3-39 エデン北島1
「はあ、父上は動く気はないんだな?」
「はい。スローンの公都はスローンの本拠地ですから、スローン大公は動きません」
「なら、逆に好都合だ。父上は狂っているからな。神聖国はただの荒れ地になっている。セルフィンを使って生きていくしかないな……」
「そうですね、セルフィンには多くのものがありますから」
「だが、神聖国が作って売っていたような物は作れないんだよな?」
「左様でございます。魔法が必要であるとの事ですが、その魔法はスローン人には使えません」
「何をやってもダメなのか?」
「はい、そもそも魔法の使い方もわかりません」
「呪文とやらが必要だったんじゃなかったか?」
「はい。攫ってきた人質は、そう申しておりましたが……同じようにしても、スローン人には何も起こりませんでしたので」
「そうか……父上も、なんと愚かしい……アタシーノ大公に、女神信仰をするならば色々解決すると言われていたって言うのに」
「それでどうしましょうか、大公令息」
「スローン人の中にも、女神様に祈りを捧げているものはいるのか?」
「以前はおりませんでしたが、あの大洪水の後には、祈りを捧げて女神様に謝罪をする者が増えたそうです」
「だろうな……俺もそうだしな……いや、本当を言えば、学園の寮に居る時も、女神様の奇跡としか思えない事ばかりだったからな」
「左様でございますね、私も、あのアルビノ商店街の色々は、確かに奇跡でも無ければ説明がつかない事ばかりでございましたので、寮に居る際にも、うすうすは……」
「だよな。あの今となっては幻に思える寮での暮らしも、神聖国では対価も取らず、スローン人でさえも同じように恵みを享受させてくれていたな。それだと言うのに……感謝するどころか、物を盗んだり人を攫ったり……まったく、あの父上じゃ、同じアルビノ人であったとしても、女神様でさえ見放して当然だ」
「……執事長も……私の父も、同様です」
「そうだな。まあとにかく、俺らは俺らでやって行こう。このセルフィンに、女神様に祈りを捧げている者を集めてくれ。そして、ここで作物を作っていかないとならないからな。もう、エデンの園は無くなった。マッツァは手に入らないんだからな」
「左様ですね……どのくらい女神信仰をしている民がいるかはわかりませんが」
「できるだけでも良い。とにかく、父上の息のかかっていない者共が必要だ。このままでは、せっかく生き残ったスローン人も、死に絶えてしまう」
「かしこまりました」
***
「なに? あやつが人を集めているだと?」
「はい、スローン大公。どうやらセルフィンで暮らして行くおつもりの様でございます。不肖、私の息子も同道しておりますが」
「フン ちょうどセルフィンで生産をせねばならぬ所であったのだ、ちょうど良いではないか。せいぜい若い者どもを扱き使ってくれようぞ」
「かしこまりました」
「して、エデンの方面はどうなのだ」
「はい。海へと沈んでおります」
「誰も生き残ってはおらぬのだな?」
「わかりません。低い土地であった王国が海に沈んで、この北部が残っておりますので、同じように王都よりは高い土地であったと言われる南部は、残っているかも知れません」
「そうか。その可能性はあるな。だが、残っていたとしてもエデンの民だな?」
「左様でございましょう」
「なら役立たず共だな。向こう側は見えんのだな?」
「はい、時間によっては海の深さが変化しているようでございますので、一番浅い時間であれば、なんとか向こう側にも渡れる可能性がございますが、確認はできておりません」
「そうだな……見えない所に向かわせる訳にも行くまい。して、食料の方はどうだ?」
「はい。セルフィンでは栽培を始めておりましたので、うまく行けばなんとかなるやも知れません」
「そうか。急がせよ。せっかく生き残ったのに、飢え死にしては元も子もないからな」
「かしこまりました」
***
「それで、食物は何とかなりそうなのか?」
「はい、大公令息。噂のように、溢れんばかりの作物が収穫できるとまでは行きませんが、このままいけば数か月で収穫できそうだとの事です」
「そうか。神聖国は広大な畑を残して行ったからな。神聖国は、どこへ行ったかはわからんが……して、服などはどうだ?」
「はい。それも数年前からリネンなどはスローンでも栽培して作務衣を作っておりましたので、それであれば問題はございません」
「調味料と言ったか、それはどうなのだ?」
「はい、作り方すら分からないそうです」
「人質からは何も聞いては居なかったのか?」
「それが、神聖国では色々な仕事を分担して行っていたという話でございます。調味料はおろか、スイーツなども、場所も人も別々に作っていたとかで、スローン人には作れないと人質は言っていたそうです」
「はあ、今思えば、あれだけ女神様の祝福がある国だったのだ。このセルフィンでさえ、このように整備され、大きな建物に森に、道路に……井戸は枯れたのだったな?」
「はい。大洪水後、だんだんと水が湧かなくなったようでございます」
「そうか……井戸も女神様の祝福だったのだろうな。川の水は問題ないのか?」
「はい、川は表面上、変化はございません。ですが、南の旧中央エデンの森近くにあった、様々な製品の製造拠点であったと思われる村は、使い物にはなりません」
「なぜだ? ちょうど海岸になっただろう? 以前のエデンの森は海だが、あの辺り、森が切れる辺りが今の海岸のはずだ。その村も、海には沈んでないだろう」
「はい、ですが、水がありません。その製造拠点の村の井戸も、枯れ果てましたので」
「ああ、そうか。そう言えばスローンも、魔獣の袋に水を入れて南まで運んでいたな。それを思えば、神聖国は以前から、水ですら運ばなくても良かったのか……」
「であろうと思います。そもそも、寮のあったアルビノ村でさえ、水を運んでいる形跡などございませんでしたし」
「だよな……それなのに、風呂にお湯がずっと流れ込んでいた。あれも、女神様の祝福だったのだろう。……いや、落ち着いて考えてみれば、女神様の祝福は、とんでも無いものだな」
「左様でございますね。作物が溢れるほどに実り、建物は見た事が無いような素晴らしい建物、食器や容器などは言うに及ばず、窓の扉にドア……そして魔法。学園の寮では色々と普通に使わせてもらってましたが、こうやって無くなってみると、とんでもない事が起こっていたものだと思います」
「そうだな。料理の数々も、今思い返してみれば、夢幻の話だ。だが、料理は少しはできるんだったな?」
「はい。人質が料理担当だったそうなので、ギリギリご飯を炊いたりパンを焼いたりはできます。しかし、調味料がございませんので……」
「ああ、だが、塩は問題あるまい」
「もちろんです。スローンの海岸から持って来れますし。ですが、他のは……」
「魔法を使わない方法は無いのか?」
「いえ、あるにはあるそうですが、手間暇と燃料が大量に必要だそうです。魔法があると、どうやら少ない人数で速く作れたようですが……」
「そうか……魔法を使わない方法も、教えてもらっていたのだな」
「はい、いいえ、いや、はい」
「どっちなのだ?」
「はい、結果的には魔法を使わない方法を伝授された事にはなるのですが、何分、理不尽に誘拐されて来た女性達ですからね、神聖国人は魔法が使えるからあっと言う間ですが、スローン人は女神信仰も受け入れず愚かだから『ただひたすら何日も煮込んで掻き回してればいいわ、天罰が下るわよ』と言った風に……」
「ああ、そうだよな。無理も無いだろう。だが、その啖呵のおかげで製法が分かったのだから、やはり感謝しなければならないな。……その女性達には、取り返しがつかなくなるような、その……酷い事はしていなかったのだな?」
「はい、そうらしいです。スローン大公が、万が一、人質が子を孕みでもしたら扱き使えなくなるから、絶対に手出しはするなと厳命していたようですので」
「はあ、あの父上らしいが、そのおかげで最悪の状態にはならなかったのか……」
「ですが、攫ってきて暴力を振るっていた事には変わりがございません」
「全く、どうしてもっと……いや、こんな事を言っても仕方が無いな。父上は、何かが取りついたんだろう。元々性格が悪かったが、ここ数年は、さらに人が変わったようになったからな」
「……」
「なんだ、正直に言ってもいいぞ、ここには父上も執事長もいないからな」
「そうですね、私の父も含め、本当に性格が破綻していると思います」
「だろ? だが、なぜ俺らはそうならなかったのだろうか。あの親の子供なんだぞ? 性格が悪くなって当然なのに」
「性格が悪い本人は、自分自身の事を性格が悪いと認識はしていないものでございます。ですので、私達も、傍から見れば性格が充分に悪い可能性が濃厚では無いかと」
「なかなか言うな! まあ、そうかも知れないがな、女神様に許しを願って祈りを捧げる者たちで、集まって暮らして行こう。このセルフィンの土地で」
「そうですね、このセルフィンですら、スローンが攻め入って奪ったも同然ですが」
「それを言うなよ……本当は、これだけの物を持つ神聖国なら、スローンなどいつでも滅ぼせたろうに……そうせずに、土地を捨ててまで戦争を避けてくれたんだろうな」
「そうでしょう。さすが、神聖国と名乗っているだけはございますね。女神様の慈悲に溢れた国でございます」
「そうだな。だが、その神聖国はどこへ行ったのか?」
「わかりません」
「いや、そうだった。誰も分からないんだ、仕方が無い。だが、あれだけ女神様の祝福を受けていた国だ、エデンの王国のように滅んでしまったとは考えにくいな」
「左様でございましょう」
「どこかに丸ごと移って行ったのかも知れないな」
「かも知れません。確認はしておりませんが、北の果てにあった、川の源となっていた山が無くなったと言う話もございますし」
「そうなのか?」
「はい。北極、と言いましたか、北の極にあった、天にまで聳えていると言われる山、山だったかどうかも定かではございませんが、その山が無くなり、海へと変わったと言っている者がおりますので」
「そうか……あれだけの地の揺れに大洪水だ。山が消し飛んでいても不思議ではないな」
「左様でございますね」
「だが、山が無くなっても川はある。これも女神様のお慈悲かも知れないな」
「ありがたい事にございます」
「うん。ではまずは食料の生産だ。畑は全て使って、ありったけの種を植え、栽培するように手配してくれ」
「かしこまりました」
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