133頁:疑心暗鬼を予防しましょう
『彼』は6月2日の時点からずっと待機していた。
街へ出入りするプレイヤーの確認?
確かに妥当な手ではある。
少なくとも、規格外のサイズで破格の破壊力を持つ『イヴ』や一体でも侵入すれば増殖して手が着けられなくなる『黒いヒト型』の侵入は防げるし、逃げ出した『脱獄犯』や既に『要注意人物』として挙げられ、顔が知られているような凶悪な犯罪者の侵入も防げる。
しかし、その程度の対抗策など誰でも思いつく。
そして、その対抗策も簡単だ。
怪盗が予告状を出したあとそのまま美術館に予告した時間まで隠れ続ける……そんなトリックはあまりに簡単すぎて最早一種のギャグのように扱われる展開だが、その程度の対抗策で本当に十分だった。
何せ、『時計の街』はプレイヤーだけで二千人以上が暮らしており、さらにNPCを加えれば万単位はくだらない。
そんな場所で、『出入りするプレイヤー』は調べられても『中にいるプレイヤー』を全て調べることはできない。
だからこそ、『彼』は命令が来るまでじっと待機していた。
犯罪者だからといって、常に犯罪ばかりしているわけではない。
何も事件を起こさず、普通に買い物をして普通に食べて寝てただ安穏と日々を過ごしていた。
だが、6月11日。
とうとう命令が下った。
『彼』は……『カイン』は、潜伏期間を終え、動き出した。
《現在 DBO》
6月11日。
突如、『時計の街』の市街地で発生した『ダメージ』は、途端に混乱を巻き起こした。
6月2日の『同時多発傷害事件』から9日、商店街壊滅の衝撃によってその印象が薄れた『街中での攻撃』の恐怖は『攻略連合』の警備によってさらに安心し気が緩んでいたプレイヤー達に不意打ちのように襲いかかった。
「わー!! 逃げろー!!」
「いや待て!! 取り押さえるんだ!!」
「相手は犯罪者だ!! 多少傷つけても問題ないだろ!! 数で囲め!!」
しかし、何も油断したプレイヤーばかりではない。街には『無力な一般プレイヤーを守る』という名目で居座っている『攻略連合』のメンバーや、以前『イヴ』の蹂躙を許し、仲間を失った雪辱を晴らそうと心に決めた戦闘職、それに、本来は戦闘がメインというわけではないが目の前に危険が迫り本能的に身を守ろうと武器を取る一般プレイヤーなどが数え切れないほどいる。
『自分たちの街では敵の思い通りになんてさせるものか』。そんな決意とともに動く人の群れは、縄張りを侵された草食動物さながらの強さを発揮する。
それこそが、敵の思惑通りだとしても……
「……『殺人鬼を量産する技』か。とうとう本格的に出してきたな」
「言ってる場合じゃないでしょう! 話が違います、殺人鬼が跋扈するような危険な街からはすぐに帰らせていただきます!」
「それ死亡フラグだぞ。それに多分『すぐに』は無理だ」
椿は身の危険を感じて慌てるが、ライト(女装中)は先程二人で抜けてきた『ゲートポイント』の関所を指差す。
その先では……
「おい街から出せ!!」
「逃げられねえだろが!!」
「押すな押すな、前が詰まってるんだ!!」
椿と同じ考えのプレイヤー達が寄ってたかって他の街に逃げようとしているが、『攻略連合』のプレイヤーがゲートポイントの周りに盾や家具、鉄の柵などで簡易要塞を築き、ゲートポイントから人に人が入れないようにしている。
さらに、一人が転移ゲートに腕を入れて固定している。
『ゲートポイント』は街と街を繋ぐ転移施設だ。
その転移の形式は転移先の街の名前を唱えることで指定し、転移先のゲートポイントと繋がる光の渦を出現させ、それを通り抜けると転移完了となり数秒でゲートは閉じる。通り抜けずに放置していても数秒経てば消えてしまう。
そして、同時に繋げられる転移ゲートの数は『ゲートポイント』一つにつき一つだけ。そのため、イベントなどで一つの街に大量のプレイヤーが集まろうとするとゲートが『接続待ち』となって転移に時間がかかることがある。
現在連合メンバーが行っているのはそのシステムを利用した『ゲート封鎖』。
ゲートを通り抜けずに『使用中』の状態にしておくことで他の街からの転移を防ぐ。これを破るにはゲートを『使っているプレイヤー』を引き離すか、ゲートを開いたプレイヤーが最初に指定した転移先から入ってくるしかない。
つまり……
「彼ら……誰も出入りさせない気ですか?」
「元々、出入りの制限はこういうとき『犯人を逃がさないため』っていう意味合いがあった。中で騒ぎを立てれば、袋の鼠で一網打尽。数で勝る『攻略連合』の包囲網ならこの街を封鎖することも不可能じゃないからな。多分、『ゲートポイント』以外の街とフィールドを繋ぐ門も似たような感じだろうし、ゲートが繋がってる先にも連合のメンバーがいて増援なりあっちの封鎖なり用意してるんだろ。他のギルドに手出しさせず、手柄はみんな『攻略連合』のもの……『大空商店街』は、奴らにとっては『戦線』がいいようにやられた『敵』を誘き出して誘い込むための『餌』だったわけだな。なかなか考えるじゃないか」
「そんな!」
「だが……」
「おい大変だ!! 北側でも暴れ出した奴がいるらしいぞ!!」
「東でも急にだ!!」
「この混乱、『攻略連合』の奴らは本当に押さえ込めるのか?」
同じ頃。
『攻略連合』の巡回部隊が武器を持って暴れていたプレイヤーを一人発見し、取り囲む。
暴れていたプレイヤーはあからさまな戦闘用の装備ではなく普段着で、手には一般プレイヤーが自衛のために持ち歩いていても違和感のない程度のランクの剣を持っている。
「くっそ……一般プレイヤーに混じって入り込みやがったのか」
囲む巡回部隊のプレイヤーは前線で戦えるレベルと『攻略連合』の内部で量産している連合のロゴの入った重装鎧に身を固めている。レベルも装備も一級、加えて数の有利もある。
万に一つも負ける要素はない。
たとえ相手が狂った凶暴な犯罪者だとしても……
「……え?」
たとえ、相手が本当に凶悪犯だとは見えず、既に剣を落として怯えて手をあげて降参の意を見せていても………?
「……油断するな、油断させて逃げ出す機会を狙ってるかもしれない。紛れ込まれないように、周りの野次馬を遠ざけろ! ついでに被害者も保護しとけ……」
「大丈夫か……ぐあっ!? なんだ貴様……」
驚きに巡回部隊の隊長は目を見張る。
見たのは予想外の光景。
『保護しようとした被害者』に斬りかかられる仲間の姿。
「ちっ、被害者もグルだったのか!? おい、そいつを捕まえろ……」
そう指示した直後、斬りかかられた隊員が剣を抜き、振りかぶって『本気で』被害者に斬り返した。
フル装備の前線戦闘職の本気の一撃は、戦闘装備ではない非戦闘員の一般プレイヤーには十分致命傷となりうる。
そんなことは、常識以前の話だ。
それなのに、どう見てもその一撃は『本気』で、斬られたプレイヤーはそれを受けきるにはあまりに弱く……HPは少なすぎた。
その光景に、大衆は息をのむ。
今、まさに目の前で起きた『攻略連合のプレイヤーによる殺人』。
それを見たプレイヤーの目には『恐怖』が満ち……プレイヤーを斬り殺した隊員の目には確かな『狂気』が浮かんでいた。
数秒の沈黙の後に悲鳴が上がり……もはやパニックの波は誰にも止められないものとなった。
同じような事は何ヶ所も続けて起こっている。
鳴り止まぬ悲鳴、逃げ惑う一般プレイヤーと商売道具をまとめて逃げようとする生産職、自衛のために武器を構えるプレイヤー、走り回って騒ぎの『元』を探して止めようとする戦闘職。そして、状況を理解しようと敢えて『何もせず』状況を見極めようとするごく一部のプレイヤー達。
ライトは、椿を抱えて屋根の上に移動し状況を俯瞰する選択を取った。
「あいつ被害者じゃなかったのかよ!!」
「連合の奴から離れろ!! 奴らも信用ならない!!」
「おい、おまさっきまで守ってくれるって……ぎゃー!!」
「オレど突いたやつどこだ!! 叩き斬ってやらあ!!」
「いやー!! 近寄らないで!! 誰も私に近付かないで!!」
「こっちくんな!! 来たらぶっ殺してやる!!」
「……どうやら、『襲われた被害者が人を襲う』『味方だと思ってた奴が襲ってくる』『犯人を取り押さえようとした奴が凶暴になる』……主な情報はこんなところか。椿、こいつはちょっと面倒な事態かもしれないぞ」
「どういうことですか?」
「ちょっと考えればわかることだ。これによく似た状況はよく知ってると思うが? 映画とかで見たことないか? 『ある種類の化け物』に接触されるとどんな善人も味方だったやつも敵になっちまう、そんなかんじのジャンル。スプラッタとかホラー系で」
「……まさか、ゾンビ映画……『感染』ですか?」
「『HP保護』を双方向に無効化する『殺人鬼』のコピー能力だ……しかもパニックと進行速度が結構ヤバい。まるで油を張った水面に火を投げ込んだみたいに、不自然なほど急速にパニックが広がってる。これ、責任者がどうとか言ってたら間に合わないパターンだ。」
ライトは椿を抱えたまま屋根の上を走り出す。
「ちょっと、やめてください!! 事件の解決を試みるなら勝手ですが、私を降ろしてください!! そして一人でなんとかしてください!!」
「いや、今はオレから離れない方が身のためだぞ。いざとなったとき椿一人じゃ戦えないだろ? この事態、逃げ回ったり隠れたりしてれば凌げると思わない方が身のためだ」
「どういうことですか!?」
ライトは屋根から屋根へ飛び移り、地上にいるプレイヤー達に見つかりにくいように移動する。
「今回のパニックの一番厄介なところは『敵味方がはっきりしない』って所だ。むしろゾンビ映画みたいに歩き方がノロノロしてたり目が充血してたりすればわかりやすいが、『凶暴化する』ってだけの変化じゃパニクってるプレイヤーと変化したプレイヤーの見分けなんてつかない。まして、さっきまで安全だったプレイヤーが今も安全だとは限らないとなるとプレイヤー達は疑心暗鬼に陥るはずだ。下を見てみろ、もう正常なプレイヤー同士で勝手にやり合ってる奴らもいる」
椿が地上を見下ろすと、そこらじゅうで武器を手にとってぶつかり合うプレイヤーが見える。攻撃が当たってもダメージがどちらにも発生しないところを見ると『殺人鬼化』はしていないようだが、それでも戦闘をやめない。
「ほとんどのプレイヤーは状況を把握しきれてない。敵の数も、特徴も、考えも……その見分け方も知らないんだ。明確に知っていることは『自分の命が脅かされている』っていうことだけだ。そうなったらもう、敵も味方も関係ない。安全だったはずの街だろうと、ついさっきすれ違って挨拶した相手でも、自分達を護ろうとしてくれている正義漢でも、自分達が護ろうとしていた弱者でも、全部敵に見えてくる。」
本来、この街のプレイヤーを守るためにいたはずの『攻略連合』は誰を守ればいいのかわからずに右往左往し、中にはゲートポイントを封鎖しているのを『敵とグルだった』と判断されて一般プレイヤー達と戦闘になっている者もいる。
「自分の方へ逃げて来るプレイヤーは襲ってくる敵に見え、怯えて隠れてるプレイヤーは不意打ちを狙う刺客に見え、自衛のために武器を持ったプレイヤーはあからさまな危険人物に見え、話し合おうと言うプレイヤーは油断させようとしてくる卑怯者に見える。一番賢いのは近場の宿屋にでも逃げ込んで部屋に逃げ込むことだろうが、同じ考えの奴らが集まってまた争いが起きる。それに、オレだったらそれを見越して宿屋の近くを重点的に狙って『感染』を広げさせるな。あるいは、大量に部屋だけ借りて満室になりやすくしておくか……逃げ道対策は簡単だ。元々この街に宿を持ってるプレイヤーでも、自分の宿に辿り着くのが難しいだろうしな。簡単に言えば、『恐怖映画での単独行動は死亡フラグ』ってやつだ。自分の身を守る自信がなければ強い奴に荷物みたいに運ばれてる方がまだ安全だぞ」
「……冷静ですね。恋人さんやスカイさん達は心配じゃないんですか?」
「皮肉なことに、ナビとか『大空商店街』の主要メンバーのほとんどは宿部屋に軟禁状態。ギルドマスターの発言力で監視を押しのけて自分の店に居座ってるスカイに関しては心配の必要ないな。あいつに関しては自分の城で負けるほどマヌケじゃない。ま、でも防御に限った話になるだろうけどな。だから『オレたち』のすべきことはすぐに駆けつけることじゃなくて、パニックの元を絶つことだ」
「さり気なく私も戦力に組み込まれてますが……このパニック、犯人を捕まえたところで収まるとは思えませんが」
「その辺はマリー=ゴールドに任せる。元栓さえ解決すればパニックはすぐに収めてくれるだろう。あいつの能力は椿と似てるが『影響力』に関してはあっちが上、広範囲で応用が利く。逆にそのせいで動きを制限される部分もあるが、被害を抑えることに関してはマリーが適任だろう。大方教会の辺りを中心にパニックを収束させつつ『認識の壁』でも使って避難所を作って、『予言』で戦闘職の攻撃を受けると危険なプレイヤー達を集めてるんだろうな。教会なら回復目的で集まるプレイヤーも多いだろうし、あそこを根城にしてるマリーのことだからこういうときのために認識操作のための『マーキング』くらいはしてあるはずだ。咲もいるから大人数の物量作戦で強行突入してこようとしてきても余裕で倒せる。とりあえず、この街で一番なのはあそこだろう」
「じゃあそこまで運んでください。」
「悪いな、生憎だか今はそんなことやってる時間はない。ことは一刻を争うんだ。今は少しでも戦力が欲しい。他にも、この状況下でパニックに飲まれずに動けて、尚且つ戦闘能力か情報力に優れた奴があと二三人くらいほしい所だ」
「そんな都合のいい人なんて……あ」
椿は思い出した。
自分が『戦力』として数えられるに足る理由を。
「椿はもう『巡回部隊の隊長』と『関所の所長』には『根』を張ってるからある程度は自由にできるだろ? それに、もう一人『大空商店街』の幹部メンバーでありながら軟禁なんて関係なく動き回って、情報力とそれなりの戦闘能力、それにこんな程度の『異常事態』になんて負けない異常さを持っていて椿のお願いならすぐに駆けつけてくれるプレイヤーが」
「まさか……」
椿はその可能性を考え、他の可能性を模索し、やはり諦める。
ライトはこういうとき、使える物はなんでも使うタイプだ。
どれだけ自分を嫌っている相手だろうと……その知り合いを人質のように使ってでも利用する。
「メールでホタルを呼んでくれ……これから、『攻略連合』の関所に向かう。そこで作戦会議だ」
混乱のド真ん中に行く以外ないと悟るのに、それほど時間はかからなかった。
同刻。
私は『凡百』、脇役だ。
でも、今はそうも言ってられない。
「モモさん、慌ててはいけません。ゆっくり、静かに、誰の気にもとまらないように移動するんです」
「う、うん。わかってる」
NPCに化けるユニークスキル『パンピースキル』。
これほど『これがあって助かった』と思ったのは今回が初めてだ。今の私は他のプレイヤーから『NPC』に見ている。そして、状況はよくわからないけど、今の混乱はプレイヤー同士が疑心暗鬼になって傷つけ合っている。
『プレイヤー』でなければ、誰も襲ってこない。
「イザナちゃん、どこへ向かってるの?」
「とりあえず教会へです。あそこはまだ比較的安全らしいので」
争う人、怯える人、逃げる人を横目に道の縁を歩き続ける。
まるで一種の地獄絵図、冷静に見るとみんな『見えない敵』の恐怖に少しおかしくなってるように見える。
「路地裏を通りましょう。あちらは少し人口密度が高すぎますから」
イザナちゃんの指示に従って建物の間の隙間を通ろうとした、その時だった。
「おらあ!!」
すれ違った人が棍棒で突然襲ってきた!?
ギリギリで回避できたけど……ヤバい。
この人、目がいっちゃってる。正気じゃない目してる。
どうしよ……相手が『誰でもいい』っていう人だったら、いくら私がNPCになりすましていたって意味ない。
あ……また棍棒を振りかぶって……
「……『神生み』」
ガシッ
と、肉の音と共に棍棒が受け止められる。
でも、受け止めたのは私じゃない。私は初撃で驚いて尻餅ついちゃってたから、そんなことができる状態じゃなかった。
つまり誰かに助けてもらった……でも、一体誰に?
「大丈夫ですか? モモさん?」
「あ、うん。ありがとう、イザナちゃ……ん?」
手を差し伸べてくれたイザナちゃんの姿に違和感。というより、確信するレベルの違い。
イザナちゃんが大人に見える。精神的な意味合いでなくて身体的に。
いくら私が尻餅をついていて見上げていても、さすがに見間違えないくらいに大きい。赤い髪が少し茶色がかって伸び、顔が大人びて、胸が大きくなっている。
それに、もう一つ大きな変化。
HPを表示する枠のデザインが……『プレイヤー』を示す物になっている。
「イザナちゃん……だよね?」
「……すみません、細かい話は後です。今は『あの子』に任せて教会へ急ぎましょう」
イザナちゃん……いや、『イザナさん』と呼ぶべきお姉さんの指す先にいるのは、私を襲ってきた人の棍棒を止める一人の人影。
全身に包帯を巻き、顔すらも全く見えないが、輪郭が少し『歪』に見える。左右で長さ違う手足、凹んだ頭、出っ張った背中、膨れ上がった肩。
そして、知性を感じさせず、まるで単純な命令に従うように動き、自らの身体で棍棒を受け止める姿。
そのシステム的に表示される名前は『ヒルコ』、NPCだ。
イザナさんは突然私の手を引っ張って、耳打ちするように言った。
「『NPCを産むことができる』……それが私の能力『神生み』です。申し遅れましたが、私のゲームをクリアしたあなたに一時の忠誠を誓います……『凡百』さん」




