155頁:大事なのは覚悟です
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6月23日深夜。
先日解放されたが未だにほとんど攻略の進んでいない新エリア『切り株の国』の玄関口『苔の街』で、少年は気付く。
「『黒いもの達』の動きが……鈍くなってる?」
この街は今、犯罪者達に占拠されている。
攻略を妨害するため、新エリアの玄関口を押さえたのだ。
そこに先行したプレイヤー達約40人は一つの宿に集められ、監禁状態にある。
いや……監禁されているというより、出られないようにされている。
宿の窓から顔を出すと、謎のモンスター軍団『黒いもの達』がその周りを行き来しているのだ。プレイヤーの見張りはいない……いや、必要ない上、見張りですら危なくて近付けないのだ。
『黒いもの達』はまるでプログラムされたように宿の周りを徘徊し、宿自体には入ろうとしないものの近付く者はNPCや無害な小鳥だろうと食い尽くされる。
宿のプレイヤー達は金を払い『宿泊』することで食糧を確保できる。宿屋の店主によると、最低限の食糧は外から運び込まなくても自然に倉庫に『湧く』らしい。『飽食の魔女』の加護だそうだが……食だけ保証されても人間は保たない。
狭い宿に押し込まれ、もし出ようとすれば襲われる。
まるで、サメに囲まれたボートの上で生活しているような状態に限界が近かった。
そんな中……一人の少年は、諦めるこのなく『黒いもの達』を観察し、突破口を探していた。
そして……今がその突破口だ。
「何があったか知らないけど……抜け出すなら今しかないな」
少年は立ち上がり、装備を一新する。
地味なジャージから、真っ赤なマントと青いシャツ、鋼鉄のブーツという彼の『勝負服』に。
相部屋になっていたプレイヤー達が驚く。
「あ、あんた一体何を……」
少年は……マックスは、強い目で窓の外……『ゲートポイント』のある方向を見つめる。
「ちょっと行って、助けを呼んでくる。僕を信じて待っててくれ」
《現在 DBO》
6月25日の正午。
一日にも満たない間に、状況は激変していた。
「どういうことだこれは!!」
「護ってくれるんじゃなかったの!?」
「ギルドマスターをやられたってのは本当なのか!?」
「パーティーメンバーが人質に!」
押し寄せるプレイヤー達。
その声から逃げるように耳をふさいだ赤兎は懊悩していた。
「たく……どうすりゃいいんだよ。俺に、どうしろって言うんだ……」
場所は『時計の街』に作られた『戦線』の置いた警備隊の駐留所。その受付には大量のプレイヤーが殺到している。
それは、恐怖に怯え、助けを求める一般プレイヤー達。
その原因は、つい数時間前に犯罪組織『蜘蛛の巣』が街を一つ潰し、そこにいたプレイヤー達、そして対処しようと集まった戦闘職達に対してシャークが発した宣言……『降伏勧告』。
『四つのギルドに分散したゲーム進行及びプレイヤー管理の実権を我々「蜘蛛の巣」に引き渡し、その証明として四大ギルド「大空商店街」「戦線」「攻略連合」「アマゾネス」はサブマスターを、そしてその他の中小ギルドはそれぞれギルドメンバー一人を人質として差し出せ。もし応じない場合は……そのギルドが有する土地、人、施設……その全てを潰す』
その馬鹿げた『降伏勧告』を、その場で戯れ言だと斬り伏せられる者はいなかった。
何故なら……その街は、文字通りに『潰されて』いたのだ。
街のNPCも、建物も、木々でさえも全てが『イヴ』に壊され、さらにまるで無数の腕が全てを引きちぎったかのように残骸すらも細かく解体され、そして数百の『黒いもの達』が蹂躙したかのように食糧、死体、木材に至るまで彼らが食べられる物は全て食い尽くされ……残った物は、まるで原爆でも落とされた跡のように瓦礫の転がる更地と、それらを成した張本人『イヴ』。
その破壊の跡は容赦がなく……もはや、破壊行為というより災害の域だった。それを行った『イヴ』はもはや、目撃者に対してなんの反応も警戒も見せなかった。
まるで、もう手加減はやめたと言うかのように。
もう、『勝負』などする気がないというように。
その巨体の上に、メッセンジャーとして現れたシャークは、最後に付け加えた。
『期限は五日後、月が変わるまでに返事がなければ……「時計の街」を潰す』
その『降伏勧告』に、一般のプレイヤー達は一気にパニックになった。
街を出て行く者も当然多くいたが……その先々の街で、待ち伏せされていたかのように襲われるプレイヤーが発生している。既に中小ギルドの中にはメンバーを攫われ、人質にされてあちらの軍門に下った所もある。
集まっていれば潰される。
だが、分散すれば真っ先に狙われる。
その混乱も、敵の思うつぼ。
だが……
「『俺』にどうしろって言うんだよ……あいつは……」
赤兎には今、それを超える問題が発生していた。
それは、五日の期限などよりもっとシビアな『宣言』。
「『人を殺せるようになれ』なんて……ムチャ言うなよ……」
『明日までに人を殺せるようになっておけ。でなければ、ボクがおまえを殺す』
……それが、かの有名な『殺人鬼』からの『宣言』だった。
事の始まりは時は少々戻り、6月24日の深夜。
赤兎は仰向けになって倒れていた……いや、正確には仰向けに寝て星空を見ながら物思いにふけっている。服装は楽な着流しで、一応刀は傍らにあるが明らかに狩りをしに来た様子ではない。
バトルマニアの赤兎が、今は戦いどころではないのだ。
ここは少々高い台地のようになっている大岩の上の草原。フィールドの中でもモンスターが現れない安全エリアだ。人の多い街や村から離れ、一人で思案に沈むには丁度いい。赤兎の秘密の休憩場所だ。
「……俺がやっていれば……殺していれば、こんなことにはならなかった」
思い出すのは、『イヴ』と戦って死んだジャッジマン。
パニックで死んだらしい顔も知らない人達。
暗殺されたマサムネ。
『自爆』からアレックスを庇って死んだヤマメ婆。
その他にも、今月に入ってから犯罪組織との戦いの中で被害を被った人達。
それらは……赤兎が『護れたかもしれない』人達。
あの時……赤兎が初めて『イヴ』と戦い、草辰を殺された怒りで後ろから奇襲をかけ、首を切り落とそうとしたあの時……『イヴ』を仕留められていれば、死ななかったかもしれない人達だ。
あの時……赤兎は、確かに『イヴ』の首を切り落とした。
しかし……赤兎は、確かに、明らかに『首』を切り落としたのを確信しながら、狙い通りの場所をイメージ通りに斬ったのを確認しながら……『殺した』という実感がなかった。
それは……その理由は、一つしかない。
「なんとなく……わかってたんだよな。あれじゃ死なないって……だから、俺は躊躇なく斬れた」
一人呟くことで、自身のその『甘さ』を自覚し……その『罪』を認める。
その『首』が、『イヴ』の生命の要ではないと心のどこかで確信していた。
かつての仲間を殺された直後でありながら……心の表層では『殺してやる』と思いながら、心のどこかで『やっぱり殺せない』と思っている自分がいた。
そして、その『弱い自分』に呑みこまれたせいでさらに多くの人達が無念の内に死んだのだ。
自分が敵『一人』を殺せなかったばかりに、何人もの味方の命が消えた。
自分の甘さが、罪のない人を何人も殺したのだ。
かつて、『OCC』に勧誘された時のジャッジマンの言葉を思い出す。
『貴様は「最強のプレイヤー」などと呼ばれているそうだが、本当にその「最強」の名が意味を持つとき……その重圧に向き合う勇気はあるか?』
その時はわからなかったが……今ではわかる。
『最強である』とは即ち、『その者にできなければ誰にも倒せない者がいる』ということ。
あの時、あの瞬間……『イヴ』を倒せたかもしれないのは赤兎だけだった。その赤兎が失敗したことで、誰も『イヴ』に勝てなくなった。
『最強である』ということは、『自分にしかできないことがある』ということ。そしてそれは、必ずやり遂げなければならないこと。自分一人にしかできないことを『しない』という選択肢はないに等しい。仮に選ぶことがあれば、その結果起こる全ての責任は赤兎にのしかかる。
赤兎は発見されたジャッジマンの亡骸を見て、その意味を知ったのだ。
ヤマメ婆の時だってそうだ。
もう直に自爆しようとするプレイヤー達。
どちらにしろ死ぬことが決まっているプレイヤー達を先んじて斬り伏せ、その自爆を止めることができなかった。それは言い訳のしようもなく赤兎の弱さのせいだった。
赤兎は完全に自覚してしまった……自分は、人を殺せないのだと。
振り慣れたはずの刀が重い。
視えていたはずの『一瞬先』が視えない。
戦う気力が湧かない。
有り体に言って、深刻なスランプだった。
人が斬れない以上、『剣士』としての自分の寿命はここまでだ……そう、思ってしまっている自分がいる。
立ち上がるのは億劫だ。
殺しなんてまっぴらだ。
もう……諦めても……
そう思って目を閉じ、何か『後悔すること』を……自分が『剣士』のままでいる事の出来る『言い訳』を探している。
そんな往生際の悪い思考をしていると……突然、頭上から声がかかった。
「……まず一回目。油断し過ぎ」
接近する足音なんて感じなかった。
気付けば、いつの間にかそこにいた。
黒い革のジャケットとズボンで身を包み、闇に浮かび上がる骨のように真っ白な鬼の仮面を装備した。プレイヤー……真っ赤な模様が刻まれた≪血に濡れた刃≫を腰のホルスターに収め、手には銃身の太い単発銃が握られ、その銃口が赤兎に向かっていた。
「んなっ!?」
赤兎は慌てて横に転がる。
だが……
「……!? この草なんで濡れて……」
「二回目。気付くの遅い」
声がかかると同時、火の点いたマッチが投下され……濡れた草に落ち、火が消える。
その間に距離を取って立ち上がった赤兎は、転がりながら手に取った刀に手をかけるが……
「三回目。抜くなら転がりながらだよ」
赤兎の左右の頬を二本の真っ黒なペーパーナイフが掠めて飛んでいく。闇の中で黒い刃は良く見えなかったが、もう少しずれていれば目を潰されていただろう。いや、左右の頬に綺麗に対称に掠めたことを考えると敢えてそう狙ったかのようだ。
それに驚きながら、赤兎は抜いた刀を構えるが……
「四回目と五回目。足下不注意と後方不注意」
赤兎の足下の地面には不自然な膨らみがある。
まるで、赤兎が最終的にそこに構えるのを予測して、何かを埋めていたかのように。だが、何も起こらない。
さらに、先ほど投げられたナイフが何かワイヤーのようなものを切ったような音がした。
それと同時に、赤兎の足首に勢いよく細い糸のようなものがぶつかり、切れて後方に引っ張られていく。これが鋼線だったなら……
赤兎が違和感を感じながら相対した相手を睨むと、その相手は中折れの単発中を一度リロードするかのように開いて閉じると、ホルスターの《血に濡れた刃》と入れ替える。
黒ずくめの革装備に一つだけ真っ白な鬼面。
そして、その手にある武器と放たれる殺意は目の前の相手が紛れもない『その人物』だということを示している。
「『殺人鬼』……ジャック」
このデスゲームのプレイヤーの中に、その名を知らぬ者はいない。
曰わく、凶悪な殺人狂。
曰わく、残虐無比な極悪人。
曰わく……『最凶』の犯罪者。
このデスゲームで初めて殺人を犯したプレイヤーであり、そのすぐ後に宿一つを占拠して一人で四十人以上を殺害し、逃亡してさらに殺人を繰り返している『殺人鬼』。
その被害者……つまり『死者数』は裕に百を越えるとまで言われている。
最近では犯罪組織『蜘蛛の巣』の台頭で話題に上がらなくなっていたが、それでもなお一番畏れられているプレイヤーであることには変わりがない。
何せ、『遭遇したら死ぬ』とまで言われているのだ。被害者も、街中での死亡から『彼』の犯行だと思われているだけで、目撃者すら……いや、目撃して生き残っている者も僅かしかいない。
もはや伝説に近い存在。
一部では、犯罪組織の重要ポジションにいるのではないかという噂もあったが……赤兎は、違う考えを持っていた。
「お前は……やっぱり、『God Wars Online』の『あの時』のジャックなのか?」
赤兎の質問に……ジャックは、仮面の下から、ややこもった中性的な声で応える。
「そうだよ……『龍殺し』さん。このゲームで会うのは初めてかな?」
『龍殺し』……それは以前別のVRMMOで赤兎が誇っていた異名。
それを知るのは……おそらく、同じゲームにいた者だけ。
「一年ぶりくらいか……驚いたよ。普通のゲームでPK専門のプレイヤーだったお前が……このデスゲームでも同じことやってたんだから」
そう言いながら、赤兎は身構える。
彼は、『GWO』でもジャックに会ったことがある。そして、その強さを知っている。
かつて、『GWO』において何度となく様々なパーティーに単身で挑みかかり、たった一人で全滅させてきた驚異にして脅威のプレイヤー。そして、その実力は待ち伏せや奇襲だけに限らず、ゲーム内最強を決めるためのトーナメントでは第三位の成績を収めたほどだ。
赤兎はそのトーナメントで第二位。
三位決定戦として行われた試合で立ち会い、辛うじて勝利を収めたことがあるが……油断はできない。
次なる攻撃に対処するため、より一層気を張り、感覚を研ぎ澄ます。
だが、ジャックはその様子を見て……溜め息のように息を吐く。
「ボクも驚いたよ……あんなに強かったキミが、こんな腑抜けになってるなんて」
「……何を言ってるんだ?」
「こういうことだよ!」
ジャックは左手でホルスターから銃を抜き、赤兎の心臓を狙って引き金を引く。
その指が確かに弾を発射させる力を持って引かれたことを察知し、赤兎は反射的に右へ避け……
最初から『避けられる』とわかっていた弾を発射した直後、ジャックは左手の反動を腕ごと後ろへ逃がしながら前進し、地面に一度膝を突くほど低く滑り込むように赤兎の回避した先へ回り込み、その刃を脇に刺さる手前で止めた。
「!!」
「六回目。致命傷への反応が過剰」
赤兎はすぐさま足運びで向きを変え、ジャックと正対するが……ジャックは、刃をホルスターに戻し、中折れ式の単発銃を折り曲げ、赤兎の刀の柄に近い部分をガッチリと両手で銃身を押さえて挟み込んだ。
「んな!?」
「七回目。敵に向かい合うより先に攻撃しなきゃ」
ジャックは大きく足を蹴り上げる。
その靴のつま先からは、靴底のギミックが起動したのか鋭い刃がせり出し……その先端が赤兎の股間に刺さる直前でジャックは足を止める。
「な……」
「八回目。動揺しすぎ」
ジャックは足を一瞬だけ下げ、銃を手放してその銃ごと刀を蹴り上げる。鉄の靴底と銃、そして刀の間で激しい金属音が鳴り響く。
そして、赤兎の注意がそちらに向いた瞬間にジャックは赤兎の首に貫手を放ち、またも寸前で止める。その爪は研ぎ澄まされ、先端には毒のようなものが塗られている。
赤兎はその素早く鋭い動きに反応できない。
頸動脈に爪を突きつけられて……動けない。
何より……そのあまりの『差』に、驚愕するしかない。
手も足も出ない。対応できない。
罠も、速さも、動きも……あらゆるものを使って圧倒してくる。
これが……『最凶』。
「そして、何より……」
ジャックが赤兎の首筋から手を離し、数歩後ろに下がる。
赤兎はなんとか気持ちを持ち直し、剣を構えて正対するが……
「……なっ?」
「九回目。『殺気』が全く感じられないよ。それじゃあ、鬼どころか人も斬れない」
赤兎は、予想外の状況に硬直した。
ジャックが刃と銃を地面に捨て、ゆっくりと歩み寄ってきたのだ。
赤兎はジリジリと下がろうとするが、ジャックは緩慢に、しかし赤兎の後退より速く歩み寄る。
そして……素手の右手でゆっくりと、優しく赤兎の刀身を握る。
「な……何を……」
「自分が殺されそうになっても相手を殺せないなんて……本当に、信じられない腑抜けだよ。そんなキミには、お仕置きだ」
ジャックは左手で自身の仮面をずらし、右手で刀を横に下げさせ……
不意打ちのように、背伸びをして赤兎の唇に自分の唇を重ねた。
「……!!」
頭が真っ白になる。
数秒して、やっと自分がされていることに気付いた赤兎は首を振り逃れようとするが……ジャックが舌を絡めてくる。
それは愛の表現などではなく……まるで、寄生虫が体内に入り込もうとしているかのような激しい接吻。
数十秒の強引な行為の後……赤兎の全身に痺れが走る。
「……!?」
「……秘伝技『毒舌』。今回は麻痺だけで勘弁してあげる」
ジャックは口を離し、手で唇を拭って舌を出す。
毒々しい紫に染まった舌、それが倒れていく赤兎が見た『キスの理由』だった。
「強い毒だけど効果は五分もあれば消えるよ。ボクの心配はいらない、先に解毒は済ませてあるから」
そして、捨てた刃と銃を拾う。
倒れて動けない赤兎、凶器を持ちそれを見下ろすジャック。
生かすも殺すも思いのままといった状況だ。
「お……お前は一体……」
「正直がっかりだよ。もうちょっと見込みがあるかと思ったのに、ここまでダメになってるなんて。それとも、遊びじゃないデスゲームじゃ所詮この程度なのかな? キミはボクに九回殺された。今この状態からなら、麻痺が解けるまでに何百回殺せるかな? これで『最強』? 笑わせるよ」
ジャックはうつ伏せに倒れている赤兎を蹴り飛ばし、裏返す。
そして、赤兎の手から刀を奪い、逆手に握って剣先を下に向ける。
「本当に、信じられない! せっかく期待してたのに、こんなんじゃダメダメだよ! キミはこの一年本当にデスゲームをやってたの!? このゲームで死んだら本当に死んじゃうんだよ!! ありえない!! なんで殺し合いする覚悟も出来てないの!? 調子が悪いとかスランプとか、殺す側からしたら関係ないんだよ!? どんなに強くたって一度殺されたら終わりなんだよ!!」
ガスガスガスガス
刀が赤兎の顔の横、目の前の地面を刻む。
赤兎はそのジャックの激情に口を噤むしかない。
「ああもう……キミを使えばなんとかできると思ったのに、変な期待したボクがバカだったのかな? それとも、自転車みたいに練習すれば殺れるようになるのかな? ……きっとそうだよね。いきなり押しかけたのが悪かったね。ちょっと焦って押しかけたのがいけなかったね、ごめんね。ちょっと身内がヒドい目に遭って冷静じゃなかったよ。ごめんなさい」
まるで子供が学校でケガをしたので学校にクレームの電話をかけ、話している内に冷静になった母親のようなテンションの変化。
しかし、その刀を握る手にこもる力は以前強いままだ。それは、表面上は自身の非を認めながら、心の内では怒りが収まっていないという内面の表れ。
その様子を見て、赤兎は場違いにも『殺人鬼って意外に女子みたいだな』と思ってしまう。先程のキスの感触も含めて、なんとなくそう思ったのだ。
だが、ジャックはそんな赤兎の感想などお構いなしに、刀を頭の上に構えて言い放った。
「明日までに人を殺せるようになっておけ。でなければ、ボクがおまえを殺す」
そして今に至る。
知り合いに相談はしていない。『人を殺せるようになるにはどうしたらいい?』などと他人に聞くには答えに困りすぎる相談だ。
しかし、自分一人で考えたところでやはり答えは出ない。
だが、出来るようにならなければきっと今日の夜殺されてしまうだろう。
あのジャックの言葉は本気だった。どこに籠もろうと、どこへ逃げようとどんな手を使ってでも殺しにくるだろう。それでも逃げようとすれば、周りの誰かが殺されることも十分にあり得るのだ。
「いっそ……大人しく殺されるか……」
ジャックの言い分もわからないわけではないのだ。
おそらく、ジャックも大事なものを傷つけられたのだろう。そして、その怒りがその悲劇を防げなかった『最強』へと向けられた。
赤兎が守れなかった何かの代表として、『最強』を糾弾した『最凶』。
実行に足る実力と殺意を持っていたのがジャックだけだったという話だ。他にも赤兎を怨む者はたくさんいるだろう。
「あの絶対王者のオレンジさんだったら……きっとこうはならなかった」
オレンジ……『GWO』の絶対王者。
彼女は、『不死』の異名を誇る無敗王者。
一度としてクリティカルを受けたことのない規格外の最強者。
まるで、現実のように傷一つで死に至る世界での戦いを知っているような……それでいて、それを楽しんでいるような人だった。
彼女なら……
「……そういえば、ライトもなんか似た動きしてたよな。もしかして、あいつも知り合いだったのかな?」
思い出されるのはライト。
強いプレイヤーの動きを真似る特技を持つが、その中に彼女の技もあったような気がする。
そうだとすれば……
「……ダメで元々だ。あいつなら割と普通に話も聞いてくれそうだしな」
赤兎は、フレンドリストからライトの居場所を探し始めた。
同刻。
「どいてどいてー!!」
一人の少女が街中を走り抜ける。
そして、その後を数体の蜘蛛型モンスター……〖ヒトサライ〗が追う。
戦闘職でもない少女に勝ち目はない。
しかし、彼女は必死に走る。その手には、ストレージに戻す余裕すらなく握り締めた紙がある。
「なんとかこれを……!」
それは、奪われるわけにはいかない重大なもの。
この戦いの鍵を握る、重要なアイテムだった。




