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デスゲームの正しい攻略法  作者: エタナン
第五章:成長(ビルド)編

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153頁:回想は手短に済ませましょう

 三月初め。

 二回目の襲撃イベントの数日後。


 幾人かの犠牲者を出しながらも〖パラサイトライカン〗の襲撃を退けたプレイヤー達……特に襲撃を受けた『時計の街』を本拠地とする『大空商店街』は、事後処理に追われていた。


 犠牲者の追悼、破損した建物の修復、働いたプレイヤー達への戦果に対する報酬の裁量、襲撃イベントで一般プレイヤーを襲った犯罪者の量刑、そして戦後処理中だからといって怠るわけには行かない通常業務……三千人を超える大ギルドとはいえ、仕事が増えるのは楽ではない。


「はあ……次はパニックに乗じた火事場泥棒の調査で、その後は被害報告に目を通して……」


 特に、幹部ともなれば下っ端の仕事の進行も監督し、報告書などが集まってくる都合上仕事量は相当なものになる。

 その上、幹部の一人謎の着ぐるみプレイヤー『雨森』か行方不明であり、その分の仕事も増え、同じくギルド幹部のナビキは一杯一杯だった。


「うう……先輩なら涼しい顔で全部片付けて……余裕で数倍の仕事を持ち帰って来そうですね。そしてそれも余裕で片付けてさらに仕事を持ってきて……ああ、やめましょう。ここにいない人のことを考えてもしょうがないです。今は目の前だけを見て少しでも仕事を片付けましょう」


 独り言を呟き、イメージの中だけでもライトを頼ろうとして……やはりやめるナビキ。


 ちなみに、ライトは前線の新発見の街でクエストを片っ端から受けている頃だ。帰ってくれば、お土産として『攻略本』に載せるための情報を山ほど持ってくるに違いない。情報自体はとても役に立つが……入荷がハイペース過ぎて後の編集作業がパンクしそうになるのだ。編集室で密かに『ライト対策表』という仕事の分担が決められているほどに。


「休みたいけど……エリザもナビも最近自由過ぎるし……」


 レベル100で手に入れた固有技『複製災害(クローンハザード)』……肉体(アバター)をそれぞれがHP、EPまで完全に独立したステータスを持つ『プレイヤー』として分裂させる技。


 オーバー50の『ドッペルシスターズ』ではステータス、HPやEPを共有していたためナビキやナビが受けたダメージまで共有してしまい、三人分消耗してしまったためそれぞれが勝手に動き回るわけには行かなかった。最悪の場合、戦闘中誰かがピンチの時に別人格がEPを使い切ってしまい、動けなくなって『ゲームオーバー』ということにもなりかねなかった。


 その点、『複製災害(クローンハザード)』は仮にアバターの一つがHPを全損してしまったとしても他のアバターには影響がない。

 極端なこと言えば、安全な街に一体でもアバターさえ残しておけば死の危険はなく安心してゲーム攻略ができる。ある意味、デスゲームではない普通のVRゲームのようにゲームをプレイできる。いくらでも拠点からコンティニューできる擬似的な『不死身』のプレイもできるのだ。その点、この技は規格外の性能を持つとも言える。


 もちろん、規格外でも完全ではない。分裂したアバターは独立したステータスを持っているため、戦闘などで得た経験値、レベルアップも別々に反映される。簡単に例を挙げれば、ある一つのアバターで死ぬまで戦い続けて経験値を得てもそのアバターが死んだ時点でその努力は無に帰す。アバターを大量に増やして大量のモンスターと戦っても、その経験値は分散し、精神は増やしたアバターの分だけ疲労する。

 それに、街にアバターを残すにしても意識のないアバターを誰かに好き勝手弄られる危険を犯すのは『女の子』としては絶対に避けたい。そのような理由もあって、ナビキは必要以上のアバターは生み出していない。現在もナビキ、ナビ、エリザの三人だけだ。


 実の所、ナビキはこの技を使いこなせていないのだ。これだけ使えそうな能力があってこれまでの技と同じようなことにしか使えていない……むしろ、『自分(ナビキ)』の思い通りにならないのは、それを思い切って使う度胸がない臆病さのせいか、あるいは経験の浅さが原因か……


「分身で仕事を一気に終わらせられたら楽なんですけど、身体が増えても仕事を片付けるのは結局自分自身ですからね……先輩なら、本当に分身全部同時に動かすとかやりそうですけど」


 固有技はプレイヤーのプレイスタイルから生成される。

 それは、特殊なプレイスタイルを貫いている者ほどより個性の濃い技になる。そして、それはそのプレイスタイルと結びついて唯一無二の武器となる。

 一度見せてもらったライトの『スキルブースター』などはその典型だろう。修得しているスキルのレベルを上げる技、誰よりも多くのスキルを持つライトが使うことで他の誰が使うよりもその効果を発揮するのは明らかだ。


 しかし……


「私の場合、ただの多重人格ですからね……」


 それぞれの人格がバラバラに自分のスタイルで戦う。それを同時に出来るようにするという点では、確かに固有技としては最適かもしれない。だが、それは主人格の『ナビキ』自身にとっては強くなったという実感が得られない。ある意味無理からぬ悩みなのかもしれないが……


「『私』に出来ることって……何があるんでしょう……」


 決して、プレイヤーの中でも劣っていないナビキ。しかし、彼女の周りには規格外のプレイヤーがたくさんいる。赤兎やライト、スカイや別人格のナビとエリザ。それに……


「今度仕事が落ち着いたら、マリーさんに相談してみましょうか……」


 精神のプロフェッショナル。

 ナビキの人格分離のきっかけでもあり、時折『お茶会』に誘ってくれる人。彼女に相談すれば、いいヒントをもらえるかもしれない。


 ナビキはまだ自分の固有技について詳しく他人に話はしていない。

 一応それぞれが独立して動きやすくなったというのは近しい人物には話したが、自分でもそれ以上には使いこなせていないから、なんとなく話しにくいのだ。


 それに……


「内緒でこれを使いこなしたら、先輩もビックリしてくれるかもしれませんしね。それに……マリーさんは、ちょっと苦手ですし」


 マリーは優しく、悪人ではないことは知っている。しかし、強力な影響力を持っているため、会って話すだけで彼女に『染められる』かもしれないとどうしても思ってしまう。無意識に操られるかもしれない、そうでなくても、マリーに相談して何かを成したとしてもそれが自分の意志と努力によるものなのか『させられた』ものなのか分からなくなりそうな気がするのだ。

 マリーへの相談は、それ自体が禁じ手のような……反則のような気がしてしまうのだ。


「やっぱり、もうちょっと自分で頑張ってみましょう」


 他人の手は借りず、『自分の力』で強くなったことをライトにほめてもらう未来を想像し、ナビキはマリーへの相談をやめるのだった。



 そうして、猫の手も借りたいような忙しさで街中を駆けずり回っていたとき……ナビキのもとにギルドメンバーから一つのメールが届いた。

 その内容を要約するとこうだった。


『ギルドメンバーと外部の生産職がトラブルを起こしている。当事者だけでは解決しそうにないから仲裁を頼みます(至急)』


 場所は丁度すぐ近く、詳しいトラブルの原因としては、どうやら普段商売をせず趣味でアイテムを作成していたプレイヤーが道端でそのアイテムを売ろうとして、普段から通行人相手に商売をしているギルドメンバーの縄張りを侵してしまったらしい。


 店を構えずに物を売ったり勝ったりするプレイヤーに関しては、ギルド内ではそれぞれが客の取り合いで他の商売人を妨害しないように場所を取り決めているのだが、ギルド外部から来たプレイヤーはそれを知らなかったらしい。


「はあ……襲撃イベントと無関係な仕事を新しく増やすの止めてくれません?」


 ナビキは手早くトラブルを解決するため、その現場に向かった。



「ここはうちの縄張りだって言ってんだろ! 客横取りしやがって!」


「やあやあ、すまないね。そんなこと知らなかったものだから。でもそんなにカッカすることはないだろう、カルシウム足りてないのかい?」


「今は栄養バランスの話してねえ!」


 ナビキが見たトラブルの現場を簡単に説明すると……

 裏路地にフリーマーケットのようにシートを広げて本や絵葉書などの小物を売る、折りたたみ式の小さな椅子に座り傍らに杖を置いた温和な雰囲気の老人と、それに絡むやさぐれたドリンク売りのプレイヤー。ドリンク売りが何やら怒り、老人がその怒りの声を飄々とかわしている。

 悲しいことに、『大空商店街』のギルドメンバーは積極的に絡んでいるドリンク売りの方だった。


「大体、なんでそこなんだよ! そこは有名な抜け道で、プレイヤーの狙い目なんだぞ!」


「おやこれは失敬、知らなかったよ。大通りの通行を邪魔しないようにと気を使ったんだがね」


 その口論を聞き、ナビキは思い出す。

 そういえば、ここらでは狭い抜け道で通り抜けるプレイヤーを待ち構えて、通ろうとしたところを『売り込み』だと言って邪魔し、逃げ場のない場所で押し売りするというノーマナー行為が最近多発しているのだ。ギルドで規制してはいるのだが、やはり隠れて不正を働くプレイヤーはどうしても存在する。


 非がギルドメンバーの側にもあるとなると少し面倒だ。相手がギルド内のルールを知らなかっただけならルールを説明して少し注意すればいいが、ギルドメンバーがギルド内のルールを破り、さらに高圧的な態度に出ているとなると悪いのはこちらの方。謝罪した上で追い出すというのは印象が悪い。


(温和そうなおじいさんだから素直に聞いてくれると楽なんですけど……)


 ナビキがどう声をかけようか迷っている……その時だった。


「ところで、こんなに騒いでいると君のこれからの商売に響くよ。それとも、元からそんなに売れてないというのなら問題はないのかな?」


「さっきから黙って聞いてりゃバカにしやがって!!」


 全く黙って聞いてはいないが、図星を突かれて激昂したのか怒りのままに老人に手をあげようとするギルドメンバー。

 ナビキはとっさに後ろからその手を掴み、老人を守る。


「!!」


 驚くギルドメンバーがまた怒り出さない内に、ナビキは『幹部』として声をかける。それは、ナビキを子供と見て大きな態度に出る大人にも言うことを聞かせるためにギルドで身につけた、物怖じしない強気な姿勢。


「どちらから注意すべきか悩んでいましたが、おかげで結論が出ました。始末書を提出するまでここでの営業は禁止します。罰則は追って連絡しますので、そのつもりで」


「……!!」


 自分を止めたのがギルドの幹部だと認識したドリンク売りは、ナビキが手を離すとイヤイヤといった表情で黙って頭を下げ、走って逃げるように去っていく。


 そして、その後は……


「本当に申し訳ありませんでした! 今回の件の非は『大空商店街』の方にありますので、お詫びします。先程のメンバーは然るべき処分をしますので、どうかお許しください!」


 ギルド外の『お客様』への謝罪の時間。

 平謝り状態のナビキに、老人は頭を上げて欲しいと優しく言う。


「いやいや、悪かったのはこっちもだよ。物を売るにも縄張りがあるなんて知らなかったんだから。いきなり怒鳴られたときにはビックリしちゃったけどね」


 相手を見下すことも、自分の面子を気にすることもなく、歯に衣着せることもない。

 気安く、それでいて媚びを売らない口調は優しそうな表情とあいまって印象が良かった。

 ナビキはなんとなく……その老人を『子供みたいな人』だと感じた。


「いえ、『縄張り』というのは俗称みたいなもので……本当は互いの営業妨害にならないように密集を避けようって、トラブルを防ぐための制度なんですが……それを『自分の領地』みたいに思ってる人もいて……トラブルを防ぐどころかトラブルの原因になっていては元も子もないですよね」


 ギルドの構成員としてシュンとするナビキに、老人は優しく笑いかける。


「ははは、そんなことはないさ。確かに目の前で起きてるトラブルはあっても、見えないところでもっと沢山のトラブルが防がれてるはずだよ。強いて言うなら、商売をしていい場所とダメな場所がもっとわかりやすいと良いんだけどね」


「はい、改善の努力をする所存です」


「そう小さくならなくてもいいさ。君はわたしを助けてくれたし、彼を怒らせたのはわたしさ。実を言うと、彼の反応が過剰で面白かったからついからかってしまった部分もあるんだよ。この歳になると、若いのが初々しく泣いたり笑ったりしてるのをみるのが微笑ましくてね」


「は……はあ?」


 少し変な人だと思った。

 だが、ナビキはその程度で距離を取ったりはしない。もっと変な人が周囲に沢山いる。


「それにしても……」


 ナビキは老人の『売り物』を見る。

 手作りなのか、冊子のようにまとめられた本が数冊。

 これまた手描きと思われる絵が描かれた栞が箱の中に十数枚。

 どれもこれも表紙などに工夫はなく、値札すらない。

 ……正直言って、商売というよりいらないものを貰ってくれる人を探しているような感じだった。


「……『廃品処分』みたいだと思ったかい?」


「あ、はぃ……い、いえ! そんなことは!」


「ははは、構わないよ。自分でもわかってやってるから。」


 不意に本音が漏れてしまったナビキは、老人の朗らかな笑みに救われた気持ちになる。


「別に売れなくてもいいのさ。値なんて付かなくてもいい。ただ、趣味で作ったものを捨てるのがもったいないから使ってくれそうな人を探してたんだよ。でも、ここはダメらしいし……やっぱりこれらは捨てるしかないかな」


「え、そんなことは……どこかのショップに行けば引き取ってもらえるんじゃないですか?」


「はは、本当に趣味で作ったガラクタ同然のものだからね。高級な素材を使ってるわけでも特別な効果があるわけでもないし見栄えも悪い、店先に置いてくれる店なんてないし、あっても迷惑になるだけだよ。それに……ちょっと愛着のあるものもあるしね。譲る相手は、自分の目で見て選びたいんだよ」


「そ……そうですか……」


 物を作るプレイヤーには大なり小なり拘りがある。生産ギルド『大空商店街』にいれば、『自分の認めたプレイヤーにしかオーダーメイドは作らない』というような『堅物な職人』と呼ばれるようなプレイヤーとも接することがある。

 どうやら目の前の老人もその類……少なくとも心構えは『プロ』らしいと思った。


「さてでは、わたしはまた人の邪魔にならないように退散しようか。ご迷惑おかけしたね」


 老人は杖を拾い上げ、おもむろに腰を上げる。


「あ、待ってください! 何かお詫びを……」


 トラブル自体が解決しても、結局は聞き分けのいい老人を追い出しただけになってしまうと気付いたナビキは引き止めようとする。

 すると、老人はナビキのそんな様子を見て……ニッコリと微笑むと、シートに置いていた本の中から一冊を選び、拾い上げた。


「お詫びなんていらないけどね……そんなに言うなら、この本を貰ってくれないかい? もちろんタダでいい、プレゼントだよ」


「え、そんなの逆に申し訳ないですよ。買い取れというならまだしも……」


「ははは、構わないさ。言ったろ? わたしは自分の選んだ人に自分の書いた物を読んで欲しいんだ。それで今度会ったとき、感想でも聞かせてくれると嬉しい。それをお詫びの代わりと思ってくれないかい?」


 『お詫び』の代わりだと言われれば、返す言葉はなかった。


「……わかりました。では、責任を持って読ませていただきます」


「ああ、読み終わったら家に来てくれるといい。本の後ろに地図があるよ」



 ある日の、忙しい仕事の中の些細な出来事。

 ここから……ナビキの道は揺れ始めた。



 ナビキはその日から律儀にその本を読み始めた。

 タイトルは『錆びついた恋』。


 その内容は……恋愛小説だった。

 手作りで手書きなためか、ページ数はそこまで多くない。文字も細かくはあったが、読みやすく綺麗な字だった。だが……そこに詰まった物語(ストーリー)の濃厚さはそれを補って、読み応えがあった。


 舞台はデスゲーム『Destiny Breaker Online』。

 主人公のとある少女が、設定された死に怯えながら、それでも生きるために強くなろうとする。

 その中で、彼女はある日一人の青年に恋をする。

 強く、孤高で……それでいて、脆く孤独な青年。

 自分に強さを強いる中で、それ以外の心を捨ててしまった彼は、少女の想いに応えられないと離れようとするが、少女は彼がいつか心を取り戻す日が来ると信じて彼を追いかけ……



 『第一巻』が幕を閉じた。



「続編読ませてください!」


 感想を応えるためにと呼ばれた家で、ナビキは勢い良く頭を下げた。


「ははは、それは構わないけど……その反応だと、楽しんでくれたみたいだね」


「それはもう! 何度も読み返してるくらいです!」


 ナビキはいつもは他人に見せないようなテンションでまくし立てた。


「あえてこのゲーム世界を舞台にすることで凄く感情移入しやすかったし展開も実話なんじゃないかと思うほど整ってて登場人物の内面模写も感情移入しやすいし文体そのものも美しいと思ってしまうほどでした! 特にヒロインの女の子が好きな人に追いつけない苦悩を噛み締めるところなんてもう……表現しようがありません! これ売れますよ! ていうかなんで売らないんですか! 私は印刷所には顔が利きますからこれ正式に販売しましょうよ!」


「まあまあ落ち着いて、ほら、お茶でも飲みなさい。落ち着くはずだから」


「あ……すいません、いきなりこんな……」


 冷静になったナビキは思わず大声で一方的に気持ちを口に出してしまったことに赤面する。


「言っただろう? わたしは若い人たちが泣いたり笑ったりする姿を見るのが好きだと……それが自分の作品を誉めてくれている姿なら、こんなに嬉しいことはないさ。ほら、これが二巻の原稿だよ。なんならここで読んでいくかい? 他の作品もいくつかあるけどね、自由に読みなさい」


「いいんですか!?」



 それから、ナビキは小説を読ませてもらうため、頻繁にその老人の所へ訪ねていくようになった。

 老人の話では、彼自身は戦闘職でも生産職でもないらしい。しかし、それでどうやって生活費を稼いでいるかと言えば……


「昔、教師のようなことをしていたことがあってね」


 デスゲームに巻き込まれたプレイヤーの中には、ゲームの世界から帰れたとして、元の生活に戻れるか不安に思っている者が少なくない。特に学生は勉強できないとそれで将来の全てが台無しになるのではと考えてしまう者もいる。老人は、そういったプレイヤーに頼まれて教育を施し、その謝礼で安定した生活を送り、余った時間を趣味に費やしているらしい。


「まあ、その他にもいろんな相談を受けることがあるよ。『仲間と喧嘩した』とか、『ビルドの進路で困ってる』とか……『好きな人がいる』とかね。」


 その言葉に、ナビキはドキリとした。

 だが、よく考えれば不思議ではない。恋愛小説にのめり込む少女が今まさに恋愛をしているなどということは、想像するまでもない。反応を見ればわかることだった。


「わたしは人の体験談や悩みを聞くのが好きだよ。作品のインスピレーションに繋がるからね。そして、そのお礼としてこんな年寄りの経験や思いつきを聞いてもらう。もちろん、口外はしないという約束でね。君も何かあったら言ってみるといい、話すだけでもスッキリすることはあるだろうからね」


 それからというもの、ナビキは時間を見つけては老人を訪ねた。

 植物の薫りがして落ち着く部屋で、本の中の物語に心をときめかせた。

 老人に自分がライトへ秘めている恋心を相談し、自分の気持ちを再確認した。

 戦闘職から戦い方の相談も受けることがあるという老人に、戦い方の相談もした。


 そして、老人の『ひっそりと静かに暮らしたい』という希望に応え、老人のことは誰にも教えなかった……無意識に、エリザとナビへも情報を遮断してしまうほどに、ナビキは誠実に老人に応えた。


 そして、老人とナビキが知り合って10日ほど経ったとき……大きな事件が起きた。


 ナビキに、『犯罪組織にアイテムを横流ししているギルドメンバーがいる。』という密告情報が届いたのだ。そして、ナビキはその真偽を確かめるため、取引場所だという辺鄙な町へ行き、それらしき二人組を追った。

 そして、彼らがある寂れた屋敷に入り、取引の現場を押さえようと奥まで警戒しながら追っていき……瞬間、驚きに目を見開いた。


 何らかの条件を満たしたのか、突如として建物の中が様変わりした。

 シャンデリアの蝋燭に火がともり、埃を被った床や家具が磨き上げられたかのように輝き、机には料理が並び、貴族が使っていたような顔の上半分だけを隠す仮面を付けて豪華なドレスやタキシードを着た貴族風の男女が七、八人ほど食事をしている。しかし、その肌の見えている部分は影のように真っ黒で、どことなく不気味だ。


 その様子は……『仮面舞踏会』と呼ぶにふさわしいものだった。



 ナビキは驚愕した。

 寂れた無人の屋敷が、一瞬のうちにまるで舞踏会の準備が完璧に完了したかのように立派に、豪奢に……しかし、それでいてどこか不自然な不気味さに変容したのだ。

 そして……


「嘘でしょ……まさか、こんなところに『魔女』がいるなんて……」


 〖進化の魔女〗。

 ゲーム中に7体しかいない『隠しボス』の一体。

 耐久力(タフネス)はプレイヤーと大して変わらないが、強力な魔力でエリアボスに匹敵する戦力を誇る。

 そして、何よりの特徴は……『魔女』のみが扱う『即死技』。百人からの大軍を『即死技』の乱発で撃退し、30人の死者を出して事実上の『壊走』に追い込んだ〖飽食の魔女〗の恐怖は未だに語られいる。


 そんな『魔女』が……舞踏会の中心にいた。


 他の貴族風の人々と似た蝶のような仮面を付け、透き通った蝶のような翅を持つドレスの貴婦人。彼女一人だけは肌色の肌が見えていて、一人だけ別格なのがわかる。

 そしてその手には……DNA模型のように捻くれた細く短い杖を持っている。


 ナビキが追ってきたギルドメンバー達を見据えて……『魔女』が言った。



『いらっしゃい。私の楽しい舞踏会へ。もう心配いらないわ、ここでは12時の鐘はならないの。だから、これからは皆で楽しく優雅に……幸せに、停滞しましょう』



 そして、見つからないように隠れて尾行していたはずのナビキの方を向いて……『魔女』は微笑む。


『あなたもね、お嬢さん?』


 ドリキとしたナビキは、自身を落ち着かせようと念じながら考える。

 前情報もなしに『魔女』の撃破など……ましてや単独撃破など、絶対に出来ない。『即死技』などという文字通りの初見殺し、予兆も特性もわからなければ防ぎようもない。それこそ、予知能力でもなければ不可能だ。


 だが……ナビキは死なない。

 現在の肉体(アバター)が壊されても、ナビとエリザのアバターがあるから、そちらに移ればいい。死の心配がない。その点では、ナビキの固有技は『不死身』に近いとも言えるかもしれない。


 しかし……問題は、死なないのがナビキ『だけ』だということ。


「……逃げてください!!」


 ナビキは、武器として使うギターをメニューから取り出しながら、魔女の近くにいる二人に叫ぶ。

 彼らが犯罪組織と内通しているか……それはわからない。もしかしたら、その情報が嘘かも知れないし、逆にナビキを誘い込むために嘘の取引で利用されたのかもしれない。


 しかし……目の前で命の危機に瀕しているプレイヤーを見捨てるわけにはいかない。


 混乱し動かない二人に、〖進化の魔女〗が杖を振り上げる。

 ナビキはギターを高速で弾き上げ、略式で技を発動し、〖進化の魔女〗を狙った。


「ナビキオリジナル『鼬の戦慄』!!」


 空気の鎌が飛び、杖から発射された魔法の狙いをずらす。

 狙いがそれた魔法は卓上の料理に命中し……巨大な鮫のようなモンスターが出現した。


「う、うわぁぁああ!!」

「モンスターだ、逃げろ!!」


 脱兎のごとく逃げ出す二人。

 周りの貴族風の者達もステータス表示がモンスター化し、戦闘開始を感じ取ったようにゆっくりと追い始める。


 ナビキは前に出て、二人のギルドメンバーを後ろの通路の陰に隠れさせ……叫んだ。



「『大空商店街』幹部ナビキ! 勝負です、〖進化の魔女〗!」


 その名乗りに驚いたように動きを止めた『魔女』は、口元だけでにっこりと笑って答えた。


『いいわね。そういう素直な子は、欲しくなっちゃうわ……〖進化の魔女〗、押して参ります』




 そこからの戦いは苛烈を極めた。

 しかし、〖進化の魔女〗はどこか遊んでいるようにも見えた。まるで、『勝ちは最初から決まっている』とでも言うように。


 基本的な攻撃方法は単調な魔法弾。速度は放たれてからでも十分見て避けられる程度、破壊力もない。

 しかし、その効果は特殊で、『魔女』はナビキではなく卓上の料理や床のタイルなどを狙い魔法を放つ。すると、魚料理は鮫のようなモンスターに、野菜は食人植物に、肉は猛牛や猪に、床の石や銀食器までゴーレムや金属スライムに変わる。

 それぞれが強く、ナビキをいたぶるように一定の間隔で追加されるモンスターには数の限界も見えない。

 そして、同時に貴族風のモンスター達も襲いかかってくる。単調な動きでステータスも大したことはないが、その妙に人間に似せられた動きがリアルで不気味だ。


 さらに、倒されたモンスターは普通のモンスターのようにすぐに消滅することなく残り、それが後から現れるモンスター達の盾のようになり、死骸の山で取り囲むようにさらに接近してくる。


 多勢に無勢。

 ナビキはギターを弾きならし歌を唱い、迎撃を絶えさせずに魔女に攻撃を届かせようと『音の弾幕』を張り続けるが……


(……圧されてる! このままだとその内……)


 そもそも、ナビキ自身の戦い方は後衛の援護がメインなのだ。何とか音だけで相手を押し返そうとはしているが、それはペース配分など考えない全力を維持していられる間だけ。すぐに限界がくる。


(出力が足りない……『複製災害(クローンハザード)』での同時演奏なら……いやダメ、そんな隙はないし、戦える分身(クローン)を作るほど余力はない!)


 『複製災害(クローンハザード)』は分身を産み出すためにEPを消費する。十全に戦えるだけの完全な分身を産み出すには最大EPの半分は注ぎ込まなければならず、戦闘中には難しい。そもそも、複数の身体を自在に操れるような技術はナビキ自身にはないのだ。ナビとエリザ、二人の人格を呼び出すにしても、そのために目の前の戦いから気を逸らせば押し切られてしまう。


 ナビキは、自身の持てる手段を考え、その中から使えそうなものを探す。


 『弦楽スキル』……今使っているが、直に押し切られる。

 ナビと共有していた『鎌スキル』……自分に使いこなして逆転するような技術はない。

 ユニークスキル『強奪スキル』……


「……これなら」


 思い出すのは襲撃イベントの時。

 エリザと分離し、『強奪スキル』を持て余していたナビキはその中にストックされていた能力を全て捨てた。使いこなせない能力を無理に使うことのメリットより、何かの拍子に意図せず知らない技が発動する危険を恐れたのだ。

 おかげで、襲撃イベントのときには『ナビキ』のアバターの手元には『強奪スキル』が空の状態で存在していた。許容スペックの全てが使用可能な状態でコピー能力が残っていたのだ。


 そして、襲撃イベントでイベントボス〖パラサイトライカン〗を仕留めたのはナビキだった。NPCに、さらにはプレイヤーにまで入り込んで操る〖パラサイトライカン〗の『憑依』の能力……しかし、その正体はカブト虫ほどのサイズの『本体』が身体に入り込む『寄生』の能力だった。苦戦の末、身体を乗り移ろうとしていた〖パラサイトライカン〗の本体を捕まえたナビキは、トドメを刺し、封印の意味合いも込めて能力を奪った。


 奪った能力はかなりの変わり種だった。

 使いにくいが、ただ捨てるのも惜しいと感じる能力。


 最近では存在すら忘れていたが……今なら使える。


 そう思った時だった。

 貴族風のモンスター達の最後の一体を倒したところで……『魔女』は言った。



『おいたが過ぎるわね。そろそろ……諦めてもらいましょうか』



 『魔女』が微笑みなが、既にモンスター化した鮫型のモンスターに、もう一度魔法をかける。

 すると、鮫のようなモンスターが今までにない動きを見せた。


 料理から現れた他のモンスターやモンスターの死骸を食い……巨大化する。机に乗るようなサイズから……机を丸呑みできるサイズまで。


 そして……魔女は笑う。


『手足くらいは食べていいわ。たっぷりいたぶってあげなさい』


 次の瞬間……鮫は大口を開けてナビキに食らいつく。


 『魔女』はそもそもがレイドボス。数十人を相手に戦える能力を持つ存在だ。ワンパーティーで戦うクエストボス程度の強さのモンスターなら、召喚できて当然とも言える。

 本気の一端を見せた『魔女』の攻めにナビキはなす術なく……



「……強奪スキル『寄生(パラサイト)』」



 蹂躙される『はず』だった。

 ナビキは手練れではあっても、消耗した上でクエストボスと正面きってぶつかり合うような強さはない。

 鮫に食いつかれたナビキは為す術もなくバラバラに噛み千切られるはずだったのだ。


 しかし……


『グルォオ!!』

『なに!?』


 巨大鮫型モンスターが突如転身し、『魔女』を襲った。本来は完全に魔女の支配下にあるはずのモンスターが突然起こした反乱に、『魔女』には一瞬の隙が生まれる。巨大鮫はその隙を逃さず、邪魔をする貴族風のモンスター達をはね飛ばしながら進み……あと数瞬で届くというところで……『魔女』は杖を向ける。


『はっ!! 戻りなさい!!』


 『魔女』の魔法が巨大鮫に当たり、巨大鮫が元の小さい鮫に戻る。これで、『魔女』が恐れるような敵ではなくなる。


 だが、その瞬間に……縮んで行く鮫の中から、 ナビキがギターを鈍器のように振り上げながら飛び出る。


「もらいました!!」


 『寄生(パラサイト)』は『相手の体内に入り、身体を操る技』。口や傷口から侵入し、一体化してその動きを支配できる。

 この技の最大の特長は、入り込んでしまえばそれだけで事実上『倒した』のと同じになるということだ。もちろん、エリアボスのような強力な相手や自分より小さい相手を操るのは無理だが、レベルが自分より低い巨大モンスター程度なら操れる。


 宿主が倒される前に再び分離する必要があったが……おかげで、直接攻撃が届く距離まで接近できた。

 ナビキは筋力中心のパワービルド。

 『魔女』の耐久力はそこまで高くない。接近戦で戦えば、十分に勝機はある。



『……とでも、思ったかしら?』



 『魔女』はこれまでとは比べものにならない反応速度で杖をナビキへ向ける。侮っていた相手を見直した、『本気』の反応速度。

 そして、ナビキの振り下ろすギターと、『魔女』が至近距離から発射する魔法弾がぶつかり合い……


『……ギギギ』

「……!!」


 ナビキの武器のギターが、平らなウツボカズラのような形の『モンスター』に変わる。

 それはナビキの手の中で暴れ出し……ナビキの攻撃が外れた。


 そして……隙の出来たナビキに杖が向けられる。


『終わりよ、お嬢さん』

「!!」


 ナビキに魔法弾……それもおそらく、『即死技』に相当する技が紛れもなく命中する。

 勝利を確信し、緩む『魔女』の口許。



 『ナビキ』の後ろから現れたもう一人の『ナビキ』が……しかも身体のほとんどを露出した肌着だけの姿で現れた。二人目のナビキは『魔女』の油断し、硬直た顔面に強力な張り手を見舞う。



『なっ!? これは……』


「させません!!」



 ナビキは『魔女』の手を捕まえ、自身に杖を向けられなくする。

 そして、『魔女』が障壁を張れないように抱きつくように密着し……全身に力を入れる。


「アイコちゃん直伝。投げ技スキル『裏投げ』!!」


 ナビキは身体を大きく反らせ、魔女の頭を地面に叩きつけた。




 反撃されないよう密着したまま、何度も連続で攻撃をヒットさせて『魔女』を沈黙させたナビキは、荒い息を吐きながら仮想の冷や汗を拭う。


 成功した……なんとかなった。

 ナビキが使ったのは、強奪スキルの『寄生(パラサイト)』と『複製災害(クローンハザード)』の合わせ技。

 モンスターに食いつかれる直前、ほとんどEPを注ぎ込まずほとんど動けずEPもHPも数ポイントしかチャージしていない『空っぽ』のアバターを産み出し、『寄生』の能力で戦えるだけの余力のあるナビキの『本体』が自力で動けない『空っぽ』のアバターを操作し、鮫型モンスターに『寄生』する。分裂の時、アバターが増えても装備は増えないので『本体』のナビキは下着姿になってしまったが……おかげで、『魔女』にはその仕掛けを悟られずに済んだ。



 『一撃でも受けてはいけない技』を放ってくるかもしれない相手なら、『身代わり』に攻撃を受けさせればいい。

 『即死技』がどれだけのダメージを与える技であろうと、攻撃を受ける瞬間にアバターを分離してしまえば、死の危険は回避できる。



「……とは言え、ぶっつけ本番で思いつくなんて無理ですね。相談してて……本当に助かりました」


 実のところ、この『身代わりクローン』の作戦はナビキが考えたわけではない。先日あの老人に相談した折、『攻撃が当たる瞬間に分身を出せばダメージを抑えられるんじゃないかい?』と言われ、考えてはいたのだ。その時は『服がなくなるから』と断ったが……『寄生』とのコンボは予想外に使えそうだ。寄生先が人間サイズだと体重が倍増するため動きにくくなるが、先程のように巨大モンスターに『乗る』形ならその問題も解消できそうだ。


 ナビキは、自身の持て余していた能力の秘めていた可能性を感じ、拳を握る。

 自分の中の何かが満たされていくのを感じる。


「あはは……私、一人で、魔女を倒しちゃいました。これなら……先輩に誉めてもらえますよね? 帰ったら一番初めに先輩に……」


 ナビキは自分の助けた『証人』二人の方を向く。

 内通の疑いとかはもうどうでもよくなっていた。


 ちゃんと見ていてくれただろうか?

 きっと驚いていることだろう。何せ、突然『魔女』と出遭ってしまって絶体絶命の所に助けが来て、『魔女』を倒して自分達を救ってくれたのだから……



 ガツガツ……ムシャムシャ……



 ナビキの装備を着た『黒い何か』が二人を食べていた。


「え……? 何これ? どういうこと?」


 ナビキが困惑する横で、『魔女』が力尽き……杖が一人でに折れ……魔法が解ける。



 モンスター達は倒れた者も含めて元の料理や石、食器などに戻っていく。

 屋敷も最初入ったときと同じように寂れ、豪奢だった様相が嘘のようになる。


 そして、ナビキの装備を着ている『黒い何か』以外の貴族風のモンスター達の死体が……『プレイヤー』の死体に変わる。その傷はモンスターの姿の時のまま……尽きたHPも、復活することはない。


 ナビキの中で、不気味な予感(ピース)が音を立てて組み合わさる。


「まさか……」


 モンスター化した料理や食器。

 モンスター化したナビキのギター。

 魔法をくらったアバター。

 新たに現れた黒い何か。


 『即死技』……『一撃でプレイヤーを倒せる技』。

 そして、この先ほどから自分の中に湧き上がる奇妙な満足感……いや、『満腹感』。


 それらのピースは、一度でも気付いてしまえばもはや全体像を想像しない方が難しいほど、簡単に組み合わさった。


「『プレイヤーをモンスターにして使役する魔法』……? それじゃあ、私が戦ってたのは……」


 ここは町中の屋敷。

 一般のプレイヤーでも、巻き込まれることはあり得ただろう。

 そして、『魔女』に遭遇し、為す術なく倒されたプレイヤーは……



「嫌……いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!! 考えたくない!! そんなことあっていいはずがない!! 私が、私が倒したのは……!!」



 ナビキの中の『妙な感覚』が、その否定しようとする心を否定する。

 それは、唯一生き残った『黒い何か』と自分が……繋がっている感覚。

 魔法が解けて支配がなくなったため今は動きを止めているが、使役された状態でも確かに自分と繋がっていた五感の名残。


 そして、自分の内心を映し出したような真っ黒な顔が……自分を見つめる。



「『ゴ……ロ……シ……ダ』……ノ?」



 ナビキは、『もう一つの口』からこぼれた答えを、無視することが出来なかった。




 それから、ナビキの記憶はおぼろげだ。

 屋敷から逃げようとして、服がないことに気付いて戻って、何かから逃げるように街の間で転移を繰り返して、人とぶつかって逃げ出して、誰かにメールしようとして、やはり送るのをやめて、落ち着こうとレストランに入って、だが食欲が湧かず一口も食べずに店を出て……


 そうして、いつの間にかまた屋敷に戻っていた。

 そこにはもはや何もなく、全てが幻か何かだったという結果を期待して、恐る恐る足を踏み入れた。


 そして……



「……おかえり……待ってた」



 そこには、ナビキの片割れのエリザがいた。

 その手には、死体からはいだのであろう大振りの剣を持ち、その傍らの暖炉では何かが燃えていた。

 『魔女』の物だったらしい戦利品のアイテムはテーブルに並べられ、さらにプレイヤーのものとおぼしきアイテムも分別されて並べられていた。


 パニックになっていたナビキとは対照的に、完璧に『後片付け』を済ませたらしきエリザ。『殺人鬼』の思考パターンを持つ、ナビキの第三人格。

 その極めて『現実的』に自体を捉えたような雰囲気に……自分の映し身に、ナビキはとうとう決定的な『その言葉』を口にしてしまった。


「あ……やっぱり私、殺しちゃったんだ」


 地に膝を突き、脱力して宙を見つめるナビキ。

 モンスター化した『黒い何か』も糸が切れたかのように倒れる。


 そんな様子を見て……エリザはたどたどしく言った。


「それが……どうしたの? 片付けは……終わったよ? それより……これ」


 その時、エリザにはわからなかった。

 同じ脳を共有し、その感情の揺れを感じ取って事態を察知し、同じ記憶を閲覧できるエリザだったが……『殺人鬼』の思考パターンと幼い情緒では、今のナビキの心情など理解できなかった。


 エリザからしてみれば『敵を殺して生き残った』、ただそれだけのことだったのだ。


 エリザは、『魔女』の死後に残っていた二つ一揃いアイテムをテーブルから手に取り、片方をナビキの手に握らせ、もう片方をナビキの焦点のあっていない目線の先に持ってきて見せる。


 それは……情緒に欠陥を抱えるエリザなりの、主人格への気遣いだった。



「これ……《硝子(ガラス)の靴》……姿変えるアイテム……これ使えば……黒くなった肉体(からだ)……『戻せる』よ?」



 しかし、エリザの思考ではその意味する所を理解できなかった。

 〖進化の魔女〗からのドロップアイテムが、モンスター化したプレイヤーを元に戻せる効果を持つ……それは、討伐報酬としては相応しいものだった。



 何せ、そうとわかっていれば……それが可逆だったと知っていれば、モンスターと化したプレイヤー殺す必要性など存在しないのだから。

 彼女自身は『死なない』以上、正当防衛ですらない。



「……なんで、今更そんなもの出すの? なんで、『どうしようもなかった』って思うことも許してくれないの?」


「……?」


 首を傾げるエリザに、ナビキは叩きつけるように叫んだ。



「なんで先に教えてくれなかったよ!!」



 暴走する。

 握りしめた《硝子の靴》の片割れが握りつぶされまいとするように鎖のように変形し、首枷のようにナビキの首を締め付ける。

 心がバラバラになったかのように、身体がバラバラに……大量の分身を生み出し、原形を失っていく。

 溢れ出した分身が『寄生』の能力で吸収され、『姿を変えるアイテム』である《硝子の靴》により、その姿がまるで何十人もの人を溶かして融合させたかのような塊に変える。


 まるで、その激情の全てを周りにぶつけようとするように、束ねた腕を振り回す。

 まるで、その嘆きを全て吐き出さんばかりにいくつもの口が悲鳴を上げる。

 まるで、その涙を枯らせようとするかのように、無数の眼が号泣する。


 エリザは間近でその質量を持った『感情の爆発』に巻き込まれ、押しつぶされる。


 街中ではダメージこそ発生しないが、その衝撃と……そして剥き出しの感情が脳を通じて伝わってくる。

 情報の奔流の中、エリザは朦朧としながら確かに見て、確かに聞いた。



『おやおや、面白いことになるとは思っていたがこれほどとはね。予想以上だよ。君なら、次の作品の『主人公』に相応しそうだ』


 屋敷の入り口から入ってきた老人が『本』を開き、人の塊と化したナビキと黒い人型をその中に取り込む。


 そして、彼は動けないエリザを見て、ニッコリと笑った。



『心配はいらないさ。彼女は終わった訳じゃない。むしろ、これから始まるんだよ……殺人鬼のお嬢ちゃん』












《現在 DBO》


 6月24日。

 『時計の街』の西側。

 プレイヤーショップ『大空商社』にて。


 ……そこに集まった『主力プレイヤー』ライト、スカイ、ジャック、マリー=ゴールド、そして『OCC』の代表であるキングはエリザの語る『真相』を聞き終え……数十秒の重い沈黙の後に、ナビキが

想いを寄せる『先輩』としてのライトが口を開いた。


「……全く、何を暴走してんだか。オレに相談してくれれば『ごめんなさい』一言で済ましてどうにかしたのに……もっと頼れよ、オレ達を」


「『ごめんで済めば警察はいらない』って言葉知ってる? ま、この世界警察なんていないようなものだけど」


 スカイのツッコミにも、誰も反応しない。

 再び訪れた重い沈黙の後、エリザは付け足すように言う。


「その後はナビキとの意思疎通が断絶して、わたしも記憶を閲覧できない。でも、しばらくすると脳内の情報が圧迫されはじめて苦しくなった。だから、わたしはその圧迫を減らすために黒くなったアバターのコピー……あなた達の言う『黒いもの達』を狩っていた。でも気付くのが遅かった、多すぎて、増える方が早くて、いくら倒してもいなくならなかった」


 同時に複数の情報を処理しようとすれば演算機能は容量を超えて圧迫される。記憶容量(メモリ)も同様に限界がある。それは、機械だろうが人間の脳だろうが同じだ。

 エリザはその圧迫を減らすために処理する情報を……『黒いもの達』を減らそうと奔走していたのだ。しかし、鼠算式に増える相手の増殖には到底追いつかなかった。そもそも、容量の危険を感じて『狩り』を始めた時点で相当な数がいたはずなのだ。


「……ナビも三月頃から加速度的に『弱く』なってたらしいしな。その時点から『処理落ち』の予兆は表れてたんだろう。エリザはどうなんだ? 見たところすぐにでも消えてしまうってことはなさそうだし、むしろ話し方も流暢になってる気がするが……」


 ライトの質問に、エリザは首肯する。


「わたしはアバターを狩る時にその容量も奪ってるから。それに……感情や知識のデータは『ナビお姉ちゃん』のをもらった」


「!!」


 その意味を呑み込み、眉をひそめたスカイと驚いた様子のジャックに対して、エリザは首を横に振る。


「……違う。お姉ちゃんは合意の上。最期に、みんなを助けるって約束をした」


 マリーが黙祷するように眼を伏せ、静かに口を開く。


「『リソース不足』の時の『共食い』は殺人鬼の本質のようなものです。全体を生かすより自分自身を守ることによって結果的に種を生かす、その性質があったからこそ主人格のナビキちゃんに逆らって動き続けられたのでしょう。しかし……自分を差し出して妹を助けるとは、感服します」


 その様子を見て、キングが呆れたように言う。


「お悔やみは後でやれよ聖職者。それより、なんで今までそれをオレ様達に言わなかったんだ? 今回はナビの遺言があったから話したってのはわかるけど、圧迫を減らすにも協力を求めた方が楽だったろ」


 そもそも、今回の『話し合い』において彼はギルド『OCC』の代表として、協力を要請するために呼び出されたのだ。そのような感傷に浸るつもりはないのだろう。


 そんなキングに、エリザは淡々と答える。


「……その発想はなかった」


「……マジでか」


「わたし……『エリザ』は情緒や思慮に欠けた人格として生まれた。たとえ人を殺してしまっても『責任能力のない破綻した人格』として正当化するための人格だった。今回みたいな『そうとは知らずに殺してしまった』なんて事態、想定してなかった。本来、他人に協力を仰ぐのはナビキのはずだった」


 獣のような第三人格『エリザ』。

 最初から、主人格の倫理観ではできないことを請け負うための人格として作られた、未熟なまま生まれた少女。

 そんな彼女が『他人に助けを求める』などという発想に及ばなかったとしても不思議ではない。


 助けを求めることも及びつかなかったエリザは……ただ一人、明けても暮れても終わりのない戦いを繰り返すしかなかった。


 それを……戦いを繰り返した記憶を思い浮かべているらしいエリザに、スカイが質問を投げかける。


「……その《硝子の靴》? それは今どこにあるの? さっきの話だとナビキが持ってるらしいけど……『二つ』あったはずでしょ? それに、私の記憶ではナビキがそんな高級(レア)そうな靴履いてたのを見たことないんだけど、いつもは装備せずにストレージに入れてたのかしら?」


「確かに二つあった。片方はナビキが持ってる。もう一つは……『ここ』にある。」


 エリザは自分の『牙』を指差す。

 普通の人間の犬歯より長く尖った歯。よくよく見ると、その光沢は表面に何か『透明なもの』がコーティングされているように見える。


「それが……靴?」


「《硝子の靴》は姿を変えるアイテム。練習すれば翼を生やしたり、角を生やしたり、尻尾を生やしたりできる。指の数を増やしたり、足をヒレみたいにして速く泳ぐこともできる。そうなったら、普通の靴じゃ装備できない。どんな形にでもできるから、どこにでも装備できる。やろうと思えば、武器にすることもできる」


 そう言ってエリザが大きく口を開くと、『無色透明な牙』が針のように伸び、鞭のようにしなって机に深い傷を刻んで元に戻る。

 もしこれで……首筋にでも噛みつかれた状態で、体の中でもズタズタにされたらただでは済まないだろう。


「一人で戦ってたわけか……もしかして、エリザもそれを使えば『イヴ』に対抗出来る? アバターのコピーもできるわけだし……」


 ジャックがエリザにそう持ちかける。ジャックの見立てでも、同じくらいの力がないと『イヴ』になったナビキには勝てないとわかっている。

 しかし、エリザは首を横に振る。


「無理。あれは負担がかかる。わたしのデータ容量じゃ再現できない。無理にやろうとすれば……精神が崩壊すると思う」


 『寄生(パラサイト)』については『強奪スキル』で手に入れることも出来なくはないだろう。しかし、そもそも何百何千本という腕を同時に操作するなど他人に真似できることではないのだ。


 おそらく、エリザの前から消えた……連れ去られたナビキは心の闇に漬け込まれ、洗脳のようなことをされたのだろう。それこそ、自我が壊れるほど……人としての原型からかけ離れた姿を自分としてイメージ出来るようになるほど。


 そして、驚くべきはそれをナビキの普段の生活を『変えさせる』ことなく、時間をかけて彫り込んだのだ。

 ナビキにその記憶を封印させ、周りに気取らせることなく、水面下で人格を破壊し尽くした。


 思えば、三月中頃と言えば丁度スカイとライトがデートをした頃。その目的は、ライトへの好意を利用してナビキをギルドのトップに担ぎ上げようとする派閥を牽制するためだった。

 だが、ナビキの裏に犯罪組織の影があることを考えると……最大の生産ギルド『大空商店街』は、犯罪組織に乗っ取られる寸前の状態だったのかもしれない。いや、ナビキに接触し始めた時期、そしてその前の目を付けられた時期を推測すると、ギルド内部の派閥問題もそのために『引き起こされた』とも考えられる。


 そうだとすれば……『敵』は6月の初めどころか、ずっと前から動き出していたということになる。

 そして、ナビキはずっと利用され……ずっと苦しみ続けていた。


「お願い……今更遅すぎるのはわかってるけど……お願いします。『お姉ちゃん』を『私達(ナビキ)』を、助けてください」


 エリザは慣れない敬語で、ぎこちなく頭を下げる。


 攻略が進む裏で育っていたこのゲームの闇。

 それが今、ナビキに絡みつき、収束し、その身には過ぎる強大な因果が彼女を怪物に変えた。

 事態を理解し、ジャックが呟く。


「仲間だったはずの人と殺し殺され……それが、『デスゲーム』か」


 仲間と思っていたナビキの『凶行』の真相を……見えないところで起こっていたこのゲームの悲劇を思い、三度目の重い沈黙が場を包む。



「組織化した犯罪者、徒党を組んだ無法者……認識が甘かったかもしれないな。戦力、下準備、戦意、情報力……どれもこれもオレたちの予想を大きく超えてくる。シャークもどうやら、今回は本気で勝ちに来てる。組織の中心はそのじいさんらしいが……オレたちの連敗全部が、そいつの筋書き通りになってるんだろうな」


 ライトが帽子を押さえて眼を伏せる。


「正義と悪は移り変わるもの。もはや、大多数プレイヤーの皆さんの心が欲しているのは辛勝より潔い降伏かもしれません」


 マリーが目をつむる。


「全く……ラスボスを殺せば済むって話なら楽なのに……こういう時、単純な力って無力だね。ま、それもナビキには……『イヴ』にはかなわないんだけど」


 ジャックが、ため息をつきながら俯く。


「被害は甚大、正直いって勝っても何も得るものがないわ。赤字と損失ばっかりでそろそろ軍資金出すのもきついし……下手すると、敵を倒しても共倒れよ。ほんと、毎日毎日被害報告と赤字の帳簿ばっかり……もう嫌よ」


 スカイが口元を押さえる。


「こりゃ勝負見えてんな。こんなもん、ギャンブルにもならりゃしねえ。勝利の女神だって呆れるだろな」


 キングがサングラスをクイッと指先で持ち上げる。


 それぞれの反応を見て、まとめるようにライトが言う。


「……どうやら、思ってることは一つみたいだな。敵は万全、流れはあっち、戦力不足、被害甚大、勝率は絶望的……こんなもん、言うことは一つだけだ」


 ライトは、声を低くして言った。



人外(オレたち)をなめんなよ……『真っ当な人間』の分際で」



 人類の頂点に立つ能力を持つ『金メダル』の少女……マリーは眼を閉じたまま、いい夢でも見たかのように微笑む。


「『予言』します……人の心を踏みにじるような悪政は栄えることはありません。いつの時代も、人の善意と愛情を尊ぶ心は変わらないからです」


 『殺人鬼』ジャックは、あきれ果てたように笑う。


「たった一人強いのを用意して何思い上がってんだか……どうしても殺せないのが一人いるだけなら、それ以外を全部殺しちゃえばいいだけなのにさ」


 スカイはギラギラと、『悪魔』のような笑みを浮かべる。


「それだけ前から準備してたなら軍資金だってたんまり貯め込んでるんでしょうね。さっさとその計画破綻させて、損害賠償で絞り取ってあげないとね」


 自ら『公式チート』を名乗るギルドの長であるキングが、楽しげに笑う。


「クハハ、デスゲームの醍醐味ってのはそういう文字通りの『起死回生』なんだよな。天秤が倒れそうなくらいオッズが傾いて、そこから一気に全部さらっていくの、実は大好きなんだよ。オレ様はな」


 そして、ライトがエリザに向かい……眼を見つめて、宣言するように言った。



「エリザ、『イヴ』はオレが倒す。ナビキは必ず正気に戻してやる」










 同刻。

 デスゲームの会場より少し『上』の空間、公園のような場所で、『背の高い女』は声を上げて笑う。


「あはっ、ふはは! 長かったけどようやく敵の正体にたどり着いたわね! もー、あんまり遅いからヒントだそうか真剣に迷ったじゃん!」


 その傍らで眠っていた半死半生の黒猫が目を開けるのも億劫そうに尻尾を揺らす。


「満足したなら帰れよ暇人。他人(ヒト)の安眠を邪魔してテレビにかじりつくな」


「『(ヒト)』じゃないって所はツッコんで欲しいの? まあいいわ、ここ一ヶ月くらいつまんないワンサイドゲームばっかりで我慢してきたけど、ようやくそれらしい展開になってきたのよ? 絶望から這い上がる主人公たち、立ちはだかるは強大な敵、そしてかつての同志……すごく燃える展開じゃない!」


「テンションを上げるのは勝手だが、勝手に空間を温暖化させるなよパイオキネシス。我が輩は今の気候設定が大好きなのだ」


「何よテンション低いわねー。長生きしてるくせにこういう少年漫画的な趣もわからないの?」


「長生きしてるクセに落ち着きのない小娘に言われたくない。そもそも、この程度は予定の範疇だろう。蟻は二割が働けば八割は休み、人間は二人以上いれば必ず派閥に別れて争うのだ。そんな当たり前のことを面白がれるとは、暇なやつだ」


「昼寝ばっかりしてる猫に暇とか言われたくないんだけど……ていうか当たり前っていっつもその過程でも色々あってすごかったんだから」


 『背の高い女』は楽しそうに語る。


「そもそも、派閥闘争が起きるのが当然だとしても、そのパワーバランスって結構微妙なのよ? 偏りすぎればワンサイドゲームでその戦いはただの時間の無駄。拮抗してても泥仕合で妨害に力を注ぐだけじゃ互いの戦力を削るだけ。攻略競争に持ち込めるくらい健全に拮抗してくれるのが一番良いけど、それは結構難しいわ。実際、今回は前もって伏線張って『金メダル』のライバルポジションに『序列零位』なんて作ったのに、狙ったとおりの対立構造にはならなかった。でも、今の状況は想定してなかったけど本来の狙いに劣らない。むしろ、対立の結果としてこんなぶっとんだプレイヤーが生まれてくるなんて、期待以上よ。追い込まれて新たな力に覚醒とか、まるで少年マンガみたいで私、ワクワクするわ」


「おまえの趣味はさておき、そんな悠長に構えていていいのか? 完全チート化したプレイヤーが一人で、力任せに攻略してしまっては意味がないのだろ?」


「ま、その点は心配してないわ。だって……」


 『背の高い女』は、自信を持って笑う。


「あの子達は、私が未来を任せるのに相応しいと認めて送り出した子達なのよ?」

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