148頁:大事な話の時には、立会人をつけましょう
ライトは普段、感情を理解『しない』。
『できない』のではなく、『しない』。
その機能を『オフ』にして、意識から、思考から、認識から追い出している。
その根本的な目的は、彼自身が特定人物に恋愛感情を持つのを防ぐためだ。
表面的に異性を意識したり、他人の色恋を理解しているように振る舞うこともあるが、それは平常な人間を装うため。さらに言えば、恋愛感情を理解した上での無関心を装うことで他人からの恋愛感情を遠ざけるためだ。
そんなことをする理由を問われれば、ライトはおそらく父親が浮気をしていたことを挙げるだろう。それによって、恋愛感情がトラブルの原因になると考えるようになったと答えるだろう。
彼の父親の浮気は、彼の人生に大きな影響を与えた。それを考えれば、嘘は言っていない。
だが、真の理由はもっと単純だ。
それは当時、心の底から『人間』だった頃の彼がおそれたから……怖かったからだ。
父のように、自身を愛してくれた人を裏切ってしまうのが怖かった。
そして……父のように、愛していた相手に裏切られるのが怖かった。
『愛する』とは一方的な行為だ。
自分がどんなに誰かを愛していても、その相手が自分に向ける愛とは無関係で一方的な感情でしかない。
知らず知らず、自身の意志とは全く関係のない所で誰かを裏切ってしまうというのは、人の世には良くあることなのだ。
それが死に至ることも……珍しくはない。
《現在 DBO》
「『イヴ』……その正体はおまえだったんだな」
ライトの言葉に、ナビキは目を丸くする。
ライトの目はじっとナビキの目の奥を見つめ、その心を見透かすようにしている。
ライトの目は他人の嘘を見抜くことが出来る。
その前でナビキは……
「えっ、ちょ、違いますよ! 先輩、こんなときに冗談でもたちが悪すぎますよ」
数瞬の驚きの後、はっきりと『嘘一つない目』でそう答えた。
それを見て、ライトは優しく笑った。
「わるいわるい、一応確認しておかなきゃいけなかったんだ……だがおかげで絞り込めた。あっちの切り札にしてアキレス腱……『イヴ』の居所がな」
「え、本当なんですか!?」
「ああ、疑うようなこと言って悪かったな。だが、確率的にどうしても面と向かって確認する必要があったんだ。ナビキの気持ちに向き合うにしても、疑いながら向き合うなんて出来ないからな。」
『ナビキの気持ちに向き合う』。
それは、ライトがナビと付き合い始めるときにした約束……今となっては遺言だ。
ナビキもそれを察したようにライトを見つめる。
信じるために敢えて疑って、その疑惑を晴らす。それは、彼がナビキを信じたいからこその行動。
それがわかっているからこそ、ナビキはライトの疑惑を糾弾しない。
しかし……
「いきなり変なこと言われたおかげで、そんな空気じゃなくなっちゃいましたよ。先輩に呼び出されて、せっかく覚悟を決めて来たのに……」
「それは悪かったな……だが、別に話を逸らして逃げようってつもりじゃないから安心してくれ。ただ……先に言っておきたいことがあるんだ。」
ライトの声が真剣みを帯び、ナビキはその姿勢を正す。
そして、ライトの口から出たのは……ナビキにとって予想外の言葉。
「ナビキがオレにどんな感情を抱いていて、どれだけオレを想っていてくれるとしても……それに応えられる保証はできない。一緒にいてやれるかどうかわからない……オレは『イヴ』を倒すために命を懸けるつもりでいる。もしオレが死んだら……オレのことはきれいさっぱり忘れてくれないか?」
『自分のことを忘れてくれ』。
それは、記憶の喪失に苛まれていたナビキにとっては大きな意味を持つ。
ナビキは立ち上がって机に手を叩きつけ、感情を吐き出すように叫ぶ。
「……嫌です。先輩のことを忘れるなんてできるわけがありません。だって先輩は……私の……先輩が命を懸けて戦うなら、私だって一緒に戦います! 先輩が死ぬなら、私も一緒に……」
真っ二つに割れ、倒れて砕ける机。
感情的に声を上げるナビキに……ライトも立ち上がり……
「言葉で足りなきゃ、行動するしかないな」
ナビキの肩を抱き寄せ、不意打ちのように、唇を奪った。
「…………!?」
慌ててライトを引き離そうとするが、ライトはナビキの背に手を回し、強く抱きしめる。
わけが分からず動転していたナビキはしばらくすると抵抗をやめ、大人しくなる。
ライトは手袋を外し、無抵抗となったナビキの服の中に手を滑り込ませ……その奥にあった『何か』を掴んだ。
それは、『金具』のようなもの。
「……!! ダメです!! そんなことしちゃ!! それは……」
ナビキが筋力値にものを言わせてライトの唇から口を離し、ライトを引き離そうとするが……ライトは、それを待たず動いた。
「武器破壊スキル『アーマーブレーク』……!!」
防具を破壊する技。
そして、その応用として衣服の破壊も可能な技。
その技によって『金具』が引きちぎられた瞬間、『それ』は起こった。
ナビキの装備していた服が中から破裂したように『弾け飛んだ』。間近にいたライトはその衝撃に吹っ飛ばされながら……『それ』をしっかりと見た。
弾け飛んだ服に代わり、現れる……というよりも、『展開』される何本もの肌色の反物状の物体。その所々には『牙』のようなものが生え、それらは己を傷付けたライトに向けられている。
そして、その根本にいるのは……身を縮め、身を隠そうとするナビキ。その表情には驚きと、秘密を見られてしまった時のようなある種の恐怖心が浮かび上がって見える。
そんなナビキを見て……ライトは、冷静に口を開いた。
「騙すようなことして悪かった……だが、ようやく見つけたぞ。ナビキの第四人格……『イヴ』」
ライトがそう呼びかけた直後……
ナビキの表情が変わった。
『動揺』が嘘のように消え、代わりに浮かんでくるのは……『笑顔』。
「……ヒドいですね。初めてのキスがこんな形なんて」
「それは本当に悪かったと思う。だが、やっぱりこのことを放置したままじゃ、ナビキの気持ちには答えられないんだ」
目の前の『ナビキ』というプレイヤーネームを持つ少女は、秘密がバレてしまったことへの悔しさは見せず、気恥ずかしさのようなものを感じさせる苦笑を見せる。
その感情が伝播したかのように、展開された『反物』も牙を収めて引き下がり、服の代わりにナビキの身体を覆う。
それを見ながら、ライトは呟く。
「『イヴ』はシステム的には『プレイヤー』だった。だが、問題はその規格外の強さ……それを具体的に大きく分ければ『防御力』と『攻撃力』そして、それらを生み出す『巨体』と強力な『特殊能力』。本来なら一人のプレイヤーが持てる性能じゃない。本来なら、そのどれか一つだけでもオーバー100相当の固有技やユニークスキル、デステニーブレイク報酬級のレアアイテムを使ってようやく相手になるかどうかってところだろう。それこそ、ユニークスキルと固有技を同時に使用して宝剣を振るう赤兎の攻撃力、『巨大化』を使ったアレックスの防御力と巨体、『スキルブースター』を使ったオレの特殊能力……それぞれ最大限まで特化してようやく匹敵できるかどうかだ。はっきり言って反則だよ。だが……何事にも、裏技ってのはあるもんだ。それを一つ一つ順番に解き明かしていこう」
ライトは、『ナビキ』を取り巻く肌色の布を指差す。
布というより皮にも近い材質のそれは、ナビキの肌と同じ色をしていた。
「まず第一に……防御特化のアレックスに匹敵する『防御力』のヒミツはその反物……いや、雨森の持っていた《化けの皮》だな?」
『雨森』。
『大空商店街』の幹部であったが、3月初めの第二回襲撃イベントから行方不明になっていたプレイヤー。
最大の特徴はその服装だった。
身体の輪郭すら全くわからない巨大な着ぐるみを常に着用していて、そのツギハギだらけのデザインから『ツギハギさん』と呼ばれていた。誰も素顔を知らないマスコット的な存在ではあったが、同時に戦える生産職としても有名だった。
そして、ライトは今現在『ナビキ』の身体の表面を覆っている肌色のものを指して言う。
「雨森の着ぐるみの素材には諸説あった。高級な皮防具を何重にも重ねて身を守ってるって話もあったし、中には『雨森は本当はモンスターで着ぐるみが本体なんじゃないか』なんて言う奴もいた。まあ、実際の所それほど間違いじゃなかったと思うがな……雨森の着ぐるみの素材は今ナビキを包む《化けの皮》。そして、そのアイテムはただの防具になるだけじゃない……持ち主と一体化し、それ自体が成長する呪いのアイテムだ」
呪いのアイテム。
『自力で着脱できない』『使用者に過度の反動がある』などのリスクを伴うアイテム。しかし、クセの強いものの強力な効果を持つ物も多く、使い方次第では最高級のレアアイテムにも匹敵する。
そして、その中には稀に生き物のように自力で動き、破壊されたり引き剥がされそうになったりすると自己防衛するものもある。
「雨森の戦い方は着ぐるみで敵の攻撃を耐えきって力ずくで殴り倒すスタイルだった。俊敏には動けないから回避はほとんどなし、そして敵のHPが残りわずかになると縫い目が口になって敵を丸呑みするってプレイヤーとしてはかなり特殊な戦い方で周りからは色んな憶測が飛んでた。その中でも、『中身がない』っていうのはさすがに言い過ぎだと思うが、『着ぐるみが本体』っていうのは割りと本質に近かったな。雨森が生産職の中でも前線並みの戦闘能力を持ってたのは他でもない……その《化けの皮》で作った着ぐるみの性能のおかげだ」
『ナビキ』の身体を護るように広がっている《化けの皮》。それは衣服ではなく、『ナビキ』の身体から生えた触手のようにも見える。
「超低確率で現れる突然変異の〖オリジンマウス〗からドロップする《化けの皮》は使用者と一体化して脱げなくなる呪いのかかったアイテム。といっても、ある程度は持ち主の思ったような形状に出来るし加工もできる、脱げない以外は大した害はないタイプだ。そして何よりの特徴はその成長性……《化けの皮》は生き物を補食してその皮を取り込むことによって防御力、耐久力が成長する。」
成長するアイテム。
成長する武装。
レベル制のVRMMOにおいての『適正レベル』がなく、使い込めば最高の一品に育つアイテム。
『殺せば殺すほど強くなる』ジャックの《血に濡れた刃》や赤兎の《剛刀 黒金》の欠片を受け継いだ『宝剣』のように、ゲーム初期から使い続けても最前線のアイテムに負けない性能を保つことが出来るアイテムは、ある意味そのアイテムを使うプレイヤーの『強さ』そのものを示すものとも言える。
それが持ち主のプレイスタイルの要になっているものであれば、その性能はそのプレイヤーの『強さ』をそのまま担っていると言ってもいい。
そして、その中には……そのプレイヤーの全てが詰まっている。
ならば……
「『イヴ』、今度はナビキの頭の奥に隠れないでちゃんと答えてくれ」
ライトは、その目を見開き『ナビキ』の心を覗き込みながら問いかけた。
「雨森の皮を剥いだのは、おまえなのか?」
同刻。
『それ』は、異形を超えた異形。
『それ』は、『黒いもの達』の集大成。
巨大な口。
太く長い身体。
そしてその真っ黒な身体は、人間の根源的恐怖を呼び起こす。
あるいは、エリアボスにも匹敵するかもしれない怪物。
強大な怪物が……『時計の街』に迫っていた。




