121頁:NTRには気をつけましょう
『アイアンクロー』
秘伝技。
相手を掴み、握力でダメージを与える。
また、応用で岩壁に指を食い込ませて長時間ぶら下がり続けるというようなこともできる。
修得には『クライミングスキル』の前もって修得が必要。岸壁の上に住む怪鳥の巣を訪ね、師事を乞わなければならない。
五月末。
突然のことだった。
「ライト、好きだ。あたしと付き合ってくれ」
ライトをメールで呼び出したナビは、現れたライトの顔を見るなりそう言った。
メールの内容は『手合わせしてほしい』というものだったが、ナビは集合場所のダンジョンの奥の安全エリアの泉で武器一つ持たず、防具となる上着も着ず、私服すら着ずに、ほぼ下着だけという格好だった。
「……ナビ、なんでいきなり……しかもなんでそんな格好で?」
「あたしの本気をわかりやすく見せるためだよ。こうでもしないと『油断させる作戦か』とか『エイプリルフールは四月だぞ』とかすっとぼけそうだから、冗談じゃ絶対にしねえような格好で待っててやったんだ。ありがたく思えよ」
「……ちなみに、いつからスタンバってたんだ?」
「機能メール送ったすぐ後からだ」
「早すぎだろ!!」
「本当は全裸待機も考えたけど逆に正気を疑われそうだからやめておいた」
「今でも十分疑うぞ?」
ナビの表情は真剣だった。
ライトにはそれが嘘ではないと一目でわかる。
ナビは本気で……ライトに告白していた。
「……シャレや冗談じゃないのはわかった。だが、何でいきなり告白してきたんだ? なんか必死に見えるぞ」
「ああ……こんな気持ち、本当は墓まで持ってくつもりだったけどな……やっぱ、心残りはなくしておきたいんだ」
「……まるで、死にかけてるように聞こえる。何かあったのか? HPは満タンだし……リアルの身体が病気になったとか……」
「いや、そうじゃないんだ。それならむしろこんな告白なんてしない。さすがにその時はナビキに譲るしな……だけどこれは、あたしだけの問題だ。あたしという、『ナビ』っていう一人の人格としての問題だ。ナビキの中の一部としてじゃなく、あたし自身と付き合ってほしい」
ナビの訴えは必死だった。
そう、文字通り……『必ず死ぬ』からこその言葉だった。
「……もしかして……」
ライトが何かを察したように呟くと、ナビは悲痛な表情で頷いた。
そして、ライトは確認するように問いかけた。
「ナビキの第二人格としての『ナビ』が……消えかけてるのか?」
ライトに促されて服を着たナビは、泉の縁に座る。
そこに映る自分を確認するように。
その姿は……普段の戦士のようなナビとは大きく違い、清純な印象を抱かせた。
「あたし、最近弱くなってんだ……精神的に。強がっちゃいるけど、強い相手の前では足がふるえて思うように動けねえし、攻撃するにも力が入らねえ。この前の襲撃イベント……あの辺りからだ、特にそれを自覚したのは。あの時は、あたしが足を引っ張ったせいで一般の奴らにも死人が出た。あれは、あたしのせいなんだ。あたしがヘマやったから、包囲網を突破されちまった」
「それは……」
「違わない。それに、違ったって変わらねえんだ。あれくらいから、あたしはどんどん弱くなってる。それに、起きていられる時間も短くなってきてんだ。去年は一日20時間くらい起きてられたのに、今じゃ6時間か7時間くらいだ……日増しに短くなってるよ。」
ナビは水面に映った自分の顔をかき乱す。
「別に驚くことじゃねえ。むしろ、今までが不自然だったんだ。何しろ一つの脳みそに家主一人と居候二人、狭すぎだろ。そもそもあたしの役割は臆病者のナビキを護ること……あたしはそのためだけに生まれてきたんだ。ナビキはあたしが弱くなるのより
、もっと強くなってる。あたしはもう必要ない。あたしがいなくてもナビキは一人でやっていけるんだ。エリザは……最近めっきり会わねえし、頭の中でも連絡取れねえから、もしかしたらもう先に逝っちまったかもしれねえな。あるいはマイペースなあいつのことだから、ナビキに統合される前に抜け出して野良にでもなっちまったか……本当はあいつとももっと話したかったんだけどなぁ」
ナビは気付いているだろうか。
あるいは気付いていて見ないように水面を乱しているのだろうか。
自分が泣きそうな顔をしていると。
「悲しくはねえから同情なんてすんなよ。あたしは病気みたいなもんなんだ。乖離性同一性障害、多重人格、精神障害……それが治るって話なんだから良いことじゃねえか。ただなあ……悲しくはねえけど、どうしても心残りがあんだよ」
「それが……オレか?」
「ま、こんな感情すらもナビキの影響力が強くなったせいでつられちまっただけだろうし、統合の障害にはならねえだろう。だけど……ついつい連鎖的に思っちまった。」
ナビは寂しげに微笑む。
「あたしは戦うために生まれてきた……だけど、最期くらいは戦いだけじゃない生き方をしたいんだ。恋をして、なんでもない日常を楽しんで……病気が治るようにいつの間にか消えてるんじゃなくて、誰かに看取ってもらいながら、悼んでもらいながら死にたい。」
誰かに見送られて、『消えたい』のではなく『死にたい』。
『病気』ではなく、一人の『人間』として。
それは、とても人間らしい心。
「どうせほっとけば消えちまうんだ。無意味なのはわかってる。元々一人の人間として産まれることさえ出来なかったあたしが人間らしい最期なんて贅沢望むのは変だってのもわかってる。最期の最後で心残りだなんて往生際の悪い、しかもそれを引き合いに出してこんな告白するのは卑怯だってのもわかってる。でも、それでも少しでも同情してくれるなら……嘘でもいい、そのふりだけでもいいから……あたしを……」
ナビがライトの方を向いた直後には……
ライトは既に、ナビを抱きしめていた。
「わかった……こんな男で良ければ、オレはナビを心から本気で愛すよ。いつまでもこの世にいたいと思うくらい、幸せにしてやる。覚悟しておけ」
ナビはライトの腕の中で……幸せそうに微笑んだ。
「あたしがいなくなっちまったら……ナビキの気持ちにもこのくらい向き合ってやってくれよな」
《現在 DBO》
6月1日。昼過ぎ。
「…………」
「…………」
「…………」
『時計の街』のとある宿屋にて。
事情の説明を終え、気まずい沈黙に浸るナビ、ライト……そしてナビキ。
数十秒の沈黙の後、口を開いたのはナビキだった。
「ナビ、先輩……どうして私に教えてくれなかったんですか? そうすれば、私もあんなふうに怒ったりはしなかったのに……」
ナビとライトのデート現場を目撃してしまい思わず手をあげてしまったナビキは申しわけなさそうに、しかし責めるように並んで向かいに座るライトとナビを見る。
二人でアイコンタクトを交わした後、答えたのはナビだった。
「だって……ナビキに教えたら、ナビキはきっとあたしを残そうとしちまうだろ?」
「だから見つかったとき、あんな挑発するようなこと言ったの?」
「……ああ。」
ナビキに知られたら、おそらくナビキはナビを残そうとする。しかし、ナビはナビキの人格が正常に戻る方が大事だと考えたのだ。
そして、ライトもその意志を尊重して黙っていた。
しかし、ナビキは納得できない。
「なら……そうだ! マリーさんに相談すればきっと……」
「マリーにはナビが延命しない意志を伝えてある。ナビキが頼んでも、マリーはナビを延命しない。オレはナビが生きていたくなるようにできる限り楽しい思い出を作ったが……ナビの心は変わらないらしい。起きていられる時間も、日に日に短くなってるよ。長くても6月中だろうな」
「そんな……」
マリーは人の心を操ることに関しては一流だ。
しかし、その反面で人の意思と選択を尊重し、それを曲げることは好まない。
マリーならナビという人格が消えるのを止められるだろうが、本人がそれを拒むなら何もしない。そういう人物だ。
たとえ主人格が望んでも、『自然な状態』に戻ろうとするのを止めることはできない。
「本当はナビキには黙っていなくなりたかったんだけどな。いつの間にかいなくなって、いつの間にか忘れて欲しかった。そうすりゃ、悲しくないだろ?」
悲しくない……わけがない。
しかし……
「ナビキは最近、あたしとエリザのこと、時々忘れそうになってるだろ?」
「!!」
「頭の中でも、もうあたしらはほとんど権限がない。あたしらの存在がナビキの中で小さく、薄くなってる。もう、ナビキの脳の中であたしらの領域が残り少ないんだ。じゃなきゃ、あたしとライトが付き合ってるのに何日も気付かないなんておかしいだろ?」
『忘却』という能力は、人間の持つ中でも特徴的な能力だ。
これがあるからこそ、人間はパンクを恐れず、大量の情報を処理できる。いらない情報を常に消去して、新しい情報を常に取り入れる脳の新陳代謝のような機能。
そして、それは無意識に行われ……いつしか忘れたことすらも忘れていく。
幼い日の妄想のように……過去のものになってしまう。
「私が……ナビとエリザを……うっ!」
ナビキは、顔を手で隠して部屋を飛び出す。
その途中漏れた嗚咽を聞き、ナビキの心境を察したライトとナビは後を追わずに留まる。
「臆病者の次は泣き虫か……本当に大丈夫かね、うちの主人格様はよ」
「ま、自分が知らないうちに『妹』を消そうとしていて、しかもそれに気付きさえしなかったんだ。一人で心の整理をする時間は必要だろ。それに、泣き虫は主人格だけじゃないさ」
ライトはナビにハンカチを差し出し、ナビは自分も涙を流していることに初めて気がつく。
「本当は、ちゃんとナビキにも悲しんでもらいたかったんだろ?」
ナビは無言でハンカチを受け取り、目許を拭う。
そして、ライトはその隣で言葉を続ける。
「前にも話したが、オレとメモリがいればナビの人格データもコピーできる。まあ、所詮コピーだから完全とはいかないが、擬似的な避難ができる。ナビキの脳内に居場所がなくなっても、媒体を変えて存在できる。まあ、その場合再生の媒体はオレになるんだが……別に、ナビキを正常にしてナビも存続するのは不可能じゃないんだ。それでもやっぱり、ナビキの中で最期を迎えるのか?」
「……ああ、そこはあたしの最後の意地みたいなもんだ。戦士として生まれたからには、一つだけの命を悔いの残らないように、最後まで全力で生きる。せめてそれくらいは……戦士としてのあたしとして、貫きたいんだ」
「最期まで潔く、それが戦士としての意地か……立派だよ。」
「……ところでライト……ワリーがそろそろ時間だ……ナビキへの後の説明は頼むぜ」
「もうそんな時間か……朝起きたのは?」
「10時……45分くらいだ……」
「今は4時20分……5時間35分か、少し頑張ったな」
「じゃ……また明日な」
「ああ、お休み。ナビ」
ナビはライトに寄りかかるようにして眠りに落ちる。
そして、ライトは呟く。
「一日平均15分づつ短縮。このペースだと、本気で今月中だな。ナビキが意識して遅まっても来月までは保たないか……」
本気で悲しそうな、恋人が不治の病に陥ったような声。
遊びや嘘ではなく、本当に相手を愛せてしまう。
相手に見えていないところでも……
「本当に、妬いちゃいますよ。『お姉ちゃん』としては恋人より私を頼って欲しいのに」
ライトに寄りかかって眠っているはずのナビの口から、そんな言葉が紡がれた。
明らかにナビとは違う口調で。
「……ナビキ?」
ライトの目の前で僅かなノイズと共に髪型がストレートから三つ編みに変わる。
そして表情が、性格の違うものに変わる。
そして……ナビキは目を覚ました。
「勝手に消えちゃうとか、許しませんから」
ナビキは身を起こし、ライトと向かい合う。
「ナビキ、どういうつもりだ?」
「原点回帰です。こうすれば、どうやってもいつもナビの側にいられます。それに、寝ている間のナビの身体は無防備ですし、その貞操も護らないと」
「いや、オレは襲わないよ?」
どうやら、アバターの入れ替えの要領でナビキの意識をナビのアバターに移転したらしい。おそらく、今彼女達は同じ身体に眠っているナビと起きているナビキが共生しているはずだ。それこそ、最初のナビとナビキの関係に近い。
アバターを分けて行動するようになる前の状態に戻したのだ。
「……そんなふうにしても、ナビの寿命は延びないぞ」
「それはわかってます。でも……」
ナビキは、ライトに力強く言った。
「ナビが弱くなったなら、私はナビを護ってあげたいんです。ナビが弱い私を護ってくれた、その恩返しがしたいんです。」
それを聞いたライトは、少しだけ考え……
「妹を護るのはお兄ちゃんやお姉ちゃんの義務か……わかったよ。ナビにはオレが説明しておく……怒るだろうけど、内心喜びそうだしな。よろしくお願いするよ、『お姉さん』」
ナビキはニッコリと笑って返した。
「じゃあとりあえず、次からデートは『お姉ちゃん』同伴ということで」
同刻。
主要な街には、狩りから帰るプレイヤーや夕食の材料を求めるプレイヤーが増え、賑やかになる。
そんな中……
ある街のゲートポイントの前に、一人の男がいる。
剣を片手に持ち、虚ろな目でゲートポイントから出てくるプレイヤー達を見ている。人々はそれを少々不審がるが……咎めはしない。
ここは街の中、武器を持っていても危険人物とは言えない世界なのだ。
人々はそんな男のすぐ側を歩いていく。
そこで、男にメールが届いた。
男は、メールを読んで不気味な笑みを浮かべると、人々のいる方へ歩き出す。
そして……
ザシュ
この日、ほぼ同時刻に、主要な街の『内部』で通行人が襲われ、ダメージを受ける『同時多発傷害事件』が発生し……それは翌朝には、プレイヤー中に知れ渡ることとなった。
(凡百)「私は凡百、脇役だ……って、言ってる場合じゃなさそう」
(イザナ)「モモさん、早くこちらへ!」
(プレイヤーA)「探せー」
(プレイヤーB)「あれ? 何のために探すんだったっけ……まあいい、見つけてから考えろ!」
(プレイヤーC)「凡百いねーかー!!」
(凡百)「ていうか、なんで私追われてるの!? なんにも悪いことした憶えないんですけど!!」
(イザナ)「とにかく逃げましょう! 案内します!」
同刻。
(マリー)「あら? ちょっとお話したかったから探してもらおうかと思ったのに……やりすぎましたね。」
(スカイ)「思いつきで人巻き込んで……相変わらずはた迷惑ね」




