた。壁を登り、空に伸び上がる『それ』を見上げる。
『それ』は、真っ黒だった。
『黒いもの達』と同じ影のような黒の体表。影が見えず距離感が掴みにくいが、その巨大さは一目瞭然だった。
端的に表現するならとんでもなく巨大な『蛇』のような姿。長く太い身体が渦を巻いて二つの壁の中をすぐさま埋め尽くし、そこに元々いた『黒いもの達』を押しつぶす。
太さは直径3m以上、長さは地中に隠れて見えない部分を差し引いても10mは下らない。『イヴ』と同等……あるいは、以上に大きいのだ。
その長い身体は現実世界の地下鉄道を走る電車を連想させるほどのサイズがあり、その先頭はまるでトンネル工事のドリルのように円形の口に並んだ歯をギチギチと鳴らし、口の内部から覗くギョロリとした目がジャックを見下ろしている。
他の『黒いもの達』と同様に名前を付けるなら……きっと『ワーム型』が相応しい。それも、モンスターパニック映画で出てくるような超ド級のメガサイズ。
そして、その身体の側面には『黒いもの達』らしく巨大な口があり、それが押しつぶした『黒いもの達』を呑み込み、噛み砕いていく。
ゲートポイントと重なる位置に陣取った『ドラゴン型』は、高みからジャックを見下ろす。
あたかも、『逃げ場はもうない』とでも言うように、その凶暴そうな目から邪悪な心を感じさせる。
ジャックは、仮面の下で引きつった笑みを作る。
「これ……ちょっと予想以上かも」
『ワーム型』の初撃は、単純な噛み付き攻撃だった。
しかし、そのサイズが電車並みともなるとそれはもはや『衝突事故』に等しい迫力となる。しかも、それが鎌首をもたげた全長10m以上の巨大なワームが口を開けて上から襲ってくるとなると、もう巨大隕石か何かのようなものだ。普通の女子なら恐怖に身が竦んで動けないだろう。
だが、それはあくまで『普通の女子』の話。
『殺人鬼』として日夜命のやり取りを続けるジャックは常日頃から貨物列車が横転して来ようが隕石が落ちて来ようが身を護れるくらいの心構えはしている。
単純に逃げても追尾してくる『ワーム型』の攻撃をギリギリまで引きつけてかわし、『黒いもの達』をくぐり抜けて近くの建物の陰に入り込む。
そして、『ワーム型』を見ると……
「……?」
目を凝らし、キョロキョロと辺りを見回す動作をしている。追撃を想定していたジャックは一瞬困惑するが、すぐに理解する。
挙動の目的は明らかだ。ジャックを探している。
そして、逆を言えばそれは……ジャックを『見失った』ということだ。他の『黒いもの達』は目にあたる器官が見あたらないが、漠然と自分達以外の動くものの気配を感知し襲ってくる。しかし、『ワーム型』には目があり、視覚的に敵を認識しているらしい。
「他の単純な動きしかしない『黒いもの達』より知能が高い……その分、無差別攻撃で暴れ回ったりしないのは助かるか……っ!」
ジャックは地中からの震動を感知し、即座にその場を離れる。
すると、先ほどまでジャックがいた場所の真下から黒い柱が……広場の中央にいるのとは別の『ワーム型』が出現し、地面を食い破る。
もう少し留まっていれば、地面ごと喰われていたかもしれない。
ジャックは冷や汗を拭いながら辺りを探る。
すると、また地響きを感じ……その直後、街の『三カ所』から同時に『ワーム型』が黒い柱のように突き出てくる。
『イヴ』に勝る巨大モンスターが合計五体。
それら全ての目がジャックへ向けられる。
「ええー……全部こっち狙いなわけ? 分身たくさん潰したのは悪かったと思うけどさ……」
五体の黒い柱が、ジャックに襲いかかる。
大きな口を開けて噛みつこうととしてくる『ワーム型』達をジャックは殺気を頼りに回避し、反撃を試みるが相手のサイズが大きすぎるし、地下に隠してあるのか『急所』が見つからず、ナイフで刺したところでほとんどダメージを与えられない。下手をすればエリアボス並みのHPを持っているかもしれない。
それに、『ワーム型』の外れた攻撃が建物に当たると、その素材に関係なくえぐり取られる。これでは、障害物としても役に立つかわからない。うまく使えても目隠しだろう。
まともな防御手段がない状態で下手に攻勢に出ようとすれば、逆にやられる。
となれば……ジャックは黒い囲いを抜け出し、入り組んだ建物の裏を利用して逃げ始める。
(『イヴ』と同じような理屈で巨大化してるなら、消耗が桁違いに速いはず。だったら……あっちが動けなくなるまで逃げ続けるしかない!)
ジャックが逃げ疲れて食われるか、『ワーム型』達が疲れ果てるか……かなり際どい『鬼ごっこ』が始まった。
赤兎は、『ワーム型』から逃げ回るジャックを後目に高速で街を駆ける。
大量にいた『黒いもの達』は『ワーム型』に喰われて次々と数を減らし、残ったものも必死に数を元に戻そうと食品アイテムやら建物やらをバリボリ食べていて、赤兎に襲いかかってくるものもほとんどいない。
『ワーム型』の意識は全てジャックが引きつけてくれている。既に五体も出現している巨大モンスターを相手に、ジャックは素早い動きと殺気の探知。そして相手に対する小ささを生かした隠れながらの移動によってほぼノーダメージで立ち回っている。敵を倒そうとすれば火力不足だろうが、回避するだけならジャックはそう簡単には捕まりはしないだろう。
だが、赤兎もジャックを囮として全てを押し付ける気など毛頭なかった。
赤兎は高い建物に登り、『ワーム型』の全体像を観察して突破口を探す。
五体の動きは連携が取れているように見える。攻撃のタイミングをずらし、うっかり衝突するような場面は見られない。
パワーはジャックを狙って外した攻撃で木造の建物を大きくかじり取る程。いや、破片などが飛び散っていないところを見ると、かじり取ると同時に吸い込んでいるようにもみえる。何もかもを関係なく、その巨大な口腔の闇の中に消し去って行く。
そして、違和感を感じる。
『黒いもの達』の攻撃方法は基本的に『補食』に統一されている。その過程で掴んだり巻き付いたり噛みついたりはするが、基本的には食べて増えるだけの存在。『破壊』は『増殖』の副産物でしかない。
行動の全ては『栄養』の確保に向けられ、そのためになら木材だろうが瓦礫だろうが食らい尽くす。木材や石材などは一般的な『食品』に分類されるアイテムに比べて栄養効率はかなり悪いだろうが、それでも食べてしまうのが『黒いもの達』だった。
だが……『金属』だけは別だったはずだ。
『黒いもの達』は何でも無差別に食べつくしてしまうが、『金属』だけは食べ残す。剣や槍のような武器も、食らいついて噛み砕くことはまずなかった。大抵の物理攻撃を食い尽くしてしまう『野獣型』は武器も噛み砕くが、それはあくまでも腕の筋力を全て咬筋力に置き換えた噛み付きが異常に強いだけであり、攻撃を食った結果に過ぎない。
盾や武器での防御は可能、鉄のアンカーによる罠での捕獲もできた。
『イヴ』に潰された街にも『黒いもの達』が食べることのできなかった残骸が……金属片などが残されていた。
噛み砕くことができないからというわけではないだろう。『ヒト型』もそのパワーがあれば柔らかい金属なら一口サイズの金属片にして食べることも難しくないだろう。
だが……おそらく、『消化』できないのだ。木材や石だろうと栄養に変えてしまう強靭な胃袋を持っているらしい『黒いもの達』でも、鋼の武器や鉄の金具は食べられない。
だからこそ、『ワーム型』の力任せな補食攻撃には違和感がある。建物の一角を構造ごとえぐり取れば、必ず含まれるはずの金属部を吐き出すことなく、休む暇なくジャックを狙って突進し、物を呑み続ける。
そして、同時に気付く。
『ワーム型』はメインの円形の口以外にも身体の側面にも口があり、地を這う時にそこから道中の『黒いもの達』を補食して攻撃のための『補給』としているらしい。だが、不思議なことにそちらの口では一切ジャックを狙わない。
攻撃を当てる確率を上げるなら、どう考えても周囲を囲むようにとし閉じ込めて押しつぶした方がいいのに、『噛みつき』に固執する。
ただの『栄養補給』のための口と先頭の口では何かが違うのか……どうしても、全てを呑み込むあの口で仕留めたいのか……
「ジャックを倒すためには普通の口じゃ攻撃力が足りないのか……いや、あの巨体なら噛みつくまでもなくかなりのダメージを与えられる。何か他に、目的があるのか……」
『目的』……思惑、意図。
それらは、高い知性の現れを示す言葉。
現に五体の『ワーム型』は高い知性で連携し、ジャックを狙っている。
まるで、一つの生き物のように……
「……!」
赤兎はその閃きを取り逃さないように、『ワーム型』達を観察する。
建物の屋根を食いちぎる『ワーム型』、地面に潜って下から攻撃する『ワーム型』、高い位置から状況を俯瞰している『ワーム型』、ジャックの逃げ道を無くそうと道の先で待ち伏せする『ワーム型』……何度も攻撃に失敗し、間違って呑んだ物をまとめて呑み込んでいる『ワーム型』。
赤兎が思い出すのは、『蜘蛛の巣』のアジトで戦った『メデューサ型』『アルラウネ型』『アラクネ型』『ハーピー型』。増殖しないかわりに、戦闘用にチューニングされた個体達。
クエストボス並みの強さを持っていたそれらと、目の前の『ワーム型』が……繋がった。
「そうか……わかったぞ、お前の正体」
ジャックは少々困惑していた。
殺気を感知して攻撃を避ける。それは、この一年の間に飽きるほどやってきた。それこそ、数キロ先からの狙撃だろうと視界ゼロの暗闇の中からの奇襲だろうとトラップだろうとモンスターだろうと回避できるくらいには高い感知能力を持っているつもりだ。
その脅威がより致死性の高いものであるほど、はっきりとそれを感知できる。危険なものほど完璧に察知できる。だからこそ、彼女は死線を余裕で切り抜けられる。
しかし……今回は変だった。
「……!」
地面の下から飛び出してくる『ワーム型』を直前に察知して回避し、視界から外れるために建物を回り込む。相手は複数、他の『ワーム型』からも隠れることを考えると屋内に逃げ込むのも手かもしれないが、壁を食い破る相手に対して屋内に隠れるのは得策ではない。屋内では襲いかかってくる気配が分かっても逃げられないかもしれないからだ。
それに……
「……またか!」
またもギリギリで回避。
段々と近付いている……その要因には、ジャックが一方的な展開に消耗しているということもある。先手必殺を基本とするタイプの殺人鬼である彼女は、このような防戦一方の展開は慣れていない。しかし、要因はそれだけではない。
殺気が読み辛いのだ。
あれだけの大きさ、破壊力、ジャックへの執着がありながら……『殺気』がまるで釣り合わない。
ライトのように自分まで騙すように殺気を隠しているわけでも、赤兎のように反射的な動きで感知されるより早く攻撃しているわけでもない。
まるで、ハリボテのような空っぽの殺気しか感じないのだ。
「チッ……次はどこから……」
防戦に疲れ、反撃も考え始めたその時……『それ』は来た。
地下からの攻撃が続き注意が真下へ向いていたジャックの意識の死角をついた方向からの攻撃。
「ガガ!」
「ギギ!」
「!?」
突如、空から隕石のように黒い何かが落下してきて、道の中ほどにいるジャックの前後に落ちる。土煙を上げるそれをジャックがよく見ると……それは、おそらく『ワーム型』に投げられ、地面に叩きつけられたであろう『ヒト型』二体だった。ジャックの逃げ道を断つために運ばれたのだろうが、高所からの着地を配慮しないような落下で既にボロボロになっている。道幅も狭くないし通り抜けるのも難しくはないだろうが、ジャックは一応警戒して二体の間……道の中央辺りに移動し、刃を構える。
それが……間違いだった。
敵の狙いは『ヒト型』の戦闘能力ではなく、その落下の衝撃。そして、地面に向いていたジャックの注意を一瞬でも他へ逸らすこと。
ボロリと……足下の地面の下の土が、大きく剥がれ落ちたような振動がした。
回避するにはやや遅いタイミングでジャックが見たのは、今までの地下からの攻撃の跡が……『穴』が、『ヒト型』落下のひび割れで繋がっていく光景だった。
「これは……まさか!」
地面が割れる。
まるで、ワカサギ釣りで薄すぎる氷に穴を多くの穴を空けてしまったかのように、辺り十メート四方の地面の上にあったものが、そのまま真下に落ちる。
その中心にいたジャックが逃げるには遅過ぎた。
真下に大口を空けて待ち構える『ワーム型』……おそらく、木材や石材を食べるのと同じで土を……地面を食って、削っていたのだ。
『ヒト型』はただのフェイク。地下から掘られた落とし穴の真上に誘い込まれた。
「あ……」
ジャックは落ちていく。
彼女を一口で食べてしまうであろう、怪物の口の中へ。
もはや、それを防ぐ術はない。
後悔する間もなく……
「ジャック!! 掴まれ!!」
『もう一人』、落ちてきた。
罠にはまったわけではなく、自分から飛び込む形で……ジャックを抱きしめ、自らの身体で包み込むように。
殺人鬼の衣装を脱ぎ捨て、赤い和装を着て、真っ赤な光に、身を包んだ彼の名を……ジャックは無意識の内に呼んでいた。
「せ……赤兎!」
二人は一緒に、『ワーム型』の口の中に呑み込まれた。
同刻。
『切り株の街』に一人のプレイヤーが転移してくる。
手には大鎌、口には牙、身を包むのは黒のマント。その様相は、どこか死神のような雰囲気を纏っている。
彼女は、ゆっくりと辺りを見回し……呟いた。
「『後始末』は、わたしの仕事」
集まってくる『黒いもの達』。
彼女は……エリザは、真っ赤な鎌を構えた。
「あと、鎌のお礼」




