162頁:勝てる闘いには勝ちましょう
どうして二人が戦うことになったのか、忘れてしまった人は155頁を参照してください。
時系列が乱れてしまってすいません。
数年前。
VRMMO『God Wars Online』の仮想世界のある洞窟前にて。
洞窟から歩き出てくる一人のプレイヤーに、待ち伏せしていた覆面の暗殺者タイプのプレイヤーが襲いかかった。
「っな!?」
襲われたプレイヤーは咄嗟に転がるように回避し、暗殺者の刃をかわす。
暗殺者の武器は大振りなナイフ、対して襲われた側は侍タイプのプレイヤーで武器は業物の日本刀。間合いが近すぎて不利だと判断したのだろう。いや、それ以前の問題として日本刀のプレイヤーは装備もボロボロ、身体も傷だらけで満身創痍だった。まともに切り結ぶのを嫌がったのも頷ける。
だが、相手が弱っているというのならそれは暗殺者タイプのプレイヤーにとってはまたとない好機だ。取り逃がしてくれるはずもない。
侍タイプのプレイヤーは日本刀を抜き、暗殺者はナイフを構え……首を傾げた。
「……あれ? もしかしてソロプレイヤー」
その様子にやや困惑しながら、侍タイプのプレイヤーは答える。
「ああ、俺は赤兎。ソロプレイヤーだ」
すると……暗殺者は構えを解き、申しわけなさそうに手を合わせた。
「あ、ごめん……襲う相手間違えちゃった。ボクはジャック、さっきのことは謝るよ」
ジャックに戦意がないことを感じた赤兎は刀を鞘に戻し、ついでに一緒に弁当を食べることにした。赤兎はダンジョン攻略で消耗していたし、ジャックも待ち伏せで精神的に疲れていたからだ。
それに……互いにその実力を垣間見て、話してみたくなったという部分もあった。
そして、赤兎はジャックの『間違えた』という言葉の意味を知った。
「へえ、パーティーしか襲わないのか」
「そういうこと。レイド相手でもいんだけど……ここのダンジョンのラスボスがついさっきやられたってゲーム進行情報を見たからさ、その攻略レイドが出てくるかもしれないと思って来たんだよ……赤兎一人だったから、人違いなんだなってわかったけど」
その言葉に、赤兎は表情を固くする。
実はジャックの見立ては間違いではなかった。このダンジョンのラスボス『青龍』は赤兎によって倒された……だが、赤兎はそれを一人でやり遂げた。何百回という挑戦の末、レイドボスを一人で倒したのだ。普通はそんなことはしない。ジャックが人違いだと思うのも無理はない。
だが同時に、それはジャックがレイドボスを倒してしまうようなレイドを一人で襲おうとしていたということを意味する。たとえ、レイドがボス戦で消耗した後でもその装備や熟練度は相当に高いはずだ。
それを一人で相手にしようとするなど、まるで特攻のようだ。
「それは……ボスを倒した報酬を横取りするためか? だったら流石に一人でつっこむとかやめた方がいいと思うんだけどさ……」
「別に攻略報酬とかはどうでもいいよ。ボクはただ……強くなりたいだけだから」
「強くなりたいって……レベル上げやるならそこらのモンスター相手にした方が効率いいだろ? 死んでばっかりじゃペナルティーがバカにならねえし」
いくらゲームが死んでも生き返れるという世界観だとしても、所持金や装備は死ぬ度に奪われ、失われる。相手がプレイヤーならペナルティーはモンスターのそれよりさらに大きい割に、勝っても経験値の取得は少ない。プレイヤー同士での形だけの『殺し合い』で経験値稼ぎをされるのを防ぐための設定だろう。その効率を考えれば普通のPKは装備品や所持金の強奪を目的とするものだ。そして確実に敵を殺せなければ損をする。
しかし、目の前のプレイヤーキラーは……強い口調で言った。
「ボクが欲しいのは、そんな数字だけの強さじゃないんだ。ボクは、ゲームのスコアやお金をとりたいわけじゃない。ボクは……みんなの心に『傷痕』を残したいんだ。誰もボクを……『ボク達』がいたことを忘れられなくなるような、そんな強さがほしいんだ」
しばらくして神出鬼没の殺人鬼(PK)として畏れられることになるジャックの言葉を、その時点で赤兎が完全に理解できていたとは言い難い。
ジャックの言葉の背景には、仮想世界で必死に生き、人知れず死に、いつしか忘れられたギルドがあり、これから死に行く少女の想いがあった。それをそれだけの言葉から推し量るなど、できるわけもなかった。
だが、それでも共感することはあった。
たった一人で、敢えて不利な状況でパーティーやレイドに挑みかかるジャック。
たった一人で、勝てるわけもないボスモンスターに挑む赤兎。
二人が求める『強さ』とは、似たものだった。
弱いモンスターを狩っていればいつしか手に入る楽な強さではなく、本当に手に入るかもわからない無謀の先にある……自らに誇れる強さ。
二人の邂逅は、肩がぶつかった程度の劇的とは言えないものだった。
昼食を食べながら、大して意味もない世間話をしただけだった。
だが、二人がこの出会いを忘れることはなかった。
きっとわかっていたのだろう。
互いに、無意識に予知出来ていたのだろう。
二人のその『強さ』を、互いの刃を以て見せ合うことになることを。
《現在 DBO》
5月25日。夜のフィールドにて。
闇の中、刃が輝く。
振り下ろされる刀の切っ先が、円弧を描く。
その太刀筋に淀みはなく、その動作に隙はない。
だが、刀を握る赤兎はさらに上を目指す。
目の前にイメージするのは、一回前の素振りをする自分。
そして、前よりも速く、より力強く、隙なく刀を振り下ろす。
今までの弱い自分を斬り伏せ、さらに強い自分を作り上げる。
神経が研ぎ澄まされ、集中しながらも感覚が拡張されていく奇妙な感覚を覚える。
周囲の空間に溶け込んでしまうような、一瞬先まで見えてくるような感覚。
そして……
「……来たな」
赤兎は気配だけを頼りに、振り返りながら刀を振り下ろす。
そして、その軌道に飛び込むように……黒塗りのナイフが飛来し、空中で両断される。
「ふーん……昨日よりマシになったみたいだね。で、人は殺せるようになった?」
そこにいたのは、不意打ちしたことを悪びれもせずそう言い放つ仮面のプレイヤー……ジャック。
先日と同じ黒い革のジャケットに、白い骨の鬼面。仮面の下に籠っていて男女の判別のつかない声。腰のホルスターには赤い刃と単発の古式銃。
そして、全身から溢れる殺気。
しかし、赤兎にはその姿が昨日と違って見えた。
前は大きく見えたその姿が、今はどことなく小さく……自分より若いように見える。公式発表で言われている身長より背が小さく髪が短いのは……戦闘に邪魔な『変装』を解いているためか。
冷静になって改めて相手を確認し……赤兎は、確信する。
「やっぱ……あの時のジャックか」
「ん? もしかして偽物かと疑ってたりした? 本物の殺人鬼じゃなくて、格好だけ真似た偽物だったら殺されずに済むとか? ……もしそう思ってたんだったら、がっかりだよ」
「いや、そういうことじゃなくてな……」
赤兎は両手で刀を構え、ジャックに正対する。
「久しぶりだな。また、腕比べでもやらないか?」
その佇まいに隙はなく、気配は凪いだ海のように穏やかで……その雰囲気は、より研ぎ澄まされた刀のようだった。
その静かながらただならない様子に、ジャックはホルスターから武器を抜く。≪血に濡れた刃≫を右手に『銃』を左手に握り、軽く腕を後ろに引いていつでも突き出せるように構える。
そして、臨戦態勢に入りながらもため息を一つ吐く。
「はあ……なるほどね。練習で殺す相手がいなかったから、自分を殺しに来るボクを殺そうと思ったわけか。確かに正当防衛だし、生存本能に乗っかれば殺れるかもしれない……でも、その目論見は甘すぎるよ。それだったら、普通にボクがキミを殺して終わりだ」
しかし、そんな様子のジャックを見て……赤兎は笑みを浮かべて答えた。
「何の話をしてんだ? 俺はただ、久しぶりに会ったGWO時代からの強敵に戦闘(PVP)を持ちかけてるだけだぜ? 殺すとか殺されるとか、そんなこと考えちゃいないさ」
その答えに、ジャックは首を傾げた。
「あれ? 昨日言ったこと忘れちゃったのかな、『明日までに人を殺せるようになってないと殺す』ってやつ。それとも、まさかそっくりさんだったとか言うつもり?」
「ああ、そうだよ……最初に会った時と同じ、ただの人違い。昨日お前が会った時とは別人だと思えよ……今度はちゃんと、お前のご期待に添えるようにするから、名誉挽回させてくれ」
その瞬間、赤兎は一気にジャックに間合いを詰めていた。
「っ!!」
振り下ろされる刀。
ジャックは咄嗟に横っ飛びに回避する。
『縮地』……格闘技や剣術などの中にある、瞬間的な高速移動の動き。正確には相手の意識の隙を突き、最も効率よく一歩一歩の歩幅を広げて素早く移動する技能だが、うまく決まると相手には瞬間移動のような現象が起きたと錯覚させられるような効果がある。
ジャックが咄嗟に回避できたのは、込められた『殺気』を感知して攻撃を『予知』できたから。
赤兎の流れるような斬り下しの動作と移動技術があれば、大抵の者は一撃に斬り伏せられていただろう。
しかし、そこは殺人鬼ジャック。
回避しながらも、反射的に銃口を赤兎に向け、引き金を引き絞る。
狙いは頭部。銃口から発射される≪ダムダム弾≫の対人破壊力を考えれば、最前線プレイヤーだろうと一撃で致命傷となる部位だ。
そして、その躊躇がなく、むしろ条件反射のような『殺し』の狙いは正確だ。
普通なら、奇襲を仕掛けた直後のその瞬間に飛んでくる報復には反応しきれない。殺られる前に殺ろうとして、いつの間にかやはり自分が死んでいたということになるようなそんな完璧なタイミングでの一発。
しかし、そこは最強のプレイヤー赤兎。
銃口が向けられるその僅かな時間の間にそれを感知し、カウンターの一発が飛んでくることを予知。さらに、その狙いを頭だと察知し、さらに縮地を使ってジャックの避けた場所を突っ切るようにして前進し、射線から逃れる。ジャックの銃の引き金にはもう十分な力が伝わっていた。発射を踏みとどまる暇はなく、その一発は無駄撃ちに終わる。
しかし、ジャックもそれはわかっていた。
ジャックは銃口を赤兎に向けるために振られていた腕の軌道を微妙に調節し、銃口を地面に向け……予定通りに弾が発射され、その反動で跳んでバランスを崩していたジャックの身体の姿勢を回復すると同時に、強い反動に振り回されたような……便乗したような動作でハンマーのように重い銃が赤兎の背中に叩きつけられる。
しかし、そうなる直前にはもう赤兎はそれを迎え撃っていた。
銃身の筒部分が分厚い鉄となっているためかなりの質量を有する銃を、後ろを向いたまま自分の腰の鞘を掴んでもう一振りの刀のようにして銃を止めている。
打ち合わさった互いの武器。
数秒の沈黙の後……二人は、申し合わせたように一気に離れる。
そして、もう一度距離を取った状態で正対し……異口同音に言った。
「「……強くなったな」」
互いに未来を見ているような戦闘。
もはや不意打ちや騙し討ちで相手にダメージを与えることはできないレベルの、純粋な強さ比べ。
二人は、余計な言葉を交わすことなく仕切り直す。
赤兎は刀を鞘に戻して腰を低くした居合いのように構え、ジャックは刃を逆手に握って銃の弾を再装填し、ホルスターに戻してガンマンの抜き撃ちの態勢のように構える。
そして、二人の間に嵐の前の静けさのような静寂が満ちる。足下の草も、風も……何もかもが緊張したように動きを止めた。
十秒……二十秒……三十秒……
一陣の風が吹き抜けた瞬間……二人は同時に動いた。
「シュッ」
「んりゃ!」
鋭い息と共に踏み込み、血のように赤い刃を大袈裟斬りに振るうジャック。しかし、素早く抜刀した赤兎の刀に弾かれ、その攻撃は届かない。
だが、それは計算の内。ジャックの目的は刀を『抜かせる』こと。油断のない居合いの構えは刀より間合いの狭いナイフで突破するには相性が悪く、赤兎自身の反射神経を考えると単発の銃弾を真正面から撃ったところで当たりはしない。その条件を崩すために、あえて迎撃しやすい形で斬りかかった。
赤兎は予想通りにナイフを弾き飛ばし、それを離すまいとしたジャックの右手が引っ張られて跳ね上げられる。
そして、ジャックと同じように攻撃の衝突でジャックほどでないにせよもう一度斬りかかることの難しい態勢となった赤兎に、右足の靴底のギミックを作動させ、飛び出させた鋭利な刃を使った蹴りを叩き込む。
態勢が悪く蹴り自体には本来の威力はないが、飛び出た刃は確実に赤兎の胸を抉ろうとする。
しかし、赤兎はそれを刀の刀身ではなく柄で受け止め、自身から狙いをずらす。
ジャックは左足のギミックも作動させて赤兎の頸動脈を狙うが、赤兎は刀を持っていない素手でその刃を弾く。
その瞬間、技名を叫ぶ。
「『ドラゴンズブラッド』!!」
籠手や防具をつけていない赤兎の身体は赤いエフェクトで包まれ、HPダメージを受けない『無敵モード』となる。パワーやスピードも上がり、ジャックの蹴りは予想以上の抗力にはね飛ばされる。
ジャックはその勢いを即座に利用して着地し、赤兎は納刀し直す時間もないのを悟り、上段に構える。
そして、ジャックは急接近し……踏み込むと見せてブレーキをかけながら、『無敵モード』の赤兎の右肩を狙って銃口を向ける。
赤兎はその射線を避けながら踏み込もうとして……
ヒュンヒュン
「っん!?」
「チッ」
ジャックの『右袖口』から飛び出た小さな矢を目に受けそうになり、危うく回避。
その袖口には、闇雲無闇との戦闘で見たことのある小さな筒のようなものが取り付けられていた。『袖箭』という、バネで矢をとばす暗器だ。強いバネを使うため装填が手間なものの、小さい割に威力が高く、片手でも撃てる。それに、発射音もほとんどなく、小さくて楽に隠し持てるために暗殺の武器として優れた一品。
飛道具が単発銃だけだと思って警戒を怠っていれば、避けられなかったはずだ。
しかし、避けられるのも計算の内。
矢を避けたことで、銃弾を避けようとした動きが僅かに遅れて肩に弾が『掠る』。
ドゴッ
「がっ!!」
まるで、現実世界の身体で金属バットを肩にぶち当てられたような衝撃に身体が大きく揺れる。そして、その瞬間を狙って突き出された《血に濡れた刃》が赤兎の左腕を斬りつける。とっさに受け流したので傷口は深くないが……ダメージが発生し、『痛み』が襲ってくる。
「ぐ……んら!!」
赤兎は更なる連撃を受ける前に刃を払いのけ、全力で後方に跳躍して態勢を立て直す。
そして、それと同時に驚きの声を上げる。
「ぐ……俺の『ドラゴンズブラッド』を、破ったのか」
赤兎の『ドラゴンズブラッド』は、発動中HPが減り続ける代わりにダメージを受けなくなる技。その最大持続時間は約五分、その間パワーもスピードも上がり『無敵モード』と呼ばれる状態になる。その効果は数ある固有技の中でも頭一つ抜けて強力だと周りから言われることもある。
しかし、赤兎自身はその技を使い続けてその不完全性を知っている。
第一に、ダメージを遮断すると言っても、それは目に見えやすいHPのダメージに限った話。プレイヤーの身体には部分耐久値というものがあるが、そちらのダメージは多少減少しても遮断はされない。
そして、部分耐久値は言わば『負傷の度合い』を反映したステータス。可視化されないながらも、尽きればその部位が思うように動かなくなり、場合によっては切断されたりもする。それに、小さな攻撃ならまだしも《ダムダム弾》のようなアバターの破壊を目的としたような強力な一撃では戦闘に支障の出るレベルの『負傷』を負いかねない。
『ドラゴンズブラッド』の厄介なところは、なまじパワーもスピードも上がっているため、その『負傷』に気付かずに戦えてしまうところ。そして、ダメージを受けないため普段にまして攻撃の回避が疎かになるということだ。
HPバーが減らず、痛みも軽減され、動きもステータスのブーストでほとんど悪くならないため自覚しにくいが、受けた受けたダメージはアバターを痛めつけ、毒や呪いも効果中はかなり軽減されるが蓄積する。
プレイヤーの発揮できる筋力などの上限は、その動きをするために脳から送られる『意志』の強さ次第では普段の行動でのステータスに決められた限界を超えることもあるが、その分苦痛と身体への負担を伴う。『負傷』した状態で限界までステータスを行使すればアバターはさらに目に見えないダメージを加速度的に蓄積していく。
簡単に言ってしまえば……『無敵モード』は、完全ではない。過度なダメージで気付かぬ内に四肢が動かなくなることもあるし、解いた瞬間溜め込んだダメージの『反動』で完全に動けなくなることもある。
もう既に赤兎の右肩は動きに支障が出るレベルでダメージを受けている。これを無視して無理やり力を振るい続ければ、その内急に腕が動かなくなるかもしれない。
それに悪いことに、ジャックの《血に濡れた刃》は『無敵モード』のダメージ遮断を無効化し……貫通するらしい。実のところ、赤兎は今までのモンスターとの戦闘などでも『無敵モード』を透過したり無効化したりしてダメージを与えてくる呪いや、HPに関係なく頭を食いちぎろうとしてくる魔女の即死技などを経験したことはあるが……ジャックほどの技の持ち主に、その組み合わせはヤバい。決定的な隙を作った瞬間に致命傷を負わされる危険がある。
これは、ダメージがどうのという問題ではないのだ。
ジャックのナイフも、赤兎の刀も相手の命を奪うに足る威力と危険性を持ち、そして互いがそれを『敵』として相手に向けている。
一本が……一撃が生死を分ける、『真剣』勝負。
そう……いつか赤兎が夢に見た、遊びではない本物の剣士の戦い。
湧き上がる恐怖。
それと同時に決まる覚悟と、囁かな高揚感。
そして、心のどこかにあった……『剣士を気取ったところで所詮偽物だ』という甘えと劣等感を吹き消し、溢れる『本物』としての自覚。
「ジャック……ありがとな」
赤兎は『ドラゴンズブラッド』を解除する。
どうせジャックの前では気休め程度の守りの能力だ。こんな真剣勝負の中では、心に甘えを生むだけだろう。
戻ってくる肩の痛みと、『鎧』を脱ぎ捨てた恐怖。
しかし、それでいい。目の前の相手を前に痛みや恐怖を消すことは反応を遅らせることに繋がる。その二つは、生き延びるために必要な感覚だ。
ジャックが銃に弾を込めるのも止めはしない。
それはジャックの選んだスタイルであり、反則ではない。ジャックは装填中に攻撃されても、むしろその隙を囮として致命的なカウンターを見舞ってくるのがわかる。あちらとて、リスクを負ってその戦い方を選んでいるのだ。
銃とナイフの二刀流vs日本刀の真剣勝負。
刀より間合いの広い銃と、刀より至近距離で絶大な効果を発揮するナイフ。その組み合わせは、赤兎への対策の結果なのだろう。
手段を選ばず、あらゆる手段で相手を殺す殺人鬼……しかし、実のところは多彩な手の中で誰よりも手段を選んでいる。
それが、真剣に闘おうとしていないわけがなかろう。
相手にとって、不足はない。
「俺が剣なんて始めたのは……映画で見た『侍』に憧れたからなんだ。本物の、強い侍になるのが夢だったんだ」
いつか夢に見た、誇りと命をかけた決闘。
その証とばかりに、赤兎は『鞘』を捨てる。少しでも装備を軽くし、同時に自分自身の心から、刀を鞘に収めて途中で戦いを降りるという退路を無くす。
「もう本物なんていないって言われても、諦めきれなかった。腕さえ磨いていれば、いつか本物になれるんじゃないかと思ってたけど……今時、そんな俺に真剣に向き合ってくれる相手なんていなかったんだ。だけどな……」
赤兎は、覚悟と闘志の混ざり合った本当の『武者震い』というものを体感した。
「夢が今、叶ったぜ!」
ジャックと赤兎は衝突する。
刃と刃を打ち合わせ、弾丸の射線という『見えない刃』を避け、途中混じる蹴りや爪による牽制を腕や肩で弾き、暗器を両断し、急所を狙う刃をかわし、斬り返す。
その速さは互いの反射神経の極限までたどり着こうとするように、打ち合うごとに上がっていき、互いに相手の動きを予知するように先を読み合うことで対応する。
そして、その中で相手の動きの癖や隙を探し、逆にフェイントや誘導をかけて駆け引きをしながら身体もフルで動かす。
一見拮抗し、停滞しているように見えるが、着実に決着への布石を積んでいく。
そして……何百手という攻防の後、ジャックの暗器が尽きたらしいタイミングで……赤兎は感じ取った。
次の一手で、勝負を仕掛けてくる。
無数のフェイントと牽制の後、すぐさま跳び下がり刀の間合いからギリギリ外れた位置で銃口を赤兎に向けるジャック。その狙いは赤兎の胸のど真ん中……心臓の位置。今までの牽制とは違う、本当に当てるための寸分違わぬ狙いはこの距離で外すことはないだろうと確信させる。
赤兎の思考が加速し、全ての動きがスローモーションになったかのように感じる。おそらく、生命の危機と戦闘への集中力が可能にした高速思考。その中で、赤兎は考える。
踏み込んで斬りかかれば、体重が移動したその瞬間に撃たれる。
左右に避ければ、ナイフでの追撃で致命傷。ジャックの反応速度ならどう避けても対応してくるだろう。
わざと受ける……という選択肢はない。一度体感したあの弾丸の威力は『肉を斬らせて骨を断つ』という作戦に対して、『肉も骨も内臓も爆散させる』という結果をもたらすレベルだ。
あからさまに致死の急所を狙っているのは、敢えて避けさせるため。それにより決定的な隙を作り、これまでの攻防で掴んだ赤兎の防御の癖を突く。
ならば赤兎が取る手は……一つだけだ。
ジャックが引き金を引く……その瞬間、赤兎は身を伏せながら刀を地面に引きずるように……居合いのようにして、踏み込んでいた。
受けてはいけない。
避けても追撃を受ける。
ならば……その追撃に斬り返すつもりで踏み込む。弾丸を避けながら、下から上へ斬り上げるように必殺の一撃を放つ。
ジャックは対応しようと狙いを動かすが、追いつかずに射線から外れ……
十数個の破片に分裂し、その破片の一部が赤兎に襲いかかる。
「さ、散弾!?」
赤兎は予想外の攻撃に対応しきれなかった。
単発の弾丸の射線から『広がる』散弾は、破片一つ一つの威力こそ小さくなるが当たる範囲は広く、至近距離なら命中率は格段に高くなる。
散弾の破片の一つが運悪く赤兎の目許を掠め、赤兎の一刀が……ジャックにかわされた。
ジャックは反動を受けた銃だけを放り出して、《血に濡れた刃》を手に、刀を振り抜いた赤兎の懐に入り込み……ジャックの『必殺』を見舞う。
「『マーダーズ・バースデイ』!!」
システム的に決められた技のモーションをジャックの意志で加速させた、全身の急所を狙う十二連撃。
最初の四撃は、相手の手首と足首を切り裂き、その抵抗力を奪う。
「ぐぁ!!」
斬りつけられた赤兎の右手から、刀が弾け飛ばされる。
刀を落とさせることに集中したのか手の腱は断ち切られていない。それに、赤兎も直感的に僅かに後退ため、他の四肢も傷は深いが動かせないほどではない。
しかし、それで十分だった。刀を取り落とし、赤兎にはもうジャックの攻撃を受け止める武器がない。直感的にわかる。この技はここで終わりではなく、赤兎が死ぬまで続く技だ。
ジャックの致命を狙う刃が煌めく……その瞬間、赤兎は足下に何かを感じた。
後退したときに踏みつけた何か……それは、刀と同じだけ彼が使い込んだアイテム。
覚悟の意思表示として捨てた……刀の鞘。
それが、一秒後には八つ裂きにされるであろう赤兎の足に引っかかるように置かれている。
まるで……彼を待っていたかのように。
「ん…だぁっ!!」
「…!!」
赤兎は、頸動脈を狙った一撃を背中から倒れながら回避する。もちろん、倒れてしまえばもう次の一撃は回避できない。一瞬だけ延命できたところで、待っているのは死だ。
だが、それが反撃の一撃に繋がっているのならば、話は違う。
赤兎は倒れながら、足に引っかかった鞘の端をもう片方の足で踏んで跳ね上げ、僅かに上がったそれを倒れながら、腰を大きくひねりながら掴む。
ジャックは突然現れた……意識すらしていなかった『鞘』を予知できなかった。そもそも、赤兎すら今の今まで忘れていて、ジャック自身も危険はないと意識の外に置いていたのだ。
そして気付く。
懐に入り込んでしまえば、ナイフの間合いは刀に対して圧倒的に有利になる。だがしかし……ほぼ仰向けに倒れた態勢の赤兎と立って追い討ちをかけようとするジャックの間の身体の間の距離は、刀の間合いだ。
「はぁあ!!」
「しまった……!!」
赤兎がもはや転がるような動きで鞘を振るい、不意をつかれたジャックのナイフが弾き飛ばされる。
そして、赤兎はすぐさま鞘を構え直し……地面に背をつきながら、身体に染み着いた素振りの動きでそれを振り下ろす。
それは、今までの全ての素振りを超える……反応しようもない、最速の一撃だった。
「ガ……あっ……」
鞘はジャックの鬼面を叩き落とし、その露わになった素顔に突きつけられる。
そして、赤兎は疲れ果てた……しかし満足そうな顔で笑った。
「一本取ってやったぜ……黒ずきん」
同刻。
『降伏勧告』の混乱で復興が中止されている大空商店街では、ある『少女』が歩いていた。
しかし、それは地面ではなく屋根の上。しかも、作りかけの不安定な骨組みの上だ。
『少女』は、屋根の上を進み……大蛇の頭の上に座る金髪の少年プレイヤー『キング』に声をかける。
「準備運動がてら受け取りにきたよー。あれ、用意してあるんだよね?」
キングは答える。
「ああ、あいつの頼みだし、爺さんも文句は言わねえだろ。くれてやるさ……で、あんたに渡せば良いんだな? ちゃんと使えるのか?」
「あ、心配ないよー。ていうか、『私』しか使いこなせないから頼まれたんだしね」
キングは、蛇に合図を送り尾に括り付けてあった包みを屋根の高さに上げさせる。それは、『少女』には不釣り合いなサイズの大剣を布で包んだもの。
キングはその包みを躊躇なくほどく。
そして、落ちるそれを『少女』はまるで金魚すくいでもするかのように軽やかにキャッチし、間近で見て……満足げに言う。
「うん。ジャッジマンの育てた魔剣《地雷剣クレイモア》……確かに、受け取ったよ」




