161頁:引き継ぎは生前に済ませましょう
幻影が消えていく。
針山が記憶を取り戻し、マリーの幻影が役目を終えて消えていく。
ジャックの目の前には、『お嬢様』に忠誠を誓った針山のイメージが残留している。
理解しやすいとは言えない、血に汚れ殺意に歪んだ邂逅を、ジャックは複雑な表情で見つめる。
「……針山の、『お嬢様』との出会いって……もっと、キレイなものかと思ってた。互いに惹かれ合って、殺しとは無縁な時間を一緒に過ごしたとか、そういうのかと思ってた。だけど……あれじゃあ、惹かれ合うどころか心を『奪われた』って感じだね……まるで、あの子が初めから針山の中の『特別』だったみたいに……」
『あなたは私達の中でも特別ですから』
ジャックの脳裏に、初めて会ったときに針山が言った言葉が蘇った。
そして……何かを察したようにマリーを見やると、マリーはそっと頷く。
「彼女は『貴族』『狂王』『希少種』『悪のカリスマ』……あるいは『悪鬼』と呼ばれる個体です。殺人鬼は基本的に『群れる』ことはありません。そもそもが突然変異的に発生するため他の殺人鬼と出会うことも少ない。仮に会っていても、環境によっては自覚がない。そして何より、大量に人を殺してしまう殺人鬼が密集すれば人間達からの発見の危険が跳ね上がって『駆逐』されてしまう。元より、孤独な人種です。しかし……極稀に現れるんです。それを覆し、他の個体を統率して導くことができる能力を持つ個体……『天性のカリスマ』のような物を持つ個体。それが、あなたやサツキちゃんです」
鬼の頂点に立つ、種の特異点。
「じゃあ……針山は、『ボク』じゃなくて……その能力のことを『お嬢様』って……ボクがたまたまその能力を持ってたから、そう呼んでたんだね。なんか……やだな……」
ジャックは俯きがちに、弱った声で呟く。
針山だけではない。エリザが最初から異様に懐いて来たのもおそらく……
「……落ち込んでいるところすみませんが、誤解しないでください。能力と言っても、別に暗示や洗脳で意志に反して従わせるわけではなく、殺人鬼の『理想像』に近いだけ、普通の人間にとっての『カリスマ性』に近い特徴を持っているだけです……そんな特徴を持っていたところで実際に触れ合って本人に魅力がなければ、誰も言うことなんて聞いてくれません。特別な物を持っているから皆が惹きつけられるではなく、皆が惹きつけられるから特別なんです。それが、あなた自身の能力で、生まれ持った特徴はあなた自身の大切な構成要素だというのを忘れてはいけません」
「でもそれって、結局ボクがたまたまそういうタイプだっただけじゃないかな? たまたま美形だったようなものっていうか、殺人鬼受けしやすく生まれただけっていうか……カリスマなんて持ってないし……」
「生まれ持った容姿や才能に関しての意見は人それぞれだと思いますが……私から見ても、ジャックちゃんは人格的にリーダーの素質がある方だと思いますよ? 強くて、芯が通ってて、なんだかんだ言って『仲間』の危機を放っておけない……立派な兄貴肌の素質がありますよ」
「一応ボク女の子のつもりなんだけど……そうじゃなくって、針山のことだよ」
ジャックはより一層表情を曇らせる。
「針山にとってボクは……あの『サツキお嬢様』の代わりなんでしょ? 前ボクが死んだって言われたときの針山さ……『サツキサマ』って言ってた。これは再現だけど、元々のあの子は……死んじゃってるんでしょ?」
ジャックも、大事な人を失ったことがあるからわかる。
心に空いた穴を埋めようと、似た誰かをその代わりに据えるのは珍しいことではない。ジャック自身、一度はライトを拠り所としようとしたのだ……拒否られたのだが。
実際に代替させられる側の気持ちになってわかった。
目の前の相手が自分ではなく、自分に重なった誰かの像だけを見ているというのは……とても、寂しい。それが、相手の大切な人であるほど、自分に良くしてくれるほど、自分を見ていないとわかって……
「他人のものを勝手に使ってる感じ? でも、自分も相手も悪くないからその罪悪感と気持ち悪さをどこにぶつけていいかわからない……なーんてね! サツキには、そういうのよくわかんないよー」
唐突に……最後まで残っていた『サツキ』の幻想が、ジャックの顔を覗き込んだ。
そして……幼い笑顔で、ニッコリと笑う。
「はじめましてだね、今の『ジャック』さん。わたしはサツキだよ、よろしくねー」
「あ……う、うん。よろしく」
ジャックは驚きを顔に出さないように、素早く考える。
死者の幻影に話しかけられる……不思議なことはない。
マリーの幻影は夢と同じ。何でもありだろう。
それに、彼女はライトが思考パターンを『呼び出した』存在。降霊術のようなものだ。
ただ……彼女のあまりの『純粋さ』には、驚きを隠せなかった。
あまりの幼さに、思わず目のくらみそうな裏表のない笑顔。
そして、同時にそれを許さない、純粋な殺気。
隙を見せれば、振り向きざまに頬を指でさす悪戯を仕掛けるのと同じような感覚で命を狙ってきそうな、剥き身の刃のような少女。
しかし何故だろう……ジャックには、そんな彼女が『恐ろしい』とは思えなかった。
幻影だとか、戦力差とかとは関係なく……彼女を『敵ではない』と感じたのだ。
殺気は、お互いを知るための挨拶のようなもの。
彼女の真意はその笑顔……『同族』に出会えたことを心から喜ぶ、その心だ。
『サツキ』は、ジャックの隣のマリーの方を向き……ニッコリと笑う。
「メイド長ちゃん、ひさしぶりー」
「はい、お久しぶりですね『お嬢様』」
『メイド長』と呼ばれ、当然のようにそれに応えるマリー。マフィアの会食に給仕として潜入していたこともあるそうなので、メイドくらいやっていてもそれほど不思議ではないのだろうが……その表情は、どこか寂しげに見えた。
「ちょっとおっきくなったね! 特におっぱいとか!」
「あなたが亡くなられてから何年か経ちますからね。ところで、『お嬢様』……いえ、サツキちゃん。『先輩』のことですが……」
一瞬、ジャックには認識できない会話があった。
マリーが認識を操作したのだろうが、その会話の雰囲気からマリーがサツキに謝っているように見えた。
しかし、『サツキ』はそれを全く気にしないというように手を振り、唐突にジャックの方へ向き直る。
そして、ジャックの目を見据えて……今までの無邪気さとは違う、優しい笑顔を見せる。
「うん。わかってる……あなたのことは白角くんから聞いて知ってるよ。それに、サツキ自身の目で見て……ちゃんとあなただってわかった。だから、ちゃんと認めてあげる」
『サツキ』は優しい手つきでジャックの顔を引き寄せ、その額に自身の額をくっつける。
たったそれだけの行為に、ジャックは異様な感覚を覚える。
まるで、全身の全神経がそこに集まったように相手の存在を感じる。
あるいは人間の額に『第三の目』の名残があると言われるようが、本当に今までは意識しなかった特別な感覚器でもあったのかもしれないと思わず思ってしまう……それこそ、『角』のように。
意識が集中し、そこだけが突出して相手に触れているように錯覚する。
その錯覚はマリーの幻想が作用したものなのか、あるいは根源的な何かを垣間見たのかはわからないが……ジャックは、同族同士で小さな角をすりあわせて心を伝え合う鬼をイメージした。
そして、『サツキ』は間近で告げる。
「酒天童の子が、茨木の子に全てを託します。あなたは、わたしの正式な後継者。鬼の一族を束ねる女王様。そして……生きている内に会うことはなかったけど、サツキの大事な家族。まだ生きてるみんなのこと、頼んだよ……サツキたちは、いつも見守ってるから」
ジャックは幻想の世界とともに消えゆく『サツキ』の背後に最後の幻影を見た。
『サツキ』だけではない。
何人もの人影がその後ろに立っている。
いや、もしかしたら『人』ではないのかもしれない。人の歴史の陰で生き、死んでいった者達。争いの絶えない人類の歴史の中、『殺し合い』というデスゲームに身を投じたかつての殺人鬼達。
そのバトンが今……茨愛姫に受け継がれる。
「わかった……受け取ったよ、みんな」
「ん……ここは……」
「あら、起きましたか? おはようございます、ジャックちゃん。」
ジャックが目を覚ますと、マリーに膝枕されて頭を撫でられていた。暗示を解くための行為なのかもしれないが……目覚めてすぐマリーの人形のように整いすぎた美顔を見て不意にドキリとした。心臓に悪い。
「……針山は?」
「さっき起きましたが、疲れていたようでまたすぐ眠ってしまいました。でも、状態は良好でしたよ。それに……こう言ってましたよ『サツキお嬢様から、お暇を頂きました。今生、命尽きるまでは私の意志で生きろと』」
マリーの言葉に、ジャックは嘆息する。
『お嬢様』から、死ぬまでは自由に生きろと命令されたのなら……もう、ジャックを彼女の代わりにする必要はない。
当然、代理人だったジャックに仕える理由もなくなる。
関係性のリセット……だが……
「ま、それならそれで良いけどね。ボクはボクの魅力で針山を味方にするだけだからさ……その上で、ちゃんと認めさせて受け継ぐよ」
ジャックが立ち上がろうとすると、不意に目眩が襲ってきた。
マリーが背を押して倒れないように支えてくれる。
「無理はだめですよ。今のあなたは精神的にちょっと不安定になっています。誰かの心に触れ、その一部を受け取るというのは楽なことではありませんから。ライトくんやメモリちゃんはともかく、あなたは少し休んだ方がいい」
「ライト……メモリ……そういえばあの二人は?」
改めてはっきりと部屋の中を認識する。
幻想を仕掛けた名残か、壁に山林や屋敷の絵が貼られた宿部屋。ベッドには針山が寝ていて、ジャックはその脇でマリーに膝枕されていたらしい。
そして、他には誰もいない。
「お二人なら、用が済んだといって出て行かれました。なんでも大きな準備があるらしくて……ただ一言『ナビキは任せろ、他は任せる。手段は問わない』と……」
簡潔なメッセージ。
しかし……言いたいことはわかった。
ライトは遠まわしにこう言っているのだ。
「ひっさしぶりに……堂々と殺せるってわけね」
ジャックは何から始めようかと……誰から殺そうかと、受け継いだ殺人鬼の心で考え始めた。
同刻。
『あ、白角くん! ひさしぶりだね!』
『あらあらまあまあ、懐かしい顔ぶれ?』
『サツキさん……それに静さんも……どのくらいぶりだろう。元気でしたか?』
『死んじゃったよ!』
『元気とは……言い難いかもねぇ。霊みたいなもんだし』
『なんだよ、新入りか? しかもその内片方はオレと似たようなもんだな』
『あ、あんまり怖い人が増えるのはちょっと……』
『あれ? なんか可愛い娘いるじゃん。やった、ようやくちゃんとした女子が来たよ!』
『~♪』
新しい魂の入力に波立つ精神世界。
そして、その中心で人格の取りまとめ役である『三木将之』の人格が呟く。
『「ネバーランド」とか生産系の面子と総入れ替えして……戦力としてはこんなもんか。あと何人か集まったら……勝負といこうか、ナビキ』




