2-53 黒悪魔
セルフィンを急ぎ出発して、寮へ着いたのは、もう夜。
既に伯父上から指示が届いているはずだ。
***
「ミチイル様、お初にお目にかかります。ソフィア・ケルビーンでございます。現在までお目通りもかな」
「ああ、ソフィア、初めましてだね。悪いけど、挨拶は今度ゆっくりね。それで、伯父上から指示は届いているね?」
「はい。既に荷物はまとめ終えております」
「ああ、良かった。もう夜なんだけどさ、電球があればセルフィンの南村までコーチも運行できるから、行ける人は南村へ移動をするように手配しようか。商店街の従業員はどうしてる?」
「はい。南村からの通いの者も多いので、ここで寝泊まりしている人数は少ないはずでございます。ですので、南村へ行こうと思えば全員移動できるかと思います」
「うん、じゃ、そうしてもらおう。寮監はどこ?」
「はい。屋敷で荷物をまとめているのでは無いでしょうか」
「この寮には、どのくらいの人がいるの?」
「はい。スローン人もいれますと、14人です」
「随分少ない気がするけど」
「はい。スローン人は、帰国した者が多いようです」
「スローン人で残っているのは何人?」
「はい、女二人でございます。呼んで参りましょうか」
「うん、僕が直接行くからいいよ。じゃ、悪いけどソフィアは他の寮生をセルフィン南村へ送り出してくれる? 南村に着けば、この寮の人数くらいは泊まれるはずだから」
「かしこまりました」
***
「さてと……ん? 礼拝室に誰かいる感じ……?」
「……! ミチイル様!」
「誰? 服装からしたらスローン人のようだけど」
「……はい、その通りでございます」
「スローン人は帰国したらしいけど、あなたたちが残っている二人なの?」
「……はい、その通りで……」
「帰国しないの?」
「……うっ、うっ、うっ」
「どうしたの? 泣くほどの事があるの? もう聞いたとは思うけど、ここの寮は閉鎖するからね、早く帰国しないと住むところ無くなるよ」
「私たちは帰国したくありません! どうか、どうか!」
「いや、建物が無くなるからね、ここに住むのは無理」
「ああ! 女神様! どうかお慈悲を!」
「え? あなたたち、女神様を信仰しているの?」
「……はい。私たちは寮で暮らして二年目でございますので、ミチイル様の事も存じ上げております。私たちもこの礼拝室で、女神様へお祈りをするようにもなりました」
「そうだったんだ……他には女神様を信仰しているスローン人は居ないのかな?」
「……はい、おそらくは。私が知る限り、私たちだけでございます」
「そう。それで、どうして帰りたくないの?」
「……うっ、うっ、うっ」
「別に怒らないし、文句も言わないからさ、話してみてもらえる?」
「……うっ、はい。……あのような恐ろしい所には……戻りたくないのです。家の者も女神様の話をすると怒り出しますし、それに……」
「それに?」
「……スローンでは、神聖国の人を攫って、拷問にかけ、神聖国の秘密を探ろうと必死なのです!」
「…………」
「それに、ここの寮から色々盗んで物を集めたり、従業員がエデン人の食べ物に毒を入れたり……もう耐えられないのです!」
「もしかして、スローン人があなたたちしか残っていないのは、また何かをスローンに持ち帰ったのかな」
「はい。私たちは戻りたく無かったので、この礼拝室に隠れておりました。ここにはスローン人は入りませんので……私たちが居ないのは気づいていたでしょうけど、国からの指令もありましたし、他の者たちだけでも帰国したのだと思います」
「そう。それで、あなたたちはどうしたい?」
「……わかりません。ですが、女神様のお慈悲を賜って生かされているのだ、と思っております。どうしたら良いか分からず、ここで女神様に祈っておりました……」
「そう。……あなたたちにはね、選択肢がある。一つは、スローンにこのまま戻る事、もう一つは、神聖国民となって、スローンを捨てる事。どうする?」
「……私たちは、スローンには戻りたくありません! あんな恐ろしい国なんて! みんなおかしいのです。自分たちが苦労しているのは神聖国の所為だって、エデン人に代わって、この世界を治めるのはスローン人なんだって、もう何を言っているのかわかりません!」
「でも、神聖国民になったら、もう二度とスローンには戻れないからね、家族とも二度と会えない。友達にも恋人にも、もう二度と会えないよ」
「……はい。家族にも、一生懸命お願いしましたが、恐ろしい事に加担するのを止めてはもらえませんでした。それどころか逆に酷く叱られました。恋人などもおりませんし、友達も、もう友達ではありません……みんな、何かに取りつかれたように、おかしくなってしまいました」
「そう。大変だったね」
「……うっ、うっ、うっ……ですが、女神様が憐れんでくださって、私たちも水を出すことができるようになりました。この寮では、管から水を出すことができるのです。このような奇跡を行えるようになるなんて……」
「え? 水を出せるの?」
「はい。神聖国の人が、管から水を出して使っているのを見かけまして……これは女神様の奇跡に違いないと思って、ずっと女神様へ祈っていたのです。そうしたら」
「そっか。じゃあ、悪いんだけどね、僕の目の前で水を出してもらえる?」
「かしこまりました……いつもうまく行く訳ではないのですが、ミチイル様の仰せの通りに」
「うん。洗面所へいこうか。着いてきて、二人とも」
***
「じゃあ、やってみてくれる?」
「かしこまりました……うう……うう……」
「ちょっと指先に気合を入れてみて」
「……うー……ふんす!」
チョンチョロチョンチョロ
「あ!」
「うん、できたね。そちらのあなたもやってみて」
「はい、かしこまりました……ふんす!」
チョロチョロ
「うん。わかった。あなたたちの覚悟は変わらないんだね?」
「変わりません!」「変わりません!」
「うん、では神聖国民として認めよう。もうスローン人ではないし、スローンには戻れないよ?」
「女神様のお慈悲に、すがって生きて参ります」
「うん、わかったよ。お祈りはいつもした方がいいかもね」
「ミチイル様、他の者たちは、すでにセルフィン南村へ出発致しました」
「ああ、ご苦労様、ソフィア。この子達ね、神聖国民にするから。残りはソフィアだけ?」
「はい。私とお付きの者だけでございます」
「じゃあ、この子達もコーチに一緒に乗せて南村へ向かってくれる? その後は、この子達を伯父上に預けて置いて。あなたたちも、神聖国に着いたらね、アタシーノ大公に知っている事を話してもらえる?」
「かしこまりました」
「じゃ、ソフィア、この子達は色々スローンの事を知っているからね、伯父上に引き継いで話をしてもらって」
「かしこまりました。ミチイル様は、いかがされますか?」
「うん、僕は、この商店街から全員が居なくなった後、ここを撤収して戻るから。あ、コーチが足りないだろうしね、僕の乗って来たコーチも皆の移動に使ってね」
「ミチイル様は、どうされるのでしょうか」
「うん、僕は何とでもできるからね、心配しないで」
「かしこまりました。では、あなたたち、荷物はありますの?」
「荷物などございません……」
「では、わたくしと一緒に来てちょうだい。神聖国へ参りますよ」
「はい、ソフィア様」「はい」
「では、ミチイル様、ご無事のお戻りを神聖国でお待ち申し上げております」
「うん、気をつけてね。あ、僕のコーチに電球いくつか置いてあるから、自由に使って」
「かしこまりました」
***
「はあ、もう夜中かな、アイちゃん」
『はい、救い主様。左様でございましょうね。お時間をご確認なさりたいのなら、キッチンタイマーをお創りになられては如何でしょうか』
「あ、そういえばあったね~ ま、今度にしよう。今の時間を知った所で何がどうなる訳でもないし」
『左様でございますね』
「それでさあ、マーちゃんを呼んでもらえる?」
『かしこまりました』
「ありがと。しかし、ここも誰も居なくなったね……」
『左様でございますね』
「……僕、何か間違ったかなあ」
『救い主様は、何も間違いなどなさってはおりません』
「でもさ、こんな事になっちゃって」
『救い主様が原因ではございません。人間どもの欲望は限りが無く、世界とは、争いが絶えないものでございます』
「ま、そうだろうけどさあ、この世界は苦しみが少ないでしょ、病気も無いしね。その代わりに喜びも少なかっただろうけど」
『左様でございますね。ですが、苦しみと喜びは、表裏一体のものでございます』
「はあ。苦しみが少ない分、喜びも少なかった、というか、喜びなんて、あったのかな」
『人間どもがどうなろうと構いませんので、気にした事もございません』
「はは……アイちゃんはブレないよね。アルビノ人に、喜びは少なかったよね。でも、その割には苦しみが多かったんじゃない?」
『私めには判りかねます。ですが、現在は喜びが多いのでは無いでしょうか』
「そうだといいんだけど……でも、攫われた人たちがいるでしょ。その人たちは、自分の所為でもない理由でひどい目に遭っている」
『救い主様がお気になさるような事ではございません。全て人間どもの所為でございます』
「大きなくくりで言えば、そうなんだけどさ、小さなくくりだと、攫われた人の所為じゃないじゃん。理不尽だよ」
『では慈悲を授け、助けてはいかがでしょうか。救い主様でいらっしゃいますので、救えるのではと思料致します』
「ええ、僕がどうやって攫われた人たちを救えるの?」
『しもべをお使いになれば宜しいかと存じます』
「しもべ……使い……マーちゃん達?」
『左様にございます。救い主様の奴隷にございますので、何なりとお申し付けください』
「お申し付け……ね。攫われた人を救って来てって頼めばいいの? 方法も思いつかないのに」
『左様でございます。少なくとも、シンエデンや中央エデンにいる救い主様の民は、連れ帰って来る事は可能でございます』
「どこに居るのかもわからないのに?」
『あの奴隷どもは、毎日毎晩、大陸中を飛んでおります。この周辺のエデンから救い主様の民が引きあげた今、このエデンに残っている弱き民は救い主様の民である可能性が高く、また、魔法を使える弱き民ならば、確実に救い主様の民でございましょう』
「ん? そうか! スローン人も居るけど、服も作務衣だし! それに魔法が使えれば! そうそう、そうだよ! アタシーノの民ならマーちゃん達を知っているし、セルフィンでも知っている人が居る可能性が高いよね! それに、ランプでも持って行ってもらって、火を点けてもらえば……魔法が使えたら、神聖国民だ!」
『左様でございましょう』
「スローンに居る人は、まだ助ける方法が無いけど、攫われて間もなくて、まだエデンに居る人なら……今なら助けられる!」
『そろそろ、奴隷どもが到着すると思われます』
「ども? マーちゃんだけじゃなく?」
『左様でございます』
「ありがとう! アイちゃん!」
プーーーン シュタッ!
「すくいぬし様~ おまたせしました!」
「ああ、マーちゃん、ごめんね。眷属も一緒?」
「はい! いくらでもごめいれいを!」
「じゃあさ、早速で悪いんだけど、神聖国民が攫われているんだ。中央エデンとシンエデンに居る神聖国民を、神聖国まで運んでもらえない?」
「おやすいごようです! エデンのまんなかから東にいる、よわきたみをはこびまーす」
「うん。服を着ている……いや、服は剝ぎ取られているかも知れないね、この建物にランプがたくさんあるからさ、持って行ってね、そのランプを差し出して魔法を使わせてみて。神聖国民ならランプを出されたら、あ、夜は真っ暗なんだった。うーん、火を点けたままランプを運べる?」
「もちろん、だいじょうぶです!」
「ならさ、アルビノ人を見つけたら、その人にランプを渡して目の前で火を消してみて。神聖国民なら、真っ暗だし誰にも見られる心配が無ければ、とりあえず魔法で火を点けるはず。それで判断できると思うの」
「はい! けんぞくにめいれいします!」
「うん、お願いね。うまく行けばいいけど……」
『何か問題がございましても、その時に再度、考えられてはどうでしょうか』
「……うん、そうだね。今は一刻の猶予も無いからね、一人でも二人でも助けられればいいや。じゃ、マーちゃん、お願い!」
「かしこまりました! さあ、けんぞくども! いくよ~!」
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――エデンでは、光る星を手に殺戮の黒悪魔が飛び回っていると、人々が噂をするようになった
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