第1話 復讐の幕開け③
何をいっているんだと疑念が浮かぶが、痛みのせいで何かを言う気力はない。
視線で訴えかけるジャックへ勇者は続けた。
「このダンジョンの難易度の要となっているのはこの大樹だ。こいつは人の命を好物としていて、空腹になると特殊な力を使ってダンジョン全体の難易度を底上げし、探索者を死なせて養分を吸収する。だが……空腹にしないよう、事前に人を喰らわせ続ければ……たった一人を食わせているだけで、ダンジョンの難易度は空腹時の十分の一に程度まで低下する」
勇者は仲間へ目配せした。
パーティーメンバーたちは悪辣な笑みを浮かべながらジャックに背を向け、この空間から離れていく。
「Sランクダンジョン攻略は長年の国の野望だ――これは必要な犠牲なんだよ、ジャック。俺達のために、せいぜい長生きしてくれ」
歪な笑みを浮かべてそう吐き捨てた勇者もまた、ジャックを置いて出口へと向かう。
しかしその途中、彼は何かを思い出したように一度だけ振り返った。
「ああ、そうそう。その蔦は一度捕まえた獲物を絶対に離さない。生きたいのなら、それを切り倒しでもしてみればいい。俺たちとしてもそっちのほうがありがたいからな……まあ」
勇者の視線が大樹へ移る。
ジャックがその視線を辿れば、あまりに太い木の幹が僅かに抉れた箇所がある。
その痕が何であるのか、木こりであるジャックは知っている。
それは木こりが木を切り倒す時、斧で何度も幹を叩きつける時にできる傷だ。
何故なんの力もないEランクジョブの木こりを仲間に加えたのか。その理由が浮き彫りになる。
絶望に打ちひしがれ、唖然とするジャックの耳に、鼻で笑う気配が聞こえる。
「ま……無貌な話だったな? さようなら、ジャック」
勇者は今度こそくつくつと笑いながら消えていく。
待てとジャックが手を伸ばすも、蔦が更に体へ食い込み、それを阻んだ。
その増大する痛みに耐えかねたジャックの意識がぐらりと揺れる。
地面に蹲り、浅い呼吸を繰り返す。
(取れない、痛い、苦しい……どうしよう、どうしよう、どうしよう……)
絶望的な状況と迫る死への恐怖。それらによって冷静さを欠き、混乱状態に陥ったジャック。
しかしその時、彼の脳裏に一人の少女の姿が過る。
一ヶ月前、自分に笑顔で手を振った少女。
「……アン」
勇者の話が事実だとすれば、アンはどうなったのか。
自分の死にも勝るような恐怖と胸騒ぎが襲う。
ジャックは歯を食いしばり、自身の意識をなんとか手繰り寄せ、体を起こす。
「アン……! アン、アン、ア――」
何度も彼女の名前を呼び、辺りを見回す。
そしてそんな彼の視界に、一つの影が映った。
遠く離れた場所で力無く横たわる少女。
最も見たくはなかった光景がそこには広がっていた。
蔦に繋がれたその体はぴくりとも動かず、血で染まっている。
腹の中央には斧の刃が深く食い込み、そこから血が流れていたらしかった。
血を吐いた顔は瞼を閉じることもせず絶望に塗れた瞳が見開かれ、虚空を映していた。
「あ、ぁ……ぁぁあああアアアア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!!!!」
彼女と過ごした日々が走馬灯のように過る。
彼女の明るく無邪気な笑顔が、恥ずかしそうに染める頬が、最後に見た顔が通り過ぎていく。
ジャックは届きもしないアンの遺体へ狂ったように手を伸ばし続けた。
喉が枯れるまで叫び続け、地面を殴りつけ、頭を打ち付け、血だらけになった。
そして暴れ狂う体力が尽きかけた頃、漸く僅かな理性が戻り始める。
彼女をあのままにしてはおけない。
自害に追いやった諸悪の根源を滅ぼし、彼女を安全な場所へ連れて行って、そして――
「――殺す」
彼女を騙し、その命をゴミのように扱った勇者を。そしてこのダンジョンの悍ましさを知りながらそれを許容している国の重臣を、国王を、この事実を知っていながらダンジョン攻略を支持していた市民達を――全て、殺さなければ。
そうしなければこの憎しみは潰えない。
このまま死ぬことはできない。
誰よりも大切だった存在を奪われた怒りは想像を絶するほどの憎悪となり彼を突き動かす。
痛みなどとうに感じなくなった。
残っているのは全身を焼くほどの怒りと拳を握り締める力、それだけ。
ジャックは自分の武器である斧を持つ。
そしてそれを構えると以前の犠牲者が残しただろう幹の傷へ狙いを定める。
斧を大きく振り被り、その持ち手を音が出そうな程に握りしめ、息を鋭く吸う。
その時だった。
【パッシブスキル:《憎悪に囚われし者》を獲得】
【パッシブスキル:《憎悪に囚われし者》 スキルレベル99へ上昇】
【パッシブスキル:《憎悪に囚われし者》による経験値取得倍率最大値に到達】
【パッシブスキル:《痛覚麻痺》を獲得】
ジャックの視界の隅で次々と文字の羅列が浮かぶ。
だがそんなものを機にする余裕など今の彼にはなかった。
彼は残された傷の、その最も深く抉れた場所を把握し、そこを的確に叩く事だけに集中する。
そして斧の正しい軌道を想像してから、力一杯にそれを振り下ろした。
斧は狙い通りの場所へ命中し、傷はより深みを増した。
斧をたった一度振り下ろしただけ。
その過程の中で次々と視界の端の文面が切り替わっていく。
【パッシブスキル:《憎悪に囚われし者》によりパッシブスキル:《痛覚麻痺》のスキルレベルが20へ上昇】
【パッシブスキル:《憎悪に囚われし者》によりパッシブスキル:《観察眼》のスキルレベルが30へ上昇】
【パッシブスキル:《憎悪に囚われし者》によりパッシブスキル:《感覚記憶》のスキルレベルが30へ上昇】
【パッシブスキル:《憎悪に囚われし者》によりアクティブスキル:《伐採》のスキルレベルが99へ上昇】
【アクティブスキル:《伐採》のスキルレベルが最大値へ到達】
【規定のパッシブスキル・アクティブスキルのレベルが目標値に到達】
【アクティブスキル:《必中伐採》を獲得】
「……邪魔だ」
ジャックはそう吐き捨てると再び斧を振り下ろす。
先程とは比にならない衝撃、そして音が響き渡り――数ミリしか抉れていなかった傷はこの一瞬で一メートルほどの深さとなったのだった。




