第3話 王太子は理解できない
夜会は、終わっていなかった。
終わらせることができなかった、が正しい。
王城大広間は未だざわめきに満ち、貴族たちは帰るどころか興奮した様子で囁き合っている。
その中心に立っているはずだった男――
クラウス・レオンハルト王太子は、控室へ戻った瞬間、拳を机に叩きつけた。
「どういうことだ……!」
重い音が室内に響く。
侍従たちが息を呑み、視線を伏せた。
答えられる者などいない。
当然だ。
誰一人として、今夜起きた出来事を理解していないのだから。
「なぜだ……なぜあんな反応をする!」
思い出す。
リシェルの顔。
泣きもせず、怒りもせず。
――感謝しております。
あの言葉が耳にこびりついて離れない。
「普通は違うだろう……」
否定するはずだった。
潔白を叫び、許しを請い、取り乱す。
そうなるはずだったのだ。
だからこそ、公開の場を選んだ。
逃げ場をなくすために。
だというのに。
「……まるで」
最初から分かっていたようだった。
いや。
違う。
待っていたようにすら見えた。
クラウスの背筋を冷たいものが這い上がる。
「殿下……」
隣で控えていたミレイユが、不安げに声をかけた。
瞳には涙。
守ってやらねばならない少女。
本来なら、その姿に安堵するはずだった。
だが今は違う。
「……ミレイユ」
「はい……」
「お前、本当に彼女から嫌がらせを受けていたのだな?」
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
少女の表情が止まった。
だがすぐに震えた声が返る。
「も、もちろんです……わたし、ずっと怖くて……」
袖を握る小さな手。
いつもならそれで十分だった。
だが――。
(なぜだ……)
胸の奥に、小さな違和感が生まれる。
リシェルは否定しなかった。
だが、罪を認めたわけでもない。
ただ。
終わりを受け入れただけだった。
「殿下!」
控室の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは近衛騎士。
「グレイフォード公爵が、王への謁見を求めております!」
「……もうか?」
早すぎる。
あまりにも。
「理由は!」
「“保護対象の安全確保についての報告”と」
クラウスの顔が強張る。
「保護対象……?」
騎士は言い淀みながら答えた。
「リシェル嬢、とのことです」
沈黙。
理解が追いつかない。
「なぜ……公爵が彼女を保護する必要がある」
グレイフォード公爵。
王弟補佐。
政治・軍事・財政すべてに影響力を持つ男。
その人物が、一侯爵令嬢のために夜会へ現れ、跪いた。
あり得ない。
政治的に釣り合わない。
「……以前から接点があったという報告は?」
「確認されておりません」
嘘だ。
あの態度は初対面ではない。
確信があった。
互いに。
(いつからだ……)
知らない。
何も。
婚約者だったはずなのに。
彼女が何を考えていたのか。
何を準備していたのか。
何を見ていたのか。
何一つ。
知らない。
胸の奥に、じわりと焦りが広がる。
そのとき。
外廊下から、貴族たちの声が聞こえてきた。
「聞いたか? アルヴェイン令嬢、最初から分かっていたらしいぞ」
「いや、公爵と組んでいたとか……」
「王太子が嵌められたのでは?」
クラウスの顔から血の気が引いた。
「……噂が」
もう広がっている。
早すぎる。
まるで。
誰かが流れを誘導しているかのように。
その瞬間、彼は初めて気づいた。
今夜の出来事は――
断罪ではない。
舞台だったのではないか、と。
「殿下……?」
ミレイユが不安そうに見上げる。
だがクラウスは答えられなかった。
頭の中で、たった一つの疑問だけが膨れ上がる。
なぜ。
なぜリシェルは――
笑っていた?
そしてもう一つ。
もっと恐ろしい疑問。
(……私は、本当に正しい側なのか?)
その答えを、彼はまだ知らない。
だが王都ではすでに、新しい噂が生まれ始めていた。
――断罪されたのは、誰だったのか。




