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 部屋の扉をノックすると、ロアの侍従が顔を出しフレーゼを確認して扉を開けた。会釈をして室内に入ると、いつものサロンよりもすっきりとして片付いたシンプルな部屋が現れる。


「フレーゼ嬢、顔色もよくてすっかり元気になったんだね」


 ロアが柔和な笑みを向ける。


「殿下、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 頭を下げるとロアが首をこてんと傾げる。


「迷惑? なにが?」

「いえ、お話の最中に倒れてしまうなんて……その」


 もごもごとしていると、ロアが笑みを深めた。


「気にしてないよ」


 窓際に机を挟むようにして椅子が置かれていた。腰かけるといつもと違う室内の雰囲気に緊張してしまう。

 持参した教科書をめくりながら、どこから復習すべきか思案する。

 ふと視線を持ち上げるとロアと目が合った。こちらを見ていたらしい。


「な、なんでしょう?」

「ううん。思っていたよりも熱心に学んでいるなぁって」

「思っていたよりも、ですか」


 思わず復唱してしまったが、ロアは失礼なことを言ったと思ったらしく困ったように笑う。


「いや、ごめんね。悪い意味じゃないんだ。君はこの城を出るつもりなのに、この城で学ぶことに手を抜かないんだと思って。あ、もしかして何らかの地位を目指してる?」


「地位ですか?」


 発言の意図が分からず返事に窮してしまう。平民が努力したところで得られる地位などたかが知れている。


「他にやることがないから頑張っているだけなんですが……」


 そう告げると、ロアはきょとんとした反応を返す。


「え、やることない? そうかな……」


 本気で首を傾げている。どうしたらいいんだろう。


「あの、殿下。せっかく殿下たちと学んでいるので、あまりにも落ちこぼれだと恥ずかしいと思ったんです。だからやれる範囲で頑張って学びます」


 それに、と言ってこぶしを小さく握る。


「もし実家に戻って、パン屋さんを廃業することになっても、ここで学んだ知識で学校の先生になれちゃうかもと目論んではいます!」


「え、廃業するの?」

「そんなこと絶対にないですけどね」


 恥ずかしくなって誤魔化すように笑うと、ロアが吹き出しころころと笑い始める。


「フレーゼ嬢の目論見は可愛いね」

「え!」


 さらりと言われた言葉に胸が跳ねた。

 綺麗な顔と王子様の名にふさわしい優雅な所作。そんな少年が口説いているわけでもないのに、女の子にさらりと言えてしまうのだ。

 なんてイケメン力の高さ……。

 勉強の続きにとりかかろう。ロアも姿勢を正して教科書と向き合い始めた。

 フレーゼは羽ペンとインク瓶を置いた。インク瓶の封印をぺりぺりと剥がす。


「それ使いやすいインクだよね」


 またロアの視線がこちらに向いていたようだ。

 どうも二人きりだと、心臓が騒がしくなる。


「フレーゼは速記が苦手だから、いつものインクだと練習しづらそうだと思っていたんだ。僕も小さい頃そのインクで練習してたよ」


 今も小さい頃に分類される年齢ではあるが、ロアの落ち着き方が些か若くない。


「知らないうちにこれに変わってました。前のはインクも少なくなってたので、新しくしてくれたんだと思います」


 ロアが僅かに目を瞬いた。そして柔らかく笑む。


「よかったね」

「はい」


 ロアにお墨付きをもらえたなら、きっと使いやすいインクなのだろう。つい悪い方に考えてしまったけれど、あの侍女がきっと気をきかせてくれたのだ。

 そう思うと胸が温かくなって、とても幸せな気持ちになる。


「フレーゼ嬢?」

「あ、はい!」

「どうして笑ってるの?」

「……っ!」


 思わず頬をおさえる。気付かぬうちに口角が上がりニヤニヤしていたらしい。フレーゼは気まずくなって俯くが、そろそろとロアを見上げると穏やかな笑みがこちらを見ていた。


「……こういう気遣いが、う、嬉しいなと思いまして」


 インク瓶に手を触れそしてロアを見遣る。


「殿下、お花ありがとうございました。まだベッドから体を起こせなかった時に、たくさんの花を見られて、その、とても嬉しかったです」


 なんて伝えたらいいのか分からず語彙を探すが、結局言えたのは嬉しかったことだけだ。

 絶対に顔が真っ赤になっている。緊張で鼻がひくついている気もする。

 ロアは小さく驚き、すぐに目を細めくしゃりと笑う。


「……うん、喜んでもらえて嬉しいよ」


 その笑顔が初めて見るもので目を離せない。いつも絵画のように美しい笑顔なのに。

 なんとも表現が出来ないけれど、初めて同年代らしい少年の笑顔を見た気がした。


 なんだ、この空気。

 照れくさい。


 もじもじとしながら教科書に目を通し、室内にページをめくる音だけが響く。


 王国の地理と接する国の地理を紙に書きながら、ふと王都の位置に目が向いた。港を持ち、王都は標高の高い山を背に抱いている。隣国は山を越えることが難しく、たとえ攻め込まれようとも、ここからは来ることが出来ない。

 だからこの地に王都を建設することが出来たということが書かれている。

 王都の東側が特に山が険しくなっているようだ。その向こう側に国境があり関所の印が付いている。こんな場所に関所があるのか……。


 そういえばフレムが竜花という名を口にしていた。こういう場所に咲いている高山植物だったりするのだろうか。

 机に詰まれた書物の背を指でなぞり、題名だけ確認していく。さすがに植物図鑑はなさそうだ。

 気になると調べてみたくなる。


「何か調べてる?」


 ロアに尋ねられて、フレーゼは顔を上げる。今日は二人きりのせいかよく話かけられる。

 普段はどうだったろうか。

 もしかしたら、リージにも同じように気を遣ってくれていたかもしれない。


「調べたい花があったので、図鑑がないかと思いまして」

「花?」


 ロアが不思議そうに首を傾げるが、片手を上げて端に控えていた侍従を呼ぶ。植物図鑑を何冊か持ってきてくれるように頼むと、フレーゼに視線を戻す。


「何を調べているの? 今やってるのは……地理?」


 ロアは開いてある教科書を一瞥した。

 フレムに教わった花は禁忌だと言っていた。それをこの王子に素直に話すのは憚れる。

 そもそも禁忌にされている花が図鑑に載っているのだろうか。詳細は自分で調べろなんて、そもそもハードルが高すぎる。

 頭の中で色々考えているうちに、返答がないことを訝しく思ったのか、ロアが口元に手を当て思案顔をこちらに向けていた。


「もしかしてフレム先生に何か聞いた?」


 フレーゼは顔が強張る気がした。絶対に頬が引き攣っている。

 ロアの黒い瞳が光った気がした。目を細めこちらをまっすぐに見つめている。口は笑みの形をとっているのに見えない圧を感じて怖い。


「咄嗟に答えることを窮する植物……いくつか心当たりがあるけど」


 ロアは面白そうに指をひとつひとつと折っていく。綺麗な指だなぁ、なんて思いながら思考が現実から飛んでしまう。


「竜花かな?」


 ロアの視線が突き刺さる。逸らす気など無い試す瞳だ。

 ああ、こういう時ごまかしの出来る人間だったらな。

 無言で頷くとロアが笑いを殺し俯いた。


「ごめん、ごめん。そんなに怖がらないでよ。責めてないよ」


 フレーゼはロアの反応にあっけにとられる。


「だって最初に言ったじゃないか。先生に聞いたんだろ。あの方は知りたいことは素直に教えてくれないけど、教えなくてもいいことは教えてくれるからね」


「……とんでもないですね」

「うん。天邪鬼な大人だよね」


 ロアが笑っていると、侍従が図鑑を手に戻ってきた。彼は子供向けの図鑑から大人向けの専門的な図鑑まで、数冊を机に置いた。

 侍従が声の届かない位置に控えたのを確認して、ロアが背表紙に目を通す。


「うーん、知ってるかどうか確認をするけど、竜花は禁忌なんだ。その存在も秘匿されている。王族の者でも一部しか知らなくて、魔法使いも上位に位置する者しか知らないんだ」


 ロアの言葉が固い。とんでもないものを話題に上らせてしまった。


「それを何故フレーゼ嬢に教えたんだろう」

「……わ、分かりません。でも、多分」

「多分?」

「私が魔力を欲しがったから」

「へえ」


 フレーゼの背中に冷や汗が伝う。ロアの纏う空気が一変した。目を細めこちらを眇める視線は軽蔑を含んでいる。


「フレーゼ嬢が魔力を求めたから安易に禁忌の花を教えるなんて、先生どうしたんだろう」


「それは……分かりません」


「竜花はそれを摂取すると多大な魔力の恩恵を受ける。竜花自体が魔力の塊なんだ」


「そんな大事なものが世間に知られたら皆が力を求めてしまいますよね。軽率でした。ごめんなさい。探したりしません。忘れます。忘れる努力をします」


 フレーゼは俯いたまま謝罪の言葉を並べ続けた。居た堪れない。怖い。

 ロアが小さく嘆息した。顔を上げられないがきっと黒い瞳をこちらに向けているだろう。


「これが秘匿されている理由はそれだけじゃないよ。そもそも存在を知っているからと言って、簡単に手に入る物じゃない」


 ロアは椅子から腰を浮かせて、前のめりになりフレーゼの前に開かれた教科書に指を乗せた。


「ここ。ここに生えている」


 指差されたのは先程眺めていた地図。王都の北東に位置する山の中央だ。


「ここは火竜が住む巣の近くにある洞穴で、入り口は封印されている。おいそれと侵入して竜花を得ることは難しいんだ」


「なら何故、禁忌なのですか?」


「魔力の強い権力者に狙われるからさ。僕ら王家の人間だけが魔力を持って生まれるけれど、長い時を経て血脈は増えその力を大なり小なり持つ人間が増えている。人は力を持つとそれ以上を求めるからね」


 ロアはにこりと微笑んだ。


「楽に強大な力を得られるならば、欲に目がくらむかもしれない。人間って弱いでしょう?」


 フレーゼは尋ねられても反応できずロアを見つめる。彼は苦笑を返した。


「ねえ、魔力がないから魔力が欲しくなった? 身に余るものだとは思わなかった? それでも欲しいと思って、王宮の高位魔法使いに聞いた理由は何?」


 矢継ぎ早に尋ねられる。先程の謝罪は耳に届かなかったようだ。


「そ、それは、あの……」


 前世の記憶を消したいなんてどう説明できるのだ。

 大して親しくもないロア。この国の王子で腹にきっと一物も二物もある聡い少年。そんな彼にどう理解してもらうのだ。


「なんとなくです」

「へー。無理やり聞き出す方法もあるんだけどなぁ」


 ロアはひらひらと手を振る。笑みが意地悪いものになっている。美少年の顔が歪んで怖い。


「だって本当に大した理由じゃないんです。それに信じてもらえる自信がありません」


「何? 僕が信用できないんだ? 傷つくなー」

「そうじゃなくて……!」


「そりゃ確かに君の同年齢の友人よりは、魔力もあり王子でもあり見た目も申し分ない。実は意外に賢い方だよ? そんな僕はうさんくさいと思うけどね」


「うわ、自分の武器をばっちり理解してますね」


 つい突っ込んでしまい慌てて口を手で抑える。

 ロアがくすくすと笑う。


「心の声が出た?」


 ロアは一頻り笑うと、ふっと息をひとつ吐いた。

 そしておもむろに立ち上がり、フレーゼに手を差し出す。


「殿下?」

「僕の秘密を教えてあげる。だから君の隠し事も教えて」


 いつもと違う笑顔だ。目じりを下げて屈託なく笑んでいる。わくわくしているような子供らしい表情だ。

 ロアが侍従に何かを告げると、侍従は足早に部屋を出て行った。

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