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洞穴には、チリュウが先に入って行った。その後、ひなも続いて中へと入って行く。足元はひんやりしている。擦り切れて腫れてしまった足の裏を癒すには、適した場所かもしれない。そんな楽観的な思考がひなの脳裏をかすめた。疲弊しすぎて、多くの命を失い、奪った事実がまるで遠い過去のことのように感じられた。ひなは目を細め、目の前でくつろぎ始めるチリュウを見つめた。ひながこれから尽くすべき主。ひなの全てが、このチリュウに掛かっている。
チリュウは「ふーっ」と息を吐き、腰を下ろしてブーツを脱いだ。黒いエンジニアブーツから足を出すと、靴下まで脱ぐ。黒色の靴下は、湿っている様子だ。ここまで歩いて来て、チリュウも疲れていないはずがない。汗だってかいていた。足の指に手の指を絡ませ、反らせたり曲げたりして血を通わせる。しばらく自分の身体をほぐしてから、チリュウの横で棒立ちになっているひなの存在に気づき、口を開いた。
「おい、小鳥。何やってんだ。お前も身体を休ませろ」
「……」
「……いつまでも突っ立ってるつもりか?」
「休んでいいのですか?」
「疲れてるお前なんて、足手まといでしかない」
「……」
そうかもしれない。
ひなは内心でそう思った。
やや困ったように眉を寄せてから、ゆっくりとその場に座り込んだ。お尻をつけると、湧き水でも流れていたのか。冷たく湿った。すでに汗と血で濡れていたのだから、気にすることもないかと、ひなはそのまま足を折り曲げ体操座りで落ち着いた。膝の上に顎を乗せる。その様子を満足げにチリュウは見守っていた。どことなくひなを見る目が優しいのは、きっと気のせいだろう。優しい人間が、平気な顔して人を殺すものか。そして、世界の覇者になろうなんて野望、持ったりしない。
(きっと私、疲れているんだ)
疲れすぎて、思考さえ麻痺してしまう。足の感覚もなければ、脳からの伝達物質もどうかなってしまったらしい。一日の中で、あまりにも多くのことが変化してしまった。「ヒナドリ」として覚醒した日に、主に仕えることになったのも、因果というものか。
両親を亡くしたときから、ひなの心は欠落していた。幼馴染のみとやそのご両親がよくしてくれたおかげで、素直でまじめな「優等生」タイプに成長することは出来たが、ふとした瞬間にもの悲しさや、何かが「足りない」と感じることが多々あった。その自覚があって、ひなは自ら友達を増やそうとはしなかったし、みと以外とは滅多に話もしなかった。踏み込むことも、踏み込まれることも怖かったのかもしれない。
ひなは、目を伏せ軽く息を吐いた。
「この近くには、村も何も無い。人の気配も無いんだろう?」
「はい」
「見張っててやるから、お前は少し寝ろ」
「……」
チリュウの言葉を耳にして、ひなは聞き間違えたのかと反応できず、ただ顔を上げて目をぱちくりさせた。長い睫毛が上下に揺れる。
ひなが驚いた顔をするものだから、チリュウは何事かと面食らって、瞬時に動きだせるよう腰を上げ、腰に携えていた剣の柄に手を掛けた。
「なんだ!? 人間が居るのか!?」
「いえ、いません」
「……なんだよ、驚かせるな」
「すみません」
「驚いて損したぜ」
ふっと息を吐き、チリュウは再び腰を地面に下ろした。瞬時に腰を浮かせ、臨戦態勢を取れるのは、運動神経のよさを感じさせる。賊の一味のひとりだが、下っ端の人間の動きには見えない。大きな規模の賊ではなかったが、それなりの地位は築いていそうな男だと、ひなは子どもながらに肌で感じ取った。
ひなに対しては、警戒心を解いているように感じる。チリュウは大きな欠伸をしながら、壁に寄りかかった。腰を伸ばしたり、脚を伸ばしたりして、身体をほぐしていく。
「人気がないなら、尚更安心だな。お前はさっさと寝て体力を回復させろ。朝になったら、また移動するぞ」
「朝まで動かないのですか?」
「俺はお前と違って、そこまで夜目が利かないからな」
「ヒナドリは魔族とのハーフだから……」
「あぁ、人間より夜目が利くんだろう? だが、俺はこれ以上は限界だな。松明を炊けば明るくなるが、周りに居場所を知らせちまう。極力争いは避けたいからな」
「……はい」
ひなは、短く答えた。
チリュウの「争いは避けたい」という言葉に対してだけの応えだったが、チリュウは肯定されたことに満足し、笑みを浮かべた。
気分をよくし、右手の人差し指で地面を示した。
「そこ、平らだろ? 横になって寝ておけ。朝になったら起こしてやる」
「主さまは?」
「俺も休むさ。流石に横にはならないけどな」「それなら、私も」
「馬鹿言うな。俺は頑丈だが、お前はまだガキだ。黄金色のヒナドリさまだが、動きを見ていても粗い」
「……ごめんなさい」
無機質な声でひなはただ謝った。そこには、主従関係の他のものなど何もない。チリュウは、今度は満足しなかった。舌打ちして、後を続ける。
「俺はこの世界に復讐し、王者となる。それを助けるのはお前だろう? 小鳥」
「はい」
間髪入れずにひなは答えた。それは、チリュウがひなの唯一の主だからだ。
「俺を失望させるんじゃねぇぞ?」
「はい」
「分かったなら寝ろ。足手まといは必要ない」
「……」
今度は答えなかった。その代りに、黙ってその場に横になった。地面は土ではなく、つるつるとした岩場だった。ここは、鍾乳洞の入口だったらしい。ぴちゃん、ぴちゃんと時折水音が響いて来た。それが心地よく、疲れたひなの眠気を加速させた。
虚ろ、虚ろと目がかすみはじめる。目の前に捉えていた主の姿もぼやけてきた。
ひなはそのまま、重い瞼を閉じ意識を手放した。チリュウはそれを見て、誰に見られることもない笑みを浮かべ、静かに目を閉じた。




