149頁:言いにくいことはオブラートに包みましょう
「いい加減吐いたらどうだ? それ、どうやったら外れるんだよ」
後に『少年A』と呼ばれる『少女』……雨森は、頑なに顔を背ける。
フレンドリストをリセットされ、監禁されてもう何日にもなるが、頑なにその質問にだけは答えない。
その身を包む着ぐるみはない。
戦闘とは呼べないような集団攻撃によりボロボロになった残骸が『彼女』の背に翼のように生えるのみだ。だが、『彼女』を閉じ込める男たちにとっては、その残骸こそが……《化けの皮》の中核こそが重要なのだ。
集団で削られ、さらに監禁中には死なないように、しかし抵抗する力が回復しない程度の食事しか与えられなかった『彼女』にはもう黙秘くらいしか抵抗の手段がない……男たちに囲まれ、何をされるかわからない恐怖に脅かされながら、沈黙を続ける程度しか出来ることはない。
気弱な『彼女』が無理にでもささやかな抵抗を続けるのは、『彼女』にとって《化けの皮》の着ぐるみこそが誰にも譲れないものだから。『彼女』のなけなしの勇気の証だから。
「お前の着ぐるみはゲーム初期に稀にドロップした複数の《化けの皮》を収集して縫い合わせて作ったものだ。お前に癒着た普通の《化けの皮》とは面積の上限も変形の複雑さ形質変化の幅も桁違いで同じようには解呪はできない……だが、それを縫い合わせたお前ならどうやったら外せるか知ってるんだろ? それさえ教えてくれたら、自由にしてやるって言ってんだろ?」
『彼女』は誘惑に耐えて口を噤む。
男の言葉が本当だという保証はない。それに、本当だとしても教えることはできない。教えれば、『彼女』の力作がどんなふうに悪用されるかわかったものではない。
なかなか口を割らない雨森に業を煮やした男は、不機嫌そうに部屋のドアに手をかける。
「そんなに黙ってたいなら死ぬまで黙ってろ! 明日からは飯も抜きだ! てめえが死んでからゆっくり剥がしてやんよ!」
その言葉に驚き、手を伸ばしかけた雨森は……それでも、やはり口を開かなかった。
《現在 DBO》
「雨森は『裁縫スキル』を鍛えて服職人として動く傍ら、《化けの皮》や他の毛皮アイテムを集めて、さらには自分自身も狩りに出て着ぐるみの改造に……『ツギハギさん』の強化に力を尽くした。雨森にとって、あの着ぐるみは最高傑作であると同時にこのゲームをプレイし続けた雨森の積み重ねた努力の結晶だったんだ。その性能は、一流の装備一式を凌ぐだろう。雨森はたくさんのモンスターの毛皮をツギハギしてたからぬいぐるみみたいになってたが……『イヴ』のそれは完全に『人肌』の色だ。それなら見られたところで、そう簡単にはわからない。ただ、さすがにあの巨体を包み込めるサイズまで育てた分、形質変化しても身体を小さくしたときは整形のために『仮止め』が必要になったみたいだがな」
ライトの推測に、『ナビキ』は答えない。
しかし、その表情に揺れはなく、むしろそれが無言の肯定のように見えた。
「『イヴ』の強さの秘密、『防御力』は雨森から奪った防具の性能プラスアルファで説明できるし、重要なポイントは後で出てくるのとかぶるから置いておこう。次は『巨体』とそれに起因する『攻撃力』……これについては『変装スキル』やなんかの既知の手段では説明しきれない。固有技でもアレックスの『巨大化』が数十秒が限度なあたり許容ポテンシャル的に無理だろう。だが、だったら未知の手段を想定するだけだ。未知を仮定して既知に変える、それが予知能力ってやつの本来の使い方だ。その結果思い至った……アバターの容姿を表層だけじゃなくて本質的に変更する能力。それを意味するところは……ナビキ、第二の魔女〖進化の魔女〗を倒したな?」
ライトの言葉に、『ナビキ』は驚いたように目を見張る。
能力そのものは当てられることを想定していても、その出元までたどり着かれているとは思っていなかったらしい。
「『進化の魔女』はNPCの間の伝説では生物の姿を変えて進化を促す魔女。そして、プレイヤーのアバターデザインを変える方法を問いかけたら真っ先に祈りの対象として挙げられる魔女だ。ま、中には第一人称が『ボク』の黒ずきんとかがアバター決定の時の誤認証と勘違いされて情報をもらったりとかってこともあったが……その討伐報酬なら、『姿形を自在に変える能力』なんてのがあってもおかしくない」
誰よりもこのゲームのストーリーに触れているライトは、当然のように答えを導き出す。
「3月の一時期、NPCの間では『進化の魔女様の訃報』についての噂が流れた。当初はどこかの戦闘ギルドが発見して、抜け駆けして倒したんじゃないかなんて言われてたが、プレイヤーの誰も名乗り出る者がいなかったから、その話はプレイヤーの間では自然消滅したけどな。前の〖飽食の魔女〗の強さと即死技も有名だったし、誰も名乗り出ないってことは誰かが魔女と戦うことになって必死に戦った末に相打ちになったんじゃないかとか、そんな感じの適当な憶測が流れてたが……なんてことはない、ただそれをやった奴が隠してただけだ。なら、その能力……あるいは、もしかしたらアイテムかもしれないが、それは他人に知られない方が良いものかもしれない。たとえば、便利すぎて盗まれる心配があるとか……『誰にでも何にでも化けられる』とかな」
ライトの口調には確信がこもっている。
「たとえば……『容姿』『プレイヤーネーム表記』『声』まで変えられるとなれば、諜報活動にはうってつけ。だが、『変装スキル』にある程度のアイテムを併用すれば代用できないわけではない。だからそれに加えて『ステータスの割り振り』や『モンスター擬態』『肉体構造の変換』ができると仮定したなら……『黒いもの達』も説明できる。そして、そこまでくるとそんなことができるプレイヤーも限られてくる……同時に何百もの肉体を操作して、さらに増殖させるなんて能力を使える可能性があるのは、『ナビキ』しかいない」
ライトは『ナビキ』を強く見つめる。
「さて、今までぼかされてきたが……ナビキの固有技、分裂した複数のアバターを同時に操る技……オーバー100でそれぞれがステータス的にも完全独立したらしいな。そこで気になったんだが……その『上限』ってどのくらいなんだ? 公になってる最大数は三体だが、それはナビキ、ナビ、エリザの三人が同時に行動したときのことだ。アバターを一つ操作するのには一人分の人格を使うからアバターの数も最大三体だと思ってるプレイヤーも多いが、実のところそれが限界だなんて聞いたことがない……本当は、無制限に分裂出来るんじゃないのか? それこそ、あの『ヒト型』が分裂して増えていくように」
『同時に複数の身体を操縦する』。それは常人の感覚では想像するのも難しい技術だ。たとえ二人だけでも、満足に動かせる者はそうはいないだろう。その技に人数制限など元から必要なかったのかもしれない。
だが仮に、それを何十何百の身体で同時に行える者がいたとすれば……『百人力』どころの騒ぎではない。
「仮にあの『ヒト型』とかも分裂したアバターだとして、それだけの身体を同時に動かせる技術とアバターの肉体を変化させる能力があれば、あの『イヴ』の巨体と攻撃力についても説明できる。赤兎が『イヴ』の首を切り落としたとき、そこからは無数の腕が生えていて首の断面と繋がったらしいが……それは『首』じゃなかった。無数の『腕』を絡めて作った巨大な身体に《化けの皮》を被せていたんだ。巨大な四肢からの建物を潰してしまうような一撃も、本当は一撃じゃなくて何百もの腕が同時に攻撃を叩き込んでいるからこそ。その他の形質変化やサイズ変更も腕の組み方で説明できる。」
何千もの腕を筋肉繊維に見立てて同時に動かす一人組み立て体操。ただ腕を縦に伸ばしただけでは歩こうとするだけで簡単に崩壊してしまうであろうそれを、統制し、文字通り己の手足として扱う。その難しさはまさしく想像を絶する。
「ま、やっぱり無数の腕をバラバラに操るのは難しいし、イメージしやすくするために全体として人に近い形をとってたみたいだがな。それに、自重の負担も大きいし『腕』でバランスをとるのは難しいから赤ん坊みたいな四つん這いになる。頭が大きかったのは、中で重心を操作して振り子代わりに前に進むためってところか。『幽霊の正体みたり枯れ尾花』なんて言うが、中身みたらきっともっとびっくりだろうな」
ライトは付け足すように言う。
「特殊能力は簡単、ナビキの『強奪スキル』で用意したんだろう。おそらくレイドボス級のモンスターから奪った能力が複数。それと、『黒いもの』が目を閉じてるのはインプットする情報を減らして処理しやすくするため。慣れてきたんだろうが、刺激に対して簡単なパターンでなら反射的に反応出来るようにして『自動操縦』にして、さらにアバター変更能力で蛇とか鳥とかいろんな形状やステータスのバランスを試してたんだろう。腕のいらない『ヘビ型』、転がるだけの『タマ型』、走るだけの『トリ型』、安定感の高い『トカゲ型』とかは減力運転できるし、『イヴ』の形状も幅が広がる。」
強さと操作性のバランス。
処理速度と数の兼ね合い。
そういったものを経験から覚えていく。
「それに、分裂にはEPを消費するだろうが、おそらく分裂した個体を吸収することでそのEPを回復できる。『イヴ』は数千の腕を同時に動かすんだから最低でも数百倍の速度でEPを消耗する、そうなれば回復のためには『黒いもの達』がいくらいても足りないくらいだろう。小型で全く動かずに餌を待ちかまえてる『ムシ型』はおそらくEP最大値特化型、いわゆる保存食だろう。ボス攻略のときは『イヴ』の体内に大量の『ムシ型』と『黒いもの達』のオリジナルが詰まっていたんだろうし、戦いながらの体力補給にもなる。その消費と補給のサイクルが『イヴ』が『黒いもの達』を食べ、『黒いもの達』が周囲のものを食べ続ける理由。」
ライトは視線を落とし、『ナビキ』の目から視線をはずす。
「ナビキを疑い始めたのはナビと別れた直後だよ……約束通りナビキの気持ちに向き合ったら、思い至ったよ。6月1日の『あの時』を」
6月1日。
それはナビとライトの交際がナビキにバレた日。
そして……
「『イヴ』の行動を含めた犯罪組織『蜘蛛の巣』の策は悉くオレ達の裏をかいていた。知ることで翻弄され、対策をとれば利用され、意志を募っては挫かれた。最善策を求めれば求めるほどドツボにはまる。そんな奇策や陰謀に溢れた今回の『戦争』の『初手』……あれだけが、あのオレとナビのデートを邪魔した襲撃だけが、全く作戦に関係ない無駄な手だった。『イヴ』を見せる必要はないし、わざわざ人の少ない町でオレを狙う必要もない。……当たり前だ。あれは、作戦とは関係ない個人的で感情的で突発的な攻撃……ただ、ナビキが嫉妬して壁を殴っただけだったんだから。それに思い至ったら、全部読めたよ。」
このゲームには未知のスキルや固有技が多数存在する。その組み合わせ次第では別のプレイヤーにも同じことができる可能性は否定できない。『それが出来る』というだけで、犯人だと言いきることはできない。
だが……
「単純な話だ。たとえ同じことが出来るかもしれない奴がいるとして……作戦全てぶっ壊してでもオレとナビのデートをぶっ壊したくなるのは……『ナビキには黙っていてくれ』ってオレの言葉にそこまでショックを受けるのはナビキしかいないよ。あるいはナビキを護る別人格とかな」
『動機』はまた別の話。
推理小説などでは『動機などいくらでもこじつけられる』と言われることもあるが、時に動機の解明はどんなトリックを解き明かすことより重要になる。
『動機』とは……『心』そのもの。
何より難解で、何より複雑で……人が何かをなすとき、何より先に先立つもの。
「ナビキが関わってると仮定したら、全て辻褄があった。最初にオレ達の前に現れた『イヴ』が消えたように感じたのは、ナビキの『ドッペルシスターズ』で分身として出していたアバターを消したからだ。」
瞬間移動ではなく、分身の解除。
使い終わった道具は、消去してしまえば証拠は残らない。
「ナビのデータ領域が三月から急激に減ってたのは、複数アバターの同時操作に必要な情報処理でナビの領域が圧迫されてたから。」
人間の脳は、新しい情報を入れるために容赦なくいらない部分を捨てていく。
「マサムネの暗殺でファンファンを殺してまでチョキちゃんをさらう必要があったのは、警戒を強めた『戦線』のギルドホームに入るためにチョキちゃんを利用したから。チョキちゃんを通じてマサムネに『大空商店街』からの使者として大事な話があるとかって言ってギルドの他のメンバーには内密に会いたいとか言ったんだろうな。なにせナビキとマサムネは初期では同じパーティーで攻略をやってたこともあるんだ。」
信頼があるからこそ、裏切りは存在する。
「チョキちゃんはナビキのことをオレ達に話せないようにされてたが、代わりにナビキだけを狙って伝えようとしてくれてた。」
敵陣にいたのが味方で、背後にいたのが敵だった。
「ずっと出し抜かれてきたのは、ナビキがこっちの動きを常にリークしていれば何も不思議じゃない。シャークが一番警戒してるオレの動向も、ナビの記憶を探れば簡単にわかる。そして、仮に疑われてもオレの嘘発見能力を向けられたときに頭の奥の別人格、あるいはどこかの『黒いもの』のどれかに記憶を隠してしまえば検知されない。ナビキの頭の中に隠れていれば、ボロを出す心配はない。だが……」
何をしても忘れてしまえば、罪悪感はない。
ライトは『ナビキ』の目を見つめ直す。
「その分、証拠に乏しい。否定してくれ、反論してくれ、オレの間違いを指摘して糾弾してくれ、濡れ衣に気分を害されてくれ、怒ってくれ、無実を証言してくれ……『違う』と言ってくれ。そうしてくれれば、オレはちゃんと謝るから……オレの最悪な勘違いを正してくれ」
ライトの願いは切実だった。
自身の『予知』の結果だとしても、ナビキが……その心の一部だけでも裏切っていると信じたくはなかった。
『ナビキ』は微笑を浮かべて答える。
「先輩……勘違いも甚だしいですよ。先輩の話は、最初から間違ってますから」
その途端、広がる《化けの皮》の触手でライトを取り囲み、自身の身体もぐっと近づけて顔が触れ合う寸前まで近付けて言った。
「『第四人格』なんかじゃありません。私はオリジナル……『七美姫七海』本人ですよ?」
その言葉に、ライトは……ため息をついた。
「『人違い』であって欲しかったよ……説明してくれるか? 裏切ったとかとやかく言うつもりはないが、何がナビキにここまでさせたのか……教えて欲しい」
「……わかりました。先輩もきっと納得して、協力してくれるはずです……この悲惨で無意味なデスゲームを終わらせるのを」
「このデスゲームを……『終わらせる』?」
ナビキは、四本の腕で優しくライトの手を押さえ、自身の元々の右手の一つでメニューから呼び出したものを見せる。
それは……『フラスコの外』と銘打たれた一冊の『本』。
以前二人で呑み込まれた『無人の部屋』の本と似た、異様な気配を放っている。
「先輩。あなたに、私の知り得たこのゲームの真実をお見せします。はぐれないで下さいね?」
ナビキはライトの手を引っ張り……ページを大きく開いた。
同刻。
老人は机に向かい、万年筆を走らせる。
眼下には一冊の本。その見開きのページは白紙。
そこに老人が紡ぐのは、悲劇の物語。
何を書くべきだろうか。
心血を注いで創った街が、怪物に壊される物語だろうか?
暴動の中錯乱し、かけがえのない仲間や護るべきか弱い人々を殺してしまった兵隊の物語だろうか?
プライドを折られ、主君を失い、仲間を救えなかった戦士の物語だろうか?
それとも……
「……楽しみだね、どんな結末を見せてくれるかな?」
老人の口からは、心底楽しそうな声が漏れていた。




