1-9 改善の一歩
色々と考え事をしながらも、毎日が過ぎていく。
魔法もスキルもまだ使えない。
でも、何かできることはないだろうか?
そういえば、大公屋敷にはキッチンとか厨房とか、あるはずだよね。いつもの料理を作っているんだし。
***
「母上~」
「なあに? ミチイル」
「僕、食事を作っているところ、見たいんだけど」
「じゃ、竈房に行ってみましょうか」
「(竈房ね)はーい」
***
「ジョーン、ちょっといいかしら」
「はいマリア様。こんなところまでどうなさいました?」
「ミチイルが竈房を見たいそうなの」
「ミチイル様、どうぞ」
「ありがとう~ 色々訊きたいんだけど」
「はい、何でもどうぞ」
「うん。いつも乾燥マッツァを焼いているでしょ? マッツァはどうやって粉にしているの?」
「はい。石の鍋がありますので、そこに割った乾燥マッツァを入れて、石の棒で上から叩いて粉にしています。こちらで」
「うわ、ほんとに石鍋だね。粉にするのはジョーンの仕事なの?」
「はい。私と姑のカンナとで屋敷の料理をしていますので」
「カンナって、侍女長の? ジョーンはカンナの家の嫁なんだね」
「はい。ジェームズの息子のジェイコブの嫁です」
「ジェームズ?」
「セバスの事よ、ミチイル。代々執事を継いでいるセバス家はね、筆頭執事になったらセバスと呼ばれるのよ。だからあのセバスも、名前はジェームズって言うの。好きな方で呼んだらいいわ」
「セバス……とっても執事っぽい名前だとは思っていたけど、家名だったんだね」
「そうね。セバス家は、アタシーノ公国がまだケルビーンの一族と呼ばれていた頃からの家名なのよ。預言者様が直々につけてくださったと言われているわよね、ジョーン」
「はい。嫁入り前に、カンナからそう教わりました」
「すごいんだね、セバス家」
***
――これは、女神が「執事と言えばセバスチャンしかありえないわ!」と預言者アブラハムに神託を下したためである
***
「粉にするのは大変じゃない?」
「細かく粉にするのは時間と力が必要ですが、屋敷の分だけですので、何とかなっております。これが乾燥マッツァです」
「うわ、想像していたよりも大きい……しかも、ものすごく硬いけど、これ、割れるの?」
「ふふ、初めて見たらびっくりしますよね。とても硬いので割るのは大変ですが、気合で石の棒を振り落とします。乾燥マッツァを、嫌いなエデン人の顔に見立てると、より気合が入るのですよ」
「あらあらカンナ、ミチイルにあまり変な事、教えないでちょうだい、ふふふ」
「じゃあ、片手間で粉にできるほど楽な仕事じゃないよね」
「ミチイル様の御心配には及びませんよ。アルビノの女なら、平民でも誰でも行っている事ですから」
「そうなんだ」
「あ、そういえばミチイル様、先日大公様がエデン会議からお戻りになるとき、特別なものを手に入れて帰られましたよ。これです」
「ん? これは……乾燥した果物?」
「はい。エデンの果実を細かくして乾燥させたものです。めったに手に入らないのです。これは口の中であちこちに貼りついて小さい子供には危険な食べ物ですので、ミチイル様には一度もお出ししたことはありませんが」
「ちょっとだけ食べてみてもいい? 母上」
「子供には危ないけれど、ミチイルはそれだけ流暢に話せるようになっているから、たぶん大丈夫ね。少しだけよ」
「は~い」
「ではミチイル様、こちらをどうぞ」
(ねちゃねちゃもぐもぐ……これは、レーズンっぽい)
「ねちゃねちゃっとしてるね」
「そうね。でも、エデンの果実は、生はとてもおいしいけれど、干せばこんなものよ。私は干したものはあまり好きではないけれど、甘い食べ物なんて他にないから、好きな人は涙を流して食べて、夢にも出てくるらしいわ」
「母上は生の果実を食べたことがあるんだね?」
「機会はそれほど多くは無かったけれど、食べたことがあるわ。ジョーンもあるはずよ」
「そうですね、学園に通うのにエデンの王都で暮らしていた時に、特別に食べさせていただいたことがあります」
「学園……?」
「そうよ。この大陸に住んでいる全ての貴族は15歳になったら、中央エデンにある学園に通う決まりなの。とっても退屈で腹立たしいところだけれど、義務だから私もジョーンも通ったわ。もっと大きくなったら、詳しくお話してあげるわね」
「は~い。ジョーン、僕、お水ほしい」
「少々お待ちくださいませ。汲んできます」
「は~い。(……これって、レーズンだとすると、酵母があるかも知れない。酵母があれば、クレープがパンになるかも) 」
「ねぇ、母上、この乾燥果実、少し使ってみたいんだけど」
「ええ、いいわよ。何でも好きなようにしてちょうだい」
「ミチイル様、お待たせしました」
「ジョーン、ありがと~ゴクゴク。それとジョーン、やって欲しいことがあるんだけど」
「何でしょうか?」
「この乾燥果実ね、小さな深い器に入れて小さくすりつぶして、器の半分くらい水も入れて蓋をして欲しいんだ」
「かしこまりました。では、こちらの小鍋で指示の通りにいたします。少しお時間を」
「いや、今日中にやっておいてくれればいいよ。できたら棚の上に置いておいて~ 明日また様子を見にくるから~」
「かしこまりました」
「悪いけどお願いね、ジョーン」
「はい、マリア様」
***
さて、レーズン酵母はどうなったかなぁ?
母上呼ばなきゃね。
何と言ってもまだ2歳だから、どこに行くにも母上が必要なんだよね。
外に行くときなんて、ずっと抱っこだし……
***
「母上~」
「はいはい、竈房ね」
「うん~」
***
「ジョーン、昨日お願いしたものはどうなったかしら?」
「はい、マリア様。こちらにあります」
「これは…………ミチイル、この恐ろしげなものは一体何かしら?」
「わーい! 多分成功してる~と思う」
「これは一体何がどうなって、何に使うものなのかしら?」
「うん、これはね、酵母と言って発酵させる時に使うの。これを使うとね、パンができる!」
「パン?は何かわからないけれど、発酵というのはお酒を造る時の事よねぇ?」
「うん。お酒、あるの?」
「ここには無いけれど、エデンにはあるわ。この果物を生のまま足で踏んで樽に入れておくと、いつの間にかお酒になるらしいの。この作業もアルビノ人がエデンでしているのよ」
「そうだったんだ! じゃあ発酵は割と理解しやすいんだね」
「そうね。知っている人は知っていると思うわ。エデン人は自分たちで労働しないから、お酒を飲んでいても知らないかも知れないけれど」
「そっか。このブクブクとしてるのは発酵してるからなんだよ! なんか異様に発酵が早い気もするけど」
「お酒を造る時は、割と長い期間、樽にふたをして放置しておくようだけれど……」
「良くわからないけど、これでいけると思う~ ジョーン、乾燥マッツァの粉、ある?」
「ミチイル様、乾燥マッツァは食べる分しか粉にしませんので、今はありませんが、すぐ作業します」
「ごめんね、お願い~」
***
ジョーンにお願いすると、でかい煎餅状の乾燥マッツァを持ってきて石の作業台に乗せ、すりこ木みたいな石の棒で、親の仇を打つように叩き始めた。
ある程度割れたら、今度は石鍋に、割れたマッツァを投入。
同じく、すりこ石?で餅を搗くように一心不乱に叩き続ける。
中々大変な作業だなぁ、と思いながら見ていると、蛍光色のデジャヴなモヤモヤが……
すると、ドン、ドンと叩いていた、すりこ石の動きがみるみる速くなってきて、ミシンみたいな速さに……
ちょ、すごくね? と思っていたら、もう、ミシンを通り越して、道路工事の現場並みの速さと威力になってるわ……
これって、もしかしなくても無意識魔法になってるんじゃね?
つか、間違いなく人も殺せるね……
そうして、作業開始から15分ほどでマッツァ粉が完成。
***
「ミチイル様、粉ができました」
「ジョーン、すごいね。ジョーンみたいに皆が作業できるの?」
「私はこの作業がとても得意なので! でも、平民の女たちでも、これの三倍くらいの時間をかければ粉にできると思います」
「そうなんだ。それじゃこれをね、いつも焼く時よりも水を少なくして練ってみてくれる?」
「はい。…………こんな感じでしょうか? いつもより結構水が少なくて、かなりポテっとしていますけど……」
「うん、これで大丈夫。そうしたらこれに、昨日作ってもらったこの酵母を三分の一くらい入れて、また混ぜてみて」
「はい。……このくらいでしょうか?」
「うん、いい感じ。後は蓋をして少し置いておいたら、泡が出て膨れた感じになると思う」
「わかりました」
「じゃ、悪いけど、時々様子を見て、泡が出てきたら教えてくれる? 多分、夕食の準備を始めるころには何かの変化があると思うから。本当は丸一日くらい時間が必要なんだけど、昨日の酵母がこんなになっているから、もっと速いと思うんだ」
「わかりました」
***
うまく行くかなぁ?
うまく行けば、ホットケーキとかナンみたいなパンが食べられるはず。
楽しみ~
ちょっと、ぽやっとして時間つぶそう~
***
「ミチイル様~ ミチイル様~」
「……ファッ? ……ジョーン、どうしたの? ついさっき会ったばかりだけど……」
「それが、さっきのが気になったので、ちょくちょく覗いていたんですよ。そうしたら、ブクブクと膨れて来ていて、ミチイル様のおっしゃった通りになってきたんですけど、あのままで良いものかどうか……鍋からあふれてしまいそうになっていますが……」
「えっ? もうそんなに? 速すぎない?」
「私には良くわかりませんので、一度ミチイル様に確認していただければ、と」
「母上~ 母上~」
「あらあら、さっきまで一緒だったのに、今度はどうしたのかしら?」
「竈房に行こ!」
「はいはい」
***
うおっ、こ、ここまでになる……?