134頁:鬼に捕まらないように気をつけましょう
デスゲームDBOの『会場』より少し『上』の空間にて。
自然公園のようなデザインの空間で池を見下ろし、『背の高い女』はさながら泉から地獄を見下ろす仏のようにゲームの進行を見守り、笑う。
「ジャッジマンの『制裁スキル』を早々に失ったのは痛かったわね。あれはオリジナル、コピーの区別なく『殺人鬼』を見つけ出して制裁できるスキルだったのに、相殺の片方を失ってバランスが崩れちゃってる……ま、想定の範囲外じゃないけどね。どう対処するのか、見物だわ」
そこに、外から声がかけられる。
ダンディーな中年を思わせる渋い声だ。
「ふ、直接干渉できないものを見て何が楽しいのやら。後で結果だけ編集して見れば良いだろうに」
「あ、シュレリンガー? 久しぶりね」
公園に現れたのは一匹の黒猫。
しかし、その存在はどことなく不安定で曖昧だ。
『背の高い女』にはどう見えているか、それは本人にしかわからないが、仮に他にこの光景を見ている者が百人いたとして、おそらく50人にはこの猫は普通に生きているように見えるが、50人には死んで骨だけになって動いているように見える。そんな仮想空間だからこそ成立するような曖昧な存在。
「そんな名前で呼ぶな。それは猫につけてはならない名前のナンバーワンだぞ? 我が輩はただの猫である、名前などない。」
「呼び名がないと不便じゃない。あなたにこれほどピッタリな名前も他にないでしょ?」
「相変わらず自分勝手だな……マクスウェル」
「律儀に軽く皮肉を返してくる猫ちゃんは無駄にハードボイルドで面白いけど、もっと語尾に『にゃん』ってつけるとかするとキャラが立つかも……いややっぱいい、なんか気持ち悪そう」
「自己完結するな、失礼な。まあいい、そこをどけ。そこは我が輩の昼寝スポットだ」
「おっとごめんね。でも、今良いところなのよ。『殺人鬼カイン・アベル』と『哲学的ゾンビ』の生きるか死ぬかの戦術戦なんて燃えるじゃない?」
「ふん、相変わらず観測が趣味か。だが……」
猫は、池に顔をつけ、水を飲みながら、あるいは骨を湿らせながら言う。
「正直言って興味がない。世俗の争いの勝敗も、別次元のゲームの結果も、手が届かない場所での出来事など気にする価値もない。」
半死半生の猫は、至極つまらなさそうに言い切った。
「『箱の中の猫が生きているか死んでいるか』、そんなもの答えは決まってる。『どうでもいい』、それが我が輩の唯一不変の解答だ」
《現在 DBO》
6月11日。昼過ぎ。
『時計の街』中心近くの民家の屋根の上にて。
地上のパニックを見下ろしながら、ライト(女装中)は集まった即席の危機対策メンバーに声をかける。
「集まったのは椿とオレを除けば四人か……まあ、下手に数がいても行動が遅くなるしこんな感じで良いだろう。それにしても……」
「椿ちゃーん、大丈夫だったー!?」
「ちょ、飛びつかないでください!! キスしようとしないでください!!」
「呼び出しに応え参上したが、あれが噂に聞く『ホタ×ツバ』か……生で見れるとは」
「オレたちには本気になれないって言ってたけど、ああいう事する相手がいてしかも同性ならしょうがないよな……ちくしょう」
「いつもの訓練通りの流れで上がって来ちまったが、なんでさっきの怪しい奴までいるんだ……」
「椿、そして椿が『根』を張ってた『攻略連合』の中間管理職、関所の所長とパニックの収拾つかなくて指示を仰ぎに来てた巡回部隊の隊長、それに椿がメールした三秒後に心配して跳んできたホタルと、重装鎧の所長と隊長が屋根に上がるとき踏み台になって、しかも何故か自分も引き上げられて登ってきた下っ端さん。まあ、下っ端さんはともかくこの面子なら間接的に動かせるプレイヤーもそれなりだ。文句ないだろう」
どうやら『攻略連合』では動きにくくなる重い鎧を着た状態で円滑に移動するための訓練が行われていたため、ついその流れで踏み台になった下っ端兵士が最後に引き上げられてしまったらしい。
攻略連合からは三人、関所の『所長』、巡回部隊の『隊長』、そして『兵士』。丁度、指令官、実働部隊の隊長、現場の兵隊とそれぞれの役職のメンバーが揃っている。
さらに、ホタルは『大空商店街』のサブマスターでこの街を熟知していてギルドのメンバーからの情報も集めやすく、戦闘専門ではないが、職業が『忍者』で偵察や奇襲といったことをできる程度の戦闘能力はあるし、何より足が速い。このパニックの中でもかなり速く動き回れる。
そして椿は戦闘能力はないが、特定のプレイヤー達と強いつながりを持っている。その中には『攻略連合』の上層のプレイヤーも含まれていて街の封鎖に関して交渉ができる。
最後に……ライトは誰より冷静に状況を見極め、その先を予知することができる。
「さて、時間がないな。みんなちょっと悪いが頼みがある。協力してくれないか?」
一方、『カイン』はパニックに包まれていく街の中を走り回っていた。
片手で扱える暗器ほどのサイズで、さらに形状から一目ではまず武器とわからない≪血に濡れた石≫を握り、走り抜けながら時折すれ違うプレイヤーを軽く殴りつけていく。
一撃でいい。たった一撃で、『それ』を受けた相手には殺人鬼の呪いが植えつけられる。
そして、呪いを植え付けられたプレイヤーは攻撃的になり、同時に他のプレイヤーへダメージを与えられるようになり、新しいパニックの種になる。
彼自身は厳密にはプレイヤーではない。
プレイヤーになりすましてるNPC……しかし、ただプログラム通りに動く人形ではない。人間のように思考し、考えて動く。
彼が行動している理由はある人物からの命令だが、彼は忠義に厚いタイプではない。
自分が危なくなると判断すればすぐさま命令の実行など中止して逃げ出す所存だ。パニックが発生して巻き込まれる危険も考え、通り魔のように呪いを振りまいたらそのまま確認する間もなく去って行く。仮にパニックが上手く広がらなくても、その分他の場所でパニックの種を植え付けて行けばいい。
与えられた命令はパニックの悪化と拡大。戦闘や暗殺ではない。
もちろん、このパニックの原因を追ったプレイヤーが自分の存在に辿り着くのは予想している。
というより、この能力を知ってる者なら間違いなくこれがカインの仕業だとわかる。そうなった場合は真っ向から迎え撃つ気などない。適当にパニックを利用して逃げるだけだ。自己防衛の本能に動かされ、しかも中には対処が難しい『狂暴な一般人』も混ざっている人の波は地雷原並みに進行に注意を要し、密林地形などよりも隠れやすい。
それに、この能力は今まで可能な限り使用を抑えて秘匿していたのだ。『殺人鬼のコピー能力』ということはすぐわかっても、その細かい『ルール』はまだ明らかになっていないはずだ。その『ルール』を解明しない限り、この街を包み込むパニックは……この『ゲーム』は攻略できない。
おそらく、一番にその『ルール』を解き明かして自分を探しに来るのはあの節分の日にカインと相対し、その本質の一端を見抜いた人物か、このゲームにおいてのコピーではない本物の『殺人鬼』。カインはそう確信し、好戦的な笑みを浮かべる。
「この『ゲーム』、ルールを解き明かすのにどれくらいかかるだろうな?」
一方、ライトは『攻略連合』の中間管理職である所長と隊長、それに『大空商店街』のサブマスターであるホタルの人脈と権限を利用してメールを一斉送信させ、情報を集めていた。
「『現在目視できる範囲で戦闘の発生している場所を報告しろ』。それだけで本当にいいのか? 暴れてる奴の特徴とかは……」
所長はライトに言われたとおりの文面を作り、その短さに驚いて確認する。
「いい。情報量を無駄に増やすと総合するのに時間がかかるからむしろ『場所以外の情報は一切書くな』と入れてもいい。あ、それから、時間変化も知りたいから『五分後ごとに最新情報を送れ』と付け加えてくれ。それと巡回の隊長さんは部下たちに『先制攻撃禁止』のメールを回してくれ。今暴れてるプレイヤーの中にはパニックで混乱してる奴や敵の能力か何かで精神を操られる奴がいる。ギルド本部の上司からは『敵に賛同して襲ってくる反乱分子は制圧しろ』みたいなことを言われてるかもしれないが、今は威嚇射撃がむしろ混乱の引き金になる状態だから、強引な手は避けて守りに専念させてくれ」
「……わかった」
誰よりも冷静に堂々と考えたことを口に出すライトに従い、所長と隊長はメールを発信する。何をするべきかわからないという状態の彼らにとっては、指針を示されるなら相手が命令系統と関係ないライトの指示でも何もしないよりいいと考えたのだ。
同時に、ライトはホタルにも指示をとばす。
「ホタル、ちょっと大量に用意してもらいたい物がある。なんとか指示通りに動ける要員を何十人か集めてくれ。出来れば屋根の上を移動できる奴と『荷運びスキル』が高い奴、あと低くてもいいから『細工スキル』『木工スキル』がある奴も欲しい。人数分、簡単な工作をしてほしい。」
「なんで私があなたに従う義理があるんですか?」
「おまえが来るまで誰が椿を護ってたと思ってるんだ?」
「くっ……わかりました」
「じゃあこの設計図通りの物を作ってくれ。素材は《竹》でいい。一番早いだろうしな」
ライトは手で書いた図をホタルに渡す。
簡単だが『設計スキル』で描いたものだ。道具を作るスキルを持つプレイヤーが使用すれば簡単に同じ物を量産できる。
「……? こんなものをどうするんですか?」
「いいから後だ。さっさと人集めろ」
「一斉にメールの返信が来た! 読み上げるぞ」
『所長』が声を上げる。
「読み上げなくていい。少し待て……よし、ここにマークで書き込め。インクで丸を描くだけでいい」
「これは……『攻略本』のこの街の地図か。えっと、北側の八百屋の前は……」
「ここです所長。次のマジックアイテム屋はここ、これは武器屋の名前です」
この街の地の利に詳しくない関所の所長に下っ端兵士がサポートに入る。実地で街中を歩き回ったりもする兵士の方が街そのものには詳しいのだろう。
「ライトさん! あっちに一人いましたよ!」
椿に声をかけられ、ライトは視線を移す。
その先には、武器を持って暴れる一人のプレイヤー。あまりの剣幕に周りが逃げていく。
「さっき別の人にぶつかってHPが減ってました! 間違いなく、あの人は『感染されて』ます!」
屋根の上から見下ろされているのを知ってか知らずか、武器を持ったプレイヤーは辺りを見回し、目があったプレイヤーに向かって走り出す。
狙われたプレイヤーは逃げるが、後ろから浅く斬りつけられ……自分も剣を抜き、報復するように斬りかかる。
その眼には、狂気の光。
「すごい……本当に感染してますね……」
互いに斬られ、斬り返すという連鎖を繰り返す。
生々しく痛々しい。
「……変だな、なんでどっちも『防御』がほとんど出来てないんだろうな」
「凶暴になって攻撃しか頭になくなっているんじゃないですか?」
「その割には斬られたときのリアクションが大きい。やられるのを気にしてないようには見えない……むしろ、『不意をつかれた』みたいな反応だ。まるで……突然意識が切り替わった直後みたいに……」
斬り合っていた二人はいつしか片方が痛みに耐えかねて最後に相手を斬ったまま逃げ出し、斬られたプレイヤーは傷を押さえ、周囲を見回す。
「あー……なるほど、そういう『ルール』か。なんてことはない、普通に誰でも知ってるゲームだ」
十数分後。
混乱した人波を縫うように進む『カイン』は明確な理由があるわけではないが、『野生の勘』に近い何かを感じた。
敵意を向けられている……探されている……追われている。
そんな、野生動物が危機を感じるのと似た感覚。
大昔に経験した『狩り』を思い出させる、恐ろしくも懐かしい感覚。
「……そろそろ潮時か」
パニックは十分に広げた。
そろそろ予め用意された宿部屋のアジトへ隠れ、ほとぼりが冷めて新しい指示が来るまで潜伏するだけだ。
まあ、もちろん……『あちら』がそれを易々と許してくれるとは思わないが……
「!!」
走っていた方向の先に見えたのは、空色の羽織りを着た男。
誰かを探すように辺りを見回している。
あの服は知っている。事前に渡された資料に載っていた要注意人物の目印であり、以前会った相手の『身体』の持ち主のコスチュームだ。
だとすれば、見つかるわけにはいかない。
中身に以前正体を見抜かれた『あいつ』が入っていた場合、おそらく一目で見抜かれてしまう。
すぐさま方向転換……した直後だった。
「そこかぁあ!!」
頭上から聞こえた『高い声』。
女の声に聞こえたが……
そこで『カイン』は思い出す。
直前情報では警戒すべき相手の『ライト』は女装していると聞いていたのだ。てっきり、それどころでなくなってもう女装は解いているだろうと思っていたが……
(あっちは囮……気付かれずに近づくために、凝ったメイクをそのままにして追ってきてたのか)
声の方を仰ぎ見ると、人波を『壁ジャンプ』という思い切った方法で突破して襲ってくる帽子をかぶった女。その両手には鎖が握られている。
「チッ!!」
咄嗟に回避して人々の間を抜けながら、カインは辺りを見回す。
(どこかに強そうなプレイヤーは……)
直接の戦闘になると分が悪いのはわかっているが、ただ逃げていてどうにかなる相手でもない。
ならば、足止めが必要だ。
強そうなプレイヤーに『模倣殺人』を打ち込み、命令して迎撃させ、その間に逃げればいい。
辺りを見回し、装備品などから高レベルだとわかるプレイヤーがいないかと探ると……いた。
道の縁の建物の出っ張った屋根の影に隠れるようにしている『攻略連合』のフル装備兵士。
どうやら上司への報告のためか指示を仰いでいるのかはわからないが道に背を向けてメールを操作しているようで、こちらを見ていない。
隙だらけでしかも『攻略連合』のメンバーならレベルも相応……決まった。
人をかき分け、しかし気付かれないように気配を殺して接近し、背中と首の鎧の間を狙って《血に濡れた石》を振り上げ……
「悪いな、知り合いからのメールで『追い込んだ』って連絡受けてたところなんだ。……糸スキル『インビジブルバインド』」
振り落ろされる途中、屋根から垂らされて網のように空中に配置されていた細い『糸』で絡められ止められる。
さらに、空色の羽織りを着た男……『攻略連合』の下っ端兵士と、帽子をかぶった女……ホタルが追いついてきて包囲する。
そして、『攻略連合』の鎧を着たプレイヤーは振り返って言った。
「鬼さんみっけ」
その顔は間違いなく、資料にあったいつもの『ライト』のものであった。
その視線の先にいたのは、商店街の復興労働者に変装するためかツナギを着た中学生くらいの少年。武器にしている石を誤魔化すためか、いかにも建物の材料にするための石を集めて入れたかのような木箱を抱えている。これなら、箱がぶつかったふりをして気にとまることなく攻撃を加えていくことも可能だろう。
「『メイクアップ ベイス』」
高い戦闘力を持つ三人に包囲されて逃げ場のない『カイン』を見ながら、ライトは悠々とホタルと下っ端兵士から投げ渡された帽子と羽織りを受け取り、装備していく。
そして、そうしながらも逃げ出す隙など与えず、勝負は決まったとでもいうような態度で語る。
「『鬼ごっこ』は、オレの勝ちだ」
同刻。
『時計の街』とのゲートが繋がった『蝋燭の街』にて。
『攻略連合』が隠していた『増援部隊』が……蹴散らされている。
「貴様我々が誰かわかっているのか……グアッ!!」
一人殴り飛ばされる。
「我らは犯罪組織を確実に捕らえるため……ぎゃああ!!」
また一人、蹴り飛ばされる。
「お前まさか、封鎖を破るつもりか!? 一体どういう魂胆があってこの一大作戦を、まさか犯罪者の仲間なの……くうわああ!!」
投げ飛ばされる。
そして、ゲートを目指す『彼女』は、怒りの形相で自分を囲む『攻略連合』に告げる。
「どんな魂胆やて? こっちこそ、聞きたいわ。どんな大層な理由ならべてこんなことしとんのか」
金属バットを片手に、さながら『殴り込み』といった雰囲気を醸し出す女性プレイヤー……花火は、立ちはだかる『攻略連合』を睨む。
「どんな了見で、うちのサブマス危険なとこに閉じこめとんのや、このアホどもが」




