3-54 交易
「伯父上、わざわざ悪いね」
「とんでもありません」
「それで、スタイン侯爵はどうなったの?」
「はい。既にホル21世に爵位を委譲し、南部へ向かう準備をしているようです」
「そうだったんだ。結構早いね」
「ええ、ずっと気にかかって居たようですし」
「それで、伯父上はどうする? 国として、どうする?って訊いた方がいいかな」
「はい。ミチイル様が作ってくださった新しい船で、身の回りの物と作物の種などを持たせ、送り届けるつもりです」
「引退した扱い?」
「はい。ですが、普通の貴族は引退しても貴族のままですが、今回は特殊な事例ですので、一平民となってもらいます」
「そうだね。この国から貴族を送りこんだら、まるで占領したみたいになっちゃうからね」
「はい。国の運営会議でも、その意見でした」
「うん。本人はそれでも良いんでしょ?」
「もちろんです。そもそも、かなり我が儘を言っている状態ですからね、物を申すような事もありませんよ」
「伯父上も、結構きびしいね」
「それはそうでしょう。南部に残った者たちは、ミチイル様に刃を向けた者ですからね」
「うん、そうなんだけど、僕は今は何とも思ってないよ。もしかしたらそれも女神様の采配かも知れないし、僕たちが判断する事じゃ無いかなって思ってる」
「……そうですね……釈然とはしませんが、受け入れます」
「ハハ でさ、南部との間の事なんだけど、交易をしたら良いんじゃないかなって思うんだ」
「ですが、それをするとカナンが隠された地では無くなってしまうのでは無いでしょうか」
「うん、そうだね。でもさ、もう僕が色々やって来たからね、エデンの島でも。向こうの人達にはカナンには来てほしく無いけどさ、せっかく女神信者になってくれているしね、カナンの存在、神聖カナン王国の存在くらいは、認識してもらってもいいかなって思う。それに、僕の使命もあるからさ、本当なら世界中に出て行かないとならないんだよね……」
「……そうでしたね」
「だからね、取り敢えずは南部の混血の人達とね、交易をしてみたらどうかなって思ってさ。交流はしなくても、交易なら、必要以上に近づき過ぎなくてもいいし、近寄らせなくてもいい。こちらから船を出して、向こうには船はあげないし、作らせない。そうすれば、カナンの安全性も確保できるでしょ」
「そうですね、ミチイル様の新しい船は、大変に複雑なものであると報告が上がっております。現状では職人達には再現は不可能だとか」
「うん。あの船を作るんなら、著作権金メダルが必要なの。それで、今の所は誰にも渡して無いからね。今は二艘を作ったけど、エデンの島との交易具合を見て、それから判断するよ。船は、と言うか、外とのつながりは危険でもあるからさ」
「勿論です。船はどうしても必要な道具ではありません。ですが、交易と言っても、向こうの物でカナン王国に必要な物も、無いのでは?」
「そうなんだよね……南部には、本当に何もなかったからね。だからさ、牛を育ててもらって、牛の肉と乳製品ね、これを神聖カナン王国で買い上げるのはどうかな」
「ですが、カナン王国は牛も現状で充分に間に合っておりますよ」
「うん。でもさ。牛はスタイン家が取り仕切っているでしょ? 家畜牧場ではあるけど、牛はスタイン家が中心じゃない?」
「まあ、そうですね」
「だからさ、スタイン家がどのくらい向こうに移住というか、戻るのかは知らないんだけど、荷車や牛も持たせて戻した方がいいだろうしね、そうすると、この国の牛は減るから」
「ですが、減ったとしても直ぐにどうにでもできますよ」
「うん。だからさ、ある程度はもちろん牛も残すんだけどね、牛肉と乳製品、この場合は日持ちがするバターとチーズだね、それを向こうでは大々的に作ってもらって、それをカナン王国で買えばさ、向こうに紙幣を払えるでしょ? そしてその紙幣でね、向こうは魔石を買う事ができる」
「ああ、そういう事ですか……」
「うん。なんだか懐かしい気もするけどね、でも別に経済戦争とかじゃないの。もうね、エデンの王国の時で懲りたからさ、自分たちの国以上の民を養うのはしたくないの。だからさ、この国の民の仕事を減らしてね、それを紙幣で補おう。あれ? なんかエデンの王国の時と似たような感じだけど」
「クックック あの時は爽快でしたからね」
「いやいや、今回は違うよ。属国にするつもりも無いし、ましてやカナン王国に併合するつもりも無いんだから。だけど、向こうでは苦労するのは目に見えているの。資源が何もないからね、魔法もロクに使えないし。だからさ、それを何とかする方法がひとつくらいあっても良いかなって思うんだけど、それでも神聖カナン王国が面倒を見てあげる必要なんて無い。だからね、牛関係のものを買ってあげる、って言い方も悪いけどさ、事実としては、そうなの」
「それはそうですよ、なにせ、こっちは向こうの国なんて全く必要が無いんですから。ですが、必要が無いからこそ、何か名分が大切なのですね?」
「うん、そう言う事。向こうではさ、牛に関してだけは手広くできると思うよ。土地は有り余っているし、草も生えてるからね。さらにレモングラスの種もバラまいてあるし、飼料が少なくても、草でまあまあ牛が飼えると思う。だからさ、船は冷蔵船にして、牛肉とチーズとバターをできるだけ買う。そして紙幣を払ってあげてね、今度は逆に、その紙幣と引き換えに魔石を売ったり、資源石を売ってあげて欲しいんだ。そうしたら、向こうでも魔法が使えるようになるから」
「わかりました。そう言う意味の交易なのですね。主導権はこちら側。船ももちろんこちら側。いつでも止めようと思えば止められると言う」
「うん。これならさ、内心では面白くない人たちも、納得しやすいかなって思って」
「いえ、そもそもミチイル様のご指示ですからね、誰も文句など言いませんよ」
「でもさ、残った足軽君たちが変な風に言われたりしてもさ、僕はイヤだなって思って。なるべく大義名分があれば、納得する材料にもなる」
「そうですね、そうかも知れません」
「それにね、これは一番大切な部分なんだけど、今回の事がね、人々の間で争いの原因になって欲しくない。争いが生まれると、どんどん膨れ上がってさ、エデンの王国みたいになっちゃうかも知れない。人間が醜い争いごとばかりしていたら、女神様に見放されてしまうかも知れない。今回はと言うか、数百年前と違ってって意味だけど、エデンの王国が女神様の意志に適わなかった。でも、この先、神聖カナン王国がそうなるかも知れないよ」
「そ、それは……!」
「だからね、今回のスタイン侯爵、じゃなかった、ホル?……うーんと」
「ホル20世ですね」
「そうそう、そのホルスタイン20世がね、後の遺恨にならないようにしたい。だから、交易なの。牛はさ、と言うかスタイン侯爵家の足軽運送の人員が減ってもさ、今はバスもトラックもあるから。あれは魔石さえあれば動く魔道具だからね、スタイン家じゃなくても、誰でもやろうと思えばできるの。だから、言い方は悪いんだけど、スタイン侯爵家が全員居なくなったとしても、カナン王国はそんなに困らないよ」
「それは事実です。以前と違いますからね。確かに、今回のスタイン侯爵……ではなくホルスタイン20世が、この神聖カナン王国に与えるデメリットは、殆ど無いと言って良いでしょうね。ミチイル様がおっしゃるように、争いの原因の一つになり得ると言う可能性くらいでしょうか」
「うん。だからさ、交易して、それによってカナン王国が楽になったよ、みたいに周知しようよ」
「はい、だんだんとこれで良かった気分になってきました。楽になったと言う言葉は、大変魅力的な言葉ですからね」
「ハハ そうだよね~ ケルビーンにとっては、最上の言葉だもん」
「そうです。私もシモンに王位を譲りましょうかね。ホル21世が侯爵になったんですから」
「いやいや、伯父上は……えっと、母上の2歳くらい年上? という事は……42歳くらい?」
「ですねえ。もう充分では?」
「いやいやいや、確かお祖父さまが引退したのは、お祖父さまが50歳の時だったでしょ? 伯父上、まだあと8年もあるじゃない」
「はあ、長いのですが……」
「いやいやいやいや、せめてシモンが結婚してさ、跡継ぎが生まれてからにしてあげてよ。シモンが可哀そうでしょ」
「そうですねえ……仕方が無いので、もう少し我慢する事にします。ですが、引退後は、ミチイル様の離宮に隠居所を作らせてくださいよ」
「うん、まあ、それは全然構わないけど。母上も結婚しないしね、誰に遠慮も必要は無いから、伯父上の好きにしてもいいよ」
「クックック! お約束ですよ!」
「え? 何か伯父上の策に引っかかった気がして来たよ」
「クックック」
***
ホルスタイン20世が、一族の人達や混血の民の合計100名で、南部へ移住した。南部って言うか、向こうでは混血国って言っているらしい。
もちろん、多くの牛や、ある程度の作物の種に、自分たちが使う魔道具なんかも持たせたみたい。昔と違って、個人の持ち物が増えたよね。服もたくさんあるしね。勿論、初期投資として、魔石や資源石なんかも持たせたんだって。
ま、向こうに畑とか井戸も作ってあるしね、直ぐに栽培も始められるし、牛だって、そんなに遠くないうちに増えて、神聖カナン王国にも入荷してくるだろう。
ただ、向こうでは少し工事が必要だったみたいね。旧エデンの王都方面は浅瀬だから、動力付きの船は接岸できなくて、西側の岩壁地帯を切り開いたりする職人が、カナンから出張したらしい。そして、交易港に冷蔵設備も作らないとね、輸入する肉や乳製品の品質が低くなっても困るからさ、そんな建築部員も出張して工事をして、さらに交易港と混血村の間の街道も整備が必要でしょ、その土木工事の職人も行った。石材は、僕が大量に置いてきたのもあるし、西側の海は岩壁だから、そこから切り出したりもできるから、何とかなるらしいよ。
そう言えば、アタシーノの時も、西側の海岸は岩壁だったもんね。同じ大陸だったんだし、湖や村の近くでは無いけど、石材はあったんだね。僕が行った時は北から行っているからさ、西側は見なかったもん。ま、問題は無いから良し!
でね、一応、カナン王国の全員に渡していた国民メダルは、そのまま持っていても良い事にした。もし、カナンへ用事がある場合は、そのメダルを所持している人に限り、カナンの入国を認めるの。ま、パスポートだね。
そして、カナンの海岸の駅で、出入国手続きをするんだけど、それはスタイン侯爵家にしてもらう事になった。スタイン侯爵家が、責任をもって外敵の侵入を阻止するんだって。
足軽君も、自分の父が原因で万が一外敵が入ってきたらと考えると、落ち着いては居られないもんね。その気持ちも分かるから、任せる事にしてもらったよ。元々、運送と治安維持みたいな仕事だったからね、スタイン家は。ま、治安維持の活動はゼロだったけど、これで、ちゃんと警備隊みたいになった。
ま、ぶっちゃけ神聖カナン王国は、何も変化は無いよ。
そりゃね、100人くらいの人口が減ってもさ、何もある訳は無いよね。だってさ、神聖カナン王国の人口は4万人くらいなんだってよ!
ちょっと増えすぎじゃない?
『左様でございますね、救い主様』
「ああ、アイちゃん。なんかさ、すごい勢いで民が増えているよね。大丈夫かな」
『全く一切の問題はございません。救い主様の民が増える事は、良い事しかございません』
「そ、そうなんだ……僕の民……じゃないんだけど!」
『ですが、このカナンの地の所有権は、救い主様にございますので』
「はあ。何だか、そう聞くと面倒な気分になるんだけど」
『では、滅ぼしておしまいになっては如何でございましょう』
「いやいや、アイちゃんは物騒だよねえ。大丈夫、このカナンは恵まれているしね、土地だって数パーセントも使ってないし、資源は無尽蔵で、気候は最高、100万人だって住めるでしょ」
『左様でございましょう』
「だったら、何も心配は無いよね~」
『はい、一切何も問題はございません』
「ハ、ハハ……」
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