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 フレーゼは口をぱくぱくさせ、立て続けに起こる事態に頭が動かない。


「こっちこっち、ほらどうぞ」


 フレムが手招きする先には、確かに小さな厨房がある。小さいといっても平民の各家庭にあるような一般的な大きさだ。


「ここは僕の家なんだ。城に用意された部屋にいると落ち着かないから、たまにこうやって自分の家に帰るんだ」

「ま、魔法使いってすごいですね……」

「うん」


 フレーゼが引き攣った笑みを浮かべるが、魔法使いはこともなげに頷いた。

 窓の外が晴れている。まさか国外にでもいるのだろうか。

 目を瞬かせているとフレムはおかしそうに笑う。

 そして彼は白い枠の窓を開け放った。

 びゅうっと風が部屋の中に入る。草の匂いが鼻を通っていく。


「外はいつも昼にしているんだ。気持ちがいいから」

「天候まで操れるんですか?」

「うん」


 またしても当たり前のように答えられてしまった。


「実家と同じ匂いがします」


 フレーゼは窓の前で大きく息を吸った。懐かしい匂いに胸がじんわりと温かくなる。

 何もない田舎だったけれど、自然もたくさんあって空気もおいしい。

 両親の焼くパンが早朝からいい匂いを放っていた。


 懐かしくなって、泣きそうだ。

 目に力をいれ振り返ると、フレムがこちらを見ていた。魔法使いの赤い双眸に見透かされているような心地になり落ち着かない。


「ここ好きに使っていいよ。材料はあると思う」


 フレムに促され厨房の中に入る。

 粉もある、塩もある。バターもある。なんと、酵母まである。


「すごいです! これなにで作った酵母ですか? うわあ、こっちの酵母は種類が違いますね」


 フレーゼは並んでいる酵母の入った瓶を見ながら逸る気持ちが抑えられない。


「僕、その酵母でパンケーキ焼くのが好きなんだ」

「美味しそう! 先生は見た目よりまめですね!」

「ん? 褒められているのかな」


 フレーゼはしまったと口に手を当てるが、からからと笑い返された。


「じゃあ僕は仕事があるから」

「あ、あの、でも今って夜中ですよね。今更ですけど、お邪魔じゃ……」

「本当に今更だねぇ。大丈夫だよ」


 フレムの大きな手で頭を撫でられる。少し痛い。


「子供が大人に気を遣うのはよくないなぁ」

「……ごめんなさい」

「じゃ、向こうにいるから何かあったら呼んで」


 そう告げ、フレムは執務机の前に腰かけた。山積みの書類を一枚をめくり、嘆息している。そして再び手を伸ばし読み始めた。


 思いがけず願いが叶ってしまった。眠いはずなのに目が冴えてきた。フレーゼは厨房をぐるりと見まわし、手を洗い、必要な物を並べていく。

 つい最近までこうやって生活していたのに、遠い昔のことのようだ。

 そういえば変な夢を見始めたのも、リージが庶子だと分かる少し前からだった。


(知らないうちに、お城での生活がストレスになっていたのかも……)


 前世でもストレスを感じやすいタイプだった。常に苛々していたし、仕事も苦痛だった。

 暇があればスマホでゲームして、そして……。


 何をしていたっけ?

 覚えていることに偏りがある気がする。


 こねこねと生地をまとめながら何を作ろうか考える。

 まあ、無難に丸パンだろう。

 この厨房、これからも貸してくれたりしないだろうか。あとから頼んでみよう。

 材料費をどうやって払おうか。


 フレーゼは考え事をしながらも捏ね続け、綺麗にまとまった生地をボウルに移し、濡れ布巾をかぶせた。


「メロンパンも作りたいなぁ」


 あのぱりぱりしたクッキーの皮を思い出し食欲が湧く。


「へえ、メロンパン好きなの?」

「……! 先生、いつから見て……!」


 入り口の扉に背を預け、フレムがこちらを見ている。

笑顔を浮かべている姿は相変わらずだが、少し疲れているようにも見える。


「僕もメロンパン好きだなぁ。ぱりぱりしている部分が特に」

「わ、分かります! 砂糖もかかり過ぎていない絶妙なのが好きで」

「語るねぇ。でも作るのは無理でしょ?」

「え? 何故ですか?」

「この世界にメロンはないよ」


 言われてはたりと止まる。

 それもそうだ。肝心なことを忘れていた。口元に手をあて、うんうんと頭を捻る。

 そもそもメロンパンはメロンの果汁が入っているわけではない。でもどうせなら果汁入りの贅沢なメロンパンが食べたい。あれ? メロンが入っていないのに何故メロンパンなのだろう?


「ぷっ」


 フレムが吹き出した声が耳に届き、彼を見上げると楽しげに笑っている。


「先生?」

「ああ、ごめん。驚いちゃって」

「驚いた?」

「フレーゼ、君は僕と同じ前世の記憶持ちだ。きっと同じ国で同じ時代の」

「え!」


 驚いて目を瞬かせると、フレムが目を細め笑みを深める。


「先生も転生者ですか!」

「転生? ああ、そういえばそんなの流行ってたなあ……」


「あ、ごめんなさい。私、夢でみるようになって思い出し始めたのが最近で」


「うん? 何で謝るの? でも同じ世代だとより確信が持てたよ。嬉しいなあ。初めて会ったよ」


「嬉しい……ですか?」

「うん」


 フレムの優しく笑む姿に、今までの意地悪さも揶揄いも感じられない。美形の微笑みは破壊力が凄い。


「僕もそうだったよ。自分が死んだ年齢から幼い頃に遡って少しずつ思い出していくんだ」


「先生には死んだ時の記憶もあるんですか?」


「ううん、ないよ。まあ死んだ理由はなんとなく覚えているけど」

「そっか。じゃあ私はあの頃に死んだんだ……」


 夢の中の自分はまだ若かった。それより大人の記憶はない。幼い頃に遡って思い出すのなら、自分はあの頃よりも年を重ねていないということだろう。

 あの頃の自分は今よりも年上で大人だったけれど、まだ続く未来があったはずだ。


「先生は前世の記憶を覚えていて嬉しいですか? 私は前世の記憶を忘れたいです」


 フレーゼの問いにフレムの瞳がかたくなる。


「正直思い出したくないんです。前世の夢をみると凄く疲れます。あの頃に流行ってた悪役令嬢へ転生したとかなら面白いけれど」 


「ぷっ、何それ。笑うんだけど」


「笑えないですよ! 乙女ゲームの世界に転生して、王子様と恋ができるとか、高位の令嬢に産まれたとかなら前世の記憶を頼りに楽しめそうだけど……」


「そうだねえ。思い出してもメロンパンだもんね」


 くすくすと笑う姿に腹がたちフレーゼがむくれていると、フレムが思いついたように言う。


「それなら、アカデミーで学園長に会うといいよ」

「は?」


 全く予期しない話題に眉間に皺が寄った。

 アカデミーとは王都にある貴族の子供が多く通う学園だ。王族や王族の血を引いた貴族は魔力を持っていることがあるので、学園で魔力の使い方を学ぶのだ。勿論魔力のない貴族や裕福な平民も、一般教養等を学ぶ為に通うことが出来る。

 王都で最も有名な総合学園だ。


 そこに何故ド平民が?

 そもそもアカデミーに入学するまであと二年。

 自分はまだこの城にいるのだろうか?

 フレーゼの頭の上に疑問符が並ぶが、フレムは優しい口調で言葉を続けた。


「この国で一番魔力が強い学園長に、前世の記憶を消してほしいって頼めばいい。他人の記憶に干渉する魔法は魔力も多く必要とするから、魔力を差し出してお願いするといいかな」


 この国で最も魔力が強い人間が、アカデミーの学園長だというのは初耳だ。

 てっきりこの魔法使いがそうなのかと思っていた。城の人間のフレムに対する態度が王族並だったからだ。

 高位の魔法使いだということは理解していたが、まだまだ上がいたとは。


 というか。


「先生、私に魔力がないことご存知ですよね? 魔力を差し出せません」


「竜花を手に入れるといいよ。竜花のことは自分で調べて」

「え! ここまで教えておいてそれですか!」


「だって何でもかんでも教えるのはな~。そもそも竜花は禁忌だし、僕は面倒なことに巻き込まれたくない」


「うわあ……最低」


 自分から焚き付けておいてこれである。少しでも心を許した自分を殴ってやりたい。


「ねえ、フレーゼ。口開けて」

「は?」

「お菓子あげる」


 ほらほらと言われ渋々口を開けると、ぽんと一口サイズの何かが口に入る。

 固い。何だろうこれ。

 味がしない……?

 フレーゼは噛みながら首を傾げる。


「するめを噛んでいる感じ……」

「ふふ、共通の話題が出来て嬉しいな」

「これなんですか?」


 むちゃっむっちゃと音を立てずに咀嚼していると、フレムが茶を淹れてくれた。


「するめだよ」


 フレムは楽しそうに笑んで、茶器を差し出す。

 お茶を口に含むと懐かしい味がした。


「緑茶だ……」

「あたり。世界中探してやっと似た味の茶葉を見つけたんだ。美味しいだろ?」

「うん」


 懐かしい味にフレーゼの目頭が潤む。

 ごしごしと目を擦り、気分を落ち着けようと深呼吸を繰り返す。


「ああ、もうさすがに眠くなる時間だよね」

「いやこれは」

「パンは僕が仕上げておくよ。明日サロンに持っていくね」

「え……」


 何故だろう。目が霞んで頭が回らない。

 刹那、ぱちんと光が爆ぜた。


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