157頁:回想には正しい認識が必要です
ストーリーの進みが遅くてすみません。
6月24日。
エリザとの話し合いの後、ジャックはマリーを訪ねて頭を下げた。
「お願いします、針山を助けるのを手伝ってください」
マリーはその深々と頭を下げた姿から……察する。
「……とりあえず、話を聞かせてください」
ジャックは、意を決して話し始めた。
針山の精神が、マリー以外にはどうにもできないほど危険な状態にあるのだと。
弱っているところを発見して連れ帰ってからほとんど寝込んでしまっていて、しかもここ一週間以上うなされ続けていると。
「……どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか?」
「……ボク一人でなんとかするつもりだった。でも、エリザの話を聞いて……問題は個人での敵討ちってレベルじゃないってわかったから……」
洗脳されたナビキ。
精神的に大きな傷を負わされたらしい針山。
この二人を知って……相手が並みの手段を使っていないと感じ取った。
敵を殺すだけでは……針山を救うことはできない。
その様子を見て、マリーは嘆息する。
「はぁ、エリザちゃんといい、針山くんといい……殺人鬼は助けを求めるのが苦手ですよね。他人に弱みを見せない性質はわかりますが、もう少し頼って欲しいものですよ……こちらは、いつでも頼ってくれるのを待っているんですから」
マリーはおもむろに、メニューを開き、メールを操作する。
そして、すぐさま届いた返信を見て……ジャックに優しく微笑んだ。
「こんな時は人を頼るのが正解です。ライトくんも、もうジャックちゃんの様子がおかしいのに気付いてスタンバイしてくれてるみたいですよ?」
ジャックが針山のいる宿部屋を連絡し、ライトとは現地集合となった。
そして、そこには……
「わー、黒ずきんのおねえちゃんだー!」
宿部屋のドアの前にはライトと一緒に、ギルド『OCC』の後衛プレイヤー……メモリがいた。
ブックバンドでランドセルのように大きな本を背負う小学校高学年くらいの少女。その髪は赤茶色で、小さな体躯や無邪気な表情と合わさって人形のような印象を受けるが……侮ってはいけない。
ジャックとの交流は少ないが、最低限の情報は以前に針山から聞いている。
『称号』を二つ、『ユニークスキル』を一つ持ち、戦闘スタイルは魔法特化。全属性の魔法を網羅し、攻撃防御支援補助……全ての局面、役割に対応して即座に詠唱を完了させる。なんでも、特異な記憶力を持ち、普通のプレイヤーが憶えきれない多彩な種類の呪文を完全暗記しているらしい。
ジャックも『闇属性魔法スキル』を持ち、その呪文をいくつか憶えているが……正直に言って、基礎的な魔法だけならともかく、複雑な高等魔法の詠唱など戦闘中にスラスラと唱えられるほどに憶えるのは一種類だけだろうと至難だ。例えるなら、魔法の呪文を使いこなすというのは外国語の修得に近い。しかも、魔法の属性が違えばその言語パターンもまた別の異国語のように変わってくる。スキル取得直後に修得する基本的な魔法はいわば『こんにちわ』程度の簡単な挨拶程度の難易度しかない。しかし、召喚術のような高等な魔法を使おうとすると『拝啓○○様、本日はお日柄もよく囀る小鳥の鳴き声も頬を撫でる風も心地良く今日という日を祝福しているようであり……』というような詩人の恋文のような難易度に跳ね上がるのである。
簡単に言えば……全属性の魔法を網羅しているなど、六か国語を完全に使いこなしているようなもの。しかも、ゲーム開始から一年足らずでだ。
異常な記憶力。
そして、それを使いこなす精神。
まだ幼い少女にそんなものが宿っているなど、目の前にしても想像できない。
だが……
「確かこの子……ライトのリアルでの知り合いなんだっけ?」
「まあな。知り合いっていうか……」
ライトは口ごもる。
この二人の関係性は特殊なのだが、それを一言で説明するのは難しいというように。
その様子を見て、マリーが微笑みながら言った。
「あらあら、そういえばジャックちゃんはあまりメモリちゃんとの接点はありませんでしたね。どうやらライトくんの方はほぼ準備が済んでいるようですし……私は先に部屋に入ってちょっとした準備を済ませておきます。その間、自己紹介でもどうですか?」
「え!?」
ジャックにとってマリーの提案は少々意外だった。
何故なら……ジャックは『殺人鬼』なのだ。そもそも接触する人間の数もできるだけ少なくしたいと思っているし、下手に交友を深めたところで子供には悪影響しか与えないだろう。小学校の道徳の授業のゲスト講師として殺人犯に人生経験を語らせるような提案のように思え、気が引けた。
しかし……マリーは微笑みを崩さない。
「クスクスクスクス……心配ありませんよ。彼女は表面上『普通』に見えても、本質的には『普通』じゃないですから。ジャックちゃんは今回他人を頼ることになったんです。ですから、少しくらいは人に物を頼む練習もしないといけませんよ? それに……」
そう言ってドアを開けて部屋の中に入って行くマリーは……笑顔のまま、少々凄味のある雰囲気を纏って言い残した。
「最近デートもしてくれなくて寂しかったんですよ?」
ジャックは、そのやや恨みがましそうな言葉にすくみ上った。
そして、『言いつけ』を守るように、その言葉を口にする。
「ボクは『黒ずきん』……よ、よろしく?」
それに応え、メモリも笑顔で返す。
「わたしは『メモリ』。おにいちゃんのバックアップデータだよ。もちろん現実世界でも、仮想世界でもね」
「『バックアップデータ』ね……なんかちょっと納得した。ライトと同類っぽい」
ジャックはメモリの独特の自己紹介に素直な感想を述べる。
「納得するのは勝手だが・・・・・ちなみに、どんなところかが聞いていいか?」
「自分の人間性を一言で否定しちゃうところっていうか……『能力が本体』みたいなところ。能力を持ってるせいで人間性を損なってるとかってレベルじゃなくて……堂々と人間やめてるって感じ?」
ジャックが忌憚のない意見を述べると、ライトがカラカラと笑う。
「殺人鬼が言うかそれ?」
「ちょっ、メモリちゃんが……」
自身の『正体|≪秘密≫』をあっさりと口にするライトに慌てるジャックだが、ライトはあっけらかんとして言う。
「ん? メモリは知ってるぞ? てか、メモリはオレのバックアップデータだしその程度知らないわけないだろう?」
「だとしても勝手に教えるな!」
「いや? 教えてないけど?」
「……は?」
ライトは何でもないようにジャックの浮かべた疑問符に答える。
「一々メモリにオレの行動全て直接伝えるとか面倒くさいだろ。メモリが自動的にオレの行った場所、いた形跡、その時の行動を全て調べ上げて逆算して記憶してるんだよ。オレの食べたものから歩いた歩数、下着の色まで大体把握してるはずだ。この世界なら魔法で遠視とかもできるし」
「それストーカー!! 前々から変な関係だと思ってたけどそこまでとは思わなかったよ!!」
「そして『過去視』という便利な能力のおかげでオレが誰と会って、それがどんな奴だったかまで把握してるし、頼めばそっちをメインに調べてくれる。まあ実際は残り香とか足跡とか指紋とかを検出して調べてるらしいが……なんか実際に見てるみたいにイメージできるみたいだぞ? この前オレが『ジャックって実は男の娘なんじゃないのか?』って聞いてみたら温泉行って来て『ついてませんでしたよ』って答えられた。多分風呂覗いたな……『過去視』で」
「能力くだらないことに使いすぎとか何失礼な疑い方してんのとかいろいろ言いたいことはあるけど!! そんな便利な能力があるならそれで『イヴ』の正体とかわかったんじゃないの!?」
「それも手段の一つとして考えてはいたけどな……こいつに、そういう『敵の弱みを探る』みたいなことさせるのは危険が大きいんだよな……」
ライトはメモリの頭を撫でる。
メモリは、幼い笑顔で幸せそうに目を細める。
幼いメモリのその姿はまるで……無邪気な子供が大人に誤魔化され、騙されているかのようにジャックの目には映った。
「メモリの『過去視』は現場の形跡から過去を逆算してる。逆に言えば、その『過去』を視るためにその場所まで確認に行く必要がある。しかも、一度調べ出すと機械みたいに加減が利かないし、忍者みたいに隠密に調べるのが得意なわけじゃない。一応オレ自身の動向については前もって注意すべき場所は教えておくが……下手すると、メモリはその『確認』のために犯罪組織のアジトとかの危険な場所まで入って行くかもしれない。そうでなくても、あからさまに形跡をたどって行けば警戒されて狙われるだろうな。てか、そもそもから警戒心とか全然ないんだ。これまでだって、何度か攫われそうになってるくらいだし……『知り過ぎる』ってのも危ないんだ。だから、メモリの能力は確かに便利だがあまり多用はしたくない。少なくとも……自分自身で『知りたいこと』を決められるようになるまではな」
対して、ライトの姿はまるで……過去の失敗を、そして罪を償おうとするようだった。
ジャックの先ほどの言葉……『ライトと同類』という言葉は、ある意味大きな間違いだったのかもしれない。ライトと同じなのではない……ライトが、自分と同じにしてしまったのかもしれない。だからこそ、メモリはライトの『一部』を名乗り、ライトはメモリに危険を犯させまいとしながらその行動の自由を尊重しているのかもしれない。
ジャックはそんなことを思った。
そして……
「……ま、滅私奉公なんてされても気持ちいいとは限らないしね」
ジャックは倒れ伏している針山のことを想う。
針山は、ジャックのことを『お嬢様』と呼び尽くす。まるで長年仕えた主人に付き従う執事のように忠実に……そして当然のようにだ。
しかし、ジャックにはそんなふうに扱われるような理由が見当たらない。
そもそも、針山がどんな人物で、どんな殺人鬼なのかほとんど知らない。モンスターを串刺しにして甚振る趣向があり、歪な殺気を放ち、普段は怒りなど欠片も見せないがジャックのために怒った時には別人かと思うほど……それくらいしか知らないのだ。
ある意味、メモリと針山は似ている。自分というものより誰かを大事にする点でよく似ている。
そして、ライトはその気持ちに対し『放任主義』という形で向き合っている。利用し求められることはあっても、その『身勝手な依存』の中から『自分』を見つけてくれることを望んでいる。
しかし、ジャックは針山とそのような関係を結べていない。針山が勝手に自分に仕える理由も知らず、自分も中途半端に……同じ殺人鬼であるというだけで、『同族』というだけで心を許してしまっていた。その結果、彼が苦しんでいるときに何もできないでいる……仕えられる主人としては、落第を免れない。
だからこそ……歩み寄りたい。
針山が何故自分に仕えるのか。
彼の心が何を求めているのか。
どうしたら本当に『仲間』になれるのか。
「どうしたら……本当に『ボク』を見てくれるのか。確かめたいしね」
ジャックは、未だ見ぬ『お嬢様』に心の中で宣戦布告した。
同刻。
うなされる針山の枕もとでマリー=ゴールドは独り言のように呟く。
「大体の状態は把握できました。これなら予定通りの方法で行けそうですが……やっぱり、このやり口は『あの人』ですか。今回のゲームにも参加してたとは……厄介ですね」
針山を見つめ……マリー=ゴールドは優しく呼びかける。
それは残酷で、心の傷に触れる言葉。
言う側にとっても、それを躊躇する言葉。
しかし……触れなければ治らない傷もある。
彼女は、暗示の初めとして針山の意識を呼び覚ますため……その言葉を口にする。
「『先輩』、私達のサツキお嬢様は……もう、死んでしまったんですよ?」
しばらく、過去編のような形になります。




