163頁:誰かの案を否定するときには代案を出しましょう
赤兎の主人公補正はライトの数十倍に相当します。(一応本編の主人公はライトのはずなのですが……)
「赤兎は知ってるか? あの殺人鬼の噂」
ある日、赤兎はギルドメンバーの誰かにそう問われた。『殺人鬼』……ジャックのことは知っていたが、その頃は特に大きな動きをしたという話は知らなかった。
「いやさ、多分デマだと思うけどよお……なんかあの殺人鬼は、実は良い奴なんじゃないかって噂があるんだよ。なんでもこの前、誘拐された女の子を助けたとか……まあ、聞く話によるとたまたまあいつが殺した奴が誘拐犯だったらしいけどな」
『殺人鬼ジャック』の評判は良くない。
それも当然といえば当然だが、中には全ての犯罪行為の根幹にいるのがジャックだと言って非難する者もいる。
最初に人を殺して、しかも逃げおおせたことで他の危険因子のタガが外れた。
実は全ての凶悪犯罪の黒幕だ。
正体は殺人狂いのデスゲーム運営者だ。
そんな憶測がかの殺人鬼の名をより黒く染める。
だが、赤兎は別の噂を聞いたことがあった。それは、殺人鬼が現れた当初から噂される、その『犯行』の特徴。
『殺人鬼は犯罪者を好んで殺す』という特徴。
大抵の犯罪者は普段は一般のプレイヤーに紛れているため、殺されたプレイヤーが犯罪者だったかはなかなかわからない。それに、そもそも犯行現場を見た者などいないに等しいため犯罪者を殺しているのが本当に殺人鬼かはわからない。強いて言えば、街中でプレイヤーを殺すことができる能力を持つのが『殺人鬼』の称号だけで、どうやら街の中で死んだらしいとされるプレイヤーが殺人鬼に殺されたのだと判断されているだけだ。この噂には確証はない。
しかし、殺人鬼の犯行と思われる痕跡が見つかった場所の近くで、繰り返されていた犯罪がぷっつりと行われなくなったという話はよく聞く。殺人鬼を排斥するタイプのプレイヤー達はそれを『凶悪な殺人鬼を恐れて他の犯罪者が逃げ出したから』などと言うが、赤兎はそうは思わなかった。
何故なら、彼は以前その殺人鬼と同一人物かもしれないプレイヤーと他のゲームで話し、その曲がりなりにも真っ直ぐな心を知っていたから。
赤兎も完全には理解できなかった。しかし、理解できないながらも……それが、破綻したものではないと感じ取っていたのだ。
だから……
「……? どうした、別にそこまで面白い話じゃないだろ?」
その殺人鬼が女の子を助けたかもしれないという噂を聞いた赤兎の頬は、自然と笑みを浮かべていた。
≪現在 DBO≫
6月25日。深夜。
赤兎は、仮面を跳ね飛ばされた殺人鬼『ジャック』の素顔を見て……すぐさまそれが、見知った顔だと気付いた。
そして、意外でこそあれ……驚くことはなかった。
薄々気づいていたのだろう……ジャックがその顔を見せたがらない理由に。その顔が、赤兎も知っている人物である可能性に。
ジャックの正体……プレイヤー『黒ずきん』。
最前線プレイヤーの一人であり、少々変わり者の……珍しい性格のプレイヤーだった。
基本的にソロで、ダンジョンの奥深くに入り浸ることが多く、そしてそれを危険としない高いレベルを持つ最前線級のプレイヤー。
15か16の少女だが、第一人称は『ボク』。そしてキャラ付けかと思った周りのプレイヤーが『ボクっ娘』などと言うと途端に機嫌を悪くする。
他のプレイヤーとの付き合いはあまり良くないが、戦闘では闇属性魔法での援護射撃と『医療スキル』による的確な手当で実力は一目置かれていて、周りからは人見知りと言われている。そのくせ、よく目を引く派手なドレスやもはやコスプレと呼ばれるような装備を着て、まるで罰ゲームでも受けているかのように恥ずかしそうにしているそのギャップが可愛い……と言われると、さらに機嫌を悪くする。噂ではコスプレマニアの知り合いからもらった服を断りきれずに着ているらしい。
一部にはファンもいて、ダンジョンの中で踊るように戦う姿が極稀に目撃されることから『幻』という二つ名まで持っている。
そして……彼女は、赤兎の恋人アイコの命の恩人でもある。
最初のエリアボスとの戦いの時、致命傷を負ったアイコの傷を塞いで一命を取り留めてくれたのが彼女。それからも、攻略の難しいボス戦では何度も、何人ものプレイヤーがその腕に助けられた。もちろん、赤兎も含めてだ。『ドラゴンズブラッド』の弱点を知られていたとしても、不思議ではない程度には世話になっている。それくらいには、苦難を共にした仲間の一人だと思っている。
そんな彼女が、何故『殺人鬼』などになっているのか。
赤兎が考えたところで、答えはわからない。それは、本人に聞くのが一番早いだろう。
だが、その前に……
「いい加減……諦めろよぉ……」
「ガルルルル……」
赤兎は、全力で噛み付いて来ようとする黒ずきんを引きはがすため、仰向けに倒れた状態で出せる全力で黒ずきんの肩を押し返す。
数分後。
黒ずきん……ジャックは、赤兎の傷を治療しながら文句を垂れる。
「全くもう、あそこで鞘拾うなんて反則だよ。しかも計画的じゃないなんて……ご都合主義すぎるよその幸運は!」
自身で付けた傷だが、ジャックはそれを申しわけなさそうにすることもなく、慣れた手際で処置していく。
赤兎に押しのけられ、観念したジャックは『傷を治療』するという申し出をした。加害者が被害者の治療をするというのはやや奇妙な申し出だったが……赤兎は、ジャックの言葉に他意を感じなかった。負けて悔しそうではあったが、ジャックにとって殺し合いをしたというのは引きずるようなことではないらしい。
まあ、その申し入れをあっさり受け入れた赤兎も赤兎だが……なんとなくだが、大丈夫だと感じたのだ。
そして今、実は殺人鬼であった前線の戦友と以前と同じように話しているという奇妙な状況ができている。普通なら『友人が実は人殺しだった』などというのは取り乱すには十分の理由になるのだろうが……刃を交え、強さを認め合った相手にそのような態度をとるのは野暮というものだ。
その相手が、自分を殺そうとしてきたことや、正体を隠していたことの謝罪の言葉をなかなか口に出せず、誤魔化すように手当てをしてくれるような不器用な少女ならなおのこと。
「……こういうのを『ツンデレ』っていうんだろうな。『ツン』っていうか『グサッ』って感じだけど」
「なんか変なこと考えてない? もう一度刺してやろうか」
「いんや、独り言だ。そう怖い顔するなよ」
ジャックの機嫌が少し悪くなった。やはり殺人鬼モードでもなんというか……『萌え要素』みたいなものを指摘されるのは嫌らしい。むしろ、赤兎が怖がるような素振りをすると少し満足げになった。彼女は案外、周囲からの殺人鬼の悪評も楽しんでいたのかもしれない。
赤兎がそんなふうに観察していると……ジャックは、赤兎を見返して睨んだ。
「なに? 殺人鬼ジャックの正体が女の子だったのがそんなに驚きだった?」
「い、いや、そんなことないぜ。ただちょっと、この前の最後の……『あれ』、思い出しちまってな……」
赤兎は『女の子』という言葉から、昨日のジャックとの戦闘の最後の一手を連想し、思わずそれを口に出す。
赤兎の目線が以前の決め手の技『毒舌』を使った口へ……唇に向かっていることに気付いたジャックは顔を赤くして赤兎の傷口に指を食い込ませる。
「いってえ!!」
「あれはノーカン!! 戦いの一手だし、人工呼吸みたいなもんだし!!」
「目的が真逆じゃねえか! ってか傷口に爪立てんな、もうそれ拷問……ぎゃあ!!」
「別にファーストじゃないし! 前も人工呼吸でやったし!」
「結局どちらにしろファーストキス人工呼吸じゃねえのかそれ……いい加減離せ!!」
数分後。
どうにかもう一度開きかかった傷口を塞ぎ、包帯を巻いたジャックと赤兎は疲れ果てたように息を吐く。戦闘の余韻で上がっていたテンションも、少々じゃれ合っている間に引いて冷静になっていた。
そして、赤兎は頃合いを見て切り出す。
「さて……ジャック、いや、『黒ずきん』か?」
「『黒ずきん』は偽名。ジャックでいいよ……他の人がいないときは。もしうっかり他の人にバラしたりしたら、その人共々殺すから」
「そうか、怖いなそりゃ……ならジャック。一つ聞いて良いか?」
「……なに?」
「お前は昨日、俺に『人を殺せるようになっていなきゃ殺す』って言ってた。それってもしかして……誰かを殺すのを……仇討ちとかを、手伝って欲しかったのか?」
前の夜、ジャックは言っていた。
『仲間がヒドい目にあわされた』というようなことを。そして、それが赤兎に接触する理由に繋がるなら、赤兎自身がその仲間が『ヒドい目』にあった原因か、あるいは仇討ちのために赤兎を巻き込もうとして……赤兎の腑抜け方を期待外れだとして怒った。赤兎は素振りをしながら、そう推測した。
ジャックは赤兎の言葉にやや驚いた顔をする。まるで、説明する前にその答えに辿り着いたことを驚くように……
「え? 仇討ちじゃあないと思うけど、確かに仲間は襲われたけど死んでないし。ちょっと凹んで寝込んでるだけだよ?」
「違うんかい!」
「あ、でも仇討ちとまでは言わないけど仕返ししてやりたいのは本当。そのために、ちょっと昔のよしみで力を貸してもらおうとしたら凄く腑抜けちゃってたから腹立っちゃってさー」
ジャックの『力を貸してもらう』とは、殺すと言って脅すことを指すのかもしれない。少なくとも、赤兎には昨夜のジャックの態度は丁寧に頼み込みに来たようには見えなかった。
「腹立ったからってマジで殺しにくんなよ……てか、お前くらい強い奴が俺の力借りに来るって、一体何するつもりなんだよ? もし『イヴ』でも相手にするつもりなら、『黒ずきん』としてレイドの力でも借りた方がいいと思うぜ? あいつは白兵戦の強さがあてになるような相手じゃないからな」
「まさか、さすがにそんな無茶は言わないよ。『イヴ』の相手は別にいるし。ボクの仕返しの相手に『イヴ』は入ってないから」
ジャックは、何でもないことのように言う。
「ボクが手を貸してほしいのは『蜘蛛の巣』の犯罪者をちょっと皆殺しにすることだけだよ。ボク一人だと、一人二人は逃げられちゃうかもしれないしね」
あまりにも自然な口調で発せられた『皆殺し』という言葉に、赤兎は一瞬その本当の意味を理解できなかった。
殺人鬼のジャックの言うその言葉は、常人の口から出るその言葉とは重みが……あるいは意味の軽さが違う。
相手が何十人いようが関係ない。
降伏しようが容赦はしない。
たとえここが、本当に死ぬデスゲームの世界だろうが躊躇しない。
『皆殺し』と言ったら、本当に一人残らず全滅させる。
実際に彼女の殺気に触れた赤兎には、それが直感的にわかってしまった。
「お前……やられた仲間は死んだわけじゃねんだろ? だったらいくら何でも皆殺しなんて……」
「何言ってんの? 今回は大丈夫だったとしても、今度何かあったらどうするの? 生き残りがいたらまた増えて報復とかしてくるんだから、徹底的に潰してそんな気も起きないようにしなきゃ。丁度、街一つ占拠したくらいで調子に乗ってる奴らもいるし」
「……『切り株の街』か!」
『蜘蛛の巣』に占拠され、その構成員の多くが集まっていると思われる『切り株の街』。確かに、そこを落とすことが出来れば犯罪組織には大ダメージを与えられるし、戦力的にも少数精鋭で奇襲を仕掛けると考えるなら赤兎の力を貸りようとしたことも頷ける。
だが……
「お前、人質を助けにいく……わけじゃないんだよな……?」
赤兎は話しているジャックから滲み出る殺気に戦慄する。
その殺気は……とても、『救出』など欠片も考えているようには思えないものだったのだ。
「人質……? ああ、そんなのもいたね。ま、武装解除でもされててくれたら楽でいいよね。面倒ないし」
やはり……ジャックは人質も区別するつもりがない。本当に『皆殺し』を実行しようとしているが、それを変に思っていない。赤兎に『退路』を封じさせようとしたのもそのため……誰一人、逃がさないようにするためだ。
今まで知らなかった『黒ずきん』の残酷な一面。しかし、その様子はいつもとまるで変わりがない。まるで朝食を何にするか話しているときに賞味期限が近い食材があったのを思い出した……そんな程度の調子で人質の殲滅を考えている。
別人格や強がりではなく、それを常識のように、普通のことのように考えている。
赤兎は殺人鬼ジャックの本質を知った。
彼女は、凶悪な快楽殺人者でも独善的な処刑人でもない。世間一般で想像されるような……世間一般の人間で想像できるような者ではない。
彼女はそもそも、『人を殺す』ということについての認識が違いすぎる。
彼女にとって、犯罪組織の拠点を潰すとは危険な蜂が軒下に作った巣を駆除するようなものなのだ。危険な害虫を一匹たりとも見逃す気はなく、たとえ雀蜂の巣にほぼ無害な足長蜂の巣がくっついていたとしても、それを取り分けて保護するような手間をかけるつもりはない。
赤兎を利用しようとしたのは、害虫の駆除にその天敵となる生物が役に立つかもしれないというだけのこと。より効率良く害虫を根絶するためだ。
赤兎は遅れながらにジャックを怖いと……恐ろしいと思った。
そして同時に思う……
「まったく……俺を頼ってくれて良かったぜ。タイミングが良すぎて、なんか他の奴らによく『主人公か』ってつっこまれるのもわかる気がする」
「……? もしかして、この話降りたくなった? まあ負けた手前強制するのはやめておくけど、今日の話とかボクの正体とか口外したら……わかってるよね?」
「いや……誰が降りるなんて言った?」
「え? じゃあ、一緒に殺ってくれるの? もしかして実は人斬りに憧れてたとか?」
「ちげーよ。誰が殺しの協力なんてするかよ」
「えー……じゃあどうするつもりなの? 言っておくけどボク、今夜にでも殺るつもりだからね。厄介なお目付役がいない内に」
赤兎は、いつまでも『殺す殺さない』の次元で話すジャックに呆れたように立ち上がる。
そして、刀を拾って鞘に納め、さらにそれを刀を腰にさすための布切れで固く縛りつける。簡単には鞘と刀が離れないように……まるで、刃を封印し、人を斬らないと誓うように。
そして、ジャックを見つめて……力強く言った。
「そんなもん、俺が全部やっつけてやるよ。誰も殺さず、殺させず、犠牲なんか出させずに街を開放して……攻略してやる」
そんな赤兎の言葉に、思いも寄らなかったようにジャックは驚きの表情を作る。
だが、すぐに呆れたような表情に変わる。
なるほど、確かに相手に実力差を見せつけて降伏させられれば誰も殺さずに勝つことができる。相手も、死んでも抵抗しようとするような頭のネジの抜けたような者ばかりではないだろう。降伏の選択肢を与えれば、全てを倒さずとも主力さえ潰せば残りを一網打尽にできるかもしれないだろう。
だが……
「それは……ちょっと無茶じゃない? いや、不可能とは言わないけどさ……」
戦力が未知の敵集団を降伏させるのは、ただ殺すより難しい。
降伏の条件を呑ませるためには相手に勝ち目がないと思わせる必要があるが、相手の情報が不足している条件下ではその難易度が跳ね上がる。
効率良く戦意を奪い、全面対決よりもリスクやコストを少なくして降伏を迫る一番の方法はまず敵の『指揮官』を討ち取ること。
その次に、敵の切り札や追い込まれたときの保険となるものを押さえること。今回ならば、『人質』がそれにあたるだろう。『イヴ』でも出て来れば一発逆転の切り札となるだろうが、正直それはあまり考えなくていいとジャックは思っている。今の『彼女』は不安定で、街の防衛など試みれば街そのものを潰してしまうであろうことが目に見えている。その点では、守りにはいるより攻める方が有利かもしれない。
『降伏させる』とは、突き詰めれば『弱点』を押さえることなのだ。
しかし、当然敵は襲撃されればその『弱点』を隠し、護ろうとする。敵の『弱点』がわからない状態で攻め込めば、敵の全ての戦力を相手にしなければならなくなる。
加えて、今回の場合は人質もいる。ジャックのように救出など考えずに殲滅するつもりならまだしも、犠牲を出さずに降伏させるなどほぼ不可能だ。
しかし……
「心配すんな、丁度いいものがある。これさえありゃ、お前も不可能とは言えなくなるさ」
赤兎はストレージから数枚の紙を取り出す。
呪符や契約書のようなアイテムとして特殊な効果を持つものではない。しかし、それ以上の意味を持つものだ。
「犯罪組織『蜘蛛の巣』の機密情報……街を占拠してるやつらの配置から見張りのシフト表まで、必要な情報は大体そろってるぜ?」
同刻。
復興が中止されている『大空商店街』の店の一つにて。
一人の『男』が、工具を片手に機械を弄っている。
「バレルを伸ばして……ここを削ってやりゃと……少しはマシになんだろ」
慣れないながらも正確な手つきで機械を調節していく『男』。
そして、大方調節を終えたその機械を握り……唐突に真後ろに向け、引き金を引く。
鋭い射出音とほぼ同時に、小動物が落ちるような音。
男が振り返ると、小動物オブジェクトの『ネズミ』が、腹に釘を受けて絶命してた。
『男』は、それを見て……不満そうに声を漏らす。
「チッ、頭を狙ったんだがな……調節が足りねえか」




