価値観
俺はギルドでドロップ品の指輪を換金して貰うと、とりあえず一晩今の宿に泊まるくらいの宿代にはなった。
たった一周、ダンジョンボスを倒しただけで。
ただそれだけの為にあんな事を……
第二人格に対する怒りが湧いてきて、長い前髪の下で眉を顰めたところで、その元凶から話しかけられる。その内容は驚きを隠せなかった。
『なあ、何をそんなに怒ってるんだ?』
その発言に俺は沈黙でしか返せなかった。その理由は怒りか呆れか、自分でも分からない。どっちもかもしれない。
『黙ってるなよ。なんかお前が急にキレるからつい従っちまったけどさ。こんな事がこれからもあるんじゃやってけないぜ俺達。まあやってけなかろうがやってくしかないんだけどな!』
溜息一つ。こいつはあんな事をしても当然だって思っている。こんな人格が生まれた事を呪う。
だがそれでも、分からないなら教えるしかないか。
『あのな、ちょっと態度が悪かったからって女の子にあんな仕打ちは駄目だ。それも、噛み付いてきた男の方じゃなくて女の子の方を狙うのもよくない』
『あれが男の方にも一番効くだろ。え、そんな事で怒ってるのか?』
あまりにもあっさりと返事を返すものだから、つい心の声でなく実際に声をあげてしまいそうになるくらいに腹が立った。
『あのなあ、お前。道徳って知ってるか?』
『逆に聞くけどよ、お前の道徳ってどこの?』
それは俺にとって、意外な疑問だった。
『どこって……日本の』
『ここ異世界。オーケー?』
全然オーケーじゃない。異世界だとしてもそんな倫理観のはずがない、はずだ。
『そうだとしても、人道的に間違ってるだろ』
『だからそりゃ、お前の世界の話でな。
んじゃあれだ多数決取ろうや。それもまた、お前のところの民主主義ってやつだろ』
なるほど、ちょうど今指輪を換金したばかりで現在地はギルド。人は集まっている。
「みなさん、聞いてください。私がしてしまった事を……!」
そう前置きして、俺はダンジョン内で起こった出来事を話し始めた。
出来るなら公平に、内容を詳細に。
懺悔をするように
ダンジョンに潜っていたら二人組の少年少女にボス部屋に乱入された事。
向こうに出ていって欲しいと伝えたが、応じて貰えなかった事。ただし、それは俺の戦闘スタイルの関係で気付き辛かったであろう事……。
少年少女とその事で言い争い、傷つけ。少女をゴブリンに凌辱させようとした事。
罪を告白した俺に、ギルドの連中が言うのだ。
「で? オチは?」
何を言っているのか分からない。
「オチ……とは?」
「落とし前だよ落とし前。どういう形で決着付けたんだ?」
「ですから回復の術を使ってですね、その場から去りました」
ギルド全体から感じる。失望の雰囲気。
露骨に溜め息を吐く者もいる。
「あのな、嬢ちゃん。そりゃ相手が悪いんだからそんなもん完遂させてやりゃいいんだ」
「んじゃお前は宝箱だけ取って帰って来たって? 気分悪くさせられてそのままかよ。狂犬かと思って期待してたんだけどな」
「そいつらが俺らの時に噛み付いてきて報酬の分け前とか要求してきたらお前のせいだからな? ちゃっちゃか殺しとけよ。少なくとも心は完全に折っとけ」
そんな……これが異世界の価値観?
正しかったのは、俺じゃなく第二人格?
第二人格の仕込みすら疑うが、こいつにはそんな事をするための肉体がない。
「――ダンジョンでは」
全身鎧で椅子に座って話を聞いていた男が立ち上がった。
「宝の分け前を巡ってパーティが殺し合いになることさえある。我々は乱暴者の爪弾きだ。
治外法権の街の外やダンジョンの中で己を守るのは己自身。だから虚勢の一つも張る。
それを君は私はこんなに優しいんですアピールか。それは君自身の身を滅ぼすだろう」
そして最後に、こんな言葉で締めくくられた。
「ルーキー故、仕方ない部分もある。しかしその性根は、あまりにも冒険者に向いていない」
そこまで言われるとは思っていなかった。
そもそも自分な何のために冒険者になったのか。
身分の保証にもなるギルドカードのためか、強い人に近づいて、その力をコピーするためか。
そのどちらも達成している今。別に冒険者に拘る必要は無い。
それならいいのか。別に冒険者に拘らなくて。
俺は話を聞いてくれた冒険者ギルドの面々に頭を下げると、ギルドから出ていった。
「カタギに戻れよ、それを小難しく言うとそんな感じになるんすねえ兄貴」
「……彼女は理性的すぎた。それだけだ」
それが彼らにとっての優しさだと、いつの俺が気付くのだろうか。
◆
ぽつぽつと雨が降り始める。
煩わしいと思いながらも傘を差す気力も無かった。いや、傘なんてないのだった
ちょっと街の通りを見ても、当然傘なんて持っている人間はいない。ただフードを被るだけ。
そんなところまで今までいた現代と違うことと、それでも変わらず降る雨という現象がなにかおかしかった。
『おい、そっちは宿じゃねえぞ』
『歩きたい気分なんだ』
『雨の日にか?』
『雨の日にだ』
『地球人ってのは本当変わってるぜ』
『お前もその地球人の人格の一つだよ。……お前が正しかったんだな』
認めたくない現実を、しかし第二人格に伝えた。
『おう』
『間違ってたのは俺だったんだな』
『冒険者の中では、そうだな』
励ましのつもりなんだろう。あくまで“冒険者の中では”という前置きで、第二人格は肯定した。
『例えばこれでさ。俺が最強の冒険者になってもっと人に優しく! って言ったら聞くと思うか?』
『……ならねえだろうなあ』
第二人格は熟慮の上で、そう話した。
『そうか』
『そういうのは……ほれ、目の前の建物のやつが考える事だぜ』
目の前……? 俺は前髪で隠れた視界からひっそりと見える、その建物を視認した。
「……教会か」
なんとなく歩いているうちに辿り着いたその場所は恐らくあの殺人神父のいた教会だ。
首からかけていた印章が、建物についている装飾と同じ形をしている。
これもまた神の思し召しとでもいうのだろうか。
俺はなんとなくその教会に入っていた。
「あら、貴女は。アーレンスに襲われた方ではないですか。本日はどのようなご用件で?」
背は低いがしっかりとしたお姉さんの口調で語る修道女。
私は気付けば、その場で罪を口にしていた。
少年少女を傷つけ、一生もののトラウマを与えようとした罪を。
「赦しましょう」
シスターらしく、そう彼女は言った。
「貴女は結局、未遂で終わらせるだけの心の強さを持っていた。ならばいかようにもやり直しは効きます。
結果的に、癒して差し上げたのでしょう?」
「はい。でも……罪ですよね?」
罪だと言って欲しかった。悪い事は悪いのだと。
それが俺の倫理なのだから。
「罪です。ですが――赦します」
冒険者という存在があまりにも殺伐としていただけだった。
俺の道徳は、異世界でも通用する……それが分かって、あまりにもほっとする。
気が狂いそうな気分でいたのだ。
凌辱させて当然。心を折って当然。俺がその場にいたら俺が犯していた。そんな事を言う連中ばかりで、自分がおかしいかのように言われる。
それはあまりにも辛かった。
ただ、それでもここなら。
俺は俺らしくいられる。
「宿……引き払います! ここで修道女として働かせてください!」
『はあ!? お前本気か!?』
「ええ!? 確かにアーレンスがいなくなって人は足りなかったですけど……」
そうして俺は……いや私は『教会』のシスターとなった。
『教会』は様々な神を信仰する多神教の宗教で、人々に正しい生き方を教え、悩みを聞き、癒しを与える。そんな存在である。
ここでの生き方は、冒険者をやっていた時よりも――とはいえ一週間もやっていなかったが。
あまりにも自分らしく生きられる。
そうして物理的にも力のある私は時折、冒険者ギルドへ赴き傷の治療を有償で行っていた。
この時調子に乗ったやつは物理的にぶちのめす。第二人格が。
そうやって第二人格のガス抜きもしつつ日々を過ごしていた。
そんなある日。
「大変だ! スタンピードだ! ダンジョンからモンスターが溢れてきている!」
「何!? 俺達はしっかりダンジョン攻略してただろ! なんで……!」
「しるかよ! くそっ! この街はどうなっちまうんだ……!」
ギルドに溢れる人。
傷ついた人達。
癒す私。
おそらく教会にも治療を求める人々で溢れかえっている事だろう。
「癒しを!」
援軍にきた教会の新米シスターもなんとか治療に参加してくれている。
「くそっ、ダンジョンの奥にもまだ治療が必要な冒険者が……」
その一言で、目を輝かせた人間が一人。
「おう、受付嬢の姉ちゃん。ダンジョンの地図出せるだけ出しな。俺が治療にいってくらあ」
俺だった。
俺がダンジョンの奥に潜る為に立ち上がったのだ。勝手に。




