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 あんたなんて大嫌い。


 耳を塞いでも聞こえてくる言葉。心の中に溜まっていく澱が消えない。ずっと罵りが頭を駆け巡っていく。

 これは夢だ。

 早く起きなきゃ。起きたい。

 こんな世界、嫌だ。

 これが現実なら消えてなくなればいい。


「……うう……」


 くぐもった唸り声をあげてフレーゼが寝返りを打つ。

 朝からずっと眠り続け、熱に浮かされ唸されている。

 ぽちゃんと水盆に手布を浸し固く絞る。

 リージはフレーゼの額にのる手布を冷たいものに取り換えた。ベッド脇の椅子に腰かけ、深く嘆息する。


 熱が高い。疲れが出たのだろう。

 そう王宮付きの医師が言っていた。

 目を覚まさなければ薬も飲ませられない。


 ちらりと窓の外を見ると月が明るく光っている。

 昨夜も月が眩しかった。


 昨夜、リージは人の気配を感じ目を覚ました。

 フレーゼがベッドを抜け出し部屋の外に出た時は驚いた。寝間着姿であることも構わず後を追うと、そこに言葉を交わすフレーゼとフレムがいた。


 たまたま遭遇した様子だったが、突然現れた扉と共にフレーゼが姿を消した。

 部屋を出てから誰にも会うことがなく不思議だったが、フレーゼたちが消えた途端、護衛や侍従が姿を現し始め動揺した。


 彼女がこんなにも疲弊している原因は分かっている。自分がフレーゼを巻き込んだからだ。

 嫌がらせのつもりもあるし、離れたくなかったのもある。


 朝、サロンで焼きたてのパンが出てきた時とても驚いた。

 あれはフレーゼが作った物だ。

 フレムは自分が作った物だと言っていたが、フレーゼの味を自分が間違えるはずがない。

 彼女が意識を手放した時、駆け寄ったフレムがフレーゼの額に自らの額を当てた。幼い子供に親がやることと同じにも感じたが、僅かに魔力の気配がした。


 何かをした。

 魔術を習い始めて僅かな時しか経っていないが、魔力とはこういう肌をざらりと舐めるような感覚がするのだと学んだ。あの感覚は間違いない。

 あの飄々とした魔法使いはフレーゼに興味を持っている。理由は分からない。

 教え子だからとか小児愛の性癖を持っているとか、そういう類とは違う、何かがある。

 

 リージはうなされているフレーゼに手を伸ばし、汗で張り付いていた額の髪をよける。引き攣った古い傷跡が髪の間に残っていた。


「言うこと、ころころ変えやがって……」


 忌々しく呟いてリージは何回目か分からない溜息をついた。

 


 

「うーん!」


 フレーゼは何日も高熱を出していたせいで、体力が完全に落ちていた。しかし気分だけはいい。

 両腕を頭の上に伸ばし軽く柔軟していると、リージが呆れたように言う。


「義姉さん、俺に感謝しろよ。同室だから仕方なく看病してやったんだから」

「はいはい、分かってる。何回言うのよ」

「覚えるまで何回でも言ってやる」


 リージは上着を羽織り、刺繍が見えるように袖口を折る。手には白い手袋をはめている。


「あんた、乗馬なんて出来るの?」


「出来るんじゃなくて、やるしかないだろ。そしてやれるようにならないといけない」


「それはそうだけど」


 乗馬服に着替えたリージはフレーゼに視線を移した。意地悪く笑う姿に苛立つ。


「なによ」

「いや、今日は王子様と二人きりだから頑張れよ」

「は?」


 リージはフレーゼの耳元で囁くように言った。


「玉の輿狙うんだろ」

「な、な、なにを言っ……!」


 わなわなと震えながら握りこぶしを作るが、リージは早々に部屋を出て行ってしまった。フレーゼは気持ちを落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。

 確かにそういうものに憧れていた時期はあった。


 むっと心の中で膨れ面を作りつつ、勉強の用具を準備するために机に向かう。

 熱が出ていたせいで久しぶりの勉強だ。復習から始めた方がいいだろう。

 一輪挿しに生けられた桃色の花が机の端に飾られている。

 室内にこうやって生花があるのは気持ちが上がっていいと思う。ぐるりと部屋を見回すと、あちこちに色鮮やかな花が生けられている。

 熱で苦しんでいる間、何度かロアがお見舞いに寄越したものだ。わざわざロア本人が部屋まで来て、侍女に渡してくれていたらしい。


(きちんとお礼、言わなきゃな)


 いそいそと教本を手に取りながら、インク瓶に手を伸ばす。


「あれ?」


 残り少なかったはずのインクがなみなみと入っている。瓶のラベルもいつも使っていた物とは別物のようだ。

 残り少ないから新しい物をお願いしなくてはと思っていた。侍女が気付き新しくしてくれたのかもしれない。


「これ、家の近くの雑貨屋にも置いてあった気がする……」


 フレーゼは顔を顰める。

 今まで使っていたインクは、ロアやリージと同じものだった。身分不相応なフレーゼにはこのくらいがお似合いだとでも言われている気がした。


「お嬢様、お時間に遅れますよ。準備は整いましたか?」


 年嵩のいった見慣れた侍女が扉の入り口で待っている。

 きつい目をしているが、仕事はてきぱきとしているし、城に来たばかりの頃、嫌がらせをしてきた侍女のようなことは一切してこない。

 仕事に忠実で、それ以上の干渉をしない。


「はい。行けます」


 手にしたインク瓶を箱に入れて蓋をする。今日勉強で使う一式が入った箱を侍女に渡す。


(何もされないだけましか……)


 フレーゼは侍女の隣を通り過ぎ部屋を出る。そうしないと彼女が動けないのだ。

 最初の頃、あなたが先に行かないとついていけないでしょ。そんなマナーも分からないの? と陰で笑われた。

 嫌なことを思い出しながら、フレーゼは目的地へと急いだ。

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