2-35 ケルビーンの血
しばらく時が過ぎた。
僕、寮のスローン人には出会わないからね、人数が減ったって話だったけどさ、スローン大公の公子も居ないみたい。ま、二年生だって話だったしね、卒業したのかもね。
今、スローン人は5~6人くらい残っているのかな、以前の人数レベルに戻ったらしいけど。
そうそう、それでね、足軽君が、生のマッツァを持って来てくれたんだ。でも、柔らかくてデカい蕪みたいなのがね、なんかシワシワな感じなの。こう、売れ残った廃棄寸前のトマトみたいな食感っていうのかな。色はクリーム色なんだけどね。だから、味は確かに乾燥マッツァ味でね、それは想像通りなんだけど、食感が悪いの。話だと、もぎたてはシャクっとした歯触りの食感で、それなりには美味しいらしいけどさ、特に食べたいとも思わないかな~
毎日毎日、あれを食べるのはね、キツイ。女神様の祝福の実らしいけどさ、あんなのだけを主食に生きていたら、そりゃ食文化なんて育つわけ無いよね。
ま、僕たちはもう食べないからね、どうでもいいんだけど~
だからさ、こんなのを食べる位なら、もう足軽君もキャンティも、この寮に引っ越せば?って話になってさ、ま、急にシモンが言い出したんだけどさ。
スローン人も減ったしね、部屋は10以上空いているから、問題ないよね?って事で、二人とキャンティのお付きの混血分家令嬢の三人が引っ越してきた。そのうち、足軽グループの子たちも来るかも知れないけど、シェイマス、後は任せた。
引っ越すと言っても、別に大した荷物もないし、お邪魔しまーす、なレベルで越して来たんだけどね、向こうの寮はいいの?って言ったらさ、そもそも誰がどのくらい滞在しているか、管理してないんだってさ。そりゃそうか。知らないうちに入学して卒業するんだもんね。
それに、エデンでは記録の方法も無いしね、考えてみればそんなもんかも知れない。いつもよりマッツァが二つ、余る程度の話だもんね。ま、何も問題ないなら結構結構。
学園レストランは相変わらず繁盛しているし、足軽グループもアドレ侯爵家も問題なく仕事をしているみたい。
でもさ、僕が学園に行くとさ、お茶会に誘われるようになっちゃった。皆、僕とお近づきになりたいんだってさ。もちろん、そんなのはノーサンキューなんだけど、キャンティとか足軽君とは仲がいいでしょ、大っぴらにはしてないけど、一緒の寮に住んでいるしね、だから、あまり二人に嫉妬が向けられても面倒だし、もう神聖国に帰る事にしたよ。
あーあー面倒くさい。
***
「ただいま~」
「あら、ミチイル、久しぶりね。お手紙くらいくれてもいいじゃないの」
「母上だって、手紙くれてないでしょ」
「だって、シェイマス便りで近況がわかるんですもの」
「僕だってシェイマス経由で皆の無事を確認しているからね、別に手紙なんていらないでしょ?」
「それもそうね!」
***
――この親にして、この子ありである
***
「それで、どうしたのかしら、休みでもないのに帰ってくるなんて。ミチイル独りで帰って来たの?」
「うん。向こうでさ、色々すり寄ってくる人が増えちゃってね、面倒くさいから僕だけ帰って来たの」
「あら、そう。まあ、仕方が無いわよ、今を時めく神聖国のケルビーンなんですもの」
「そんな事いったら、シモンだってそうじゃない。むしろ、シモンが跡取りなのに」
「シモンはお兄様と一緒で、ひょうひょうとしているでしょう、だから当てにならない雰囲気ですもの、周りが先に諦めるのではないかしら」
「ま、否定し難い事実ではあるけどさ。僕だって、面倒くさい事が嫌いなのに」
「あらあら、ミチイルもケルビーンの男子なのね。ケルビーン家の男たちは、昔から面倒くさがりが多かったらしいわよ」
「え? そうなの? 僕、ケルビーンの性格を受け継いでいるのかなあ……特にそんな風に思ってなかったけど、確かに言われてみれば……この世界に来る前は、ここまで面倒くさがりじゃなかったかも知れない……」
「ミチイルは、間違いなく私が産んだ子ですもの。ケルビーンの血を受け継いでいて当然でしょう?」
「ま、そうだよね~」
「むしろ、私だけの子なんですもの、ケルビーン100%じゃないの」
「あ、そっか~ そうだよね~ じゃ、いいや~」
***
――北海道よ……いずこへ
***
「まあ、しばらく家でゆっくりしたらどうかしら。ずっと忙しくしているのですものね」
「はーい」
***
「ミチイル様、お戻りと伺いまして」
「うん、伯父上、どうしたの? 急用?」
「いえ、急用では無いのですが、ここの所、どうもスローン人がセルフィン辺りをうろついているようです」
「うーん、スパイみたいな?」
「スパイ……はい、そうでしょう。何かを盗られたのかどうかはわかりません。神聖国では個人のものはあまりありませんし、特に盗む者もおりませんから、畑でも工場でも、生産物もそのままですし」
「そりゃそうだよね、ある意味桃源郷だけど。でもスローン人は違う、と」
「はい。寮でも紛失が相次いでいたようですが、それは寮という限られた空間内だから把握できた事でしょう。国単位になってしまうと、把握できません」
「そうだよね、国境に柵がある訳じゃ無し、むしろ国境すらあるんだか無いんだか……」
「はい。スローン人は昔の作務衣を着ている者が多いので、ある程度見分けがついたのですが、最近では普通の服を着ているスローン人もいるのではないか、との噂なのです。ですが、それも確認できません。そもそも、神聖国が誕生してから、アタシーノセルフィン旧両国民が入り乱れておりますので、どこの誰かが分からないアルビノ人が歩いていても、それが通常になっているのです。国民の流動がございますので」
「ああ、そうだよね。物流も毎日だし、職人が行ったり来たり、最近じゃ足軽さんたちもいるし、見かけない人が居ても普通なんだ」
「はい。それに、そもそもアルビノ人の国間の移動を規制するようなルールもございませんでした」
「ああ、そうだった。明確なルールが無い事を逆手にとってセルフィンに色々したんだからね」
「はい。ですので、仮にスローン人が神聖国内を歩いていても、咎める根拠もございません」
「まあ、仕方ないよ。寮の事もそうだけど、仮に何かを盗まれても困らないでしょ?」
「まあ、畑から根こそぎとかで無い限りは困りませんし、さすがに根こそぎ盗めば誰かが気づくと思いますが」
「うん。作物の種とか、職人の道具とか、そんなものを盗んだとしても、女神様を信仰していないと魔法も使えないしね、魔石だって、そもそもスローンの北部にもゴロゴロころがっているはずだから、ここから盗んでも無駄だし、魔法が使えないと魔石に火も着けられないから」
「そうですね、そう言われてみれば、そうでした。もし、作物の種などが盗まれていたとしたら、どうしますか?」
「向こうで植えればいいんじゃないかな。畑を作るのも収穫するのも管理するのも人力だけどさ、本来はそれが当たり前なんだよね。この国だと女神様の祝福があるから、魔法が使えるだけで。南部に作物の種を渡したのと、似たような状況になるんじゃないかな。あ、魔力がある土地だから、南部よりは収穫も速いかもしれないけど」
「もし、神聖国と同じように一か月ごとに収穫ができるようなら、神聖国の商品価値が下がるかも知れません」
「うん、でもね、作物の種は、魔法で植えないと多分ダメ。魔法で作った畑で魔法で植えて管理して、ようやく驚異的に育つと思うよ。だから、そんなに早く大量に作物はできないと思う」
「そうでしたか……神聖国では最初からミチイル様のご指示で動いてましたからね、そんなことを検証する事もありませんでしたし」
「うん。女神様を信仰していれば、別に要らない知識でしょ?」
「そうですね、考えても仕方のない事は、考えても仕方がありませんから、考えるだけ無駄ですしね」
「そうそう~」
「……やっぱりケルビーンの子ね、二人とも」
「どういう意味です? マリア」
「そのままの意味よ。ケルビーンでは男がのほほんとしているから、女たちが有能なのね、きっと」
「そうなのかな。確かに伯母上とかは、とても有能だよね」
「姉上は、有能というくくりではないですよ、ミチイル様」
「ちょっと、二人とも誰かを忘れていないかしら」
「ん?」
「誰も忘れていませんよ」
「わたしがいるでしょう? 有能なわたしが神聖国に睨みを効かせているんですもの!」
「マリアが睨んでも、小娘がプンスカしているだけと思われて終わりですよ」
「なんですってお兄様!」
「そうだよ、母上。母上はどっから見ても十代にしか見えないし」
「あら、まあ、そうかしら? わたし、そんなに若く見えるかしら? うふふ」
「うん。母上がいつまでも若くて美しいから、僕も鼻が高いよ」
「あら! ほんとうに可愛い子ね、わたしのミチイルは!」
「相変わらず単純でいいですね、マリアは」
「お兄様! だまらっしゃい!」
「伯父上……」
「失礼しました。それで、スローンの件は、どうしましょうか」
「うん、とりあえずそのままにして置こう。伯父上も積極的にスローンと揉めたくないでしょ?」
「そうですね。証拠でもあればいいのですが」
「ま、証拠が出たら、その時に改めて考えよう。それよりもさ、伯父上」
「はい」
「神聖国の生産能力は、足りてる?」
「正直言えば、ギリギリです。子供が増えて、嬉しい悲鳴を上げている状態ですので」
「らしいね。喜ばしい事なんだけどね」
「でも、どうしようも無いじゃないの。エデンで売るものは現状を維持して、生産能力が整うまで増やさない事くらいしか無いと思うわ」
「そうですね、確かに」
「南部には米と麦をメインに輸出しているんでしょ? 伯父上」
「はい。余るほどでは無いと思いますが、めったに食べられない、という程でもないと思います」
「ま、ほどほどって事か……今、南部への物を減らす訳にはいかないからね。せっかく準神聖国民になったのに、減っちゃったら信用が無くなっちゃうから」
「そうね。女神様に忠誠を誓った途端に飢えるような事になったら、逆効果だもの」
「そうですね。では、それも現状維持という事で、納得してもらいましょう」
「南部の混血民が、ブッシュ地帯辺りでも活動ができるなら、話は変わるんだろうけどね」
「はい。ですが、まだ魔法の訓練が始まったばかりですから、今、畑に行ったとしても、あまり魔法は使えないのではないかと思います」
「そうだよね。まあ、無いものを無いと言っても始まらないしね、当面は現状維持に努めてもらえる? 急に国の規模が大きくなっちゃったからね、準備が足りなかったよ」
「仕方が無いわよ。ミチイルのせいでも何でもないわ。これも女神様の思し召しに違いないわよ、きっと。考えるのは止しましょう」
「そうですね、考えたところで労働力が降ってわいてくる事もありませんしね」
「そうだよね、これ以上考えても仕方がないよね~」
「そうよ。美味しいおやつでも食べて、お茶にしましょう」
「いいですね」
「ミチイル、お菓子をお願いね!」
「はーい」
***
――全員、ケルビーンなのである
***