95頁:女の子相手でも油断してはいけません
デスゲーム開始から一ヶ月半時点。
ゲームの進め方に関しての基本的な方針が決定し、前線で攻略を進めるプレイヤーだけでなく、積極的に攻略に参加しない『一般プレイヤー』にも気持ちに余裕が出来てきた。
しかし、その反面考える余裕ができて、後ろを向いてしまう者もいた。
(もしゲームをクリアしたとして、それからどうなるの?)
ある者は目をそらし、ある者は希望的観測で自分を保ち、ある者は絶望した。
(クリアに何年かかるの? 一年? 三年? 五年? 十年? もしかしたら一生?)
そして、自分の意識の海に深く沈み、考え続ける者がいた。
(現実世界に戻れても、学歴はどうなるの? 社会復帰はできるの? もしかしたら、精神的に異常があるかもしれないからって理由で隔離されたりしない?)
寝食を忘れ、考え続ける。
(そもそも、攻略に何年もかかったら、その間肉体は維持してもらえるの? その費用は国が持ってくれる? それとも、戻ったら一生かかっても返せないような借金として残ってるんじゃないの?)
街のベンチで他のプレイヤーを見ながら、考え続ける。
(どうしてみんな笑っていられるの? ゲームをクリアしても元の世界に戻れるとは限らないでしょ? ここまでの事をした犯人がそんな約束守る保証なんてないでしょ? 私たちの命は顔もわからない犯人の手の平の上なのに、首にナイフを突きつけられてるのと同じようなものなのに、どうして笑っていられるの?)
「……どうしたら、私も笑えるようになるの?」
思わず、考えが口から漏れる。
誰に言うつもりでもない小さな声だった。
すぐに世界から消えて、誰の心にも届かずに潰えてしまうはずの心の悲鳴だった。
だが……
ハムッ
「!!」
口に何かを突っ込まれ、意識が五感に引っ張られる。
味覚が、『甘い』という信号を受信する。
「辛気臭い顔しとんや無いで。そないな腹ペコそうな顔で笑えるわけ無いやろ。見てたらこっちまで辛気臭くなるわ」
口の中に突っ込まれたのは球状のものだった。
棒のようなものが後ろにあるらしく、目の前の人はそれを使って口にグイグイと球を押し込んでくる。
「な、何を」
慌てて吐き出そうとするが、無理やり押し込まれる。
「腹減っとんのやろ? そんな顔で恨めしそうに見つめられたらせっかくのお気に入りも台無しやさかい、これはあんたにやるわ。だからそんなに抵抗せんと……」
目の前の人は、人の絶望などどこ吹く風と、気楽に笑った。
「とりあえず、アメちゃん食いや」
《現在 DBO》
「そんでな、『嫁なんて行かへん!』って叫んで田舎飛び出したんやけど、ほとんど着の身着のままやったんや。持ち金もほとんど電車賃で使うてしもうてな、でもとりあえず都会に行ったらなんかできるか思て大阪までは行ったんや。そしたらまあ、見る限りの人人人。あんなにぎょうさん人見たの生まれて初めてやったわ。そんでもって、もう食うもんも食われんと行き倒れとったら、えらい親切なおっちゃんに助けられてな、いやほんと、地獄に仏やったで。そんでうち、そのおっちゃんの居酒屋で住み込みで働き始めたんやけど、なごう働いとるうちに言葉が移ってもうたんや」
グビグビ
「意外だな。オレはてっきり、花火さんは生まれも育ちも大阪の人だと思ってたけど」
チビチビ
「店先で客の相手しとったら、余所の言葉使うとると馬鹿にされることがあるんや。いっぺんおっかない顔したオッサンが絡んできたことあってな、うちが変に言われるのはかまへんけど、おっちゃんが虐められてるのは我慢ならんかったんや。そんで、喧嘩になってバットで叩き出してやったら、今度は刃物とか拳銃とか持ってきよるんや。何でも、おっちゃん店出したばっかでミカジメ払っとらんかったらしくてな、叩き出したオッサンは刺青者だったらしいねん。それから毎日毎日、オッサンが仲間連れてきてそれを叩き出して、まるで戦争やったんや。いつの間にかうちは用心棒みたいになっとってな、有名になってオッサン達の中の一番偉いオッサンが『儂らの傘下に入れ!』言いに来たから、そんときにビシッと言ってやったんや『この店はうちが居る限りあんたらに守ってもらう必要ないで、あんたらはもっと守って欲しがっとるもんの所行けや!』ってな。そしたら、面と向かってそんなこと言ったうちを気に入ったらしくてな、今では大親友やねん。それからはオッサン達にいろいろ教えてもろて、皆と友達になったんや。知っとるか? 一緒に酒飲むと友達になれるねん。せやから、どんどん飲み! ほれ注いだるでもっと飲み!」
ドクドクドクドク
「じゃあ遠慮なく」
ゴクゴクゴクゴク
「ところで花火さん、いつまで飲む気?」
「そりゃ当然、片方が倒れるまでやろ。ま、多分先に倒れるのはあんたの方やろな、ライト」
「いや、オレたぶんどんだけ飲んでも酔わないんだけど……」
12月23日正午。
予想以上に花火に気に入られてしまったライトは、飲み比べにつき合わされていた。
ライトは赤兎の暴走を止めるため、ギルド『アマゾネス』に協力を仰ごうとそのギルドマスター『花火』と直接対談し、見事了解を取り付けたのだ。
花火は気前がよく、細かい契約内容を確認する前にメールで情報を伝達し、赤兎が行きそうな場所をマークするよう手配してくれた。
そして、約束の儀式として花火がライトに強要したのが一緒に酒を飲むことだった。
花火としてはライトが酒で全然酔わず、自分の武勇伝を疑わずに、嫌遠せずに話に付き合ってくれるのが嬉しかったらしいが……
ライトは、改めて花火は『指揮官』らしくないギルドマスターだと感じていた。
花火は、とてもフレンドリーだ。
時にはドスの利いた口調で脅すことはあっても、認めた相手には心を開き、まるで数年来の気の知れた友人のように気兼ねなく話す。しかも、元々饒舌で、酒が入るとより口が軽くなる。
相手を疑って腹の内をさぐり合うようなことは全くしない、というより出来ない性分なのだと簡単に分かってしまう。
『アマゾネス』のギルドマスターの情報は公にされていない。しかし、それは深い策略があるわけではないのだろう。
ただ単純に、彼女は交渉面では大きな『弱点』になりかねないからだ。
人を信じやすく騙されやすく、損得勘定が苦手で義理や人情で動いてしまう。裏表のないその性格は人望やカリスマはあっても外交に向いていない。故に、彼女はギルドの不利益を生まないために……愛する仲間を自分で傷つけることのないように、ギルドの運営から遠ざけられているのだ。
そこを考えると、今回彼女の気まぐれとタイミングが合致してこのように話が出来たのは好都合だった。
残る問題は、この飲み比べをどうやって切り抜けるかだが……
「お楽しみのところすいません、ライトさん、表の荷物についてちょっとお話があります。こちらへ」
丁度どうやって切り抜けようかと考えていると、ドアが僅かに開いてそこから眼鏡をかけた少女が顔を出した。
このギルドのサブマスター『椿』だ。
彼女は花火と違い事務仕事が得意らしく、いつもは全て椿が仕切っているらしい。
今も、花火とライトの間で交わされた話の内容を検証し、ライトの依頼に見合った依頼料などを算出していたのだろう。
そして、ライトが酔っ払ってそういった話が出来なくなる前に呼びにきたのだ。
「お、椿! 一緒に飲まんか?」
「相変わらず言ってますが、私は未成年です……ライトさん、あなたも未成年でしょ? 未成年での飲酒は法律違反ですよ」
「ゲーム内の仮想酒は例外じゃなかったか?」
「それはログアウトで酔いがリセットされるからです。それに……」
「それに?」
椿は、やや頬を赤らめて恥ずかしそうに言った。
「酔っちゃうと、普段恥ずかしくて言えないことも言っちゃったりしますから」
ライトが酒のつまみに丁度良い《熟成魚の缶詰め》(臭いが強いため割りとマニアックな食品)を置いていったことで花火はそちらに注意が向き、その隙に上手く部屋を抜け出せた。
そして、話し合いの場所は花火の部屋の隣部屋
『椿の部屋(◎-◎)』
というネームプレートのかかった部屋に移った。
こちらの部屋は見かけに気を払っていない花火の部屋と違って壁紙やカーペットなどのパーツが完璧にカスタムされており、さらにそこかしこに様々な動物を模したクッションが置いてあり、『女子の私室』という印象を抱かせる。
しかも、部屋全体に独特な『いい匂い』が漂っている。
ライトを連れてきた椿はベッドの上にクッションを置いた上でそこの上に座るように腰掛け、隣にクッションを置き、その上に座るようにライトを促す。
ライトはとりあえず促された場所に座り、椿を見る。
「なんで会議室じゃないんだ? 最初は会議室で話すつもりだったんだろ?」
ライトが一番にそう言うと、椿はクッションの一つを手元に引き寄せて、口元を隠すように抱きかかえる。
「もう今更取り繕う必要は無いじゃないですか。それに……と、特別なんですからね。部屋に男の人を入れるなんて」
「あ、ああ……特例措置みたいなもんか。確かにもうギルマスの花火さんの部屋も見ちゃったし……しっかし、なんか『女の子の部屋』って感じだな。模範的というか基本を押さえてるっていうか……」
その時、部屋を見回したライトは本棚に目を付ける。そこにある本の背表紙は見覚えがあった。
「あれ……攻略本か? しかも、初刊は二冊……片方はサーカスで配布した特別版か?」
「あ、あれは……はい」
椿は恥ずかしそうに顔をクッションに埋める。
そして、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟くように呼びかける。
「……カカシさん」
ライトは、少々驚いたように目を見開き、椿を見つめる。
「……劇、見てくれてたのか」
椿は小さくコクリと頷いて、小さな声で話す。
「ライト……さん。あなた……なんですよね、攻略本を考えたのは」
「……ああ、誰から聞いたんだ?」
「……ホタルさんからです。とても尊敬できる人だと言ってました」
「そりゃお世辞だよ」
お世辞というか皮肉だろう。
ホタルはライトのことを殺人鬼だと思っているのだ。
「そんなお世辞だなんて……攻略本、いつも読んでます。とても分かりやすくて、詳しくて……いつも、助けてもらってます」
「オレ一人で作ってるわけじゃないよ。今ではたくさんの人が情報を共有しようと提供してくれてる。でもまあ……その内の一人として、その言葉は受け取っておくよ」
「……実は、あなたに……カカシさんに、ずっと会ってみたかったんです。でも、どこか遠い存在のような気がして、自分からは動けなくて……」
椿はギュッとクッションを強く抱きしめる。
その顔は赤面しているように見えるが、クッションでよく見えない。
その恥じらいながらも勇気を出して話しているような姿を見ていると、ライトも何故か自分の顔が火照って来ているのを感じる。
「でも、今回あなたから来てくれるって聞いて嬉しかったんです……それに、花火さんともあんなにすぐに打ち解けちゃって、花火さんと話しても全く物怖じしなくって……本当に、すごい人ですね。尊敬します」
椿はライトの目をじっと見つめ、ゆっくりと距離をつめる。
椿の髪から、甘い花の香りが漂って来て……
「油断ならないな……それ、秘伝技『魅了』だろ?」
ライトは、椿の抱えるクッションを取り上げる。
驚く椿の前でクッションのチャックを開け、中から香水を吹き付けるのに使うような革製の霧吹きを取り出す。
「これは……アルコールか? 椿は飲むと顔が真っ赤になるタイプなんだな」
さらにライトは自分がマット代わりにしているクッションを持ち上げ、匂いを嗅ぐ。注意して触ると微妙に濡れているような……何かが染み込んでいるような感触がある。
「こっちは……吸入系のきつけの薬か。匂いが薄いタイプだし、大分薄めてあるな……そっちのクッションも似たようなものが入ってるんだろ」
秘伝技『魅了』とは、ゲーム的に言えば『異性が自分を攻撃するとき、ステータスが下がり技が失敗し易くなる』という技だ。修得クエストが難しく、異性のプレイヤーか知能の高いNPCにしか効果がない技なのでマイナーだが、しかし副次的な効果として別の使い方が出来る。
それは、技を受けた相手に火照りや鼓動などを錯覚させ、吊り橋効果の要領で相手に自分を異性として意識させるという使い方だ。
《きつけ薬》も眠気を退けてバッドステータスの『睡魔』を予防、解除するアイテムだ。一種の薬品統のアイテムだが、服用させた者にに興奮状態を錯覚させる。
おそらく、この部屋には他にも似たような薬品が何種類かあり、それらの組み合わせでさも『いい雰囲気』であるかのような『空気』を作り出しているのだろう。
もちろん、これらは普通に戦闘で使えば毒の『不快感を感じる』と同じような副次効果であり、単体でただ使ってもただの演出の一部でしかない。それに、一服盛るにしても所詮は錯覚だ。『気のせい』として流されてしまう。
しかし、舞台を整え、仕草を工夫し、実際に『惚れてもおかしくないくらい魅力的だ』と思われるレベルで相手が自分を意識するように振る舞えば、本当に相手を『惚れさせる』ことも不可能ではない。
「……初めてですよ、ここまでお堅い人は」
椿は、降参というように両手を挙げ、そのままベッドに仰向けになった。
「慣れてるんだよ、知り合いに似たようなことして来る奴がいるからな。しかし……随分とリスキーなことしてるな。二人きりの部屋で色仕掛けなんて、下手したら襲われるぞ? しかも、自分にも薬盛って『相手を意識してる』ってリアルな演技して、勘違いされてもおかしくないだろ」
「そこは上手く調節してますよ……今まで襲ってきたのはあの自制心……というより自制するつもりのない変態さんくらいなものです」
「あいつか……」
ナビキからよく相談を受けるのだが、ホタルがアマゾネスのメンバー……特にサブマスターにセクハラ行為を繰り返して問題になっているらしい。
しかし、どうやら被害者側も潔癖ではなかったようだ。
「生憎だがオレはこういうのが効かない体質なんだ。オレを籠絡するのは諦めてくれ」
「そうしますよ……どちらにしろ警戒されちゃったらもう無理ですし」
椿は潔く諦めたらしく、偽っていた好意の表情をやめ、脱力したやる気のない声で答える。
それを見て、ライトは興味深そうに問いかける。
「どうしてこんなことしたんだ? 好きでもない相手を誘惑するなんて」
ライトの質問に、椿は観念したように目を閉じて答える。
「ギルドのためですよ……あなたはどこにも所属していませんが、大きなギルドとの繋がりも深い。しかも独身でしょう? あなたを押さえておけば、大ギルドの内部情報もらい放題じゃないですか」
まるで悪気のない、開き直ったかのような口調だ。
「……それは、花火さんの指示か?」
「あの人にそんな小細工は無理ですよ。全て私の判断、私が勝手にやってるんです……あなただけじゃないです。『戦線』にも、『攻略連合』にも、私に好意を持っていていろいろ貢いでくれる人が居ます。このギルドの中にだって、私のために何でもしてくれる人が何人もいます。商店街だけはホタルさんのせいで近付けないんですけど、あなたは特に商店街の深い部分との繋がりがあるから落としておきたかったんですけど……流石に、そううまく行きませんね」
ライトは、ギルド結成時期のギルド間の事情をあまり詳しくは知らない。それは彼自身が勧誘から逃げ続けていたこともあるし、それぞれの力関係も不確定だった。
しかし、女性プレイヤーだけのギルド『アマゾネス』は、どこかのギルドの傘下に入り保護してもらうことになるであろうという噂があった。
『犯罪や差別の対象になりやすい女性プレイヤーを大ギルドの力で保護する』という大義名分の上で『アマゾネス』を下の立場に置き、ギルドお抱えのハーレムにしようという下心を持つ者がいなかったとは考えにくい。
しかし、最終的には『アマゾネス』は中小ギルドを飛び抜け大ギルドの一つに数えられる独立勢力となった。
ライトも謎に思っていたのだ。
簡単には乗り越えられない『性別に関する差別』という大きな壁を、『アマゾネス』はどうやって乗り越え、独立するまでの力をつけたのか。
しかし、この行動と言動を見る限り、その答えは目の前の一人の少女だったようだ。
椿が、『女の武器』によってなりふり構わず大ギルドの中に自分の根を張り巡らせ、ギルドの足がかりを作ったのだ。
権力や損得勘定に弱い花火の裏で、人の恋心を弄び、全てを動かしていた。
『魔性』と呼んでも差し支えのない技量だ。
もはや、人の道を踏み外しかけているかもしれない。
「『魔性の椿』か。なあ、古椿の霊……って知ってるか?」
「怪談ですよね……舞台が実家の近くなのでよく知ってます。昔は名字のことで妖怪の子孫なんじゃないかとかからかわれましたっけね……」
「ああ、古い椿の木が妖怪になって、男をおびき寄せて虫にして食べてしまうって怪異譚だよな。皮肉といえば皮肉だな」
「そうですね……で、バレちゃったところで、化け物退治でもしますか? 私は戦闘能力はカラキシですから、色仕掛けが見破られたらどうにも出来ませんから、今ならどうにでも出来ますよ?」
椿は手を挙げて仰向けになり、目をつむっている。これ以上ないほどの無防備……まな板の上の鯉だ。
「……そこまでして、オレの依頼を受けたくないのか? そこまでして、この話をぶち壊したいのか?」
「当然じゃないですか……せっかくここまで立派に育てた『アマゾネス』が『戦線』との戦争にでも入ったら、私泣いちゃいますよ」
「……ギルドのため、他人のために自分を削ったり捨てたりしてると、その内人間やめることになるぞ」
「私一人の人生で済むなら安いものです……どうせ、一度は諦めてた人生ですから」
椿は安らかな表情で目をつむっている。
ライトにはその表情が……まるで昔の自分が家族の前で見せていた笑顔と同じもののように見えた。
だからこそ、ライトの発言は椿の意表を突いた。
「椿、実は花火さんのことガチで好きなんだろ」
椿がその目を見開いた。
「な、な、なに言ってるんですか!? 確かに尊敬はしてますしすごい人だとは思ってますけどそれとこれとは別で、ギ、ギルマスとサブマスですし、私ノンケですし!」
今までにない動揺だった。
今度は演技や小細工のない本気の顔だ。
「人間は『みんなのため』なんて漠然とした理由で自分投げ出せないんだよ。逆に心から自分の全てより優先できる相手がいるなら自己犠牲なんて献血並みに簡単だ」
「早合点しないで下さい! 私と花火さんは偶然初期の頃に出会って、それからあの人が騙されやすくて危なっかしいからマネージャーみたいなことしてるだけで……」
「一目惚れだったのか」
「そういうのじゃないんですって! もうなんでホタルさんと同じようなことを!」
動揺がハンパない。
豹変というのはこのような変化を言うのだろうか。さっきまでは達観したような雰囲気だったのに、一気に人間らしくなった。
「あ、なるほど……ホタルがやたら椿に絡むのは同じ種類の匂いを感じてるからなのか。いや、もしかしてホタルに自分の本当の気持ちを気付かされたとか? それで素直になるように何度も迫られて、それで何度もホタルと……」
「私はあの人みたいな変態じゃありません! ストーキングもしないし、大っぴらに好きだって言って花火さんを困らせたりしませんし、私はあんな尻軽の節操なしじゃありません! 心はいつも花火さん一筋です!」
語るに落ちた。
「……『アマゾネス』のサブマスター椿よ、一つ言いたいことがある」
「何ですか!」
「隣、花火さんの部屋だぞ」
「……キャー!!」
椿悶絶。
クッションに顔を埋め、ジタバタと悶える。
「まあ、あんだけ酔ってればちゃんと聞き取れたわけではないだろうが……酒に酔うと恥ずかしいことを言っちゃうって本当だったんだな。策士策に溺れる……というか酒に溺れるなよ」
どうやら椿が赤面するために使っていたアルコールが悪い方に作用したらしい。
なまじ半分は素面だったからより恥ずかしい。
「もうやだ……死にたいです」
一気にテンションが下がる椿。
色仕掛けを仕掛けたのがバレても、動揺しなかったのに、本心を見抜かれると一撃で撃沈してしまった。
これは確かに……ホタルが天敵のように扱われるわけだ。
「一つ聞いて良いか? 花火さんの情報が出回らなかったのってもしかして……」
「……だって、花火さんってすごくかっこいいんですもん。有名人になって他の人に取られたくないじゃないですか」
完全に合理的かと思われていた情報操作にも、政略以前に独占欲が多分に含まれていた。
「じゃあ椿、ギルド作ったのって……」
「花火さんが言い出したんです。私は二人きりで一緒に居たかったけど、他の女の子を守ってる花火さんも格好良かったから……」
「それでギルド守るのにも全力なのか……」
大事な人の大事なものを守るために身を粉にして全力を注ぐ。
口で言うほど簡単なことではないだろう。
その想いが本物でないと出来ないことだ。
椿は、ひとしきりクッションに顔を埋めて羞恥心を吐き出した後、上目遣いで弱々しく言った。
「……ライトさん、これは本当に心からのお願いです。今回の話はなかったことにしてもらえませんか? 私は……『アマゾネス』は、本当に攻略以外の戦いなんてしたくないんです。誰かから恨まれるようなことをしたくないんです。自分達の仲間を守るので手一杯なんです。だから、他をあたってもらえませんか?」
その表情は同情を誘い、むげに出来ない気持ちにさせる……相手が道徳的な人間ならの話だが。
ライトは心の底から懇願する椿を見て、浅く溜め息を吐く。
「目的のためになりふり構わず能力を使うようになったら人外化一歩手前だぞ。まあ、『魔性』や『魅了』みたいなのはオレには相性的に効かないから放置してもいいんだが……」
ライトは、椿の目を見つめて語りかける。
その表情は真剣で……まるで、過去の自分に語りかけているようだ。
「今回みたいに他人より自分の世界を優先することを続ければ、きっとおまえは皆を魅了して、闇に根を張って、他の全てから力を吸い上げてでも自分の世界を優先させるようになる。そして、いつしか最初の目的も忘れて、ギルドのためには守るべき対象のギルドの仲間自体もコントロールするようになる。もう既に何人かギルドの身内にも手を出したんだろ? それがギルド全体に及んで、最後には花火さんも操るようになるだろう。そして、ギルド全体の存続のためには、仲間すら簡単に切り捨てる……いや、切り離すようになる。椿の木が花を落とすように」
「わ、私はそんなことはしません」
否定する椿だが……目が泳いでいる。心当たりがあるのかもしれない。
ライトは、そこを攻め立てる。
「いや、椿はギルド全体と自分を同一化し始めてるよ。自分でも気付いてないだろうが、身体全体のために末端を傷つけるのに躊躇がなくなってきてるんじゃないのか?」
「そんなことありません! 私はいつも皆の事を考えて……」
「なら、なんであの見張りの人に『嫌われ役』をやらせたんだ?」
「!!」
椿は驚きに目を見ひらく。
「飴と鞭……来客に敢えて最初の接触ではぞんざいな対応をさせて、さらに時間を置いてからの本命の登場だ。そうすれば好感度が上がって籠絡しやすくなるし、最初に拒まれた分ギルド内を見られたときの印象も『意外と友好的』になる。『攻撃的なのは見張りの人だけだったんだ』ってな……それに、露骨にオレとキングへの態度を変えさせてオレ達を分断させた……あの見張りの人は、椿の手足……というより『枝』みたいなもんなんだろ?」
「あ、あれは彼女達が勝手に……」
「『勝手に自分で考えてやった』……それはそうなのかもしれない。だが、それは本人も知らない内にそう誘導したんじゃないのか? 自分自身より椿の事を優先して考えるように、椿に都合のいい状況を作ってくれるように……『惚れた弱み』ってやつでな」
「……違います」
「別に仲良くするだけなら問題ない。互いに助け合ったり、知り合いのために気を利かせたいと思うのも良いことだ……だが、薬も過ぎれば毒になるし、天性の才能も使いすぎれば悪癖になる。椿は、相手の深いところまで食い込んでしまう。相手の心に根を張って、大事なものを吸い上げてしまう。相手を自分に精神的依存させて、『アナタなしでは生きれない』ってレベルに深刻化させてしまうんだ。まさに『魔性』だよ」
「違います! 私は……私は……わたしは……」
椿の声は次第に小さく、弱々しくなる。
そして、もはや何を言っているか聞こえないくらいになり……
「うわああああん!」
泣いた。
泣きながら、ポカポカという擬音の聞こえそうなパンチをライトに繰り出す。
「え、ちょっ、やめて!」
「もう! そんなに、ヒグッ、責めないでよ、ヒグッ、馬鹿!」
「打たれ弱っ!! 最後の手段が『マジ泣き』!? キャラ崩壊!? 敬語は!?」
「キャラ、なんて、どうでも、いいです!」
パンチに怒りがこもり、ポカポカではなくドカドカといった感じになってくる。しかも、自分の拳を痛めない平手打ちだ。
しかし、一応敬語には戻った。割と律儀だ。
「私、だって、人を、誑かすなんて、嫌々、なんですよ! 純愛とか、憧れ、ますよ! こんな、性悪みたいな、こと、したく、ないですよ! でも、仕方ないでしょ! こうでも、しないと、ギルドを、皆を、守れないんです! 花火さんに、恩返し、出来ないんです!」
ライトが勢いに負けベッドに倒れ、椿が馬乗りになる。
そして、涙の潤んだ目でライトを真上から睨みつける。
「このギルドは、私の全てです……花火さんが見せてくれた、私が生きる希望なんです……元の世界がどんなに変わっていても、居場所がなくても、皆が互いの居場所になるって決めたんです。それを我が身のように大切にして何が悪いって言うんですか?」
人には人の物語がある。
ライトがプレイヤー全体のために動いている間に、椿もギルドのために頑張っていたのだ。ライトが今まで関わらなかっただけで、きっとこの『アマゾネス』には小説一冊くらい楽に書けるような道のりがあったのだろう。
そう考えれば、花火の気質はまるで昔の少年マンガの主人公のようだ。赤兎と通じるところがある。
だからこそ……壮大な物語を内包するギルドだからこそ、赤兎に対抗する可能性がある。
ライトは、馬乗りになられながらも落ち着いた声で椿の訴えに答えた。
「悪くはないよ……自分の居場所を守るのは大事なことだ。皆を幸せにするために、皆と幸せになるために努力するのは人間として当然の本能みたいなもんだ。だが、もしその仲間が椿を残して全滅したらどうする?」
「……え?」
「別に有り得ない展開じゃないだろ。椿に惚れ込んだ奴らはもし椿が死にそうだったら何が何でも椿を守る……もしギルドが全滅するような事態になったら、椿だけが他の皆に庇われて生き残る。その可能性は決して低くない。そうなったとき、どうするつもりなんだ?」
ライトの言葉に、椿は何も言えず、ひどく動揺したように口をパクパクさせる。
想像したのだろう。
今彼女が必死に守ろうとしているギルドが、彼女の全てが跡形もなく消え去り、彼女一人だけが生き残る未来を。
有り得ない話ではないのだ。
椿はその経験をした人物を……ホタルを知っている。
椿は自分という個人と、ギルドという集団をほとんど同一のものと思っている。
椿はギルドの一部でありながら全体を掌握し、ほとんど一人でギルド全体を動かしている。ギルド全体を守るためなら個人の身は自分を含め簡単に使い捨てる。
だが、数本なら折っても痛くない枝でも、その大半を一度に失えば大きなダメージだ。
仮に枝一本だけが残ったところで……何の意味もない。
「今の赤兎は、仲間を失って暴走してる。全滅したわけじゃないが、きっと今の椿と似た気分だと思う……無償で助けてやれとは言わないが、自分が似たようなことにならないように、ちょっと手を貸してくれないか?」
強引な理屈だった。
だが……
「聞き方を変えるぞ、もし椿がどうしようもないほど追い詰められた時、花火さんに助けてもらえたら嬉しくないか?」
その言葉で、椿は赤兎に自分を重ねてしまった。
ここで嬉しくないとは……嘘は言えなかった。
「でも……もしやりすぎて『戦線』とことを構えることになったら……いえ、それ以前に私達は対人戦には慣れてない。飛道具では手加減も難しい……こ、殺してしまうかもしれません。」
椿の声が震える。
だが、ライトは椿の心配を嘲笑うように、ギラギラと笑う。
「赤兎なめんなよ? あいつはちょっとやそっとじゃ死なない。それに、『戦線』とことを構える心配もするな。責任は全部オレが持つ」
……ちなみに、この直後
「責任!? 責任ちゅうたかライト!! なんやこれから小作りか!? 最近の若いもんは大胆やとは聞いてたが、ここまでとは思わんかったで!!」
「花火さん!? なんでこんな都合が良いんだか悪いんだかわかんないタイミング!?」
「えっ、ちょっ、違いますこれはお酒のせいでじゃなくて、籠絡未遂でもなくて、あの、その、違うんです!!」
酔った花火が今までの口論には反応しなかったのに、何故か『責任』という台詞に反応して乱入。
ライトに馬乗りになっていた椿は弁明に夢中になり、なし崩し的にライトへの協力が決定した。
そして、その夜。
ライトがキングに注文して独自のルートで用意してもらった大量の『土産品』……ストレージで運べないというシステム上なかなか手に入らない『生きたままの』食品、旬の蟹や水槽で運んできた鯛、さらには馬車でないと運ぶことの出来ない巨大クリスマスケーキなどで宴を開こうとしていた。
多くの店を経営し、基本的に量産品で利益を出すスカイとは違い、キングは『発注されればたとえ違法なものでも用意する』というスタイルを取っていて、割高だが相手に受けの良いものを大量に揃えてくれた。(一日で用意してもらうためにさらに高くなった料金は先払いだったが即金では用意できなかったので、スカイにまた借金した)
おかげで、クリスマスパーティーのような楽しく騒げるイベントが大好きな女子たちは赤兎の妨害を快諾してくれた。
やはり、女子の説得にはスイーツ、懐柔なら胃袋からだ。
おかげで、椿も完全に反対意見を言える空気ではない。まあ、元々傾きかけてたのが本決まりしただけなのだが……
影の支配者である椿より、表の大将である花火のノリの方が強かったらしい。
「では、基本的な契約内容としては『アマゾネスは赤兎さんの足止めに全力で協力』『責任は全てライトさんがとる』『報酬は土産品の他に、魔女攻略で得たアイテムと金の九割』。これでいいですか?」
「九割か…ま、スカイなら十割だろうし、一割もらえたら十分か」
「ボスを単独で倒してくる報酬を一割で納得できるって、普段どんなぼったくりされてるんですか?」
「借金に利息が付かない代わり、必要経費以外ほぼただ働きで前線のクエストボスを倒しに行ったりしてる。異論を挟むとたぶん抹殺される、社会的に」
「とんだブラック企業ですね」
「いや、スカイとオレの個人的な借金だからな。ギルドとしての生産職への支援金とかは普通にホワイトだった。無職のオレへの強烈な差別を感じるよ」
「それは差別なのでしょうか? むしろ一種の愛情表現なのでは? 経済的なヤンデレなのでは?」
「どちらかと言えばデレヤンだな。貸してくれるときは笑顔だから」
宴の隅で、椿とライトが細かい契約内容を確認していた。
ライトの非常識さを改めて確認して呆れる椿。
そして……
「それにしても、本気で単独で魔女に挑む気ですか? 流石に無謀だと思いますが……」
「今回の『魔女』はオレ一人で戦う。即死技持ってる奴に大人数で挑んでも被害者が増えるだけだし、一人でしか出来ない作戦もある。だが……もちろんぶっつけ本番で倒すつもりはない。『アマゾネス』が時間を稼いでくれる分、何度か戦って、即死技出てくる前に撤退して行動パターンをじっくり観察する。準備を万端にしてやれば勝てない相手じゃない。」
「……どうしてそんなに律儀に一人でやろうとするのかわかりません。ボス部屋での戦闘は花火さんが見張ってるわけでもないし、こっそり誰かと協力しても良いんじゃないですか?」
「……ボス部屋までの戦闘は仲間に手伝ってもらうつもりだが、どうしても魔女とは一対一でやらないといけない理由があるんだ。他のボスならともかく、『魔女』だけはな」
「?」
椿は疑問符を浮かべるが、ライトはそれ以上詳しく説明するつもりはないらしい。
「まあ、赤兎も流石に妨害があれば準備に数日はかかるだろう。『アマゾネス』が妨害してくれれば赤兎も万全の準備が整うまでは突発的に城に特攻してくることはないだろうし……だから、その数日間で確実に勝てる準備を……」
「大変!! これ見て!!」
その時、『アマゾネス』のメンバーの一人がメールを見て驚きの声を上げた。
周囲のギルドメンバーも、ライトも何事かと注意を向ける。
そして、注目の中……彼女は驚くべき事を口にした。
「赤兎さんが……動き出した」




